うさぎのつぶやき
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昨年、一昨年と年末に短期のバイトをしましたが。 そこでパート社員の募集があり、先日応募したのですが正式に採用が 決まり、今日契約してきました。
パートとは言え、この年になって事務職につけるなんて有難い事。
「そこらへんの若い子には負けない」 そう思っていた私でしたが、昨年末には「なんだかなぁ〜・・・」と つくづく感じるようになってしまっていた自分がいたのです。
ですからそんな私を雇ってくださるかどうか少し不安でした。
だから昨日お電話を頂いたときは、嬉しくてドキドキしました。 今日色々な書類にサインをしてだんだん実感がわいてきました。
実は「社員」という立場の仕事に就くのは結婚以前に働いていた時 以来なのです。 「アルバイト」も一応社員でしょうが、それでもやはりニュアンスが ちょっと違います。
3月16日から数日間、研修があるようですがそれが終われば、いよいよ 始まります。 さぁどうなるやら・・・。
みーちゃんに指をかまれました。
「飼い犬に指をかまれる」のは聞いたことがあるけれど。「飼い猫に・・・」 なんて聞いたことありません(笑)
昨日の朝ご飯をやった後私たちが食事をしていたら、横に擦り寄ってきて 何か欲しそうにしていたので、かつお節形にしてあるにゃんこ用のソフト 焼きかつおを上げました。
スティック状になっているのでそのまま私が手に持って、かじらせていた のですがガシガシと食べていきあとちょっとというところまで来たときに 思いっきりがぶっと指まで食べようと しちゃいました。
それが痛いのなんのって! すぐに消毒して手当てはしましたがジンジンしています。 傷は小さいのですが深いみたいです。
よっぽどおいしかったんだろうなぁ〜。
☆★☆★☆荒川選手おめでとう〜☆★☆★☆
昨日寝る前にビデオをセットして休みました。 トリノオリンピック女子フィギュアフリーを録画する為です。
今朝、食事の支度を始めたら娘が早速LIVEで見始めました。 ラッキーなことに荒川、村主、コーエン、スルツカヤ各選手の演技は 後半でしたので、充分間に合ったみたい。 安藤選手は前半でしたので見損ないましたが他の選手はバッチリ見る ことができたようです。
私はお弁当と朝食の支度で時々手を休めて見る位しかできませんでし たが、それでも会場の歓声から状況は大体わかりましたのでその度に 振り向いて・・・(笑)。
昨年末に行われた選考会の演技で荒川選手が凄く良かったので、密か に応援していたのです。 「荒川選手はまるでクリームみたいにまろやかな演技だったよ!」 見ることができなかった娘にそう教えてあげました。 私たち二人とも村主選手のファンだったのですが、今回は荒川選手の あのクリームみたいな演技を期待していました。 案の定とてもすばらしく、金メダルにふさわしい演技だったと思います。
心から拍手を送ります。 おめでとう〜♪
「'05年2月7日の日記◆お見舞い」に書い方が亡くなった事を今日知りました。
共通の知人の方から電話が入ったのです。 「お通夜も告別式も来てなかったから、知らへんのと違うやろか?」 そう言ってお電話を下さったのでした。
10日ほど前に亡くなったのだそうです。 当然知りませんでした。 故人とその奥様とは深いご縁のある方でしたが、息子さんとは あまり行き来をしていませんでしたので、事あるごとに私が お世話をしに行くことをあまりよく思われていないようでしたので 無理もありません。
片方の言い分だけを聞いて判断するのは良くない事。 家庭内のことは他人にはわからない諸々があるのですから、私が 口を挟む問題でないことは重々承知してはいますが、それでも 心穏やかではありません。
「最後のお別れをさせていただきたかった」 そう思うのは差し出がましいことなのでしょうか? 私たち夫婦の仲人さんなのです。
プールへ行ってきました。
