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2006年04月30日(日) 忘れないでね、わたしのこと

内館牧子さんのエッセイ集「忘れないでね、わたしのこと」を読んでいる。その冒頭にタイトルの由来について書かれた文章があった。
あるとき単行本を出すことになった。膨大な量のゲラ刷りの校正と依頼されていた原稿が仕上がったので担当編集者に連絡したところ、「じゃあ宅配便で送ってください」という返事。
驚いた。いままでそんなことを言われたことがない。どの編集者も「なくなったら大変ですから」と必ず取りに来る。しかし、そう説明しても彼は「なくなりませんよ」と言い張る。
内館さんは激怒した。編集者なのに原稿というものをえらく軽く見ているではないか。
結局、それらは内館さんのほうから届けに行った。そして思った。彼も若い頃はきっともっと熱くて真摯だったに違いない。でもいつしか「その頃の自分」を忘れてしまったのであろう……。
「忘れないでいよう、昔の自分のことを」
自戒を込めてそのタイトルをつけることにした、という内容だ。

この話を読み、私がふと思い出したのは先日の山形由美さんのフルート盗難騒動である。
JR東京駅のコインロッカーにフルート二本を預け、友人と食事などをした後戻ったら、鍵がないのに気がついた。管理者を呼んで開けてもらうと中は空。山形さんは鍵をかけたかどうか覚えておらず、警察が「鍵を抜き忘れたロッカーから何者かがフルートを盗んだ後、鍵をかけた可能性がある」とみて捜査をはじめたところ、まもなくJR川崎駅のコインロッカーから発見された、というものだ。

見つかったフルートは傷ついている様子もないということで本当によかった。「二度と会えないかと思った」と涙の再会をしたという報道に、ちょっぴりじんときたりもした。
けれどもこのニュースを聞いたとき、びっくりしただけでなくがっかりしたのも事実である。プロの演奏家が楽器をコインロッカーに預けるなんてことをするとは思わなかったからだ。
「演奏家にとって楽器は命の次に大事なもの。肌身離さない」というイメージを持っていた。しかし、ワイドショーの中継で山形さんが、
「音楽仲間から『他人事ではない』という電話やメールをもらいました。みなさんもやはりコインロッカーに預けたり車の中に置いたままにしたりすることがあるので、これからは気をつけなければ……と言っていました」
と話していたところをみると、それほどでもないらしい。

……というわけではたぶんないのだろう。
みな、それはそれは大切にしていると思う。山形さんが「二本とも時間をかけて自分の音にしてきた愛着のあるフルートです」と語ったように、誰にとっても自分の楽器は代わりのないものであろうから。
にもかかわらず、素人にも「それは危険だ」とわかるような扱いをしてしまうのはなぜか。
山形さんがそれを預けたのは駅のコインロッカーの安全性を信頼して、というわけではないだろう。もしそれが千二百万円分の札束だったら(千二百万円相当のフルートだったそうだ)、ぜったいに預けてなどいなかっただろうから。
「慣れ」というのは恐ろしい。昔の自分なら「とんでもない!」と思ったはずのことが、いつのまにかそうでもなくなってしまうのだから……。
内館さんを怒らせた編集者も、なりたての頃は原稿をそんなふうに扱ったりはしていなかったのではないだろうか。


出張先の夫に電話をしたら留守電だったので、「今日はもう寝ます」とメッセージを入れた。これは「なので“オヤスミコール”は遠慮するね」という意味である。
なのに深夜一時、目覚まし時計がわりに枕元に置いている携帯がけたたましい音を立てた。ああ、どうして人の安眠を妨害するんだよお……。あまりに眠かったので、私は留守番電話になった。
「申し訳ありませんが本日の業務は終了しました。メッセージがございましたらどうぞ。ピー」
そうしたら受話器の向こうから、
「愛想ないなぁ、昔はそんなことなかったのに……」
とぼそっ。
「それを言うならあなただって昔は、妻がかわいい寝息立ててるとこに電話なんかしてこんかったよ」
「留守電のくせになんでしゃべるんだよ。人がせっかく電話してやったっていうのにつれないな」
「ふんだ。寝てるとこ叩き起こされたってぜんぜんありがたくないわ」

電話を切った後、すっかり目が覚めてしまった私は「昔はそんなことなかったのに」について考えてみた。
そんなつもりはなかったけれど、言われてみればそうかもしれない。付き合いはじめた頃は電話が待ち遠しくて、お風呂に入るときも鳴ったらすぐに取れるように子機をバスルームのドアの外に置いていたんだっけ……。それが九年経ったいまはどうだ。

過去ログを読むと、ほんの数年前に書いたものなのに考え方や感じ方がいまと違っているのに気づくことがある。
しかしその変化は成長とはかぎらない。
人はどんなことにもすぐに狎れてしまう。「初めの頃の自分」を思い出す機会を持ち、そのたび途中で「喪失」してしまったものに気づくことができれば、家庭生活や仕事、友人との付き合いにおいて現在発生している不具合のいくつかはたちまち解消されるかもしれない。
そんなことを布団の中でつらつら考えた。


2006年04月28日(金) 男性の「妻」を持つ男性(後編)

前編中編からどうぞ。

といっても、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったという。
会社員をしていた頃、ゲイであることを社内に広められたことがあったそうだ。Aさんはそのことを隠すつもりはなかったが、自分から宣伝して回る必要もないため身近な人にしか話していなかった。そうしたら、Aさんのことを好きだった部下の女性が他の女が近づかないようにするために吹聴したのだ。
「そんなことしても意味ないのにね。わたし、女性には興味持てないんだから」
と穏やかに笑うが、当時はかなりつらかったという。折り合いの悪かった上司からのセクハラはとくにひどく、何十人も出席している会議の席で「変態に仕事は任せられない」と罵倒された。噂は取引先にまで広まり、興味丸出しのぶしつけな質問をされることもあった。

「でも、いまは人にどう思われるかっていうのはぜんぜん気にならない。人生は一度きり、自分の思うように生きなきゃ!だもの。わたしが気にするのは、奥さんにとって自分が魅力的な人間でいられてるかってことだけ」

それを聞いて、私は思わずうつむいた。近くのテーブルのお客さんに話が聞こえてしまいそうだけどいいのかな……と気にしていた自分が失礼だったことに気づいたから。

それにしても二十年も一緒にいて、そんなふうに思いつづけてもらえる奥さんっていったいどんな人なんだろう。
友人によると、Aさんもかっこいいが奥さんはさらに美形で、雑誌のモデルをしていたこともあるという。加えて、「女性でもあんな人見たことない」と感嘆するほど“小悪魔”な人。なので、ものすごくもてるらしい。
「これまで何人も浮気相手が店に来たんだよ。うちの奥さん、浮気虫だから」
Aさんが苦笑する。
「えー、そういうときはどうするんですか。『テメエ、人の女房に手ぇ出しやがって!上等だ、おもて出ろ!』……とか?」
「あはは、それドラマの見すぎ。前は家に帰ってから大ゲンカしたけど、いまはしない。いちいち怒ったり悲しんだりしてたら身が持たないってわかったの。結局、奔放なところもあの人の魅力なのよね。それに帰ってくるのはわたしのところだから……」

