++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2010年05月19日(水) *キョウトイウヒ

末期の肺ガンで入院生活を続けていた伯母が
亡くなりました。夕方くらいだったらしいです。
初めは一週間もつかどうか・・と言われていた伯母ですが
それはもう頑張って頑張って精一杯戦い続けて
三ヶ月近く命を燃やしつづけました。

亡くなるその瞬間に側に居て見送ってやるということは
今の時代、思いのほか難しいようで 伯母もまた一人で
旅立ったようでした。

伯母の娘たち(わたしのいとこ)はそれがとても
やりきれなかったようで。

その気持ちは痛いほどわかります。
わたしもまた、夫に付き添っていながら
一瞬のうとうとしていた間に夫は旅立ってしまったので。

なんで声かけてくれなかったの?なんでしらせてくれなかったの?
勝手に一人で逝って・・・と怒りながら泣いて叫んで
その瞬間にいてやれなかった自分を責めたものでしたから。

歳をとっていくということは
いつの間にか こんにちは よりも さようならをいう回数が
増えていってしまっているような気がしています。

流れて動いている時間も想いとしての精神も実態としての身体も
いつのまにかこんなに早くなってしまってるのですね。


人は死んでも世界は残り動き続ける。
親世代がいた場所にわたしたちが座りわたしたちの場所だったところには
子供が座り・・・ずれては繰り返し紡がれる輪廻の輪の一部。



紡いでも紡いでも 
いつか別れの為のさよならだけが人生なのか

違う と言い切れる気力もなく
くらげみたいに

こんな夜には
無の中に溶けて消えてしまいたい。





2010年05月18日(火) *ヤダヤダヤダ

ここ数日 鼻のムズムズが酷くて
クシャミが止まらなくて涙目。

アレルギーの薬を飲んで暫くすると
少しずつ治まってはくるんだけど
薬が切れるとムズムズとクシャミ、
涙ボロボロでキツイったらない。

それでなくても暑くなってきて
熱っぽいダルさやら嗅覚異常やら耳鳴りやらも
相変わらずで 気持ちがささくれ立ってるところにコレ。

イライライライライラ

ここにきて わたしは辛抱できなくなってきたなぁ と。
とにかく何もかもに拒否反応。
愛想笑いも他人と接することも。全てがメンドクサイ。

それはもう半分ヒキコモリみたいなものだから今更にしても
とうとう親に対して笑顔と柔らかな物言いが上手にできなくなり
機嫌を損ねてしまった。

別に怒鳴ったとか暴言吐いたとかじゃなくて
単に気力のない無愛想な発言してしまったというだけなんだけど
親曰く、「ギャンギャン 高飛車な」言い方して・・・と。

この言葉はかなり堪えた。
体調良くないからって
そういうつもりないけどキツくてイライラしてるから
ぶっきらぼうに聞こえるかもしれないけど
そうじゃないから・・・って何度も言ってるのに
何でわかってくれないのかな・・。

今までも欝病に関しても昔の人ならではの偏見というか
いくら説明しても理解しがたいようで
でももうそれは仕方ないことだからと諦めてはいたけど。

親も高齢になってきて
わたしも歳をとってきて
今までほんの少しだけどできていたことも
どんどんできなくなっていってて。

キツイって人に弱音吐いたり、日記とかに書くのにも
気力っているんだな・・とか。
情けないけどそういうことすらダメになってる自分がいて。


ヤダヤダヤダ

もうなんか全てがどーでもいい とか
でも実際どーでもいいといくら言ってても
結局、捨てることも完全に放り出すこともできないで
いつだって中途半端な自分が

ぐちゃぐちゃに掻き毟りたいほどに

ヤダヤダヤダ。



2010年05月11日(火) *チラシノウラ

急に暑くなったりしたのでクーラーの掃除。
このクーラーも10年モノ・・・
1年でも長く頑張って欲しいと切に。

わたしは昔から暑いのがとにかく苦手。
冷房無いと夏越せない。

反対に寒いのには強い方なので冬には一切クーラーつけません。
マンションなので密閉度が高いのもあるかもだけど。
冬場のデパートとかバス、JRだとかの暖房は
空気を暖める?感じで息苦しくなってしまう。

