コミュニケーション。
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だいぶん落ち着いたので不謹慎消しました。 あれね。 総括するとあれなんですよ。 旦那に「大丈夫」って言っちゃった自分の信用がってことなんですよ。 クソでしょ?(知ってる)
旦那は3人兄妹にしたいらしいから、そんなに反発はないだろうと思ったけどさ。 だいたい、息子のときそれやらかして、 それを許してかつ結婚してくれて今でも仲良くしてくれる旦那なんだからさ、 普通に考えて喜べるでしょって思うけどさ。
でもさ、2chとかで、3人目妊娠中に浮気とかよく見るし(気のせい)。
はー、でも浮気って、結局何なんでしょうねぇ。 結局、浮気サレた側の心の持ちようなんでしょうねぇ。 シた側が誠心誠意やったとしても、サレた側が受け取らなければ意味ないし、 逆に、 受け取って、信じて頑張ろうって思っても、またやるかもしれないし。
こないだツイッターで、
浮気した理由(言い訳)が、「出産してから女じゃない」とか「育児ばっかりで俺かまわれない」のオトコはなんなんだ
っていう話題でちょっと盛り上がってて、 私も、
出産してからもできるだけ女を手伝い、時間を与え、身奇麗にさせたり、 育児をやる男はいくらでもいるのにねーと。 それが出来ないのにこっちにばかり言われても…。
性欲を抑えられないのは生理的欲求として理解するから、 その性欲の理由をパートナーに押し付けるなよ、と思ったわけだ。 お前がまず自分の性欲を受け入れろよ←New!
もちろん、パートナーがこっぴどく断るとか、あなたはおかしいとかなじったとか、 そういう場合は別腹だけど。
で、今は私と旦那は、痩せるまではオッケーってことになってはいるんですけど。 実際はしてないんだよね、多分。多分。 で、私も、してないだろうってことに安心をしてるんですよね。
旦那が短気起こしてるとき、「俺は浮気もしてないのにー!不公平だ!」とか言うし。 オッケーだから本当にやったとしても怒れないけど、辛いんだろうなぁ(前も書いたわ、これ)
副鼻腔炎のおかげで、食欲がゼロになって、3キロぐらい痩せました。 ほんとはあと2キロくらい痩せてたみたいだけど、これは一時的なものだったみたい。
筋トレがんばりまーす。
2016年04月15日(金) |
夫スキー部というのがあるけど |
なんかこう、光の属性から「私は夫が大好き!」と言えるタイプではないんですけど、 「夫なんていなけりゃいいのに」「亭主元気で留守がいい」タイプよりは、 まぁ、「夫スキスキずっと家に居て」というタイプだと思います。
これは元彼(西川君じゃないほう)の時代からそうだったんだけど、 日記だろうがSNSだろうがツイッターだろうが、惚気は書きにくい感じがあって。 まぁ当人たちからは「俺の評判が下がるばっかり!」とブーイングなんですけど、 いやだからって、特に元彼(西川君じゃないほう)の場合は同級生なので、 SNSとかだと知り合いがいっぱいいるわけですよ。だから無理なんすよ(酷)。
今の夫のことはね、同級生はほとんど知らないんで、ツイッターにはのろけまくりですけど、 今はオタ友と繋がっちゃってるんでまぁ少し恥ずかしいですよね。 でも結婚したい子なので、結婚にいいイメージ持って欲しいという大義名分で書いてますけど。
あとねー、今もう見てないだろうからぶっちゃけると、 このクソ女まりあさんは元彼(西川君じゃないほう)と付き合い?ながらも、別の男友達にほんのり片思いしていて、 (当時のを読めば多分バレバレ) 彼もこの日記を読んでくれて褒めてくれていたので、 のろけとかあっても書きたくなかったわけですよ。 若い女ってバカで残酷やな(他人事)。 ていうかまぁ普通の若い女なら引く手あまたなんだから、 普通に紐つけとかないとどこかいっちゃうのは普通ですよね?←
私はブスだけど年上に市場があったから結果的にこっちにきたわけだし、 普通の自己肯定感満載の健康な女の子だったら、 きっと元彼(西川君じゃないほう)とはドロドロしなかったし、 片思いに素直に従ってそっちにいったんじゃないかと思う(うまくいくとは言ってない)。
