うさぎのつぶやき

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2005年02月28日(月) ◆アカデミーショウ&神戸

娘が年休を取ったとかで、今日は朝から家にいた。

(多分)アカデミーショウの授賞式をライブで見たかった為と思わる・・・。
毎年欠かさず見ている彼女は、昨年も一昨年もその前の年もビデオの録画を私に頼んで
出て行っていたのだがま、彼女の名誉のために言うと、たまたま年休をとってもいい時期と
重なったのかも知れないな。
ということで、9時〜14時まで録画もしながら見ていたようだ。

見終わったら二人で神戸まで行く予定をしていたので14時30分ごろ家を出る。
久し振りの神戸。
まず高架下のお店に立ち寄る。
以前に買った、ビーズで作られた小銭入れ、ビーズが取れてきたので新しいものを買いたくて・・・。

「長い事使ってくれて」とお店の方に感謝される。
「くまさん」の顔をしたお財布だったのだが、今回は動物の気に入ったのがなかったので
電車の形に変えてみた。結構気に入ってしまう。
でも多分・・・・すぐには使わないだろうなぁ。


「くまさん」がもっとボロボロにならないと・・・・。




そのあと三宮駅前のデパートに行く。
「○℃」のネックレスのチェーンが切れたので、修理の依頼。
デパ地下で色々見て回り、買い物をして食事をしに、予約していたお店に行く。
会席料理。
今回は余りにも美味しくて写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。
前菜から始まり、スッポンのお清汁、お造り、雲丹とろろ、蕪蒸し、アン肝バター焼き、鰤南蛮、
豚角煮の胡麻酢味噌、鯛雑炊、仕上げにフルーツ(Gフルーツ、ベビーキィウィ、苺、)
スッポンにしてもアン肝にしても、豚の角煮にしても、いずれも私はとっても苦手なものばかり。
でも私が苦手なのを知っているから、食べられるように分からないように工夫をして出してくれる。
全て美味しくいただくことができて、至福のときを過ごしてしまった。

お店の名前と場所はひ・み・つ!


2005年02月25日(金) ◆星の影響

風邪が流行っているらしい。
大阪でもインフルエンザの話をよく聞く。
お陰で今のところ娘ともどもその兆候もなく、外出から帰ってきたら必ず手洗いと、
うがいをするようにはしている。
ところで、そのインフルエンザだけど・・・。
ちょっとしたことで語源を調べてみたんだけど、

≪インフルエンザの語源は、「星の影響」を意味するイタリア「influence」である。
昔のイタリアでは、この病気の原因が解らず、占星術師などにより惑星の並びによるものと
考えられていたことによる≫ 語源由来辞典より

という事だそうである。
インフルエンザの語源は「星の影響」なんだって♪

嫌なイメージのインフルエンザだけど、なんだかねロマンティックじゃぁありませんか!
     ********
皆さんは大丈夫ですか〜?


2005年02月24日(木) ◆ほりえもん

私には株のことは分からない。
そういう事に全く縁のない生活をしているから。

でも一連の騒動はちょっと気になるところだ。
「ほりえもん」の言ってる事はとてもよく分かるし、正当なことを言っているような気がする。
なのによってたかって袋叩きの格好で、そこまでやるか〜!的な対抗策を打ち出してきた
ニッポン放送とフジテレビは一体なんなんだろう。

逆に言うと、そうでもしなければ太刀打ちできない脅威を感じたからではなかろうか・・・?
対抗するには、それしか方法がなかったということか?

だとしたら「ほりえもん」あなたは凄い!!
日枝会長の言葉を借りて言うならば
「先達が営々と築いてきた歴史やキャリアがある」ニッポン放送やフジサンケイグループに
新しいベンチャー企業の先達が風穴を開けたのだから。

いくら力があるといったって、経済界では若手の「ほりえもん」。
先の近鉄買収の時もそうだったけれども、全く相手にされないまま今回の騒動。
土俵に上がらせてもらえないのは同じのようだ。

