「泣かないの」
小さな小さな棘 ちくんと刺さっただけなのに ズキンとズキンとココロ そこから離れられない
泣き出したいようなキモチ だけど 涙は胸に重く溜まるばかり
泣きたいの 泣けないの 泣かないの
弱くはないけれど 強くもなりきれず 呑み込んで意地っ張り
大丈夫だよって言うときほど 大丈夫じゃないの知ってる?
気づいてなんて欲しくない 弱味なんて見せない
見ないふりしてよ ほんのちょっと背中貸して
泣かないの 泣かないの 泣かないから
泣かないけど
*
「幻の花」
虫は虫 花にはなれず
虫に生きられるのは 虫の命
虫の心に花の夢 消えずとも 虫は虫 花にはなれず
それでも夢見る虫
年老いて虫 虫として生きられず ましてや花になれるはずもなく
今 息絶えようとする 花を夢見た虫
それを愚かだと 人は言えども
虫は虫 最期まで虫
けれどその心に 咲いた花は 誰も散らせず
たとえ幻でも
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ゆうなぎ
「この小さな手に」
この小さな手に 沢山のものを貰ってきた
どれだけ泣きたくても 泣かなかったのは この小さな手が凍えた手を 握りしめたから
守りたいと思った 誰でもなく わたしが
あの瞬間に
負けないと誓った 誰にでもなく わたし自身に
あの瞬間に
わたしは
守るために 微笑んでいたいと
強くなると
この小さな手に誓ったのだった
*
「シアワセナココロ」
不安 絶望 苦しみ
切なさに涙する夜 繰り返して
何も知らない幸せもある。。 それはきっとそれでとても幸せなこと。
それでも
人の心の痛み。。 理屈ではない答えのでないもの。。 それは苦しみであるけれどきっと 知らないでいるよりも知ったからこそ なおさら人間が愛おしくなるそんな想い。
わたしは 真っ白なまっさらな絹よりも 汚れて洗濯を繰り返したそんな木綿の温もりが 好き。 セツナイたくさんのココロがある。 でも とても シアワセナココロ。。。 愛する喜びを知っているから 泣くほどに苦しくなるほどに 人を愛することができるから
きっと
わたしたちはとてもしあわせ。。。
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ゆうなぎ
「空への伝言」
さんびゃくにんのひとがおそうしきにきて ちいさなてをにぎりしめてうつむいているわたしに くちをそろえてあなたはすばらしいひとだったといいました
命を削って心を置き去りにして そうして築き上げたもので
あなたはすばらしいひとになりました
けれど
聞いていますか あなた
すばらしいひとなんかいらない
わたしと子供達が欲しかったのは ただ
側にいて微笑んでくれる人でした
* 「この世の果て」
飛びたいと願っても 行き着く場所などなかったのに 空の果てにあるのは 何処か でしかなかったのに
それでも飛びたかった この世の果てまで
飛ぶ夢を
見たかった
*
「昨日の夢」
泣きながら目覚めることは珍しいことじゃない 目に見えないだけで傷なら無数にある
消えたいなんて簡単に口にしちゃいけない 涙に溺れても犬かきなら泳ぎきれる カッコつけなきゃいい 生きることを諦めなきゃいい
生きてさえいれば
昨日見た夢 今日はもういない人 だから生きようと思う
明日また夢を見るために
わたしは生きたいと思う
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ゆうなぎ
最近 特にそうだ。 何かをやる前に助走が必要になっている。
やらなきゃならないことでも。 やりたいことさえも。
すぐに やり始められない。 心も身体もだるく重い。 疲労感が酷く ともすれば 諦めそうになる。
諦めてしまえるはずのないこと、 そんな最後の砦さえも虚無の中に 呑み込まれそうになっているのに気づいて愕然とする。
必死で身体を起こす。 そうして助走に入る。 助走の挙句 何とかエンジンがかかる。 そしたら それからはともかく力尽きるまで全力疾走する。
もう長い時間は続かない。持続力が情けないほどに無くなった。 そうして一度止まると また倒れて 走り出すまでに時間がかかってしまう。
でもまだ完全に動けなくなるわけにはいかない。 そうはなりたくないんだ。
この気持ちが最後の最後の砦。 ここだけは放棄しちゃいけない。
頼むから
頼むからジブン。
「わたしの中に」
一瞬で変わっていく 絶望も希望も 全てわたしの中に
出せるはずのない答えでも 出そうと懸命にもがく
