なか杉こうの日記
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2005年10月30日(日) MOS

Microsoft の Excel Specialistの試験に受かった。先週の日曜のことである。とても嬉しい。MOSは世界中で行われている試験だということだ。まあ、テキストを一冊やって覚えてさえいれば誰でも受かるものである。

仕事でとくにExcelを使っている訳ではないのになんとなく面白いから勉強していた。こんどはWordにしようかなと思うがまたまたPC教室に追加の料金を払わねばならないかと思うとちょっと足踏みしている。

しかしそんなにExcelは使わないとは言っても、ちょこちょこと表を作って簡単に計算できたりする方法を知っていると知らないとでは大違い。いちいち若い人に尋ねることもいらないし、人にめんどうをかけずに済む。

今日はパワーポイントをすこしやった。うちの組織の業務内容をまとめてパワーポイントに作って外国人に見せることができたらいいなーと思っている。


2005年10月29日(土) 「ビジネス英語」ほか

今日は頭がすっきりしている。だからいろんなことをマトモに考えることができるようだ。
まず思い出したのがまたまた本を読まねばならないことである。以前翻訳の学校に行っていたとき、先生からもっと本を読みなさいと言われた。つまり文学作品の読解力がないのである。読み取れないのである。新聞や雑誌でなく、小説を読みなさいということである。
しかし問題はこの小説と言うのが英語の小説ということである。問題は、一週間に一冊なんて日本語でもよほど面白いのでないと読めないのに、ましてペーパーバックなんて・・・と思った。しかしまるっきり読まないよりはましなので、ともかく読み出した日本語の本を最後まで読みきろう、としている。
しかし、電車の中ではすぐに眠くなるし、ビジネス英語のテープも聞かねばならない。このNHKラジオの杉田敏先生のビジネス英語は最高に面白い!生の人間のやりとり、常にアメリカのmost up-to-dateのトピックを追いかけている。ジャーナリズムの、ピンピン跳ねるような表現が出てくる・・・といった具合で、幾度も幾度も聞いている。しかし、電車の揺れに任せ眠くなる・・・。
「ビジネス」という言葉自体がわたしには抵抗を起こさせるが、この番組のストーリーは冷たいビジネスの商売やら会計やら株の話ではない。いや、もちろんそんな仕事をしている人も出てくるが、ともかく、生き生きとしたアメリカの社会を描く。最初に聞き始めたのが1980年代だから、ずうっときいている。その間、聞かなかった年もあるけど、ともかく杉田敏先生がいなくなってこの番組がなくなったらどうしよう!と思うくらい、いいのである。
たぶん会社員のあいだにも超人気番組だと思う。


2005年10月28日(金) 詩が貼ってある

わたしの机の横に詩が貼ってある。それは山乃口獏さんの「生活の柄」の詩である。
「歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐりこんで寝たのである・・・」疲れたときも眠いときもどんなときでもこれに目をやると、ホッとする。
すかっと眼の上に星の夜空が広がる。虫の声も少し聞こえる。じぶんは放浪者なのかと思う。
こっくり草の上で眠りかけたかと思うと、草の露がほおに垂れてくる。ひんやり風が吹く。だもので草の上では眠れない・・・。
じぶんは放浪者のようには、社会や人々を捨てられないのになぜこんな詩がすきなのかよくわからない。こころにすうーっと気持ちの良い風が吹き抜ける気がする。


2005年10月27日(木) ブログについて

17人。わたしがやっているとあるブログの「読者数」である。
ほんとにわたしの書いたものを身近に感じて読者になってくださった方もいるが、それはほんの少数のようである。自分の広告のようなブログを宣伝したいためだったり、「不気味な」ブログだったりすると、いったい読者になってくれるのをOKしていいものかどうか困ってしまう。他の人はどうやっているのだろうか。

このごろ思うのだが、ただぽけっとブログを立ち上げているだけでも、まるで蝿取り紙(この言葉はもうないのかな)のように、自然と読者がぷつぷつと張り付くのではないだろうかなんて考える。もちろんこの場合の読者、というのはほんとにわたしの書いたものが好きでなってくれるのでなく、いたずらだったり適当だったりするものである。