ううむ、浮気を繰り返しても、夫から「あんな魅力的な人、そうそういない(から手放せない)」と言われる奥さんってすごい。
……と思ったそのとき。
厨房から若い男性が顔を出した。Aさんに話しかける姿に私の目は釘付け。帰りに友人が言うには、そのときの私を見て「見惚れる」とはこういうことかと思ったそうだ。しかしなんと言われようと、目の覚めるような美男子だったのである。
が、その男性が奥さんのかつての浮気相手だというからびっくり。
「じゃあひとつの店に夫と妻と、その浮気相手が一緒に働いてるってこと!?」
「不思議よねえ、ふつうやったら追い出すよね。でもAさんは彼のこともすごく大事にしてるねん。息子みたいな存在って言ってるの、聞いたことがある」

初めてベジタリアンの人に会ったとき、彼らの仲間意識の強さに驚いたことがある。ベジタリアン・フレンドリーでないこの国で暮らすのは苦労や不便が多いため、自然と結束が強くなるのだ……という話だったが、ゲイの人たちのあいだにもそれに似た感覚があるのだろうか。
それとも、ゲイうんぬんは関係なくAさん自身が寛大な人なのだろうか。相手の男性もすごくいい人なのかもしれない。
しかしいずれにせよ、私にはとても到達できそうにない境地である。


帰り道、私はスキップしたいような気持ちだった。
「偏見を持たない」と口で言うのはたやすい。その人の前で数時間理解のあるふりをすることもできるだろう。しかし、心がついてこなければなんの意味もない。
私は彼に会い、正直なところどう感じるのだろう?
「やっぱり不自然だわ」
「男同士なんて気持ち悪い」
そんなふうに思ってしまったらどうしよう……。店のドアを開ける瞬間まで、自分自身を信じきれないところがあった。

けれど、それは杞憂だった。だって男と女のカップルも男同士のカップルもまったくなにも変わらなかったんだもの。
浮気を疑ったり、記念日に食事に行ったり、老後の心配をしたり。話を聞きながら「結婚=同じ家で暮らす」なのだろうと思っていたのだけれど、ちゃんと“入籍”しているという。養子縁組で兄弟になることで「同姓」になったのだ。起こる揉め事や悩みばかりでなく、愛する人と同じ名前を名乗りたいという願いも同じだったのである。

「なあんも違わないんだ」と心ごと思える自分が、「きっとまた来てね。この人(友人のこと)と一緒じゃないときでも」というAさんの言葉が、とてもうれしい。


2006年04月26日(水) 男性の「妻」を持つ男性(中編)

※ 前編はこちら

「誰かいい人いませんかあ。出会いがなくてー」
友人がAさんに甘える。それを聞いて、つい口をはさんでしまう私。
「違うやろ、あなたの場合は出会いがないんじゃなくて、出会いはあるのにみすみす捨ててるの」
「だってえ……」

好きな人はたえずいるのであるが、「はずかしい」「無理っぽい」「時期尚早」などと言い、彼女は自分からアクションを起こしたことがない。そうしているうちに相手に彼女ができたり結婚したりして、その恋は終わる。
私は「気持ちを伝えるのは片思いを成就させるための最大の努力」と思っているので、十数年間同じことを繰り返し、「出会いがない」と嘆く彼女を見ているとイライラすることがあるのだ。
すると、私たちのやりとりをにこにこしながら聞いていたAさんが友人に言った。

「恋愛っていうのはね、回転寿司なんだよ」
「回転寿司?」
「そう。食べたいものが回ってきても、ぐずぐずしてたらすぐに流れてよその客に取られちゃう。もし誰にも取られず一周して回ってきたとしても、そのときにはネタは乾いちゃってて、もうあんまりおいしそうじゃなくなってる。だからね、『おいしそう』と思ったら、目の前にきたときにぱっと手を伸ばして取らなきゃだめなの」

そして、こう言い足した。
「でもそんなに結婚、結婚って焦らなくてもいいと思うけどなあ。わたしはね、結婚は四十くらいになってからするのがベストなんじゃないかって考えてるの」
「そんな、遅すぎますよお」
「子どものことを考えたらのんびりできないっていうのはわかるんだけど。でもね、たとえばはたちのときの自分と四十のいまの自分を比べたら、ぜんぜん違うんだよね。価値観とか好みとか、中身がまだ固まってない頃に選んだ相手と五十年満足して暮らせるかって考えたら……むずかしいかもしれない。だからわたしは、いろんな人と付き合いながら年齢を重ねて、ある程度成熟してからコレと見定めた人と結婚するっていうのが長い目で見たときに自分を幸せにすることになるんじゃないか、なんて思ってるの」

なるほど、一理ある。
私は二十八で結婚したので、恋愛の現役期間は正味十年くらいのものだが、その間に付き合った男性の中には「ものを知らない頃だったからすてきに見えたんだなあ」と振り返る人もいる。
当時はとても好きだったが、もし彼と結婚していたら。一生仲良く幸せに暮らせたとはとても思えない。何年か前に同窓会で会ったとき、離婚調停中の妻についての愚痴を並べ立てられ、「この人と結婚しなくてよかった」と思ったことがある。
もし婚姻年齢が法律で「三十歳以上」と定められていたら、離婚件数はかなり減少するかもしれない。
……なんてことを考えて頷いたら、Aさんがあわてて付け加えた。
「あっ、わたしはうちの奥さんを選んだこと、後悔してるとかそんなんじゃないからね。結婚したのもこないだだし……」
Aさんと奥さんは大学の同級生なのだ。でも誰もそんなこと勘ぐっていないのに、ひとりであたふたしているのが可笑しい。

* * * * *

ところで、奥さんと知り合った頃はAさんはゲイではなかったそうだ。彼女もいるどこにでもいる男の子だったが、「目覚め」は突然やってきた。
ある日、デートしてアパートに帰ってきたらびっくり。カーテンは破れ、窓ガラスは割れ、机が引っくり返っている。家の中がぐちゃぐちゃになっていたのだ。
「泥棒にやられた!」
真っ青になって同居していた友人の部屋を開けたら。彼がさめざめと泣いており、自分がやったと言うではないか。
いったいどうして……。愕然として訊いたら、いまごろ君が女の子とデートしているんだと思ったら嫉妬の感情を抑えられなかった、と涙ながらに彼が言った。
Aさんはそのとき初めて友人が自分を好きなのだということに気づいた。肩を震わせて泣いている彼がとても愛しくなり、「コイツは俺が守ってやらなくちゃ」と強く思ったのだそうだ。
その同居人の彼が、奥さんである。 (つづく


2006年04月24日(月) 男性の「妻」を持つ男性(前編)

週末、友人からひとりの男性を紹介された。
以前から彼女は兄のように慕っているというその人を私に会わせたいと言っており、私も彼女の話の中にしばしば登場する彼に一度会ってみたいと思っていた。男性が遠方に住んでいるためなかなか叶わなかったのであるが、日曜の夕方、彼が店長をしているレストランに食事に行ってきた。
友人が全幅の信頼を置いているその男性は私たちより六つ年上の、彼女の元同僚。数年前に彼が会社をやめて地元に帰ってからも付き合いは切れることなく、友人は彼が始めた店に年に数回顔を出しているのだ。

