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コミュニケーション。
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2016年09月29日(木)





25w2d。
胎動が元気なので、つい赤子に作るものを物色してしまうのだが、
ニット本を見ていて、
「あ、女の子だからデザイン決めちゃっていいんだ」
と思った途端、
女の子なんだーーー!という実感が沸いた。笑


それにしても私がスキャンした編み図は、かぎ針編みばかりで、
棒針のほうが好きなのか、果てしなく遠い旅路のように思えてしまう。
娘のチュニックを編み上げたことも一応あるのだが。



セレモニードレスを迷っている。
最初編もうと思っていたのだが、もう最後の子だし、もったいないのかな…と。
それならレンタルでちょっといいのを着せたほうが、愛情になるだろうか。
しかしお宮参りでも使うし、寒い時期の子だし、
まぁ編んでも変わらないかな。うーん。
問題は、自分が編めるかどうかだが…。



今編んでいるものはアウター用の厚めのおくるみ、
縫っているのはかけふとんになるキルト。
ゴールがあるのだから、きちんと計画を立てねばなるまい。
しかし、あれだけ悩んだ反動のように、どれもこれも作ってやりたい。
寒い時期に生まれるので、ニットが面目躍如というのも大きい。
と書いていたら、娘のお下がりがたくさんあることを思い出した。
落ち着こう…。



今日も会社で暇なので、縫おうと思ったら針山を忘れていた。
なので息子の水筒カバーを編み進める。
かぎ針(しかもこま編みのみ)は、飽きてしまうんだよね。
でも楽しみにしてくれてるみたいなので、早く仕上げないと。







2016年09月28日(水)






妊娠がわかって以来、ほぼ初めてのセックスをした。
ほぼというのは未遂があったから。
挿入はなかったが、私は心底満足した。
なくても心が満たされていたのは初めてだったので、(それもどうか、なのかもしれないが)
残しておく。



妊娠中のセックスは、禁止はされていない。
安静にしなければだとか、お腹が張りやすいとか回数が多すぎる、のは慎まれるべきだが、
慎重を期すばかりに遠ざけていたら、
産後クライシスの夫婦もそれは増えるだろう。
挿入にこだわらずにセックスすることは可能なのだから、
もっと妊娠中のスキンシップが増えるべきなのだ。
これに続く私の持論は、「世の男ども、大人になれ」だが。




昨日は夫が主催した飲み会で、
私も独身時代の友達を呼び、おおいに楽しんだ。
子ども達は実家に預けてあって、私も夜中に実家に帰ろうと思っていたのだが、
女の子達全員をあっちゃこっちゃに送った後に、
二次会を終えた夫を迎えて自宅に帰ったら、夜中の1時だった。
疲れていたし、どうせ子ども達は眠っているし、と自宅で眠って、朝早く行くことにした。
そして朝方、目の覚めた夫とうとうと話していたら、気づいたのだ。
子どもの目を気にしなくていいことに。


疲れたのはわかるがひとこと連絡をしてくれ、と実家から朝に怒られたし、
息子達は夜に私がいないのが寂しかったようで、学校その他へ行くのに手間取ったしで、
後で両方に埋め合わせもせねばなるまいし、いいことばかりでもなかったが、
やっぱり子どもの目を気にしなくていい、という解放感は、
少なくとも私たちには必要だった。
誰にも言えはしないが、私の精神はおおいに満たされた。



性欲にまみれていると書いたが、昔ほど欲していたわけではない。
ホルモンで性欲がまったくなくなる妊婦もいるが、
私はそうではなかった程度のことで、性欲が増すのも周期的で、
ホルモンなんだからなくても大丈夫だなと思えるし、
昔は、セックスやスキンシップと愛情表現がイコールかつオンリーだったのが辛かったのだが、
今は、
愛する人と暮らすなかでの全ての共同作業が愛情表現であり、
そのなかのひとつとしてセックスがあるに過ぎない、という気持ちがあったので、
ひどくこだわっていたわけではなかった。
結局、相手を信じられるかどうか、な話なのかもしれない。
それは相手の態度だけの問題ではなく、自分の心の状況も含めて。


夫が私に触れないのも、お腹の子を気にしてのことだと信じられたし、
エロい話は時々夫婦でするし、
触れなくても誘ってきて、そこで子どもが起きて中断、な日もあった。
ただ、だからまったくなくていい、ではなくて、
あったらあったでやっぱり必要で、幸せな時間だな、と思う。


体重管理はきちんとして、産後もこういう時間を作ろうと思う。
迷惑と心配をかけない程度に。










夫が触ればどこだって熱を帯びる。
今日いちばん敏感だったのは、肩だった。
こんな体を持つ自分と夫は、多分相性のいいほうで、大事にしなければならないと思う。
だから……
やっぱり痩せよう……!








*****





いつもそうなのだが、夫に抱かれた後の一日くらいは、
ずっとそのことを思い出している。

それで書き忘れたと思ったことが、今朝の夫は、
私よりずっと早く起きて、布団でまどろみながら、
寝ている私に可愛い可愛いと言ってくれていたのだ。

私が寝ていると思っているのだが、私も夫の声で少し目を覚ましていて、
私に言ってるのかな…?と思うくらいの余裕はあった。

子どもには素直にいつも可愛いと言ってくれるけど、私には言ってくれないなぁ、
まぁ実際可愛くもないけどー笑 と普段は思っているけど、
私が寝ていたり、今日みたいに子どもがいない日は、
私にも表現してくれる夫なのを知っているし、
知っていてもなかなかそれに出逢える日は少ないので、
今日は余計に嬉しくてしあわせだったんだなぁと思った。