でも、みんなこんなものなのかな。


2005年10月25日(火) 「生きるなんて」の感想

丸山健二著「生きるなんて」朝日新聞社を読んだ。活字が大きく余白がたくさんあるのでちょっと損をした気がする。ごめんなさい。
こういうのを読むと手でびしびし頬をたたかれるようだ。いかに自分が目が醒めていないか、自立していないかと思うと。

この本は若い人々を対象に書かれているが年齢に関係なく伝わってくる。やはりすごいなと思う。自立と言う観点からすると周囲にいる人々よりまだ自分は自立していないと思う。

お金の管理、身の回りの管理、健康の管理・・・いかにおろそかにしているかがわかる。そして「したいんだけどできない」と言っているそのあたり、その、黒々としているあたりにともかく入ってみないと物事はどうにもならないのだな、とわかる。なげやり、いいかげん、その場その場・・・これがじぶんでないとはぜんぜんいえない。


2005年10月24日(月) 「生きるなんて」を買う

昼休みにそばを食べた後、神保町の東京堂書店に寄る。ここはこの辺の本屋とは少し違って静かである。とくに二階は店員さんのほかは人っ子一人いないこともある。(というか、二階はまだ一度しかいっていないが)二階は、文学全集とか、ものすごいハイブラウな文学書があるようだ。古い建物だった頃、高校生だった私は帰りここによく来て、二階で参考書を買ったりした。たしか床は木造だった。

今はもう立て直して近代的な建物になっているが、あの静けさはある。一階に入ると中央に話題の新刊書が並べてあって、ここを見るのが興味津々なのである。今ちょっとタイトルは思い浮かばないのだが、ともかく手に取ってみたいような本がいろいろ積んである。

きょうはその中から丸山健二氏の「生きるなんて」という本を買ってしまった。タイトルが面白いでしょ。ほんとうに彼が作ったタイトルなのかな。たとえば「生きること」なんてしたらありふれている。

中の目次を見ると、時間なんて、才能なんて、学校なんて・・・と続いている。読んでいくとかかれているのはほんのヒントに過ぎないけれども。しかし「千日の瑠璃」やタイトルはちょっと忘れたが、本当に作家になりたい人のための本とか、彼らしい考えが覗いている。

東京堂で新刊書の表紙と帯だけでもざっと想像しながら見て、それから店を出ると頭がすきっとしている。洗脳された様である。水をかけられたようである。「静謐」というものの洗礼を受けたかのようである。


2005年10月22日(土) 【詩】きみのところに行くには

きみのところに行くには
もう一歩
勇気が必要
いくど
きみの戸をたたこうと思ったか。
戸口まできて
さあノックしようと
こぶしをあげ
そこで
ためらう
おそらく部屋の中には
うつくしい音楽
ソファに
きみは、あいする人と
相座って語らう
あたたかい暖炉のほのお
こんな情景が
ふっと浮かび
わたしはこぶしを下ろし
ポーチをそのまま降りる
きみのところには
もう一歩
息をして
もうすこし
顔を上げ
大きな自分になれたら
そしたら


2005年10月21日(金) ドラマの家

テレビのホームドラマというのはどうしてああすごい家ばかり出てくるのだろう。それとも平均的な日本人は皆ああいう家に住むようになったのか。

考えれば「トレンディドラマ」と今でも言うのかな、若い子がいろいろ出てきて恋愛劇を繰り広げるというドラマも、出てくるのはぴかぴかのマンション。高層階の窓からは夜景が眺められる。

恋人あるいは恋人になりそうな人と会うのは、東京の臨海地区や横浜のやはり開発地区。

さきほどもちらりと「熟年離婚」というドラマの最初のみを見たら、やはりすごい立派な家だ。立派といってもよくハウスメーカーのCMに出てくるたぐいの立派な家だ。豪邸というわけではない。

