なか杉こうの日記
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2006年01月31日(火) 書けない・・・

あんまり
うまくて
繊細な詩に出会うと
感想、というのが
書けない
なにを隠そう、恥ずかしいのだ
もしかして
違うふうに読んでいたら、そして
その可能性が大なことが
じぶんでよく、わかっているから。
あんまり
うまくて
繊細な詩というのは
きっと
感想を書くのは
じぶんではなく
もっとはいれべるの人、と
思うから
上目遣いに見ている
だけどすごいなあ、と思って
読んでいる
そんな詩、というのが
あるでしょう


2006年01月30日(月) 【詩】ファイル

ロッカーの扉をあけたら
古いファイルがかたり、と横になった
それはいつだったか
亡くなったひとの
葬儀のファイルで
たったひとつ。
かなり大きな葬儀だった、それは。
現職の幹部の人だったからね
かたり。
マジックで書いた背表紙
○○×氏の葬儀
かたり
それはさびしい
そうだまるで
その方の遺骨のようだ
かろく
かさかさ
風に散るごとく
わたしはあわてて
扉を閉めた
こころに風が吹く
あんなふうに
人は
小さなファイルになって
残る
いや、風よりも
軽いね
数十枚の紙
笑い声のみ聞こえる
すこし、話したからね


2006年01月29日(日) 鉛筆のはなし

シャープペンシルというのが苦手だ。筆力が強いのか握り方が悪いのか芯がすぐにボツボツ折れたり、芯が途中に引っかかり壊れてしまう。直しようもわからない。

それにあのプラスチックを握ったときの頭に跳ね返る感触が嫌いである。軽い頭痛がするような気がする。もう、何本も買うたびにシャーペンを壊すので職場には消しゴムのないシャーペン一本しかなくなってそれを使っている。買わなくてはと思っている。

久しぶりにえんぴつを使うとこれが心地よい。まず握りごこち。弾力があって頭にズーンと来ない。芯が柔らかく太い。ぶちっと折れない。ただ欠点はエンピツ削りですぐに削らなくてはならない点だ。しかし、それがなんだというのだ。からだにやさしければそれでよいのではないか。

というわけでえんぴつ派になろうかなと思っている。木を消費してしまうか。とも思うが、おそらく日本中の大半の人はシャーペンだろうから、わたしが鉛筆を使ってもどうってことはないかもしれない。

みつびし鉛筆、なんて懐かしいな。


2006年01月28日(土) 風邪

ひどい風邪で
寝込んでいた
げりはどうにか止まったが
くりかえし
吐き気が押し寄せ
寝ていてもどうしようもない
こんなことは、まずない
救急病院でクスリをもらったが
吐き気は治らない
一年前に風邪のとき
近くの病院でもらった吐き気止めを飲み
ようやく治った
その間、半日。

むかしの人は
そして今でも
重病の人は
こんなふうにしてずうっと・・・
と思った
なにかひとつ体にわるいところがあると
神経がそれに集中し
それ以外に考えられなくなる
病院の
すこし安物らしい大きな時計
時計のガラスに
窓の唐草模様が映っている
まるでイタリアの寺院のようだと
すこし、思う
苦しい人は
あの窓の光に
神を思うのだろうか、と少し思う
それでも、苦しい、と
目をそらす。

もらった薬で吐き気は止まった
それから始まったかぶさるような頭痛も
薬のおかげで止まった
まるで生まれ変わったようである
revitalizeという言葉が浮かぶ
たまにはこうした苦しい思いをすることで
ほんとうの人間とはなにかが
少しわかるのだ・・・なんて思うが
それにしても苦しかった
ああよかった
と思うのであった・・・


2006年01月25日(水) 仕事のうち

きょうは
なにもない
一日でした
つまり
いやなこともあったが
また心はもとに戻りという、
プラスマイナスゼロの暮らし
どうせなんにもできないのだから
せめてなにかしようという
考えばかりが出てきます。

今日突如依頼があった翻訳は雑誌の記事でトリアージに関するもの。面白そうである。これのみが仕事だったら、自分でこつこつやるのだが、そしてそれはとても楽しい作業なのだが、その他の仕事が山積しているから他の人にやらせるしかない。そしてそれをチェックする。添削も、いやじゃないけど、めちゃくちゃに直すわけにいかないから、書いた人の文を少しでも生かそうとするから時間がかかる。なんて仕事やっているのだろう。これも給料のうちか。


