銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2006年10月30日(月) 何事もない日

病院から退院してから一ヶ月半ほどがすぎた。

退院前のような気分の落ち込みは、ほぼ消えているが、記憶力や判断力、注意力は回復しないままだ。

ある日突然回復する、というものでもないから、ただひたすら療養に専念してその日その日を過ごしていくより他ないのだが、なかなか回復の手ごたえを感じることができない日々をじれったく感じてしまう。

今日は特に何もない日だった。

強いて言えば、少し精神的に落ち込み気味だったということくらいだ。

調子が上がったり下がったり、それを繰り返して徐々に回復していくのだろう。

昨日より今日、今日より明日、という風に調子が上がってくれればいいのだけど……。



2006年10月25日(水) 目覚めるとお昼

このところ、ずっと「朝起きられない症候群」に悩まされている。

今日は午前11時から心理士さんのカウンセリングを受ける予定だったのだが、起きたのはなんと午前10時30分。

病院までは車で30分弱かかるので、予定の時間にはどうやっても間に合わない計算になる。

僕はとにかく着替えなどの出かける準備だけして、朝食も食べずに病院に向かった。

病院に着いたのは午前11時10分頃。まあ、遅刻としては何とか許容範囲内といったところか。

心理士さんには、自分が思っているようなスケジュールで生活できない苛立たしさを聞いてもらった。

病院から帰って、遅い朝食を取った。

パンをモグモグと食べながら、「自分何やってんだろ?」とあらためて自分の自堕落さを呪った。

このところ、睡眠が本当におかしい。
際限なく眠ってしまうのだ。

一日10時間眠るのはザラで、ひどいときは12時間眠るときもある。

毎日午前中を無駄にしている気がして、そういうことをする自分に腹を立てている。

うつが始まったころは不眠に悩んでいたのに、今では過眠に悩まされている。一体何が悪いのか、原因はさっぱり分からない。

それから、今はやる気のなさにも悩まされている。

毎日3時間くらいは勉強しようと思っていたのに、実際は1時間もできていない。体がだるく、机に向かうことができないのだ。

どうしてこれほど体が、頭が思うように働かないのか、悔しくて仕方がない。

まだ病気が完治していないからなのか、それともこの自堕落な姿が本来の自分なのか。後者だったらどうしよう?どうしようもない。

ハア……高速道路を200キロでぶっ飛ばして走りたい気分だ。

何でもいい、スカッとしたい。

少しの間だけでも、この悩みから開放されたい。



2006年10月20日(金) 泥棒はいる。でも実感はない。

今日は何もする予定がなかったので、だらしなく朝食も取らずに昼まで寝ていた。

のそのそと起き上がり、朝食を取った後、ごろごろと横になっていると、ピンポンと玄関の呼び鈴がなる音がした。

いったい誰だろうと玄関に出てみると、立っていたのは警察官だった。

何かと思えば、僕が住んでいるアパートの隣の部屋に泥棒が入ったので気付いたことを教えてほしいとのこと。

何か物音を聞かなかったとか、裏口の方を歩いているような気配を感じなかったとか、いろいろと尋ねられたが、ずっと寝ていた僕には何一つ思い当たる節がなかった。

警察官は一通りのことを僕から聞くと、すぐに立ち去ったが、僕はその後もしばらく隣人に泥棒が入ったという異常事態に対しての動揺が消えなかった。

別に自分の部屋に泥棒が入ったわけでもないのに、隣人に泥棒が入ったという事実は、誰でも犯罪に巻き込まれる可能性があるという当たり前のことをあらためて眼前につきつけられたような気がして、僕は身震いした。

この世に悪、裏があるという事実。

僕のような世間の厳しさを知らないで育った「ぼっちゃん」には肌で感じることができないようなことが、この世の中には厳然としてあるのだ。

まあ、あらたまって言うほどのことじゃないけれど。



2006年10月17日(火) 長崎、行きますか?

