ひよ子の日記
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2004年02月18日(水) 愚痴につきまわる自己嫌悪

ちょっと自己嫌悪に陥った。

人間はみんな違うって分かっているのに
色々な人間がいるって、頭では分かるのに
ある人が、自分の事をその人の物差しで測って
ある人が、自分をその人の型に押し込もうとしたら
それがすごく嫌だった。

でも、それはその人の生き方で
考え方だから、非難する権利はない。
その人はとても優しい人だし、
とても悪意があるようには見えない。
また、私自身そうは思わないし。

誰かが誰かの見方で自分を見たからって
自分が変わってしまう訳でもない。

他人が他人のものさしで自分を測りたいなら
測らせればいい、測らせて勝手な事を言わせておけば良い

分かんない。

測るのはいいんだけど、押し付けないで欲しい。
色々な意見があるのは分かるし、
客観的に様々な可能性を述べることは、全く問題ないと私は思う。
もしそれがダメなら、何も言えなくなってしまうから。

ただ述べているだけ。
だから人によっては、全然理解出来なかったり
そんなのどうでもいいと感じると思う。
それが当たり前で、それでいいんだと思う。
違う意見を聞いた時、
相手がどうしてこう考えるに至ったのかを
考える事が大事だと思う。

ただただ戦争反対!と言う前に
戦争をしようとする人や国が、どうして戦争をしようとするのかを考えて
その根本の考えを変えて行くようにしないといけない事。

どうして残酷な犯罪を小さいうちにするのか。
どんな奴がやったのか、顔さらせ!というのは簡単。
学校や親のせいにするのも簡単で、
法律を時代に合わせて変える事も大事だけれど
「どうしてしてしまったのか」をみんなで考えて行かないと
そのうちまた同じ事が起こる事。

そういうどうしてを考える事は、とっても大事だと思うし
  頭から「そんなの違う」と決めつけてしまう事は
コミュニケーションとは言わない気がする。

‥そう割り切っていたと思っていたのに
嫌だと感じてしまった事が、嫌だったのかなぁ。。
嫌だって感じてしまったという事は
割り切れていなかったという事でもあるもんね。。


2004年02月17日(火) 東京長屋計画

いつか住みたい理想の住まいは?

キーワードは
平屋/長屋/横町/スケさんカクさん、
最後のは何て言うか、雰囲気‥ふんいきです。

昔から和風の家に住みたいと思っていて、
25歳の今もそれは変わりません。しかも平屋で長屋が良い。

長細い平屋(長屋?)が二つ平行に並んでいて、長屋と長屋の間にできた道を横町と呼びます。
(「おねい横町」と言った風に名前を付ける)

で、横町に面して引き戸が付いていて
家への出入りは、横町を通ってします。
んで、友達や家族を集めて、長屋でわいわい暮らす。
あまった部屋は友達以外の人に間貸しをして、
がやがや下町の雰囲気。

夕飯をおすそわけしたり、醤油の貸し借りをしたり
「おねい横町(仮)盆踊り大会」など
横町のイベントも開催したい。

18の頃から友達と計画している

東京長屋計画

が夢です。


2004年02月16日(月) クレヨンしんちゃん  嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード

嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード
クレヨンしんちゃん映画最新作野原一家が大活躍でした☆
今回は春日部防衛隊や幼稚園の面々
そして憧れのおねいさん「ななこさん」
大好きなアクション仮面とミミコくんなどなどは
あまり活躍しませんでした。


今回は野原一家の根性と絆の強さを
とことん見せつつ、信じる事の大切さという
泣かせるテーマもあり、さらには大爆笑シーンの連発!!の
盛りだくさんな映画でした。
笑い過ぎでお腹がいたくなって、涙も流したと思いきや
次にはじ〜んと感動をして泣いていたり・・
(いや、でもとにかく笑った。。)



新しいキャラクターが大奮闘でした。
映画に出てきた時間はそんなにないのですが、
インパクトが強過ぎて忘れられません!!!
本当に笑わせてもらいました。


彼が映画で登場するシーンなんかは
もう目に、頭に焼き付いていて・・・(*^m^)プププッ
衝撃だった〜。。ずっと横顔でお話ししていた彼の
正面の顔が写った瞬間!!!!


