2002年12月13日(金) |
運命の足音 五木 寛之 |
内容 人はおのれの運命を感知することができるのだろうか?はたして天寿というものを知ることは可能なのか?生まれた場所と時代、あたえられた「運命」によって人が背負ってきたものは何か。「これを言ってしまわなければ死ねない、とずっと感じていた―」。戦後五十七年、胸に封印して語りえなかった悲痛な記憶の物語。驚愕の真実から、やがて静かな感動と勇気が心を満たす。『大河の一滴』『人生の目的』に続く著者渾身の告白的人間論、衝撃のロングセラー、待望の文庫化。 目次 五十七年目の夏に(一枚の写真 許せない歌 ほか) 運命の足音がきこえる(深夜に近づいてくる音 幸田露伴の運命論 ほか) 新しい明日はどこにあるのか(見える世界と見えない世界 一瞬の「恥」や「畏れ」を抱かせる ほか) 命あるものへの共感から(いま根底から問われている人間中心主義 戦争の時代をのりこえて ほか) 運命の共同体としての家族(「働く女」としての母親像 「物語る」ことへの欲求の芽ばえ ほか)
発売前から前評判が良かったのか、図書館では予約待ちだった。読むことをとても楽しみにしていたが、私の予想していた本ではなかった。作者は戦前、北朝鮮に住まいしていたようなのでこの物語は私の知らない、私が知りたい引き上げの話がぎっしり詰まっているものと勝手に想像していた。だが違った。作者には申し訳ないが感想はない・・。
2002年12月04日(水) |
わが屍は野に捨てよ 一遍遊行 佐江 修一 |
内容 時は鎌倉時代、武門の身を捨て、家族を離れ、十三歳にして出家した一遍。一度は武士に戻りながら再出家し、かつて妻であった超一房や娘の超二房をはじめ多くの僧尼を引き連れて、十六年間も遊行して歩く。断ち切れぬ男女の愛欲に苦しみ、亡き母の面影を慕い、求道とは何かに迷い、己と戦いながらの漂泊遊行で、踊念仏をひろめ時宗の開祖となった男。その捨てる心さえも捨てた境地に踏み入り、遊行先で没するまでの、波瀾の生涯を描く長編小説。
この本の出版の新聞広告を見た。期間限定で作者の生の声が聞けるというサービスがあった。もちろん電話して作者がこの作品を書いた思いを聞いた。 静かな語り口と本を読んだあとの満足感が一致している。 以前 読んだ『黄落』の作者だが、本来は時代小説が得意のようだ。これは時代小説といっても、いわゆるチャンバラ物ではないが再読したいと思わせる作品だ。
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