数日前、父からメールが来た。

内容は、父の生まれ故郷である長崎で父の同窓会が催されるので一緒に来ないか、というものだった。

もちろん、同窓会自体には出席するわけではないけれど、長崎に行くという遠方の地に行くことが僕の気分転換になるのではないか、と気を使ってくれたのだろう。

僕は、少し考えてから返事をします、と返信した。

長崎には、僕が小学校五年生だったときに一度だけ行ったことがある。
行った理由は、確か親戚の結婚式があったからだったと思う。
時期は、十一月の半ばくらいだったろう。

父の故郷は、長崎とはいっても長崎市とかではなく、壱岐という島だ。

壱岐の海はとても美しい。
エメラルドグリーンに光りながら打ち寄せる波が鮮烈に脳裏に焼きついている。

僕はその島の砂浜で、たくさんの貝殻を拾った。
拾った貝殻は家に持ち帰って、僕の宝物にした。

壱岐の島での出来事は、とてもいい思い出として残っている。

その島にもう一度行くことができるというのは、それ自体はとても嬉しいことだ。

ただ一つ気がかりなのは、父との会話のことだ。

果たして間がもつだろうか。

父と二人きりで長時間話し合ったことなど、これまで一度たりともなかった。

会話らしい会話をするようになったのは、僕がこうして病気になって、父が僕に関心を持つようになってからのことだ。

両親は兄、姉の面倒はよくみていたが、僕にはあまり関心を示さなかった。

それは僕が両親が何も言わなくても学校でいい成績を取ってくる「真面目なよい子」だったからだ。

まあ、要するに、兄、姉の影に隠れて放って置かれたのだ。

別にそれを恨んでいるというわけではない。
ただ客観的に見てそういう経過をたどってきた、というだけのことだ。

両親は両親なりに全力で子育てをしたのだろう。

僕がこのような病気になってしまうような体や心を持つようになってしまったことを、両親のせいにすることはできない。

ただ、両親と僕との間に溝が生まれてしまったことは確かなことだ。

だから、僕と両親とが会話することは普通の家庭に比べて著しく少なくなってしまったのだ。

もし、僕が今回の旅に同行したとしたら、少しはその溝が埋まるだろうか?

埋まるかもしれないし、溝を際立たせるだけかもしれない。

埋めたい、とは思う。

少しでも、父の持っているものを受け継ぎたいと、今は切に思う。

父は還暦を迎えた。まだ若い、とも言えるかもしれないが、もういつ亡くなってもおかしくない、とも言える。

今回の旅は父と会話をする絶好の機会だ。

なのに、父との間にある溝のために、素直に承諾できない自分がいる。

気にしなければいいのだろう。

そうすることができれば、どんなにか楽なことか。

何にせよ、近いうちにあらためて返信しなければならない。

どうするか、悩ましいことだ。



2006年10月14日(土) 携帯を変えました。

今日、携帯電話の機種変更をした。
僕が持っている携帯はソフトバンク。新しく手に入れたのは910Tという機種だ。

その携帯に付いているカメラの画素数は3.2メガピクセルで、今僕が持っているデジタルカメラよりも画素数が多い。
これからはデジカメを持ち歩く必要がなくなるかもしれない。

時代の変化は早いものだ。ほんの二、三年前まで、100万画素のカメラが携帯に付いていることが話題になっていたのに、今や100万画素なんて時代遅れもいいところになっている。

パソコンの進化のスピードも驚くほど早い。
CPUやメインメモリの性能もうなぎのぼりに上がり続けている。

近く、ウインドウズも新しいバージョンが出るという。

今僕が使っているノートパソコンが事実上使えなくなる日も、それほど遠くはないのかもしれない。

気のせいかもしれないが、世の中(抽象的な言い方だけども)の流れが最近はどんどん早くなっている気がする。
そして、それに付いていっていない自分を感じる。世の中から取り残されているような気分になることが多い。
そう感じるのはうつのせいだろうか?


今、こうして休職している間、新聞やテレビを殆ど見ていないが、いざ職場復帰してみたら自分が浦島太郎になっていた、なんてことになったら嫌だなあと思う。

できる限り仕事に役立つ情報は集めていくつもりだけど……どれだけできることやら。


あーあ、今日は何か随筆のようなことを書きたかったのに、アイディアが思い浮かばなかったなあ。
脳みその休職中なのかなあ。



2006年10月13日(金) ポテトサラダはいい出来でした

今日は資源ゴミの回収の日だった。

僕が起きたのは9時過ぎ。ゴミを出すにはギリギリの時間だ。

食事も取らず慌ててゴミ出しをした。何とか間に合ってホッと胸を撫で下ろす。かなりゴミがたまっていたので、今日出せないと嫌な気分になるところだった。家にあったゴミの殆どがなくなり、少し気分が良くなった。