出たつもりになった答えで 次の瞬間 足をすくわれる
止まることは出来ない 動けなければ押されて 坂道を転がるから
足をもつれさせながら それでも懸命に歩き続ける
笑顔も泣き顔も 隣り合わせ いつもわたしと共に
平気な顔をして でも 胸が苦しい
大人でも子供でもなく自分でいることが こんなに今 難しいけれど
諦めを憶えることで 生きていけるようになるなんて そんなふうに悟りたくはない
足をもつれさせながら それでも次の一歩を踏み出す
一瞬で変わっていく 絶望も希望も 全て抱えていくもの
全てわたしの中にあって 繰り返していくもの
生きていこう 沢山のものを抱えながら
生きていこう
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ゆうなぎ
「梅雨模様」
しとしとと雨が降り続いている 草も木も空気さえも たっぷりと水分を含んで何だか重たげだ
ねっとりと絡みつくような空気が 後れ毛を首筋にはりつかせて わたしは また 溜息をひとつ つく
いっそ溢れてしまうほどに 激しく降ればいいものを
静かに降り止まぬ雨は わたしの身体をどんどん重くする 静かに降り続く雨は わたしの心をどんどん重くするから
全てに逆らいたくて髪を切った 1グラムでも 軽くなりたくて
闘いを挑むような気持ちで
何もかもに
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ゆうなぎ
ぴえろのうた
「ららら」 この山を越えると きっと見えてくる だから歩こう君 唄でもうたいながら
ららら 踏み出せば痛む足も るるる まだ持ちこたえられるものさ
この山の向こうには きっとあるはずだから
だから歩こう君 調子はずれでもいい ららら 楽しい唄 うたってれば るるる それが元気の素になるからさ
騙されたと思ってでもいい ほら 信じてみてごらんよ
ららららら るるるるる 信じるものは救われる
嘘みたいな話だけど でも 本当なんだよ
希望の国はある 見えないけど明日に
ららららら るるるるる 信じるものは救われる 嘘みたいな話だけど でも 本当なんだよ
希望の国はある 必ず来る明日に
ららららら るるるるる だからとにかく今日を生きよう
今日を生きよう ららら
「衝動」
壊して 壊して 壊して
粉々に
でも
どんなに小さく砕けても 無くならないんだ
わたし
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ゆうなぎ
このところ 日記としての日記を書いてない。 というか なんだか書けないでいる。
昨日あったこと。 今日あったこと。 わたしの言葉にできない。
そういえば と思い出す。 最初に詩を書き出したのも うまく言葉で説明できなかったからだった。
何処までも行き場のない気持ち。 それでも吐き出さずにいられなかった想い。 そんなものを言葉の欠片に包んで綴りだしたのが わたしの詩(うた)の始まりだった。
元々 不器用モノで言葉にするのが苦手。 今 また 疲れて言葉が文章にならなくなってる。
でもだからならば わたしは詩(うた)おう。
誰の為でもなく自分自身の為に。 そして こんな調子はずれの詩(うた)に耳を傾けてくれる 何処かにいる誰かの為に・・。
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「哀歌」
深い闇の中 ただ倒れ臥している 幾度も繰り返し与えられた苦しみで わたしは疲れ果て もう身動きすらできない
擦れた声で 助けを叫び求めても ただ虚しく消えていくだけ
闇は続くばかり 顔をあげようとしても その力すら この身には残っていない わたしは疲れ果て もう目を閉じるばかり
擦れた声で 誰かを呼び求めても 助けなどくるはずもない
それでも まだこの道を生きよというのですか 幸福がどんなものであったかを忘れてしまったわたしに
痛みで覚醒させよ と 泥の中にあるものをこそ見よ と
これは絶望のうた これは希望のうた
哀しみのうちでしか見つからぬものがあるとしたら
いつか何かを越えて わたしにも見えるのでしょうか あなたが
わたしにも逢えるでしょうか
あなたに
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ゆうなぎ
「あれから」
ベランダの黄色い小菊が風に揺れています ほかほかとした陽射しが 洗濯物を干す手をふと止めさせます