「Aさんは男とか女とか、そういうのを超えた存在やねん」
とつねづね言っている彼女。
これは異性の友人を持っている女性が、自分たちが愛だの恋だのといった感情の絡まない純粋な友人関係であることを説明するときにしばしば口にすることであるが、ふだん私はこういうのを聞くと、「でも男と女はいつどう転ぶかわからないからねえ……」と突っ込みを入れずにいられない。その“ありえない”相手とくっついた例をいくつも見てきたので、「現時点においてジャスト友達であるのは信じる。でもふたりが男と女である限り、この先のことまではわからないと思うけどな」と思ってしまうのである。

しかしながら、この友人の「Aさんとどうにかなるとかいうことはぜったいない」だけは言葉通り受け取ることができた。
なぜなら、彼はゲイだという話だったから。Aさんは男性と“事実婚”しているのだ。


私の「ゲイ」と呼ばれる人たちについての予備知識はほとんどゼロだ。中村うさぎさんのエッセイをふうんと相槌を打ちながら読む程度で(うさぎさんの夫はゲイである)、知り合いにはいないからもちろん会ったこともない。
だから、「同性の妻を持つ男性」のイメージがまるで浮かばない。が、友人によるとものすごくかっこよくて、会社にいた頃はかなり(女性から)もてていたという。
ゲイの人たちは言葉を交わさなくてもぱっと見ただけでぴぴっとくるものがあって相手がそうであると互いにわかる、という話を聞いたことがある。目を凝らしてみたら、私にもなんとなくわかるのだろうか。
そういったことをあれこれ考えながら、彼女についていった。

ドアを開けると、厨房の前にいた男性店員が私たちに気づいて近づいてきた。「何名様ですか?」と訊かれるのだと思っていたら、彼が友人に向かって「来るなら来るって言ってよお〜」と相好を崩すからびっくり。

「なに言ってんですか、今日行くってメール入れたじゃないですか」
「えっ、いつ?わたし読んでない。そんなの届いてたっけ」

えっ!
ということはこの人なの?あらやだ、本当にすてきじゃないの……。
それはとても不思議な光景だった。身長百八十センチくらい、贅肉ひとつないスポーツマンのような体をした、聞きしに勝る爽やかな男性である。四十歳と聞いていたが、どう見ても私たちと同じくらいだ。そんな風貌の男性の言葉遣いが実にたおやかなのである。
一人称は「わたし」。他人と話すときにそれを使う男性はときどきいるが、そういうのとは違う。仕草も含めて、雰囲気全体が非常に優しげ。女性に近いものがあるのだ。
「あれ、今日は奥さんは?」
友人が訊く。彼の“妻”も同じ店で働いているのだ。
「それが出かけちゃってて。いたらぜったい喜んだのに」

そのやりとりを聞きながら、素朴な疑問が湧く。
Aさんは「夫」である。それなのに、どうして物腰が女性的なのかしら?
帰りに友人に訊いてみたが、彼女もわからないと言う。自分はゲイだと彼から教えられたとき、ふだんの様子から「女性のほうなのね」と信じて疑わなかったそうだ。
私はゲイのカップルというのは「女性」にあたる男性だけが女らしくなるのであって、「男性」側は変わらないものと思っていたので、かなり意外だった。もっとも他を知らないので、それがゲイの男性全般に見られる傾向なのかどうかはわからない。
しかし、友人はAさんが「男性」ではないからこれほど安心できるのだと思う、と言った。

* * * * *

Aさんは遠くからやってきた私たちのために他のお客へのサービスは店員にまかせ、厨房前の常連さんのための席で四時間も相手をしてくれた。
初対面の私にもゲイであることを隠さない彼から目からうろこが落ちる話をたくさん聞いたのだけれど、それは次回


2006年04月21日(金) 「日常」の喪失

「仙台に来ることあったら連絡してな。ぜったい会おうね」

メールアドレスを書いた紙を渡され、涙ぐみそうになった。今週末で一番の仲良しの同僚が退職するのだ。夫の転勤についていくためである。
ほんの一週間前、異常に厳しい会社の服装規定について愚痴を言い合った後、「私たち、いつまでここにいるんだろ」「来年も同じこと言ってそうやない?」なんて話していたのに……。

しゅんとしながら家に帰る途中、友人から電話が入った。
「まっすぐ帰ってもどうせ暇やろ。梅田までおいでよ」
晩ごはんのお誘いだ。暇なんかではないけれど、人恋しい気分だったのでいそいそと出かけて行った。
注文の皿が届くなり、彼女が言う。
「私、東京行くかもしれん」
「ふうん、いつ?お金払うから、舟和の芋ようかん買ってきてよ」
「出張ちゃうで。今日、上司に呼ばれて言われてん。いま私がやってる仕事が東京本社で一本化されることになったから、それに伴ってあっちに行くか大阪に残って部署を異動するか、どっちか選べって」

ええーー!思わず箸を取り落とす。
彼女が、転勤……。
全国に支社があるのは知っていたし、私が独身時代に勤めていた会社でも女性の転勤は当たり前にあった。しかし、彼女がいる風景は私にとってあまりにも日常だったため、彼女がそうなるとは想像したことがなかった。つい何日か前も、大学を卒業してから十二年間住んでいるいまのワンルームマンションに払った家賃が軽く一千万を超えていることに気づいて愕然としている彼女を「五十になってもそこに住んでたりしてネ」とからかったばかりなのだ。
こうして気軽に会っては他愛もない話をする。そんな日々がこれから先もずっと続くような気がしていた。……いや、そうでなくなる日が来るなんて思ってもみなかった、と言ったほうが正しい。

つくづく思った。
自分がいま享受している心地よい環境、状況。それはどんなに安定しているかのように思われても、実はいくつもの偶然や幸運が組み合わさった結果の産物であり、いつ失われたり変化したりしても不思議はないのだ、と。
彼女が東京に行っても友情は変わらない。しかし、私の生活は少なからず変わる。仕事帰りに待ち合わせをして飲みに行ったり、冬になるとうちで鍋パーティーをしたりといった十数年間当たり前に繰り返してきたことが、彼女が転勤を承諾した瞬間に「当たり前」でなくなるのである。

考えてみれば、そういうことは他にいくらでもある。
たとえば、私は週三回決まった曜日の決まった時間帯に日記を更新するということを何年も続けている。「日記書き」はすでに、夕食の支度をしたりお風呂に入ったりするのと同じように私の一日の時間割に組み込まれている。
が、これも夫が部署を異動になり毎日帰宅できるようになったら(結婚当初から夫は月曜に家を出たら金曜まで帰ってこない出張だらけの人なのだ)、とたんに不可能になる。私は夫が留守にしているか寝ているときにしかパソコンに触らないから、これまでのようなペースで更新することもすべてのメールの返信することもとても無理。
そうなったら、私の性格からして「中途半端にしかできないならやめちゃえ」となるかもしれない。大事にしてきた読み手の人とのつながりも一瞬にして消滅する。

どんなことでも終わりはある日突然やってくる。いま私が「日常」と思っているものは絶妙なバランスの上に成り立っていて、けっこうあっさり、そうでなくなってしまうことがあるのだ。
いままでがそうだったからこれからも……というのは錯覚だったのである。


別れ際、
「東京もいいかもしれない。若いうちに住むんやったらおもしろそうなとこやし、前向きに考える」
と言っていた友人。返事の期限ってたしか今日って言ってたな……と思っていたら、メールが届いた。