は〜、是非是非もう一度みたい作品です。

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△これは映画館に観に行った時の日記。
しんちゃんの映画を初めて映画館へ観に行ってしまいました。

今現在ビデオがレンタルされているんだけど
いつ行っても貸し出し中です。早くもう一回観たいな。


2004年02月15日(日) ビューティフルマインド

!!!
こんな話だって知らなかった。
実話に基づいて作られた映画だということすら知りませんでした。
この作品がノミネートされた回の
アカデミー賞授賞式には、この映画のモデルになったご夫婦が
出席されていたそうですね・・


天才をこえる天才。
オリジナリティを求めて模索する天才数学者の脳は
誰にも理解されないものへと変貌し、
数学者が見るものとその妻が見るものは・・・やがてかけ離れて行った。
真実はどこにあるのか、観客をも惑わせながら話が進み
様々な感情に負けそうになりながらも、最後まで夫を信じ続けた妻と
自分自身との凄まじい戦いの末に・・数学者としてではなく
人間としてひとつの答えにたどりつく夫・・


数学者役が ラッセル・クロウ
その妻役が ジェニファー・コネリー♪
(私の中学生の頃の初恋の相手が好きだった女優さん。
その頃ロードショーやスクリーンなどの映画雑誌を毎号買って、
毎日映画の事ばかり考えていた子だったので、ジェニファーが
好きだって分かった時にはちょっとくらっと来ました。)


思わず目を背けてしまいそうになるシーンや
どれが真実なのか、混乱してしまうシーン、
涙が溢れてきて・・・・圧倒されるシーン。


目まぐるしい思考のジャンプ!
思考の美しさ、脳の美しさ・・にうっとりしました。
(とか書くとちょっと変人みたい?)


2004年02月13日(金) プリシラ

The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert

3人のQUEEN(男性)が地元を離れて、ショーをするために旅に出るお話。
正確に言うと2人はdrag queensで1人は性転換者なんですが、
心に3人それぞれの思いを秘めて一生懸命純粋に、
そして傷付きながらも楽しく旅をします。
過去の傷や長年の夢、そして出会い。
目的地に到着するまで様々な経験をしながら、
3人3様の成長を遂げ前進するのです。


この映画の一番最初のシーンがとってもきれいだなぁと思った。
男とか女とかオカマとか性転換者とか・・そんなのはどうでもよくって、
真剣にみとれてしまった。全体を通して映像が美しかった〜!


QUEEN達の衣装の色彩も鮮やかだし、景色も恐いくらいに素晴らしい。
実際もしあの場所を旅したら、心の半分は恐怖を感じると思う。
(心や気持ちは割れないけど、例えば・・です)


そして楽しい!楽しい!楽しい!


歌って踊ってお洒落して、バンで一緒に旅してる気分♪
素直に生きるってこういうことだわと思った。
これをしたらああなる・・足踏み
失敗するかも・・足踏み
どう思われるかしら・・足踏み
足踏みばかりしていたら、違う景色が見えない。
だからといって無鉄砲に行動すると言うわけではなくて、
最終的に自分をかわいがってあげることが大事だわって。


いい忘れていたけれど、舞台はオーストラリアの大自然。
大自然にけばけばしい人工的な衣装を着た人間たち。
そのギャップがまたきれいだった。
他の生き物もここに住んでいて植物も育っている。
自然と生き物は決して一体じゃない・・と思う。
生きているうちはお互い別々で、たまに攻撃しあったりもする。


自然が自然である
人間が人間らしくいる


それだけでお互いを攻撃することにもなると言う意味で。
でも死ぬと人間は自然に帰る。死ぬことではじめて地球と一つになれる。
他の生き物もそう。みんな孤立している。孤独である。
でも孤立しているから、連鎖していると言えるのだと思う。
孤立していなくてみんな同じだったら連鎖とは言わない。


ひとつひとつの生き物がみんなと一緒に生きている。
決して一体ではなくて、一緒に生きている。


比較でしかものを確かめることが出来ないのはきっとそのせい。
みんな一緒だったら比較できないし、
そもそも比較なんて言葉も生まれなかっただろう。
3人のQUEEN達も途中で気付く。
地元がつまらないって嫌だって言っていたけれど、
こうして離れてみるとどれだけ居心地がよかったかということに。