ムートンブーツのことを考えていたら元彼のことを思い出した。
そして気づけば、…名前なんてつけたか忘れたけど…元彼の当時の彼女(最初浮気相手だった人)の年をとっくに過ぎていて、
彼女は今38くらいのはずなので、いくらなんでも結婚しているはず(誰でもいいけど)だよなぁとか。
当時はとてもじゃないけど可愛くないと思っていたムートンブーツ、
彼女の年になってみれば、機能性があって、海外のものなら可愛いなぁと思えてきた。
量産品のもさっとした感じが苦手なんだけど、スマートなものなら好き。


そんな自分の変化にしみじみして、
夫との関係も変化しながら、今も夫のことが大好きだし、夫になら全身性感帯だし、
夫も私を好いてくれてるのだなぁ、と、美人でもないのに、
美脚でもないのに、
どうしよう、書きながらもう今日死にたくなってきた。
お腹の子を思えばもちろん比喩だが、あぁ、古い私を殺せる日なのかもしれない。


痩せたらこれ以上の幸せが待っていることは確実なのに、
そうできないのは、リスクを払って幸せを受け取る勇気がない臆病者だからなのだ。
臆病者の私を殺すチャンスは、今日なのかもしれないのだ。




2016年09月27日(火)






今日で25w0d。
お腹の波打つ様(脂肪があって楽しいことはこれくらいか)を眺めているのが、いちばんの癒しだ。
贖罪をこめて今日も編み、刺繍をしている…。


せっかく体重が減っていたのに、気を抜いてみかんなど食べたせいか、
今朝になったら体重が増えていて、
水分だとは思うが、表の上では、初期から+2kgになってしまった。

しかし何も言われなかったし、
むしろ今日やった血糖値検査のほうが少し高めと言われたが、
結局やることは、運動不足の解消だとか糖分を減らすとかなので、同じだろうね…。

今日の飲み会を楽しんで、また明日から頑張ることにする。




今日のなかの人はにやりと笑っていた。
もちろん、口を開けた様がそう見えるだけなのだが、
上二人のときにこういうエコーを見えた覚えはなく、楽しかった。
夫も、心からの「おー、かわいいな」という言葉をくれた。

まぁ今回で、夫の希望通りの、女の子、がほぼほぼ確定したのも大きいだろう。
男の子でももちろん、元気で健康なら文句はないのだが(高望み)、
私としても、夫に育児を頼みやすいので、少しは助かる。
将来大きくなったなら大変かもしれないが…。

もしぴーぴー泣く子なら、上の子たちを任せればいいだけなので、
やはり最後のタイミングとしてはいちばんよかったのかなぁ…と今は思える。


そういえば一番の男友達のはずの彼には、まだ引越しの連絡も妊娠の連絡もしていなかった。
今日あたり電話するか。





*****




妊娠中に献身的に奥さんの世話をなさった旦那さんの話を読んで、
本当に感動した。
自分の夫がどうだったからではなく、いい話だった。
息子が結婚したときにはプリントアウトして持たせたい。

そこで「妊娠中に夫にされたことは生涯忘れない」という、よく聞くフレーズが出てきて、
この記事の場合感動するのでいいのだが、
一般的には、恨み言の意味で言われることが多い。

私は、元々、吐きつわり・寝たきりなどにならなかったので、
夫が活躍する場もなければ、恨む場面もなかった。
今回のつわりは辛かったが、ドーピング(グレフル)さえすれば動けたので、
特に頼むこともなかったし…。


娘を妊娠したとき、暴言は多少吐かれた。
その事実は確かに覚えているが、セリフそのものはもう忘れてしまった。
怒りに執着がないんだなぁ、と思った。

あと覚えているのは、息子を妊娠中の、
「可愛い子どもを産んでくれ」というセリフ(これも正しくないかもしれない)だった。
デキ婚で、プロポーズの言葉を求められる立場ではないと私は思っていたので、
これが事実上のプロポーズみたいなものだと勝手に思っている。
今考えれば、
付き合って半年程度の女と結婚して子どもができるとなったのに、
よく受け入れてくれたと、しみじみする。


いちばん腹が立ったのは、「お前よりもオレに尽くしてくれた女はたくさんいた」である。
多分これが私のプライドをいちばん傷つけたので大騒ぎしたのだが、
これは妊娠中ではなかった。



思うに、妊娠中はホルモンバランスも乱れ、イライラすることが多いので、
そういうエピソードが増えるのではなかろうか。
新しい家族が増えるということは、自分や相手の新しい一面が見えてくるということなのだな。



そういえば、よく、
「夫と出会っていなければ…」「息子を妊娠していなければ…」「娘を…(ry」
と考えて妄想することはあるのだが、
(たいてい、上京してホスト狂いになって孤独死する)

今回の子は、「もし、妊娠していなかったら…」が、まったくわからない。
いい意味でも悪い意味でも、日常は停滞していて、
私は向上心のきっかけを見つけられずにいた。
それがずっと続いていたんだろうなぁ、程度。

妊娠がわかったとき、散々悩んだからかもしれない…。






2016年09月26日(月)






あの実家での夜以来、私も息子も、
霧が晴れたかのように、すっきりと過ごしている。

多少、ゲームの時間などで言い争うことはあっても、
私がゲームの制限をゆるくした分、息子の激昂も激減して、
比較的おだやかに過ごせている。

制限を増やすよりも、習い事をそろそろ生活に入れてみてもいいのかもしれないと思った。
サッカーがものすごく好きなようだし、
サッカーと同時に塾にも行きたいと言い出した。
やることが増えれば、必然的にゲームの時間もさほど増えないだろう。




24w6d。
途中、友達とのランチなどで体重が増えたけど、
明日の検診にはなんとか行けそうな体重まで戻った。
明日の夜に夫主催の飲み会が控えているので、心置きなく食べたかったのだ。


