※ 前編から読んでね。
私は六年前、二十八で結婚した。それと同時にいろいろなものを得たが、そのひとつに「もう子どもができてもかまわないんだな」という安堵感があった。 * * * * * どうして突然こんな話をしたかというと、……とつづけたら長くなってしまったので、それは次回。
前回の「賞味期限、気にするor気にしない」の終わりに、「期限切れの玉子、どのくらいまで食べていますか」と書いたところ、「一ヶ月」という方がけっこういらした。私なんてやっぱりヒヨッコだったのね。 それでは今日のお話。
阿川佐和子さんのエッセイに、「食品の賞味期限なんて守らないよ」と仕事仲間に話したら十人中九人に絶句された、という話があった。 * * * * * ちなみに、食品の期限表示には二種類ある。 玉子
電車の中で読む本には注意しなくてはならない。会社帰りに出久根達郎さんのエッセイを読んでいたら、うちの一話に涙が止まらなくなり困ってしまった。 ビッキは戒名を与えられ、墓石には碑文も彫られたそうであるが、飼っていた犬や猫が死んだときにペット葬儀屋を依頼したり、動物霊園でお葬式をあげたりする人は昨今ではめずらしくない。何年か前に散歩中の事故で犬を失くした伯母によると、お坊さんがお経をあげてくれ、焼香もし、火葬後はお骨上げ、卒塔婆を立てた墓もあって……と人間のそれと変わらないということだ。
わが家の新聞を日経に変えてからというもの、読む意欲がめっきり減退してしまった。 * * * * * 教科書といえば、先日同僚たちと飲みに行ったときのこと。子どもの教科書に「ごんぎつね」が載っていて懐かしくてつい読んでしまった、という話が出た。 * * * * * ……という話を夫にしたところ、「スイミー」と「チックとタック」を知らないと言うからびっくり。たとえ教科書が違っても、このふたつは日本の小学校を出た人なら誰でも知っている話だと思っていたよ。
電車の中で、背後から女の子のにぎやかな会話が聞こえてきた。
出久根達郎さんのエッセイに、おもしろい本を見分けるコツについての話があった。 * * * * * エッセイにもあとがきはあるが、私にとっては“おまけ”である。初回に読んだら次からは読まないのだけれど、それの後ろについている「解説」にはさらに執着がない。 それは私にとって食後にサービスでついてくるコーヒーみたいなもの。褒め称えるばかりのありきたりな文章ではものたりないが、悪しざまに書いてあるようなものはノーサンキュ。
毎回くすっと笑わせてくれるあるサイトを訪ねたら、冒頭にいつもと調子の違う一文を見つけた。 * * * * * 悪意がないことがわかっていれば、私が読み手から届いたメールに腹を立てることはまずない。けれども、あまりうれしくはないなあと思ったり困惑したりすることはたまにある。
三連休の初日、土曜日は仕事だった。空いた電車に乗って少し早めに出勤すると、エレベーターで同僚のA子さんと一緒になった。 * * * * * 先日、結婚相談所が実施した「結婚したらしてみたいこと」アンケートの結果を見ていたら、「年に一回海外旅行に行く」「週末はふたりで料理を作る」といった回答が上位にあった。うん、なるほどね。
前回の日記に子どもの給食費を払わない親について書いたら、「給食費を払う親の中にもとんでもないのはいますよ」とメールをいただいた。 * * * * * 「『いただきます』を言わせてくれるな」と学校に電話をかける親がいる、そのこと自体には私はそれほど驚かない。わが子の給食費を出し渋る親がいるご時世である、そういう“常識”を持った人がひとりやふたりいても不思議はない。 何人かで飲んでいた席で、うちのひとりが誤って畳の上でお茶漬けをひっくり返した。すると、「あっ、お米の神様が泣いてる!」とすかさず突っ込みを入れた人がいて笑いが起こった。
内館牧子さんのエッセイに、小中学校の給食室を取材したときの話があった。 しかしながら、十月一日付けの産経新聞の記事によると、そんな給食をありがたいと思うどころか「頼んだ覚えはない」と給食費を払おうとしない親がいるというからびっくりである。
※ 食事時には向かない話なので、これからごはんという方はまた後でいらしてね。 * * * * * で、数日前、わが家にも出た。今年もなんとか見ないで済んだと胸をなでおろしていた矢先、洗面所の壁に……。
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