朝ごはんを食べた後、何もやる気が起きないので少し寝た。
と、少しのつもりが三時間経ってしまい、今度は少し嫌な気分になった。

午後は昼ご飯を食べて、買い物をしたらそれで過ぎていった。

ホームセンターでハエ取り紙を買う。これで小バエが捕れるといいのだが。

夕飯は、キャベツとソーセージの煮物とポテトサラダ。両方とももちろん自作だ。出来は上々。ただ、煮物の味付けがちょっと味気なかったのは残念だった。

夜はミュージックステーションを見る。そのまま夜が更けていった。

以上が今日の出来事だ。まあ、大したことはなかった、ということだ。


何の変哲もない日。ほんとは毎日もっと努力して勉強して意義ある日にしたいのだが、どうにも力が発揮できない。

今は、朝起きたときが一番うつがひどく、夕方になるにつれて徐々に良くなっていく、という状態が続いている。

まあ、うつらしいうつだと言えばそれまでのことだが、何とかならないものかと思う。

うつが良くなっているのかどうかは分からない。目に見える変化は今のところない。まだまだ我慢のしどころらしい。


買い物に行った帰り、車を運転しながら見た夕焼け空がやけにきれいだった。

僕は少し悲しくなった。



2006年10月05日(木) まだうつだなあ……

今週に入ってから、少しメンタル面の調子が悪い。何もやる気がしない。
原因は不明だ。またうつ病がぶり返してきたらどうしよう、と考えるとそら恐ろしくなる。

今日は午前中に病院へ行った。

主治医と話し合った結果、もう少し熟眠感を得られるように薬を変えることになった。薬が効いてくれればいいが、過度の期待はできないことはこれまでの経験で知っていることだ。

午後、何もやる気が出ず(ちょっとうつっぽくなって)、ごろりと横になって寝た。気が付いたら3時半を回っていた。

ふらりと起きた後、飼っているフェレットの世話をした。といっても部屋で遊ばせている間、部屋の中でトイレをしないかずっと見守るだけだ。

その後、パソコンを開いてネットニュースをチェックした。
特に興味を引かれたものはない。
見ていたのは主に朝日新聞などの大手新聞社のホームページだが、僕にとっては何だか味気ない。
きっと、自分が本当に興味のあることはニュースに取り上げられていないからだろうと思うが、じゃあ本当に興味のあることって何?と問われれば、分からない、と答えるしかない現状だ。
自分の好きなことをもっと掘り下げるために情報のアンテナを色んなところに立てたいと思うが、どうすればいいのか分からない。思考力が足りない。
もっとやわらか頭にならないと駄目なんだろう。

明後日から一泊二日で奈良へ旅行に行くので、ネットで地図を調べた。
旅行雑誌に付属している地図が頼りないためにしたことだったが、果たして役に立つかどうか。ちょっと微妙な縮尺の地図なので、役に立たないかもしれない。

観光旅行、なのだが、実は一番楽しみにしているのは目的地までのドライブだ。好きな音楽をかけながら高速を飛ばす。その間はなぜだか妙にリラックスできる。気が乗れば車内でカラオケをする。嫌な気分を吹き飛ばすことができる。

旅行の内容自体はあまり綿密に計画立てていないので、もしかしたらうまく観光できないかもしれない。でもまあいい。未知の土地に行って歩いて、泊まるだけで十分だ。

夕食はカレーを作って食べた。食材の余りもので作ったので、費用が安くてすんだ。お金の節約はいいことだ。

そして、深夜。

僕は日記を書いている。

心の中は不安で一杯だ。

自分の生活リズムがうまく作れないこと。思ったよりも理解力、判断力、記憶力の回復が遅れていること。職場復帰のこと。人間関係のこと。結婚のこと。車検のこと。明日の昼食と夕食のこと。WORDやEXCELの使い方が分からないこと。文章が読めないこと。趣味が見つからないこと。一つの物事に集中できないこと。そして絶対的な孤独感。

これからどうして生きていけばいいか。僕は今分からないで呆然と立ち尽くしている。

あがこうにも、飛ぼうにも、どうやってそれをするのかが分からない。

なぜ皆はあんなにも高く飛べるのだろう。

僕はこれまで、教科書を頼りに生きてきた。つまり勉強だけを頼りに生きてきた。でも、教科書には空を飛ぶ方法は書いていなかった。

僕は飛べない鳥。

地面を這いずり回って、羨望の眼差しで天高く舞う鳥を見つめる孤独な鳥。

悲劇ではなく、単なる喜劇。

そこらじゅうに転がっている膨大な数の物語の登場人物の一人。

……止めよう。そうやって自分のことを語ること自体笑止だ。

明日はいい日にならないかな。

いい日にするにはどうすればいいのか、分かったら一番いいんだけどなあ……。


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