きっと彼はこれほど続けて屈辱を味わった事などこれまで一度もなかったに違いない。
彼の度量が発揮されるのはこれから。
面白がってるつもりはないけれど、暫くは注目してみよう。

livedoorのホームページに「社長日記」と言うブログがある。
興味ある方は、どうぞ。
http://blog.livedoor.jp/takapon_jp/


2005年02月23日(水) ◆バラ寿司

今日は春一番が吹いたそうだ。

立春から春分の日までの間に吹く、その年初めての南風だとか。
朝起きた時から何となく暖かくて、ここ暫くの寒さを忘れてしまいそうな感じだった。

と言うわけで(どんな訳だろ?)バラ寿司を食べたくなってしまった。

急に思い立ったのだけれど、材料は結構揃っていたので、
お昼から段取りを始めて出来上がったのがこれ。
他に「鮪のお造り」「お吸い物」(菜の花、生麩、柚一片)「林檎とツナのマヨネーズサラダ」
ご飯がとても美味しく炊けて、久々のバラ寿司だったけれども我ながらうまくできたと思う。
(お隣さんにも少し持って行きました。)


2005年02月21日(月) ◆『加川良』

昨日久し振りにライブにいって来た。

『加川良』
ご存知の方もいるだろうけれど、若い方にはなじみのないアーティストだろうな。
彼のライブはいつも、大きなステージではなく町の片隅でやっているような
小さなライブハウス。
これまで何度チケットが取れなくて悔しい思いをしただろうか・・・。
最近ではもう、最初っから良さんのライブにはいけないものとあきらめている私だった。

ところがである、時々お邪魔している、ライブハウス。
そのホームページのスケジュール表にひょっこり良さんのライブを見つけたから驚き!!。
速攻で「席があれば2枚欲しいんだけれど・・・」とオーナーにMailをしたら
返ってきた返事が
「承知!」だったのだ。

なんでもそのスケジュール表に告知をしてすぐにソルドアウトになったらしく
たくさんの人が涙をのんだとか。今回に限り私はとてもラッキーだったという事になる。

娘と二人でいくことにした。

憧れの良さんに会える、もうそれだけで、胸がいっぱいになってしまった私。
前の晩は、普段はほったらかし放題のお肌のお手入れまで(パックまでした・・・)。

美容院に出かけた娘と梅田で待ち合わせる事にして、私はゆっくり用意をし娘からの電話を待つ事に。
「2時ごろでどう?」と電話が入ったので、念入りにお化粧をして約束の場所へ出かけた。
阪急デパートで遅めのお昼を食べた後、ブラブラしていざヒポポタマス(ライブハウス)へ。

多分普段だと15〜6人位入れるような広さのお店に50人くらい来ていたかなぁ、
とにかく私と同年代らしき人々がひしめき合ってライブを楽しんだ。
それぞれ本やCDケースなどにサインをしてもらっていたけれども、この時になって
「あ〜昔のレコードを持って来れば良かった、そこにサインしてもらえばよかった」と後悔したが
後の祭り。

最近の歌から昔の歌まで、楽しいMCを交えながら時間が過ぎていった。

ライブが終わってから入り口で、サインをしている良さんに「写真撮ってもいいですか」と
恐る恐る聞いてみた。

にっこり微笑んだ良さんは「じゃあ表にでようか・・・」と。
この時改めてカメラ付きの携帯に買い替えてよかった!と思う。
暗がりではあったけれどもフラッシュライトをつけて撮らせてもらった。
一人の良さん、私とのツーショット、娘とのツーショット、計3枚。
おまけにずいぶん長く色々お話させてもらった。
「私ね、良さんがこうやってずっと活動してくれているのがとても嬉しい。でもあんまり良さんのこと大勢の人に人に知って欲しくないんですよ。
だってね、“私ねとっても良い『歌うたい』を知っているんだ〜♪
『加川良』っていうんだけどね”とこっそり耳打ちして自慢したいの」
と勝手なことを言うと
「困ったお人やなぁ〜」と、とろけるような笑顔で答えてくださった。
「もうずっとずっと良さんに会いたくて・・・。やっと念願かなって今日これました。」
「昔むかし、京都の野音で見て以来だからン十年ぶりです。」
などなど、他にも色んな話をして握手をして、後ろ髪を引かれる思いでお別れして帰路についた私。