だからこれから先の季節は考えるだけでグッタリ。
湿気が多くてジメジメ、蒸し暑いっていうのが何よりダメなので。

それでなくてもどうも体調が落ち着かなかったりで
気が滅入ってるところに
最近 また思い出したようにスパムメールが届きだしてウンザリ。

この手のモノは対策講じてもイタチゴッコでキリがない。
個人情報は今の時代、ネットしてたら ある意味ダダ漏れだと
考えてた方がいいと思ってるけどそれでも気分悪いのには変わりない。

スパムは大抵件名でわかる。
○○が当たりました!すぐに連絡を!というのや
登録した覚えがなければこちらから登録解除を・・と
URLに誘導というのもよくある手。

全部ひたすら削除なわけだけども
最近多いのが、500万円とか1000万円援助するから口座番号を!
みたいな件名のヤツ。
なんかもう溜息。こんなのに引っかかる人がいると本気で
思ってるのかな?
普通 どんなお金持ちだって見知らぬ他人にメールで
援助なんかしないってーの。

それと見てるだけでもイライラ気分悪くなるのは
オマエ呼ばわり俺様口調の出会い系メール。

こういうスパムメールって変に続きものっぽく作られてたりするから
余計に頭の悪さ加減が強調されるというか・・・
不愉快な一人語りを(件名に入れられてるから)否応ナシに
読ませられてイライラも倍増。


はぁ・・・・・・勘弁して欲しいわ・・・
削除する手間すら腹立たしい・・・。



自分の体調があまり良くなくなってる時って
髪の毛や肌が荒れてきたり睡眠がおかしくなったり
ジンマシンやキーンという耳鳴り、酷い肩こり、

ものすごく痛いとか苦しいとかも嫌だけど
じわりじわりとキツイのもなんとも辛い。


ぞわぞわするような不快感でキモチワルイ。

爆発する気力もなくて

曖昧に笑っている。


                     ゆうなぎ



2010年05月07日(金) *イヌコ

犬派か猫派かと聞かれたら迷いなく犬が好きと答える。

元々、実家では犬を飼っていたし、性質的にもしっくりくる。

子猫なんかをみたりすると普通に可愛いとは思うんだけど
今ひとつ感情移入できない。どちらかというと苦手かも。

亡夫の実家が猫を飼っていて、実は猫の毛アレルギーのわたしは
行くたびにクシャミと鼻水、止まらない涙と目の痒みに
悩まされていたのもその原因のひとつ。

元々猫は家の中で飼うものだから仕方ないとはいえ
結婚してから行くたびに諸症状が出ないことがないくらいだったのに
義母から毎回言われるのは「**さんは風邪を引きやすいみたいね」

ん〜そうきましたか〜というのが正直な感想だった。
婚家の家風というのが相手の立場に立って察する というよりも
言いたい事があればはっきり言わないとわからない 
というものだったので 
「いーえ!お義母さん、これは猫の毛のアレルギーなんですよ」
と はっきり言ったほうが良かったのかもしれない。
けど まだ初々しい内気な?若妻だったということを差し引いても
文字通り舐めるように猫かわいがりしている相手に
それが言えるはずもなく。

でも嫁でいる間は頑張ったんですよ。ワタクシ。

まぁ でもそれだけで何事もなく過ぎていたら
猫に対する苦手意識がトラウマにまでなることはなかったのかも
しれないけども。

やっぱりお通夜、お葬式、四十九日の一連の騒動がねぇ。
言いたいことをただ考えなしにいう のと 
場をわきまえてきちんと伝えたいことを話す と
いうのは違うと思うんだけど
そこが理解できない人たちだったことが
はからずもあの時、最悪のタイミングで露呈した。

