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2005年04月29日(金) 真夜中の訪問者(後編)

※ 前編はこちら

時刻は午前零時。ドアを開けると、向かいの部屋に住んでいる者だと名乗る、しかし口をきいたことはおろか顔を見たこともない女性が立っており、さめざめと泣いている……。
私はまるでわけがわからない。が、わからないながらも、何か大変なことがあったんだわ、ととにかくなだめて話を聞く。
「突然ごめんなさい、でもどうしてもいまひとりでいられなくて……。わあああ」
恋人に別れると言われた、どうしたらいいのかわからない、ひとりでいたら何をするかわからなくて不安だから朝まで一緒にいてほしい、ということだった。

死んでしまいたいと思うくらいの失恋を経験したことがある人は世の中にいくらでもいる。それでも、多くの人は深夜に隣家のチャイムを押したりはしない。誰でもいいからそばにいて、と思っても、「他人にそんな迷惑はかけられない」「みっともない姿は見せたくない」という思いがブレーキをかけるものだ。
自制心というものを失っている彼女には怖さ、不気味さを感じた。言っていることが本当かどうかわからない、部屋に上がったとたんバスルームから男が飛び出してきて監禁されるんじゃないか、なんてことも頭をかすめた。

でも、もし話が本当だったら……?
つらくてつらくて、藁にもすがる思いで見ず知らずの私に助けを求めてきたのだとしたら。
「わかりました、行きます」
気がつくと、そう答えていた。

* * * * *

「おじゃましまあーす」

わざと明るくドアを開けた私は、もう少しでうわっ!と声をあげそうになった。ポスターサイズに引き伸ばされ、大きな額に入れられた男性の写真が玄関にドカーンと飾られていたのである。
「あの、これ……」
「うん、彼」
しかし、部屋はさらにすごかった。男性の写真が所狭しと飾られ、家具にはプリクラが隙間なく貼られている。

彼女はひたすら話しつづけた。それは、聞けば誰もが「あなた、金ヅルにされてるよ!」と言うであろうと思われる内容だった。
彼女もそれに気づいていないわけではない。しかしそこには愛があると信じており、「こんな生活はつらい。もう耐えられない」と声を震わせながらも、彼を失いたくないと涙を流す。
暴力や浮気を繰り返されても恋人や夫から離れられない女性がいるという話は聞いたことがある。彼女もそういう女性たちと通じる何かを持っているのだろうか……。
訪ねてきたとき、彼女が「振られる」でなく「捨てられる」という言葉を使った理由がわかったような気がした。

「ああしたほうがいい、私ならこうする」といったことは一切言わなかった。
彼女はアドバイスを聞きたくて私を部屋に呼んだわけではない。ただ話を聞いてもらいたかっただけなのだ。それに何を言ったところで、耳には入らなかっただろう。
空が白みかける頃、話すだけ話して彼女の涙がとりあえず乾いたことを見届けて、私は部屋を後にした。


彼女とはその後も廊下やロビーで顔を合わせることが何度かあった。
でも、どうしたのか、どうなったのかについては訊かなかった。あれからもドアのところにふたり分の店屋物の皿が出されているのをよく見かけた。きっと何も変わっていないのだろうと思っていたから。
そしてしばらくして私は実家に戻ることになり、マンションを出た。

それから三年ほどしたある日、梅田を歩いていたら彼女にばったり会った。
「元気でやってるん?」
「うん、あのときはほんとにありがとう」
「その人とはどうなったん?」
「あれからちょっとして別れた。いまはよかったと思ってる」

私はもうひとつ、疑問に思っていたことを訊いてみた。あの夜、どうして見ず知らずの私のところにやってきたのか。
「私は小町さんのこと、知ってたよ。何度かロビーで見かけたことあったから。いつも優しそうな彼と一緒で、なんとなくあの人なら話聞いてくれそうって思って……」

彼女とはそれきりだ。いま彼女の隣りにどんな男性がいるのかわからないけれど、幸せに暮らしてくれていたらいいな。
私の隣りにいるのはいまも、その“優しそうな彼”である。


2005年04月27日(水) 真夜中の訪問者(前編)

早朝に電話がかかってくると「身内に何かあったのか?」とどきりとするものだが、深夜のチャイムというのも負けず劣らず心臓によくない。
数日前のこと。午前零時を回り、そろそろ寝ようかなあと思っていたら、突然“ピンポーン”の音が部屋に鳴り響いた。
こんな時間に知り合いが訪ねてくるわけがない。いったい誰……?

