綿霧岩
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細かい雨が降っていた。 濡れて歩こうかと思ったが、思い直してコンビニで傘を買った。 水色の傘にした。 傘をさすと、降っているかどうかわからないくらいに静かだったが、 たしかに降り続けていた。 風は感じられなかった。ジーンズの裾はべったりした。
その次の日は快晴だった。 ぷちぷちと大量に並びふくらむ木の芽を近くで見たら目が回った。気分が悪くなりそうな自分が小さかった。毎年毎年毎年毎年、枯れては再生するしつこさ、逞しさ。遠くから眺めれば美しく嬉しく。間近で見たら臓物みたいだった。犬のおしっこ、猫のおしっこ、人間のおしっこが交じる土。路地にはしょっちゅう猫がいた。公園には紐につながれた犬だらけ。そういうごちゃまぜの春を背に、屋根の下に入り腰かけたら、頭の中の流れが変わる。一人で歩いているときは、誰かと会話しているように、頭の中の話題が次々変わっていくので私はそれにただついていくのみだが、動作が止まれば話題の主導権が私に少しずつかえってくる。一人の私では話題が広がらない。同じ話題を繰り返すうちに、私の中のどこかに飲み込まれて回復したような気になる。或は忘れる。
外は暖かいが、部屋でじっとしていると体が冷えてくる。まだストーブを使わずにはいられない。まだ土のなかにいる感じ。虫で言ったら。
日々の私の現実は、日々変わるのだから不思議におもってしまう。 不思議でもなんでもなくて、それが生きているということで普通のことなのだろうが、やっぱり気付くとつい驚いてしまうのは、私は自分が死んでいると思っているということだろうか。 よく、わからない。 しかしともあれ、私が意識できる範囲できっかけなど無くても、私は突然思い出したりする。そして私の感知する現実ががらりと変わることは、おや?と思うことなのである。
雨が降っている。 雨は一応、目に見えるし触れるし音も聞こえるので、どこか安心できる。 私も一応、どこかに繋がっているのだろうと思える。
眠いなと思っているうちに、知らないうちに昼寝をしていた。眠っている自分の頭の上には、無限の空が伸びているようだった。目が覚めたら壁や天井がすぐそこにあるのは承知の上であるが、どうも最近は覚醒している時でさえも、頭の上には、ここ一月に自分の上にあった空が、いやこれまで自分がその下に居た全ての空が、いつでもあるような気がするのだった。
2007年03月21日(水) |
線路、ホーム、電線、空とか |
電車の、一番前か一番後ろに乗って、正面か真後ろの景色を見ながら運ばれていくのは、いくつになっても好きだ。
お酒をひとりで飲むほど酒好きではないし、強くもない。 が、人とお酒を飲むのはわりと好きだと思う。 一緒にお茶を飲む、のとは少し趣きがかわる。 共有する場の感じがすこし暗く、濃くなって、次第に曖昧になる。だから行き過ぎると目もあてられないことになる。 お酒は大人の飲み物だと思う。
東京に二週間ほど滞在して、いろいろな人に会って話を聞いたり顔を見たりした。
宿舎と劇場の間が三駅、毎日歩いて通った。最近歩くのが好きなのだ。これから、趣味はと聞かれたら散歩と答えようというくらい。 出会った人も多かったが、鳥もたくさん見た。空を飛ぶ鳥、川に浮く鳥。 鳥には度々見とれてしまった。見ていると、飛ぶ気持ち、浮く気持ちになって酔いそうになった。 私としてはずいぶん賑やかでごちゃごちゃした派手な二週間だったが、不思議と疲れがあまり無いのだった。 これも歳をとった効能かとにんまりしている。
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