見上げればほっこりと白い雲が 吸い込まれそうな青い空にひとつ・・ あぁ・・・ 向こうにもひとつ・・ 3年という年月は長いのでしょうか短いのでしょうか ただ わかることは あれからずっと捜し続けているということ 永遠に見つからない さがしもの
遠い思い出 人影
今日はあなたの誕生日です 一週間 間に合わなかったから わたしはあなたの年を追い越してしまいましたけれど 夕食は好きだったものにしましょうね
命がひとつ消えても 日は昇り日は沈み 今日も何処かで人は泣き笑う
そんな当たり前のことが しみじみと胸に沁みます
穏やかな晴れた日の午後です
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ゆうなぎ
「blue」
涙の色は知らない 味なら知ってるけど しょっぱい
サヨナラばかり繰り返して それでも慣れずに そのたび傷を負う
痛いよと叫んで それで癒されるなら 声を限りに叫ぶ 血を吐くほどにでも
痛いよと叫んでも 何も変わらないから 俯いて飲み込むしかないじゃないか 言葉を
時間は時に人や人との関係を歪めて変えていくけれど もしも 失くしても せめて静かに見送り諦められるようになりたい
わたしは青く透明な漂うものになって 緩(ゆる)やかに目を閉じたい
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ゆうなぎ
思うことはあるのにそれが言葉にならない。
無邪気に どうして?って聞けるのは幸せなヒト。 言葉にしてしまう方が辛くなることを知らずにいられるヒト。
願いも望みもあるさ。 けど一番欲しくて堪らないものはもう永久に失われた。
アナタが当たり前に持っているモノ。 アナタが当たり前に口にするコト。 失くすことなど思いもしないでいる。
失くしたことが無いヒトほど勇猛果敢で威勢がいい。 失くすことの真実(ほんとう)を知らないから 迷い無く言えるコトバ。
きっとそれはそれでいいんだ。 ずっとそう信じていけるのならそれが一番いい。
ちょっと苦笑いしながら でもわたしは本当にそう思うよ。
悲恋も悲劇もせめてモノガタリの中だけの方がいい。 哀しみや苦しみ、泣き顔はもうたくさんなんだ。 モノガタリでも もう今のわたしはそんなの見たくない。
気づかないで済むことなら気づかないでいた方がいい。 痛みなんて知らないで済めばその方がいい。
いつも前向きに生きてると笑っていられるなら その方がずっと いい。
願っても叶わないことはどうしたってあるから。 それを後ろ向きと呼ぶなら呼んでくれてかまわないから せめて それ以上はわたしの傷に触れないで。
アナタのこと好きだよ。 太陽の下を眩しいほどの笑顔で。 アナタはそれでいいんだと思う。 ずっとそのままで と願う。
アナタは昼を往くヒト
わたしは夜を往くもの
ただそれだけのこと。
時々 昼の風景を眩しく見つめたあとで わたしは目を閉じてちいさく微笑む。
ただ黙って静かに微笑む。
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ゆうなぎ
「雨の日の憂鬱」
例えば手足を思い切り伸ばして 畳に大の字に寝転がってみる そんなことすら忘れて もう どれくらいになる?
鈍く痛む頭と からっぽの心と 湿気て重たくなった身体
降り続く雨の中 靴を濡らしながら ぼんやり紫陽花の空色が 滲むのを見ていた
いつかと思いながら 落としながら歩く もう少しと迷っているうちに できなくなることが こんなに沢山ある
本当は 本当は
ほんとうは・・・
例えば全力で走ってみる 地面ではなく彼方を見つめて
いつか雨はあがる
此処からどこに往こうか
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ゆうなぎ
誰かからのアドバイスとか答えが欲しいわけじゃないんだよね。
だってしっかりしろとか もっと頑張れとかの激励とか 多分正しいんだろうと思う前向きな考え方とか そういうの 自分がジブンに既にひゃくまんかいくらい 言い聞かせてるからさ。
多分 アタシ達を一番厳しく見てるのはアタシ達自身だ。
こうした方がいいとかこうできるはずとかそういうのも 既に何度となく頭の中のジブンから聞いてる。 それでも思うように動かないココロとカラダに 誰よりも焦って苛立ってるのも自分で。
だから なんでこんなふうにできないの?って言われても困るわけさ。 そこまでいうならアタシの人生をアナタの人生をかけて 軌道修正してくれるかい? そんなの無理なわけでしょ?