引越しダンボールを片付けていたら、
息子のときに買った妊娠中と産後のダイエットの本が出てきて、
しっかり運動系も載っていたので、やらなければなるまい。


胎動も相変わらず元気。
どの動きだったかがしゃっくりだったな?と思い出すと懐かしい。

起きて腰が痛い日もあるが、(布団に関係なく)
やはり私の妊娠は恥骨にくるタイプのようで、ベルトをしていないとほんとうに辛い。
しかし、妊娠時期特有の肌の敏感さも出ているようで、
ベルトをすると、腹巻部分がかなり痒くなる。

掻いても傷にはならないからいいのかもしれないが、
なんとなく精神的に辛くてついベルトをする日が減っている。
しかし安産のためにはやらないとな…。




*****




庭のエンゼルトランペットがかなり気味が悪い。
というのは外見や性質だけではなく、経緯があるからなので、
私だけなのはわかっているし、うちのエンゼルトランペットに罪があるわけではないのだが。



引っ越してきたとき、かなり目立ったそれは、
前の住人の方が庭好きだったと伺っていたので、理解できた。
そもそも名前すら知らなかったし、
花が咲くよと聞かされて、ちゃんと咲かせなければくらいに思っていた。

が、調べてみたら、エンゼルトランペットというのは売れなかったためにつけられた俗称であり、
本当は朝鮮朝顔で、毒性があるのだった。
肥料も毎月やらなければならず、完全に、庭が好きな人用の植物だったのだ。


大人ばかりの家庭ならいいが、うちは子どもが小さいので、
気になる存在は減らしたいし、
満開になった写真も、私の心惹かれるものではなかった。

なので水もやらず放っておいたら、この夏の日照りもあいまって、
枯れ始め、あげく害虫もついた。

害虫はあじさいにもつくらしかったが、あじさいは遠く離れていたし、
あじさいには被害はなさそうだったのでまたそのままにしておいた。
やがて葉は食い尽くされ、貧相になっていった。
すうっと伸びた茎と垂れ下がった葉のさまが、既に気味悪かった。


秋になって日照りが終わり、台風もやってきた。
飛ばされたのか虫はもういなかったが、葉はほとんどなかったので私は安心しきって、
そのうち引き抜きたいと思っていた。

そして秋雨前線がやってきたと思ったら、またたくまに葉が生い茂った。
それでも私は安心していた。
引っ越して一月以上経っているが、水撒きも肥料もまったくやっていないし、
観察する限り、また葉もしおれているようだ、と。


ある朝、天気を見ようとカーテンを開けた視線の先に、
花が一輪、咲いていた。
朝もやのなかに浮かんだ黄色に、思わず悲鳴が出た。
あの気味悪さは、いつか誰かホラー作家に画にしてもらいたい。





2016年09月20日(火)






息子の感情が爆発して暴力的になることがここ数ヶ月顕著だった。

きっかけはいつも、ゲームをもっとしたいとか、
ものが見つからなくてはがゆいとかいう、主に自分の意見を通したいときで、
学校や祖父母宅では出ないので、
親に甘えているということなのはわかっていた。
それが暴力に向かうのは、私が口と手が両方出るタイプであるから、なのもわかっていたのに、
自分のその悪癖をなかなか改善できていなかった。


自宅では夫も一緒になって激昂するので、私が冷静になってお説教したり、
夫をなだめたりしていたのだけど、
おととい、ついにこれが私の実家で出て、
父と弟が一緒になって制したり引き受けたりしてくれて、
私の目の前から連れ出してくれて、
涙がぼろぼろぼろっと零れた。
頭ではわかっていても、いろんな育児論を知ってはいても、
疲れていたんだなぁと思った。


しばらく父と弟相手に発散した息子は、汗びっしょりになって帰ってきて、
感情が抑えきれず一緒に少し泣いた。
それまでは息子のそういう面が「今取り組むべき問題」でしかなくて、
「デリケートに扱わなければならない面」であったのに、
いまや、
「完全に私のやりかたの失敗」であり、
「髪の毛1本からつまさきまで愛しいわが子になんてことをしてきたのか」という感情がわきあがった。


父が風呂にひとりでゆっくり入っておいでと言ってくれて、
それから息子に接すると、素直にひざに乗ってきたりして、
父が、「甘えたいんだねぇ」と言った。
自分が間違っていなかったことはわかったのと、
ひとりになれて泣けたり考えたりできたのはよかった。
あと、泣いてすぐに電話した夫も、
父も、弟も、翌朝事情を聞いてパニクった母も、誰も私を責めなかった。
本当にありがたかった。

母が、お手伝いをやった息子に、
「息子君、ばあば助かったわぁ〜本当にありがとう。
昨日の息子君は本当の息子君じゃないのよね」
と言ったのは、いや、それは対応として違うと思う…とツッコんでおいたが…。



昨日は、甘えてくる息子にうざったく思うこともなく、
素直に甘えさせてやれた。
甘えん坊なのは知っているのに、娘に対してほどは甘くなれない自分がいたのだが、
あの涙に溶けてしまったように、息子に接せられた。
これからどうなるかはとてもわからないが、
嫌な自分に目を背けず、毎日毎日実行するしかないのだなと思った。

今ならまだ息子が私に心を開き、
波がひいていけば甘えてくれる。
第三子が生まれればまたお互いに変わってゆくし、絶対に今しかないのだと思う。


もしかしたら、息子が生まれて以来、
今がいちばん可愛いかもしれない。






****




しかし、私を決して責めなかった夫にももちろんものすごく感謝しているが、
(そういえばまだ言ってなかった)
父と弟の許容範囲の広さにもびっくりしたことだった。
それは多分、母の病気を乗り越えてきた家族ならではであって、
前々から知ってはいたとはいえ、
無駄な経験などやはりないのだと思えたことも、
今の息子と私への慰めになった。




