2006年12月31日(日) |
2006年12月31日(日)二度ともう来ない日の終わりに。 |
いよいよこの一日で2006年という一年の区切りが終わる。
年々掃除は小規模になっていって とうとう今年は小掃除(汗) 仕事も忙しかったし 忙しくなるし・・って 誰にしてるのかイイワケを呟くあたし。
仏壇の掃除も終わり、子供と線香をあげて手を合わせる。 これだけはやっぱりね。 新しく買ってきたお酒供える。 今年の報告とありがとうを。 こんな時くらいしか仏壇の前に座っては話しかけない。 線香もめったにあげないくらい。
その代わりウチでは日常で亡きひとに向かって 話しかけたりする。そこにいるように話す。 これはあたしが始めたこと。 返答は無くてもお父ちゃんが其処にちゃんといるってことを 子供達に知って欲しくて。
それにあたしならカタチより心を選ぶと思ったから。 この方が寂しくないでしょ?お父ちゃん。
きちんとカタチを重んじることも大事なことだろう。 ゴメン。けどそれはもうちょっと待ってて。 見てるからわかってくれてるよね とキボウテキカンソク。
日が昇り、そうしてまた沈んでいくのには何の変わりもないけど それでもどこかで区切り線をひいて「お疲れ様」を 言い合うのはやっぱり必要なことだって思える。
もちろん、年末年始にも仕事って人もいる。 それでも それぞれの心の中で区切り線がひかれて 新しい2007年のページが開かれる。
2006年 過ぎてしまえば本当にあっという間だった気がしてる。 その時々で一日が長く感じた日もあったはずなのに不思議ね。 でもそれでいいのかもしれない。
今は全力疾走しながら時に転びながら 怪我して足を引きずりながらでも 前へ。 後ろを振り向いたらきっとそのまま進めなくなるから。
振り返って休むのは もう少し まだ オアズケ。
今日の日記の題名は実は去年の同日と同じです。 色々考えたんだけどやっぱりこれにしました。
毎日は 二度と来ない日 で。 そうしてそれを一番感じるのが この1年の最後の日のような気がしています。 だから。
この剥きだしのような(時にとてつもなく長くみにくい) 公開個人日記を読んでくださった 全ての方に心からの ありがとう を。。。
どうか良いお年を・・・
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える 「どんなことが起こるんだろう?」 想像してみるんだよ
「くるみ」Mr.Children より
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ゆうなぎ
2006年12月30日(土) |
こんな気持ちの年の瀬は初めてかもしれない。 |
こんな気持ちの年の瀬は初めてかもしれない。
あのひとが亡くなった年は何もかも無我夢中のままで。 それからは走り続けながらも年末年始は比較的ホッとできてた。 1年の終わりから新しい年の始まり という言葉その通りに感じられた。
多分 それは現実関係の他人との距離をおくことが出来て 自分で自分のことを決められる お金は不安定でもプレッシャーや対人関係の気苦労が最小限で済む SOHOの仕事のお陰だったと今にして思う。
元々 対人関係には気を遣いすぎるほど遣ってしまうあたしだ。 ネットで知り合ってリアルに会った友人達も勿論いる。 でもそんな友人達とはネットというまず心の中身を 開いて見せ合うことから始まっているから もう怯える必要がない。 全然気を遣わないっていえば嘘になるかもだけど 少なくとも仮面を外していられる。
会ったことのない友人たちもいるけど それは会う機会がまだ残念ながら無いだけ。 いつかきっと会いたいと思っているし 会える日がきてもドキドキ心臓バクバクはするだろうけど それは怯えや怖さじゃない。
そんなあたしってモノを知ってる人たちなら わかってもらえると思うけど 現実日常での持続した、人との関わりは今の自分には かなりシンドくて、だから今まで可能な限り避けてきた。
どんなに気を遣ってないつもりでも自覚がないままに スイッチが入る。 その人が押しの強いサバサバ系ならそれに合わせて。 優しげな穏やか系ならそれに合わせて。 その人とその形に無意識にあたしは形を変える。 合わせる ことがとても自然に行われる。 演技というには自然すぎる反射神経みたい。 気が付くのは一人になった時。トテモツカレテイル。
だけどあたしは今年も終わりになって今まで避けてきたことを 自ら選択した。決めた。
それは そうしたかった というよりも もっと現実的で打算的でせっぱつまって だから運命の岐路に走り抜けていくカミサマの後ろ髪を 迷った挙句 掴んだ。
今は疾走してるカミサマの後ろ髪握り締めて 振り落とされないようにしがみついてる。
それでも決意したくらいだから (というには大げさに思われるかもだけど) やってやろうじゃないかと楽観的にはなれないまでも 士気の高揚を感じたりもする。
ただ年末になるにしたがって高揚感よりも 不安感というか怖さが湧き上がってくる。 今までの仕事の延長上の分野の方に関してはまだいい。 新しい事務関係の分野に関して 自分は果たしてちゃんとできるのだろうか。 それも ・今までの自分個人のSOHOとしての仕事 ・新しく会社の一員として同分野での仕事 ・同じく慣れない(それも自信の無い)事務関係の仕事 この3つを同時にこなしていくことは あたしのポンコツ頭でも可能なのか。
いや その無茶は承知の上だったはずで よくよく自分に問いただしてみると 奥底のある感情に行き着く。
要するに自分のテリトリーに必要以上に踏み込まれたくないんだ。
今回の知人の方にはかなり色々なことも話している。 鬱病のことも今までの色々ないきさつも。 その上で仕事を一緒に・・と言ってくださったのだし 職場がとても近いこと、時間的にも日数的にも 融通をある程度 利かせて貰えるというのも これ以上ない有り難いこと。
定年もないし、ずっと一緒にやっていきたいので 無理をしすぎて途中で倒れるとかリタイアということだけ 無いように気をつけてくれれば 後は心配いらない、自信をもって。 との温かい言葉もいただいてる。 この歳でそこまで言って貰えるこんな仕事のチャンスは この先そうそう無いだろう。
仕事は現時点だけでも確かに忙しいし、これに加わるものを思えば ハードワーク(特に慣れるまでは)になることは覚悟してる。 心配はむしろ精神面で、仕事面でどうしても必要になってくる人との 関わり、でもこれも出来ないというよりもそれによって 積み重なっていく精神的極度の緊張をどう処理して折り合いをつけるか。 それも仕事時間内であれば 大丈夫だとは思ってる。 だてに10年近く打たれ慣れの人生歩いてきたわけじゃない。 その為の仮面だ。
そこでまたここに戻ってくる。 要するに自分のテリトリーに必要以上に踏み込まれたくないんだ。
知人の方はとても良い人だ。 エネルギッシュだが苦労もしてきただけに情にも厚い。 サバサバとして大胆なようで細やかな心遣いもちゃんと持ち合わせている。 今は幸せな家庭を築かれていてバックアップ体制のしっかりした中 仕事に邁進している。これもご本人が重ねてきた努力の結果だろう。 あたしとこの方の関係は仕事を離れたら知人というよりも 友人だろうと思う。
ただ それを承知でこれはあたしのまったくの身勝手だろうけれど 仕事を離れた部分であたしというニンゲンにこれ以上は 踏み込んで欲しくない。
厚意だとわかっている。有り難いと本当に思う。 けど 日々の生活の中での密接な関係は疲れる。
情に厚い人ほど 何とかして(鬱状態を治して)やろうと意気込んで それが(自分なら)できると思うようだ。 あたしは そういってくれる言葉は素直に聞いて ありがとう というけれど 実はそれがとても重い。
申し訳ないけど 視点が微妙にズレてる。
確かに苦労してきたヒトの言葉だから言いたいことはわかる。 けど経てきたものも出来事も同じではないので。