昨晩は珍しくなかなか寝付かれなかった私だった。


2005年02月19日(土) ◆ライブ

今から、出かけてきます。

朝から美容院に出かけた娘と待ち合わせをして梅田で軽い食事をした後、
あるライブハウスに行ってきます。

詳しくは又、今夜か明日にでもお知らせします。


2005年02月15日(火) ◆学校

いつから学校が危なくなったんだろう・・・?
昨日またもや悲惨な事件が起こってしまった。しかも又大阪だ。

学校というところはとても楽しいものだった。まるでおもちゃ箱のようだった。

そもそもとても神聖なところだったし、その中で先生は聖職者、子供達は天使だった。
地域に密着していたし、周りの大人たちは教師に対して敬いも忘れていなかった。
国は子供達の事をもっともっと真剣に考えていた。
周りの全てが、未来を背負った子供達の為に取り組んでいた。

余りにも真剣に取り組みすぎて組んでいたスクラムがパンパンになりすぎたのかもしれない。
風船もゆとりを持って膨らますと割れないけれども、
余り膨らましすぎると、ちょっとつついただけで割れてしまう。

どこかに綻びが生じたのかもしれない。

今、昔を思い出してみると楽しかった事ばかりが思い出されてくる。

幼稚園に入る前、私は学校が大好きだった。
近所の小学校へ一人で遊びに行き教室に入っていって授業を聞いていた。
暫くすると先生から「大きくなってからいらっしゃい」と追い出されていつも泣きながら
家に帰っていった。
母はそんな私をいつも笑っていた。

幼稚園に入って暫くの頃。
向かいに幼稚園に行ってない同じ年のH子ちゃんがいた。
「幼稚園って楽しいよ」そう言ってある日連れて行ったことがある。

当時私は市バスで通園していたがそんな子が大勢いたので、運転手のおじさんは、
子供達は皆、胸から定期をぶら下げていた為に、たいした確認をしていなかったのだろう。
H子ちゃんは料金を払うことなく、難なくバスに乗り、降りる事ができたと思う。
幼稚園では飛び入りのH子ちゃんを受け入れてくれ一日園児として過ごさせてくれたそうだ。
帰りもまた同じように一緒にバスに乗り一緒に降りた訳だが帰ってみると大変な騒ぎになっていた。
警察まで来ていた。

そう、
いなくなったH子ちゃんは誘拐されたのではないかと大人たちは大騒ぎしていたのである。
まさか私が連れて行ったとは思わなかったのだ。
当時は家に電話などなく、幼稚園側も自宅に確認ができなかったし、まさか黙って連れて来ている
とは思わなかったようだ。
「どうしてそんなことしたの?」と聞かれた私は
「幼稚園にいってないH子ちゃんがかわいそうやったから」と答えた。
そんな私を大人達は叱る事もなく笑ってその場は解散となった。

小学校に入学してからは下校時間が来るまで校庭で遊んでいた。
そして帰宅すると、通っていた小学校は家から少し離れていたので、
小さい頃よく忍び込んだ近所の小学校の校庭で夕方近くまで鉄棒をしていた。
大概の時間になるといつも仕事から帰ってきた父が、迎えに来てくれた。
掌にはいつもまめができ、できては破れ、赤チンを塗っては又鉄棒を・・・の繰り返しだった。

子供のころのことを思い出すときいつも幼稚園や小学校が浮かび上がる。
数え切れないほどたくさんのエピソードがある。
屈託のない毎日を送れたのはそこに学校があったからだと今更ながら思うことである。

今の子供達にそういう毎日を送らせてあげたいと切に思うこのごろだ。


2005年02月14日(月) ◆今日のメニュー

久し振りにご紹介する事にします。

 * 鶏の治部煮
    1.鶏肉を熱したフライパンで軽く焦げ目が
     つく位手早く炒める。
    2.表面がきつね色になったら、フライパンごと
     水道の蛇口の下にもって行き一気に水道水で
     洗い流す。
    3.水気を切ってそのまま酒,砂糖,濃い口醤油を
     いれて焚いていく。
    4.煮上がってきたら、煮汁をよく絡ませて照り
     が出てきたら出来上がり。
    調味料の分量はそれぞれのお好みで。
    目安としては少し濃い目の方がおいしいかも。
    お弁当のおかずにも合うし、とにかく美味しい
    ですよ。 
 * 蕗と長芋の焚き合わせ
 * 小鰯の佃煮

後は先日母から送ってきた
「大根のはりはり(おつけもの)」「らっきょ」が食卓に並びました。


2005年02月11日(金) ◆キムチ

ご近所の?さん(名前は知らない…)