****




妊娠の記録を書いておく。24w0d。
実家に泊まりに行ったので少し体重が増えたけど、まぁ多分大丈夫。
来週までには。

胎動は今日も元気。
次回は妊娠糖尿病の検査。
朝食抜きでいくのだが、これが、
息子のときの記憶しかない。不思議だ。それもおぼろだが。

何の問題もなかったことはもちろん喜ばしいが、
娘のときはどうだったのだろう。



今これを書いているさなかの胎動がすごくて、
触らなくても、
お腹の動きが目で見えるほどだ。
旦那にも見せたいが、ホルモンのせいで毛も増えているので、
剃ってから見せることにする(どうせまた生えてくるし…)。




2016年09月15日(木)






23w1d。
夕飯を豆腐1丁にして数日経つが、体重は横ばい。
夕飯までの間食はとくに制限していないので、悪くないのかもしれない。

しかし、毎日毎日豆腐を食べるというのも、
あまりよくない気がしてきた。
大豆アレルギーになる可能性も否定できない。
(世の中、妊娠中によかれと思って米ばかり食べて子どもさんが米アレルギーになった方もおられるのだ)
適度に、他のものと置き換えるべきでもあるだろう。

醤油をかける私を見ていた旦那からは、塩分が心配と言われた。
旦那も意外と見てくれているのだなぁと思った←




とにかく、胎動が激しい。
うっすら女の子と言われたけどやっぱり男の子なのではと思うくらい激しい。
よく考えたらまだ23wなのに、後半はどうなるのか。
でも懐かしい気もするし、以前は感じる余裕がなかったのかもしれない。





息子のとき、詳細…というか、授乳やおむつのことをタイムテーブルに記すタイプの育児日記をつけていた。
確か6か月分ほどで、この三日坊主で有名な私でも続けられたのだが、
娘のときは当然?!つけていなかった。

それで、今回は最後だしつけてみようかと思ったが、
果たして、息子(最初の子という意味)ほど続くか疑問だし、
逆に、もう年もとったことだし時間はあるし、意外と書けるかも、という気もする。
タイムテーブル系ではなく、短く日々の記録というタイプもあるらしく、
そちらのほうがいいかもしれない。







豆腐ホワイトソースを作ってみた。
それでドリアを作ってみたけど、なるほど、豆腐の味もしないし、
ごはんにとろみがついて、普通のソースより柔らかくて、
私はとても好きになった。

が、ミートソースは相変わらずカロリーが高いと思われるので、
会社に帰りながらカロリーを減らすことを考えていたけど、
そのうち自分は、
「カロリーを減らす手間をかけるのが嫌」なタイプだと気がついた。
ドリアの材料の全てをヘルシーにする(ごはんにこんにゃくを混ぜるとか)ほどの熱意はない。


どうせダイエットメニューを作るのなら、切って蒸してできあがり、くらいのほうが性に合っている。
どうせ手間をかけるのなら、お菓子のために粉をふるうだとかそっちのほうが好きだなと。




台風が過ぎれば散歩もできるほどの天気になるかもしれない…
と希望的観測も書いておこう。



2016年09月13日(火)





23w0d。
無事晴れ上がり、検診にはらくらく行けた。
昨日はまだ雨の予報だったので、洗濯をさぼってしまった。


新しい家は、デザインや造りが古いゆえに、
リビングの窓が大きい。
既成のカーテンの最大サイズで合わなかったのだが、
オーダーで買うお金があるわけでなし、困るわけでもないのだが、
ただひとつ、
洗濯物を室内に干すときだけが困るのだった。


うちのリビングの使い方上、
室内に干し具スタンドを置くのも結構な狭さなので、
カーレンレールに干すのがいちばん楽なのに、(でもゲッターズさんがダメって言ってたけど)
少し背伸びをして干さないとならないので、
ついめんどくさくなって、晴れてからでいーやと先延ばししてしまった。





*****




検診。

胎動どおり、すごく元気だった。よかった。
性別は…6割くらいで女の子かな、という感じ。
エコーの画像と、先生の経験と…。

胎動が激しいので男の子かと思っていた。
でもよく考えてみたら、娘のときは胎動が少ないと思っていたけど、
息子の世話に気を取られて、気がつかない時間も長かったのかもしれない。

上2人のときほど確定情報がないのであれだけど、
息子のときは、6ヶ月で既にわかっていたのだよね。
男の子は気持ちわかりやすい…と思って今日の画像を見れば、
女の子…なのかな…とも思うけど、
息子のより小さいのかも!← とか、あと、足にはさまってるのかも!とかね。
今日も、ぱっかーんとあいていたわけではなかったので(息子はあけてた気がする…)
可能性はいろいろだもんね。
元気ならどちらでもいいですよ。

娘のときは、6、7ヶ月のときに女性器の線がはっきり見えて、
当時の先生は確定してくれた。


でも、息子が泣き虫のママべったりだったから夫は女の子がいいというけど、
3番目の男の子なら、ママにはべったりかもだけど、
息子より元気タイプかもしれないよね。
こちらものびのびしているし。

今日初めての看護師さんだか助産師さんだかだったけど、
「わかりませんよねぇ、ぴーぴー泣く女の子かもしれないしw」
と言ってくれて、大笑いした。



次からは2週間置きの検診になるのだそうだ。
こんなに早かったっけとびっくりした。
検診明けお祝いと言ってコンビニのドリアを食べたが、
もう体重管理の余裕はないなぁと思うと美味さがしみた。
今回までだ。

