2011年03月31日(木) |
アミターバ ━ 無量光明 玄有 宗久 |
物語は肝内胆管ガンという珍しいガンで、発見後一年以内の生存率はゼロパーセントという病に冒された老婆の臨死体験とその前段階のお話だった。 実の娘が病院で介護をしているのだがその娘婿が僧侶ということで、ガンに侵された主人公が亡くなった自分の亭主が病室に現れたと娘婿に話すあたりから『死への体験』という描写になっていく。
以前何かで死の直前はセックスの60倍くらいの快感があると読んだことがある。 ここではそういう表現はなかったけれど、結局のところ必ず訪れる死は一時期を過ぎれば案外楽なのだろうか……と ふと思ってしまった。 死ぬ直前には今までの人生が走馬灯のように駆け巡るとも聞いたことがある。 私がいつの日にか体験するであろう臨終の折には誰が会いにきてくれるのだろう……いや、私は誰に会いにいくのだろう……とそんなことも思った。
「たぶん人間って、いろんな時間や、その時間にいた自分を勝手に組み合わせて、自分の人生をまとめようとするんですよね。そんでそれが、最大の 煩悩だと思うんですよ。…つまり最大の煩悩から解放されるってことです から、やっぱりいいことじゃないですか?」
阿弥陀仏あるいは無量光仏。 自らを頼ってくるものの1人でもが西方極楽へ行けぬのなら、自らが救済される(成仏する)ことを拒否しようという誓願を立てた。 「アミターバ」の漢訳語は「無量光」らしい。
2011年03月24日(木) |
水の舳先 玄有 宗久 |
東北の玉川温泉は岩盤浴のような所でガンなどの患者の病気を治す効能があるとして有名だ。 ガンでなくとも 人生を総括したくなったら訪れてみたいなぁ・・・と、私は朧に願っているのだが。。。
物話はこのような強酸性ではないが同じような効能があるという温泉が南東北のある町に噴出し、掘りだした土建屋さんの建てた温泉治療施設に書道の指導かたがた出向く僧侶『玄山』を通して描かれる周囲の人たちの話だ。
ちょうど今 東日本大震災と重なって読んでいても何気に辛い。
この本の著者は、お寺の僧侶だから、死に直面した人間のありかたをとてもうまく表現している。 必ず訪れる死が大海に注ぎ込む川の流れであるならば、その舳先を穏やかな水路に向けたいと願っている弱き人間のバイブルのような気がする。 バイブルなどという言葉がでてくるのも僧侶『玄山』に生きている間に ”湯灌” のような儀式を頼む人のいることだ。 死を悟ったひとの一挙手一投足は悲しいなぁ。。。
読んでいる途中で秋真っ盛りの紅葉がキレイな場所をロケ地に選んで映画を製作してほしい・・・と ふと思った。
開山聖人(親鸞)から数えて8代目になる蓮如の物語.
蓮如の不屈の精神でその努力が実るにつれて今に伝わる巨大な本願寺教団が生まれていく。 一向一揆や宗教的な難しいことは何も分からないでいるが、バイタリティにあふれ精力的でまっすぐ前を向いて生きた人という読後感。 若い頃からの不信心ゆえに無知でいた実家の宗派は門徒と言われる『浄土真宗』であったことを思い出した。
阿弥陀如来の本願に縋り、心に深く信心を決定すれば、その人は必ず救われる。なぜなら、阿弥陀如来の本願は、そのような人々をお助けするのに発せられているからだ。それゆえ、他力信心を獲得したと得心できた人々は、救われたお礼(御恩報謝)として、生命のある限り念仏を称えるようにしなさい。
阿弥陀如来の本願に秘められた不可思議な霊力のおかげで、信心さえ定まればいかなる凡夫も極楽に往生できるというのが往相廻向である。対する還相廻向は、極楽往生をとげたものが、やはり本願の霊力によってこの世に立ち戻り、」みずからが利他の行者として苦と煩悩にあえぐ衆生を救済するという考えだ。
春彼岸 詣でる墓に香流る
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