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2007年12月28日(金) 今年も一年、ありがとうございました。

クリスマスも過ぎ、二〇〇七年も残すところあと四日。スーパーにはお正月用品が並び、「いよいよ今年も終わるなあ」という感じだけれど、大掃除も年賀状も完了したので意外とのんびり気分だ。
とはいうものの、年の瀬にはそれなりにすることもあるので本日が今年ラスト更新です。
職場からこの日記を読んでくださっている方とは今日でしばらくお別れになると思いますので、少し早いけれどご挨拶を……。

先日二〇〇七年の世相を表す漢字が「偽」と発表されたけれど、私自身の今年の漢字は「知る」の「知」。これまで見えていなかったものが見えたり認識を新たにしたり……という機会に恵まれた一年だったなあとしみじみ振り返っている。
そして、そういう“気づき”について書いた日記をたくさんの方に読んでいただきました。本当にありがとうございました。

少し長めに冬休みをとりますので次回の更新は二月になる予定ですが、二〇〇八年もどうぞよろしくお願いします。
それではみなさん、よい年をお迎えください!


2007年12月21日(金) 彼女のバッグを持つ男性

「発言小町」の掲示板に、めずらしく男性がトピックを立てていた。
「街で男性が恋人のハンドバッグを持ってあげているのを見かけますが、あれはどういう気持ちでしているのでしょうか。自分は荷物なら持ってあげたいですが、彼女がハンドバッグしか持っていないのにそれを持ってあげようとは思いません。女性はやっぱり持ってもらいたいものなのですか」
という質問だ。
投票結果は「ハンドバッグは自分で持つ」派が78%、「持ってほしい」派が22%。私はというと、「男性にそれを期待する女性がこんなにいるのか!」と驚いたくらいだから前者である。

トピには「自分のバッグは自分で持つ」女性たちからの、
「下僕みたいで滑稽。どれだけ尻に敷かれてるんだよ!と突っ込みたくなる」
「“彼女に尽くすオレ”と“彼に尽くされるワタシ”の自己陶酔型カップル」
「男性雑誌に“こうすればモテる”なんて書いてあるんでしょうか」
といったレスが連なっている。発言小町らしい辛口のコメントだが、私はそこまでシニカルな感想は持たない。
梅田や難波で男性が見るからにオンナものの小ぶりのバッグを持ち、一緒にいる女性が手ぶら……というカップルを見かけることがあるが、彼らになんの迷惑をかけられるわけでないからとくに快も不快もない。
とはいうものの、女性に似合うようデザインされたバッグを男性が持って絵になるはずがなく、彼があまり格好よく見えないのはたしかである。

にもかかわらず、それを持ちたがる男性がいるのはどういうわけなのか。
「『俺の彼女だ』と周囲にアピールしたいのだろう」と分析するレスがいくつかあったが、私はもっと単純な理由のような気がする。彼は恋人のことが可愛くてしかたがないのではないかなあ。
そういう男性は知り合いにもいる。何年か前に夫の同僚夫婦と香港に行ったとき、私は本当に驚いた。その同僚が奥さんのことをたえず気にかけ、なにからなにまで世話を焼くのである。
お世辞にもきれいとは言えない粥麺店の前で「でもこういう店がおいしいんだよね〜」と私が言うと、すかさず「ここでええか?食べられるものありそうか?」と妻に確認する。車道を横断するときは必ず手を引き、バスや船に乗れば景色がよく見える窓際の席に座らせる。ホテルや店ではドアを開けて妻を先に通らせ、缶ジュースはプルトップを開けて渡してやる。
なにがそんなに心配なのかわからないが、この人はとにかく彼女のことをほうっておけないのだなあと思いながら眺めたっけ。
それは自分の役目だ、と思っているかのように当たり前に恋人のバッグを持つ男性もそういうタイプなのではないかしらん。

* * * * *

私はいくつになっても恋人や夫にとって「女性」でありたいと願っているが、「子ども」のように扱われたいとは思わない。
だから自分のことは自分でする。自分のものは自分で持つ。メニューの心配をしてもらわなくても適当に注文するし、手を引いてもらわなくても道路くらい渡れる。彼女のバッグを持って歩いている男性を見ても「まあ、男らしい!」とか「やさしい人ね」という評価にはならず、「過保護だなあ」である。
それに、女性側にもそれを自分で持たないことによる不都合はないんだろうか。
私はいつも服に合わせてアクセサリーやバッグを選ぶので、バッグを男性に持たれるとせっかくのコーディネートがちょっと残念なことになってしまう。ものを買ったりお手洗いに行ったりするたび、いちいち返してもらわなくてはならないのもいかにも面倒そうだ。

