コミュニケーション。
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問題の山場が過ぎ、 なんとなく日常に戻ったような、問題が解決したような、 そんな気になってしまう。 が、よくよく考えてみなくても、 今は解決への一歩を踏み出したばかりなのだった。
ただ、喉もと過ぎた気がするのは夫も同じなようで、 新婚かモードは続いていて、 私もなんとなく高タンパクを続けているだけで痩せ続けているので、 うーん、考えすぎるのもよくないかな… と言いながらチョコプリンぱくぱく。 夫の睡眠がまた辛そうなので、調べたり心配したり。
親からの連絡はあって、なんとか希望がつなげた模様。 それでほっとした気持ちもある。 弟も相変わらず元気。 あの仕事辞めたら病気になるかも、はなんだったんだよふざけんな。 いや、いいけど…いいけどさ…。
そういえば、弟の幼稚な面を見るたび、 自分だって、同級生たちに比べたら幼稚だったことを思い出した。 そのせいでかいた恥が黒歴史だったと気づいて、 これまで自分の子どもの幼稚さ(年相応の)に対応できずにいたのだけど、 それからだいぶ気が楽になって、 子ども達のそれを温い目で見守ることができるようになった。 そうやって昇華していくしかないんだよなぁ。
後、弟のブラック職場への言質をとりに、 私と母で行くことになった。 でも冷静担当の父がいないし、夫もいないから、 不安が大きいのと、前回の喧嘩のストレスがチラついて、 動悸がする。
うんでも、弟だけはここには近づけさせられないからな… すぐ洗脳されるから…。 これが最後だと思って頑張らないと…。
そうだ!今から筋トレしよう! セロトニン!セロトニン!
山を越えて、もう思い出したくないとばかりに、 以前の日常を取り戻そうとしている。
いいことも少しはあった。 あの女とやりあったあと、 むしゃくしゃする気持ちと、長年の恨みを晴らしたみたいな気持ちが混在して、 昇華するために、私の手は高枝切バサミを取った。
今住んでいる家の庭はかなり広く、 私に負えるものでは全くないので、草も伸び放題になっている。 しかし草の背が伸びれば気になるし、邪魔にもなるので、 一応、いつかやらなきゃ、とは思っていた。 そのときがきたのだ。
準備が悪いので、軍手すらない。鎌もない。 あるのは、知り合いからいただいた高枝切バサミだけで、 これが本来の使い方でないことは私でも知っているが、 使えば、素手でも切れる。 とにかく、切りたい。
その日は玄関前の草むらがすっきりとした。 高枝切バサミでも十分に使えるほど伸び、太くなっていたのだ。 後は、そこから伸びる家の脇と、メインの庭と、裏庭、と山積しているが、 とにかく一箇所終わった、という気持ちになれた。
日を空けて、メインの庭の、気になる大きな草も刈れた。
弟は次の職場に元気に行っているようだが、 親からの連絡はない。 かんばしくないことは予想がつくので、あえてそっとしている。 弟に弁当の差し入れなどしている。 高校生のころ、私が作る弁当をよく喜んでくれた。 今もまめにお礼の連絡をしてくる。 本当にいいこだ(どや) これからゆっくりと、頭のねじを締め直していってほしい。
わかっていたことだが、空気が冷えだして、 子供たちが鼻水をたらしたり咳をするようになった。 毎日予防に奔走して、健康に感謝する日々の始まりだ。
今日書きたいことはいつものポエムと自意識ライジングが1.5割増しになっていることを、 最初に書いておく。
あの後さらにいろいろあったが、 弟は案外安定しており、もう次の職場に行っている。 行けない、と寝込むかと思ったがそうでもなかった。 もともとがタフでまじめな子なのだから当然だ(どや)
親は結局夫の援助を受けたが、 弟の就職や、その他の金策の見通しがよかったことで、 夫の怒りも少しだけ収まり、 諫言は必要最低限だけにしてくれた。 親もおとなしく聞いていたので、その場は平和に収まった。
だが、基本的に夫が寛大に対応してくれたことは一生忘れてほしくないし、 私の心残りは変わらなかった。 自分の親を否定することは自分を否定することだが、 否定せずにこの家にのうのうといられる気もしなかった。 夫はかなり「お前は悪くないからお前は責めない」と強調してくれ、 話し合いでも「妻の立場を悪くしたくないがために全ての援助をする」と言ってくれた。
結婚した当時、結婚式を挙げなかったことを、 実家の親は長々と恨んでいたようだが、 (夫婦二人の総意だったが、数年後に流れで挙げたときに親から言われた) 結婚式のときよりも、妻として認められているのだ、という気持ちになったし、 大事にされている、と実感した。 式を挙げたって離婚するカップルはいるのだ、と言っていた夫は、 きちんと行動で示している。 夫と、そんな夫を育てた義両親を、心から尊敬する。