そうだなぁ〜・・


逆に一番だって思っていても他を観たら気が変わることもあるだろうし。
やっぱり一番だって確認することになるかもしれないし。


2004年02月12日(木) ひげのおじさんが好き/ポワロ

保育園にディック・ブルーナの
大きなパズルがある。
そこには三人の消防士が描かれていて
二人はひげのない若者で、残りの一人は
三人の中で一番偉そうな、おじさんである。

おじさんには、エルキュール・ポワロのような
立派なひげがこしらえてあって(変な日本語)
私は彼が一番好きだ。

「先生はこのひげのおじさんが好き。結婚したい。」
と言って、ちゅっちゅしていたら
子供達が
「ひげのおじさんが好きなの?」
と聞いた。

「そうなの。可愛いよね」
と言ったが、可愛さが分かってもらえたかどうか‥


後日そのパズルを一緒にしていたらみんなが
「先生はおじさんが好きなんだよね。」
と言った。

いや、ちょっと待て。

たしかにこの絵のひげのおじさんはすきだが。。
他のクラスの子まで、絵本を持ってきてこう言った。

「先生の好きなおじさんがでてるよ!」

まてぃ!
話が違う方向に進んでる!
「おじさん」の集合全てが好きなわけじゃないぞ。。。

しかし気が付けば知れ渡っている
『私のおじさん好き』であった。


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でも私は小学生のころからはまっていた推理小説で
アガサ・クリスティのポワロシリーズが大好きだった。

間違いでもないかな‥


2004年02月11日(水) あこがれ大使って

なんだ。
自分でも意味不明。
口をついて出てきたリズムと語呂だけの言葉。

私にとってのあこがれは「博士」か。。

ひげがぼーぼーで鼻がわし鼻で
あまり冗談とかは言わないのだけど
言う事がどこかずれていて面白い人。

毎日毎日、研究していて
意味不明の研究内容を
「これはうんちゃらかんちゃらが問題であってね」
とかお話ししてくれる人。


なんだそれ。
自分で書いていて、ばかばかしくなりました。
いつのまにか「あこがれ」が「恋人にしたい人」っぽくなってるし。

それにしちゃ
ひげぼーぼーのわし鼻って、
どうかな〜。(何が)


2004年02月10日(火) あこがれ大使

空を見上げて人は様々なことを思う。
誰にも言えない憎しみや悲しみ、愛しさでも
空には話すことが出来る。


世界中の思いを空は吸収している。


いいなぁ、なりたいなぁ、、
あこがれだけでは終えたくないあこがれを
空に向けて放つ。


空は黙って世界中のあこがれを聞く。


そらはあこがれ大使だ。
同じあこがれを持った人を結び付けるのも
自ら頑張っている人のあこがれを実現するのも

そこにいつもあこがれ大使がいるから‥





かもしれない。


2004年02月09日(月) 論理QuizQuizQuiz


Q.赤い帽子二つと白い帽子三つがあります。
先生が3人の男の子を前向きに一列に並ばせて、
帽子をかぶせました。

男の子達は自分が何色の帽子を被っているか知りません。

一番前の子は3人が何色の帽子を被っているか全く分かりません。
二番目(真ん中)の子は一番前の子の帽子の色だけ、見る事が出来ます。
最後(三番目)の子は自分の前の二人の帽子の色が、分かります。

先生は三番目の子に尋ねました。
「自分の帽子の色が分かったかな?」
男の子は
「わかりません」
と答えました。

次に先生は二番目の子に同じ事を尋ねました。
男の子は
「わかりません」
と答えました。

一番前の男の子の帽子の色は??