ましてや 今 安定した場所にいるヒトから (シアワセ、フツウ なんてモノこそ千差万別の価値観だけど 少なくともアタシにとってソレは彼女が今もっているものと重なる) そういうモノを手に入れることが叶わない (というと諦めに聞こえるだろうけど実際に人にはそれぞれ立場や 状況ってのがあって努力とかそういうことだけではどれだけ手を伸ばしても 手に入ることのないどうしようもないモノってのは確かにあるのだ) アタシにそれを言われても 穏やかに頷きながら聞きつつ 心の中で苦笑するしかないわけで。
できればその辺 そっとしておいて貰えると有り難いんだけどなぁ と。 出来る限り 日常現実身の回りにいる方々とは (気づかれないように) ある一定の距離を置いておくことができれば それが一番ラク。
ごめんなさい。ヒトというものに疲れているのです。
10年近く・・いやそれ以上か・・ 叩き込まれ刻み込まれてきたものは そう簡単には消えてくれないんですよ。
アナタには心の補充が与えられた。 でもアタシにはそれはないし (いや この先 絶対ないかっていうと絶対なんてもんは ないんですが 少なくともそれをアタシが手に入れるには ミラクル的な大どんでん返しが必要でしょう) この心の穴はずっとこのまま抱えていこうと決めてもいる。
すごい矛盾だけど パラレルワールドがあったら そこでは フツウのシアワセな(とジブンが思ってる)場所で 笑っていたいって切なる願い。祈り。
でもこの世界の中ではアタシはアタシの抱える穴を 塞ぎたくない。 いや塞ぎたいと思わないって言い切ると嘘になるけど。 穴を塞いじゃうっていっても結局 似たカタチの何かを そこにはめこむことになる気がするから。 ナンかそれがイヤで。 その上 開いた穴のカタチは複雑すぎて 塞ぐにはちょっと無理がありすぎだしね。
だから これでいいの って 負け惜しみ?意地っ張り? でもこの世界では今までの全部ひっくるめて これがアタシ。
やっとこの歳になって少しだけそれを認めることができた気がしてる。
傷の分、痛みの分、哀しみの分
少しでも温もりのカケラにくらい変換できてたらいいな。
こんな気持ちの年の瀬は初めてかもしれない。
不安と心細さと堪らないような寂しさと 何かに新しく挑むのに年を跨(また)ごすのは アタシの様な性格の方にはあんまりお勧めできません。はい。
なんてこの身体と心は頼りないんだろう。 泣きそうな気分のまま 泣けもせずに無情にも 今年も今日入れて後2日を切った。
仏壇の掃除、できる限りの小掃除、 そういえば お正月飾り、まだ買ってない(汗) 買い物も追加。
カタチが欲しいんじゃない ただ 誰かに今 此処に、側にいて欲しいと切実に思う。 一番側にいて欲しいひとは遠い地にいて 繋がっていても電話の声だけじゃ ゴメン。震えは止まらないよ。
あのね あたし 多分 ずっと欲しい言葉がある。
この冬が終わる頃には 凍った鳥達も溶けずに落ちる 不安で飛べないまま
あとどれだけ歩けるのだろう きっと貴方は世界の果てへでも 行くと言うのだろう 全ての温度を振り払いながら
失う時がいつか来る事も知っているの 貴方は悲しいほど それでもなぜ生きようとするの 何も信じられないくせに そんな寂しい期待で
優しいものはとても恐いから 泣いてしまう貴方は優しいから 誰にも傷が付かないようにと ひとりでなんて踊らないで 不思議な炎に焼かれているのなら
悲鳴(こえ)を上げて名前を呼んで 一度だけでもそれが最後でも 誰にも傷が付かないようにと ひとりでなんて踊らないで そして私とワルツを
どうか私とワルツを 「私とワルツを」鬼束ちひろ より
でも きっと誰も言ってくれることのない言葉。
こんな気持ちの年の瀬は初めてかもしれない。
駆け足で終わろうとしてる今年にまだ追いつけてない。
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ゆうなぎ
昨夜は電気を消したままでPC前で徹夜仕事。
目にも良くないし頭がフラフラしてくるのも承知だけど また階下から 起きてる=やっぱり足音、物音 とか 思われるのが嫌で。 気にするなと言われても気にしないわけにはいかないでしょう。 それもこっちが無神経にしてるならともかく 昨日の様子だと全部でなくても かなり濡れ衣も着せられてるみたいだから 尚更に。
他人に言えば夜仕事するのを止めて昼間にしたら?と 言われたりする。実家の親からですら。
そりゃそれができればいいだろうけど 昼間には家事しないと洗濯いつ干すの? 掃除だっていくら何でも全然しないわけにはいかない。 食事の支度は?
それだけじゃない。細々したそれぞれの子供達の学校関係のこと。 長男は受験だし 次男、三男だってそれぞれに色々 目配りしてなきゃならない。
子供達にも役割分担を・・って そんなのとうの昔にしてる。 お風呂洗いとか食器洗いとかお使いに布団敷きとか・・ それでもそれでまかせっきりにしてられるかと言えばそうじゃない。
自信満々で仕事に打ち込んでるというヒトに限って 子供にも分担云々とか簡単に言ってくれる。 ちゃんと夫や親という手札をしっかり持っていて サポート充分で向後の憂いがないから そんなこと言えるんだってことに気づいてない。
あたしがどれだけのこと一人でやってるか知ってる?
結局 免許の更新は来年にすることにした。 それでもギリギリいっぱいまで働いて 30・31日で小掃除何とかでも。
来年は1月4日から 新しい仕事に入る。 新年明けそうそうに慌しくなりそうだ。
自分のペースで他人に気を遣いたくなかったから SOHOの仕事を始めたのに結局 それが元で 人と関わってまた仕事を始めることになったのは 皮肉といえば皮肉。
でも これもまた一つの縁。 考えて考えて 決めたのは 誰でもない あたし自身。
あちこちに気を遣って
あたしだってイライラもすれば腹も立つけど それを出してどうなるわけでもない。 それどころか余計に自分が余分なエネルギーを使う。
親にも大げさなくらいしてもらったことにお礼を言わないといけない。 普通じゃ感謝が足りないと言われる。 息子は受験の反抗期 機嫌のいい時はいいけど眉間にシワがよって イライラモード全開。 下の二人は甘え足りなくてそれはそれでスネモード。
親から「アンタは気にしすぎ」って言われるけど 気にさせてるのが自分たちだってことには気づいてくれない。 鬱という病気には一番 堪える言葉を両親は心配してかけてくる。 説明してもダメ。逆に機嫌を損ねる。
今日 たまたま実家からかかってきた電話で あたしの応対がそっけなかった。 階下の方との一件や仕事の疲れやこれからの不安もあって どうにもイライラして叫びだしそうなのを抑えるだけで 精一杯で。
案の定 母から指摘された。
そんなつもりじゃなかったから と謝った。 でも気分を害された気配がわかった。
あたしはほとんど声を荒げない。 とにかく穏やかに話をしようとしてる。 最近は特にそうだ。
とても疲れているから。
声を荒げて怒りたくてもそれでは解決しないし 余計に疲れが増すだけだし そんな力はもうどこをどう押してもないから。
でも そうしていたら みんなは あたしが 平気だと思うみたいだ。 両親も子供達も。 平気だとは思わないまでも あたしの抱えてる分量が多分 見えてないんだろうな。
親すらも あたしが 叫ぶのを許してはくれないのか と ふと思ったら 甘えかもしれないけど ナンか 堪らない気がした。
この頃 口を開いて話すのがとてもシンドイ。 呑みこむ言葉が多すぎて喉につかえてて。
仕事だったりどうしても必要な時には 勿論 ちゃんと話す。 でもそれは あたしの言葉じゃない。
あたしの言葉はどんどん失われてる。 あたしの表情もどんどん失われてる。
明瞭に聞こえる言葉は自分の口から出ているのにどこか遠いし 張り付いた穏やかそうな笑みは剥がれなくなった仮面だ。
でも この現実の周りに居るみんなはそれを求める。 そのあたしを見て安心して満足する。
あたしには 叫ぶ場所さえ 無い。
休めるものなら休みたい。
走らなきゃならないから走る。 闘わなきゃやられるから剣を取る。
食欲まるで無い。 ただただ眠っていたい。
崖っぷちにいるのに。
みんなあたしのココロには無関心。
何とかやれそうに見えるんだろう。 ホントにバラバラに壊れても どうして?って思われるだけなのかな?
