ひよ子の日記
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2004年12月31日(金) 個人的覚え書き

縦縞だって恋しちゃう
広がるキュートな横縞
ヨコシマなんて言わせない
ラブリートラネコ


2004年12月24日(金) 姑獲鳥の夏読了

姑獲鳥の夏読了。
うーむ、そうきたかという感じ。(なんのことやら)


2004年12月20日(月) なんだなんだ欲しいじゃねぇか。


☆もうすぐクリスマスだからってわけではないのですが欲しい2冊。POPUP大好きで、「ここをひっぱる」とか「ここをひらく」とかそういう仕掛け絵本を私に与えておけば静かになります。
Tim Burton's Nightmare Before Christmas: The Film--The Art--The Vision
The Night Before Christmas: A Pop-Up (Classic Collectible Pop-Up)
昔むかしうちにあった仕掛け絵本で、家の中でかくれんぼをしていたのかな、一人の子供がもう一人の子が隠れている場所を探すものがありました。タンスをあける、いない。箱をのぞく、いない。柱どけいをあける、いない。探しながらどんどんページを進めて最後にある場所にいたんですけど、その場面がなぜか恐かった記憶があります。タイトル思い出せないなあ‥。もう一度読みたい。


☆アンチクリスマス派さんにはこちら
呪いの都市伝説 カシマさんを追う
クリスマスの夜にカシマさんに呪われてみるのもいいかもしれません。(嫌だ)私は小学生の頃カシマさんの話を聞きました。いったい誰に聞いたかは記憶にありませんが、話を聞いた後「‥この話を聞いた人の所にカシマさんがやってきて‥」とか言われて結構恐かった。そういうパターンの話が流行りましたよね。それでもしカシマさんがきたら「かしまれいこ(だったかなー‥)のかは仮面のか、かしまれいこのしは死人のし‥」と唱えればいい、という。そんなアホな!と思いつつも一生懸命覚えましたね。

▽ブログ右上のリンクにあるサイト、現代奇談で取り上げられていたカシマさん伝説がまとめられたのが本書だそうです。このサイトはカシマさん以外にも都市伝説が多く載っていて、とても興味深いです。聞いたことがある話もあれば、自分が知っているものと少し形が違うけれど似ている話もあり、また初耳のものもありました。夜中に一人で読むのは意外と恐いです。

☆ハリウッドの親子や姉妹、母であり娘である女優やディレクター、プロデューサー、パフォーマーの素顔がコメントと共に収められている。Gillian Andersonが載っているので欲しい。
Hollywood Moms


2004年12月19日(日) 蒲生邸事件

なんで物足りないって感じるのかをちょっとだけ考えてみた。この小説は文庫本で678ページあるから、ボリュームはある方じゃないかなと思う。二・二六事件やその背景、昭和11年という時代を知らない人間でも、当時の空気を感じられるように描写されている分長くなるのはしょうがないかなぁって気がする。あ、そもそも長いなぁとは思わなかったか。

時代背景とメッセージとストーリーが同じくらいの割合を占めていて、それぞれがちょっとずつになってしまっているのではないかなっていうのは今、無理矢理に捻り出した感想。ですが、確かに不必要な会話は省かれてる感じ。描かれていない会話もなされているって想像はもちろんできるけど。

678ページでは足りなかった。きっと長くなり過ぎることを避けるために、無駄をきれいにそぎ落としていったんじゃないかなぁとか勝手に考えてみたり。事件のことや蒲生大将閣下や蒲生家の人々のこと、孝史の家族のこと、蒲生邸のあった場所に建設されたホテルのこと‥もう少しずつ読みたかったかなぁ。

でも‥もしかしたら蒲生大将閣下については、わざと描かなかったのかなとも思う。(二・二六事件が起こる直前とそれ以降がメインというのが描かれなかった理由だろうけど、それだけじゃなくて。)彼の子供や他人が彼を語ることで徐々に蒲生憲之像を作り上げていった方が、なんというか、直接的じゃない分おぼろげな印象だけれど、それが強く残るような気もする。それに、話は確かに二・二六事件と密接に関係していて、事件が終わりを迎えるまでの間の話だけど、ストーリーの中心は二・二六事件ではない‥と私は思うから、蒲生憲之については彼の思想や行動が描かれない方が良かったかも。蒲生憲之を描いてしまうと、どうしても話の焦点が二・二六事件に合わさってしまう。彼を取り巻く人間を描くことで彼の人物像が浮かび上がる感じがちょうど良い。絵を描く時、そのものを描かずにまわりを塗りつぶしても、塗らなかった部分がちゃんと形に見えるのににてる。