元彼(西川君じゃないほう)ってしつこいけど気に入ったのでこれからも使う。 比較対象がないからこれからも出てくるし、多分。
まぁ何が言いたいかっていうと夫が大好きで、別の人に片思いする暇もない。 (声優は別腹) 嫌いなときもあるけど大体憎めないし。 仕事はできるし。家事育児も手伝ってくれるようになったし。神かよ。
で、ツイッターの夫のろけ垢を作ろうかと思ってんすよ。
2016年04月04日(月) |
元カレ(西川君) と 喧嘩 |
なんか、知らないけど、 西川君がデビュー20周年じゃないですか。 それで全国ツアーをやるらしいんですよね。
全国ツアーか〜昔この県にもきてくれたよな〜〜 あのころは中学生でお金もなかったし、全然当たらなかったけど、 今もしこの県にきてくれるなら申し込んでみようかな〜
と軽い気持ちでイベントスケジュールを見たら、この県でもあるじゃないですか。 おっ、あるある〜 県庁所在地のデッカいホールだろうな〜 そこまで行くのにも交通費かかるからな〜ほんと田舎だなここ〜 って思いながら県名をクリックしたらね。
徒歩15分の会館。
夫は声優には理解ない(っていうか完全スルー)けど、 音楽には理解あるので「お前行くしかないじゃん!」と言ってくれてほんと嬉しかった。 でチケット申し込んだら無事当たった(小並) ファンクラブ入ってないのにe+の最速先行を逃したから、 あ〜やっぱりあなたと私は別れる運命かしらとか思ったんだけど。
狂信者時代を知っている親に話したら、 「最近売れてないからこんなところくるのかしら」って言われて、 いや多分違う!と思うけど!
私が追いかけていないから親には売れてないように思えてるけど、 多分、若い子にはじゅうぶん売れてるし、慕われてる。 もう何年も新譜は買ってなくて申し訳ない、ただの古参ミーハーだけど、 20周年ということで古いのも歌ってくれるみたいだし、ついていけるだろう。多分。 多分が多すぎるあたりに愛の薄さを感じる。
しかしそんなやさしい夫とは些細なことでただいま冷戦中である。 ほんとうに些細なことだった。
前にも少し書いたけれど、我が家は、 私と子どもたちは21時過ぎにおやすみといったんひっこむ。 それから私は、夫が寝る25時くらいまで寝て、時間になったら起こされて、 改めて居間に布団を敷き、寝る。
だけど、子どもたちがすんなり寝てくれたら、私だってスマフォや2DSで遊びたい。 (ピカチュウ版買った) 土曜の夜だったし、好きなゲームのイベント中だったから遊んでいた。 前々から夫の、 「私に寝ていて欲しいオーラ」は感じていたので、寝てないときは寝たふりなども使ってきたけど、 その夜はたまたま、夫の気配に気づけず、 寝てるかどうか確かめにきた夫と目が合ってしまった。
そうしたら、夫は、心底いやそうに、 「げっ、起きてる」 と言い、戸を閉めたのだ。
寝てるかどうか確かめにくるぐらいだから、 私が寝てる間に何かしたかったのだろうかぐらいは思う。 が、前の日記に書いたときのように頼まれたわけでもなく、寝るとルールとして決めていたわけでもなく、 (ルールなら確かめにこないだろう) 毎回でもなく、たまたまその日私が起きていただけなのに、 「げっ」とか言われる筋合いがどこにあろうか。
悪気がなかったのはわかるし、 やりたかったことができない残念さも察するけど、 存在自体を責められたようで、辛かった。
でも、その後、理由も告げずに家から出て行って、 夫が寝るであろう時間まで車にこもっていたのは、大人気なかったかもしれない。 そしてその次の日は実家に逃走していたのも大人気なかったかもしれない。
実は数日前まで私と実家は少しもめており、 夫に多大なる心配と手間をかけたし、実家への愚痴も聞いてもらったのに、 ちょっと「げっ」と言ってしまっただけでその実家に帰ったのである、この嫁は。 今書いただけでもやっぱりちょっとは反省する。
家に帰ってもお互いの機嫌はそのままだったので、 夫には、 「なにかドラマを一緒に観るという約束がない日は、寝ると約束する。ゲームもしない。 だから、げっとか嫌だとかは言わないでほしい。私の居場所がない気がする」 と言った。