「ハンコお願いしまーす」
「消防署のほうから来ました」
「お宅のテレビの音がうるさい!」

どれであるわけもないとは思うが、しかし他に何があるだろう?夫がいたら出てもらうのだが、あいにく週末まで出張中。しばらく部屋にうずくまって息を殺していたのだけれど、「いるのはわかっているんだ」と言わんばかりにチャイムがしつこく鳴らされる。
いやだ、誰なの、怖い、どうしよう……!
パニックになりかけながらも、一向に止まないこの音こそ近所迷惑になるのではと思った私は、勇気を振り絞ってインターホンに出てみることにした。
わざと怒ったような声で、「はい」。……すると。

「帰ってきたよ〜」

あまりにも能天気な声を聞いて安堵したら、だんだん腹が立ってきた。帰ってくるなら電話くらいしてよ!と思わず声を荒げたら、「突然帰ってきちゃまずいことでもあるのー?」と夫。
そりゃあ慌てて玄関の靴を隠したり、便座を下ろしたりしなくてはならないようなことはないけれど、こんな時間にチャイムが鳴ったらびっくりするでしょうが。おかげで寿命が三日縮んだわっ。
とぷりぷりして言いながら、思い出した出来事がひとつ。


七年ほど前、ワンルームマンションでひとり暮らしをしていたときの話だ。
いまにも日付が変わらんとする時刻に仕事から帰宅すると、五分と経たぬうちにチャイムが鳴った。
ドアの覗き穴で見ると若い女性が立っている。誰?こんな時間に何の用?恐る恐るインターホンに出た。
すると、消え入りそうな声で「あの、ちょっと出てきてもらえませんか……」と返ってきた。

「どちらさまですか?」
「ちょっと出てきてください、お願いします……」

全身に鳥肌が立った。だって想像してみてほしい。深夜に見知らぬ女性がまるで自分の帰宅を待ちかまえていたかのようなタイミングで家にやってきて、おもてに出てきてくれと繰り返すのである。
ここでぱっと思い浮かぶのは「自分が誰かの恋人を奪い、その彼女が乗り込んできた」というシチュエーションだが、幸い身に覚えはない。
少し強気になった私は不信感をあらわにして、もう一度名を尋ねた。すると彼女はようやく「五〇三号室に住む者です」と名乗り、あら、お向かいさんだったのとちょっぴり安堵した。
……のも束の間、インターホンの向こうから嗚咽が聞こえてきたからびっくり。

私の言い方、そんなにきつかったかと慌ててドアを開けると、真っ赤に泣きはらした目をした同じくらいの年の女性が立っていた。
隣人とはいえ、顔を見たこともなければ口をきいたこともない。訪ねてきた理由が想像できず、「こんばんは」と言ったきり二の句を継げないでいると、彼女は声をあげて泣きはじめた。そして、初対面の私に絞りだすように言った。

「わ、わたし、いまひとりでいられなくて、誰かに一緒にいてほしくて……。私の部屋に来てもらえませんか、お願いします、お願いします」 (つづく


2005年04月25日(月) 「大丈夫」が口癖のあなたへ

「僕はかなり涙もろいです」というカミングアウトに加え、突然箸を持つ手を止め、ごはんがおいしいと目を潤ませる夫やゲームのエンディングで号泣する恋人を持つ女性からもメールをいただいた。
世の中には私が思うよりもずっと多くの「涙する男」がおられるようだ。

言われてみれば、前回のテキストを書くきっかけになったのは、日記書きの友人から「別れ話を持ちかけながら泣く男」の話を聞いたことだった。
彼女は過去に三度、「ほかに好きな女性ができた」という理由で振られたことがあるそうだが、三人ともが別れてくれと言いながら彼女の前で泣いたという。それも、新しい相手とすでに付き合うところまで話が進んでいながら、である。その記憶が突然よみがえったのだろうか、彼女は「泣くな!泣きたいのはこっちじゃい」とぷりぷりしながら書いていた。
そういえば、何日か前の新聞に載っていた若い女性の人生相談の中にも「浮気が発覚するたびに大泣きして謝る恋人」が登場していたっけ・・・。
「男の涙」は私のまわりには決してありふれたものではなかったけれど、こうして見ると、あるところにはあるんだなあと思えてくる。