昔どこかでみた論理パズルです。
紙と鉛筆を使わずに、考えてみて下さいねp(*^-^*)q
正解はまた後でにします〜

◆答え

A. 白の帽子

 三番目の男の子が分からないということは、
 前の二人が被っている帽子の色は、
 「赤と白」か「白と白」になります。
(前の二人が赤い帽子なら、白だと分かるはずなので)
 
三番目の男の子の発言から、 
「赤と白」か「白と白」の組み合わせである事が分かり、
二番目の男の子も分からないと言ったということは
一番前の男の子の帽子の色は「白」ということになります。
(もし一番前の子が「赤」なら、組み合わせから
 自分(二番目の子)の帽子は「白」だと分かるはずなので)


2004年02月08日(日) 言語学?のつづき/本当に「かお」と繋がってるのかいな。

一昨日の言語学?で、ちょっと違うかもって思うとこ発見。


えっと、だから、「物が先にあって名前」、なのはあってるけど
私が生まれた時には、すでに言語が確立されていたから
日常で私が生活する場合は、物がさきにあるってより、
言語と対象物の関係を通して、世界を見ているってこと。


私が生まれた時は、言語が確立うんぬんかんぬんぬん、じゃなくて
人間が何かを頭に思い浮かべたり、初めてのものと出会った時。
それを言葉にした時点での話かな。。

こうして、私が文章を書いていて、
ここにこうして書き出された文章は、私の頭の中にある時とは
もう違うんだ。
さらにそれを誰か他の方が読むと、その方なりの理解をして
私の頭の中にあった時のこととは、もっと違うのかもしれない。
それをその方が言葉に還元して、「そうですよね」というような事を
言った時には、その方の頭の中とはまた違ってて(゜ペ)?

でもその辺はきっと、文章を読む、音楽を聴く、所の面白さでもあるから
脳みそ直結で、なんか脳から脳へ管通したりして、
コミュニケーションをしてたらそんな楽しみなんて、
つまんなくなるんじゃないかな〜。



でも人の体の感覚は、自分で感じられないから
「こんな感じするよね〜?」「あぁ、なんか体が重い様なね?」
って、だるいを説明しても、人によって微妙に違ったりする。
人間が認識してる「だるい」って、実はそれぞれ違うんじゃないかって思った。


で、、これは、きっと確かにそうなんだけど
これを考えだしたら、何も言えなくなる事に気が付いた。
だって、これは本当に「だるい」なの?って言ってるようなものだよね??
そしたら、言葉自体を疑ってる事に発展する。例えば、

「共通のだるいを表現する為には、他のことばで統一しよう!」

のような。じゃあ、その統一した言葉も、もしかしたら
それぞれ微妙に違う感覚を認識してるんじゃ‥‥ってなったら
すぐに言葉自体が役立たずになっちゃって、何も表現出来なくなる。

って考えてたら、「知の論理」(小林康夫/船曳建夫 編)で
L.ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』 105からの引用があった。


全てを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くことも出来ない。


おお!すごいなぁ。。

精神世界って、きっと昔と変わらないんだなぁ。。。
だから昔の人が考えた事を、また考えちゃうんだ。
んで、私の様な人間が考え付く事なんて
おおよそ昔の人が既に考えてて、本を見たら載ってるのかしら。。

すごいなぁ。。。
でもちょっと悔しいな。

そういうわけで、なにかを説明したり表現する言葉を信じないと
ぐるぐるまわって、始まらないことがわかった。
というか、それを「知の論理」の一番始めにもってきた理由なんだ。。

うわぁ、、なんかすごい。(それしか言えない)

この本、実は16歳の時に買って、読んだのですが
難しくて全然意味が分かりませんでした。
でも、今読んだら、ちょっとだけ分かるようになっていて嬉しい。

と、笑ってのほほんと終わりましょう。
(笑って誤魔化すとも言う。)


2004年02月07日(土) 世界情勢

色々なところで、色々な怨恨がくすぶっている感じ。。。
私が非常勤として勤務している保育園の子供を思い出した。

あることがきっかけで、喧嘩になる。
んで、ふたりは負けず嫌いなので、ひかない。
どちらかが、相手をぶつ。
ぶたれた方は、すかさず、つねる。
つねられて(すでに、頭に血が上っている)叩き返す。
そのうち、お互いが同時にバシバシ攻撃を‥‥

あいだに入って、止めようとすると
アイヤー!イテッ。アウアー(/´△`\)
巻沿えを食う。「たたくのは、いけない」と口で言うが
血が上ってるので、聞こえない。
どうにか引き離して、訳を聞くと
すでに訳を覚えていなかったりする。。