わかってる わかってる。 これは悪態。
だから読み直ししない。 書きなぐる。叫びの代わりに。
いい歳をした どうしようもない
甘ったれ。
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ゆうなぎ
ここ2.3日体調があまり良くなくて。 長男も風邪。そんなわけで冬休みも始まったし下二人は実家にいる。
家にいるのはあたしと長男のみ。 昨日は昼間までは何とかPCの前で仕事してたが それからは限界ダウン。 長男と二人 細々と食事だけ取りながら 寝たり起きたりで過ごす。意識朦朧。
今年中にしておきたい分の仕事があるから とにかくそれだけでも・・と思うけど 枕から頭あがらなくて起きようとしてはまたうつらうつら。 いつの間にか夜になってた。
そんな時に玄関のチャイム。
誰だろう?とフラフラする足で向かって尋ねると 階下の人らしい。
何だろう?と思いドアを開ける。 どこかに旅行に行かれたお土産とやらの お菓子を渡されて でもまだ訳がわからない。 そんなに親しくない・・というよりも 足音と戸の開け閉めで苦情をいただいていたくらいだから。
用件をまとめるとこうらしい。
やっぱり夜中の足音と戸の開け閉めがうるさいので注意して欲しい。 どうもご主人が眠れないといっているらしい。
ご夫婦二人に女の子一人という家族構成のご一家。
ウチは男の子三人とあたしだけの家族構成。
今までは男の子の足音は重く響くから・・と思って 苦情が来るたびに謝りもしてきたし 子供にも歩く時はつま先歩きで・・と戸の開け閉めに 関しても神経質なくらい言い聞かせてきた。
ウチは防音じゅうたんというのを各部屋に敷いている。 こういう音問題を極力避けたかったから神経質すぎるんじゃない?と 言われたけども入居時に敷いた。
ちなみに足音とドアの開け閉めでうるさいといわれている その ご主人が寝室にされているのは あたしの部屋=パソコン部屋の真下になるらしい。
それを伺って???と思ったので聞いてみた。 「昨夜もその足音と戸の開け閉めは聞こえましたか?」 奥様は「はい」と答えられた。 ご自分もその音を聞いたと。
昨夜 あたしと長男は家の中半分で生活していた。 お互いに体調が悪かったから戸の開け閉めもせいぜいトイレくらいで 足音が響くほど歩いてない。 ひきっぱなしの布団とその横にある食事用テーブルへの行き来 数歩くらい。 それも真夜中なら完全に眠ってた。
(これで音の原因がウチならウチにはポルターガイストがいて 勝手に音させてるとしか考えられない。 もしかして 死んだウチのヒトが真夜中の散歩してるとか?) ↑ なんてことはさすがに言わなかったけど 昨夜のウチの事情はお話して 少なくとも昨夜に関してウチではありえないことを 説明した。
階下の奥様がどれだけ納得して下さったかは わからないけどとりあえず「主人と話してみます」 とのことで帰られた。
お互いに大人だし階下の方も常識人なので 怒鳴り込んでこられたわけではない。
こういう問題は難しいと思う。 勿論 人様に迷惑をかけることは避けなければならないし 気をつける努力と改善が必要だ。 それが集合住宅に住む者としての義務だろう。
ただ足音や戸の開け閉めという音問題は 建物の構造として 真上からだとは限らないと あたしは認識している。
ウチとて他所様の足音や戸の開け閉めが響いてこないわけじゃない。 ただ斜め両上含めた上階のどこからなのか特定することは 正直難しい。 上階に住むのが一軒でない限り。 そうして戸の開け閉めに関して言えばもっとその響く範囲は広がる。 むしろ戸の開け閉めなら両隣の方が響く気がする。
今回の場合 階下の方の頭には 音うるさい=上に違いない=あそこは男の子三人もいるし というのが少なからずあったのだと思う。 それに上から音がすればそれは真上からの音 と考えるのも 確かに無理もないのかもしれない。
ただ 今回のようにどう考えても違う場合、 言われた方は堪らない。 あちら様からすれば 確固たる思い込みがある。 また それじゃあウチがまったく音を立てないのかと 言われたら それもありえないことだから 苦情がくれば申し訳ないと思って注意をする神経質にもなる。
こういう時にニンゲンカンケイは難しいな・・と思う。 集合住宅に住む場合特に 音関係では お互い様の部分があると思う。
でも そう考えられない人もいるだろうし 全ての音は階上(ウチ)からに違いないと一旦思い込めば こういう人は疑うことなく突き進む。
音を立てずに生活することは無理だと思うが 階下の方はよほど自分たちに関しては自信があるんだろう。 もしかしたら どこかで誰かに迷惑をかけていて それがただ表にでてないだけなのかもしれない という 疑問を抱くこともないんだろう。
こういう絶対正義の人達、疑問符を自分に持たない人達って 結構多くいるし 見てきた。 その度に その自信に感嘆するし羨ましくすらなる。 そうやってできれば 人生いくらかでも楽だ。
今日の日記は自分でいうのもなんだけど あたしという人間の嫌な部分が満載だなーとニガワライ。
それでも書かずにいられないんだけどね。 開き直りかもしれないけど リッパな俗人だもので。
ただ 疑問符は持ってる。 常に。 反対に あたしの言い分が完全に正しいと あたしにはとてもじゃないが言い切れない。
貰ったお土産のお菓子とやらは 速攻でそのままゴミ箱にぶち込んだ。
あたしはそういうヤツだ。 決して正義でも清くも無い。
あたしは自分自身に対して 疑問符をもてないニンゲンは苦手だ。 もっとキツイ言葉で言えば 精神的に拒否反応を起こす。
表には出さないけどね。そこは良くも悪くも大人だから。 ただ太い一線を相手と自分の間に引くだけ。
皮肉なことに守られて安定している人たちほど 自分を疑わず 正義に燃え それを行うことに迷いのカケラもない。
絶対100%の正義なんてほんとにあるのか? 立場が変われば正義の定義も変わる。
正義ってヤツのなんて薄っぺらいこと。
信念は大事だと思う。 自分をしっかりともっていることも必要なことだと思う。
でも それに頑なになって自分に疑問符をもてなくなった時 それは正義という名の凶器になっていないか?
ねぇ 正義の定義ってなんでしょうか?
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ゆうなぎ
2006年12月26日(火) |
年の瀬 徒然 想いの羅列 |
いつのまにかクリスマスさえ駆け足で行き過ぎて。 いよいよ今年もあと数日になった。
まだ 仕事してるし まだ 免許更新だとか、書類の提出だとか やっておきたいこと残ってるのにどーするよ?
大掃除は無理にしても 小掃除くらいはしたかったけど それも危うい。参ったなー
不思議なものだと思う。 まさにバタバタと 運命は動き出す時には目を回しそうになるくらい 急にジェットコースターに乗せられたみたいに。
相変わらず薬は飲んでいるし 日々の暮らしが楽になるとか ストレスが減るとか そういう すくい上げて貰うような救いがあるというわけじゃない。 わたしには相変わらず ボロボロの鎧と盾しか無いし 刃こぼれしている剣を握り締めての孤独な闘いをしている。
だから 少なくとも共に剣をとって闘ってくれる、 時には盾となってくれる、後ろに控えている そんなパートナーのいるヒト達が やっぱり羨ましい。
だってわたしは剣であると同時に盾だから。 それもこのボロボロ盾でも 倒れたら他が無い。 まったくの剥きだし状態に晒される子供達や両親、祖母のことを 考えれば 倒れられないっていうか 今 倒れるわけにはいかない。
今回の一見 無茶に見える選択も自分なりに ものすごく考えた。 考えて考えて考えた挙句に決めた。
だから 人には大げさな・・と言われるかもしれないけど わたしにすればこれは大きな岐路だ。
でも決めてしまえば腹も据わる。 いや 怯えや不安や心細さは 消えようもないが なんていえばいいのかな・・・ 突き抜けた部分を自分の中に感じてる。
人生とか 生とか 死とか 愛とか そんな形式ばった分け方としてじゃなくても ふとした瞬間に いろいろなことを考える。
人と人の関係。 愛であっても恋であっても友情であっても っていうか そんなふうに分け切れないものも含めて。
例えばこれは子供達に常々話しているけれども 周囲や他人の目でなく自分の目でしっかりと確かめて 見据えて判断して欲しい。
ひとを愛することでも そう。 愛の形はひとつじゃないと思うから。 形に囚われないで欲しい。 問題は 自分が自分の愛した相手を どこまで信じきれて手を離さずにいられるかってこと。 その覚悟。
少なくとも一生を共にと考えるなら それが一番大切なような気がするんだ。
年齢や性別、国籍に関係なく 要は 自分の相手に対する想いの覚悟。
それだけはしっかりと抱いていれば その想いは少なくとも無にはならない。 何らかのモノを自分の身に残してくれる。
時の流れはどんな時でも止まってはくれない。 それは 救いでもあり哀しみにもなるけれど。
愛おしんで日々を生きることのできるニンゲンに
いつか なりたい。