話し合いが終わり、一山超えたか…という気分にはなったものの、 金策がうまくいったわけでもなし(あくまで展望がよいだけ)、 期間的にも長く続くことであり、 実家の親からの鎖を感じて、暗澹としていた。 あんな親の子どもではありたくない、と思えば思うだけ空しいし、 金策の展望がよいと聞いたときには、 あの家が助かると思えて嬉しくなった自分が、悲しかった。
これから毎日、夫の優しさと子ども達の天真爛漫さに助けられながら生きて、 (書いてみて思ったが、今までと変わらないのでは) このもやもやとした思いを消化するためにいろいろと頑張って暮らすのか、 などと、 暇つぶしの内職をしながら考えていたら、夫から呼ばれた。 可愛い俺のまりあちゃん、と。
夫は、わずかな時間で、私の頭を個人主義に戻してくれた。 私はあの家の娘であるが、今はこの人の妻なのだと実感させてくれた。 夫にそんな気はないのかもしれないが、 夫の感情の昂ぶりが私の気持ちを救う、こんな符合は奇跡だろう、と思わせてくれた。 何より、私はここにいていいのだと。
少し前、夫が私を愛していると思っているのは錯覚に違いないと書いた。 PMSの時期の甘ったれた文言だったが、別に嘘を書いたわけではないとも思っていた。 そんなことを書いたから、こんなことになったのではという気すらする。 セックスではなく、 トラブルからは守るという姿勢を見せてくれた。 問題の始まりからこのときまで、ブレなかった。 私は今回のことで夫に頭があがらないが、それ以上に、 愛されているとわかったし、信じるし、 もっともっと夫を愛し、尽くしたいと思う。
問題の起こる前、 今度の結婚記念日は丸10年だね、何かしようね、と話していた。 きっとこれまでの記念日とは違う日にできる気がする。
弟の件で、弟の職場に出向き、 あちらの人間と喧々囂々やりあってきた。 録音した。
録音の声というのはただでさえ聞きづらいのに、 激昂して何を言ったかわからないような喧嘩の録音である。 恥ずかしさはMAXで自分ではまともな神経で聞けなかったが、 夫が聞いてくれ、相手側の言質をいくつか録れているし、 私も、言うべきことは言っていると確認してくれた。
ただこれを、司法書士の先生に聞いていただくかと思うと、胃が痛い。 そんな冗談でも言っておかなければ辛い。
詳細は今のブログにぶちまけたのですっきりしたので、 結論から書くと、 その日づけで弟はこの会社を辞めた。 弟も、会社の敷地内にいると会社側の人間になったかのようで、 私たちに暴言こそ吐かないが、会社側の味方をしたので、 私たちはお通夜のようであった。 しかし私は、これが弟の本音か、とは思えなかった。 弟は家にいれば、この会社の悪口を言い、辛い辛いと言いながら出て行くのである。
甘ったれている、と言えばそれで終わってしまうが、 本人の態度がこれならば、後は私たちがどうしたいか、だけが重要だと思った。 ならばいっそのこと、と思い、 「労働基準監督署に行きます」と宣言した。 会社側の暴言は、ぴたりと止んだ。
それまで弟を引き取るとさえ言っていた。 こんな親で、こんな姉で可哀想だから、うちが引き取って、大事にしますと。 弟もそれでいい、と。 それが、労基のろの字でこれである。 ちゃんちゃらおかしい話だ。 最初から、おかしい話だった。
だんまりの後、経営者がやってきて、今は辞めさせようと言い、 ごねる弟を説得してくれた(これだけは感謝している)。 多分、辞めさせないと労基がくると思ったのだろう。 辞めさせても行くんだけどね。
こいつらが散々主張するとおり、弟の意思がいちばん優先されるべき、は正しい。 ならば、弟ではない私が労基に行こうが、関係ないではないか。 弟といくらでも口裏合わせをして、 いいえ、給料は出しています、問題ありません、一緒に暮らしてますし、 と言えばいいのである。 それすらも言えないのに、 弟君のことはうちがいちばんよくわかっています、引き取ります、とはなんだったのか。
すっきりしたので、が嘘になってしまった。 その他の暴言やら土下座やらいろいろあったが、 結果的に、弟が帰ってきて、しばらくは実家にいるということが、嬉しい。 それだけだ。
しかし、弟のこの問題と、 実家の問題は、関係しているとはいえ、実家のほうが大きいし、 私への被害も大きい。 弟のことは数年溜まってきた問題だったので、 夫も協力してくれたし、夫婦でヒートアップして立ち向かえた問題だったが、 実家のことは、私も含めて夫に土下座するレベルのことだ。
