YOASOBIのキービジュアルを担当するなど人気のイラストレーター、古塔つみさんの複数の作品が“トレパク(トレースによるパクリ)”したものではないかと騒動になっている。
古塔さんの個展に行った人が展示・販売されている作品の中に海外の有名写真家やアーティストの写真と酷似しているものがあることに気づき、告発系ユーチューバーに情報提供したところ、たちまち炎上。古塔さんは「引用・オマージュ・再構築として制作した作品を権利者の許諾を得ず投稿・販売してしまった」と認めたが、トレース(上からなぞる)はしていない、盗用の意図もなかったと釈明している。
東京五輪の公式エンブレムに選ばれた作品に盗作疑惑が持ち上がり、採用が撤回された件も記憶に新しい。
真実は本人のみぞ知るだが、ジャンルを問わず創作物には「盗まれた」「盗んでいない」がしばしば起こる。
Aというサイトの記事を初めて読んだとき、「あれ?」と思った。私が過去ログを読破した数少ないテキストサイトのひとつにBというのがある。そこで以前読んだ文章と目の前の文章がそっくりだったのだ。
そういえばサイトのデザインもよく似ている。でも、まさかね。
しかし、Aの過去ログを読みすすめ、愕然とした。覚えのある文章が次々出てくるのだ。
私の勘違いであってはならないとAとBを画面の左右に並べ、ひとつひとつ照らし合わせていったら、書き手の年齢や性別、立場を自分のそれに置き換えただけの“ほぼ完コピ”であることがわかった。Aは一年もの間、Bの過去ログを使ってせっせと更新していたのだ。
まったく悪びれないため、
「もしやBの書き手がプロフィールを変え、別人のサイトとしてAを運営しているんだろうか」
が頭をよぎったほどである。
一話二話なら、「インスパイアされて同じテーマで書いたら、内容が似てしまった」と言い張れるかもしれない。でも、そこに置いてある記事のすべてがコピー&ペーストとなると、オリジナルを知らないとはさすがに言えまい。
このあと、私は悩んだ。
文章を盗まれたのが仲良しの書き手だったら、「大変よ!」とすぐに連絡したかもしれない。しかし、Bは私がその文章に惹かれ、ひそかに愛読しているサイト。どう行動すべきかわからなかった。
どうすることが読み手としてBを大切にすることなのか。もしBの書き手がのちにこのことを知ったらなんと言うだろう、と考えてみた。「Aの書き手に忠告してほしかった」なのか、「そんなの相手にしなくていいよ」なのか、それとも「どうして自分に知らせてくれなかったの」なのか。
自分のすることが出すぎた真似になるのは怖い。でも、なにも見なかったことにして終わらせるのが読み手として誠意ある行動なんだろうか……。
何日も考えた末、私は「AにもBにもなにもしない」という選択をした。
自分だったら知らせてもらいたい。うちの畑の作物をこっそり引っこ抜いて「丹精込めて育てました」と店に並べている人がいたら、放っておくことはできない。その事実を知ることでものすごく不快な思いをするだろうが、覚悟の上だ(2021.5.12付 「盗作(後編)」参照)。
でも、その気分を誰かに味わわせる勇気は持てなかった。
なにをありがたい、親切と感じるかは人によって違う。よくぞ知らせてくれたと相手方に乗り込んで行く人ばかりではないだろう。唇を噛みつつも事を荒立てまいとする人もきっと少なくない。そういう人にとっては、そんな情報を耳に入れられるのはいらぬおせっかいでしかない。
そして文章からその人柄を推測すると、Bの書き手は前者のタイプではなかった。
Aに対してアクションを起こさなかったのは、放っておいてもこのサイトは長くはつづかないと思ったから。
読み手へのコメントを読んでいると、Aの管理人の「文章を認められたい」という執念のようなものを感じた。彼女は賞賛されればされるほど満足を感じる一方で、本物のすごさ、自分にないものを思い知らされるだろう。
それはプライドを刺激される、けっこう苦しいことなんじゃないか。
優れた作品を自分のものということすれば、手っ取り早く承認欲求を満たせる。汗をかかず頭も使わず、自分の実力では望めない評価を得られる。
それはまさに禁断の果実。その味を知ってしまうと、食べつづけずにいられない。
盗作だなんだというニュースを聞くと、この一件を思いだす。
「あれでよかったんだ」と言える自信はない。といって、どうしていればよかったというプランもない。
AもBもすでにないが、私はいまだに“正解”を探しつづけている気がする。