友人と愛・地球博に行ってきた。 さて、これから地球博に出掛ける予定のある人に、私がぜひ見てきてねと言いたいのは、西・北・東ゲートのインフォメーションセンターにいる接客ロボット三人娘だ。 * * * * * 三人娘はもちろんそれぞれ顔も髪型もメイクも違っているのだが、どの子もとてもチャーミングだ。「綺麗ですね」と言われると、「ウフッ、私、脱いでもすごいんですよ。ここでは脱ぎませんけれどっ!」と答えることもあるというから、なかなかノリもいい。
先日ネットニュースで、仙台の街を汚す落書きについて書かれた記事を読んだ。 * * * * * 「京大の落書き」といえば、もうひとつ有名なものがある。京都大学の前身のひとつである第三高等学校の初代校長、折田彦市先生の銅像だ。 消しては書かれ、また消しては書かれのイタチごっこで、大学側にとっては腹立たしいことこの上なかったであろう。とは思うものの、徹底的な犯人探しをせず、その都度洗浄することで対処したというところに、なにかこう温かいものを感じないでもない。 * * * * * 京大生のいたずらにはもうひとつ、「五山送り火事件」がある。 いくら面白かろうと「大」を「犬」にしてはやっぱりいけないわけで、これも人騒がせでとんでもないいたずらである。
※ 前編(「夫の秘密」)・中編(「『たとえ一生なくても、この人と・・・』」)のつづきです。 エッセイは、工藤さんが「考える時間をちょうだい」と説き伏せ、彼女をいったん家に帰したところで終わっている。
※ 前編(「夫の秘密」)はこちら。 「だけど、知ってしまったらもうだめです」
先日『婦人公論』で読んだ、作家の工藤美代子さんのエッセイはかなりショッキングな内容だった。 いま千組の夫婦にあたっても、婚前交渉なしで結婚したというカップルを見つけることはできないのではと思うが、二十年前はそういう時代ではなかったのだろうか。
かねがね思っていたのだけれど、出産経験者というのはどうしてあんなに平然とコワイ話ができるのだろう。 さて、あまりに気持ちの悪い例えをされ、悶えている私に「そろそろ二人目作ろうかと思ってるねん」と彼女が言った。 * * * * * 人が頻度について語らないのは、それにささやかなコンプレックスを抱いているからだろう、と私は踏んでいる。
林真理子さんのエッセイに、相性のいい家政婦さんを見つけるのがいかに大変かという話があった。 「お金を積んでもいい人に来てもらえるとは限らない」ことは、このところテレビを賑わせている騒動を見ているとよくわかる。
※ 前編(「夫婦の終末時計」)・中編(「万策尽きる」)のつづきです。 フルを走る夫を見送った二十分後に十キロの部がスタート。 * * * * * ゴールの何百メートルか手前で夫を待つ。去年のタイムより少し遅れて姿が見えた。予想通り、息も絶え絶えの様子。
※ 前編(「夫婦の終末時計」)はこちら。 * * * * * 空港に着くと、すぐに夫の携帯に電話をかけた。
その週末、私は夫と北海道に行く予定になっていた。日曜に行われる千歳マラソンに参加するためである。 * * * * * それに加え、今回は過去のどのケンカよりもタイミングが悪かった。
※ 前編はこちら。 ところでネクタイといえば、私にはひそかに憧れていることがある。ネクタイを結べる女性になることだ。
中村うさぎさんがエッセイの中で、久米宏さんの奥さんに腹を立てていた。 単に、自分の服も選べないほど面倒臭がりでスタイリスト雇う金もケチるような男が、女房にタダでコーディネートしてもらってるって、そーゆー話でしょ?そんなサラリーマンなら日本中にゴロゴロいるし(毎朝、妻にネクタイ選んでもらう男とかね)、「内助の功」ってほどの美談でもない。 先日友人と待ち合わせをしたときのこと。食事の前に買い物に付き合ってほしいと言うのでついて行ったところ、そこは百貨店の紳士服売り場であった。
多くの人もそうではないかと思うのだけれど、日記を書きながら心が浮き立つようなときとそうでないときがある。 * * * * * その中にいくつか「やめたいと思うことがある」「やめようかと悩んでいる」というものがあった。 「ノートの日記は続いたためしがないのに、web日記が続いているのは読んでくれる人がいるから」
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