どういうわけかとてもよくしてくださるのだが…。
好むと好まざるに関わらず、色んなものを持ってきて下さる。

それも必ず
「何回も来たり電話をかけているのに留守やった」
「○○があるんやけどいる?食べる?」と先に聞いてくださるんだけど。
何度も足を運んで、あげようと思っているものを「いらない」なんて言えないのよね〜。
「頂いてもいいんですか?」と言うと「あんたにあげようと思って…」といわれるのだ。

それは食パンだったりグレープフルーツだったり、アイスだったり、うす揚げだったり、さまざま。
で、その中にキムチがある。
自分で作られるのだけれども、私は(娘も)お気に入りのお店があり、そこのキムチしか食べない。

もともと食べれなかったんだけれどもそのお店のキムチを食べたら、以外にも美味しくて食べる事が
できたので、以来そこのだったら食べるし、
「キムチが好き」という人には買って来て上げたりしている。
だからそれ以外のものを食する気持ちになれなくて、それでも断りきれなくて困っている。

今日も今日とて、電話がかかり
「キムチ作ったんだけど、あんたにあげようと思い家に行ったけど鍵がかかっていて…。いる?」
そう言われるので、思わず「いります」と言ってしまった。
しけったおせんべいと一緒に袋に入れて持ってきて下さったキムチは、肩身の狭い思いをして
冷蔵庫の隅っこで何を思っているだろう?


2005年02月10日(木) ◆500円玉

最近話題になっている、500円玉今日改めてみていたら凄い事に気づいた。



写真のように、目線とやや平行気味に置いてみると『500』の『0』の中に、
縦に「500」の数字が浮かび上がるのだ。

新聞やTVで『0』の中に数字がある事は聞いていたし、“平成13年度”の硬貨に注意をして下さい
とは言っていたが、たまたま13年度のものが手元になかったので、
“ふ〜ん”という受け止め方しかしていなかった。

昨日コンビニで買い物をしてお釣をもらった時に500円玉が入っていたので、帰ってから見てみると、
13年度だったので調べてみた。
垂直の目線で見るとただザラザラした感じで、『0』の中には何も書いてないので
“あッもしかしたら…”と急に心が騒いだ。

偽造コインだったらどうしよう、
警察に届けなあかんのかなぁ、だったらその引き換えに500円くれるのかしらん?
いや、そんなことはないだろーな。
だったらこのまま知らん顔して使おうか…。
それとも記念に持っておこうか…?

と色々バカな事を考えていたのだが…。
そうやって考えながらシニアグラス(老眼鏡)をかけてあちこち眺めて平行気味に
目線を持っていった時ふっと『0』の中に何か見えるような気がした。

“お〜ッ”思わず叫んでしまった。なんと!
はっきりくっきりと『0』の中に「500」の数字が!!
“こりゃあ凄い!”とまたもや叫んでしまった。
日本の技術って凄いなあ!今更ながら驚いてしまった。
元に戻してみると何にも見えずザラザラしているだけ。
こんな秘密が隠されているんだ、と何度も何度も見てしまった。

   ++++++
皆さんも一度調べてみては如何ですか?
それからもし偽造の場合は警察に届けると交換してくれるのかどうか知っている人
是非、どうなのか教えてください。
今後の為に知りたいなぁ〜(笑)