「結局、大阪に残ることにしました」

よかったあ……。心の底から安堵する。でもどうしてだろう?
彼女に電話をしたら、「片道切符かもしれんって思ったら、実家がいま以上に遠くなるのが不安で。親も年とってきたしね」ということだった。
「これで東京に遊びに行ったときの宿ができたと思ったのにサ」
私も意外と天の邪鬼だ。

明日が今日と変わらぬ日であることが、私にとって望ましいことかどうかはわからない。
でもとりあえず、私は自分の「今日」を気に入っている。もうしばらくはいま手にしている日常が続くことを願っている。


2006年04月19日(水) 「立ち会い出産」のイメージと現実(後編)

前編中編からどうぞ。

「立ち会い出産って無条件で感動的なものになるってイメージを持っていたけど、そうでもないのねえ」

……なーんてあっさり認識を改める私ではない。妹と同僚、ふたりの話はちょっと横に置いておいて、ネットで体験談を検索する。
そうしたら、「gooべビー」の中に「夫たちにとっての立ち会い出産」といううってつけのページを発見。そこに子どものいる男女三百人を対象に実施したアンケートの結果が載っていた。
「あなたは立ち会い出産を希望しましたか」にイエスと答えたのは女性が54%、男性が26%とある。ほおお、妻は二人に一人が立ち会いを希望するのに対し、夫は四人に一人か。

「未知の世界って感じ。このまま知らずにすませたい」
「妻がすごい顔して苦しんでるのなんか見たくない」
「一応立ち会う約束はしたけど、どうしても抜けられない仕事をしている間に生まれてくれないかなあというのが正直な気持ち」

思いきり腰が引けている夫たちの姿が目に浮かぶ。やっぱり怖いみたいだ。
そしてさらに読み進めると、必ずしも「立ち会い出産=夫婦で感動を共有、夫婦の絆アップ」となるわけでないことがわかるようなコメントもちらほら。

「オレがいなくても子どもは無事生まれたんじゃないかと思う」
「妻の母親と一緒に立ち会ったら、僕の出番はほとんどなし。これなら家で待っててもよかったかも」
「オロオロするばかりで夫はジャマでした。次は一人で産みます」
「苦しむ私の隣で爆睡していた。信じられない」
「『気持ち悪かった』と言われてすごく傷つきました」

ふうむ。立ち会い出産に向く夫……いや、向く夫婦、そうでない夫婦というのがきっとあるのね。

* * * * *

しかし、そんなドライな感想を聞かされても「夫が立ち会っての出産って理想的」という私の印象が損なわれることはなかった。
ある産婦人科医院の立ち会い出産体験記の中に、父親と一緒に立ち会った中学一年生の男の子の感想文が載っていたのであるが、中にこんな一文があった。

「こんなしんどい思いをして産んでくれたことに本当に本当に感謝しています。たまにオバハンとかブタとか言いますが、この出産に立ち会って、もうそんなことは言えなくなりました」

そう、これこそが私の思う立ち会い出産の最大のメリットなのだ。
それを夫婦の共同作業にすることも大変に意義のあることだが、それ以上に私が期待するのは、女性がどれほどの苦痛を乗り越えて子どもを産むかを知ることによって夫の内面に変化と成長がもたらされること。
立ち会おうが立ち会わまいが、生まれてきた子どもに対する愛情に差は出ないだろう。しかし妻へのいたわり、感謝といったものはそれを目の当たりにすることでさらに強まるのではないか。
私の夫が糊のきいたワイシャツやふかふかの布団、温かいごはんにありがたみを感じることが少ないのは自分が家事をしたことがないため、それらにどれだけの手間暇がかかっているのかを知らないからだと思う。しかし、育児についてもこれと同じ調子で妻まかせで当たり前、というふうになったら大変だ。
あまり妻煩悩でない、うちの夫のようなタイプの男性にはとくに「立ち会い」の効果が期待できるのではないかしら……。

参考までに訊いてみる。
「ねえねえ、将来うちに子どもができて、私が立ち会ってほしいって言ったらどうする?」
妻の無邪気な問いに彼はしばらくフリーズした後、
「小町さんがそうしたいって言うんならそうするとは思うけど……」
とぼそぼそと言った。
顔に「弱ったなあ」と書いてある。あまりに予想通りの反応だったので、ふきだしてしまった。


とまあ、これから出産を迎える女性や、妻に立ち会いを迫られて怖じ気づいている男性が読んだらどきりとするような話をあれこれ書いたけれど、どうぞご安心を。
さきほど紹介したサイトの中のアンケート、立ち会い出産を希望する男性はたしかに四人に一人だったが、「実際に経験してどうだったか」の質問には89%の男性が「よかった」と答えている。案ずるより(分娩室に)入るが易し、なところはあるみたいだ。
そして、「その後の夫婦関係にプラスになったか」にも彼らの48%がイエスと答えている。

夫婦でよーく相談して、自分たちに一番いいと思われる形を見つけてね。


2006年04月17日(月) 「立ち会い出産」のイメージと現実(中編)

※ 前編はこちら

「じゃあさ、もし立ち会い出産にしようかどうしようか友達に相談されたら、どう答える?」

私の質問に、「うーん、男の人によるからなあ……」と妹。
夫も立ち会いたいと言ってくれているということなら勧めるけれど、夫が乗り気でないのに妻の希望だけでそれに決めるのは考えたほうがいいかもしれない、と。
「血を見るのがだめって男の人、けっこういるやん?かなり凄まじいからねえ……。私の友達にも、立ち会いしてもらおうと思ったのに『自分にはぜったい無理』って拒否された子いるよ」

そんな話を聞くと、
「なぬー、なんちゅう情けないことを!奥さんのほうがその何倍も怖いのに」
とつい一喝したくなる……けれど、男の人が尻込みするのもまあわかる。だって私も出産経験者の話を聞きながら、「もうっ、もういいよおー!」と耳を覆いたくなったことがあるもの(もっとも、彼女たちはおもしろがって私を怖がらせようと誇張してしゃべっているのだと思うが)。
そのとき腰から下はカーテンで仕切られていて見えないようになっているのだと私は想像していたのだけれど、妹によるとそんなものはなく、腰の位置に立っていた彼女の夫は出産に至る一部始終を目の当たりにしたという。
「こっちは必死でなにがなんだかわからんかったけど、平常心の人が目の前で会陰切開するとこなんか見てしもたら、そりゃあ怖いやろうと思う。○○君、ハサミの音もはっきり聞いたらしいわ」

中には気分が悪くなって途中で退室したり、さらには過度の緊張で失神したりする夫もいるそうだ。苦しい呼吸の中、手を握ってもらおうと妻が傍らに目をやると夫は顔面蒼白、あちらがこちらの手を求めていた……なんて笑い話にもならないよなあ。
それでもほとんどの夫はなんとか乗り切るのであろうが、嫌がっているのを「あなたが父親なんだから」と無理やり付き添わせるのは少々酷かもしれない。
まあ私なら、「それでも夫かー!妻の力になりたいとは思わんのかー、このナンジャクモン!」といっぺんくらいは叫ばせてもらうだろうけれど。

* * * * *

冒頭の質問に先述の同僚(前回参照)も妹と同じ答えだったのであるが、彼女は上に書いたのとだいたい同じことを理由に挙げた後、こんなことを言った。

「それにね、立ち会ったことでだめになっちゃう男の人もいるらしいよ」
「だめってなにが?」
「出産シーンってはっきり言って、“モロ”やねん。それを見たショックで妻に性欲を抱けなくなる夫がいるって聞いたことがある」

つまり、女として見られなくなるってこと?文字通りおなかを痛めて必死の思いをして産んだ妻にその仕打ち?なにそれ、冗談じゃないわよ。
真に受ける気になどならない、ばかばかしい話である。
しかし、彼女は「でも実際、そういうのを不安に思って出産を見せたくないって言う女の人もいるよ」と言い、それから「うちのだんなさ……」と声のトーンを落とした。
えっ、まさか?