2006年01月24日(火) 何をするか

定年までに何をするかということについて書いた本を読んでいる。この方は七十歳で57歳のときに会社をやめ、それまで十年準備してきたとおり、大学教授になったのだそうだ。

その人の知人でも例えば夫婦そろって地中海をクルーズして回る(意外と物価が安いのでお金はかからないらしい)人の話とか、いろいろ書いてある。

しかしなんとなくこれまで読まなかったというのは、おそらくこれは男性、家族もちで会社で活躍してきて、その傍らコツコツと定年後の準備をしていた人のようで自分にはできないな、と感じていたからである。

会社で苦労し活躍しながら、なんとか時間を見つけてほんとうにやりたいことの準備をする。しかしこれは家庭に奥さんがいる人の話だろう。大体市場に出回っているこの種の本はそうである。それから家庭の主婦の介護の話。

ともあれ、自分は自分と割り切っていればよいのだろうが。いろいろ束縛があるのは誰しも同じだ。この元ビジネスマンだって仕事は大変だったのだろう。それと比べれば仕事の点では自分は恵まれているのかもしれない、とも思う。


2006年01月22日(日) 添削のはなし

あたしはへんな文章を見ると
いらいらする
それはべつに私が名文を書けるという意味ではない
いやむしろ反対だ
ただ、平均的ニホンジンとして
てにをはが奇妙な文
つながらない文
言いたいことがさっぱりわからない文に遭うと
直さねばならんと言う前に
ぐじゃぐじゃと
自分の文で書きたくなる
なしてこんな文、書くのや・・・
わるいけど
そう、思う
その時には
その文らしきものを書いた人と私は
別次元なのである
直す添削するの上下ではない
私のなかに
忌避の感情、つまり
文に対するこの人の鈍感さ、冷淡さにたいする
徹底的な 拒否反応が出る。
もう、やっていけないや、と思うのである

それが限度。
いくら、給料もらっても。

それはぎこちない役者を見ている気分にも似ている
やってらんないや、人の教育、と思う
いいでしょう、と人に言う
もう、やってらんないや。


2006年01月21日(土) 雪が降った・Smoke Jumper

いまは雪が降っているのでほんとうに静かだ。今年になってから、職場の大きな行事、お客さんが幾人か来てその対応、家の動きとあって、やっと今日になっておちついたというふうだ。7,8,9と連休もあったが、その時も仕事を持ってきてやっていたしね。

こちらは雪はめったにないので、降り始めぐらいはふうっと非日常的な気分に陥る。うれしいほどではないけれど。子どもの頃は、もちろん、雪が振ると大喜びだった。

しかし小学低学年のころ、正月ごとに行った盛岡や青森の雪はそれはそれは格別だった、というか、驚いた。青森に行って帰る日、結構な吹雪だった。ちいさい妹と私はオーバーを来て、頭には毛糸のスカーフ(というのだろうか)をかぶってバス停までひろい野原の一本道を歩いた。まだ新興住宅地だったので野原のような場所があったのである。

真っ向から風がびゅんびゅん吹き付けて息もできないくらいだった。雪とはこんなものか、と初めてわかったのである。子どもながらも、あの北の土地へ足を踏み入れたとたん、雪じたいに喜ぶどころではなくなったのである。

今でも覚えているのは、八百屋さんに入ったら、店先をしゃんしゃんと音をさせて馬(!)が通っていったことである。本物の馬なんてしかもふつうの大通りを、大きな首を垂れて馬が行く! これには仰天した。昭和40年も近かった頃だと思うのだけど、その時代に街に馬が通っていた・・・。

いまは外は静か。雪が降っていない、静けさである。さて用事をしようかな。

*******

もう三ヶ月も前にふと、丸善の店頭でSmoke Jumperというペーパーバックを買った。たまには洋書を読まなくちゃと思ったのである。それを窓の下に積んどくしておいたら、すこしページが茶色くなっている。こりゃまずいな、と思った。

Smoke Jumperというのは先日アメリカの人に聞いたら、雇われ人で、森林火災がある土地に渡り歩いて飛行機から飛び降りて森林の燃えぐさ、つまり木や草を刈り取る人のことらしい。すごいね。肩に伐採の道具をしょってパラシュートで降り立つらしい。ふだん土木工事に携わる人もいるらしい。

