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こちらでは、龍先生から届く便りを掲載致しております。

2007年06月23日(土) 気持ち・心しだい

『心暗きときは、すなわち遇(あ)う所ことごとく禍なり。眼(まなこ)明らかなれば、道にふれてみな宝なり。』

突然の言葉に、「何だろう?」と思われた方も少なくないかと思います。上記のお言葉は空海(弘法大師)の言葉となります。
とても有名な方であり、また歴史の授業でも必ずと言ってよいほど出て参りますので、名前をご存知の方も多いかと思いますが、日本で仏教を広める事に尽力された、真言宗の開祖のお坊様となります。

さて、上記の言葉の真意をお伝えさせて頂くと、
『心が暗くなっている時には、見るもの聞くもの、貴方が遭遇する物事は暗く・不幸に見えてしまいます。しかし、眼の奥、心が明るければ、道端にあるもの、そして人生という道における些細な事でも、宝のように見える事でしょう。」という意味となります。

人間誰しも、気分の良い時は小さな事に気を止めず、心にも余裕とゆとりを持って、大らかに臨む事が出来ます。反対に気分が沈んでいる時には、いつもは気にしない事で心がとらわれ気持ちが上下し、「どうして自分だけこんなにも辛いんだろう」と、物事を悪く捉えがちになってしまいます。

皆様からのメールでも、「私の気持ち・心しだいですよね」というお言葉を頂きますが、結局、幸・不幸を感じるのは、全て貴方の心しだいであり、同じ物事でも気持ちのあり方によって、幸せにも不幸せにも感じるものとなります。

えてして気持ちの緩み、執着や欲によって心が暗くなってしまう流れがございますが、周りに左右される事無く、いつでも反省と感謝の気持ちを忘れずに・・・。
心を明るく、明らかに保つ事によって、皆様が毎日の中で触れる多くの物事が、キラキラと輝いて見えるような幸せな流れに繋がれば幸いに思います。

追伸
余談ではございますが、「弘法にも筆の誤り」や、「弘法筆を選ばず」などのことわざがございますが、空海(弘法大師)に関連した言葉となります。
「三筆」という、優れた三人の書道家のうちの一人でもあった空海にも筆の誤り・・・という面から、前者のことわざは誰にでも間違いはあるものという意味を表し、後者は文字を書くのが上手な人は、筆の良し悪しを問わないという意味として使われております。


2007年06月17日(日) 父の日

つい一ヶ月程、「母の日」という内容で便りをお送りさせて頂きましたが、6月第3日曜日の今日は父の日ですね。母の日と同じように、お父様に対する感謝の気持ちを表す日となりますが、皆様におきましては何かご用意されている事がございますでしょうか。

さて、その由来についてお話させて頂くと・・・。

その昔、アメリカのワシントン州に、ジョン・ブルース・ドットさんという女性がいらっしゃり、彼女のお父さんはスマートさんという軍人の方でした。

ドットさんがまだ幼い頃、アメリカでは南北戦争が始まってしまいました。軍人であるスマートさんは戦争に召集され、その間、ドットさんを含む6人の子供はお母様が一人で育て、一家を支える事になりました。しかし、その為に体を壊してしまい、戦争が終わってスマートさんが戻ってこられた後、お母様はすぐに亡くなられてしまったのです。

そこから、父であるスマートさんの苦闘が始まりました。戦争後の大変な時代でありながら、男手一つで子供達を育て上げた事は、とても苦労が多かったと思われますが、子供達がみんな成人された後に、スマートさんも亡くなられてしまいました。

その当時、すでに始まっていた「母の日」をドットさんは知り、「母の日があるのに、父の日が無いなんて・・・」と思い、父の日を作って欲しいと牧師教会へ懇願。父・スマートさんの誕生日がある6月に、父の日の礼拝をしてもらった事がキッカケで始まった、という事が言われています。

そして、母の日にカーネーションの花を贈る事はとても有名ですが、ドットさんがお父様の好きな白いバラをお墓に供えた事からも、父の日にはバラの花を贈ると言われています。今はお酒やおつまみ、お菓子や衣類など、本当に沢山の種類の贈り物がございますね。