2005年02月09日(水) ◆Sさん

ご近所のおじいさん、Sさん85歳、

昨年、長年連れ添った奥様を亡くされて、一人暮らし。
すぐ近所に息子さん家族も、娘さん家族もいらっしゃって、お孫さんも殆ど毎日のように顔を見せに行かれている様子。

奥様を亡くされた後大病をされ、暫くは介護を受けていらっしゃったけれども最近はずいぶんお元気になられて介護ヘルパーさんの姿を見ることは余りない。

今日表で久し振りに植木の手入れをしていたら声を掛けてくださった方がある。Sさんだ。

S「きょうは暖こうてよろしいなぁ〜」

私「あらッSさん、こんにちわ。お買い物でしたか?」

S「うん、こないだから寒かったさかい、家の中ばっかりやったんで、
 ちょっと商店街まで買い物に行ってきましてん」

私「そうですね〜、じっとしてばっかりやったらあかんもんね」

S「もう年をとったらあかんわ!思うように体が動けへん!!」

私「幾つにならはったん?」

S「85や、せやけどあんたとこのおじいさん92やったもんなあ〜。
 それを思うたらまだひよこや・・・」

私「そうですね。おじいさん亡くなったンは92才でした」

S「気持ちはあるけど体が思うように動けしませんわ」

私「でも顔色もいいし、見た目はお元気そうですよ!」

S「手術の後がどうしても重たいねん。これさえなかったら・・・。
 1時間でも散歩でけるのに」

私「もう少し辛抱したら暖かくなるから、その頃には元気になり
 ますよ!もうちょっとの我慢やね。」

S「そやなぁ・・・。」

私「それまではゆっくりね。」

S「そうや、ゆっくりやな!」

私「今日は何を買ってきはったん?」

S「今晩のおかずにバッテラを買(こ)うてきましてん。
 今から風呂を洗って、夕方にこれ食べたら風呂入って後は
 もう寝るだけや。なんかイライラして夜中に大きな声で歌を
 歌うたりしますねん。
 おばあさんおらんようになってからなんか突然にそんなこと
 するようになりましたわ。」

私「いいのいいの、歌いたかったら歌ったらよろしッ。それで
 すっきりしますやろ?」

S「そやなぁ、それでぐっすり眠れますわ」

私「今度聞かせてもらおッ(笑)」

S「ははは〜、ほな、帰りまっさ〜」

私「お大事に・・・」

+++++++

他愛ない道端での会話。
こんな時、田舎の両親のことを思い出す。
父も母も、誰かとこうやって話をしているのだろうなあ・・・。
あなたの両親はお元気ですか?


2005年02月07日(月) ◆お見舞い

ずっと以前にお世話になった方が入院されているという事で、お見舞い
に行ってきた。

父と同じお年の方だけど、あちこちに爆弾を抱えていらっしゃって年に
2〜3回入院を余儀なくされている。
先日共通の知人の方から、入院されている事を聞いたのだが、いつも
本人さんから“病院に入った・・・”とお知らせがあるのに今回はなかった
ので、その方と一緒に訪ねたら驚かれていた。

奥様をなくされて息子さん夫婦とご一緒に生活されてはいるものの、
あまりお世話してもらえないようで、これまで何度病院にお伺いしても
ご家族とお会いした事がなく、いつも一人でベッドに横になっておられ
る。
口にこそ出されないが、きっと寂しく思っていらっしゃる事だろう。

そんな事もあってか、身の回りの世話をしてほしくて私に電話をかけて
こられるのだけれども、他人の私がして上げられることは限られている。
時々、華やかだった頃のことを思い出されるのだろうか、遠い目をして
窓の外を見ている様子をみるとなんとも言い難い思いがしてくる。

年をとるという事、病気になるという事、
誰もが経験することだけれども、自分がそういう立場になってみないと
寂しさや人恋しさ、体の痛み心の痛みはなかなか理解できない。

   ++++++
あなたの周りに寂しそうな人はいませんか?
声をかけてもらいたいと待っている人はいませんか?

“今日は寒いね”“お天気がいいですね”
“顔色がいいですね〜”

一言でいいから声を掛けてみませんか?


2005年02月04日(金) ◆作業終了

更新作業が終わった。
大幅リニュとか何とか言ってごまかしていたけれど
本当は・・・
でもまぁこうやって作業も終えた事だし良しとしよう。

(待っていて下さった方ごめんなさい。毎日来て下さった方、有難うございます。これからも、
あんまり賑やかにせずひっそり細々とやって行きますので、どうぞ見捨てないで下さいね。)

ところで、そういえばン十年前の今日の今頃(18:00)、私はつい数時間前に夫となった人と、
東京の上野で蔵王行きの列車に乗るための時間待ちをしていたっけ・・・。

雪道用の靴など持って行かなかったので、銀座で長靴を買ってもらい
その後上野に行きアイスクリームを食べた記憶がある。
(とてもおいしかったので、そのことだけは覚えている)
遠い遠い昔の一コマを思い出してしまった。


2005年02月01日(火) ◆ブログ

ブログをやめました。
なんか使いこなせなくて、
おまけに人気があるのかして混みあってることが多くて
読み込みに時間がかかるのよねェ〜。


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