次からはヘルシー豆腐ホワイトソースなるものでも作ろう。


ただでさえもう+1kgなのに(何も言われていないけど)。
まぁ、2週間置きに他人に体重を見ていただけるというのも貴重な機会だと思うし、
妊娠においては最後なのだし、
精神おいつめない程度に頑張ろう。



あとは、旦那のような精神力をどっかから(旦那から?)奪って散歩するか、
日差しが弱まるのを待って散歩するかだ。




2016年09月12日(月)



22w6d。
おとといあたりから、更に胎動が激しい。
夫に指摘されるほどしみも増えたし、男の子なのかもしれない(俗説)。


しみと妊娠線のケアのことを考えていて、
おのずと思考は新婚時代にとんだ。
もっとも、デキ婚だったこともあってあまり新婚味はないし、
夫への感情だけで測るなら、基本的にいつでも新婚気分なのだが、
やはり8年前の自分は若く、初々しかった。


ケアに使っていたクリームを思い出した。
当時、ここや当時のブログにも書いたかもしれないが、
THE BODY SHOPの、ピンクグレープフルーツのボディバター。
香りが好きでこれを選んだ(または、SNSで妊娠線ができないと口コミだったかも)が、
フローラル系の香りもあるようで、迷う。
これからの季節的には甘目がいいかもしれない。


たかだか気分の問題だが、
年をとるごとに、気分のご機嫌をとるのは結局合理的だと気がついた。


しみの美白には評判のよいプラセンタマスクを買った。
すごく気持ちがいいが、安い、いい商品だった。
これからもできるだけ続けていきたい。







妊娠中の、「自分の体内にもう一人いる」という感覚はどんなものなのか、
という話題の記事を読んだことがある。
問いかけのツイートに反応したツイートのまとめだったか…。

私は鈍感なので何も考えたことがなかったが、
「エイリアンがいるよう」「あったかくて、不思議な感じ」などなど、
感受性豊かな答えが興味深かった。
それで、今回の妊娠が最後だし、よく感じ取ってみようとしているのだが、
せいぜい「懐かしい感覚だな」くらいで、なにも面白いことがない。


しいていえば、
「あぁ、私はエコーの画像しか思い描けない貧相な思考だけど、
このお腹のなかには実際に4Dどころか立体の赤子がいるわけか」
と気がついたくらいだった。
2人もきちんと立体を産んでおいて何を言っているか自分でもよくわからないが、
エコーの画像以上のことを想像したことがなかった、ということである。


なので想像の翼豊かな方々は、胎動だけはあるがまったく見えないし、
エコーではだいたいしかわからないし、
「エイリアンがいるよう」になるのだろうと、察することはできた。


今回も情緒的なコメントを残すことはできなさそうだ。
でも、毎日の胎動は、当たり前ではなく、
「今も生きている証拠」として、きちんと感じ取っていることくらいは、
私にもできているよ。






今日はどしゃぶりなので、できたら明日検診に行く。











*****





週数を間違えていたので訂正した。



昨今はブログが当たり前になって、不妊治療の話もよく聞く。
デキ婚で息子を出産し、娘を授かり、
今また5年ぶりに3人目を授かった私は、さぞや幸運と思われるのだろうと思う。

夫婦2人の生活への憧れと、育児の大変さから、
「子どもがいない夫婦もいいではないか」とおせっかいをしたことがあって、
「子どもがいるあなたから言われたくない」みたいなことを言われたことがあったけど、
お互い、ないものねだりなのであった。


今回の妊娠で辛かったのは、初期のつわりとマタニティブルー(恐らく)。
自営業ということもあって未来も心配したし、
そろそろ、子ども2人の学費も真剣に考えねばと思っていたところだった。
3人持つことなんてまったく考えていなかったし、愛せる自信もなかった。
そもそもが、今いる2人をきちんと愛せているか自信がないのだ。


親は子を愛して当たり前。特に母親は。
そんな息苦しいこと、どうして他人に押し付けられなければならないのだろう。


もう今は完全にお腹が出ていて、
特にパンツタイプのマタニティ服を着ているので目立つのだが、
久しぶりに会った息子のクラスのママさんに聞かれて、はい実はと答えたら、
「あらぁ〜それは大変ねぇ〜〜」と言われた。
今回の妊娠のなかで、いちばん心に沁みた言葉だった(他人というのもあるだろうが)。





******




今回の妊娠は便秘もつらいので、健康食品にも手を伸ばしてみているが、
まだ目立った効果はない。
ビタミンも摂れるので、一応続けるつもり。


つわり以来、コーヒーのブラックが飲めなくなっていた。
が、昨日おとといくらいから、少し飲んでみようかな、という気になり、
薄めのものを、おやつと一緒に飲んでいる。

そしたら、今日は3回もトイレに呼ばれた。
ここ1週間ほどなかったので状態はよくないが、
妊娠以前の状態は、コーヒーの効果もあったのかもしれない。


体重管理に、夕飯は豆腐1丁、というのを試してみている。
豆腐1丁というのは絹で120キロカロリー、木綿でも200キロカロリーないのだそうだ。
思っていたよりヘルシーだった。
前に聞いたものは、その上に何でも乗せていい、というルールだったので、
今日からいろんなトッピングを試してみようと思っている。

元々豆腐は何もかけなくても食べられるくらい好きだが、
反動の食欲は、頭ではないようにしていても、わきあがってくるものなので、
一応予防策として。


明日の検診前に、もう少し減っていますように。



2016年09月08日(木)





ツイッターが自然派VS文明派で沸いている。
火傷した後に温める療法があるのだが、
「そんなの絶対ダメ!酷くなる!」というツイートが拡散されたのだ。


私は信頼している体術の方がその療法を実践されていたので、
信じるというか自分の軽い火傷で試したりしてみていたので、
あちらからすれば自然派ということになるのだろうが、
私からすれば、
どちらかに偏ってヒステリックに騒いでいるさまは同じである。