「後から聞いたら、しばらく肉をよう食べんかったらしいねん。突っ立って見てただけやのに笑うやろ。でも、もっとデリケートな人はあっちの欲求も減退するのかもしれんね」

ええええ。
そりゃあ現場は臨場感たっぷりなのだと思う。前編にいただいた出産経験のある女性からのメールにも、「スプラッタ」「血みどろ汗みどろ」といったおどろおどろしい言葉があった。
でもだからってあんまりじゃないか?同僚は「足のほうじゃなくて頭のほうに立ってもらってたら、ふつうは心配ないと思うけど」と付け加えたが、私は「どこに立ち、なにを見せられようが!」と言いたくなった。
それとも、そういう拒絶反応は理屈ではなく生理的なものだから、男性にもどうしようもないのか。
だとしたら、やっていられないよなあ……ぶつぶつ。 (つづく


2006年04月14日(金) 「立ち会い出産」のイメージと現実(前編)

まず最初にお礼を言わせてください。
前回の日記にたくさんのお祝いのメッセージをいただきました。プリントアウトして妹のところに持っていきたいと思ったくらいうれしかったです。本当にありがとう。

* * * * *

さてさて。“解禁”になったとたん、人に話したくてたまらなくなった私。翌日早速同僚に話したら、四年前に彼女が娘を出産したときの話になった。
だんなさんが立ち会ったと言うので、どうだった?と軽い気持ちで訊いたところ、彼女の言葉に思わず耳を疑った。

「あれやったら、立ち会ってもらう必要なかった」
そ、そうなの!?またどうして。
「だって、ボーッと突っ立ってるだけやねんもん」

脂汗をかいて痛がっているというのに、夫ときたら心配そうな顔をしているだけで、いちいち頼まなければ汗を拭いてくれることも腰をさすってくれることもない。気の利かない人であるのはわかっていたが、「こんなときくらい頭働かせてよ!」と彼女はのた打ち回りながら怒りさえ湧いたと言うのである。
だからもし次があったら、今度はひとりで産むと決めているという。

本当に驚いた。そんな答えが返ってくるなんて思ってもみなかったんだもの。
私は帰宅するや、妹の携帯に電話をかけた。もちろん立ち会い出産の感想を聞くためである。
同僚みたいなのはきっと特別なのだ。妹からは「よかったよ〜。ふたりで産んだって感じがしたもん」「ずっと支えてくれて、惚れ直しちゃった」なんて言葉が聞けるに違いない。
……それなのに。
彼女は受話器の向こうで、「うーん」となにやら考え込んでいるではないか。

「たしかに、こっちはすごい緊張してるし、そばにいてくれて安心できたっていうのはあったよね。なんでも頼めるし」

うんうん、そうでしょうそうでしょう。即答してくれないから一瞬不安になっちゃったじゃないの。
と、ほっとしたのも束の間。

「でも正直、一緒に産んだー!とかいうのはなかったよ。支えてくれたっていうより、横についててくれたって感じやった」

がーーん。あんたまでそんなことを……。
そして、うなだれる私に妹は追い討ちをかけた。
「陣痛がはじまってから産むまでに時間かかったから、途中○○君、隣りで本読んだりしてたし」
ええーー!?ビデオカメラを回す人がいるというのは聞いたことがあるけれど、本って……。

これが他人の話だったら、「あなたのだんなさん、ちょっとひどいんじゃないの?」と私は憤慨し、呆れたかもしれない。が、義弟が、と聞いたときはただただ意外に思った。
なぜなら、彼は無神経で薄情な男などではまったくないのだ。会うのは数ヶ月に一回、実家で一緒にごはんを食べるときくらいのものだが、妹を大事にしてくれているという感じがちゃんと伝わってくる。私の目がふしあなでなければ、妻に愛情を持った、どこにでもいるふつうの男性なのである。
そうか、そういう人でもそのとき妻の期待に満足に応えられないことがあるんだなあ……。


立ち会い出産というものについて深く考えたことはないけれど、「好ましいこと」という印象は持っている。
心強いとか頼みごとがしやすいとかいった実質的なメリットももちろんあろうが、誕生の瞬間を夫婦で共有できるのは文句なしにすばらしいことだ。
ひと昔前であれば、夫は分娩室の前を行ったり来たり、灰皿には吸殻の山……というのが当たり前だっただろうが、夫婦ふたりの子どもなのだもの、夫がその場に立ち会うのはごく自然なことであり、そのとき妻を支えるのは本来あるべき姿なのではないか、とさえ思う。
そして、それが叶えられた妻からは夫への感謝と「立ち会いにしてよかった」という言葉が聞けるもの。私はそう想像していた。

しかし、どうもそれはかなりのんきで美しい思い込みであったらしい。 (つづく


2006年04月12日(水) 大人になって知ったこと

「一時間前に無事生まれました。三千二十グラムの女の子です」

朝の五時過ぎ、母からメールが届いた。昨夜陣痛が始まり入院したと聞いていたので、いまかいまかと連絡を待っていたのだ。もちろん母が産んだのではない、妹の初出産だったのだ。
母子共に元気と聞いて胸をなでおろす。

……とそのとき、ピロピロともう一通メールが。
「がんばったよ〜!」
なんと、妹本人からではないか。

「あんた、いまさっき生んだばっかりとちゃうん!?」
「そやで〜。痛かったよおおお」

私のイメ―ジでは出産後は体力を消耗して口もきけない状態で、赤ちゃんの顔を見て安心したらしばらく昏々と眠る……というものだったので、一時間後に携帯メールが届いたのには驚いた。みんなこんなにタフなのかしら。
この一週間、何度も妹の夢を見、無事に生まれてくれますように……とそのことばかり考えていた。私はなにもしていないというのに、すっかり肩の荷が下りた気分だ。


赤ちゃんができたと妹から知らせがあったのは、妊娠五ヶ月に入ってからのことだった。
「報告が遅なってごめんな。あっちのお父さんお母さんにもさっき連絡したとこやねん」
安定期に入るまで言えなかったという彼女の気持ちは痛いくらいわかった。
私とひと月違いで結婚した妹は、姉と違って早くから子どもが欲しいと言っていた。まもなく妊娠、私にエコー写真を見せたときの「うれしくてたまらない!」という顔を昨日のことのように覚えている。
が、その後すぐに流産。「その日からぴたりとつわりが止んだ」と泣いて泣いて、仕事のストレスのせいだろうか、職場の引越しの際に荷物を運んだのが悪かったのかもしれないと自分を責めた。だから次に妊娠したときはとにかくリラックスと安静を心がけた。
でも、まただめだった。
初期流産の繰り返し。妊娠しないのもつらいと思うが、妊娠はするのにおなかの中で育たないというのもつらい。
不育症の治療で産婦人科に行くたび、待合室で大きなおなかの妊婦さんと一緒になる。廊下を歩けば元気な産声が聞こえてくる、赤ちゃんを抱いたママとすれ違う。必死で涙をこらえ、家に帰ってわんわん泣いたそうだ。母からその話を聞き、「産婦人科というところはそんな残酷なつくりになっているのか」と私は愕然とした。
「また今度もだめだったら……」
悲しみの上に周囲に説明しなくてはならない苦痛まで味わいたくないと考えるのは当然だ。