世間の意識は「男が人前で泣くのは恥だ」から、「男だって感情表現豊かなほうが人間らしくて好ましい」に変わってきているから、男性もずいぶん感情を表しやすくなったのだろう。
父親が家長だった時代は立場的に子どもの前で涙するわけにはいかなかっただろうが、現代のお父さんにはそれは不可能ではないし、不自然でもない。最近は娘の結婚式で号泣するのは男親のほうだ、なんて話も聞く。「地震、雷、火事、親父」と言われたのはすっかり過去の話だ。
もっとも、いまの父親は威厳を「失った」というより、自ら「手放した」のだと思うけれど。少し前に「友達親子」というテキストを書いたが、家庭内での立ち位置や役割が変化したのは母親だけではない。人々の中の「父親たるもの」もずいぶん変わった。


それでも、メールを読んでいると「いい年してみっともないという気がして」「家族や恋人の前でも照れくさくて」泣けないという男性は少なくないという印象を受けた。
涙を我慢するのはすでに癖になっているから、いまになって泣いてもいいよと言われてもハイ、そうですかとはいかないのかもしれない。
「感情を抑えなくてはならないのはけっこうつらい」と書いておられる方もおり、たしかにそうだろうなと思う。女性にとってなにがなんでも涙を見せるわけにいかないのは仕事場くらいのものだが、そこかしこがそうだとしたら。そのプレッシャーと不便さはかなりのものであるに違いない。

・・・だけれど。そんなふうに踏ん張ってしまう男性が、私は好きだ。
悲しければ泣いたらいいし、苦しいときはつらい顔をしたらいい。愚痴をこぼすのだってありだ。男だからといっていつでも誰の前でも強くあらねばならないなんてことはない。ときにはプライドを捨てて自分をさらけだす勇気を持てる人のほうが実は強いのではないか、とさえ思う。
しかしそれでも、究極までひとりで堪えてしまう人と、そんな人の中から不覚にもこぼれてしまった涙や弱音をたまらなくいとおしく思う私がいる。

もっとも、悲しい思い出もなかったわけではないけれど・・・。
最後の電話で彼が絞りだすように言った「そばにおってほしかった」を思い出すと、十年経ったいまでも胸がきゅっとなる。いざというときは、そのときは、ちゃんと私を頼ってね、を伝えられていなかったんじゃないのかと自分を責めた。
休みが合わないだとか遠距離だとか。週末ごとに会えるふたりでないならば、「寂しい」「会いたい」はどうか隠さず彼女に伝えてあげて。
素直になることは、本当はかっこわるいことでも恥ずかしいことでもちっともないのだから。


2005年04月22日(金) 「大の男」の涙

男性がラーメンにすりおろしにんにくをどっさり入れるのを見たとき、お好み焼きに青海苔をためらいなく振りかけるのを見たとき、「男の人っていいなあ」とちょっぴり思う。
彼らはそのにんにくなり青海苔なりの入った容器をハイとこちらに回してくれる。それがさも当然という感じなので、私は受け取りながら一瞬迷う。

「今日はかけてみようかな?」

でも、結局いつも蓋を取ることのないままそれをテーブルの上に戻す。
「そんなの気にしなくていいのに」と言われても、にんにくくさい息や歯についた青海苔はやっぱりどうしても恥ずかしい。

* * * * *

一方、女のほうが得をしているなと思っていることもある。
たいていの場面では、女性は泣いても“女々しい”とは思われない。つまり、ほぼ好きなときに自由に泣くことができることだ。
読売新聞が管理する女性向けサイト「大手小町」の掲示板の中に、こんなトピックを見つけた。

先日彼の誕生日だったので、「おめでとう」とメッセージを入れたケーキを持ってアパートを訪ねたら、「今まで生きてきてこんなに感動した誕生日はなかった……」と泣かれてしまいました。
こんなに喜ぶのなら毎年ケーキあげますけど、泣くほどの事かなーって思いますよね?彼、三十六歳なんですよ?高級時計も車も何でも買える人がケーキに泣く?
実は精神的に弱い人なのでしょうか?結婚も考えているので気になります。男心のわからない私に教えてください。


「こんなに喜ぶのなら毎年ケーキあげますけど」という言い方や「高級時計も車も買える人なのに」という発想に、この女性は情の機微にちょっと疎い人なのかな?という印象を持ったものの、しかしもしこれが立場が逆、つまりケーキをもらって泣いたのが女性だったら、このようなトピックは立たなかっただろう。
その涙もろさは「かわいい」とプラスに評価されこそすれ、「精神的に弱いのか?」なんて相手に考え込まれることはなかったはずだ。

