次の休みが待ち遠しい。大阪で開催中の『バンクシーって誰?展』に行こうと友人と話しているのだ。
バンクシーは世界各地に神出鬼没に現れ、街中の壁をキャンバスにする正体不明のストリートアーティスト。赤い風船に手を伸ばす少女の絵をあなたも見たことがあるかもしれない。
他人の所有物に無断で絵を描くのは法に触れる行為であるが、社会風刺とダークユーモアが込められたその“落書き”はアートとして高く評価されており、オークションでは億を超える値がつく。バンクシーが大英博物館に勝手に作品を陳列したら、その価値が認められて正式に展示されることになったというエピソードは有名だ。
私はノスタルジーを感じさせるその絵柄も好きだが、彼が美術館ではなく街角に絵を“置く”ことでより広く自分のメッセージ------貧困や人種差別、弱者への無関心に対する批判、資本主義や大量消費社会への警告、反戦や反権威をテーマにした作品が多い------を伝え、見る者に気づきを与えているところに惹かれている。
たとえば、下の絵のタイトルは『クリスマスおめでとう』。
イギリス最大の製鉄所があるポート・タルボットという街のガレージの壁に描かれたものだ。
口を開けて少年が食べようとしているのが雪でないことは、隣の壁とひとつづきで見るとわかるようになっている。
バンクシーは作品について多くを語らないが、地元の人々を悩ませている製鉄所から排出される粉塵に対する抗議であろうと解釈されている。
なぜここにこの絵が描かれたのかを知ると、ただ「きれいな絵だなあ」「うまいもんだなあ」では終わらないのだ。
「すごい高い場所に描いてある絵もあるよね。どうやって描いてるんだろう」
と友人が言う。
バンクシーが公開している制作動画では、フードをかぶった男性が暗闇の中で脚立を運び、額に着けたライトの灯りを頼りに壁にスプレーを吹き付けていた。そして朝になり、刑務所の外壁にタイプライター用紙をロープ代わりにして脱走しようとしている囚人を警察官が発見するのである。
(ちなみにこの絵は、詩人オスカー・ワイルドが同性愛の罪で投獄されたイギリスのレディング旧刑務所の保存を求める市民運動への支持表明と見られている。ワイルドはこの刑務所の中で『獄中記』を書いた)
このようにハシゴがないと描けない、大掛かりで時間のかかりそうな作品も多い。誰にも見られずに仕上げて立ち去るなんて不可能だと思われるのに、素性は知れないまま。とても不思議だ。
しかし、その匿名性が彼の作品の価値を高めているとも思う。
「いったい誰がどうやって描いたのか」といえば。
大学時代、サークルに京都大学から来ている男の子がおり、「うちの大学に面白いものがあるから、見せてあげる」と言う。後日彼のキャンパスに遊びに行った私は、彼が指差す方を見てびっくり。
校舎の壁面をめいいっぱい使って巨大な絵が描かれていたのだ。不気味なお化けのようなものが描かれている。
「これ、落書き……?誰がどうやって描いたん!?」
「さあ。でも一夜のうちに出現したらしいよ」
それから何年か後に「kyoto-u.com」内の掲示板に、
1987年4月28日に登場。深夜のうちに屋上からザイルで振り子トラバース(屋根の中心にザイルをセットし、ぶら下がる登攀者を下からサブのザイルで右に左に振り子のように振る、アルプスのアイガー北壁で用いられる高度な技術)で書き始められたが、時間切れで朝になり、頸の辺りにスプレーの書き残しがあって未完成なのが残念な出来であった。
|
というコメントを見つけ、制作者についての謎がさらに深まったのであった。
その後校舎が建て替えられ、もう壁画を見ることはできないけれど、それまで消されることがなかったのは京大が掲げる「自由の学風」ゆえの寛大さだったのだろうか。
京大の落書きといえば、もうひとつ有名なものがある。
京大の前身のひとつである第三高等学校の初代校長、折田彦市先生の銅像だ。
九十年代の初め、何者かによってスプレーで顔が赤く染められ、台座には「怒る人」の文字。これが折田先生像をめぐる、大学と落書き犯のバトルの幕開けである。
巨大壁面落書きは見逃していた大学側もこれには目をつぶらなかった。
しかし、像を洗って元通りにしても入学式や学祭、入試や卒業式などキャンパスに学生が溢れる時期になると、決まってあらたな落書きがなされる。しかも、回を重ねるごとにどんどん芸が細かくなっていくのである。
ある年は新入生のサークル勧誘に借り出され、
またある年は、京大のシンボルから万博のシンボルに……。
またある年は、勝手に嫁に出された。
いたずらが始まってからついに像が撤去されるまでの七年のあいだに、折田先生は三十回近く“変身”させられたという。
消しては書かれ、また消しては書かれ。大学側にとっては腹立たしいことこの上なかっただろう。とはいえ、徹底的な犯人探しをせず、そのつど洗浄することで対処したというところに温情を感じないでもない。
それに、もし折田先生が生きていたとしても、本気で怒りはしなかったのではないかという気がする。まあ、自転車を担がされたりウェディングドレスを着せられたりするたび、「わしになにをさせる」とはぼやいただろうけれど。
誰にも見向きもされずポツンとそこにいるだけより、京大名物としてその時期には学外からも人を集める存在であったほうがいいよねえ……なんて言ったら、不謹慎だと叱られてしまうだろうか。
でも私は部外者の無責任さで、校舎の壁画といいこの像といい、京大生というのはユニークなことを考えるんだなあと感心してしまった。
落書きは犯罪であり、うまい下手にかかわらず正当化されるものではない。
けれども、限られた道具で素早く仕上げなければならないがゆえに、キャンバスに描かれた絵にはない勢いや予定調和でない面白さを感じることがある。
街中で見かける落書きのほとんどは景観を損ない、人を不快にさせるだけの悪ふざけの産物であるが、ユーモアやメッセージ性のあるものにたまに出会うと、どんな人がなにを思って描いたんだろうと想像をめぐらせる私である。