綿霧岩
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俳優をやるということは、作家、演出家のことを生身の体を通して知るということでもある。 物理的に自分の体を使っているので、自分との違いは違和感としてダイレクトに感じる。 それがどういう意味とか良い悪い以前に、ただ自分と人は全然違うのだということを感じまくるのが俳優の作業です。 そして、その自分とは全然違うその感覚を、さも自分自身から生まれてきたかのように生きてみようとするのが俳優の仕事です。 その途方もない道は愛することと同義ではないかと思う。
また一方で、人は一人一人違うと言えども、そこまで大きく違うわけでもないでしょうという見方もある。 それもまた真実だと思う。 だいたい同じような形で同じような内臓を持ち、ましてや同時代に同じ地域で生まれ育った人ならば、だいたいの感覚は共通しているだろうと思う。
にも関わらず、やっぱり隣にいる人でもこんなにも違うのかと、俳優はいつでも思い知る。 体というのは言葉と似ていて、細かく、鋭いのだろう。
貪るように水を飲むようにどんどん読みたい言葉があった。 言葉と生き様はイコールなんだなあ。 http://ibaya.hatenablog.com/いばや通信
私には行きたい所がある。 それは誰とも違う、私の行きたい所。 何者でもないぼやけた自分のままで、そのときそのときの行きたい所を静かに瞬時にピントを合わせるように今にいよう。 緩さと厳しさは両方同時にあると楽しいと思う。
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