物足りなさはもっと読みたいという気持ちに起因しているのかな。ストーリーは発想が面白くてきれいにまとまっているなって思ったし、メッセージに関しては似たようなことを思ったことがあって、楽しくいろいろ考えられた。

p213
歴史が先か人間が先か。永遠の命題だな。
歴史は自分の行きたいところを目指す。

ドラえもんがはじめてのび太の部屋にきた時に話したことと同じようなことを言っているって思った。(ちょっとちがうけど)

歴史のエネルギーはものすごい力で、その膨大なエネルギーが渦巻く中に人間が存在している。人間一人の向きを変えることはできても、大きなエネルギーの流れは変わらない。それでも。それでも迎えた結末にとても意味があったんだなぁと思う。歴史にとって意味がなくても、その人間にとっては大事なことだったんだ。大事なことはそれぞれ違うけど、自分の大事なものを誇りに生きることの重要さが感じられた。



*ムフフ?(やっぱりパパを選ぶ。)

さっきは、ムフフ(*・・*)すきやきとお酒って単純に思っていた。思っていたんだけど、缶ビールを飲みすきやきをほおばっていたその時。ママの携帯電話が鳴った。ママの息子から、つまり私の弟からだった。パパ(ママの元旦那)から電話が入って、近所のおすし屋さんにいるから来ないか?という電話が入ったらしい。私は最近携帯電話を変えて、新しい番号をパパにまだ教えていなかった。弟から私の携帯電話に直接メールが届いていたけれど、携帯電話は自分の部屋で、私は隣の部屋でるんるんすき焼きを食べていたから気付かなかったのだ。

すきやきはママの彼と食べていた。

こんなとき、ママの彼に気を遣ってしまうんだなぁと、思った。別に悲しみとか怒りを感じているわけでもなくて、あぁ、「素直にパパから電話で」って言えないんだなぁ、わたし。って思った。お肉屋さんであるママの彼が持ってきてくれたお肉を一生懸命食べて、おいしいおいしいって言いながら、本当においしいお肉なんだけど、まるで言い訳しているようにおいしいと連発しながら、パパの元に出かけることをひたすら謝っている私がいた。ママと目配せして、パパの元にいくことをママの彼に隠すのかどうかの決断をママに委ねる。ママがパパのことを言わないのを見て、内緒なんだなと悟る。

ままの彼も優しくて好きだけれど、やっぱり私はパパを選ぶ。本当に申し訳ないって思ったけれど、いそいそ用意してパパのもとへ出かける自分がいた。今の奥さんと、子供がとっても大事だって、それが今の生活の中心だっって分かっていても、私はパパが好き。私も小さい頃大事にしてもらったって、そう思うから。

ちょっと酔っぱらって書いたブログ。


2004年12月18日(土) 個人的覚え書き

Q.E.D 百人一首の呪
ZOKU
人間は考えるFになる
工作少年の日々
φは壊れたね
STAR EGG 星の玉子さま
ルー=ガルー 忌避すべき狼
名探偵群像
Xの悲劇
月の扉
レベル7

半年の間で今思い出せる本はこれだけ。漫画を読んだり映画を見たりドラクエしたり、10月に弟の手術、私もダウンo( _ _ )o 病院と仲良しこよしでるんるんるんのあっはっはだった。(意味不明)
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▽小さい頃に読んだきりで、記憶が薄いので鼻とか読み直したい。
芥川龍之介
▽新作読みたい
村上春樹
▽箱男と砂の女の不条理さにイライラしつつ癖になる。読破したい。
安部公房
▽初体験は六番目の小夜子。早くまだ読んでいないものを読みたい。
恩田陸
▽今頃(?)読みはじめました
宮部みゆき
京極夏彦

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姑獲鳥の夏 現在読書中


2004年12月17日(金) またまた進化しすぎた脳ネタ/ロボトミー

またまた進化しすぎた脳ネタですが。本書の中に「戦争があると脳科学が進歩する」という行がある。それは何故かというと、いくつもの戦争を経て兵器の技術が進み、ものすごく鋭利でスピードの速い弾丸が発射出来るようになって、脳に弾が直撃しても死なないケースが増えたから。弾が直撃した一部分だけは破損するけれど、それ以外の場所を傷つけることはなく、脳の弾丸が致命傷にならないことがある。そういう人たちを病院で治療する過程で、病状・症状を研究することで脳科学が進歩したらしい。

