なか杉こうの日記
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2006年02月26日(日) Simple Way to Say

自分にはどうも英語の柔らかい表現というのが不得手だ。仕事の分野のやりとりはある程度決まった表現を使えばいいし、レターもある程度書く表現は決まっている。

しかし、日常会話というのか微妙な柔らかい表現が全くできなくなっているのに最近気づいた。たとえば国際情勢というのにinternational situationというのでなく、what's going on in the worldと言う、という類いのことである。

これは岩波新書の「伝わる英語表現」に書いてある。著者は長い間通訳をしていた人で、ことばもはじめから切って訳して行く。結果として非常にわかりやすいこころにじいんと伝わる英訳ができる。

アメリカの大統領の演説も、まあ、ケネディあたりは難しいけど、今のブッシュとかはとくに話すのがうまりうまくもないらしいが、とても平易な英語を使う。

感心して、私もなにかもっと日常会話的なものを再び身に付けなおさなくちゃなと思った。しかしながらできないから言うわけでもないが、これはあくまで口語である。この著者が訳したものは確かにうまいが、ちょっとぶつぎれな感じがする。

話すばあいは非常にわかりやすいのだが、書く際にはもうちょっと味というのか視覚というのか、違う要素が入ってくるのではないかと感じた。単語ひとつの持つ味わいというのかな、小説とか読んでいるとそうでしょう、ひとつのことばのもつ色というのがじわんと感じられる。そういうのがシンプルイングリッシュでは消えてしまうこともあるような気がする。


2006年02月25日(土) Torino Olympics

きのうは忙しかったね、ほんとうに。

先ほどまでテレビでトリノのフィギュアのエキシビションを見ていた。
いやあ、すごいね。この世のものとも思われない。もちろんこれまでには
苦しい練習、けが、失敗、メンタルな挫折などなどの集積があるのだろうけれど
あのように滑っている姿を見ると天から神がそっと手を伸ばしてでもいるように思える瞬間がある。
それはどの分野にもあると思うし、人はその瞬間はまさに神の恩恵を受けているのだと思う。スポーツにしても芸術、文学にしても、いや、単に仕事がうまく行ったときもそうかもしれない。
人の一生には病とか苦とかもあるし、あのように神が手を伸ばすときもあるのだ、と思ったのでした。


2006年02月21日(火) 油のささない人形

仕事ってむずかしいな、と思う。なにせ一人でやるのではないからね。
ここに過去にいかに「遊んだか」が出てくると私は思う。いかに人と「擦れる」体験をしたことがあるか。つまりクラブ活動とかね。それが原点となってあるいは慣れとなって融通性、タフさが仕事に出てくるのだと思う。単純な交渉とかね。

あんなときあんなふうにして無駄なことやったな、とか、遊んだなとか。それがないと性格が真四角なものだから、ぎくしゃくしちゃって。疲れるし。油のささない人形みたいだ。

「擦れる」って大事だなと思う。わたしはともかくずうっとひとりでやることばかりしてきたから、仕事がなかなか・・・。まあこの年になればもう、どうやろうとかも変えることも難しいと思うけどね。


2006年02月19日(日) 生活

きのう美容院でいつものごとくいやというほど置いてある雑誌を読んでいた。Chouchouなんて雑誌があって、わたしはこの種の雑誌をぜんぜん読んでいないのだが、そしてそれは読みたくないからではなく、単に手にとったことがないからなのだが、他に読むものがないので穴のあくほど読んでみた。

ひやあ、世の中には楽しいことが沢山あるものだね。いろんな店のいろんな雑貨。おいしいもの。お寺。花めぐり。

わたしはどうもめんどくささが先に立ってあまりあちこち散策することをしない。だけれどこんなことを街のあちこちで見つけ生活を楽しくするのもいいことである。

なんだか修行僧のようであろう、わたしの暮らしは。ずうっと以前、ある集まりでそのリーダーの女性から「あなたにはまったく生活が感じられない・・・」と唖然とされたように言われたことがある。ふつうの人があたりまえに話題にすることを全く知らないし、関心もないし、いったい何をして生きているのだろう、と思われたらしい。まあ、いいさ。今は気にすることではもう、ないからね。


2006年02月18日(土) シールのはなし、ほか。

シールを文房具屋で買った。今はやりなのですね、かばんやら手帳やらに貼る小さなぽこりとふくらんだシール。

職場でも配られた手帳に色とりどりのシールをみんな貼っているのでわたしも買ってみた。どれにしたらいいのかわからないのでなんとなく大小のドーナツが沢山あるシールを買った。おいしそうだったので。チョコやピンクの砂糖(なんていうんだっけ)、むらさきやブルーもあるぞ。うまそーなドーナツだ・・・。

というわけで手帳に少し貼ってみた。このドーナツ型はぼちぼち貼るとちょっと気味が悪いので大きい水玉がだんだん空に小さく上がるみたいに貼ったらまあまあ。
どうもじぶんはこういうセンスがないようだ。

***

昨日あまり知らない人と仕事の話をしていて疲れてしまった。ほんとうに人とちょっと話すのも疲れる・・・。たとえば本で読むと外国の話ってとても楽しい。興味津々に思える。ところがその外国の話を人が自分に話してくれたり、あるいは実際に自分がその土地にいったりしても、そんな感動がないのである。むしろ生身の人間に相対しているともう、疲れて疲れてはっきり言って頭ががんがんしてくる。ひどいね。