「どうしてぶったの?」

「だって、●●ちゃんが最初にぶったんだもん!」

「●●ちゃんは、どうしてぶったの?」

「だって、○○ちゃんが、つねったんだもん!!」

「・・・・。(いや‥あのね‥)」


2004年02月06日(金) 恩納村

沖縄本土の南の方にある、恩納村。
一昨年の10月に行きました。
出発の2週間弱まえに、突然友達が

「そうだ、沖縄に行こう」

と言い出しました。
その友達の友達がリゾートバイトとして
ホテルでバイトをしているから、会いに行くついで
3泊ほどしようと。
でもその時の私は金欠で、
すぐさま「無理!」と断ったのですが
「貸すから!貸すからね、ね?行こう。」と説得されたのでした。

「●●ちゃんにこにこ金融」にお金を借りて
少しその気になったのは良いけれど
ただ2週間を切っていたため
ツアーパックがほとんどの旅行会社で
満員となっていました。
う〜ん、もしかしたら計画倒れになるかも。。
という思いがよぎりましたが、こうなったら絶対「安く」いってやる!と
意気込んで、近所のデパートにある旅行代理店へ乗り込み
予算と、場所を伝えて、ねばりました。
お客が私ひとりだったのもあって、新人さんだった代理店の女の人が
すごく丁寧に私のわがままを聞いて下さったので、
どうにか3泊4日恩納村のパックが安くとれました。

那覇空港から、パックについていたレンタカーで
ひたすら南へ走りました。
市内を抜けてからの景色が信じられない位に綺麗だった!
3〜4時間は走ったかな、恩納村にあるホテルについて
早速、一緒に行ったAちゃんの友達に連絡。

Yちゃんというその子は、真っ黒に日焼けしていて
以前Aちゃんに見せてもらった写真とはまるで別人でした。
もう、すっかり南国の女の子に。。
すでに1年近くいたので、お店とか色々教えてもらいました。
(う〜ん、でももう名前を忘れちゃった。。)
恩納村から那覇に戻る道のりの途中、右手に、
猫の住み着く、南国のコテージのようなお店があったんですが
結構ボリュームもあって、安くて、美味しかったです。

その日はその子と出会えた会を近くののみ屋さんで開催。
泡盛を飲んで、楽しく話しました。


「車走らせるなら、米ナンバーに気をつけて」


って、言われて、それ以降道で見つけると
離れて運転するようにしました。。
全てのナンバーがそうではないと思いますが
危ない運転で、事故に巻き込まれたケースが多々あったそうな。
(話に聞いただけなので、確認してないけど。)

その子の働いてるホテルで、
こっそりただでマリンスポーツを楽しんだり。。
バナナボート初体験だったんですが、すごかった!!
おもしろかったけど、鼻に水がジャバジャバ。

友達の知り合いってことで、いつもよりもすっっっっっごく激しい
バナナボートにしてくれたようです。
ボンッと音がして跳ねたかと思ったら、
逆さまになって海の中にバシャンと落ちていました。
見ると、みんな色んなとこに飛ばされて、
だれも載っていないバナナボートだけがぷかぷか。。。


その他にも水上スキー?とかカヌーとか
ボディボードとか‥‥思う存分楽しみました。
(パラセーリングは10月にはすでに終わっていた、残念。)

10月ということ、恩納村ということ、泊まったホテル、条件が合わさって
極端に人が少なかったため、海でも悠々自適にくつろげたのがよかったです。
ボ〜っと、ソーダのような海に浮かんでいる瞬間‥
じりじりと太陽に照りつけられていたあの時は
世界の音が遠くで聞こえているみたいだった!
此処の人達以外はみんな、いないかのようなそんな穏やかさ。

それから大好きなナマコが、岩陰にいたので
ボディボードに載せて遊びました。
その岩陰をさらによく見ると、ウニがウニウニしていて
監視員のお兄さんが、岩場でそのウニをかち割り
海水で洗って、食べさせてくれました。