嫌なことは嫌と感情をはっきり出すこととか
自分がしたいことして欲しいことをはっきりと伝えるとか
それは悪いことじゃないと思うし 形に囚われず生きることは
自分にできるかできないかは別としても
目からウロコって部分もあったのに。

でもそんな猫の生き方してきた人たちが急に化け猫になっちゃった。
拘らない執着しないといっていたモノに悪鬼の形相でしがみつき
罵詈雑言の数々。。その豹変にあっけにとられた。


ニンゲンなんだからそんなにひょいひょいといけるばかりでは
ないはずなのに、アノヒトたちは余裕のあるときには
いかにもそれがスマートな生き方のように涼しげに
ツンとすまして歩く。

彼らからすれば愚鈍にみえる犬の生き方を上から目線でみて
そうしながら でも思うような反応を相手に望めなかった時に
彼らの自由に誇り高かったはずの仮面はずり落ちる。

猫の何を考えてるかわからないところが怖い。
一転するあの恐怖 爪のスルドサ


わたしは猫ほど軽やかに自由に人生を泳いではいけない。
でも犬ほどにしっかりと迷いなくその道を踏みしめられない。


結局 わたしは イヌコ なんだ。

犬ほど穏やかに一途に一心に信じる心で駆け抜ける力もなく
猫のようにきままに自由にわが道を行く軽やかさもない

中途半端で 基本は イヌ で
ネコ のしっぽといつもは隠しているツメだけついている。

イヌの中の異端児
ネコの中の落ちこぼれ



ああ・・・この頃 ほんとに蒸し暑い。

薬を飲んでも眠れない夜には
氷枕のひんやりした感触に頭を乗せて

昏い夢のなかではイヌコになって
風を切ってどこまでもどこまでも 走っていく。


                         ゆうなぎ



2010年05月05日(水) *ハナニアラシ


 勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離
                    「歓酒」干武陵

この漢詩を訳したのが


 この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
                    
                井伏鱒二『厄除け詩集』より


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「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」


花に嵐のたとえもあるぞ というのが原文だけれども
わたしは個人的に 花に嵐のたとえもあるさ の方が好き。

そうして 寺山修司がこの詩に心動かされて作ったのが

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 さよならだけが人生ならば
 また来る春は何だろう

 はるかなはるかな地の果てに
 咲いている野の百合何だろう

 さよならだけが人生ならば
 めぐり会う日は何だろう

 やさしいやさしい夕焼と
 ふたりの愛は何だろう

 さよならだけが人生ならば
 建てた我が家はなんだろう

 さみしいさみしい平原に
 ともす灯りは何だろう

 さよならだけが 人生ならば
 人生なんか いりません。

            『幸福が遠すぎたら』寺山修司

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相反する返しうたのようだけど、
でも、メビウスの輪のように繋がっているようでもあり、

わたしはどちらの詩にも心揺すぶられて
自分の中の真実を見る。


ひとは皆、さよならという名の花を育て看取りながら

人生を歩いているのかもしれない。


                        ゆうなぎ

 



2010年05月03日(月) *シアワセノカタチ

旅行だレジャーだと世間様はGWの真っ最中だけど
我が家ではいつも通りの生活が刻まれていくだけ。

わたしは連休前にまとめて薬をクリニックに貰いに行ったり
長男の大学関係の提出書類に必要なものを役所に取りに行ったり
何でもそうだと思うけど新しく始まる最初には色々手続きが伴う。
ウチの場合はそれに奨学金関係や今度長男は18になるので
今までの一人親医療保険から外れたり、で金銭的に思った以上のものが
出て行く事になる。厳しい。