それを読んでいて思い出したのがロボトミーだった。なんで結びついたのかというと、多分、戦場で致命傷にならない傷を負った人が「犠牲」になって進歩したと感じたからかな。ロボトミーの大きな犠牲があって、大きく進歩した時代が昔はあった。頭のことは開いてみないと分からないけれど、精神外科が否定された後は実験的に、というか大きな副作用や疑問が残る治療法の為に、頭を開くわけにはいかなくなったわけですよね。進歩に犠牲が伴うんだなぁと思ったから、ロボトミーのことを思い出したんだろうなという話。(少しの犠牲は仕方がないと思ったり、犠牲が進歩に貢献してきた事実を賞賛しているわけではありませんよー)

ロボトミーは今から約70年前に行われた前頭葉 を脳のその他の部分から切り離す手術 で、創始者の神経科 医エガス・モニス は1949年 にノーベル生理学・医学賞を受賞している。 今から150年前、鉄道工事中の爆発事故によって3cmの鉄の棒が、フィネアス・ゲイジというアメリカ人の頭蓋骨を突き抜けた。突き抜けた脳の場所は前頭葉。事故前はまじめで周囲に尊敬される人であったのに、事故後はだらしなく、軽薄で、キレやすくなって、まるで人が変わったようになった。この事故以来前頭葉は心や性格、意識を司る部分ではないかと言われ始めたらしい。

150年前からそうじゃないかと言われはじめ、70年前にはその部分を切り取る治療法を特に鬱病患者に対して行うことが流行した。何年までロボトミーが行われていたかが分からないけれど、それにしてもまだまだ最近の話だなぁ。現在はかつての医者がそんな非人道的で不確定な荒治療を施していたなんて信じられないって思う。でもその時には、仕組みが分からなくても、最良の治療法だと信じて行われていたはずで、もしかするとあと数十年したら、「数十年前にはこんな信じられない薬を飲んでいた」とか「今なら治療できるこの病気で、当時は多くの人が亡くなっていた」 などと驚いたりするんだろうなーと思った。色んなことがまだまだ分からないけど、分からないまま人間は生きてきて、分からないことを一生懸命分かろうとしながらも、分からないことをたくさん抱えてこれからも生きていく。

分からないまま生きられるんだなぁ。(動物は分かってないもんね)




*力尽きる 終章

(舞台上 ピンスポが中央を照らしている)
仕事から帰宅後、ちょこちょこスキンをいじくりまわしていましたが力尽きたため、今日はこれにて終了。

(緞帳降りる間 おねいが愚痴をこぼしているのが丸見え)
あー。はらへった。まだご飯も食べてないしぃ。今まで記事にした本や映画や漫画を左側にピックアップしようと思ったんだけど、面倒臭い感じ。地道にちまちま?!そんなのあたしに似合わないっつぅの。大体なんでさー‥ちょっと何すんのよ、アンタ!

(緞帳おりる寸前 おねい舞台下手に引きずられてゆく)
いたいわねっ。自分で歩くわよ!!この、チョビヒゲ!!そもそもあたしはこんな芝居に出たくなかったのにさ、アンタがどうしてもっつぅから出てやったんじゃない!じゃなかったら誰が好き好んでチョビヒゲが演出する芝居にでるかっつーの!
(おねいの声 フェードアウト)

(場内が静まり返る中 降りた緞帳にピンスポが当たっている)

(5秒ほどでピンスポが消え、場内が明るくなる)


2004年12月16日(木) あのね、サンタの国ではね…

もうすぐクリスマスなので保育園にもクリスマス関連の絵本が登場しました。最近初めて読んだ絵本なんですけど「あのね、サンタの国ではね…」というお話がとても気に入りました。サンタの国では一年をどのように過ごしていくかを、一月(ひとつき)ごとに描いたサンタクロース暦のようなものです。私がおもしろーいと思ったのは、よいこさがしを始める七月ですね。気球に乗った数人のサンタが双眼鏡片手に、赤いノートにチェックしていきます。そうか、七月から下準備か‥と妙に納得してしまいました。サンタクロースの生活についてのお話は国によって様々ですが、この絵本のサンタクロースの一年はとても素敵でした。他には女の人がサンタをしてもいいかどうかを話し合う本があった気がするんですが、それも面白かったです。でもタイトルが思い出せないなぁ‥立ち読みだったからなぁ。去年のクリスマスにツタヤで読んだのは覚えているのですが。うーん、記憶の糸が納豆のネバネバほどに細くてぐんぐん伸びてしまうので引き出せません。