そして話題は火傷の療法の話から療法の記事を書いた人物に移り、
これがワクチン反対派の団体の代表だったので、
火に油となったのであった。
ワクチン反対とオーガニックと免疫療法と、
とにかく一般常識と西洋医学から外れたものは全て「自然派」に分類され、
そちらの世界から出てくるなと、まぁ半分くらいは叩かれている。
ワクチンに反対するということは病気の拡散にも繋がるので、
まぁ仕方ないかなという気がする。



陰謀論大好きな夫と結婚したので、
最初はそういうのを聞かされ、ワクチンにも懐疑派であった。
副作用、免疫力、などなどの点から。
なので、息子のワクチンの後半と、娘は最初からワクチンを受けさせていなかった。

が、それから数年経ち、
はしかや日本脳炎に罹ったら罹ったなりの後遺症、難病があり、
ワクチンを受けないならば受けないなりの生活をしなければならないと気がついた。

この現代社会、リスクはワクチンだけではないのである。
書き出せば、
電子レンジもオール電化もアルミ鍋もだめだし、
スマフォもiPhoneもWi-fiもだめだし、
そもそも、赤子が生まれたとき、エアコン調整された部屋にいてはいけない。

野菜も、有機ですらだめなので自然農で作られた野菜をいただくべきだし、
お肉は、どんな餌を食べて育ってきたかから調査し、信頼できるものでなくてはならない。
放射能などもってのほかなので、東北関東長野あたりまでは避難するべきだし、
放射能汚染された食べ物は食べられない。


これを、全てやっている人を知っている。
知っているから、私もできるような気がしていたが、
とてもとても。無理だ。
そして、そのワクチン反対派の代表のみならず、
それに追従している人々は、全てやっているのだろうか?という疑問がわく。


全てやっている人は、自給自足の生活で忙しく、
料理もおやつも全て手作りだし、
とても、ワクチン反対の運動などしている暇がないのである。


ここまできても、ワクチン反対派を否定する材料は何もない。
私の考えすぎでみんな全てやっているかもしれないし、
やりつつ運動もしているというスーパーマンの集まりなのかもしれないが、
えてして、この集まりは、
そうじゃない人々を見下す傾向にあるのが問題だと思う。


「毒と知らずにワクチン受けてばかなのか」とか、
「まだ紙おむつなの?」とか、「紙おむつとか紙ナプキンって石油なんだよ!」と、
よかれと思ってなのか上から目線なのかわからないことを言う人が多いのだ。
「そんなのやめなよ!」と押し付ける人も多い。
先ほどの団体の代表の記事は読んでいないので判断できないが、
そういう人々が少なからずおり、目立つせいで、
反発を生み、論争になってしまうのだと思う。
本来ならば、「よそはよそ、うちはうち」で解決する話なのだ。
ワクチンを打たなければ拡散されるかもしれないが、
文明派の人々はワクチンを打つので大丈夫だろうしな。


どうしてなのか詳しい心理はよくわからないが、結局、
「自分を特別と思いたいがその願望に気づかない人々が食いつきやすい」のが、
自然派や陰謀論ではないかと思った。
なぜなら、夫がそうだからだ(笑)


誰だって特別の唯一だ。
しかしそれは、どんな道を選ぼうとも変わらない真理であって、
他人を見下す必要も、その手段に頼る必要もない。
これは文明派にも言えることなのだが、文明派は必要以上に自然派を叩きたいわけではない。
自然派が貶めてくる(または、くるであろう)ことに対して反応しているだけだと感じられる。


オーガニックも布ナプキンも紙ナプキンもワクチンもワクチン拒否も、
全て、自分と自分の家族を守り、後悔のない人生を送るための手段に過ぎない。
他人と違う自分を演出するための道具ではない。
好きなほうを選べばよい。

よそはよそ、うちはうち。
なんて素晴らしい言葉なのだろうとひとり感激した夜中であった。




話が自分に戻る。
ワクチンを拒否し、できる限りのことはしていたものの、
上記のことを全てやるのは無理だと自覚した。
そもそも普通の病院で産んで気温調整されてたし、
(全てされている方は、自分の家でお産みになっている)
タイムスリップでもしないと無理だし、
しかもこれを一生続けていく覚悟でワクチンを拒否するというのは、
私にはできない、と諦めた。
できない私のためのワクチンなのだと悟った。

なので、昨日やっと娘にワクチンを受けさせた。
普段からゆるい感じの病院で、
「当時は自分の考えでワクチンを受けさせませんでした。でも変わったんです」
と言ったら、苦笑交じりで対応されただけで、怒られなかった。←



しかし、そういった決断をしてきた自分を、なんとも思っていない。
黒歴史だとかも思っていないし、
目の前の事実を疑い、自分を疑い、決断していく姿勢はこれからもやっていこうと思っている。
息子にも、これから生まれる子にもワクチンは受けさせる予定だが、
それは、「当たり前だから」「みんなやっているから」ではなく、
あくまで、「完璧にやれない私の自己満足」であると思って受けさせていく。


ワクチンを受けても、拒否しても、
何がベストの決断だったのか、結果が出るまでわからないのだ。
副作用で被害を受けている人は実際にいらっしゃる(子宮頸がんワクチンなども)し、
そういった方を無視もしたくない。
生ポリオを受けてポリオに罹った人もいる。
不活化ポリオの実施までに、どれだけの人々が尽力したことか。

息子のときはまだ生ポリオだった。
集団接種で、同意書を書かされるのだが、不安だった。
しかし、その不安に私はふたをしたのだ。
あのまま、万が一息子がポリオに罹ったら、私は悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
息子が今も元気にいることは、ありがたい奇跡なのだ。
そういった、不安や違和感にふたをする生き方は、もう嫌だった。
そのうえで、ワクチン拒否にも不安を持ち、受けさせたのだ。