普段はウニが嫌いなんだけど、そのウニは
世界一美味しいウニのように思えました。

旅行に行って変わるのは、場所だけじゃないんだなぁ
自分の内面が少し変化するから、全てが変わって見えるんだなぁと
世界一美味しいウニを食べて思いました。


2004年02月05日(木) 言語学ってなんだろう/昨日のかおの話

えっと、言語学って英語でなんでしたかな( ・◇・)?(・◇・ )
(言語学はphilologyだ。
 全然違った。ethologyは動物行動学だった。)
曖昧なのは人の記憶って事で、また忘れた頃に
自分を試してみる事にして。


昨日の「かお」と言う言葉が生まれる前に、
顔があって、それを家の猫や人間の赤ちゃんは
「かお」と知らずに、顔を知ってる‥なんのこっちゃという話。


私は物が初めにあって、
その物に名前が付けられて言葉になったって思ってた。
物以外でも、事象でも何でも、まず最初に存在があったと思って。
でも「知の論理」 (小林康夫/船曳建夫 東京大学出版会)を読んでたら

ところが、もし言語というものが、対象からは独立した自律的な論理を持ちうるのであるなら、事態は大きく変わってきてしまいます。
厳密にいえば、何が対象かが定められるのもあくまでも言語のうちであって、もし別の言語の論理を採用すれば、対象の存在そのものが危うくなることになるのです。


という文章があった。(言語学の発展の話の流れ)

う〜ん。難しいけど、何かを表現する言葉自体が
「ただ物をあらわす」以上のものを持ってたとしたら、例えば
「太陽」って言葉は、あくまで、言語が定める内の「太陽」でしかなくて
本当に宇宙にある”太陽”を認識してるわけじゃないってことかな。。

えっと、だから、「物が先にあって名前」、なのはあってるけど
私が生まれた時には、すでに言語が確立されていたから
日常で私が生活する場合は、物がさきにあるってより、
言語と対象物の関係を通して、世界を見ているってこと。

何かをみて、「かわいそう」って思うのは
すでに「かわいそう」という言葉の範囲内での
気持ちでしかないってことだ、多分。
心の中にぐるぐるしてる気持ちはおいておいて、
「かわいそう」とか一言口にしたり、思った瞬間
その気持ちはすでに、言語のなか??

何年も前だけど、、
「だるい」って言葉、どうしてみんな「だるい」がわかるのかなって
不思議に思った事があった。
だって、だるいって言葉を聞けば、「だるい状態」が分かる。。
でも「だるい」って言葉を知る前から、だるい状態を知ってたでしょう?多分。

んで、なんだろうこの体の感じ‥って思っていたのが
ある日それが「だるい」だと知る。「これがだるいってことか?」って。

でも人の体の感覚は、自分で感じられないから
「こんな感じするよね〜?」「あぁ、なんか体が重い様なね?」
って、だるいを説明しても、人によって微妙に違ったりする。
人間が認識してる「だるい」って、実はそれぞれ違うんじゃないかって思った。
とりあえず、そんな感じを「だるい」と名付けたわけだ。

んでもって、「だるい状態」と「だるいという言葉」の関係をもって
私はだるいを認識してるってことだね。
それと同じ様な事かな〜

「かお」と関係あるのかどうかまで
考えられなかった。。本を読んでて、頭で考えている時は
掴んだ気がしてたけど、こうやって文にすると
ひっちゃかめっちゃかだった。まだあやふやだって証拠だ。

またあした(以降)にしよう。
◆微睡みの中

布団の中で微睡みながら、昨日の言語学?とかおの関係を
考えていた。相変わらず「かお」とは繋がらなかったけど
昨日よりもさらに、「知の論理」で言っている事がわかった気がした。

微睡みつつ、いい例えを思い付いて
わぁ、むふふ。。そっか、そっか。
しめしめ。。←なにがしめしめなのかは不明
起きたらメモしとこ。ぐーぐー

って、再び寝たら、すっかり忘れた。
きっと脳みそのどこかにあるんだけど
そこへ行くドアが見つからない。

微睡みの中で思った事って、その時メモしないとダメなのかなぁ。
絶対忘れないぞ!って思った事でも、結構な確率で忘れちゃう。


2004年02月04日(水) 勝手にマクドナルド農場

去年買った本「1秒の世界」に
”1秒間に牛3頭、豚7頭、鶏1100羽分、計6.9トンが
食肉として生産されています”って書いてあった。
これを読む前に、世界中のKFCの為に
(別にKFC限定じゃないのだが、たまたま食べていた。)
毎日毎日何羽の鶏がフライドチキンになってるんだろって考えたことがあって
自分の想像力限界の広さの
広大なマクドナルドおじさん農場(想像上の名前)いっぱいに
鶏がひしめいてる姿を思い浮かべて見た。