母の日と比べてしまうと、少し影をひそめてしまう部分もございますが、日頃の「ありがとう」の想いを伝えられれば、お父様もきっと喜んで下さる事でしょう。
母の日と同様、お父様に対しても・・・。皆様におきましては、いつまでもご両親に対する感謝の気持ちを忘れずに、お過ごし頂ければ幸いです。


2007年06月10日(日) 月や海の満ち引き

突然ではございますが、皆さんは、日蓮(にちれん)というお坊様をご存知でしょうか。歴史の教科書にも出てくる有名なお坊様ですので、知っている方も多いかと思います。今日は、そのお坊様の言葉をお伝えさせて頂きたいと思います。


『月は欠けて満ち、潮は干いて満つこと疑いなし。これも罰あり、かならず徳あるべし。なにしにか嘆かん。』


今回お伝えしたお言葉は、日蓮上人がある信者から頂いた手紙のお返事に書かれた言葉となります。ちなみに「上人(しょうにん)」とは、徳の高いお坊様の事を言います。

日蓮上人が50歳の時、時の鎌倉幕府は上人を逮捕して死罪の判決を言い渡しました。上人は処刑されかけますが、その時、刀が折れるという不思議な現象が起こり刑の執行は中止となりました。
処刑はまぬがれたものの、その結果今の新潟県の佐渡島に流される事になってしまいました。「島流し」と言えば、当時としてはとても重い刑でしたが、それでも生と死のわかれ目を歩まれた上人は、上記の言葉を信者の方に伝えたと言われています。

その意味は文字通り、月は欠けたり満ちたりするし、海も同じように、満潮の時もあれば干潮の時もある。そのように一定しないものである。
その中で、今回は罪を受けて流されてしまうけれど、悪い事があれば良い事もあるので、嘆んだり悲しんだりする事は何も無い・・・、という意味が込められた言葉となります。

人は誰しも、起こる物事に対して気持ちが不安定になったり、心が上下してしまいやすいものです。しかし、月も海も一定ではなく満ち干きがあるものだから、イタズラに一喜一憂してはならない、という意味も含まれております。

月が満ちている満月は綺麗ですが、欠けた三日月もまた美しく、夜空に映えるものです。人生においても良い時、悪い時。なかなか難しい面がございますが、どちらになってもその状況を楽しめる位、大らかな心の余裕とゆとりと持ちたいものですね。


2007年06月03日(日) とらわれを離れて・・・

今回の便りは、仏典の中にある、子供を無くしてしまった、一人のお母さんの話をお伝えさせて頂きたいと思います。


裕福な家の若い嫁であったキサーゴータミーは、そのひとり子の男の子が、幼くして死んだので気が狂い、冷たい体を抱いて町に出て、子供の病を治す者はいないかと尋ね回った。

この狂った彼女をどうすることもできず、町の人びとはただ哀れげに見送るだけであったが、仏様の信者がこれを見かねて、その女に祇園精舎の仏様のもとに行くようにすすめた。彼女は早速、子供を抱いて向かった。

仏様は静かにその様子を見て、「女よ、この子の病を治すには、芥子(けし)の実がいる。町に出て四・五粒もらってくるがよい。 しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない」と言われた。

彼女は町に出て芥子の実を求めた。芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家はどこにも求める事ができなかった。ついに求める芥子の実を得ることができず、仏のもとにもどった。
彼女は仏様の静かな姿に接し、初めて伝えてもらった言葉の意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい体を墓におき、仏様のもとに帰ってきて弟子となった・・・。


もし同じ立場になったなら、彼女の張り裂けそうな想いを誰もが感じる事でしょう。身近な人の死は言葉に替え難いものがございます。
しかしその事にとらわれてしまうのではなく、彼女と同じように自分の中で気付き、明らかにされる事によって、はじめて前に進んでいける状況がございます。

人の死だけに限らず、恋の終わり、離婚、信頼している人との別れや、職場や学校を離れなければならなかったり、自分の大切な物を手放さなければならない状況など、始まりがあれば必ず終わりがございます。
特に恋愛(復縁)でのご相談を多く頂きますが、過去にとらわれ縛られてしまうのではなく、新しい自分に生まれ変わる。今までとは別人のような貴方になる事によって、互いの関係や物事においても進展していく流れがございます。

その理を知り、少しでも皆様の気付きに繋がり、前に進まれる一歩を踏み出すキッカケとなれば嬉しく思います。



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