勿論、本人のアルバイトも視野に入れて考えているわけだけど
ある程度 自分自身が大学生活の流れを把握して慣れてからの方が
いいと思うので焦らず・・と伝えている。

真ん中はいよいよ高校受験の年齢でこちらも心配。

次男、三男と一時変わりばんこ というか
時には二人一緒に登校拒否になり胸が潰れそうな思いで
心配したり何とかできないかと右往左往したこともあった。

今はそれを乗り越えて それぞれの新しい学年、学校で
今の所頑張っているようだけど まだまだ気は緩められないと
思ってる。

三人子供がいれば 当たり前といえば当たり前なんだけどね。

誰かに大きな転機があったり、怪我をしたり、病気をしたり、
病院とは縁が切れたことがないし。


もうしらん、もういやだ、と夜の公園で泣いたこと今までに数え切れず。
結局は自分で涙を拭いて立ち上がり家へと帰っていくわけだけど。


それでも すっかり寝静まった夜中にふと目が覚めたとき
うっすらとした月明かりに照らされた子供たちの寝顔。

斜めになった布団から寝相の悪い手足があちこちから出てて、
ああ・・・次男はお腹が丸出しだし、
末っ子は転がった先の壁に引っ付いてる
兄ちゃんが難しそうな顔でブツブツ寝言。

ひとり、ひとり、
そっと布団をかけなおして寝顔をみていると
不思議な愛おしさがこみ上げてくる。


わたしは 決して親としては良くできているとは言いがたい。
元々そんな子供好きでもないし
学校行事も欝病を発症してからは特に自分の子供のことでも
楽しみよりもメンドクサイと思うような有様で。
今までもみっともない無気力姿を子供らにはいっぱい見せてきたと思う。

こんなんで・・・でも不思議に、
だったら子供がいなかったら良かったと思うわけじゃない。

反対でこんなふうに夜中に三人の寝顔をみていると
いてくれて 良かった。生まれてきてくれてよかった と思う。
そうしてそれは 誰か一人でも欠けていてはダメなんだ。

この ひとりひとりのわたしの生んだ三人の子供たち。
それぞれに見事に色も形も違う兄弟。


あいかわらず先の見えない人生
将来設計とかよりも今日をどうしていくかで
精一杯の日々。


例えば 知人の話やネットのブログを読んだりしていると
ああ・・・こんな風な人生というものもあるのだなぁと
羨ましくなったりすることも沢山で。
だって同じニンゲンの人生とは思えない別の御伽噺のお話を
聞いているようなんだもの。


なんでなんで と なんで病が酷くなって
どうしようもなくグッタリと打ちひしがれてしまう時、

それでも寝相の悪い子供らに布団を掛け直し
髪に、頬にそっと触れて寝顔を覗き込んでいると

わたしの中から愛おしさがあとからあとから溢れ出す。

この子達がわたしの元に生まれてきてくれて良かった と。
ひとりも欠けずにそれぞれがそれぞれとして。


わたしはこの先 再婚するつもりも、恋人と同居することも
ないだろうと思うのはこの子供たちのこともある。

たとえば
年老いた両親のことにしても子供たちの事にしても
居なければ自由で身軽ではあるだろうけど
多分 わたしはそういう自由さや身軽さには耐えられまい。
恋人もまた 今の家業の仕事と両親を置いてわたしの所に
来ることなど無理。

月並みではあるけれど もうすこし若い頃なら
選択肢ももっとあったと思う。

いつか迎えにいくよと彼はいってくれるが 万が一迎えにきてくれても
一緒にはいけないだろう。

だから わたしはこの場所で、彼はその場所で 
恋人同士として時間の許される限り、一緒に生きていきたい。

願い。
祈り。


今までに色々あったように
今からも色々なことが起こるんだろう。

そのたびにわたしはもみくちゃでフラフラに
なってしまうのかもしれないけれど。

ふとした瞬間に それでもまだ 
想い出せたり感じることができたらいい と思う。


子らの寝顔の愛おしさや
恋人の見つめてくれる瞳から溢れる慈しみに
心がほっこりと柔らかくなれたこの気持ちを。

そんなことを 考えたりしている 真夜中。


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                      ゆうなぎ


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