んで、毎日トラックでトムおじさんがやってきて
「今日の鶏はどうだい、ダン」とか言って、
(マクドナルドおじさんはダン・マクドナルドという)
トラック一杯につめて帰る。
毎日トラック一杯に詰めて帰っても、
農場はいつでも鶏でひしめきあってる事が
どうしても想像出来なかった。。乏しい想像力。

トラック一杯っていうのは、1日の世界消費量の例えなのだ。

それでこの本で、1秒間鶏1,100羽分の生産量だって知って。
1分で66,000羽、1時間で3,960,000羽、1日で47,520,000羽
数字を見たら更に、分からなくなっちゃった。
しかも飢えている国もあったり、宗教上肉を食べない人達もいたりで
結局この生産量って、先進国の大都市で
特にいっぱい消費されてるんじゃないかなぁ。

でも大都市は(都市と呼ばれるんだから)
人が集中してるし、当たり前かな。。

そういえば新宿だけでも焼き鳥屋さんが、何軒ある事か。。
私は焼き鳥が大好きだから、
いつも鶏にはお世話になってます。
(変な日本語)
なんか、これを見ても食べるのをやめようとは思わなかったけど
もっと大事に食べようかなって思った。

美味しく食べられる量を、残さずに美味しく食べようって思った。

こんなに鶏殺してるんだから。

もし私がケンタッキーで、その時の空腹具合に騙されて
チキン12ピースも持ち帰りで買っちゃって
家に帰ってみたらたいして食べられなくて
9ピース残して棄てる事になったとしたら
私のせいで鶏が1羽無駄に殺された事になるかもしれない

私は肉が好きだから、生きている以上生きる為に
鶏や豚や牛をアギャーって目にあわせなくちゃならん。
(しかしアギャーって目にあわせているのは、
マクドナルドおじさんや、トムおじさんだったりする。)
だから可哀想だとか、助けようとかじゃない。

もっと大事にしようと思ったのだ。
私が生きる為に、ウギャーって目にあってる生き物がいるってのを
心のどこかに置いて、生きるのだ。
(そしてそれは自分の気持ちの為だったりするのだった。)


2004年02月03日(火) 何で顔だってわかるんだろう

去年、まだうちの猫がいた頃
よく遊んで貰ったものだ。
あぁ、思い出すは楽しい日々。

私が廊下を走り抜けて、突き当たりの物陰にこっそり隠れる。
息を潜めていると、廊下の向こうから
カツカツカツ‥(ちょっぴり爪が伸びている)
家の猫がこちらに向かって来る足音がして

もう、私は一人で興奮。(危険な人)
息を止めてじっとする。

すると、「みつけたぜ!」などと決して興奮することなく

普通にカツカツ私が見える所まで歩いて来て、止まる。
目の前じゃなくて、猫の距離でとまる。(ちょっと離れてるのだ)

それで「なにしてんの?」って顔で私の顔を見る。

という遊びをいっつもしてて、たまに私が勝つ事もあったけど(見つけられない)
大体首を傾げて「何してんの?」と言われたもんだ。
で、不思議だったのが、姿形が全く違う人間なのに
どうして見るのは顔なんだろうってこと。

「あ〜、あなた、馬鹿だ。」と思ったら
ここで読むのをやめて下さい。
本当に馬鹿だからです。。ストレスがたまるかも。
(読んでないけど)バカの壁に出てきそうな、バカかもです。


いつだって、顔を見て言う。
「ごはんちょうだい」「ねないの?」「ひざあいてる?」
不思議で不思議で、またある時物陰に隠れて
いつも頭がある所あたりに手をかざしておいて
わたしはしゃがんで待っていた。(この辺がもう馬鹿)