私は気づいた。 今、この時点で夫が許してくれても、 これから先ずっとつきまとう、私のマイナスだということに。 借りるのは金ではない。未来の信頼なのだ。 そのことを、実家の親には伝えようと思う。
弟の件が、進展した。 実家がにっちもさっちもいかなくなって、ついに私に火の粉がかかってきた。 もちろん夫は激怒し、 それでも義実家だからと援助を提案したが、かなり厳しい条件をつけた。
その条件をクリアするために今日は一日終わったが、 正直、何もかもがしんどい。 これが自分の親だというのもしんどいし、弟だというのもしんどい。 肉親だから逃げられない。 これから夫と毎日暮らすのは私なのに、 その私に頼ってくる神経がしんどい。 どんな顔をして夫と顔を合わせろというのか。
夫は夫の実家には内緒にすると言った。 それは自分も会社経営のなかで苦しかったことを乗り越えたからというのもあるだろうが、 こんなのは恥だと思っているからだろう。 私もそう思っている。 だいたいが、これが初めてではないのだ。 夫が援助するとまで言ってくれるほど切羽詰ったのは今回が初めてだが、 今までに何度も名義を貸すだのなんだのはあった。 そこには弟のブラックが遠因しており、 そのたびに私は腹立たしかった。
離婚を考えた。 援助すらも受けたくないし、 これから先二度とこんなことは起こしませんと言えない。 夫にかかっている迷惑は、金銭的なことだけでなく、 私が話し合いに言っている間の子どもの世話や、 第三者との話し合いへのアドバイスなどもあるのだ。
夫は決して、決して私を責めない。 だからこそ、辛い。 それで、離婚も視野に入れていると話した。 義実家は離婚も恥だというだろうが、金銭トラブルの100倍はマシだ。 ただ、子どもに何と説明すればよいのかわからない。 情けない。しんどい。 夫は、子どもが可愛いから絶対離婚しないと言った。
子どもを人質にとっているようで申し訳なかった。 そう言って泣いたらやさしく抱きしめてくれた。 武器ではない、絶対に武器ではないのに。 私の涙も子どもも、武器なんかではないのに。 この腕に甘えていいのか。 私のプライドが、親族にズタズタにされている。
どうでもいいエピソードなのだが、 コンドームを通販で買ったら、息子が自分のメルカリで買ったやつだと勘違いして開けて、
「これママのだったー!はちみつ???なんとか??」
と言われた。
あっ、あーっ、おまけのやつね、おまけの…
ただ、このぶんだと使われるのはいつの話だよ! ふざけんな!(実害)
付き合い始めのころ、 後に夫となる彼にキスマークをねだったことがあった。 21歳の未熟な私は、愛された証が欲しかった。 彼はそれを見透かしてか、つけてくれなかった。 証が欲しかったのは、別れの気配を察していたからでもあったと思う。
月日が流れ、長女が生まれて成長してゆく中で、 彼は長女に愛情表現としてキスマークをつけた。 私にはつけてくれなかったのに!と思ったが、 今更証など必要はなく、ねだることもなかった。
そして結婚10年目の現在。 ここ数ヶ月痩せ続けていることは書いているが、 よその人はみんな褒めてくれるのに、 夫はちっとも認めてくれずにいた。 そりゃ、浮気もせずに毎日家に帰ってきて暮らしているのだから、 わからないのも当然だし、 数字だけなら、息子を産んだときの体重より低いのに、 やはり年齢の差なのか、肉のつきかたが違う。
なので夫が認めてくれずとも、 私は体重の減りは嬉しいので、同じような生活をしていたら、 (多分、糖質制限と高タンパクをゆるゆるがよかったんだろうと思って) 腹が主に痩せてきていたが、 脚にも効いてきたらしく、夫の目が変わってきた。
それでまぁいろいろとねだられたり(あれ、昔と逆か)、 隙あらばつまみ食いみたいにされたりと、新婚か!と内心ツッコんでいたのだが、 今日はなんと、脚にキスマークをつけられた(!!!!!!!)
衝撃であった。 インスタグラムのアカウントを持っていなくてよかった。 絶対にアップしていた、恥も知らず。 10年越しだ〜〜〜とちょっと感動してしまった。
それでなんか緊張の糸がどっと解けたのか、 コンビニでいろいろ買ってしまった(← いやしょうがない。だって生理前だもん(10日くらい そういうことにして、また明日がんばろ…
そしてまぁ、写真もやめとこ… どうせもっと痩せないといけないし、痩せたらまたつけてくれそう…。
はー。 新婚か。 どこにも書けないから書いておく。
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