今NHKで夜やっているドラマ(堺正章が退職後のお父さんを演じている)も、パティオがあるぴかぴかの家だ。堺さんの奥さん(有名な女優さんだが名前が出てこない。)も、昼間はダンス教室に通っている優雅な暮らし。

電車から眺めても、建てられる家は皆似たりよったりのハウスメーカーの家。・・・うちもそうだし。ただしうちはドラマに出てくるような立派なものではない。

いつの頃からだろう、こうした暮らしがドラマに登場しだしたのは。もし二十五年前ぐらいにこんな生活が出てきたら「すっげぇうち」と思ったかもしれない。それが、ともかく借金にせよ、お金さえあれば建つのである。月に十万ぐらい何十年もかけて退職過ぎても支払えば、あのくらいの家が建つのかもしれない。パティオつきの。

ただ感心している。「いつのまにか日本人ってこんなに優雅でリッチになったの」と言いたい。同時にこんな暮らしみんながしていて、いいのかね、とも言いたい。ほぼ隣近所と遮断されているつくり。化学物質が沢山使われている。密閉性が高い。強制的に換気をするしくみもあるそうだが。

こんなリッチな暮らししていていいのかね・・・と思う。これはアメリカの流れなのかも、と思う。あの映画「ET」に出てくる家もそんな感じだ。日本ってだけど資源も土地もないのに、こんなエネルギーをどっぷり使う暮らしをしていてはいけないのじゃないだろうか。

かと言っても今昔懐かしの家を作ろうとすると却って高くつくのだろう。

ともかくドラマを見るたびに「ひぇー、平均的な日本人ってみなこんな暮らししているの、だってそうじゃなきゃドラマにこんなにふつうに出てこないでしょ」と思う。

正直言って昔風の家の方が呼吸ができていいのだけれど。でも昔の家は、風が吹くし寒いし手入れもちょくちょくしなければならないし。


2005年10月20日(木) きょうしたこと。

明日は休みを取るが、やることがどっさりある。と、ここまで書いて日々のできごとを書き連ねてなにが面白いか、と思う。

今日、多少なりとも感動したことはなにか、と頭の中をスキャンするがあまりない。あえて言えば職場で専門分野の外国雑誌の記事を翻訳してうちの組織内に配布しようとしているが、なかなかきびしくなってその雑誌社の著作権についての許可がないとだめになった。

だものでその雑誌社の元編集者に連絡してもらったらすぐにOKが出て、おかげで翻訳がどうどうと組織内配布できるようになったこと、かな。

翻訳の一ページ目に、その雑誌社から指示のあったとおりのcopyrightの一文をトレードマークのように載せた。英文のままである。これがなんともかっこよくて我ながら見とれてしまった・・・。

とここまで書いてなんだかプロの話のようだが、実はまったくのしろうとがこれをやっているのである。

あとはマイクロソフトのMOSの試験を今度の日曜受けること。ぶあつい本をやれば、つまり覚えていればできるのである。しかし週に一度PC教室に言っているだけなのですぐに忘れてしまう。第一、エクセルは職場でわたしはそんなに使っているわけではない。

それといま読み始めたのは講談社文芸文庫の「大統領の英語」。最近の数人のアメリカ大統領のスピーチを沢山引用してその特徴を述べてある。また大統領の特徴も。なかなか面白くて読みやすい。

前にNHKで(今も夜中にやっているのかな)やっていた「ホワイトハウス」。わたしはこれが好きだった。あの、のんびりとしたいかにもアメリカらしいテーマ音楽。ホワイトハウスのスタッフのチームプレイ。あの独身の、七面鳥みたいに大柄の報道官でしたっけ、面白かった。

なんでも、初めてアメリカにやってきたピューリタン達には、娯楽というものが禁じられていて、ダンスはなんと死刑にも値するもの、トランプをすることも罪だったのだそうだ。そのなかで彼らの楽しみといえば、教会で牧師の説教を聞くことだったのだそうだ。

