読書記録

2009年11月29日(日) 原 阿佐緒              大原 富枝


 以前 『事件記者』というドラマがあった。
熱心に見ていたわけではないのでほとんど覚えていないのだが
そこに原保美という端正な顔立ちの男優がいらしたことは覚えている。

で 今回の物語 『原阿佐緒』は その原保美の母親だったようだ。

原阿佐緒は歌人としてよりも、スキャンダルの女として有名であった。
その美貌と男社会という時代背景ゆえに、阿佐緒ひとりの存在が何人もの人間を不幸に悩ましてゆく連鎖的な事実を思わずにはいられない、と作者は文中に書いている。

東北帝国大学教授、理学博士、5人の子を持つ石原純という男性に粘着質的な妄執で押し切られ、7年間の石原との同棲がごうごうたる世評の鞭にしたたかに打ち据えられていくのだ。

エピローグで作者は阿佐緒と石原の二人の生涯の軌道を比べてその対照を感慨が深いと記すが、
私はやはり私の廻りには居ないタイプとして疲れてしまうのだ。
今の時代ならもっとマスコミというかワイドショーの恰好の餌食となって世間を騒がすだろうけれど、それでもそんな人間もいるさ、ということでその純粋さを応援する人もいるだろうにと改めて思われるのだ。












2009年11月23日(月) 恋衣 とはずがたり           奥山 景布子

  

 過去に 作者の違うとはずがたりの物語を少し読んだ。

 女西行   とはずがたりの世界   松本 寧至
 中世炎上            瀬戸内 晴美
 新とはずがたり          杉本 苑子


そして今回は二条と実兼との間に生まれた ”露子” という女性が主人公の物語だ。
この物語の中では露子は、実兼の実子のいなかった忠実な家司である橘久永のもとで大切に育てられたという設定になっていた。
そしてある日 父実兼が母二条の書き残した5冊の草子をもってきたのだ。
この中から勅撰の儀に相応しい歌の書き抜きをしてほしいとのことだった。
それからの露子は母二条の生き様と己のルーツをたどる日々を送ることになった。


願わくば花の下にて春死なん その二月の望月の頃

と歌った西行に対して 二条は女西行ともいわれるが
今回の作者は
 願わくば花の下にていつ死なん 雲と水とに任するごとく
とした。
西行の本歌取りとして、この先の命は、時の流れ、自然の流れに従って。
尽きる折、もし花があってくれれば、幸い。
人を恨み羨み、己を責め苛んで生きるのは、虚しきこと。

母の遺した草子を書写した露子がそれの表紙に書き加えたのが
”とはずがたり”という文字だった。










2009年11月08日(日) 落日の宴  勘定奉行川路聖謨                  吉村 昭


下級幕吏からスタートして、佐渡奉行・奈良奉行・大阪奉行と幕末きっての名官吏として公事方勘定奉行に就任。
嘉永6年(1853年)
下田でロシア使節プチャーチンとの日露和親条約に調印。
その後 安政5年(1858年)には
堀田正睦に同行して日米修好通商条約を調印する。
井伊直弼が大老に就任してからは左遷・差控と引退を余儀なくされていく。
そして徳川幕府が崩壊した時、江戸の自宅でピストル自殺をする。

作者は聖謨のことを
幕末に閃光のようにひときわ鋭い光彩を放って生きた人物だと評する。
軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことでもあきらかなように、
頭脳、判断力、人格ともに卓越した幕吏であった。
下手をすれば諸外国の植民地にもなりかねない激動期に、幕閣が聖謨のような有能な幕吏を積極的に登用し、そしてその期待に十分にこたえたのだ。

それにしてもとても丁寧な物語だったというのが私の感想だ。
私は奈良奉行だったということで興味をもって読み出したのだけれど、その私の期待にも十分こたえてくれたことだ。

それにしてもタイトルが切ない。。。
徳川幕府崩壊とともに中風の後遺症で思うにまかせない己を感じてピストル自殺とは。。。
聖謨の考える武士道であり美学なのだろうけれど。。。



















2009年11月05日(木) ・・・・・・・・・・・・・



 親の我を ふと漏らしたる愚かさを
悔いる日のあり 流れる日々に



きょうの日は
愛娘(あこ)を思いて やり過ごす





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