私はもうちょっとかっこいい職業かと思っていた。消火したり、救助隊みたいなものかと思っていた。しかしその人の話だと季節労働者みたいな感じで土地から土地へと渡り歩く者らしい。

ともかく、この本を読んで見なければわからない、と思った。


2006年01月19日(木) 「まじょの木」坂

今日は用事があって休みを取った。日中町を歩くと住宅街など閑散としていて、陽射しは明るく、家庭にいる奥さんというのはこんな中を毎日暮らしているんだよなーいいなーと思ってしまった。しかしもし自分がそんな境遇に置かれたら、またそれはそれでいろんな悩みが出てくるのだろう、近所とのつきあいとか。

坂を登ったら、枯れ木が三本、からりとした白い空を背景にくにゃくにゃと曲がった幹がシルエットになって映った。「まじょの木」長年わたしが呼んでいた、その木である。あの、指の伸ばし具合。ひねくれていて、年老いた魔女の指先そっくりだ。

実はこれは枯れ木ではなく、冬に葉を落とした木々なのである。はだかで黒く、空に生えている様子はまじょの木と言うにふさわしいのである。

春も夏も秋も、それなりに葉を繁らせうつくしい。この木は。春は、実はさくらなのである。いっせいにピンクの花をつける。夏はあおあおとした葉。秋は黄色くなった葉っぱ。で、冬はこうして、骨だけの、まじょの木になる。

その様子は息をのむぐらいうつくしい。映画の一場面のようである。たいした場所ではないのだ。住宅街の、狭く急な坂をのぼったところが、たまたま背景に何もなく、背の低い木が生えている。それだけなのである。それがシルエットに見えるのである。でも「あ」と感動してしまう。あそこの坂を登る人で同じように思っている人はいるのだろうか。


2006年01月17日(火) 「なまりのある英語」

ジャパンタイムズ社の「なまりのある英語」という、世界各国の人にインタビューしたものをまとめた、CDつきの本がある。たまたまこのCDを聞いたらすごく楽しい。

現在カリフォルニアに住んでいる世界の人たちのアクセントある英語が聞ける。まあ、アクセントも面白いが、インタビュー形式で、どこに育ったかとか、どんな職業をしているとか、その質問がそれぞれ異なっていて、ひとりひとりの生まれ育った環境が生き生きと語られる。

数年前までNHKのテレビ英会話の上級では三十分全部を使っていろいろな人にインタビューをしていた。ダンサーとかモデルとかもあって、すごく生き生きとした話が聞けてとても楽しかった。それに似ている。

こういった生の人間の話を聞くのは、洋画を見ている楽しさと似ている。ヒトが自然にはなすときは、とても生き生きしている。たとえばボストン近郊でおいしい料理は何かとか。

「ビジネス英語」も楽しいけれど、人が語る生の話はほんとうにすばらしい。


2006年01月15日(日) 街の陽と陰 Yang and Ying of My Town Life

こんどうちの市でこの市を背景に撮った数々の映画を紹介する映画祭というのをやるそうだ。石原裕次郎やら吉永小百合やら出るものである。はー、見たい見たいと思った。

しかし、なぜ見たいかというと、それは1950年代ないし60年代のスターが懐かしいのではなく、この町のその頃の風景を見るのが楽しみなのである。50年代60年代にはやった映画というのは、わたしよりか一世代上の、お兄さんお姉さん(いまは初期のおじいさんか)の方たちのものである。

わたしはそのころは生まれてないか、赤んぼか、幼稚園ないし小学生であったし、それに町の塀や商店や映画館の看板や風呂やの脱衣所に貼ってあった映画のポスターにはまったく関心もなかった。子どもが見る映画ではなかったしね。とくに高倉健とかね。

だから今回の映画祭も「行きたい!」と思ったのは、この町の風景が映るからである。団塊の世代の最初が今年定年になるそうである。あたしは団塊の世代のどんじりもしくはそれに入らないのではないかと期待して思っている。

それにしてもうちの市は全国でも高齢者の割合が高いらしくって、三割とか聞いたことがある。65歳以上のことだと思うけど。たしかに街を歩けばお年よりにあたるとしか言いようのないほど、街はお年よりばかりだ。その風景に慣れすぎたのでなんとも思わないくらいだ。