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ゆうなぎ
2006年12月24日(日) |
死というもの。生きるということ。 |
当たり前だけど人には寿命がある。
今年もこの世界の中で亡くなられた方々が沢山いらっしゃる。 そんな訃報に触れるたびにやっぱりいろいろな想いが頭を過(よ)ぎる。
今年も終わりのこの12月にも有名人の方の訃報を聞いた。 その中でも「カンニング」の中島さんの訃報には絶句した。 来春にも「カンニング」復活!という記事を直前に読んでいたから 暫くは信じられなかった。
「カンニング」という漫才コンビのことを知ったのは 「エンタの神様」でだったと思う。 子供と見ていて相方の竹山さんのキレっぷりの危なっかしさに なんていうかハラハラしてしまう感じだった。 なだめ役になる中島さんのキャラクターがほのぼのしてて そこでその無軌道に見えるキレが不可思議な味を醸し出す。
失礼な言い方かもしれないけど荒削りで不器用で でも なんかつい目がいっちゃうような気になる そんな感じだった。
暫くして中島さんが病気で長期入院を余儀なくされることを ニュースで知った。 病名は聞いたけど良性だということだったから 一日も早く元気になって帰ってきてくれて またあの二人での「カンニング」が見たいな って思ったし そうなることを信じてもいた。
一時的とはいえピンになった竹山さんが ずっと「カンニング」って 看板一人で背負い続けて 頑張ってるのテレビで見かけるたびに 応援する気持ちはますます強くなった。 ピンになった竹山さんからは がむしゃらに まさに体当たりで仕事してる感じが伝わってきて それは「お笑い芸人 カンニングの竹山」という人には 失礼なことかもしれないけど この人 闘ってるんだなって すごく胸を打つものがあった。
わたしは中島さんの訃報も竹山さんの会見もネットでしか見ていない。 竹山さんの会見も動くニュースや声では聞かなかった。
聞かなかった・・というよりも見ること聞くことが 辛すぎてできなかった。
ネットニュースの文章では竹山さんが涙を見せずに (多分 多くのマスコミが号泣する姿を期待したんだろうけれど) しっかりとして会見に挑んだことが書かれていた。 この会見を見て彼を見直したって人も多かったみたいだった。 ギャラも「カンニング」は二人で一人、二人三脚だからと 折半していたとあった。入院後は仕事が終わった夜に 毎日お見舞いに通っていたとも。
文章にするとそれまでになってしまうけど これは言葉でいうほど簡単にできることじゃない。
最後まで涙を見せなかった竹山さんの会見の中に 「昨夜、(同棲中の)彼女としこたま泣きました」というのが あって胸を突かれた。 彼の悲しみの全てが其処に込められている気がした。
中島さんの遺された奥様の想いも察するに余りある。 小さなお子さんがいらっしゃると聞く。
35歳。
どう考えても若すぎる。
夫が亡くなったのも35歳だった。 もうすぐ36歳になる数日前だった。
一つの命が消えていくということ。
死というもの。
歩いてきた人生はそれぞれでだからどれだけ理解したくても それを完全に知ることなんてできない。 重なる部分や共感があっても 千差万別の人生。泣き笑い、想いがある。
ただ それのどれもが計れない重みをもっているということ。
闘病で 周りが辛いのは決して本人に希望を失わせることを してはいけないから もう奇跡を祈るしか無くなっても どんなに辛くても そんなそぶりを少しでも 見せることすらできないことだ。
竹山さんも最後の方では覚悟していたとあった。 どんなにその覚悟は辛いものだったろうか。 奥様は勿論のこと、それを知る周りの方たちも。
それも竹山さんはお笑いの芸人さんだ。 お笑い芸人の仕事は笑わせること。
尚更 歯を食いしばってたろうって思う。 だからこそ 一人の 人間 竹山さんとしての会見は あんなに見ていた人たちの胸を打ったのだろう。
静かであるだけにそこに押し込められた悲しみの深さが。
そうしてもうひとつ。 今は遺された方々は気が張り詰めているから。 無事にお葬式を四十九日をして送り出してやりたい・・・ それまでは・・っていっぱいいっぱいに頑張ってる。
だから。
身近な人の死は 何よりも死というものの意味を 否応なしに目の前に突きつけてくる。
漠然としていたものが むき出しになって差し出される。
それでも長い人生の中 自ら疲れきって 人生の舞台から降りたくなることは一度や二度じゃなくある。
でもそんな時に
そのひとの 死 によって教えられたものを思い出す。 目の前に突きつけられたものの重みを思い出す。
生も死も等しく重たい。
どちらからも逃げられない。
どちらだって苦しく辛い。
死は救いなんかじゃない。
少なくとも遺されたものにとっては。
それでも目の前の苦しさから逃げ出したくて 人間なんてそんな強いものじゃないもの。
でもそのたびに あの瞬間が頭を過(よ)ぎるんだ。 あの 白い四角い病室のベットの上に横たわったひとを思い出すんだ。
どんなに美しい死よりも無様な生き様の方が どれだけどれだけどれだけ辛くとも。
今日という日が絶望で 明日という日にも希望がないとしか思えなくて それでも 今日にしがみついて生きよう。 今日が終われば明日が今日になる。 その今日に希望がないように思えたのは 昨日の自分だから。 今日は今日が始まらないとわからない。 その今日が絶望でも 次の明日が必ず絶望だと誰が言える?
白馬に乗った王子様も 正義の味方も来ないかもしれない。
でも 何かが昨日とは絶対に違うことだけは確か。
どんなに変化が無いように見えても生きている限り まったく同じ毎日なんてない。
きっとだから生きる。
生かされている命なら
その命を返さなければならない日まで
足掻こう。
どれだけみっともなくでもかっこ悪くてもいい。
その時にできる生き方で。
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ゆうなぎ
完徹2日目。仕事。夜までに企画書を作り 夜通しでクライアントさんへのプレゼンテーションと打ち合わせ。 朝7時過ぎに帰宅。
ここ数日は夜から朝にかけては新しい仕事の関係 昼にはグッタリ眠っていたいところだが 免許更新や奨学金関係の為の書類申請もしておく必要が あって役所のあちこちで色々。 混乱しそうになったけど とりあえず必要な書類は取ってこれた。
まだまだこちらの方でも年内にやっておきたいことが 山積みになってる。 しかしこれも一つずつできる限り片付けていくしかない。
今までの仕事に関しては一応休みに入ったけど 新しい仕事に関しては当分かなり大変な状況が続くと覚悟してる。
わたしの心身の状態を知っている友人達にも心配かけてる。 実際、昨夜は家に戻ってから 貧血と吐き気でトイレを抱きしめて オトモダチ状態だった。金銀の星がチカチカしたのも久しぶりに見た。
無茶してるな・・とは自覚してる。 でも何だか敢えて全力疾走の機会を与えられたような気がしているんだ。
何処まで続くかとかできるかとか今は考えないようにしてる。 そういうと無謀なようだけど 確かに無謀かもしれないけど。
満身創痍。だけどだからこそ走ってみようと思った。
今までの仕事と深く関わっている部分とまったく未知の部分。 次に踏み出す一足一足は 常に緊張と不安がある。
でも反面 わたしはもう一度 自分というものの存在を 自分によって確認して 自分の力を知りたくなったのかもしれない。
加減を知らないからひたすらに走る。 ペース配分を考える余裕はない。
それほど気が張っているからもっているともいえる。
それでも不思議と走る頬にあたる風が今は気持ちいい。 この不器用な無茶ぶりも まったくわたしらしい。
子供達に 「お仕事が増えたから今までより 寂しい思いをさせるかもしれないけど ごめんね」 と話した。
わたしの必死の形相をみているせいか 下の二人が 「お母さん頑張ってね」ってチュゥ。ありがとね。 その温もりに力を貰ってるよ。
嬉しかったのは 長男がポツリと真面目な顔で 「お母さん 今なんかすごくカッコいいよ」って言ってくれたこと。
子供達にも心配してくれている大切なひとたちにも 恥ずかしくない背中見せたいって改めて誓った。
そうはいっても今は肩の力が入りまくり。 一種の躁状態を突っ走っているのは自覚してる。
だから反動でガクンと落ちる時のことを考えるとやっぱり怖い。 怖いけどわたしは走り出した。 走ることを選択した。この機会をチャンスだと思った。 平坦な道ではないだろうけど きっと走れる為のこれが 最後のチャンスだと思うから。
冬の朝はまだ薄暗く留守番の子供達は全員寝入っているから そっと鍵を開けて。 布団に並ぶ 一人一人の髪を撫でてそっとキスした。
自室で着替えようとしてみると小包がひとつ。
サンタクロースってやっぱりいるんだ〜!って 一つ一つ取り出しながら子供みたいにふにゃふにゃと笑った。 おっきいコをぎゅううして ちっさいコをそーっと掌に乗せて 星空の本の表紙に見惚れる。 いっぺんだともったいないからこれは後のお楽しみ! チョコレート同盟 バンザイ!うっひゃー!!!