どんなに苦しくても回り道してても 歩くのはこの足で動かすのはこの手で 考えるのはこのポンコツ頭。
そうしなくてもいい羨ましいヒトも中にはいるけど 少なくともアタシはそうじゃない。
歪みもアンバランスも無駄な回り道も どんな形でもとにかく今日を生き延びて 明日を見る為の術(すべ)
不器用なことだけど それでもそれが残された矜持。
アタシの。
「涙 ひとつぶ」
哀しいくらいに無口になったよ
まるで声を失った人魚姫のように 伝えたいことはあるのに 言葉は心の深海に沈み込む
アイシテルと言うたびに孤独になるから いつか微笑むことしか出来なくなっていた
激しくなる雨音を聴きながら 今夜も眠れずに 小さな涙色のビーズで指輪を編む
手から落ちた一粒が音もなく転がって
タスケテナンテイワナイカラ ワタシヲヒトリニシナイデ
手から落ちた一粒が何処かに消えて見つからない
タスケテナンテイワナイカラ ワタシヲヒトリニシナイデ
涙 ひとつぶ
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ゆうなぎ
2006年05月15日(月) |
花束と夜のけん玉修行 |
その前の日は一段とひどかった。
言葉でうまく言えないから地団太を踏む。
イイコでいなきゃというので精一杯 学校や友達の前では 頑張ってるんだろう。昔からこの子はそうだったから。 それで家で甘えたいのにいつも3分の1だし それすら今のわたしはささやかなる仕事と自分の心身保持で 必死で充分 満たしてやれてない。
もっと甘えられるはずの時に父は闘病の末に死んでしまって まだ甘えたくて当然の年頃の今 母の調子は優れずに 生活と仕事で必死になってる。
SOSに聞こえる。甘えの裏返し。 喚く、叩く、蹴る、それに地団太を踏む。 バカ、死ね、クソババアの罵声。
ほんとうにちょっとしたことで家ではキレる。 一拍 返事するのが遅くなったとか 上の二人に言葉で言い負けて思う通りにいかないとか (それが自分の方がワガママを言っていても) あたる相手はわたしになる。
不憫な反面 複雑な気持ちは この傾向が亡夫とまるで同じだから。
疲れて途方にくれてしまいそうになるんだ。 この子の気持ちが痛いほどわかりながらも。
そんな時 ちょうど実家の親から下の二人だけでも 週末実家に来させたら?と電話があった。
わたしも仕事が入っているし 一番上の子も用事があったから残るということで。
末っ子は真ん中と実家へお泊りに行った。
帰ってきたのは母の日。日曜日の夕方。 実家の庭で咲いたという薔薇の花束を 白い広告の紙の裏で包んでいて そこにはヘタクソな だけど一生懸命書いたんだろう 「おかあさん、だいすき。いつもありがとう」とマジックで。 何とか読めた(笑)
おじいちゃん(父)とじっくりと話したらしい。 これはおばあちゃん(母)からの報告。
わたしと直接じゃない分 素直に気持ちが話せたのかもしれない。 そして 話したことで少し楽になったのかもしれない。 おじいちゃんと約束したそうだ。 地団太踏まないこと。お母さんを叩いたり蹴ったりしないこと。 言葉でちゃんと伝えること。
花束をくれた後 早速「遊んで」と「一緒に寝よう」ときた。 正直仕事が入っていたけど今日ばかりは と とにかくPCを落としたけどその間の少しがやっぱり待てない。 みるみる機嫌が悪くなってヒスが出そうになってた。
でも そこからが違った。 地団太踏むの堪えてる。いつもなら叩いたりしてくるのに ぶーたれながらも我慢してる。 と思ったら何やら紙にゴソゴソ書いてる。 で 無言で差し出した。
開いてみて思わず吹きだした。 四つ折りの紙の表書き ”読め!” で 中身は ”バカバカバカ!クソババア!!” とでっかい字で書きなぐってて。
我慢したんだろうなぁ。 おじいちゃんと約束したから。 地団太踏まず、わたしを叩かずに でも納まらないから紙に書いたんだ。
なんだかたまらなく愛しくなった。 この子も闘ってるんだなぁ・・自分と。
PCの電源も落として ふて腐れて でも 待ってる末っ子のところへ 急いで行った。
ごめんね。前に遊ぶ約束してたもんね。
ちょっと拗ねてたけど そのうち 今凝ってる けん玉持ってきた。 これやろうって言う。
え?今から?この夜遅くに?って思ったけど え〜い!いいや!と開き直った。
このけん玉師匠はなかなかにキビシイ。 腰の入れ方から足の曲げ方手首の返し方まで 違ったら怒られるし。 うまく何とかできて「よーし!そう!その調子!」と やっとお褒めの言葉が出たときには満面の笑みになってた。