そして私は私で、妊娠のニュースは無事に生まれてくるまで人には話さないでいようと思った。
夢は人に話したら正夢にならないというジンクス。そういうものを信じる私ではないけれど、今回ばかりは。だから家族に準ずる人以外には話さなかったし、もちろんここにも書かなかった。
そして、待ち望んだ解禁日がやってきた。

* * * * *

街で子どもと手をつないで歩いているママを見ていると、彼女たちにとって子どもが隣りにいるのはすでに「当たり前の風景」になっているのが伝わってくる。
そんないまの姿からは想像できないけれど、しかしその中にはつらい経験をし、苦難を乗り越えてようやくその幸せを掴んだという人もきっと少なくないのだろう。

以前、友人がこんなことをぽつりと言った。
「私、いままで結婚っていうのは誰の人生にも当たり前に用意されてるステップやと思ってた。けどそうじゃないんやな」
「どういう意味?」
「中学行って高校行って大学行って……って自然の流れでここまで来たやん?私は長いこと、結婚もそれと同じやと思ってたわけ。つまり大学を卒業したら次は就職するみたいに、適当な時期になったら誰でも結婚することになってるもんやと思い込んでた。でも私の人生には『結婚』っていう名のステップは用意されてなかったみたい……」

たしかに、十代の頃は結婚も子どもも「望めば与えられるもの」だと思っていた。
人生におけるそれらの“節目”は標準装備ではなくオプションだったのだと知ったのは、すっかり大人になってからだった。


2006年04月10日(月) 来客ウォッチング

これは世の少なくない奥さんに同意していただけるのではと思うのだが、夫が突然人を連れて帰ってくることほど妻を慌てさせることはない。

終電に乗り遅れたから一緒に飲んでいる後輩を泊めてやりたいんだけど……と夜中の一時に夫から電話がかかってきたことがある。眠気は一瞬にして吹き飛んだ。
「い、いまから!?そんなん無理に決まってるやろーっ」
しかし、男の人には掃除のことや翌日の朝食のこと、すでに化粧を落としパジャマになっていることやその他もろもろの事情が想像できないらしい。「平気平気、ソファにでも転がしておけばいいから」とお気楽なもの。そんなわけにいかんでしょうが……。
しかも、その電話を席を外さずかけてくるのだからたまらない。その後輩が隣りにいると思ったら、断るに断れないじゃないか。
「今後、こういうことは困るからね!」

事前に知らせてくれてさえいれば、夫の友人が家に遊びに来るのは決して嫌いではない。彼らと会うことで私の世界も広がるし、なにより「いろいろな男の人がいるんだなあ」ということがわかっておもしろいから。
コーラが大好きでお茶がわりに飲むと聞いていたのでペットボトルを用意していたら、本当に一晩で一・五リットルを飲んでしまった人がいたり、朝食の支度中「おはようございます」という声に振り返ったら、トランクス姿だったという人がいたり。食事の後、空き缶は水ですすぎペットボトルはキャップを外し……と完璧にゴミを分別してくれた人もいた。
布団を畳む人もいれば、起きたままの状態にしている人もいる。帰り際、「ごちそうさまでした」と言う人もいれば、言わない人もいる。奥さんの“躾”が垣間見られて実に興味深いのだ。

さて、先週末は夫の年下の友人が北海道からやってきた。
前に一度会ったことがあるのだけれど、風貌もノリもいかにもいまどきの男の子という感じ。なので、「肴をよろしくね」と夫から頼まれてもプレッシャーはなかった。
義母が家に来たときはそりゃあ緊張したものだ。義母が家に来たときはそりゃあ緊張したものだ。義母はものすごく料理上手な人だから、米の水加減は念入りにチェックし、味噌汁のだしはいつもより上等の削り節でていねいにとった。献立にもうんと頭をひねった。
けれども今日はそんな神経を遣う必要はない。多くの独身サラリーマンがそうであるように、彼も「昼は吉牛、夜はコンビニ弁当」というジャンクな食生活を送っている男の子であろう。なにを出してもおいしいと思ってくれるに違いない。そう私は踏んでいたのだ。
……が。

これお土産です、と彼は「京の地豆腐」と書かれた紙袋を私に差し出した。豆腐に油揚げ、ひろうすなどが入っている。京都の豆腐はおいしいと有名である。わあ、うれしい。
でも男性が選ぶ手土産としてはなかなかユニークなチョイスよね?
「僕、学生時代ずっと豆腐屋でアルバイトしてたんですよ。で、京都にうまい豆腐屋があるって聞いてたんで、ここにくる途中に寄って買ってきたんです」
なるほど、そういうわけね。
リーフレットを見ると贈答用の立派な詰め合わせもある。これ、一丁いくらするのかしら……と思ったら夫も同じことを考えたらしい、彼が訊いたら四百円という答えが返ってきた。
その豆腐を早速冷やっこでいただく。初めはなにもつけずに食べるよう書いてあるので、その通りにしたら……おおっ、甘い。一丁百円のいつもの豆腐には感じたことのない大豆の甘味である。
「ええー、なんで豆腐にこんなに味があるの!」
私は醤油も薬味もなしで食べきってしまった。

が、ふと見ると男の子の顔が曇っている。
「うーん、評判ほどの味じゃないですね。これなら僕がバイトしてた店のやつのほうがずっとうまい」
と彼。えっ、そうなの?私、むちゃむちゃおいしくいただいたけど……。

「豆腐ってね、同じ材料で同じように作っても毎日味が違うんですよ。うまくできる日もあれば、だめな日もある」
「それは大豆そのものの味の違い?」
「それもありますけど、工程上のほんのわずかな差が出来の違いになるんです」
「へええ、そうなの。でもそれだけ味の見分けがつくってすごいよね」
「僕ね、こう見えてけっこう舌が利くんです。だからまずいものなんかぜったい食べません。こないだもうまいって評判のラーメン屋に行ったんですけど、ふたくちで出てきちゃいました」

心の中でひええと叫ぶ。あなた、手作りでできたてならなんでもオッケーな人じゃなかったのお!?