最後の全力疾走 見守っててください と。 無茶を承知のワガママに 頷いてくれてありがとう。
ありがとう。
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ゆうなぎ
2006年12月21日(木) |
「弱い心を抱きしめて」 そうしてまた何度目かの。 |
「弱い心を抱きしめて」
弱い心を抱きしめて うつむく想いを励まして
道無き道を ひとり往く
立ち止まれば 倒れるだろう
足をとめれば 立ちつくし そのまま石になるだろう
歩こう 歩け 歩くのだ
弱い心を抱きしめて うつむく想いを励まして
いつか・・・海に還るまで
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ゆうなぎ
息が苦しい。
頭の中はしなくてはならないことで溢れて パニックになりかかってる。
時間刻みに詰まっている予定を PCで打ちだして整理して印刷する。 そうでもしないと混乱する。 手書きで予定を書く気力は無い。
誰かに頼りたいとか力を借りたいとか 思わないわけないくらいに追い詰められているけど それが可能だなんて幻想はまったく持ってない。
いや 行動的なモノでなくて 精神的な部分の支えというか 相談をし話を聞いてもらい 混乱しているごちゃごちゃを整理する手助けをして貰えたら どんなにか・・という甘えはやっぱり捨てきれていないんだろう。
でもそうして欲しい人にはそうしてもらえない。 それは仕方ないことで でも根本的な所での理解がしてもらえないということが 多分 あたしにとって一番堪えてるし あたしから力を奪っていく。
抱えていることが指の間からこぼれ落ちていく。 あたしでは止める力が足りない。 髪を掻き毟りたくなる。 打ち付けたくなる破壊衝動を薬と残された精神力で 少しでも押さえつける。
とにかく溺れながらでも犬掻きでいいから乗り切れジブン。
今日はもう少ししたら電話を1件受けて その後は今年最後の心療内科の受診日。 それが済んだら役所に書類申請にいって 郵便局や銀行へも寄らないといけない。 夜からは新しい仕事の話について知人宅を訪ねて取り決め。
明日は明日で夜にまたクライアントさんを交えて 知人と三人で話し合う。
仕事納めはいつになるか未定。
ああ・・・免許の更新にも行く時間を今年中に取れればいいのだけど。
人は皆 それぞれ一人で何かと闘っているのだから・・と 自分に何度も言い聞かせる。 それでも聞き分けのない甘えゴコロが俯いて拳を握り締める。
いつから闘っていると思う? と いつまでこの孤独な闘いを続ければいいのか? と 思いつめた瞳で詰め寄られても あたしがわたしに答えられる言葉は 無い。
息が苦しい。
やっと 息をしている。
それでもやるしかないのだよ と
ガクガクと崩れそうになる膝で立ち上がった あたしはわたしに言って 遥か続く道を見据える。
諦めるな と
どれだけ叫びだしたくなっても 後ろには道も人もいない。
目を逸らすな。
そこからしか始まらないのだから。
ここからしか生きられないのだから。
そうしてまだ 歩くことを止めることはできないのだから。
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ゆうなぎ
「冬便り」
水が冷たくなって 指の先にひび割れを作る
洗い物の手を休めて ふと空の向こう
「風邪などひいていませんか」 そのひとを想う瞬間
ひゅーひゅーと北風 窓硝子を鳴らしたら
雪ひとひら
気付いてください
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ゆうなぎ
からす なぜ啼くの からすは山に 可愛い七つの 子があるからよ
「七つの子」作詞 野口雨情
今日は長男の私立受験校決定日で三者面談。 学校へ行ってきた。
実は自分の仕事の年内までに済ませないといけない分で このところ徹夜続き。 今日も徹夜明け、寝るとそのまま起きれなくなるからそのまま ギリギリまでPC前。遅れそうになって慌てて飛び出した。 何とか間に合って無事に面談も終わり一息ついたけど さすがに家に帰り着くとグッタリ。服のままソファーに倒れこむ。 いつものパターン。
夜に新しく請けることになった仕事のことで知人の方から電話。 打ち合わせや諸々のことを年内に決めたいので2.3日時間を取って 欲しいとのこと。
これに加えて諸事情で役所に書類を取りにいかないといけない。 そうそう 免許更新も済ませておかなくては。
今年は多分今までで一番慌しい年末になりそうだ。 とにかくパニックにならないように一つ一つすることを 優先順位をつけて書き出す・・というか 最近 字を書くことがシンドイので キーボードでカタカタ打って それを印刷する。
カレンダーにも書き込む。
今までは使ってなかったけどシステム手帳?のような 予定表を書き込めて持ち歩けるものが必要になるかもしれない。
正直 しなくてはならないことを考えただけで 胸に鉛の塊を呑んでいるみたいに気が重い。
厳密に言えば 否応無しにやらねばならないことと 断ろうとすれば断れることはあるにはあるとはいえ あたしはやる。やらずにはいられないだろう。 やらないでいられるほどの余裕なんて無い。
この頃 尚更に感情が表に出せなくなった。 以前からその傾向はあったけど より一層奥へと沈み込んでしまって。
人間だから当たり前だけど感情は ある。 カナシイとも思えば 腹が立つことも理不尽に憤ることもあるし サミシサや心細さに押しつぶされそうにもなる。
だけど それを表に出してもどうしようもないということを 知ってしまった から。
諦観なんてするもんじゃないことは 承知してるつもり。それはある意味 究極のエゴだろうから。
それでも ある時 ある言葉を聞いた時に なんだか とても静かにあたしは虚脱した。
ああ・・・そっか って思って それから 感情をもっと深く潜らせた。
そしてもう一度 改めて あたしはどんなことがあっても 誰であろうと自分自身のことで頼ることをしちゃいけないんだ って 自分に言い聞かせた。
今もいろんなことで不安はいっぱいにある。 心細くもあるし いくら言い聞かせていても 奥に仕舞ったはずのヘタレな根っこが泣きごとを言いそうになる。
あたしは今 とても 普通の顔をしていると思う。 むしろ穏やかな顔にすら見えているんだろうなって思う。
仕事を増やすことにしても 多分 あたしはちゃんとやることはする。 そういうところでは精神力の限界値は吹っ飛ぶ。 たとえ 笑顔で「大丈夫」といった後 人の姿が見えなくなったとたんにぶっ倒れても プライドがその瞬間まで あたしを立たせる。
そんなあたしを見て 「鬱が治ったんじゃない?」といわれれば そうかもしれないね、と微笑みすらして見せれるだろう。
ただ隠れて薬飲めばいいだけのこと。
それが健全なことだとは思わない。 どこまでもつのかもわからない。
わかるのは もうそんな風にしか生きられないってこと。
この頃 日記に同じ繰言ばかり書いている気がする。 諦観だとか言いながらも どこかで奇跡を待っているのか。
なぜ啼くの?
あたしのココロ なぜ啼くの。
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ゆうなぎ
2006年12月17日(日) |
チーム「ぽっぽ」のハナシ |
土曜から日曜にかけて久しぶりに下の二人が実家へ泊りがけで行ってて。 家には受験勉強の長男と仕事抱えた母(あたし)が二人居残り。
お互いにとにかく余裕無い。時は金なり。 嗚呼!って髪掻き毟りたい感じ。
そんな中 それでも食事は取るわけで。 食事取ると瞼が落ちてきたりするわけで。
マズイ!!とか思ったけど土曜日の昼から親子二人で 夜まで爆睡。 気が付けば外 暗いよ。 呆然。
でもこうなりゃ まぁ とにかく夕食食べて それから ちょっとナンか始まる世間話?
元々 趣味や思考が似通ってるもんで。 何がきっかけだったか忘れたけど 盛り上がって馬鹿バナシ。
そこで思わぬ共通の体験。
通称 チーム「ぽっぽ」 そいつらはバス停前の比較的大きい公園に 随分前からたむろしてる。
その数は半端じゃない。 総動員すると地面が灰色に見えるときもあるくらいだ。
そう・・ ヤツラは鳩。
平和の象徴とか言われることもあるけど このチーム「ぽっぽ」に関しては それは当てはまるとは思えない。
まずはあたしの体験談。
まだ子供が小さな頃。 ベビーカーに乗せて公園にお散歩。 ベンチに座ってポカポカと気持ちいい日差し。 そうそう・・オヤツに赤ちゃんビスケットあげようねぇ〜 で ご機嫌の我が子に握らせる。 子供は小さいから上手に食べれないので ボロボロ落とす。
そこに 鳩が2羽、3羽・・・ 良くあるのどかな風景・・のはずだった。 しばらく子供見ながらボンヤリしていると なんか鳩の数が増えてる。
え?それもなんていうか 囲まれてる? どうも子供がボロボロ落としてるビスケットが目当てみたいだ。 それにしても距離が近い・・っていうか近すぎない? 普通 ちょっと動いたりしたら 一斉に飛び立ったりする・・よね? だけど デンと構えて動かないどころか 包囲網が縮まってる〜〜〜!!! 鳩 なんでこんなにいるの?いつの間に?