「男はそうめったに泣くもんじゃない」
これはおそらく女性からの一方的な要求や偏見ではない。そう思っている男性もかなり多いのではないかと私は踏んでいる。
というのは、私は男性が泣いているところをほとんど見たことがないからだ。実家の父も夫も冠婚葬祭のシーン以外では涙を見せない。過去にお付き合いした男性にもドラマや映画を見ながら鼻をぐすぐす言わせたり、別れ話をしている最中にハンカチが必要になったりした人はいなかった。
子どもの頃、私が周囲の大人から「女の子なんだからお行儀よくしなさい」的なことを何度となく言われたように、男性は「泣いちゃだめ、男の子でしょ」と言われながら育つのかもしれない。そして、自然と「男が人前で泣くのは恥。そんな姿は人には見せまい」と思うようになるのではないだろうか。

「大の男がケーキで泣くか?」のトピックに、こんなコメントがついていた。

「男だって泣きたいことはいっぱいある。でも、『男は泣かない』という女性からの期待(圧力とも言う)で泣けないもんなんだよ。理解してください」

最近、男性のそういう部分を不憫に思ったことがあった。今月初めに夫の祖母が亡くなったのだが、湯灌が終わりに近づいたとき、息子のひとりが突然おいおいと声をあげて泣きだした。堪えて堪えてしていたものがついに堰を切って流れ出した、という感じだった。
私はそのとき、「男の人っていうのは、親が亡くなっても人目をはばからず泣くこともできないんだな……」と悲しく思ったのだった。


さて、上記のトピックがどうなったかというと。
「男は泣いてはいけないなんて男女差別です」
「無感動で泣かない男の方が精神的に強いと本気で思ってるの?」
「感激して泣けるなんて心豊かな男性じゃないですか。あなたは情がわからない人ですね」
といった、発言主の女性に批判的な意見が相次いだ。不思議はない、いまの時代、年配者ならいざ知らず私と同年代で「男はどんなときも泣いちゃいけない」「恋人の前で涙を見せるなんて男らしくない」と考えている人はそうはいまい。
多勢に無勢という感じで、この女性はどう出るんだろう……とどきどきしながら読み進めたところ、初投稿から二週間後の日付で彼女からこんなコメントがついていた。

昨日、プロポーズを受けました。その言葉の中で、彼が今回の事をこう言っていました。
「競争ばかりの社会の中で人間不信になりそうだった。お前みたいに平和そうな顔して、計算なく過ごせたらどんなにいいか。ケーキありがとうな。俺、ケーキひとつ持って玄関にニコニコして立ってたお前見てたら泣けてきて・・・」
【大の男がケーキで泣くか?】なんてトピックを立てたことが、いまとても恥ずかしいです。彼に申し訳ない。消しゴムで消せるものなら消したいです。
反省することができたのも皆さんのおかげです。本当にありがとう。


「三十六の男がケーキで泣く?」と発言したときのかわいげのなさはどこにもない。みなもそう思ったのだろう、掲示板の雰囲気は和み、以降は「おめでとう!」「お幸せに」という祝福のコメントが続いていた。

「この人、トピック立ててほんとによかったなあ……」

そうつぶやきながら、ほろり。
言い忘れていたが、私はかなり、涙もろい。


2005年04月20日(水) 「いい経験になった」だけでは(後編)

※ 前編はこちら

「裁判官は世間知らずだ」とはしばしば言われることである。
実際にそうなのかどうかは私にはわからない。しかし、勉強に明け暮れる学生時代を送り、会社勤めの経験もなく、“法の番人”として生きると決めてからは社交関係まで限定されるのだから、中にはそういう裁判官がいても不思議はないとは思う。
ビートたけしさんが常識外れの裁判官が多いのは社会経験がないからだとして、「いっそのこと、裁判官と弁護士と検事をぐるぐるローテーションで回すっていうのはどうだ。弁護士や検事をやってる時には酒も飲みに行けるし、世間の風にも当たれる」とエッセイに書いていたけれど、判決に対し「市民の感覚とかけ離れている」という批判がたびたび起こることを思えば、あながちふざけた話ではないかもしれない。
司法に対する国民の信頼をより高めるためには、たけしさんの言葉を借りれば「下々のことなんかわかってやしないからね」と人々が思っている部分をなんとかする必要があるだろう。

しかし、である。だからといって、“社会経験豊富な庶民”が下す判断は“社会経験に乏しく官僚的な裁判官”が下すそれより信頼できるものである、と言えるのだろうか。
司法の場において、民意は反映されさえすればよいというものではないはずだ。それは公正な判断でなくてはならないからこそ、「すべての裁判官は、その良心に従い、憲法と法律にのみ拘束される」と憲法で定められているのだ。
しかし、選挙人名簿から無作為抽出された人間に“公正な裁き”が可能なのだろうか。