その後は絵本を布団の中で読む。 あれもこれも・・と全部で10冊近く持ってきて 読んでるうちにふにゃふにゃといつの間にか 5冊目の途中で眠りの海に沈没した。
楽しそうな幸せそうな顔して笑って。
ぴったり寄り添ってわたしの足に足を乗っけて。
その顔見ながらわたしもいつの間にか眠ってた。 あの花束 明日の朝一番でいったんつけている花瓶から出して とっておきの花瓶に入れて玄関に飾ろう。
ヘタクソな字の「おかあさん、ありがとう」は きれいに畳んでそっとわたしの宝箱に入れた。
親に似たのか不器用な子ばかりで お母ちゃんもなかなか大変だけど
やっぱり かけがえの無いものだから こうしてそれを抱きしめていられるから
きっとわたしは生きていけるんだと
そう 思うんだ。
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ゆうなぎ
明け方近かった。
PCの画面を閉じて暫くして 寝なきゃ・・と思って。 体調は相変らずはっきりしないし 疲労の蓄積は意識していたけど それは急にやってきた。
なんだかすごく・・気分が・・悪い なんだかすごく・・暑い・・・ 汗が 嫌な汗が だらだらと流れて止まらない。 冷汗というかあぶら汗というか・・ 着ているTシャツがぐっしょりと濡れるほどで 立ち上がって歩こうとするが頭がフラフラして歩けない。 その間にも滝のように汗はしたたり落ちる。
とにかく這うようにして台所に行って コップに氷水を作って流し台に縋りつくようにして飲んだ。
薬は飲んだはずなのに・・とか どうしたらいいんだろうとか 半分意識が無くなりそうな頭で考えるが それも途切れそうになる。
濡れたTシャツが張り付いて冷たさと妙な熱っぽい暑さが たまらなく気持ち悪くて剥ぎ取るようにTシャツを脱いで 手近にあった洗濯したTシャツに何とか着替えた。
それから頭に貼る冷却シートをおでこに貼ったら もう完全に限界だった。
布団に倒れこむ。 横になると若干楽にはなった気がしたが 気分は相変らず良くない。 汗は少し治まった感じもあるが変なノボセ状態は続いていて その上 左足に軽くだが痺れが感じられる。
どうしよう・・と思った。 大げさなようだけれども もしも これ以上状態が悪くなったら 救急車とか入院とか 子供達 実家のこと・・・
そう思いながらいつか意識が途絶えた。
朝 目が覚めるとダルさとキツさはまだ完全に消えてないまでも いつもくらいの倦怠感レベルにまで戻っていてホッとする。 左足の痺れも消えていた。
ただなかなか枕から頭はあげられなくて 結局 昼近くまで子供らが寝ているのをいいことに わたしもうつらうつらとしていた。
最近時々 この冷汗というかあぶら汗の症状が起こる。 身体の状態があまり良くないのは何となくわかる。 親からも一度検査に行っておいた方が良いとこの前も 言われたばかりだし 自分でもそれは思う。
ただ今のわたしには心療内科への通院だけでもかなりの 気力を必要としてる。この上 精密検査の気力が どうしても出ない。 先延ばしは結局 亡夫の二の舞になりかねないじゃないかと 感じながらも身体が動かない。
生活に追われて 子供達のこと実家のこと仕事のこと 気の抜けない毎日の中でのストレス。 気ばかり張りつめていて。
そういえば 夫が生きていた頃にも(別の病気でだが)数度 夜中に体調が悪くなって 救急車で運ばれたことがある。 その時ももう意識を失う寸前の激痛なんだけど 携帯と充電器だけは持っていかなきゃと 這いずってポケットに押し込んで短いメールすら根性で 打ちさえした。変な所での精神力の強さには自分でも 呆れかえる。その後 即入院・手術となったのに良くもまぁと。
痛いのも苦しいのも情けないほど苦手で我慢できない方だ。 この時もかなり痛い目にも苦しい目にもあったけど そりゃ痛いです。キツイです。と弱音吐きまくりだった。
それなのに変な所でなんで精神力が働くのかと考えてみると それは結局 頼りになるのが自分だけだったから 病院やお医者さんに自分をとりあえず委ねるまでは・・と その一心だったのだろうと思う。
亡夫は頼れる人では無かった。 特に家庭の中ではどうしていいかわからなくなると 逃げ出してしまうタイプの人だった。 だから少なくともその状態の中で常にわたしは気を張って 修正したり守ったり保ったりしていなくてはならなかった。 そんな十数年を過ごしてきて あのひとは最期までそれで逝ってしまったから その染み付いた癖は今も残っているし 今では 縋るワラさえ無いのだから尚更仕方ない。
