奈良に住んでいて大仏を知らぬ者はいない。 だが その製作工程において数多くの奴婢や人足のいたことまでは思わない。聖武天皇発願のこの盧舎那仏には国家鎮護というわりにはあまりにも多くの尊い犠牲があって完成したものなのだ。
長門の奈良登り(現在の山口県美東町長登銅山)で掘られ、精錬された銅が、大変良質だということで、これが奈良の大仏造営に使われることになる。精錬の技術を買われた奈良登りの人足たち・・主人公である国人というひたむきに生きる最下層の青年の視点から見た国を挙げての一大事業が読み応えのある物語になった。
歯を食いしばり一日を過ごす。星を数える間もなく眠りにつく。都に献上する銅をつくるため、若き国人は懸命に働いた。 優しき相棒、黒虫。情熱的な僧、景信。忘れられぬ出会いがあった。そしてあの日、青年は奈良を旅立った。 大いなる理不尽のなかでも、素直と勤勉で無事に大仏開眼を迎える。 「そなたらが大仏を鋳込んだのだとすれば、そなたたちが仏なのだ。」という悲田院の僧の言葉を胸に刻んで、なつかしい奈良登りへ帰っていく。
死者は、生者に力を与える。生者が死者を思い出す限りにおいては。
人の病いの最良の薬は人なのよ。
自分の仏を持て。 お前がお前の燈火。その明かりで足元を照らせ。
いい本を読んだ・・と せつに思う。
2008年12月09日(火) |
華の碑文 世阿弥元清 杉本 苑子 |
碑文とは ふつう石碑に刻み付ける言葉だろうけれど、『華の碑文』とは・・華に刻み付ける・・私の解釈ではそれぞれの心にある華、すなわち魂に刻みつけるということか・・?
新しい猿楽の創始者である観阿弥とその天才的継承者である世阿弥の芸が音阿弥へと続き、『能』となって今に伝わる。 世阿弥の思いは自分達だけに留まらずに、五百年後も千年後もずっと幽玄な芸として『かんぜの能』が継承されることを願った。
「無用のことをせぬと知る心」 「せぬ心のおもしろさ」 を論じ、芸位の究極を『蘭位』━蘭けたる位に置いて、無心の感、無位の位風にあこがれ、そのための『定心』の確率に腐心してきた。 「せぬ」とは、何もしないのではなくて、逆に、はりつめた精神活動の燃焼を指す。日々夜々、行住坐臥、寸刻の油断もなく修行し、美の本質へ向って肉迫しぬく心・・・・・。その『定心』の展開が、行きつき、ひらきつくしたところに、しんじつ、人を打つおもしろさは生れる。人は移り、時代は変っても滅びることの無い美は、はじめてここにこそ花ひらくのだ。
僅花一朝・・・・・
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