2019年07月23日(火) |
歩き方で人生が変わる / 長尾 和宏 |
あなたは病気や不幸になる歩き方をしていませんか?
幸せになる10の歩き方
私は死にたいと毎日、思うくらい足腰の調子が悪い。 両膝、2回ずつ、計4回の膝の手術とそれに加えて右ひざは3回の塞栓術。 今は歩きなら1キロ程度、じっと立っていることは5分以内、そんな股関節痛もある。
それがもしも・・・私の歩き方からくる不調だとしたら。
整形外科の医師からは、歩数計とかで毎日の歩数を測ってください。 入院してたときの看護師からは、歩くことは全身運動だからしっかり歩いて。 術後、担当してもらった理学療法士からはチョコチョコ歩かないで歩幅を広めにとって歩いてください、と言われた。
この著者の勧める歩き方も、歩幅はいつもより10センチ程度多くとって、早歩きも取り入れること、とある。
歩けるのに、歩かない人が 「下流老人」になる。 貧乏でも元気に歩いている人は、「清貧」。 下流か否かは自分で選べます。
よくピンピンコロリが理想の死に方とされますが、私自身は、平均寿命の最後の何カ月かだけを要介護状態で過ごす「ピンピンコロコロ」がいちばん良いとと思っています。ピンピン歩いて晩年を過ごし、最後の1,2年はコロコロ寝たり起きたりしながら、納得して家で平穏死を迎える。これが高齢化社会日本の現実的で理想的な生き方、そして死に方だと思うのです。
いいえ、私はピンピンコロリを選びます。 突然死、ほんとうに理想です。 家族には、家族ゆえに迷惑をかけないしにかたは突然死しかありません。
著者は日本尊厳死協会の副理事長をされているが、私はあえて安楽死希望派です。
でもそれらを声高に叫ぶ前に、著者の言葉を参考に今日も少し大股で歩こうと思う。
2019年07月16日(火) |
方丈の孤月 / 梓澤 要 |
鴨長明伝
幾多の乱世で見たこの世の無常。 ちっぽけな終の棲み家で、月を相手に今語らん。 下鴨神社の神職の家に生を受け、歌と琵琶に打ち込みながらも、父が早世したためについぞ出世叶わず、五十歳で出家。平家の興亡を目の当たりにし、大火事、大飢饉、大地震などの厄災を生き延びた鴨長明が、人里離れた山奥に庵を構え、ひとり『方丈記』を記すまでの正に流転の生涯。
人が一生を過ごす間に思うことはすべて、悪業でないことなどないのだ。形を変え墨染の衣に身を包んで出家者になり、世間の塵に穢されない境遇に入った人でさえ、その心は野性の鹿のようなもので、繋いで制御することはむずかしく、煩悩は家で飼っている犬のようなもので、常にかたわらにいる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 〜 朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何に寄りてか目を喜ばしむる。
2019年07月02日(火) |
まずは、あなたのコップを満たしましょう / 玉置 妙憂 |
がんの夫を自宅で看取った看護師僧侶のエッセイ。 ただし夫を看取ったときはまだ僧侶ではなかった。
「家族のため、生活のため、会社のため、自分のことは後回しにして頑張りすぎている人が多すぎる。まずは、あなたのコップを満たしましょう」と。
また、今の日本は、命があるうちは医師の領分、命がなくなってからは僧侶の領分と分業化されている。そのせいで生き死にの悩みが解決されない人が多いと。
それと私も感じていたことだけれど 「延命治療に良し悪しはない。風邪薬も延命治療のひとつ。すべての治療は延命治療。自分の物差しを持つのが大切」なのだと。 自分のしてほしいこと、してほしくないことを書き出しておく。 例えば人工呼吸器はしてほしくないが、痛みを取る処置はしてほしいとか。
心配しなくても大丈夫です。 難しく考えなくても、 みんな、逝けます。
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