温泉もあるのでお風呂には何度か入りに行ってましたが 泳ぐのは今年初めてでした。
ただでさえ太っているのに寒いから動くことも少なく なるべくちょっとの距離は歩くようにはしているものの 最近体が重くて仕方ありませんでした。 明日は行こう、明日は行こうと伸ばし伸ばしにしていましたが 今日は朝から暖かかったので、思い切って出かけちゃいました。
気持ちよかった〜。 久しぶりなので無理は禁物と思い、軽く一時間くらい泳いで 後は温泉に浸かってサウナに入って又温泉に浸かってヘロヘロになって 帰ってきました。
3ヶ月ぶりだったので、きっと明日は腕や足が痛いだろーなぁ・・・。
今のこの時代に、私が若かったら・・・。
きっと、カーリングをやっていたでしょう。 オリンピックを見ていて思わず熱中した競技『カーリング』。
オリンピックのコンセプトである、 「速く」「高く」「強く」といった運動能力は持ち合わせて いないので、どれを見ても“あ〜私もやってみたい・・・”なんて 思ったことは無いけれど、集中力と微妙な力の配分は自分に 合っている気がしています。 見ていてもとても面白いスポーツだけれど、私もやってみたい、 そう思ってしまいました。
もし・・・若かったらね〜。
でも、多分そうなれば 腰や膝を痛めるほど、一生懸命にやるだろうから、恐らくは おばさんになった時に今の私とほぼ変わらない、毎日を過ごす 事になるでしょう。 やれ腰が痛い、やれ膝が、背中が・・・とね(笑)。
結局とどのつまりは一緒って事か・・・。
私も「光」にすることを決意しました。 今までは「ADSL」。 ずっと以前に「光」を考えていたことがありましたが なじみの電気屋さんに “まだそんなに慌てなくてもいいですよ〜。いずれきっと もっと安くなるから・・・” そう言われて待っていたのだけれど相変らずプライスダウン の速度は「光」どころか「ADSL」を飛び越して、電話回線 よりもまだ遅い状態。 一向に安くならないことに待ちきれなくなりました。 色々なソフトを使ったりインストールが増えると最初の 立ち上がりがどうしても遅くなってしまうのです。
で、今日サービスの方に来てもらって色々お話を伺いました。 かなり詰まっているようで、開通できるのは2〜3ヵ月後との 事ですが、開通月は無料ということだったので、工事を 月初めにしてくださいね、とちゃっかりお願いしました。
たのしみたのしみ!!
先日の国会で、民○党が堀○氏のメールについて取り上げていた けれども気になってしょうがないことが一つ。
隠し玉的な事として 「武○氏の息子△△氏へ3000万円振り込んでね。」 というメールを入手したということを言っていた。
そして そのニュースソースについては、提供者が 「野○さんみたいになりたくないから明かして欲しくない。」と。 身の危険を感じるというようなことも言っていたと思う。
野○氏は自殺だったということになっているけれども あの国会での口ぶりだとそうは思えなかったんだが・・・。 「野○さんみたいになりたくない」とまるで当たり前のように 発言していたけれどもそしてそのことについて誰も不思議に 思わなかったのか、何の意見も出なかった。 一体・・・。
気になってしょうがない。
10日に行って来ました。 行き先は北陸ではなく、それは私の勘違いで実際は奥城崎 でした。
ツアーの旅行って初めてでしたがま、あんなものでしょう。 時間が限られていて、次から次に移動して・・・。 お昼に食事の後温泉に入れたのが一番良かったかな。
その後移動して出石町へ行きましたが小京都と呼ばれるだけ あって、静かないい町でした。
ところで「小京都」と呼ばれる町が全国いたるところにあり ますが、(ツアーガイドさんに聞いたのですが) どこでもここでも勝手に「小京都」を名乗ってはいけないの だそうです。 なんでも、「京都ナントカナントカ会議」というのがあり そこで検討され委員会の議決によって『小京都』の称号を もらえるのだそうです。そこで初めて名乗りをあげ地名の 頭に付けることを許されるんですって。 京都って偉いんやなぁ〜。