くたくた歩いているお年よりのことである。

市の広報誌の表紙は「とれんでぃー」な若夫婦が表紙で、この町でちょっとエコの暮らしを楽しんでいるそうな。こんな若い人たちが好んでこの街に住もうとしている。それと対比して、どっさり、戦後や高度成長期にこの地に住み着いた今はお年寄りがいる。そのお年寄りを連れて、一億円もする高級住宅地に建物と家を買ったわたしぐらいの年齢の人もいる。

本屋を歩けばこの町ですてきな生活を楽しむための雑誌が積まれている。あおい空、広がる海。サーフィン、レストラン・・・エトセトラ。地元のあたしはあまりこの種の暮らしとは関係がない。

この町で新たに開業した医者は、趣味にサーフィンとかヨットをやる人が(そうだ、思い出すとたしかに)けっこういて、整体の先生もそうだったし、今行っている歯医者の先生や耳鼻科の先生の待合室にも、サーフィンの専門誌が置いてあった。

いーよなー、と思う。スポーツができて、奥さんもそんな趣味で、エコライフに関心があり、芸術などアートにも携わり、会社づとめの傍ら、休みにはヨットライフだ。そうだ、思い出したあそこの美容院も旦那がそんな趣味で、入口にはサーフィンボードと小型ボートがたてかけてある。

わたしの職場にもこの地に引っ越してきた人がいて、いつだったか、帰りスーパーのさしみコーナーで「今夜のおかず、さしみにしようかな」と見繕っていたら、うしろに足が見えて、「なか杉さん・・・」と男の声がした。ぎくりとして振り返ったら、この地に家族ともども引っ越してきた職場の人だった。

「また音楽会やりますからね、来てください」と彼が入っているグループの演奏会のちらしを渡された。かれは家を買ってヨットも持っているのである。この人はしかし、仕事のほうはどうだったかな・・・。

ちくしょーとは思わないが、このトレンディー系の向こうをはって、つまりこの青空の広がる、青い海とスポーツが楽しめる生活の向こうをはって、この町でひたひたと生きる、戦後の復興に寄与した、魚屋や菓子屋や米やのじいちゃんばあちゃんの話を、裕次郎やらの「太陽族」などとからめて、ドラマ化したら面白いだろうなとふと思った。









2006年01月09日(月) 夢のなか

小都市の銀行ビルの前に、いまだ夜になると木に青いランプが輝く。クリスマスも正月も過ぎたというのにね。今年はこの、幻想的なブルー、紫がかった紺色のようなブルーがはやっているのか、電車に乗っていても街のあちこちに、このブルーのライトを点した木が目に映る。

銀行ビルの前のツリーのランプはほんとうに幻想的で、今日暮れ方バスでそこを通ったら、ちょうど目の下をタクシーが通るところだった。磨き上げたタクシーのボンネットに、上からツリーの紫のランプが無数に映っている。このうつくしさったらない。

たとえていえば、ハリウッドかなあ。着飾ったアカデミー賞受賞した女優が膚もあらわに、ゴージャスな笑みを浮かべてとおる。あるいは稲垣足穂の世界か。

そういえば昨日、空が急にかきくもり、とおい空が白く輝くほか、一面グレーな雲が立ち込めた。ちょうどタクシーに乗っていたのだが、信号の角に八百屋のビルがあり、そのビルの前面が銀色に輝いていた。まるでなにかの啓示を示しているかのようだった。ただの街角の。八百民の五階建てのビルが燦然と輝きだした。そうだ、昔見た「Neverending Story」の中のようだと思った。

こうしたunworldlyな景色は、そこに人間が妙な意味を付け加えなければ意味のあることなのである。たとえばなにかの吉兆とか啓示とか、ロマンチックだわーとか、それは道路っぱたの何か不思議な光景である。夢のなかのようでもある。しかし意味を追求してはおわりなのである。


2006年01月08日(日) スライド

講演のパワーポイントスライドのみ貰ってあるので、それを見ながらノートに訳を書いていったが、当日通訳するとき頭が真っ白になってわからなくなると困るので、もうパワーポイントに日本語を入れた。これでだいぶ安心。英米圏の国ではないので、英語がところどころわかりにくいところはインターネットや本で調べたりした。だから時間がかかって寝たのは三時。

こういう作業はとても楽しい。だけど実際の通訳は不得意なのである。聴衆はうちの組織の幹部プラス中堅職員数十名。英語はそんなでもなくともその道のプロであるから、和訳を間違えたりするとあはは、とばかにされる可能性十分にあり。あーあ・・・と思う。