ほんとに、言葉のやりとりの面白さをアメリカのインタビュー番組などは味合わせてくれると思う。

そんなことぐらいかな、きょうの心に残ることと言えば。なんだかまじめですね、いかにも。


2005年10月14日(金) でも・・・

わたしの机の上に
ひとがなくなった時の
役所から来た
分厚い封書が置いてある
そんなに重要なものではないので
つい、後回しになっているが
こんな書類が次々に山ほど来た
なくなった当初の
葬儀やらさまざまなことは
いもうとが手配したが
しかし
あんなふうに
ひとは簡単に世を去った
ひとがなくなるそのことは
ほんとに無機質で
簡単なのだ
簡単ではないのは
それにまつわる
山ほどの感情と
書類の束
ひとがなくなった
そのことは
からり、と音がする
乾いた音
そのくらい
でも・・・
じぶんは冷たいのだろうか


2005年10月11日(火) 【詩】かぜぐすり



どうもひとまたぎで
世界のあちら側に行ってしまいそうで
あるいは
夜と
昼との
境目にいるようだ
そんなふうに
目が
飛び出ているのを感ずる
頭をカキッと傾けたら
なんでもできそうで
近くの本を手に取ってみる
活字が大きく
くっきりと迫ってきて
こんなの読む前に知ってるさ
と思う
たしか
朝みつぶ
昼みつぶ
能書きどおりに飲んだのだが
間違えたのだろうか
風邪ぐすり


2005年10月09日(日) 顔から火が出る思いのはなし。

どうでもよい話であるが、わたしが小学校の頃、川端康成氏はまだご存命でわたしの通っていた小学校のある町に住んでいた。あるとき川端氏が小学校に子供用の本の全集を寄贈された。たぶん編纂か何かされたのだと思う。

担任の先生がこれこれこういう作家の方から本を頂きましたから、感想を書くように、とクラスの何人かを選んで言った。で、その中にわたしも入っていた。しかもその感想文というのがたしかできるだけ早く書いてきなさいというものだった。それでわたしは図書館から本の一冊を借り、読み始めた。

たしか日本のおかしい昔話(たとえばきっちょむさんとか・・・)だったと思う。わたしは翌日までに読もうと必死になって頑張った。しかしさっぱり内容が頭に入ってこなかった。しかし感想を書かなければならないので、ともかくわからないまま、めちゃくちゃに書いた・・・。

担任の先生はその感想文をまとめて、きっとお礼にと川端康成氏に渡したか送ったかしたのだろう。ときどき思い出すと顔から火が出る思いだ。しかし考えるに、川端氏も児童文学全集かなにかに自分の名前だけ貸したのかもしれない。それでどっさり全集が届いてどうしてよいかわからなかったから、地元の小学校に寄贈されたのだろう。先生方はそれじゃ悪いから子どもに何か書かせようっていうんで書かせたのだろう。

だからたいした意味はないのだ。きっと川端氏の奥さんか誰かが受け取って、「あなた○○小学校の生徒さんたちの感想だそうよ」なんて言って、川端氏の机のそばに封筒を置いておく。川端氏は「あ、そう」と言ってちらりと分厚い封筒を眺め、また著作に没頭する・・・。

そのうち埃をかぶった封筒は奥さんの手によってどこかに片付けられ、やがて処分された、ということになったのだろう、とほぼ確信する。

そう思うとよかったーと顔から火が消えるのである。


2005年10月08日(土) ちらかった部屋

おとといの新聞に俵万智さんがエッセイを書いていた。彼女は片付けが苦手だそうで、むかし恋愛中だった頃、部屋に来た恋人が万智ちゃんの机のあたりを見て、「これじゃ百年の恋も醒めるね」といったそうである。

わたしはこれを聞いてどれほど安堵したかわからない。万智ちゃんもそうか!いや、あたしもそうなのだ。狭い部屋にモノが積み重なっていて歩くスペースもないこともあるのである。しかしそれはいかにも女の部屋らしくたとえば下着やら化粧品やらバッグやらが散らかっているのなら、なんとなく女性風で小説や演劇にも出てきそうなシーンであるが、わたしの場合、ものを入れたダンボール箱や電子辞書や買ったまま読んでない本や古いラジカセなどがあちこちに雑然とある。