そしたら、視界に入った時にはすでに顔を見ていたのだ〜
思わずびっくりして叫んじゃった。あれは怖かった‥

その後も書くに耐えない(読むに耐えない)実験をしたけど
いずれもみ〜んな顔を見てて。

2本で歩く人間を見て、顔も全然違うのになついてくれるなんて
猫とか犬とか、動物って不思議だなぁ。。
そういえば、肉食動物が獲物を捕まえる時だって
喉元に食らい付いて、窒息死させるなぁ。。。
生まれた時から、そこに食らい付くと獲物が動かなくなるって
知ってるのかな〜‥‥

だとすると、うちの猫も生まれた時から
相手の顔の場所が分かってるということか。。
人間の赤ちゃんも顔を見るもんね。。
ただ人間の場合は後にそれが「かお」だって教えられるけど。
かおって認識する前に、相手のかおを知ってるということ。

物の名前よりも存在が先、のようなことかな。
日記として世の中に普及する前から、
壁だったり岩だったりに日記を付けてた人がいる。
で、その人が死んだあとに、日記と言う言葉が出来て
「この人は日記を付けていた」
と表現されることと同じかな?

いや、違うな。。。


2004年02月02日(月) 尾道

5年前に行った尾道。
坂道をぜーぜー言いながら登った坂道。

友達と息切らしながら登る傍ら
ヒョイヒョイ歩くおばあさんがいて
う〜ん、尾道のおばあさんはすごいと思った。

カメラを持って、歩いていたから
すぐに観光客だと分かったのか
いろいろな方がお話ししてくれた。
「若いのに尾道に来るなんてめずらしいな。」
って、尾道の事を話してくれた。

小さい商店街をひたすら歩いて
エスニックな雑貨屋さんに入って
オレンジ色のコートを買ってしまった。(何故)
でもそこのお姉さんとたくさん話して
飲みに行くなら何処が良いかとか教えてもらった。

やっぱり、地元の人に聞くのが一番。

古いショットバーに行って、色々お酒を飲んだ。
マスターがこれまた優しい方で
ただで色々利酒?をさせてくれた。
とうがらしいりのウォッカが一番記憶に残ってる。。。
辛かった‥(つらいんじゃなくて、からかった方。)

「転校生」など、映画に出て来た場面を見て回り
文学の小道や美術館、そして尾道ラーメンを堪能。
その時は四国までいく時間がなかったが、
それは次回の訪問まで楽しみに取っておくことにした。

そう、もう一度行きたい!と思ったから。

ただ、今度行く時は、新幹線で行こう。
バス片道11時間は長かった。。


2004年02月01日(日) マルカイ 順造選 クランベリー

マルカイ 順造選 クランベリー は体に優しい順造選の
生から作ったクランベリージュースです。
「順造選」って、誰?と思う方が多いでしょうが、松順造さんです。

いや、わたしも実は知らないんですけど、瓶にこう書いてあります。

「私、松順造が飲んでみたいジュース、飲んでみたい飲料を
私の舌とセンスで味を決め、私自身の基準で作ったものです。
出来る限り、添加物は使用せず、自然な飲物に仕上げるよう努めました。

                                                                                  松順造」

順造を知らないのに、順造の舌とセンスを信じて買った
私は果てしなくえらい。(馬鹿)

だって、これすごく美味しいかったから。
初めに感じていた順造へのうさん臭い思いも消え
数年の付き合いの後には、順造が愛しく思えたり‥

順造が毎日クランベリーを厳選してくれる。
横には愛犬のまっくろがいて‥
以前愛する妻と暮らしていた都会を懐かしく思う。

毎日毎日どんなにつらくても頑張れるのは
これを都会に出荷すれば、いつか妻がみるかもしれない
探さないで下さいと置き手紙を残して
都会へ行ってしまったあの、愛する妻に‥!

だから順造は瓶に名前を書いたりするのだ。
そういうわけで、順造は1自分の為にジュースを作った。。

というのは全くの嘘なので
松順造さん、ごめんなさい。

本当にこのクランベリージュースは美味しくて
果汁50%なんですが、果汁で液体がスムージーのように濃いんです。
酸味も少しありますが、クランベリーの甘みも程よく素敵です。

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▼マルカイ 順造選 クランベリー
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ひよ子

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