本当は、このまま拒否したほうがよい結果が出たかもしれない。
リスクは同じだ。
同じならば、自分がやれること、可能性が高いと判断できること、をやるしかない。

自然派だろうが文明派だろうが、どちらかに傾倒することなく、
自分の人生を選び、家族を守っていきたい。



2016年09月07日(水)





抗がん剤を拒否した人のFBを覗いたら、
怪しげな民間療法ばかり薦める友達がたくさんいて、
そもそも抗がん剤を拒否したら死しかないし、担当医には同情する。
もう友達なんて信用できない。
(大意)

みたいなツイートがたくさんRTされて何回もTLにまわってきた。


拒否した当人のブログ記事を読んだら、
大人で、完全に自分の意思で抗がん剤を拒否している。
友達がそう言ったから、でもない。
抗がん剤の賛否は置いとくとして、
その人が自分の意思で拒否して、そこに友達が反応して、応援している。
多分、私が退廃的でマイノリティなんだろうが、
何の問題があるのだろう??


抗がん剤の拒否の延長には死が、というが、
そもそも人間はいつか必ず死ぬではないか…?

抗がん剤を打てば多少長生きするのだろうが、
それでも副作用や再発もありうるし、それを拒否する権利はもちろんある。
「抗がん剤を拒否して死にます」ではなく、
自分の納得行く道でがんと戦います、という意思が感じられる記事だった。

そこに他人がどうこう文句つける話とはとうてい思えないのだが…。


拒否している人に、
「私はあなたが拒否する抗がん剤を勧めてでも、あなたに生きて欲しい!」
と気持ちを伝えるのはもちろん素晴らしいし、そう言う権利はあるが、
自分も同じ治療を受け、死ぬときも一緒、というわけではないのでしょう?
そもそも親でも兄弟でもないし、
親でも兄弟でも、本人の生き死にに口を出すのはどうかと思うし、
強制する権利もないと思う。

本人が悩んでいるところに誰かが介入してその選択をさせた、
という経緯なら、言いたくなる気持ちもわかるけど、
今回はそうではない。




しかし、
「そもそも人は必ず死ぬ」という場所に私が寄りすぎてるんだろうな、と思う。

こないだちらりと書いたが、
受動喫煙での肺がんのリスクが、「ほぼ確実」から「確実」になるのだそうだ。
確かに気になる人には気になるニュースだし、
私も子どもたちの受動喫煙は避けていきたいが、
私個人だけなら、それは全然構いませんといった気持ちだった。

愛する夫の吸った煙で肺がんになるのならむしろ本望だし、
肺がんは、早くに逝った、大事な人と、同じ病気。

それでも、発病するなら子どもたちがみんな成人してから、というわがままは思ったけど、
長生きしたいという意思がまずないから、
あぁ、こういうところがなぁ、と思ったことだった。

どうせ死ぬのに、長生きして、介護も受けたくないし、苦労もかけたくないし、
ボケたくもない。

義母を見ていてよく思うのだ。
義母は80代の今もボケずに基本的に元気で、一人暮らしを続けている。
しかしこんなのは、本人の資質と努力と運が重なった結果であって、
私がそういう結果を出す自信はかけらもない。
自信があったってそうならないこともある。
努力が報われないこともある。
事故に遭うことだってある。

必要以上に、生に執着することの、何の意味があろう。



夫より先に死んだら、夫に出来ることが少なくなる。
子どもより先に死んだら、やってあげられることが少なくなる。
それだけが。
それだけが、私の理由なのだ。


ずっと考えながら生きてきた。
何故生きるのだろう。
何のために生きるのだろう。
私は天才でもなく、社会貢献のできる性格でもなく。
ただ自分のためだけに生きている。
それが、何者かに許されているからこそ、今日も生きている。


生まれてきたかったから生まれてきたわけでもない。
生まれた瞬間から、細胞は毎日生まれ変わり、死への旅が始まる。
生きることは死ぬことであり、その瞬間までの暇つぶし。



生に理由などない。
これが、私の生の全肯定のかたちだ。





2016年09月06日(火)






ゲームばっかりやっていたところに、
娘が、私のコージー・ミステリを発見。
お菓子のレシピが載っているので、つくれるのー?と目をきらきらさせていた。
作ろうね、と話していたら、
続きが読みたくなったので、続刊を買った。

ハンナのお菓子探偵シリーズ。
私のなかでは珍しく、10年くらい買い続けているシリーズだ。
1年に1作なので少ないというのもあるけれど、
なんといっても三角関係がいっこうに進まないのがいい。

ミステリーは、ご近所の人間関係が絡むのが面白いので、
謎というほどでもないし犯人も途中でわかっちゃうけど、
なんとも気楽に読めて、読後感も軽くていい。


お楽しみは作中のお菓子のレシピがほとんど載せられていることで、
作ってみたくてしょうがなかった8年前くらいの私は、
アメリカの計量カップセットを買った。
結局使わずに、結婚してからてきとうに計算して作ってみたが、
やっぱり美味しかった。
さっきその計量カップはまだあるか実家に聞いてみたが、返事はまだない。





今日から22w。
体重がやばいのでもう少し落としてから検診に行く。
バランスのよい食事を摂ればいいだけで2倍食べる必要はないのだから…
と思うが、やはり何かしらのリミッターがとれているのだろうな…。

先週まで秋らしく涼しかったこの地は、台風が過ぎてから残暑厳しくなった。
散歩は無理(弱い心
というか学校への登校が始まって朝が早くなったので、
昼休みは爆睡していた。
ゲームで夜更かしはほどほどにしなければなぁ。