それに目がふてぶてしいというか 怖いよ〜なんか明らかにつぶらな・・じゃなくて年季モノの目してるもん。
試しにちょっと大き目のビスケットを 遠くに投げてみる。
だだだだだだだ〜っ!!!とスゴイ迫力で ビスケットに群がる鳩。 ツンツンじゃなくてガツガツとあっという間に消えるビスケット。
で いっせいにまたこっちに迫ってくる。 それはまるでニヤリと笑って 「へへへ・・コイツら ええもん持ってるぜ!」とでも 言わんばかり。
だってさ・・座ってるベンチの横に平気で寄ってくる。 大慌てで再度遠くに今度は2.3枚ビスケットを放って それに群がってる隙に脱出成功。
それからは公園には近寄らなくなった。 少なくとも食べ物持った状態では。
あそこの鳩はただモンじゃないよ〜というと 今度は息子が体験談。
友達と数人で まだ小学生低学年の頃。 公園で遊んでいたらしい。
たまたま 仲間の一人がお菓子をいっぱい持ってた。 両方のポケットの中に後は両手に抱えて。 みんなに大盤振る舞い。 ベンチに座って分けようとしてた。
で 手に持ってたお菓子の袋を開けたら たまたま パァッとイキオイあまって お菓子が散らばっちゃった。
あ〜あ! って思ったけどしょうがないのでもう一袋のお菓子を開けた。
この時点で彼の身体にはお菓子のカケラがかなりひっついてて 周囲にはぶちまけちゃったお菓子が・・・。
こんなオイシイ状況を見逃すほどチーム「ぽっぽ」は 甘くなかった。
気が付くと男の子達はすっかりチーム「ぽっぽ」に囲まれてたらしい。 すっかり陣形ができあがってた とお兄が遠い目をして語る。
男の子たちはそれでも まだぽっぽの力を甘くみてたらしい。 ちょっと脅かせば飛び立つだろうとか。 でも それは逆効果になった。 捕獲体勢から驚かされたことで攻撃捕獲体勢に入ったぽっぽ。 お菓子を抱えた男の子に飛び掛ってきた。 パニックになったのはその男の子。 叫びながらお菓子を散らばらせながら逃げ出したとたんに 悲劇が彼を襲った。 思いっきりすっ転んだ。顔面スライディング。 潰れて服についたお菓子に群がるぽっぽ達。
お兄たちは思わず凍りついたけど とにかく仲間の所にかけつけて お菓子を遠くに投げてそれを囮にして救出したらしい。
まさに命からがらの体。
それから暫くお兄たちはその公園に近づかなかったらしい。
恐るべし!!!まさにチーム「ぽっぽ」! どうもお兄のハナシによると偵察部隊が常に公園の一番良く見える バス停の屋根の上に並んで獲物がきたらすぐに偵察にいけるように してるようだ。
その力は年々 強大になってる様子。
あれがトラウマになって鳥怖くなったもんなぁ〜と話すと そうそう!同じ同じ!と大きく頷くお兄。
しかし チーム「ぽっぽ」 みんな丸々してて目つきが鋭い。
すごいよねぇ〜とチーム「ぽっぽ」 (っていうのも あたしとお兄で命名したのだ!) バナシでみょーに盛り上がったのでした。
この夜はとにかくこのバカ話で 久々にお腹の皮がよじれるくらい大笑いした。
暫し 受験も仕事も忘れて 鬱憤晴らすかのごとくひいひい言って笑い転げた。 気が付けば夜中。 笑い転げたまま 眠りこけてた母と息子。 まったくナニやってるんだか!
しかし チーム「ぽっぽ」タクマシイ。 ここまでくると生きる胆力に感嘆すら感じるよ。
久しぶりにお兄もあたしもあんなに笑った気がする。
今度 公園横通るときには チーム「ぽっぽ」がどうしてるか見てみよーかなって思ってる。
そーっとね。
そうしてお兄にまた報告してやろうっと。
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ゆうなぎ
多分 いつも都合良く利用される方(自覚有り)
積極性のある人、自分を出すことに長けてる人なんかから強く言われると 馬鹿のつくオヒトヨシになってしまうところがある。
決して わたし自身 気の弱い方ではなく むしろ 気は強い方なのに。
多分 ゴチャゴチャするのが居たたまれないんだと思う。
多少自分が損することになってもそれで収まるなら・・という ヘタレ特有の逃げ。 気が強いくせにヘタレっていうのも何だかな〜だけど。
あと引きずられるというか押し切られるというか そーいうのもある。 最初に聞いてた話と違うってのも良くあるけど 結局 文句をいうよりも その現状に自分を合わせる。 何とかしようって思って必死でも何とかしてしまう。 責任感 かな。だって問題はどうあれ、いったん引き受けたら 責任は自分にも生じる。 それを知らないと放棄することはやっぱりどうしてもできない。 自分なりのコダワリ。 密かなるプライド。
適応力というかアキラメがいいのもあるのかもしれない。 これも良し悪し。 ガックリ落ち込んで倒れこむけど そうしても ひゅるるるると風が吹くだけなのは身に沁みてるから そこからどうするかをヘタレながらも考えだす。
ずっと倒れていられたらいいんだけど そうもいかないんで。
っていうか倒れてる間もストップウォッチ持ったカミサマが 横で時間計ってて 「はい、あなたの倒れてていい時間は過ぎました。 もう そこに倒れてていい権利はあなたにありませんので 速やかに起き上がるなり這いずってでも場所をあけるように!」 ってなもんだ。
倒れてられる時間もロクにないのかよ!!!って 叫んでも何が変わるわけもなく虚しいだけなので止めとく。
性分なんだろう。 ちょっと屈折したオヒトヨシ。 お人好しってほど素直じゃないオヒトヨシ。 プライド高きオヒトヨシ?
仕方ない。 わかっててもどうしようもないことってある。
生き方ってなかなか変えられない。
ちょっと苦笑しながら自嘲しながら でも これが わたし。
それで自分が壊れてりゃ世話ないって? ごもっとも。
まったくこんなヤツです。馬鹿です。 要領悪すぎて不器用で それでも捨てられないプライド抱え込んでる
そんな オヒトヨシ。
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ゆうなぎ
2006年12月15日(金) |
それでもこの剣をとって。 |
新しい仕事の話。
することは本決まり。 ただ話が進んでいけばいくほど 果たして今の自分がもつかどうかが 不安になってくる。
すごく傲慢な言い方をすれば 能力的にはできると思ってる。 最初に今の仕事を始めた時の状況も 同じように時に頭掻き毟りながらも がむしゃらにやってきたから。 一点に集中できればできない仕事ではない。
ただ今のわたしは鬱という爆弾を抱えてる。 薬と二人三脚だ。 一人ならともかく子供達のこともある。 確実に後ろにいてフォローして貰える人がいない。 これはかなり苦しい。
今回の仕事は今の仕事関連だが 今の仕事とは別の立場で請ける話になる。 だからこそ 自分の中でいかにそれを整理して こなしていけるか が大きな課題になる
でも 長期に渡っての安定度という点では 今が正念場だしチャンスなんだと思う。
友人達からも心配された。 わたしのいっぱいいっぱいの現状を知っているから 無理もない。
というか わたし自身もできるなら このボロボロの状態で 長距離マラソンに挑むようなこと、しなくて済むなら 今はしたくない。
心身ともに健康な時ならむしろやりがいのあることだし 鬱の今でもこの仕事自体はやってみたいことではある。
ただ やるからには全力で挑まなくてはならない、これが仕事である限り 責任を負う必要があるし できませんでした では済まない。 ましてや人と関わっての事だから その責任は個人だけの問題ではなくなる。 知人であれば尚更 絶対に甘えと見られるようなことはしたくない。
その重圧に耐えられるのか?
もし 失敗すれば それこそ自身に受けるダメージは 計り知れないだろう。
でも でも
でも
と わたしは考える。
どんな刃こぼれした剣でも もう役には立ちそうにない鎧や盾でも
やっぱりもう一度 戦場に出て行かなければならないんだ。
今も戦いの中にはいるけれども より過酷な戦場に。
今でもこの足は震えている。 剣を握る手は鉛のように重い。
それでもこのままこうして朽ち果てるわけにはいかない。 まだ そういうわけにはいかない。
否応の問題じゃない。 選択肢があるとすれば それは究極 生か死か になる。
わたしは 怖い。 怖くて堪らない。 ずっと怖いし。 今も 怖い。
けど進む。 粉々に砕け散ることになっても それまで進んでみせる。
いや 進め!ガチガチいう奥歯噛みしめても進め!
