内館牧子さんのエッセイ集「忘れないでね、わたしのこと」を読んでいる。その冒頭にタイトルの由来について書かれた文章があった。 出張先の夫に電話をしたら留守電だったので、「今日はもう寝ます」とメッセージを入れた。これは「なので“オヤスミコール”は遠慮するね」という意味である。
※ 前編・中編からどうぞ。 帰り道、私はスキップしたいような気持ちだった。
※ 前編はこちら。 * * * * * ところで、奥さんと知り合った頃はAさんはゲイではなかったそうだ。彼女もいるどこにでもいる男の子だったが、「目覚め」は突然やってきた。
週末、友人からひとりの男性を紹介された。 私の「ゲイ」と呼ばれる人たちについての予備知識はほとんどゼロだ。中村うさぎさんのエッセイをふうんと相槌を打ちながら読む程度で(うさぎさんの夫はゲイである)、知り合いにはいないからもちろん会ったこともない。 * * * * * Aさんは遠くからやってきた私たちのために他のお客へのサービスは店員にまかせ、厨房前の常連さんのための席で四時間も相手をしてくれた。
「仙台に来ることあったら連絡してな。ぜったい会おうね」 別れ際、
※ 前編・中編からどうぞ。 * * * * * しかし、そんなドライな感想を聞かされても「夫が立ち会っての出産って理想的」という私の印象が損なわれることはなかった。 とまあ、これから出産を迎える女性や、妻に立ち会いを迫られて怖じ気づいている男性が読んだらどきりとするような話をあれこれ書いたけれど、どうぞご安心を。
※ 前編はこちら。 * * * * * 冒頭の質問に先述の同僚(前回参照)も妹と同じ答えだったのであるが、彼女は上に書いたのとだいたい同じことを理由に挙げた後、こんなことを言った。
まず最初にお礼を言わせてください。 * * * * * さてさて。“解禁”になったとたん、人に話したくてたまらなくなった私。翌日早速同僚に話したら、四年前に彼女が娘を出産したときの話になった。 立ち会い出産というものについて深く考えたことはないけれど、「好ましいこと」という印象は持っている。
「一時間前に無事生まれました。三千二十グラムの女の子です」 赤ちゃんができたと妹から知らせがあったのは、妊娠五ヶ月に入ってからのことだった。 * * * * * 街で子どもと手をつないで歩いているママを見ていると、彼女たちにとって子どもが隣りにいるのはすでに「当たり前の風景」になっているのが伝わってくる。
これは世の少なくない奥さんに同意していただけるのではと思うのだが、夫が突然人を連れて帰ってくることほど妻を慌てさせることはない。 * * * * * 先日、「自分より家事能力に長けている夫だとちょっと困る」と書いたが(三月三十一日付 「夫婦の“家事”観」)、夫の舌が肥えすぎているというのも妻にとっては同じくらい難儀なことである気がする。
先日新聞の投書欄に、三十代の女性が書いた「ブックカバーを付けるのは疑問」というタイトルの文章が載っていた。 * * * * * 本にカバーは必要という人の多くは上記のどちらかを理由に挙げるのではないかと思うが、中にはこんな意見もある。
スーパーでニラが一束八十円という安さだったので、二束買って「ニラブタ」を作った。 * * * * * さて、その阿川さんの食べ物関連のエッセイであるが、私はそれを読みながら、エ!と驚くことがしばしばある。 私自身にも至らないところは多々あるけれど、食事中に人がしているのを見て不恰好だと思うこと、不快になることは自分はしない、ということは心がけているつもり。
「うへえ、気持ち悪う〜〜!」 ところで、「束縛」は浮気防止に有効なのだろうか。 * * * * * ちなみに、うちの夫の辞書には「束縛」とか「やきもち」とかいう言葉はない。
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