| 2009年09月29日(火) |
高丘親王航海記 澁澤 龍彦 |
桓武天皇の孫で平城天皇の子どもである高丘親王が天竺を目指したことは有名だ。 父の平城天皇と藤原薬子のことも歴史の事実として有名だ。 そんな薬子の乱のあとで高丘親王が早々と身近にいた空海の影響もあって真如法親王として仏門に帰依していたことも。 あの時代 仏教を極めんとして唐に渡った僧は多いが、その先の天竺となると唐以上に未知の世界だったのだ。
それにしてもこの物語は不思議な小説だった。 幻想的な航海記のようでもあり、途中から気づいたことではあるけれどほとんどが親王の夢物語なのだった。 親王は船の上や南国の海辺でうつらうつらとまどろみながら、鳥のような女や蟻塚や蜜人など夢の世界で遊んでいた。 が その夢のなかにいつも薬子が混じりこんでくる。 夢にでてくる女は薬子の顔をしていたり、親王が子ども時代に耳元でささやかれた薬子の声となってくる。 薬子の存在は親王のなかでかなり大きな部分を占め、まるで旅に寄り添うようでもある。
旅の終わりで死期を悟った親王が、虎に食われて天竺を目指すところなど子ども時代に読んだ冒険物だった記憶が甦ってきた。
そして改めて感じることは 何年か後で読み返したいと思うような不思議な物語だということか。
どれも短編ながらとても面白く読んだ。 ほとんどを女性を主人公として、今の私たちにも共通するような視点で書かれている。 作者があとがきにも記したように、どの人生にも火花の一瞬があるのだ。
○ 日輪が薧す・・・。 太陽が死ぬ。 日輪の異変は「・・・凶事の前兆だ」 大宝二年(702)十二月二十二日、持統太上天皇崩御━。 文武天皇が二十五歳の若さで崩御したのは、その五年後のことである。
○ 迦楼羅のくちばし 紀竈門娘は、文武天皇が即位するのと同時に後宮に入って皇子を産んだ。 首皇子を産んだ宮子だけは産後の肥立ちが悪かったものの、不比等の娘ということで最高の身分を与えられていた。
○ 上官婉児 弁正は八年前に日本から学問僧として長安に来たが唐人の娘と愛し合い商人になった。 上官婉児は卑しい婢の身から後宮で上から二番目の高い身分にまでなった。 そんな上官婉児は弁正に友人の李隆基に葦后一派の誅殺を唆すのだった。 そして李隆基は玄宗皇帝となった。
○ 羽人 玄�靴脇鷭銃鷓个把弘造僕茲導悗屬戮�ことはすべて学び終えたという確信を持ったものの、 ━漠然とした焦燥と、飛び立つような望郷の念との狭間でもがいていた。
○ 朝靄 菅原寺で育った早蕨は一九の時、寺に出入りする若者を知り合い女の子を産んだ。 家庭のぬくもりを知った幸せな時だったが「積善藤家」の木札をつけた荷車にひかれて夫と子を失った。 夫と娘の死は光明皇后に直接の責任があるわけではないが、憎悪の対象を求めなければ生きていけなかった。
○ しゑやさらさら わが背子が来むと語りし夜は過ぎぬ しゑやさらさらしこり来めやも 甲斐性のない夫に愛想をつかしていたころ、その夫に地方の国庁への昇進の辞令が出た。 田舎暮らしを断ろうとはしたがその夫がそれなら別の女を連れて行くというので、 俄かに同道することに決めたのだった。
○ 龍になった皇女 聖武天皇の娘である井上内親王とその子の他戸親王のことは、ほとんどが一行か二行でさらりと流してあるのだ。 同じ時代にいた称徳天皇や桓武天皇の影というか日の目にあたらぬ存在に思えてならない。
| 2009年09月05日(土) |
埋火(うずみび) 秋本 喜久子 |
謙映院畿千子と堀田正睦
明治維新に繋がる幕末のドラマや映画では大久保や西郷や慶喜や篤姫や井伊直弼が数多く登場するけれど、それに先立つ日米修好通商条約では堀田正睦の存在を忘れてはいけない。 が 堀田正睦はあまりにも地味な存在として今に伝わっているように思う。
堀田正睦は佐倉11万石の当主で この物語の主人公である謙映院畿千子はその義母になる。
なかなかに気丈夫な女性でほんとうは正室として子どもを産みたかったようだけれど、あの時代は側室が世継ぎとなる子どもを出産することが多かったようだ。 畿千子はそんな状況にずいぶんと淋しい思いもしたようだけれど、正睦のことを思いながらも同士として協力していくのだ。
人は、ともすると派手な政策をする者ばかりがもてはやされるが、ぎすぎすした人間たちの間に入り込んで、忍耐強く一つの方向へまとめてゆく性格も、大変貴重な才能だと思う。正睦がまさにそのような人物であると畿千子は見抜き、幕政へ押し出すようにしてきたのである。
灰がちに埋火なりぬ鶏のこゑ
(本心を言いたい。本心を残し、のちの世の誰ぞに、この思いを伝えたい。灰がちに、灰がちに・・・、そうじゃ埋火を前に出そう。) 突然喉の奥から嗚咽が上がってきた。
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