不安は大きい。 考え出せばキリが無くなる。
二の舞になるようなことが万が一にもあってはならない。 だから検査にはどちらにしても体調と気力が少し落ち着いた時にでも 何とかして行かなくてはと思っている。
後はもう無いんだから。
もたせたい、もたせなくては。 心も身体も 1日でも1分でも1秒でも長く。
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ゆうなぎ
どうにも体温調節がうまくできない。
この湿気を含んだような内側からのベタつきと 嫌な熱気。キモチの悪さにイライラが募る。
確かにまだ5月というのにこの蒸し暑さは 尋常ではないと思うけれども そういう外からのモノとは別に 微熱というかノボセが抜けない。
普通わたしの体温はかなり低い方なのだけれど それが約1度くらい高い状態が続いてる。 普通の人なら平熱範囲だろうけど これはわたしにすればかなりキツイ。
身体のダルさも抜けないし せっかく新たな仕事の依頼もいただいていて 何とかメールでの打ち合わせに入っているけれども なかなかやる気になれない。 この打ち合わせが仕事を形作っていく土台ともなる 一番大切とも言える段階なのに 気合を入れてテンションを高くしていかないと なかなかPCを立ち上げるまでに至らないのだ。
とりかかり始めるとさすがに集中しなければ・・と思うし 仕事モードに入れる。でもそれも以前のように持続力が出ない。
せっかく少しずつでも仕事が上向きになってきている今なのに 精神力と身体がついて行かなくて息切れしている。
それが何とももどかしい。
明らかに腰が退けている。
それが情けない。
焦る。どうしようもなく焦っている。 焦っているのに身体がすぐに横になろうとする。 精神力が弱っているのがわかる。
どうしたらいいのかわからなくなる。 逃げ道なんて無いのに。 泣きべそをかいても自分でどうにかするしか無いのに。
いつのまにか更年期障害という言葉が気になる歳に なってきたのだな・・と思う。 ましてや薬に依存して何とかもっているような状態の今 どちらにしても気の重いこと。
やらなければならないことは山積みだ。 泣こうが喚こうがそこからは逃げられない。
どこか呆然と積み上げられた責務の前で佇んでいる。
どうせやらなきゃならないものを と もう一人のジブンの声がするが
わたしはこのベタついた微熱のせいか まだ此処から動けずにいる。
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ゆうなぎ
2006年05月10日(水) |
仄昏く澱んだユメの底で |
眠たいというよりもだるくて起き上がれないような 身体に絡みつく疲労感。 続いている微熱。
眠りが浅いのか細切れにユメばかり見ている。
変に微妙にズレた なのに現実感のあるユメ。 息苦しいような歪んだユメ。 そこはいつも仄昏く澱んでいる。
自分の叫びで目が覚めたりする。 悲鳴ではなくて苛立ち。咆哮。 虚しいと知りつつ叫ぶ そんな。
仄昏く澱んだユメの底から遠い水面を見上げる。
なんとか浮かび上がらなければならないのに 手足が鉛のように重くて動かない。
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ゆうなぎ
「昇華」
いつか なれるだろうか
許せるものに 許されるものに
静かに 穏やかに ただ そこに在るものに
日射しの温もりや 柔らかく降る細い雨や 季節を運んでくる風
繰り返しながら その度新しく生まれ変わっていく 沢山の命
微笑みながら 月の綺麗な夜 ほんの小さく瞬くあの仄蒼い星に
わたしもいつか
還ろう
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ゆうなぎ
GWは慌しく過ぎていった。 もう数年前からGWを休みという意識では捉えられないわたしがいる。
学校関係のことを気にしなくても良い分だけはいいけれども ただ それだけのことで世間様のような彩りやワクワク感とは無縁だ。
むしろこの後に詰まった行事予定を考えると 気が重くなる。早々と五月病? でもたしかあれって 遊んだり休んだりしすぎてなるものだよな。 だとしたらこの状態はどう表せばいいんだろう。
当たり前であったはずのことが当たり前で無くなってしまって 仕方ない が口癖になってて。