少し前から胸がものすごく痒くて辛かったのだが、
今日ついに母乳らしきもの(正確には成分の似たものだろうが)が分泌された。
早すぎだろう?!と驚きはしたものの、
これで母乳の出が悪いということもなかろうと少し安心した。



仕事そのものは安定しているのだが、
厄介な案件が入ってきて、夫は渋い顔をしている。
一緒の職場にいても私ができることは少ないけれど、
夫の家での時間や、睡眠時間くらいは守らなければ。




2016年09月02日(金)




低気圧で偏頭痛に襲われ、
散歩も行けなければ家事もできていない。
昨日は風呂も休んでしまおうかと思ったが、
風呂大好きな娘のために、夫がせっかく溜めてくれたので、入った。

湯船に浸かってしあわせそうな娘はとてもとても、
そりゃぁ可愛くて、
しかし、今日のこの日の娘は今日だけで、
私しか記憶していないのだと思うと、
普段から私に染み込んでいる退廃は薄くなり、
長生きして、記憶を残しておかねばならないという気になった。

抱き寄せると、「きゃぁー」と喜ぶ娘。
いつまでこの腕の中にいて、いつまで喜んでくれるだろう。

どんな日々も、愛しくて、輝いて、儚くて。
きっとそれが懐かしくて、たまらない日がやってくる。
こないならこないでもいい。
きた日のために、写真を残さなければならないんだなぁと思った。
今日は、早速お風呂上りの娘を残そう。




それでも退廃的だなと思ったのは、
肺がんのニュースを読んだときだった。
受動喫煙での肺がんのリスクが、「ほぼ確実」から「確実」になるのだそうだ。
夫は同じ部屋でも吸うので、
私の肺がんリスクはあがっていると思うが、
私ひとりの話なら特に気にならなかった。



2016年09月01日(木)





昨日、夫と寝る前に睡眠時の立てる音の話になって、
私の口呼吸での音がまた気になるのだという。

寝付けないほどではないが、夜中に目覚めると気になるのだと。
私も、同じ部屋で家族寝るようになってから、
夫のいびきが気になって寝られないことがあるので、
私から見たらお互い様なのだが、
私のクソ真面目というかネガティブな部分が、
努力しなければという気になってしまい、
夜中、何度か目が覚めてしまった。


おかげで今日は、眠い・だるい・ネガティブ思考の三拍子である。
チェックして納品したはずの書類のページを1枚見つけて、
これはコピー前のものなのか、それとも控え用の1枚なのか、
非常に気になっている。
このページを処理していたとき、他にも後入れする書類があったので、そちらに気を取られていて、
正直散漫だった。
チェックも、このページを気をつけた覚えはなく、
そのときの自分が流れ作業でやってしまっていることを祈るのみなのだ。

いっそのこと電話してチェックをお願いして、
抜けているならお詫びして対処したく、勇気を出して夫にも打ち明けたのだが、
夫は、向こうからの連絡を待つ気なのか、何も言わなかったので、
ひとりで悶々と「抜けているに決まっている」と気分を悪くした午前中だった。


だけどこれはマタニティーブルーの「健常児が生まれる気がしない」のときと似ているな、という気がして、
なるほど、昨日は眠れなかったからホルモンがおかしいのかもしれない、と思った。
ミスの可能性は依然として残っているのだが、
気分が悪くなったり食欲がなくなるほどではおかしいだろう。

本当にミスっていたら、もうそのときはそのときだ…。
以前までの私だったら、向こうからの連絡を待っていただろうし、
夫に言えただけでも進歩としよう(レベル低い)。



そこまで思えたら、やっと、食欲が出てきて、
しぬほど食べたい気がしていたドリアを買いに行った。
めちゃくちゃ美味しかった。セブンありがとう。

いいかげん、家でおいしいドリアを作りたいが、
ドリアやらグラタンやらいうものはソースの味が大事であるので、
ついめんどくさくなって作らない。買うと高いし。




お弁当作りに慣れたり、または終わったりしたせいで、
今はすごくお菓子が作りたい。
時間もお金もたっぷりかけて、作りながら、これは絶対においしいと思いながら作りたい。

が、作ってしまった後に興味がないのは私の悪いクセだと思う。
これは手芸の趣味にもいえることで、執着が薄れるというか…。
長いこと悩んでいたのだが、結局、
人に食べさせたりあげたりしてもいいくらいに技術をあげるしかないと気づいた。
今その技術がどうなっているのかわからないが、お菓子作りは、
家庭科の先生からも褒められたし、
西川君じゃない元カレも褒めてくれていたのである。
あのむっつりマザコンに褒められたことはわりと自信にしていいのではと最近思う。
ブランクで落ちていないことを願いながら、今日も日が暮れる。
専業主婦には一生なれないのだろうか。




金銭感覚がマイノリティなのか、
旦那が稼いできたお金を家庭のお金と思えない。
買ってもらうのはいいけれど、自分のお金と思えない。
だから自分も稼ぐのは私にとっては当然だし、お金を使うのが楽なので、いいんだけど、
引っ越してから特に、家に裂く時間が少ないのがかなり気になっている。
気になる性格である以上家を掃除したりなんだりしたいのだけど、
フルタイムで働いて帰ってきて、週末は夫の実家に顔を出していると、
日曜くらいしかない。
もちろんお菓子を作る時間もない。
そのうえ、睡眠時間をある程度必要とする、燃費の悪い体ときている。
妊婦でもあるし。




まぁこういうのを欲張りというんだろうなと思う。
同じ稼ぎの額の旦那さんで専業主婦だったら、使えるお金はもっと少ないだろうし。
旦那の年収知らないけど。



夕飯もドリアが食べたい。





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