これは決意表明。
臆病者の小心者の ヘタレの弱虫の 精一杯の
自分自身に向けた
誓い。
どれだけ怖くて震えが止まらなくても
それでもこの剣をとって。
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ゆうなぎ
2006年12月14日(木) |
「凍える庭の片隅で」 |
「凍える庭の片隅で」
久しぶりに ちびた色鉛筆を引っぱり出してきて 描いた絵は花の絵
凍える庭の片隅で 咲いていた花の名前をわたしは知らなくて
手折って生けたかったのに止めたのは それでも その場所が自分の場所なのだと 小さな花がそう言っているようだったから
どんなに寒くても どんなに冷たい風に吹きさらされても 時折 浴びる暖かな陽ざしに生かされて 命を咲かせるその花が とても 美しく思えて
ちびた色鉛筆で 忘れかけていた絵を描きました
描いた絵は花の絵
名前を知らない花のその名を わたしは知りたいと思いました
凍える庭の片隅で ちびた色鉛筆で 忘れかけていた絵を描きました
描いた絵は花の絵
描きたかったのは わたしです
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ゆうなぎ
「冬の帰り道」
踏みしめる階段 重い荷物 小さくため息 それでも登り出す
見上げる空 何処までも青く 少し切なくなる 冬の帰り道
早送りも巻き戻しも 出来ないから だから 哀しみも苦しみも 確かめながら歩いていく
往きすぎる人 往きすぎる時間(とき)
いつかどんなことさえ ただ想い出になるから
踏みしめて歩く 別れを告げながら
還り着くその場所 探し続けながら
見上げる空 何処までも青く 少し立ち止まる 目を閉じ深呼吸
また歩きだす 昨日から明日へ きっと還り着くと その日を信じて
風が頬をうつ 冬の帰り道
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ゆうなぎ
どんどん言葉にできなくなっている。
説明をすれば きっとクドクドしく長くなって その上 伝えられることよりも言葉足りずで混乱を招く。
どうしても見たくない認めたくないモノは 相手(ひと)にだってあるだろう。 そんなモノを見せても結局 苦しみを増殖させるだけ。
一生懸命やっているつもりでも現実 足りないことばかりなのは事実だ。 外に一人で出ることがとてもシンドイこと。 特に必要書類や手続き関係になると酷く倦怠感が増して辛いこと。 その後 決まって丸一日近く寝込んでしまうこと。
それで?それが? と言われたらそれまで。
元気の仮面を被っているあたしを見ていれば尚更 落差に怪訝にも苛立ちも感じるだろう。 病気で・・と言っても精神の病は他人には なかなか理解しがたいものだろうし。
ごめんなさい。と俯いて黙る他にあたしには術がない。
期待に添えないことへの罪悪感。
それに 知っているから気づいてしまったから。 誰もが一人の人間である以上 脆く弱い部分をどこかに抱えているんだということを。
それは例外なく多分。
子供の頃 親は完全だと思ってた。 でも 親だって人間だってことを自分も親になってみて 始めてきっと知った。
別にイイコぶるつもりも善人ぶりたいわけでも ヤサシいのとも違う。
あたしは怖くて ただ。
自分の傷に触れられるのが 耐えられないから そうして 相手(ひと)に対峙して思考に触れて 説明し合う気力がもう無い だけ。
呑みこんだものはどんどん身体の中に溜まって 澱になる。 これでいいなんて思っちゃいない。
だけどそれならどんな道が他にあるというの? どうしようもないことなんて世の中には思った以上に 当たり前にある。 折り合いをつけながら生きるしかないことで溢れてる。
逃げられはしないし逃げはしないけど そろそろこの剣も使えなくなってきた。 鎧も盾もボロボロでほとんど役にたたない。
声 は届かないのか それとも 声 はとうに枯れてしまっていたのか
書くことさえも。 あとどのくらい。
まだ
まだ
まだだ。
シアワセ になりたい って思うけど ねぇ・・シアワセのカタチを忘れてしまったみたい。
せめて最期の時まで
吸い取り紙みたいに できるだけの哀しみを吸い取って そのままひっそり 無 になってしまえるのなら
少しは誰か楽になれるだろうか
そんな身勝手な想い。
あたたまりたかった。 とても寒かったから。 とてもとても
寂しかったから。
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ゆうなぎ
2006年12月11日(月) |
かなわないゆめとよわいこころ。 |
眠たくて堪らない。
一つのことを集中してするとその後 横にならずにはいられない。 横になると寝てしまう。 寝てしまうと今度はなかなか枕から頭があがらない。 その癖 眠りは限りなく浅い。疲れがとれない。
そもそも そのするべきことすら 自分に掛け声をかけないと やる気になれない。 だから一旦やりだしたらある程度無理をしてでもやるところまで やらなきゃダメだ。
今 いろいろなことで正念場。大切な時期。 子供の受験のことも。仕事のことも。 だのにもどかしいほどに心も身体も思うように動かない。
腰が退けてる。だから身体が眠りに逃げ込もうとしてる。 頭で叱咤激励することでかろうじて 動かしてるのが現状。わかってる。
それで済めばいいけどそれじゃ済まないんだから。 何とかしなきゃならないのに どうしてこんなにダルくて疲れているんだろう。
何も考えずに何もせずにずっとずっと眠り続けたいという 昏い甘い誘惑。
振り払っても身体に粘りついてくるこれは。
願い事を叶えてくれる○○というのを見るたびに あたしの願い事って何だろうって思う。
確かに大切なひとたちのことは ある。 でも 例えば 一つの願い事がそれで叶ったとして それは 始まりであって完結ではないことを 今のあたしは知ってる。
きっと程よいペースで歩き続けることができれば一番いいんだろうけど。 少なくとも ペースを乱した時に少し休むことができれば。
あたしはそれが下手だった上に 休むことが許されなかったいいえ今はそういわせて。 だって休めた?あの時にこの時に休んであたしの代わりは何処にいる?
ずっとそう。
今だってそう。
これからだってそう。
あたしは眠りたい。
仮眠じゃなくて 束の間じゃなくて 身構えながらじゃなくて
深く安心してゆっくりと眠りたい。
眠たくて堪らないけど慢性の不眠症。 矛盾ばかりの睡眠障害。
叶わない夢と弱い心。
わかっているけど今だけ許して。
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ゆうなぎ
2006年12月10日(日) |
精一杯の強がりを今は。 |
日曜が終わる夜はいつも心細くなる。
土曜日は予定通りに子供達と街へ出かけた。 いつものラーメン屋さんでラーメンを食べて舌鼓。 やっぱりここのラーメンが一番美味しいねぇ〜と 汁一滴も残さずに飲み干す親子4人連れ。
100均に寄ってかなりの大判振る舞い。 好きなの買っていいよ!と胸を叩く。
わたしは来年のカレンダーや仕事で使うモノ、文房具関係も 忘れずに。カレンダーは100均のが使いやすくて 種類も早い時期ならまだ豊富。PC横用のとリビング用、両方 予定が書き込めるようになっているヤツ。
子供らもそれぞれに。 でもお金のことを気にして聞いてくる。 末っ子は後から行くことになってるハンバーガー代が 無くなると困ると思ったらしい。
今日は大丈夫だよ、って笑うと安心した顔。 でも無駄遣いしていいわけじゃないから 必要なものだけね!と釘はさしておく。
そういってたあたしがドデカイエンピツ見つけて。 ちゃんと頭には消しゴムついてるし。 こっそりとカゴに入れてたら長男に見つかる。 「まさか それ 買う気?」 呆れた顔で言われる。 『だって・・これさ・・ほら すごいよ! こんなにでっかいのにちゃんと書けるんだよ!!』 必死でイイワケ。 そこに援軍登場。次男と末っ子がでっかいエンピツに大喜び。 お兄ちゃんに 「いいじゃん!お母さん欲しがってるし面白いじゃん!」 あたしもすかさず 『これで書いてるとこ写メして友達に送ったら絶対ウケルって!」 と 熱弁。
結局 ドデカエンピツ お買い上げ。 所有権に関しては何気にお母ちゃんが主張して 今はあたしの部屋にある。なんか見るたびにニマニマ。
あれやこれやの100均での買い物が終わって 今度はハンバーガー屋さんへ。
お持ち帰り分ハンバーグと別にシェークをみんなでお店で。
その後 リサイクル本屋さん 少し冷やかしたけど さすがにあたしが前日から寝てなかったのもあって 疲れてきたからバスで帰宅。
帰ったら お母ちゃんはもうグッタリ。 何が情けないってこれが一番情けない。 たった一日 人中に出て行っただけで あとの丸一日近くは ほとんど寝こんで 最低限 フラフラ食事のことだけ。
PCも立ち上げる気力もなく、昼間かかってきた電話も 後から聞くと また話が通じない状態だったみたい。
普通にできないことはないのに それをした後 同じだけの時間 揺り返しみたいに 頭も身体も動かなくなる。
仕方ない。今はそれに落ち込んでもどうしようもないじゃないか。 頭では理屈ではそう思う。 けど それで割り切れるほど あたしは悟りなんて開けてない。