それでも確かにコウフクな時もあったはずなのに なんだかもうそれすら本当にあったことなのかすら わからなくなってしまって 何処か霞がかかったように・・・ 遠くて。
変に熱っぽい身体。 気鬱に消えないだるさと倦怠感。
頑張らなきゃどうしようもないし 有難いことに細々ながら仕事の方も 問い合わせをいただいていたりするし 要するに 頑張るしかどうしようもないし 頑張るしか。
泣けないのに どうしてこんなに泣きたいような気持ちになるんだろう。
いっそ泣けていた頃の方が・・と考えそうになって いや、だけど と 思い直す。
それじゃ生きてこれなかったじゃないか。
いつか 何もかもから解放されて 何ものにも追われず 何ものとも闘わずに
ただ 丸くなって包まれて安心して眠り続けたいと。
そんな
ゆめのまた ゆめ。
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ゆうなぎ
実家と自宅を行ったりきたりしてる。
一応 本業の仕事はGW中休みにしているとはいえ 副業の方は一日一日を積み重ねていかなきゃいけないものだし 本業も仕事依頼のメールは年中無休受付しているから そうそう長期にわたってPCを立ち上げないわけにはいかない。
それで必然的にこういう形になる。 ゆっくりとしたレジャーとは久しく縁が無いが これも仕方ないと思っている。
実家では大ばあの介護補助をせめて少しでも。 これは両親の負担を少しでもできる時には軽く出来たら・・ という気持ちもあるが 何よりもわたしが大ばあに触れたり 話しかけたりしていたいんだ。 そうして安心したいっていう 想い。
これは365日で無いからできるってこともあると思う。 介護っていうのはキレイゴトだけでできるものじゃないから。 24時間365日になるとそりゃストレスは並大抵のものじゃなくなる。 それは情が薄いとかそういう問題じゃない。 それほど 一人の人間の全部の重さを受け止め支えるということは 大変だということ。
言葉でいうのは易しい。 でも現実の日々は毎日そこにあって それと向き合ってこなしていかないと 一日は無事に終わらない。その逃げ場の無い厳しさ。
子育てと介護はどこか似ている。 育っていくものと還っていこうとするもの。 ただ それだけが違うだけで。
そうしてどんな形にせよ、どんな立場でにせよ わたしたちは誰もが それらと関わって生きていく。
生まれて死ぬまで誰の手も借りずに生きていくことのできる人間はいない。 否応なく例外なく。
実家は田舎なので この季節、晴れた日には鳥のさえずる声がする。 窓を開けて涼やかな風に吹かれて目を瞑ってその声を聴いていると 色々なことが想い出されてくる。 不思議とそれは懐かしさと優しさだけに包まれているもので わたしを微笑ませる。
いつのまにか 鳥の声は止んで 大ばあが小さな声で昔の歌を歌っていた。
少し調子の外れた でも童女のように澄んだ声の大ばあの歌が わたしはとても好きだ。
生きていく上で できることはカナシイほど限られていて 叶わない望みの方が時として多かったりして 精いっぱい抱きかかえたつもりの腕の隙間から ポロポロとこぼしてばかりなのが堪らなく切なくなるような この人生。
道はいつも曲がってばかりで わたしはいつも迷ったり遠回りばかりしている。
それでも
あの歌声を聴くたびに あともうすこしだけ 頑張ってみようと そう思うんだ。
少し調子の外れた でも童女のように澄んだ声の大ばあの歌が わたしはとても好きだ。
とても とても
好きだ。
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ゆうなぎ
好きなものは沢山ある。
まず本。 これはわたしにとって切り離せないもの。 書くことと共に読むことが好きだ。 ただ 最近ではあまり重たい内容のモノは 敬遠するようになった。 なるべく自分の人生や生活から遠いものを選ぶ。 感動的といわれるモノや恋愛モノも今は勘弁と思う。 波乱万丈は人生だけで充分(苦笑)
軽いエッセイにミステリー、ファンタジー 民俗学的なものにも惹かれるのは子供の影響かな。
漫画も勿論読む。漫画と本の区別はわたしの中で無い。 詩のような美しい漫画もあれば一度読めばもういいや というような本もある。
漫画でも本でもどんなジャンルでも こればかりは人それぞれ。 若い頃 好きだったのに読むのが辛くなって もう手に取ることができなくなった本もあれば 反対に今の自分じゃなかったら読む気にならなかっただろう本もある。