その後は枝豆をゆでるのにも緊張を強いられた私。談笑しながらも、彼の箸の進み具合が気になってしかたがない。
「これ、レバニラ?僕、レバニラってほとんど食べたことないんですよ」
「そ、そうなんだ。たしかにあんまり家ではしないかもね……」
と平常心を装いつつ、「へえ、おいしいですね」が続くのを期待したのだけれど。ムム、いまいちお口に合いませんでしたでしょうか……。

人懐こい男の子で会話はとても楽しかったのであるが、私は彼がなにをどのくらい食べているかばかり気にしていたので、寝室に引き上げたときにはくたくたになっていた。

* * * * *

先日、「自分より家事能力に長けている夫だとちょっと困る」と書いたが(三月三十一日付 「夫婦の“家事”観」)、夫の舌が肥えすぎているというのも妻にとっては同じくらい難儀なことである気がする。

うちの夫は手の込んだおかずを出そうがお肉を奮発しようがちっとも気づかない味音痴。作り甲斐がないなあと何度思ったかしれないが、そのかわり手を抜いても失敗してもそうと気づかずニコニコして食べている。
違いのわからない男だと嘆くばかりでもないのかもしれない。


2006年04月07日(金) 「本にカバーはおつけしますか?」

先日新聞の投書欄に、三十代の女性が書いた「ブックカバーを付けるのは疑問」というタイトルの文章が載っていた。
書店で本を買うと当たり前のようにブックカバーをつけて渡されるが、読むのに邪魔だし、紙の無駄遣いである。私は必要ないと思っている……という内容だ。

たしかに本の包装は過剰である。私にもひとつ、以前から疑問に思っていたことがあるのだ。
こちらが制止しない限り、店員さんはカバーをつけ、輪ゴムをかけ、袋に入れてくれる。あの輪ゴムの意味がよくわからないのだ。
複数冊の本がばらばらにならないようにするため、というわけではないらしい。最近紀伊國屋で文庫本を一冊買ったときも、店員さんは輪ゴムをかけようとしていたから。ではカバンの中で本が開かないようにするため?
だとしたら、過保護なサービスだよなあ。本にカバーをつけてくれる国は日本だけだそうだが、輪ゴムも間違いなくそうであろう。

私は本を買うとたいてい自宅に帰り着くのを待たず喫茶店や電車の中で読みはじめるので、輪ゴムと袋は投稿者と同じように「資源の無駄遣いだ」と思い、毎回断っている。
しかしながら、カバーは必ずつけてもらう。理由はいくつかある。
ひとつは、買った直後はできるだけきれいな状態をキープしておきたいという気持ちが働くこと。
夫は平積みしてある本を買うとき、一番上にあるものを取ってレジに持って行くが、私にとって一番上は「見本」だ。いろんな人に立ち読みされてページが広がっていたり、角がつぶれていたり、目に見えない汚れだってたくさんついているに違いない。それを買うのはどうにも損な気がする。
「どうせ読んでたらそのくらいの傷、すぐにつくし」
と夫は言う。うん、たしかにその通り。
けれども、自分が読みながらつけた傷と最初からついていた傷とでは気分的にぜんぜん違う。湯船に浸かりながら読んだりするし、保存にもとくに気を遣わない私であるが、買うときは美品を望む。
だからいつも上から三番目くらいのものを抜き、帯や表紙に破れや折れがないか、ハードカバーの場合は明かりに照らして表紙に傷がついていないかもチェックする。状態のよいものがなければ、よその店に行く。
そして、カバーを外すのは読み終えたとき。よって自宅の本棚はどれが未読か、それが何冊くらいあるか、ひと目でわかるようになっている。
再読の際に外に持ち出すときはちゃんとした布のブックカバーをかける。

私がカバーを求めるもうひとつの理由は、買ってすぐ読むときにそれがないと周囲にタイトルがばればれになること。
自分がなにを読んでいるのか、私は人に知られたくない。べつに人前で読むのがためらわれるようなものを読んでいるわけではない。「好み」にはその人の内面が現れるから、頭の中を覗かれるようで嫌なのだ。
私がサイトにリンクページを置かないのも、携帯の着信音を着メロにしないのも同じ理由である。
表紙を裏返して白地の面を表にして巻いている人をときどき見かけるが、あれは表紙が傷むし、「本をかわいがっていない」感じがして好きになれない。なので、レジでカバーをつけるかどうか訊かれたら「お願いします」と答える。

* * * * *

本にカバーは必要という人の多くは上記のどちらかを理由に挙げるのではないかと思うが、中にはこんな意見もある。
以前、「なぜ本にカバーをつけるか」というテーマで話している場に、
「自分はこういう本を読んでいるんだというのを人に知られるのが嫌というよりも、『コイツは自分はこういう本を読んでいるんだというのをみんなに知って欲しがっている』と思われるのが嫌」
と言う人がいた。ふ、深い……。
また、私の知り合いには「書店によってデザインが違っているので、集める楽しみがある」と言う人もいる。遠方に出かける機会があると、カバー欲しさに本を買うのだそうだ。

「本にカバーをつける」というなんてことないように見える選択も実は人それぞれ、さまざまな事情や衝動に突き動かされての結果なのだ、と思うと興味深い。

本の話をしたついでに、ちょっと宣伝させてね。
昨年末、「きゅるる」というブログサービスを利用して書籍化、販売もしてみようかな?と書いたのを覚えておいででしょうか。その本が現在「きゅるる」のキャンペーン中につき、少々お安くなってます(それでも目が飛び出るようなお値段ですが)。
「過去ログを読みたいけど、量が膨大でどれを読んだらいいのかわからない!」とお嘆きの貴方、貴女!……が万が一いらしたら、詳細ページをのぞいてみてね(こちら)。



2006年04月05日(水) 不機嫌の理由

スーパーでニラが一束八十円という安さだったので、二束買って「ニラブタ」を作った。
油を熱したフライパンにニンニクのみじん切りをジャッと入れ、香りがしてきたところに豚バラの細切りを加える。炒まったら五センチ長さに切ったニラを投入、しんなりしたら醤油をたらたらっと回しかけてできあがり。

安くて簡単、しかもおいしくて栄養たっぷりのこのおかず、実は阿川佐和子さんのエッセイで紹介されていたものである。
阿川さんのエッセイは食べ物の話がかなり多いのだが、食べることだけでなく作るのもお好きなようでおおまかな作り方を書いてくれていることがある。で、実際に何品か作ってみたことがあるのだけれど、どれもけっこういけるのだ。中でもこのニラブタは夫にも好評で、わが家の定番メニューになっている。

* * * * *

さて、その阿川さんの食べ物関連のエッセイであるが、私はそれを読みながら、エ!と驚くことがしばしばある。
食事中の阿川さんの行動に、だ。はっきり言うと、行儀があまりよろしくないのである。
あるとき、一緒に食事をしていた男性に「君ってよほど食べることが好きなんだね」と言われた。
「だって、調味料を取ったり人にお皿を回したりするときもお箸を離さないんだもの」
でもそういうときはいったん箸を置いたほうがきれいだよ、とさりげなくたしなめられたそうだ。

見合いの席での失敗もあるという。
料理を次々とたいらげ、皿のソースはパンでこそげ落とし、「うーん、満足」と顔を上げたら相手の男性がやけに静か。どうしたんだろうと思った瞬間、デザートがまだなのに「帰りましょう」と言われた。
帰り道、何か失礼なことをしたかと訊いても男性は答えてくれない。当然見合い話は断られ、彼の不機嫌の理由はわからぬままになった。
そして阿川さんはこう解釈した。自分が店を選んだりメニューを注文したりとあれこれ仕切ったのがよくなかったのだ。男というのはそういう場面で見栄を張りたいものらしい。女にリードされるのが嫌なのだ……と。