子供達が喜んでくれたの嬉しかった。 久しぶりの親子での街、ほんとささやかな家族サービスだけど 連れていけて良かったって思った。
でも 同時に 自分の衰えを思う時 どこまで出来るだろうかって それがすごく不安で心細くなる。
新しい仕事のことも友人達があたしの心身のことを すごく心配してくれてる。 病気のことも、今でもかなりいっぱいいっぱいなのも知ってるから。
正直いうと あたしも自信ないんだ。 これ以上はないくらいのあたしにとっては有り難い条件での話だし だからこそ やらせて貰いたいと思ったんだけど。
みんなが心配してるのは きっと あたしが限度を越えた頑張りをしてしまうことだろうって思う。 そしてそれは当たってる。
それでもね・・・やっぱりここは進むべきだって思うんだ。 だってぶっちゃけ 少しでも ほんと お金欲しい。 これから先のこと考えたら 決して楽観できる状態じゃない。
子供達の為も大きい。現実 今からお金はかかるばかりだし。 でもその為だけじゃなくて 自分自身の今後の事だって 考えてなきゃいけない。
子供達にあたしが親としてしてやれることなんて たかがしれてるだろう。どっかで力尽きることだって ないとは言えない。
遺せるものは一つだけ形になったものとこの長い日記、 それからヘタレながらの生き様くらいなものか・・。
それでも自分の面倒くらいは金銭的負担かけずに出来る限りとか 思ったりするわけだ。一応 親って名のつくものとして。
先のことなんて考えたら 明日のことからして 既に 震えがくるほど怖いんだけどね。 そう 怖いの・・考え出せばもう何処までも怖いし落ち込む。 だって不安要素ばかりだもの。 どれだけ楽観的に考えようとしたって。
でも だからって此処で震えてて それでどうにかなるかっていったらならない。
それもあたしはもう痛いほど身に沁みて知ってる。
だったら だったら
突っ込んでくしかないじゃん。
みっともないくらいに足ガタガタでも 大丈夫の仮面の下で蒼ざめた顔が強張ってても。 しゃんとした後でグッタリ動けなくなっても。 とにかく自分のできる全てで
ああ・・これって昔のあの足のつかないプールに 飛び込むときと似てる。
飛びこむしかないなら とにかく飛び込んで 水飲んでも犬掻きでも。
頑張らなきゃ 頑張りすぎても 頑張らなきゃ どうしようもない時ってある。
どうしても逃げることが出来ない時。
八方塞りの日々・・・
アノヒトの告知を受けて アノヒトを看取って アノヒトを送ったあとのあの悪夢
揺り返しのようにきたモノで壊れた心と ストレスの毎日と。
それでも の 言葉。
日曜が終わって始まる月曜日。
やらなきゃならないことでいっぱいの毎日が 気を抜けばあっという間に過ぎていってしまう。
精一杯の強がりを今は。
身の程を大きく越えていたとしても 震える身体は自分の両手で抱きしめよう。
今までしてきたように。
今からもしていくように。
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ゆうなぎ
仕事上での転機が訪れようとしている。 ひとつのきっかけであり、軌道に乗せることができれば 大きな人生の転機にもなりえるかもしれない。
今の仕事も初めはこういう形になるとは思わずに始めたものだ。 それが細々ながらでも無我夢中でやってくることによって ここまで続けることができた。
例えば10年前のわたしに今の現状を見せたら? この仕事のことを言っても想像すらつかないだろう。
人生というのは不思議なものだ。
とはいえ 今でさえ精一杯の状態でアップアップしてる。 新しい仕事が加わればわたしの性格上 かなり無理をすることになると思う。 だけど それを今怖れていたらそれこそ一歩も進めなくなる。
頭も身体もポンコツ状態ではあるけど それでもこの仕事を始めた時のわたしは今よりも 右も左もわからなくて泣きそうな思いをしてきた。 冷や汗脂汗をかきながらの綱渡り。 どうにかこうにか乗り越えてそれでもまだせいぜい犬掻きで 半分溺れかけながら水面からかろうじて顔を出してる。
失敗を怖れるほど わたし自身に失うものはあるのか?
子供達には今以上に寂しい思いをさせることになるかもしれない。 きみに話したら賛成してくれたけども 多分 きみをも寂しくさせることになると思う。
ごめんね。
それでも選択肢は一つなんだ。 進んでみろと声が聴こえる。
薬と二人三脚で。 やれるところまでやってみよう。
今年もあと少し。 飛ぶように日々は過ぎていって わたしは息切れしてばかりだけど。
今日は昼から久しぶりに家族サービス。 子供達のリクエストで街へと出かける。 ラーメン食べて リサイクルの本屋さんを廻って。 ささやかなるお出かけ。 それでも子供達は嬉しそうだから。
帰ってきたらバタンキューといきそうだけど。
がむしゃらに今は往こう。
明日のことがわからないからこそ。
沢山の人がいて沢山の人生がある。 色々な分かれ道があってどれを選んでもそれぞれの イイコトとワルイコトがある。
人は間違えるから人なんだと。 信念をもつことは大切だと思うけど それが必ずしも 全ての正解でないことを せめて知っていたい。
ひたすらに今は往こう。
今日を生きることからまず始めよう
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ゆうなぎ
休み明けは とにかく忙しかった。 というか過去形にできない状態で今もやらなきゃならないことが ギッチリ詰まっている。
仕事の部分でも戸惑うほどに急に。 個人でしていると常に安定して仕事が入ってくるわけではない。 それを知っているからこそ無理をしても引き受ける。 いただける仕事はとにかくなんとしても全力でこなす。 それが結果的には仕事の閑散期を減らすことにも繋がる。
仕事に関しては余裕なんてものを持てるはずも無いほどに あたしは限りなく未熟だ。 未熟だけれども仕事の看板を掲げてる以上はそれでは済まないし それをイイワケにすることだけはしたくない。 今の自分の精一杯を尽くし形にすること。 お金をいただくからにはそれが最低限の義務だと思うし 自分の・・ちっぽけかもしれないがプライドでもある。
なんて・・偉そうに書いたけど 疲れはピークだし苦しくもあるし 自信はないし不安ではちきれそうだし 正直 つま先立って必死で水面に鼻面出しているような状態なので いつ足を滑らせて溺れても不思議はない。
そう・・ここで弱音が胸の奥から沸いてくるのが ヘタレのヘタレたる所以。
変な鼻っ柱の強さというか意地がある癖に 脆い。 アンバランスな自分に苦笑するのはこういう時だ。
高らかに謳いあげられない。 肩に力入りまくってカッコつけたようなこと書いてる自分を 遠くから醒めた目で見ている自分がいる。
心(しん)から酔えれば その方がよほど楽だし可愛げがあるのに どうしてもそれができない。
確かに思っていることは本当だけれども 全部 ひっくるめて自分がどんな顔をしていたらいいのかが あたしには いつも わからない。
ただとにかくひたすらに・・余分なことを考える暇さえ無いくらいに それでやり過ごすしか。
気づいてしまったらダメなんだ。 いろんな不安とか寂しさとかそういうものに。
きみと逢ってからいつのまにかもうこんなに日が過ぎてる。 お互い忙しくて それでもキミのくれるメールに あたしはなかなか返事が出せない。 寂しい癖に。
でも その寂しさに気が付いたら動けなくなってしまいそうだから それにはこの忙しさはちょうどいいのかもしれないなんて 考えたりしてる。
数日ぶりに聴いたきみの声は優しくて あたしはきみの手の温もりを想い出してしまって また走り続けてる走り続ける自分にちょっと泣きそうになったよ。
そんなこといえるはずもないけど。
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ゆうなぎ
2006年12月03日(日) |
ことしさいごのおやすみのひ。 |
逢えて良かった。
繋いだ手の温もりにいつもの街。
ただ それだけだけど あたしにあたしを在るモノとして実感させてくれるのは きみ。
楽しいと笑えることは 嬉しいね。 過ぎ去って二度と戻らないものだからひとは きっとそれを愛しいと思い、大切さを知るんだろうね。
ことしさいごのおやすみのひ。
帰り道の夜空 光るお月さまを見上げながら 家路へと急いだ。
きみも気づいているといいな。
こんなにキレイな月の明かりなのに。
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ゆうなぎ
2006年12月02日(土) |
ちょっと早めのクリスマス |
なんとか仕事完了でないまでも一段落つけられた。
ただ今AM3:40を既にまわってます。 起きれなくなりそうなのでこのままオールナイト予定。
土日はやっとやっと少し休める。 早々とクリスマスソングが流れる街を歩く予定。
居眠りしそうになるかもだけど 束の間でもその腕に縋ればきっと歩ける。
休憩所が待っていてくれますように。
きみに無事に逢えますように。
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ゆうなぎ
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