で、その出石の街角に立っていた電話ボックスをぺったん することにしましょう。
普段は最近の寒さも手伝ってか朝からエンジンが掛かりにくく 毎日しなければならない家事の諸々をダラダラとしていること が多い私ですが、今日は違っていました。
さっさと洗濯機を回し、(ゴミ出しの日だったので)ゴミ出し をして、掃除をして、お風呂を洗い、買い物に行って、ついでに 宝くじまで買って(笑)戻ってから、わんさかアイロンを掛け、 お昼を食べてからは細々としたことをして、先程からPCの前に 腰をかけました。
なんで〜?って 明日出かけるのです。 1/6付けの日記に書きましたが、日帰り旅行なんです。 しかも日帰りというだけあって朝が早い!7:30集合ですって。 ということは、6:45頃に家を出なければいけません。 ということは、5:45頃に起きなければいけません。 (絶対に寝過ごすわけには行かない・・・。) ということは、5:30頃には目を覚ましたいのです。 ということは、23:00頃には寝る準備をしないといけません。
ということで今夜は夕飯が済んだらさっさとお風呂に入り、 PCタイムもいつもより2時間近くもカットです。
準備万端整えて、さぁ今から食事の準備にかかります。
いつからか牛肉の臭いが鼻について、食べると胃にもたれる ようになりました。 豚肉や鶏肉はそんなことは無いのですが、牛肉はどうもいけ ません。食後も胃の中でゴロゴロしていて消化も悪いよう です。
今日も今日とて朝のうちに娘からリクエストがありました。 −ママ、今日はすき焼きが食べたい♪− (彼女はすき焼き大好きです。)
長いことしてなかったので 「じゃぁ今夜はすき焼きしようね☆」 そう言ってお昼から買い物に出かけました。
実はすき焼きって嫌いなんです、私。 だから買い物に行ってもいつも悩みます。 “何を入れるんだったっけ”と迷ってしまうから。
今日も迷った挙句オーソドックスな材料を選びました。
嫌いでも、食べると美味しいのだけれど後が大変です。
胃がもたれています。 全然消化していないんだもの。
今胃薬を飲みました。(笑)
「節分」 昨日は節分、豆まきはされましたか? 海苔業界の陰謀かも・・・と言われている 「巻き寿司の丸かぶり」は食されましたか?
我が家では2〜3日前に体調を壊した娘もすっかり 元気になったので、先日、3日には巻き寿司を作るからね と言うと「その日は晩ご飯いらへんねん」という返事。 「だったら2日に作ろうか?食べれる?」と 聞いたら「うん♪」と。 と言うことで一日早く作りました。
でも、海苔巻きよりも手巻き寿司のほうが喜ぶだろうと思い 用意することに。 <海老、いくら、カニ、イカ、卵、ほうれん草、きゅうり> これらを段取りして、あとは茶碗蒸し。
元気になって食欲が出てくればもう安心。
写真を撮るのをすっかり忘れていました。 今回は写真なしですm(__)m。(2/3書く)
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ 「記念日」 きょう2/4は結婚記念日。 もう随分昔のことなので忘れかけているけれど、 ちょっとだけ思い出してみようかしら。
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その日私はとても不機嫌だった。 気に入らないことがあり式の間中何もかもに腹を立てていた。
気に入らないこと、それは・・・。 式が終わったら少しだけ式場で休憩したあと新幹線に乗って蔵王へ スキーに行く予定だった。 なのに、なのに・・・。 一旦花嫁姿のまま新しく住むことになる義父母同居の自宅に帰る ことになったからだ。 私には分かっていた。 言い出したのは義父母。 理由は近所の人たちに見せたいから。
