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この場所で出会うことのできた大切な人達(トモダチ)へ 拙い独り言に立ち止まって目を留めて読んで下さった方々へ
心からの感謝を。
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継続更新を・・・と考えてはいたのですが 日々慌しく、ゆっくりとPCの前に座ることもできない現状で。 7月26日現在 まだ更新手続きを行っていません。
ずっと書き続けてきた日記ですが この辺で少し 一休みしようかな・・・と思っています。
此処で書かなくなっても楽しみにしている エンピツのお友達日記は時間が許す限り、 読ませていただきに来たいし・・・
エンピツさんは思いいれのある大好きな場所なので また落ち着いたら 書き始めたい・・と思うけれど
一旦 さよなら です。
日記はおしまいだけど わたしの日常も人生も いつか海へ還る、その日まで 続いていきます。
最後に なかなか連絡できないでいるお友達へこの場を借りて・・・
ごめんね。もう少し待ってて貰えたら嬉しいです。
ありがとうございました。
また いつか 何処かで。
ゆうなぎ
祖母が天に召されました。
眠るように逝ったその顔は とても穏やかで綺麗で 声をかければ目を開いて笑ってくれそうで その触れた頬の冷たさがなければ。
沢山の花に飾られて 温かな想いに見送られて 祖母は旅立っていきました。
波乱に満ちた人生だったけど いつも凛としたひとでした。 天晴れな生き様でした。
わたしは
どこまでできるかわからないけれど
繋がるものとして せめて精一杯 背筋を伸ばし 顔をあげて わたしのこの人生を往こう と思います。
幼い頃
皮を剥いて芯をくりぬき 半分に切って貰った林檎を齧りながら
あの 家へ帰る坂道
繋いだ手の温もりを
忘れない
忘れないよ。
ありがとう
慈しんでくれた日々を
ありがとう
命を 生きることを 教えてくれて
ありがとう。
「籠の鳥」/ 歌 加藤登紀子
もう一人の母のような存在だった。
今 祖母の時間はその最期の時へ向かって ゆっくりと流れている。
彼女の意識は既にほとんど無い。 点滴からの水分と栄養が 命の灯火をかろうじて灯しつづけている。
人様からみれば 充分過ぎるほどの年月を祖母は生き抜いてきた。 大往生といえる年齢。
いつか誰もが往く道。 それが遅くとも早くとも。
それでも 心は散々に乱れる。 押し殺した悲鳴と血の涙を流し続ける。
もしかしたら、万が一にでも希望を持てるのなら どんなにいいだろうか。 願い祈ることに託せるなら それが奇跡という名でも。
ただ砂時計の砂が落ちていくのを 成す術も無く見ているしかできないのは 身を裂かれるように辛い。
夫の時もそうだった。
確実に迫り来る その瞬間 を 見届けるという役割の残酷さ。
またわたしは見送らなければならない。 逃げ出すことも目を逸らすこともできない。
いつかわたしも見送られる日が来るだろう。
その日まで 「生」と「死」の重みを噛み締めながら 生きて、
そうして
ちゃんと死んでいくことができるだろうか、わたしも。 産まれてきた時のように。
彼女の半生は波乱に満ちた苦労の絶えないものだった。 晩年こそ、娘である母夫婦と共に穏やかな日々であったけれど 孫であるわたしは結局、同じような道を歩いてしまった。 救いは 彼女がもう その出来事 を覚えていないこと。
旅立ちは穏やかで良い想い出だけに包まれたものであって欲しい。 当たり前のように居てくれた大切なひと。 いつか来る別れを覚悟しながらも いつまでも其処に居てくれるような気がしてた。
「籠の鳥」の歌は よく祖母が口ずさんでいて わたしもいつの間にか覚えた。
しっかりもので気が強い彼女の その時だけは不思議に頼りなく細い歌声が 今も 耳に残る。
おばあちゃん・・・・・・・。
ずっとずっと
大好きだよ。
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ゆうなぎ
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