2006年02月15日(水) 仕事のはなし

ずっと頭が固くなっている。帰りずうっと仕事をどうしようかと考えていた。
企業はもっとたいへんなのだろうと思う。今まで自分が恵まれていたのか、のんびりしすぎていたのか。企業は採用人数も増えてきたというし、少しずつ上向きになっているのだろう。

役所はいつも企業の動きから少し遅れている。二三年位して影響が出る。だものでリストラに苦しんだ時代の波が今押し寄せているという感じ。しかし役所はリストラができない。採用を控える、部署の人員を減らすしかない。

なにかを始めようとするとすべて規則、規則だ。ものすごいまわりくどい処理をしないと予算が使えない。ばかみたいに高い価格で正規に購入している。運賃しかり、本の購入しかり。

あーじぶんは甘かった!仕事だけではないよ、すべてに甘いのである。でも少なくとも好きな仕事ができているのだもの、恵まれているのかもしれないね。


2006年02月13日(月) Guchi Nikki

あーいらいらする
と手をみる
このせかいでやっていこうというのには
相当エネルギーがいる
ひとは流れしか見ないからね
とくに活発な人は
じぶんはこれまで
ずいぶんといろいなことをやってきたが
うーんとなんというのか
なんというのか
今考えている
やっぱりあたしのやりかたが
おかしいのだろうか
あたしにはやりたいことが
沢山あるのに
日々の雑務に紛れできない
力のある人はできるのだろうか
もっと効果的なこと
成果の見えることをやらないと
みとめられないのかな
みとめられる
これは仕事で重要なことである
あたしはさっぱり。
あーと手を見る
あー、そりゃ生きていれば
いいことも、あるさ。


2006年02月12日(日) ずいぶん来たね。

封筒を取ろうと何気なく缶の中をみたら底の方にむかーし書いた履歴書の残りがあるのに気がついた。そうだ二十八位の頃か。つい先だってのようだ。幾枚もペンで書いて・・・。You've come a long way, baby. と思わずつぶやいた。
あの頃に戻るのはまっぴらだ。何もない、身分も経験も能力もお金も何もなかった時代。あるのは・・・あったのは若さ、かな。それでも頭がにごると若さもにごるのである。

幾枚も書いて、人に嫌なことを言われ、渡り歩いて・・・というのを思い出した。
Yes, you've come a long way, baby.


2006年02月10日(金) 【詩】気分

お腹が
すいているような
すいていないような気がする
生きていてもいいような
いなくてもいいような気がする
ひかりのまぶしい
改札口をとおる
ホームで
寒風に吹かれている
あたしはどこも
痛くも
痒くもない
生きていますかと
問うてみる
なぜか、と聞くことは
もう、二十代のころからしていない
だけども
お腹がすいていない
なにも食べたいと思わない
なにも生きたいと思わない
とこころの底の底で言っている
こいびとがほしいとも思わない
行って帰りのまいにちである
だからお腹がすかないのかも
それでもきのう昼にたべた
カキフライはおいしかった
とほっと思い出す
同情のいらない、気分だ、これは。


2006年02月03日(金) 育てる

なにかが書けるというのは
大体心に翳りがあるときであって
なにかに
がんばっている
乗っている
張り切っているときには
かげりはあまり生じない

そんな時は
なにをすれば良いのだろう

はりきる本でも読めば良いのか
部屋の掃除をする気には
相変わらずならないなあ

このごろ、ひとつ思っていることがあって
それは
自分のオフィスデスクを
きれいにしようかなあと思っていることだ

なにせファイルから
パソコン二台
その隙間でちいさく書類を広げている

つまり
人が来たときに
相談に乗れるよう、
すっきりしておこうと思ったのだ
これは私には珍しい
あたたかい発想である
明日になり
また人とのやりとりで
いやになると
こんな考えは消えてしまうかもしれないが。

人を育てる
そのぐらいしか
今の自分には
できることはない


2006年02月02日(木) 世界の構築

わたしがかってに
世界を構築していることだから
誰から何も言われなくてもいい
じぶんで楽しんでいるのだからね
書くことは・・・とときおり思う
それはスキーを滑っているときの気持ちに似ている
それはダンスをしているときの気持ちに似ている
ひとり
充足しているからね
人がどう評価しようが
そのなかに多少嘘があろうが
世界のなかで遊んでいる
それだけである
それにつきあってくれる人がいれば
たまたま
もうけもの
そんなふうにして
仕事もだんだんやりだしたような気がする
誰がなんと言うかわからない
どこまで通用するのかもわからない


2006年02月01日(水)

ずうっとなんとなく、ほしいなと思いながらいつも送られるちらしを
見るだけだったドイツのB社の靴が、すこし安売りになるとというちらしが
入ったので、ためしに注文した。

宅急便で届いたのでどれどれ、とはいてみたらひやーっぴったりだ。足の先が
自由で心地よい。なんだかヘンゼルとグレーテルの履いている靴のようだ。(あの子たちは木靴を履いていたのかな)

うれしくってうれしくって思わず笑い出してしまった。あたしにぴったりだ!まあ、しばらく実際に歩いてみないとわからないけど。ちらり、と玄関に出してある通勤の靴を見るといかに自分が社会に頑張って適応しようとしていたかがわかる。

この靴だったら履いて森でも歩けよう。川のほとりとか、鼻歌でも歌って歩けるだろう。


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