……なんていうふうに考える私は、過去にお付き合いをした人から「バッグを持ってあげる」と言われたことがない。
持ってもらえるとうれしいと思う女性にはそれを持ちたがる男性がセットになり、そのくらい自分で持つわよという女性にはそれを当たり前と考える男性がつく。世の中、うまい具合にできているものだ。

【あとがき】
こんな私なので、付き合った男性から過保護的扱いを受けたことはあまりない(と思う)のだけれど、ひとり、デートのたびに必ず家まで送ってくれる人がいました。どんなに遠い場所にいても、遅い時間でも、付き合っていた間ずっとそうでした。タクシーなんだからひとりで大丈夫と何度言っても、心配だから、と。そして私が降りた後、そのタクシーで自分の家に帰っていくのですが、「ありがとう」以外にお金も時間ももったいないなあという気持ちはいつもありましたね。




2007年12月18日(火) 風邪を引かないための一番の方法

檀ふみさんのエッセイに、女優という仕事柄、自分はなにがなんでも風邪を引きたくないのだという話があった。
よって手洗い、うがいはもちろんのこと思いつくかぎりの予防策を講じている。が、そうしたところで一歩外に出ると風邪引きが野放しになっているのだからたまらない。電車の中で「コホン」とひとつ聞こえただけで別の車両に移り、鼻水をズルズルさせている人がいたら初対面でも「もしかして風邪を引いていらっしゃるのではないですか?」と露骨に嫌な顔をしてしまう……という内容である。

「風邪なのにこんなところに出てくるな!」というくだりに、思わず「ヒャッ、こわ」とつぶやいた私。が、「いやいや、このくらいシビアでないと風邪を引かないでいることはできないのかもなあ」と思い直した。
以前から思っていたのだ。アナウンサーが咳込みながらニュースを読んだり、歌手が鼻声で歌ったりしているのを見たことがない。いくら体調に気をつけているといったって、人間なんだから年に一度や二度風邪を引いても不思議ではない気がするのに。風邪菌をシャットアウトするプロの技でもあるのだろうか、と。
しかし、ビタミンCよりマスクよりさらに自衛になるのは「風邪を忌み嫌う気持ち」なのかもしれない。


咳、くしゃみをするときに口や鼻を押さえない人は少なくない。中には、人のいないほうに顔を向けるという最低限の配慮さえない人もいる。
……ということに気づき、嫌だなあと思うようになったのは実はわりと最近のことである。それまでは「きちゃないな〜!」と顔をしかめるくらいだったのだが、ここ数年で身内や友人の中に妊娠中だったり病気療養中だったりで余分な薬を飲めない人が立て続けに出て、他人に風邪をうつしたりうつされたりということについておのずと考えるようになった。ふつうの人にとっては「たかが風邪」でも、それを引くわけにはいかないという人も世の中にはけっこういるのだ。

「もー、最悪!」
友人がぷりぷりしながら言う。仲良しのママ友何人かと家でお茶を飲む集まりがあったのだが、うちのひとりが昨日までノロウィルスで寝込んでいたという子どもを連れてやってきたという。
そのママは「もう吐かなくなったから大丈夫」と言ったが、不安は的中、友人も彼女の子どももばっちりノロをもらってしまった。三日間、ひどい嘔吐、下痢に苦しめられたらしい。
「いくら前々からの約束で子どもが楽しみにしてたからって、完全に治ったかどうかもわからんのに遊びにくるかあ!?」
その状態で人に会おうと考えるとは私にはとても理解できないけれど、「誰かにうつしてしまうかもしれない」ということに思いが至らない人はたしかにいる。ここまで非常識なのはさすがに珍しいだろうが、もう一週間もゴホゴホが続いているのにマスクをつけようとしない人は私の職場にもいる。電車に乗ればヘークショイ!と周囲に飛沫を飛ばしまくっている人をしょっちゅう見かける。
人はもう少し「うつしたりうつされたり」ということに敏感になってもいいように思う。結局それが、風邪をはじめとする感染症を広げない一番の方法なのではないかしら。