映画では、「サンタクロース・リターンズ! 」のサンタの国が良かったです。ここでは、小さい妖精と一緒に子供たちのプレゼントを作っていました(これが一般的かな)。それからサンタのそりを引く8頭のトナカイには決まった名前が付けられています。
8頭の名前は:
Blitzen (ブリッツェン)、Comet (コメット)、Cupid (キューピッド)、Dancer (ダンサー)、Dasher (ダッシャ−)、Donder (ドンダ−)、Prancer (プランサー)、 Vixen (ヴィクセン)

他にもクリスマスの映画は数えきれないくらいありますよね。ソーラ・バーチが出ているクリスマス映画ってなんだっけ‥「クリスマスに万歳!」でした。でもこの邦題ってどうなんでしょう。原題は「All I Want For Christmas 」で、両親の離婚に反対し二人が元に戻って家族で幸せなクリスマスを過ごすことだけを望む二人の子供の話です。うちの両親は私が18歳の時に離婚しましたけど、もともとイベントの日に家族がそろうことは少なかったですね。プレゼントはきちんと用意してくれて、きちんと考えてくれていたので悲しさを感じたことはありませんでしたが。それにアメリカでのクリスマスの重みと日本でのそれは大分違うように思います。クリスマスに家族で過ごすことが当たり前となっている世界では、クリスマスに家族で過ごせない現実が子供だけでなく大人の心にも重くのしかかるのでしょうね‥。おぉ、ムービープラスで今日と22日と24日に放映されるようです。(本日の放送はもう終わってしまったみたいですが)

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あのね、サンタの国ではね…/嘉納 純子 著
よるくまクリスマスのまえのよる /酒井 駒子 著
All I Want for Christmas (クリスマス万歳!)
サンタクロース・リターンズ! クリスマス危機一髪




*読了&読始 覚え書き

蒲生邸事件読了。ストーリーは面白かった。昭和11年という時代がどのような時代であるか、ほとんど何も知らないに等しい私にも感じられた。不満に思うところも、前半の孝史が好きになれなかった以外は特にない。‥‥にもかかわらず、あっさりし過ぎているような、物足りない感じを受けたのは何故かなぁ。読むのに時間がかかってしまったから、読了後あまり反芻することなく次を読みはじめてしまったせいで、印象が心に焼き付いていないとか?

月の裏側/恩田陸 著を読みはじめた。

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別に書いていた読書記録をねこたびふたたびに移動しようかとかとか、ぼんやりとそしてはんなりと思ってみたりはするものの、実際どうなの?とか言われたら、いや別にどうもこうもないよとか言う感じで、のらりくらりと言い訳しつつも移す決意はしているわけで、言われなくても気が向いたら移すわいっちゅうことで、いつ気がむくかが問題だ。なんだ結局気が向いたら移すって訳じゃねぇか。はい、その通りでございます。


2004年12月15日(水) 間違えられたオカピーと読書経過覚え書き

昨日の記事にアップしたマナティーの絵を保育園のある子供がじっと眺めて言った。「これなに?オットセイ?」違うよマナティーっていう動物だよ。「えっ?」マナティー。「えっ?マナピー?」ま・な・て・ぃー「ふーん」といってその子供はまたしばらくマナティーの絵を眺めていた。そして五分も経たないうちに笑いながら言った。「なんだっけ‥?オカピー?オカピーだっけ?」私は、オカピー‥?と呟いて訝しげな顔をした。(オカピーって芸人さんがいたっけか?それはともかく大体一文字もあってないじゃん。マナティーのような名詞、日本語にとって意味のない文字の羅列は覚えにくいものかな。)と思いを巡らせている間にもその子供は「ねーー!せんせい。オカピー?オカピーだっけ?」と大声でオカピーを連呼している。いつのまにか周りの子供も「オカピー」「オカピーだ!」などと騒いでいる。オカピーの連呼を聞くうちに(もう‥オカピーでいいかな‥)という気分になった。