しかし、そうなのだろうか。それも少しはあったかもしれないけれど、阿川さんの食べ姿を見て興ざめしたところが大きかったんじゃないの……とつぶやく私。
そんな見方をしてしまうのは、過去のエッセイで「炒め物の皿に残った汁をごはんにかけて食べると店員さんにあきれた目で見られる」とか「とてもおいしかったので、つい食べ終えた皿についていたソースを指で舐めたら友人に叱られた」といったエピソードをいくつも読んできたからだ。
「んまあ、龍の子太郎が生まれて初めて握り飯を食べたときみたいな食べ方ね!」と驚かれたこともあるというから、もしかしてガツガツ食べていたのではないか。初対面の相手を前に気を引き締めているつもりでも、“地”は知らず知らずのうちに出てしまうものだ。もし私が見合いの席で男性にそんなふうにものを食べられたら、かなり白けるに違いない。
仲良しの檀ふみさんと食事に行くたび、「(恥ずかしいから)やめてちょうだい!」と叫ばれるそうだが、わかるなあ、檀さんの気持ち……。


私自身にも至らないところは多々あるけれど、食事中に人がしているのを見て不恰好だと思うこと、不快になることは自分はしない、ということは心がけているつもり。
最近は全席禁煙のレストランが増えているから、こちらがまだ食べているのにタバコに火をつけられることはなくなった。私が食事に行くような店には口元を隠さず爪楊枝でシーハーやるオジサンもあまりいない。
そのかわり、食べ終えた後、女性がそのまま席で化粧直しをする姿をよく見かける。
もし目の前で友人がコンパクトを開いたら「食べ終わるまで待ってよ」と言うけれど、隣のテーブルでファンデーションをはたいている人にまで文句を言うことはできない。私は女性が顔の脂を取ったり口紅を塗ったりしているのを見るとかなりげんなりするたちなので、自分は誰かの食欲を減退させるようなことはすまいと誓っている。

それから、薬を飲むときは相手が食べ終えるまで待つ。これも必要な気遣いではないかと思っている。
友人が自分が食べ終えるやいなや病院の薬袋を取り出し、粉薬を上を向いて飲みはじめたことがあったが、食べている最中にはすすんで目にしたい姿ではない。

そしてもうひとつは、話題を選ぶこと。
当たり前のことじゃないかと思うのだけれど、以前近くの席の若いママたちが赤ちゃんのうんちがどうのこうのと話しはじめ、あ然としたことがある。緑色だとかくさくないとかいう会話が延々続き、私と友人は押し黙ってしまった。
あなたがたにとってはぜんぜん汚くなくて平気で触れることはわかったけれど、ここはレストランだからさ……。

美しく食べるというのはとてもむずかしい。けれども、せめてみっともなくない食べ方くらいはしたい。


2006年04月03日(月) 浮気は束縛で防げるか

「うへえ、気持ち悪う〜〜!」

新聞を読みながら思わず声をあげた。人生相談欄にそう叫びたくなるような男が出てきたのだ。
相談者は結婚十年目の三十二歳の主婦。子どもが小学生になり、時間にゆとりができたのでアルバイトをしたいと夫に話したところ、「仕事をしたらおまえは浮気する。面接に行ったら許さない」と頭ごなしに言われ、あきらめた。結婚当初から「男がいる所には行くな」「外に目を向けず俺だけを見てくれ」「俺を趣味にしろ」と言われてきたが、そんなふうに行動を制限されることに納得できない。どうしたら夫の考えを変えることができるだろうか、という内容だ。

回答者は「『妻は夫の従属者ではない』と訴え、ケンカをしてでも願いを主張し続けましょう。相手が根負けする可能性もあります」と答えている。が、まあ無理だろうね……とつぶやく私。
浮気をしないよう妻を家に閉じ込めておこうなどと考える男にはどんな理屈も通用すまい。「私のことが信じられないの?」と詰め寄っても無駄。彼がそれを認めないのは妻を信用できるできないという問題ではなく、「自分に自信がないから」なのだから。
もし私が「外に目を向けず俺だけを見てくれ」なんてことを言われたら、目の前が真っ暗になるだろう。自分の夫がこんな情けないセリフを口にできる、プライドのない人だったとは……と。
相談者には気の毒だけれど、いかに説得を試みてもこういう男は変わらない、と私は思う。


ところで、「束縛」は浮気防止に有効なのだろうか。
先日『躍る!さんま御殿!!』を見ていたら、出川哲郎さんが他の出演者に彼の“妻の目をあざむく方法”を暴露されていた。
出川さんは奥さんから携帯を厳しくチェックされるため、女性からの着信はすぐさま削除する。が、そうすると着信は十件とあるのに履歴は九件しか表示されないという事態が起きてしまう。そこで出川さんは数合わせのために周囲にいる人に「ちょっと俺の携帯に電話かけて」と頼むのだそうだ。
これは、どれだけ拘束されようともその気になればどうやってでもかいくぐるといういい例ではないだろうか。締めつけがきつくなればなるほど敵は知恵を働かせ、やり方が巧妙になるだけである。

私はときどき男性の友人とごはんを食べに行く。そのとき好奇心で「奥さんにどう言って出てきたの?」と訊くことがあるが、正直に言ってきたよと返ってきたことは一度もない。答えは決まって、同性の友人や知り合いの名前を借りて、というものだ。
彼らが奥さんにがんじがらめにされているということはたぶんないだろうから、その嘘は余計な心配をかけまいという思いやりから出たものである。しかし、それも見方を変えれば「抜け道はいくらでも作ることができる」の証明になる。

まあそれでも、妻なり夫なりが鵜の目鷹の目で相手を探すようなタイプである場合は「監視」もある程度浮気の抑止力になるだろう。身動きしづらくすることでその機会を幾分カットすることはできそうだ。
しかしながら、出会いは日常生活の至るところにある。私の友人は電車に乗っていたら、網棚からカバンが降ってきた。隣りに座っていたサラリーマンのもので、「すみません」「いえいえ」とやっているうちにちょっといい雰囲気になり、途中下車してお茶を飲みに行ったことがあるそうだ。
子どもを一人にしないよう大人がどれだけ心を砕いても、悲しい事件はなくならない。それと同じで、妻や夫の行動を完全に把握したりコントロールしたりすることは不可能。どれだけ目を光らせたところで、数限りなく落ちている恋の種を残らず踏み潰すことなどできないのである。

それならば気をもむだけ損。そのときはそのとき、だ。
……と私は開き直っている。でなければ出張だらけで週末にしか帰ってこない人の奥さんなんて、とてもやっていられない。

* * * * *

ちなみに、うちの夫の辞書には「束縛」とか「やきもち」とかいう言葉はない。
したいと思ったことを「男と一緒だから」という理由で反対されたことは一度もない。何度か男性の参加者もいる泊まりがけのオフ会に出たことがあるが、いつも快く送り出してくれた。だから、男性と約束があるときもきちんと申告して出かける。

もっとも、旅行に行くと言っても誰とどこに泊まり、帰宅はいつといったことをまるで訊かれないことについては「これでいいのかしら……」と思うところはあるけれど。
私はときどき自分が広大な牧場に放たれた牛になったような気分になる。主はちっとも様子を見に来ないが、実は柵に大きな穴が空いていて、夜な夜な抜け出して遊び回っていたらどうするのかしらん。