万智ちゃんは、短歌の選者もしているが、入選に選んだ歌の葉書をたばねてゴム輪でとめておいたのが、見つからなくなった。中にはこれを選んだらとてもうれしがるであろう高齢の女性の歌も混じっている。真っ青になってあちこち探したが見つからない。しばしして、机と壁のあいだ(だと思った)の隅から見つかったそうである。

万智ちゃん、しっかりしてよ!あなた短歌の選者なんだから、和室に古風な文箱でも置いてカタリ、と音をたてて選に入った葉書を納める・・・っていうふうにしなきゃあ、だめよ!といいたくなったが、とても言える筋合いではない。

俵万智さんは、短歌で賞を取り有名になる少し前「ラ・メール」という女性の詩の本にいくつか歌が載っていたのを覚えている。他の人の歌に混じって、それは全く違う、なんというのか「青春の心」にずん、と来る歌だった。

たとえばたしか「サラダ記念日」に収められていたと思ったが、夜遅く帰ってきてハイネックのセーターをぬぐ娘のすがたを母親がじいっと見ている・・・といった歌。

それにしても万智ちゃんも年をとったねえ、と写真を見ながら思った。きっと大学時代、佐々木先生のところに「歌を見てください」と言いに行ったころは、ういういしかったのだろうね。ヘアスタイルが同じだから年取ったなあ、とよけい思うのかもしれない。人のことは言えませんが。


2005年10月03日(月) みたび宮本常一氏の本。


今晩は信じられないくらい疲れていない。ありがたいことである。
今は相変わらず宮本常一著「忘れられた日本人」を読んでいる。この方の作品はわたしに生きる上での「忘れられた」常識のようなものを教えてくれる。つまり現代はともかく「個」が中心で、いわゆる村落共同体のようなものは、堅苦しい、人を束縛するものという感がわたしにはある。むらの中にいるといつも人から見られ、何をするにも人といっしょ、盆暮れから婚礼、葬儀に至るまですべて地元の人と一緒というのは、わたしにとっては全く馴染みの無いものである。

しかし宮本氏の描くむらの暮らしは、そうした共同体の暮らしそのものがうつくしい。どううつくしいかというと、それは決して美化するものではなく、「個」を極端とする社会と対照的に「共同体」が人間の習性とぴたりとくる社会がある、それは決して人を束縛するものではなく、人はその中で個を伸ばすことができる。

むらから遠く隔たった場所に行って働いても、「あそこに帰る場所がある」と思えることは人の心の支えである。

村人は旅の者が来ると何も言わずに宿を貸した。家族のものと同じ者を食べさせ、お金を取ることもなく一夜の宿を貸しそして送り出した・・・。

共同体の中で人はそれぞれの角がしぜんと取れてくる。テレビもラジオもなく、文字も読めなかった農民の楽しみのひとつは、歌を歌うことだった。宮本氏の祖父がそうだった。祖父は孫を毎日しょいこにしょって山に連れて行った。草を刈らせた。昔話をした。

寝るときにも祖父が毎日、いろんな昔話を宮本氏に聞かせたのだという。わたしは「百姓」というと、とくに封建時代のそれは「カムイ伝」などの印象が強いせいか、虐げられた人々、貧困の人々などというイメージが強かったのだが、とんでもない!ともかく宮本氏の本を読むと封建時代、明治時代の農民がいかに多様でよいものをもっており、革新的であったのかがよくわかる。

そして共同体における農民の暮らしは、今の自分の職場における生き方に通じるものである。「むらの暮らし」から、職場における自分の身の処し方がなんとなくわかる部分もあるのである。

ともかく、ぎすぎすした暮らしをしている人は、宮本氏のこの本を読むときっと体のふしぶしに油をさしたように感じるに違いない。


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