昨日の読売新聞に「今冬はインフルエンザ大流行の兆しあり」という内容の記事が載っていた。全国の幼稚園と保育所、小・中学校から報告された患者数は昨年の同時期と比べて百倍なのだそう。
お互い気をつけましょう。

【あとがき】
咳やくしゃみをする時はティッシュかハンカチ、間に合わないときでもせめて手で口と鼻を押さえ、人のいない方を向いて……というのは当たり前だろうと思うんですが、正面を向いたまま盛大にする人もけっこういます。電車の中で後ろに立っていた人がくしゃみをして髪が揺れた時は、「勘弁してよー!」と心の中で叫びました。食事中に目の前の人にされると私はそれ以上食べられなくなってしまうので、親しい人だと本気で怒ります。ほんと勘弁してほしいです。




2007年12月07日(金) パンストの伝線、教えますか

先日ある場で、「街でパンストが伝線している人を見かけたら、教えるか否か」という話題が出た。
「知り合いでもないのにわざわざ教えない」という人と「気の毒だから教えてあげる」という人とに分かれたが、私はかなり迷った。
いや、私ならぜひとも教えてほしいのだ。ずっと気づかずその状態が多くの人の目に触れることを想像したら、よくぞ教えてくださったとその人に感謝する。
にもかかわらず自分が見かけたときはなぜ声をかけるかかけまいか悩むかというと、破れていることを知りながら放置している女性もときどきいるからである。
友人のそれを指摘したとき、そう慌てるでもなく「もう帰るだけだし」とか「このくらいならそんなに目立たないから」と返ってきて、へええと思ったことが何度かある。少々の伝線なら「ま、いいや」で済ませる女性がいることを知っていると、ひるんでしまうのだ。

けれどもその他の場合、たとえばスカートのファスナーが開いていたり裏表を逆に着ていたりに気づいたときは、知り合いであろうとなかろうとたいてい教える。つい何日か前もコートのベルトを引きずって歩いている人に声をかけたばかりだ。
おせっかいになる可能性ももちろんあるが、自分だったら「他人からそんなことを言われたら恥ずかしかろう」という気遣いから黙っていられるより、「この姿を人目にさらし続けるのは忍びない」と思って指摘してくれる人に親切心を感じるので、見て見ぬふりをすることができない。私はクリーニングのタグをはずし忘れていたことを一日の終わりに知るより、その瞬間は顔から火が出る思いをしてもかまわないから恥をかく時間は少しでも短くしたい。

しかしながら、むずかしいのは相手が若い女性の場合だ。
同僚の経験談である。駅の階段をのぼりながらあっと声をあげた。前を行く女の子のジーンズのお尻の部分に十センチほど切れ目が入っており、肌がのぞいていたのだ。
当の本人はまるで気づいていない様子。これは大変!と思った同僚は階段をのぼりきったところで彼女に近づき、「あの、ズボンが破れてます……」とささやいた。
が、一瞬焦った素振りを見せた女の子にその箇所を教えたとたん、キッと睨まれた。
「これは破れてるんじゃありませんっ」
同僚が「痴漢にでも切られたのか」と思ったその穴は、ファッションだったのである。
「だってお尻の下のところがぱっくり裂けてたんやで!中身が丸見えやったんやで!」
この話を聞いて、私は新聞の投稿川柳欄で読んだ男子高校生の作品を思い出した。
「バアチャンが Gパンの穴 縫うてもた」
最近の若い人のオシャレは私にはよくわからないので、「んん?」と思ってもスルーすることにしている。

そうそう、それともうひとつ私が声をかけられないケースがある。男性の社会の窓が開いているのを発見したときだ。
女性から指摘された場合でも、「ああ、ありがたい。これ以上恥をかかずに済んだ」と思ってもらえるんだろうか。

【あとがき】
もっとも、若者のファッションが年長者に理解できないのは最近のことに限ったことではないのでしょうけど。ポロシャツの襟を立てて着るのが流行った頃、私と同世代の知人は出かけようとして、母親に「あらあら」と真顔で襟を寝かされたそうです。