蒲生邸事件はただいま4分の3程。主人公の孝史がどうも好きになれなくて、最初はなかなか小説の世界に入ることができずちびちびちびちびしか進まなかった。半分くらいのところでようやく話そのものが面白くなってきたから、そんなことも気にならなくなってきたかな。でもめずらしい。少なくとも一番最初に読む時には小説の特定の登場人物を好きとか嫌いと、あまり意識して読んだことがなかったのにな。

怪談専門誌 「幽」vol.2には恩田陸のインタビュー記事が掲載されている。それもあってついつい購入してしまった。読んでみたら岡本綺堂特集がとても面白かった。それから京極夏彦の「つけたのは誰」も気に入った。加門七海の連載「怪談徒然日記」も過度に装飾されていない淡々とした文体は読んでいて背筋が寒くなった。漫画が3本入っているのだが、私は高橋葉介の「赤い蝶」に漂う一昔前の空気が好きだった。他にもまだ読んでいない怪談連載があるので楽しみ。

一昨日のブログで書いた「進化しすぎた脳」の中では、他に「念力の科学」「目ができたから、世界ができた」や「第三章 人間はあいまいな記憶しかもてない」の全てが記憶に残っているかな。というか本書全てが記憶に残っていて、また全てが興味深く面白く感じた。やっぱりなにより分かりやすいのが素晴らしいっす。アルツハイマーの原因とその治療法のくだりではすこーーーしだけ脳と薬との関係が取り上げられていて、そこはもう少し詳しく知りたいなぁと思ったから、前から池袋リブロで狙っている「脳と薬物」の購入が少し近くなったかもしれない。(値段が高いからかれこれ数年は見送っている。生涯読むことがないかもしれないと思いはじめていた。)しかしあくまで、かもしれないの範囲。

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オカピーはこんな動物
蒲生邸事件/宮部みゆき 著
怪談専門誌 「幽」vol.2
怪談徒然草/加門七海 著
高橋葉介
脳と薬物 /スナイダー, ソロモン・H 著

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オカピーもまた絶滅寸前の動物だった!なにが芸人だ。私が書いた蒲生邸事件の途中経過印象とほとんど同じことが、アマゾンのプレビューに書かれていた。びっくり。


2004年12月14日(火) マナティーはやさしいともだち

マナティーはやさしいともだちという写真絵本を保育園で子供と読んだ。絵本の中に人間が乗り入れたボートのスクリュウで背中に大きな川の字の傷を負ったマナティーの写真があった。子供たちにその部分を読んであげると、中には「ボートに乗ってる人のことわたしが怒るよ。ボートに乗ってる人のことすごく怒るよ!」と興奮する子もいた。写真を見ていたら腹が立って悲しい気持ちになった。私は怒ろうと思えば、本当に怒れる立場にいる。怒りや悲しみを何らかの行動に移せる立場にいるんだなぁと思い、少しだけ胸がチクリとした。マナティーがあまりにも愛らしかったから、本を読んだ後子供たちと絵を描いた。マナティーは食いしん坊で一日に8時間もご飯を食べているんだって、と言いながらお絵描きをしていたらのんびりした気分になった。

でもマナティーの数はどんどん減少している。こんなにのんびりとして可愛らしいマナティーがいつかいなくなってしまう日が来たら、それはすごく悲しい。


2004年12月13日(月) 進化しすぎた脳

まだ宮部みゆきの「蒲生邸事件」と夢野久作の「ドグラマグラ」を読んでいる途中なのに、昨日池袋で見つけた池谷裕二「進化しすぎた脳」を購入してしまいました。同著者と糸井重里の対談本「海馬/脳は疲れない ほぼブックス 」が出版されたときは購入までに至らなかったんですけど、この「進化しすぎた脳」は少し立ち読みをして迷わずレジに持って行ってしまいました。今の脳科学では脳の仕組みの細部までは解明が出来ていますが、そのひとつひとつ働いている個々が合わさって、どのようなメカニズムで記憶・経験をして、行動を選択しているのか等の全体のプロセスはこれから研究が進められる部分だそうです。今分かっていることと、今分かりつつあること、それに今分からないことがとても分かりやすく書かれていました。すっごく面白かった〜!アメリカにいる日本人の中高生8人と著者の対話型講義を本にしたのが本書らしいのですが、対話式であることも読みやすく分かりやすかったポイントだと思います。