2006年01月07日(土) おんなじ波長

職場で以前に元気で陽気だった人が突然病に倒れる。その病は心の病気のこともある。あるいは他の理由で安定剤を服用しなければならないこともある。

前に活発で向日的で明るかった輩が突然にそうなった例がいくつかあって、そうするとふしぎと私と波長が合うようになるのである。理由はわからない。もしかしてわたしに優越感ができてやさしくつきあえるようになったのだろうか・・・などと考えるがそうともあたらない。

ひとがちょっとうつ加減で、人生のグレー部分にこだわったり体験したりするようになると、ふしぎとわたしと合うようになるのである。以前は大っきらいだった人が突然に波長が合うようになり、話をしても抵抗がなくなる。

on the same wavelengthというのだろうか。人にちょっとかげりがでてくると、たとえばゆっくりずむになる。弱い部分をじっくり考えるようになる。静かになる。それから些細なことにおそろしくこだわりはじめる・・・・こんな性質が出てくるとあたしと性が合いだすのである・・・・。ということを最近体験した。

* * *

はてさて、二三日後にあたしは職場である人の講演の通訳をやんなきゃなんない。しかし通訳はここずっとやっていない。準備を正月休みにしようと思ったがあれやこれやでできなかった。頼みは今夜と明日と明後日。あーあ。どうなるのかなあ。情けない。


2006年01月03日(火) 三日にしたこと。今日で休みはおしまい。

今朝は考えてみれば珍しくぐっすりと寝て目が醒めた。もっとも六時ごろ醒めてまた寝入ってそれからぐっすり。それはいいが、夢を見た。それが大キライな職場の人の夢でその人が言いそうなせりふを如実に再現していた。再現といっても状況は全く違うのに、その人が言うせりふを微にわたり細にわたり再現できるというのはすごいと我ながら思った。
嫌な人は昔ほどわたしを脅かすことはないがやはり神経に触れるのである・・・。誰にもそんな人はいると思うけど。
わたしはこれでもほんとうは芸術家肌なのである。だれも信用しないだろうけど。かなり勝気で我が強く、わがまま。制度とか秩序をぶちこわすようなものを持っている、と思う。だれも信じないだろうけど。ははは・・・みんなそう自分を思うのかな。

*  *  *  *  *

なにやかにやともう三時過ぎだ。ぶらぶらと過ごして。これからたまりにたまったNHKビジネス英語のテープを聞くのである。ついに休み中なにも聞いていなかった・・・。他にすることはちらちら思い浮かぶがまあ、いい。

さきほどテレビで韓国ドラマ「遠い道」をやっていた。昨年だったか見たもの。このドラマは大好きである。海辺の町で進行するのがとてもきれい。では。


2006年01月02日(月) 正月二日目にやったこと。

みなさん、あけましておめでとうございます。といっても何人の方がこの日記らしきものに目を通してくださっているのか、覚束ない。
昨日、用事の帰りに私鉄の駅のすぐそばの神社に詣でた。初詣でなどまずしなかったのである。ちいさな神社であるがさすがに幾人か石段を昇っていた。石段というのはいいものだと思った。一段一段よいしょとのぼるたびに、苦労してお参りをするのだという気持ちになってくる。上について振り返ると、いつもの見慣れた景色がずいぶん様相を違えている。山も家々も、私鉄の線路も、はるか先まで見晴るかすことができる。

お祈りをして帰りがてら、そこにいたおじさんたちが「どうぞ」とガラスのおちょこにお酒を入れたのをくれたので飲み干した。そうしたらからだがかーっと急に熱くなった。またみかんを一個くれた。

で、今日はまた、持ってきた仕事を見ている。難しくていいかげん飽きたので、その章のわからない単語をエクセルに入れてアルファベット順に並べ替えたら少しすっきりしたような気がした。tight knotは生節(いきぶし)というものだそうな。木の節には生節と死節があって、木が生長するときに枝をそのまま包み込んでできるのが生節。枝が死んでしまったのを包み込んでできたのが死節だそうだ。

よく、板で黒い節が腐ったようになって、指で触れるとぽろぽろ落ちてくる、あれが死節らしい。節でもいかにも美しく飾り物にもなるのが生節らしい。なーるほどぉ、と感心した。あとは建築構造の話でちんぷんかんぷん。業者に訳させたのを確認しているのである。


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