2007年12月04日(火) 自己満足のサービス

髪を切りに行った美容院でのこと。ソファに腰掛けて順番待ちをしていたら、小さな男の子を連れた若い女性が店に入ってきた。
「少しお待ちいただくことになりますが」
「かまいません」
というやりとりの後、私の向かいに座ったふたりをなにげなく見ていたら、受付をした美容師が女性に何冊か雑誌を持ってきた。……のであるが、同時に男の子にも「はい、ボクどうぞ」となにかを手渡している。なんだろうと思ったら、棒つきのキャンディだった。
「これでも舐めておとなしく待っててネ、ということなのかな」
と思ったそのとき、男の子の絶叫が店内に響き渡った。ママが息子の手からキャンディをとりあげ、美容師に返したからである。
「飴は食べられないのでけっこうです」

男の子の泣き声は私のカットがはじまってもまだ続いていた。

* * * * *

先日、一歳半の姪の顔を見に妹宅に遊びに行ったら、彼女がため息をつきながら言う。
義理の両親にとって娘は初孫。とてもかわいがってくれてありがたいのだけれど、困っていることがひとつあるという。
なんでも三歳だか四歳だかまで口内にミュータンス菌を作らないでいると大人になってからも虫歯になりにくいそうで、妹は自分が歯で苦労しているだけに、甘いお菓子を与えない、箸やスプーンを大人と共有しない、など娘の食事にはかなり神経を遣っている。しかしながら、義父母は孫の喜ぶ顔見たさに甘いものをやりたくてしかたがない。何度言っても、「○○ちゃんにシュークリーム買ってきたわよ〜。ケーキはだめでもこれならいいでしょ?」「シュークリームはだめでもプリンなら……」と不屈の精神で毎回お菓子を持ってやってくるらしい。
「あげたくなる気持ちはすごいわかる。けど、やっぱり困るねん。まだ食べたことがないから、○○は自分からは欲しがらへんのよ。それをわざわざ与える必要はないし、そういうもんの味を覚えさせてからとりあげるなんて残酷やんか」
だから、義母に「半日くらい預かっててあげるからゆっくり買い物でもしてきたら?」と言われても甘える気にはとてもなれないという。

もし子どもがいたら同じことを思うだろうなあ、と思いながら私は妹の話を聞いた。
数年前まで、夫の実家に帰省するたび思うことがあった。たいてい近所に住む義弟の子どもたちが来ていたのであるが、彼らは好きなときに好きなだけという感じでアイスクリームを食べたりカルピスを飲んだりしていた。いまでこそ小学校に上がったのでそう気にならなくなったが、その頃はよく「三つ、四つの子がこんなに甘いものを食べていて大丈夫なんだろうか」と思ったものだ。
こだわらない人はぜんぜんこだわらないようだが、私の周囲には虫歯や肥満、食事量が減ったり好き嫌いができたりすることを心配して小さいうちはお菓子を与えたがらない親のほうが多い。
友人はチョコレートが大好きなのだが、子どもが欲しがらないよう「ああ、まずいなあ、苦いわあ」と顔をしかめながら食べるようにしているという。また別の友人は近所の保育園がおやつの時間にジュースを飲ませると聞いて即、候補から外したそうだ。
私はそういう話を聞くたび、昨今のママたちのわが子の健康に対する意識の高さに感心するのだ。

冒頭の出来事を同僚に話したところ、「そうそう、そういうのってほんと迷惑なんだよ」と頷いた。
食事に行くと注文を取りに来た店員が“サービス”で子どもにビスケットやチョコレートの小袋を持ってくることがあるが、息子はアレルギーがありなんでも口にできるわけではない。しかしそういうとき、店員はニッコリ笑顔で子どもに直接渡してしまうので、断る間がない。
後から「これは食べられないからナイナイしようね」と言っても、子どもがいったん手にしたお菓子をすんなりあきらめるわけがなく。無理にとりあげようとすると泣きわめくので、大変なのだそうだ。
「こっちにとってはちっともありがたくないんだよね。店の自己満足でしかない」
という彼女の言葉を聞いて、祖父母が孫にお菓子を与えたがるのも同じことだなと思った。
“勘違いのサービス”の罪深さ、厄介さをつくづく考えた。

【あとがき】
義父母の世代が育児をしていた時代には虫歯菌がどうのこうのという情報はなかったから、いまのママたちが子どもに甘いものを与えたがらない感覚がぴんとこないんでしょうね。「そんなに厳しくしなくてもいいじゃないの」という感じなのではないでしょうか。
そうそう、義父母に会わせるとテレビ見せ放題やおもちゃ買い与え放題になるのを嫌うママも多いです。