夫が何も言わなかったのは、お互い様だと思ってくれたのかと思ったけど、 今日になってからもツンケンしてくるので、 他のことも思い出して腹を立てているのかもしれない。
…などと午前中を使って書いていたらお昼になり、 お互いツンケンのまま昼食を終え、会社に帰ってきたら、 夫が小声で、 「おい見てみろ、あそこにいかにもドラマの名脇役って顔のおっさんがいる」 などとささやくので、噴出した。
確かにおっさんは居たが、今までのツンケンは何だったのか。 やっぱりお互い様だと思ってくれてたのかなぁ。
結婚満8年。だいぶ省エネになってきたかなぁ。
けんか、おしまい。多分。
努力が嫌いなので無教養に育ってしまったけれど、 絵本についての本を読むのは好きだ(ついていけるとは言ってない)から、 渡辺茂男さんの『すばらしいとき 絵本との出会い』を今読んでいる。 渡辺さんは若くしてアメリカの図書館で働いているとき、 あの名作『もりのなか』の著者、エッツと邂逅されたそうだ。 『もりのなか』は私が繰り返し母に読ませたと、母が言っていた。 渡辺さんのご子息たちも大好きで繰り返すうちにぼろぼろになり、 作中当時は二冊目をお子さんが読んでらっしゃるとある。
『もりのなか』は、シンプルな絵とシンプルな文章。 無理矢理カテゴライズすると赤ちゃん向けの本だけど、 息子はそういうのが好きだし、娘もまだ好きだから大丈夫だろう、 図書館で借りよう!と思い立った。 時間もなかったので開かずに借りて帰り、娘と一緒に開いた。
するとどうだろう。 確かにシンプルだけど、私の記憶、印象よりずっと文字が多い。 森のなかで出逢う動物たちが、「ぼく」と出会い、ついてくる。 これが繰り返され、最後はみんなで遊ぶ。 ワンフレーズの繰り返しは幼児向け絵本の基本だけれど、 私のなかには、フレーズも、文字も、母の声すら残っていなかった。
裏腹に、目の前にはもりがひろがってゆく。
くつをはいているぞうさん。 じゃむをおいしそうになめるくまさん。 あぁしかし、本当にこうだったか? 本当にこんな絵本だったか? ぞうさんもなにか食べていなかったか?
文言を読みながら、ぬぐいきれない違和感がある。 母の声がないから、私の読み方が合っているのかわからない。 コンパスをなくした船のような思いだった。 ただ、幸いなことに娘は気に入ってくれた。
読み終えても、違和感だけが残った。 だいたい私は、絵がメインの文字の少ない絵本だと思っていたのだ。 「じゃあじゃあびりびり」のような。 だから赤ちゃん向けだと思っていたのに、きちんとセリフのある幼児向けだった。 訳者が違うのかとさえ思った。 しかしそんなことは常識では考えられない。
推理されるものはひとつだった。 私が『もりのなか』を繰り返し読んだとき、私のなかに文字はなかったのだ。 おそらく2、3歳の私。絵だけの世界。 少し大きくなった私は新しい本へいき、文字を知り、 もっと長い本へ行き、『もりのなか』に触れることはなかった。 それっきり、赤ちゃん向けの本だと思い込み、読まなかった。
それは、十分、もりのなかを楽しんだのだろうとも思う。 そして今回に至った。
私のなかの『もりのなか』は、文字を知らない私が遊んだままに、残されていた。 まさしく、「子どもは絵を見ている」。 そのこと体感できたことが、言葉にならない感動だった。
絵の世界は、なんて無垢で、活き活きとしてるんだろう。 ライオンさんもぞうさんもくまさんも、確かに生きている。 言葉はない。 文言からすら離れた、私だけの世界。 少しきいろがかっていて、あたたかい世界。 この年になって、自分のなかの美しいものに触れられるとは思っていなかった。
息子ははやくから自然と文字を覚え、小学生になった今は、 すっかり文字を追いかけている。 彼が大きくなって今読んでいる本を思い出すときは、私が母の声を思い出すのと同じだろう。 それでも彼が聞いてくれる限りは読みたい。 彼だけの世界にいざなえたらいい。
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