“えぇかっこしぃ”の義父母ならではの発想だった。 初々しいはずの私はそのイメージを壊す事ができないまま、まるで 見せ物のように好奇の目にさらされる事を承知させられ、夫やその 両親の言いなりにならざるを得ない自分、反発できない自分に、 そして何もかもに腹立ちを感じていたのだった。
日本髪のかつらが重くて腹を立て、来賓の長いスピーチに苛立ち、 決まりごとのように歌わされる「瀬戸の花嫁」、そしてそれを歌って いる間中、苛立ちを隠す為に作り笑顔でいなければならない状況、 盛り上がれば盛り上がるほどに下がって行く私のテンション。
おまけに式が始まる前に 会場の衣装係の人に“婚約指輪をはずしてください”といわれ母に 預けたのだが、母は式が終わったら父と一緒に宮崎に帰るので、 会うことができないといけないと思いその後仲人さんに渡したそうで、 その指輪が姿を消してしまったのだ。
仲人さんは預かっていないと言うし母は預けたと言う。 21歳の私にはおよそ不釣合いな指輪だっただけにショックを隠し切 れず、又誰を責める訳にも行かず、そのため朝からの苛立ちは限界 に達していたのだった。
極めつけはそんな私を感じて不機嫌になっていく夫。 “あ〜〜〜この先どうなるんだろう、こんなんで結婚してうまくいくの だろうか?スタートラインで食い違うなんて・・・。” と式場から自宅へ向かう車の中で思ったものだった。
私の記憶はいったんそこで途切れてしまっている。
どんな様子で新しい家やご近所は私を迎えたのか、衣装の着替えは どうだったのか、全く記憶から消し去られてしまっている。
次に思い出されるシーンは新大阪駅のホームだ。 大勢の友人達に囲まれまるで壮行会みたいな雰囲気で見送られる ところから始まっている。
当時は現在のように二次会をすることもなくそのため殆どの友人が 見送りに来ていたように覚えている。 朝から続いていた苛立ちはその時も変わらず、もしかしたらそれ以上 にささくれ立っていた。指輪がなくなったことが火をつけてしまっていた のだ。友人達は何故私が泣いているのか恐らく分かっていなかった だろう。感激のあまりの涙くらいにしか感じていなかったはず。
やがて発車のベル、窓の外ではお定まりの“バンザ〜イ”が叫ばれ、 色々な事からようやく開放された安堵感と共に胸のしこりが一つに 集中し始めたのは言うまでも無い。
走り出した電車のシートにうずくまって仏頂面でいる私を気遣うことも 無く同じように不機嫌にしている夫。 二人無言のまま一時間ほどたった時、車内アナウンスで突然に私の 名前が呼ばれた。 車掌室まで行くと 「お電話が入っております」との事。母からだった。 「みどりちゃん!指輪あったよ!仲人さんが風呂敷に包んでいたのを 忘れていたんだって。みどりちゃんが心配しているだろうから、すぐに 知らせたくて電話した。安心しなさい。気をつけていておいで〜」 優しい優しい母の声だった。
私の憂鬱を心配して知らせてきてくれた母の優しさに気持ちが高ぶって しまい 「うんうん!ありがとう」しかいえなかった私だった。
座席に戻ると夫にそのことを報告して、ほっと胸をなでおろしたその辺り から、一気に睡魔が押し寄せてきた。 気が付くと窓の外は暗くなっている。車内はザワザワとし始めて東京が 近いことを知らせていた。
東京駅に着いたときには私の憂鬱はどこかに飛んで行ったかのように すっきりとしていた。 蔵王行きの電車の時間までは4時間ほどあったので銀座に出てブラブラ したり、食事もどこかでしたのだろうが、それは全く記憶に無い。 ただ上野の駅前でアイスクリームを食べたことだけはしっかり覚えている のだが・・・。
時間つぶしをしてようやく夜行の電車に乗ったが、緊張と苛立ちと気疲れ で疲労困憊の私たちは、グリーン車のシートを倒すと死んだように眠りに 入った。
かくて記念すべきドタバタの一日は幕を閉じたのだった。
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