2019年01月29日(火) |
許せないを許してみる / 籠池 諄子 |
籠池のおかん「300日」本音獄中記
籠池夫妻が決していいとは言わないけれど、夫妻だけが拘留されるのはオカシイと私も思う。 証拠隠滅とかいうけれど、それをしたのはむしろ公権利用の安倍さんだとたいていの人は思ってるるはずだ。 そんな異常な長期拘留の最中、担当弁護士に送り続けた400通以上の手紙をまとめたもの。
安倍さんと明恵夫人、それに稲田朋美元防衛大臣らの裏切り、家族への思い、そして何より夫への愛情がいっぱい綴られている。
世間からは森友加計問題と一緒にされがちだけれど、諄子さんは違うと言い切る。 加計理事長は政府専用機にも乗せてもらえるくらい安倍総理大臣と親しいから、親密度が違うのだと。
籠池元理事長はただ純粋に未来の子供たちを育てる学校を作りたかっただけなのだと。
何より私たちが知らない拘置所の様子がよく分かる。 孤独な独房、看守のいじめ、最初の8カ月は家族との面会も許されなかったようだ。 時間だけはたっぷりある中で、今までの人生を振り返り反省し、それがだんだんにこうなったことも何か意味のあることだと思えるようになって、生かされているのだとすべてのことに感謝するようになる。
籠池元理事長との間に5人の子をもうけ、たっぷり母乳が出たものだから、それを搾乳して未熟児に与えていたというのだからスゴイ!
気質的には私も共感のもてる大阪のおばちゃん、そのものだと感じた。
2019年01月22日(火) |
すぐ死ぬんだから / 内館 牧子 |
面白くて一気読み。
でも読みながらずっと思ってたのは ” もう ” をつけて 『もうすぐ死ぬんだから』のほうがいいと思ったんだけど。
自他ともに仲のいい夫婦、夫に愛されていると思い込んでいた55年の結婚生活だったが、急死した夫には42年来の愛人がいた。 しかも37歳の息子までいた。 夫に死なれて逆行性健忘症になるくらいショックを受けたというのに。
夫・岩造の口癖だった 「平気で生きて居る」 「俺の人生でハナと結婚したことがいちばんよかった」 これらの言葉はあながちウソではなかったけれど、この言葉を口にすることで岩造なりに詫びていたのだろうなぁ。
それにしても老後を平穏にしてくれるのは家族との関係が大いに影響するのだと改めて思う。 そして経済状況も大いに関係する。 主人公ハナには心強い娘と息子、孫もいて嫁もそれなりにハナの味方だ。
人は適当なところで死ぬのが幸せなんだ。それが老人の品格というものだよ。
女の人生を自由にするのは、本人の経済力だ。
セルフネグレスト 育児放棄ではなく、自分を放棄してしまうこと。 人は生きていく意欲がなくなるとそこに行き着く。
私は主人公・ハナのようには生きれない(身ぎれいにして、とにかく前向き)けれど、著者はいい物語を書いたなぁと感謝。
2019年01月19日(土) |
母の教え / 姜 尚中 |
著者、私と同じ年 もうじき 古希・70歳。
生まれた年は朝鮮戦争が起こった年。 韓ドラをよく見ているからそれは知っていた。 著者は在日二世で両親の故郷である韓国と、不遇に生きた一世たちへの想い。
愛する息子を失って、これまでの生活をリセットして妻と東京近郊の高原へと移住した。 土いじりや野菜作りに汗を流していると、今までの人生や亡くなった人たちとの思い出が、やさしい風や やわらかな雨のように心を撫でていく。
還暦を過ぎ、古希も近い歳になってから、私は、自分の心身の土台を母が形づくってくれたことを、深く体感するようになった。 「人は食べんとダメばい。食べんと死ぬとだけんね。偉か人も、そうでなか人も、金持ちも、貧乏人も、みんな口から入れて尻から出すと。そがんせんと生きていけんとだけん。だけん、三度三度、しっかり食べんと」
現在、私は母の教えをふたたび噛みしめながら、「高原好日」のなか、白秋の終わりを迎えている。
2019年01月12日(土) |
105歳、死ねないのも困るのよ / 篠田 桃紅 |
墨を用いた抽象表現主義者として、数えで105歳となった今も第一線で制作されており、どちらかと言えば日本よりも海外でのほうが有名。
『103歳になってわかったこと』 に次いで2冊目として読ませていただく。
タイトルは過激である。 寿命は自分では決められないから、周りの者が亡くなって行ったら自然とあちらの世界に行きたくなるのかもしれない。 あちらのほうが懐かしいというか知った人が多くいるようになった現実。
でも 文中に死にたいなんて言葉は一回も出てこない。
自分は何をしたいのか考えて、人生を工夫する。 多くを持たないことの幸せにも気づくべき。
風はみんなに同じように吹いているから 生と死をあきらめれば、不平はなくなり、平和な心を得る。
これが幸福という定義はない。 あなたがどう自覚するかで、幸福な一生になる。
そして 最後まで自分の足で歩く。
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