それは就寝前のことだった。
僕は携帯端末でインターネットをしていた。欧州サッカーの情報を集めていたのだった。
病室のスライド式のドアの前に人の気配を感じた僕は、視線を携帯端末からドアに向けた。
すると、すす、とゆっくりドアが開いた。ドアの向こうには小柄な女性が立っていた。
僕はその女性が入院患者の一人であることは知っていたが、それまで一度も言葉を交わしたことはなかった。
一体なんだろうと怪訝な気持ちで僕はその女性を観察した。
女性は勝手に僕の部屋に入ってくると、落ち着かない様子で目を泳がせていた。
僕は観察を続けた。 女性は僕に構わず部屋の中をうろつき始めた。
正直に言って、僕は処置に困った。 その女性が精神病者なのは分かる。だからといって、僕の部屋を徘徊されるのも困る。
僕は仕方なく、女性に話し掛けた。 「どうかなさいましたか?」 女性が答えた。 「どうにも落ち着かなくって……」
落ち着かないからといって、人の部屋に侵入するのはどうかと思ったが、相手は病人なので、とりあえずそのことには触れず、「ああそうですか大変ですね」と言いながら、僕はその女性を何気なく部屋から追い出し、「ご自分のお部屋でゆっくりなさってください」と言ってドアを閉めた。
その後、その女性がどうしたのかは知らない。
そのときはそれで何とも思わなかったのだが、翌日になって振り返ると、ちょっと冷たい態度だったかな、と後悔の念が生じ始めた。
もう少し相手の話を聞いてあげるべきだったかな、とかあるいは、せめて一緒にナースステーションに行ってあげればよかったかな、という思いが離れなくなった。
客観的に見て、もう少し優しい接し方があったことは間違いないだろう。
僕は冷たい人間なのだろうか。 それとも自己中心的な人間なのだろうか。 あるいはその両方か。
自分というものをあらためて考えさせられる出来事だった。
いつの間にか夏が過ぎようとしている。 今年の夏は結局、病院の中で過ごすことになってしまった。
入院期間は3カ月が過ぎた。 病状も安定してきたので、そろそろ退院も近いだろうと思う。
退院後、どういう生活をするのかについては、実はまだ明確に決めていない。
一つの方法として、しばらくは実家で生活するという方法が考えられるだろう。周囲に常に人がいるという環境の方が、治療、というか、心の安定にはよい気がする。
しかし、いつまでも実家にいるわけにもいかない。いつかは自分のアパートに帰らなくてはならない。そう考えると、退院後すぐに自分のアパートに帰るというのもまた一つの方法だろう。寂しさはあるが、それは耐えていかなくてはならない種類のものだ。
どちらにせよ、うつの再発がないよう祈るばかりだ。
今日はいまいち調子がよくなかった。 睡眠がよく取れず、一日ぼおっとしていた。
睡眠がよく取れなかったのは、睡眠障害のせいだ。 僕の睡眠障害は、今に始まったことではない。始まったのは入院してから、睡眠薬が変わってからだ。
五時間続けて眠ることができれば良い方で、日によっては二、三時間後に起き、またその三時間後に起き、それからは一時間毎に起き、と睡眠が分断されて満足に眠れず、だるい感じを伴いながら目が覚めるということがある。
ここ数日はそんな日が連続した。今日調子が悪かったのはその結果だ。
眠気をなくそうと、午前中軽く睡眠を取ってみたが、眠気はなくならない。いや、眠気がなくならないというよりも、何かをやろうというやる気がでない。
こんな状態のまま一日が過ぎると、一日という貴重な時間を無駄にしたという後悔の気持ちが生じてくる。そして、その後悔の気持ちは精神衛生上非常によくない。
「やっぱりおれは駄目な奴だ」 「おれには何もすることができない」
すぐにそんな考えにつながってしまう。 人間調子の良い日もあれば悪い日もある。ただそれだけの話なのだがそういう悪い考えを浮かべているときは、そうやって割り切ることができない。
僕は割り切ることのできない人間だった。割り切れなかったことが鬱になった一因でもある。
これからは割り切ることを覚えていかないといけないだろう。
鬱を克服し、よりよく生きていくために。
看護師さんたちのデスクが置いてあるナースステーションと僕ら入院患者たちが活動する場所は、鍵のかかった扉と上げ下げできる格子付のカウンターとではっきりと区分けされている。
入院患者は看護師に用があるときは、カウンターの格子が上がっているときはカウンターあるいは小窓から、格子が下がっているときは小窓のみから、直接呼び掛けるか小窓の近くに置いてある呼び出しボタンを押してブザーを鳴らすか、どちらかをしなければならない。
午後、僕が外出を申請に行こうと思ってナースステーションを訪れたとき、カウンターの格子は下がっていた。
そこで僕は小窓に行って、呼び出しボタンを押そうとした。 すると、なぜだかわからないが、呼び出しボタンの近くに蝉の抜け殻が二つ並べて置いてあった。
僕は一瞬驚いた後、じっくりとその抜け殻を見た。 蝉の抜け殻を見るのは十二、三年ぶりだろう。僕は蝉の抜け殻を喜んで取っていた少年時代を思い出した。
――あの頃は夏が嫌いじゃなかったな。 夏休みには毎日のようにプールに行き、元来色白な肌を浅黒くしていったものだった。
蝉だけでなく蝶やカマキリやトカゲをたくさん捕まえて遊んだ。どうやってその日を遊ぼうかなんて考える必要もなかった。夏は楽しい季節だった。
そんな夏を嫌うようになったのはいつからなのだろう? 軟弱な僕は、暑くてだるいその季節をいつの間にか憎むようになっていた。
でもそれも今年で終わりだ。 今の僕は夏を楽しめるようになった。
ぎらぎらと照る太陽の下を歩いたり、自転車に乗っていることが、僕の生命を元気付けてくれる。
僕は今日も外出の許可を取る。 そして、今日も炎天下の中を、胸を張って歩いていく。
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