それが本・漫画・・一つの物語を読む ということの 魅力なのかもしれない。 これは音楽にもいえることだけれども。
変わらず好きなもののひとつに硝子がある。 硝子でできたアクセサリーや雑貨小物。 繊細で脆くてコワレテしまうセツナサを秘めていて だのに何処か温もりを感じるような硝子が好きだ。 どちらかというと玩具めいた そんな小さなささやかな硝子細工が。 そんなものを飽きずに眺めている。
それだけでなくてもわたしの惹かれるものは興味の無いヒトから見れば 全然価値のないだろうというようなものが多い。
でも本人は全然平気。 そういう所は変わっているのかもしれないけど 流行モノにはあんまり興味が無くて 何でも選ぶ基準は 自分が好きか嫌いか それだけ。
すごく小心者の反面 例えば他人に気を遣うより 一人でボンヤリしてる方が良いし 子供のママ友達のグループの何処にも属してないのに平気。 揉め事起こすのは嫌なのでただひたすら空気みたいな存在に なれたらいいなと思うだけ。
心許せる大切なひとたちは みんな遠くに住んでいるけど こうしてネットという便利なものがあるお陰で 繋がっていられる。 それで充分。 というか ただ近くにいるだけの うわべだけの友達はいらない。
それは友達というよりも知人で それはそれでいい。
月 妖精 たんぽぽ 硝子細工 ももいろ レース 銀の指輪 お気に入りの本 に 好きな音楽
それから いちばん欲しいのは やさしいじかん。
目を瞑って頭を肩に預けて うつらうつらと眠る。
そんな夢を みる。
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ゆうなぎ
5月連休の谷間の2日間。今日と明日。
明日はわたしの病院の日。 薬を貰って来なきゃ。 そしていつも通りに。
睡眠薬はもう必要ないように思うけれども まだ眠れない時があるので・・と嘘をついて貰い続けている。 どんどん溜まっていく眠剤を見て安心する。
それでどうしようというわけでもないし。 それで死にたいと思っているわけではないけれども 何処かで「これで死ぬということを選ぶことも可能だ」と 思い込みたいのかもしれない。
実際ODしたことも無いし それが楽な逝き方というのも 間違いだと思うけれども。
日々はそれは色々ある。 けれども 生きてるし生きてやるんだって思う。
楽しいことが無いわけじゃない。 気休めでも何でもそれはやっぱり幸せなことだろう。
鬱は自覚しているが 鬱が高じるとひっくり返って躁になる傾向があるように思う。 究極の自己催眠?でも結構これは効く。 だからそれが躁症状でもいいんだ。
硝子細工が好きだ。 歳に似合わない細々した可愛らしいモノに惹かれる。 どちらかと言わなくてもチープなモノ。 そしてストレスが高じるとネットショッピング。
正直 それでも無駄遣いと言われてしまえばそれまで。 そんな余裕かましてるくらいなら少しでも他の事へってのが 正論だろうな・・と。
けど ずーっといろんなこと我慢ばかりしてきたアタシには この楽しさはかなりの癒し。 そしてこれは自分ながらジブンらしいなと思うのは それなりに副業でコツコツ貯めたものを充ててる点。
良くも悪くもあくまでも管理できる枠内。 小心者ってのもあるし とにかく借金には酷い目にあってるから。
器 ちっちゃい。ほんと笑っちゃうほどそういう意味では。 勝負師にはなれない。
さて 5月初日。 色々とあったけどとりあえずは今日も生きてる。 この蒸し暑さには閉口するけど。
連休、ニュースで家族で出かける様子が映し出されてた。
やっぱり 二度とその位置に立てないことは切ない。
歩いてきた人生に今更後悔はしたくないが 五月晴れの下 幸せそうに微笑む家族連れ。
夫 という存在。 父親という存在。
もう永遠に失われたその穴を 時折 風が吹き抜ける。
その言葉がいつの間にか 当たり前のように とても遠いものになっていて どうしようもなく堪らない気持ちになる。
ゴールデンウイークは家族週間みたいでキライだ と ヒネクレテ悪態ついてみたくなったりする。
ねぇ
たまには こんなふうに吼えさせてくれよ。
小さな声でなら いいだろ?
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ゆうなぎ
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