私はよく分からなくても面白そうだなと思った分野の本は読みます。これまでこの「ねこたび」にも一人で勝手に不思議がってる独り言のようなものをたくさん書いてきました。その中に「言語学」に関するものもありました。今回「進化しすぎた脳」にも少々言語学に通ずるものがあるんだなぁと思いました。おぉ、以前読んだものが今一良く分かっていないにもかかわらず、別の分野での理解の助力になっている!と感動しました。うーんとそれは‥本書P.188「 2-23 自由意志と脳の指令」の辺りで話されています。

自分の意志でボタンを押そうと思ってから、脳に手を動かす命令を出すわけではなくて、動かそうと自分の意志で思った一秒前には既に手を動かす指令が出されているそうです。動かそうというクオリア(悲しいとか美しいとかいう感覚)が、脳に命令を出しているわけではないんですね。自分で決めていると思っていたのに、無意識で脳の神経が手を動かす指令を出して、その副産物としてクオリア(ここではボタンを押そうという感覚)が生まれているそうです。これにはびっくりしました。それからこれと同じように、恐怖を感じるから危険を回避するわけではないそうです。扁桃体という脳の場所が活動すると、危険を回避するようにプログラムされているんですね。その副産物としてクオリア(ここでは恐怖)が生まれます。私が思っていたのとは順序が違いました。涙や悲しみも同じで、悲しいから涙が出るわけではなくて涙が出た後にクオリア(ここでは悲しみ)が生まれます。すべての神経活動の副産物だと書かれていました。それでその流れでクオリアは確かに存在するけれど、悲しいとか喜びは言葉の幽霊なんだと著者は話していました。

ここ!やっと出てきた。ここが言語学の域だなぁと感じたところなんです。あるクオリアを悲しみと後で名付けただけなんですよね。だから心っていうのも言葉で表現することで生まれた観念なんじゃないかなぁと、ここは私が勝手に思ったところですが。言葉で表現したから悲しみや喜びや心が生まれたのではないかな?言葉で表現すること以上の世界を理解することはできないのかなぁ、とか考えはじめると話が逸れます。言語で表現する(例えば様々な種類の悲しみを「悲しみ」とひとくくりにまとめる)ことが、世界を制限しているのかなぁと思いました。だから脳と心は密接に結びついているのでしょうけど、言葉で表現されている「心」の定義とは少し違うのではないかなぁとか、もう書いていて自分でもよく分からないです。一般的な「心」の認識は脳との関係を理解するのには邪魔じゃないかとか、よく分からないくせに心を邪魔者扱いしはじめてます。

とにかく内容が盛りだくさんなので、本書数ページ分について感想を書いただけでもの凄い長さになってしまいます。読んでいると自分の興味を持てる分野が出てきて、その分野についてもっと知りたいなぁと思いました。


2004年12月12日(日) 半年ぶり

半年ぶりにブログを書いてみる。どきどき
もしかして無責任にほったらかしていたから消えてなくなっちゃったかなと思っていたけれど、こうしてきちんと残していて貰えてちょっと嬉しかったです。具合が悪くなったというのも一つの理由というか言い訳ですが、本当はホームページを作ってしまったことがいけなかったのかなと思います。筆無精、自分勝手、めんどくさがりなので、ホームページを作ったことで自分のペースを保てなくなったのでしょう。きっと一日一記事があのときの私にとって、程よいバランスだったに違いありませぬ。すごく一生懸命言い訳をしているように感じられるかもしれませんが、すごく一生懸命言い訳をしています。

ホームページに訪れて下さった方々に深謝(深く謝り、また深く感謝)いたします。無責任ですみませんでした。

ところで半年ぶりに投稿画面を見てみたら、何やら様々な機能が増えていてワクワクしますね。なんだかこう‥「いいじゃんいいじゃんぷっぷくぷー」って言いたくなるちびまる子ちゃんの気持ちが分かるような胸の高揚感があります。

久しぶりにブログなんか書いちゃってるもんだから、大袈裟な私。

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現在読書中の本。
・蒲生邸事件
・ドクラマグラ
・月と6ペンス
・ダヴィンチコード(原書版/ちょっとしか読めん)
・怪談専門誌 幽 vol.2

現在プレイ中のゲーム
・ドラクエ8

ブログを書いていない間に読んだ本は、すぐ思い出せるのもあるけれど全ては今すぐに思い出せません。うー、やっぱり記録していると便利かもしれない。


ひよ子

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