裁判所から呼び出し状が届くまでのあいだに、私たちは容疑者が真犯人であることを前提とした事件報道をさんざん目にしているに違いない。それでも「現時点ではシロなのだ」と意識を切り替えて、彼を見ることができるだろうか。
「これを飲めば痩せる、あれを食べれば花粉症に効く」とみのもんたがしゃべれば、夕方スーパーの棚は空っぽになる。「鵜呑み」という言葉を思い浮かべる瞬間であるが、そういう影響されやすい人が裁判員になったら、弁護士の巧みな弁論に惑わされる可能性も十分考えられるのではないか。

いや、それでもまだ、提示された証拠や証言を吟味すれば有罪か無罪かは見えてくるかもしれない。
しかし、量刑の判断はどうだろう。これまで罪は法によってのみ裁かれねばならないとされてきた。が、法を知らぬ私たちにはそれができない。では、なにをもって裁くのか。
「市民の感覚」?
それはそんなにあてになるものなのだろうか。

公正な裁きを行うためには、個人的な感情や価値観を排除することが前提であると思ってきた。現行の裁判制度が裁判員制度に移行してもその部分は変わらない、どんなに被害者やその家族に同情しても、彼らの心情を汲んで刑を重くすることはできないのだ、と。
しかし、私情をはさまずに物事を判断するというのがどれほど難しいことであるか。しかも、裁判員制度の対象となるのは身代金目的の誘拐事件や放火殺人事件といった重大犯罪なのである。裁判員が被害者側に感情移入してしまい、冷静かつ理論的に考察することが困難な状況になることもおおいにありうる。
そんな中で、罪と罰の均衡について素人が判断することができるのだろうか。市民の感覚を生かすことができるとしたら、重大な刑事事件ではなく、たとえば国を相手取った訴訟事件や行政事件のような民事裁判でではないだろうか。
それとも、裁判員に「感情に流されない」とか「罪を憎んで人を憎まず」といったことははなから期待されていないのか……?

この制度があるべき姿で機能するかしないかは、裁判員に選ばれた人たちの資質にかかっている。しかし、どの程度のレベルを求められているのかが私にはわからない。
わかっているのは、法で裁かれるのと感情で裁かれるのとであれば、自分なら後者のほうが恐ろしいということくらいだ。


自分は七割の側だなんだと言ったところで、裁判員制度は四年以内に導入される。そして、国民が司法参加することの意義については私も理解している。
となれば、身の回りのことに関心を持ち、自分の考えを持ち、それを表明する訓練をするしかない。「私もみなさんの意見と同じです……」なんてもじもじしていたのでは務めが果たせないどころか、後々とまで罪悪感に苛まれなくてはならない。
そう思うと、この日記書きという趣味はいくらかは役に立っているのかもしれない。


2005年04月18日(月) 「いい経験になった」だけでは(前編)

十六日、裁判員制度に関する内閣府の世論調査結果が発表された。
裁判員制度が始まることは71.5%の人が「知っている」と答えたが、「裁判員として刑事裁判に参加したいと思うか」には70.0%の人が「参加したくない」「あまり参加したくない」と消極姿勢を示した。参加したくない理由(複数回答)では「有罪・無罪の判断が難しい」(46.5%)と「人を裁くのは嫌」(46.4%)が上位を占めた------という内容である。

これを伝える読売新聞の記事に、「昨年五月に弊社が行った世論調査でも七割が『参加したくない』と答えており、制度に対する国民の理解が一向に進んでいない実態が浮き彫りになった」とあるのを読み、そうだろうなと頷いた私。
だって、私のまわりがそうだもの。
友人の中には志願した人の中から選ばれるのだと思っていたのもいれば、制度の導入自体を知らなかったのもいる。
六十七人にひとりが生涯で一度は経験することになるんだよと言ったら、即座に「そんなん断るわ。そんなことで仕事休めるわけないやん」と返ってきた。彼女にとって、それは“そんなこと”なのだ。
職場の同僚は審理のために休んだ日数分の給料はどうなるのかと言った。休業補償はない、有給休暇扱いにしてくれる会社もまずないだろうと答えると、いともあっさり「じゃあ働いてる人は無理やん」。

私の周囲を見る限りでは、裁判員が国民の義務であるという意識が浸透しているとはとても思えない。


二〇〇九年までに実施されることはすでに決まっている。呼び出し状が届けば否も応もないことを承知の上で言うと、私は七割の側の人間である。
そもそも、それが「市民が裁判に参加することで一般常識にかなった判断がなされ、裁判制度に対する社会の信頼がより深まる」というねらいに応えるものになるかどうかについてかなり懐疑的なのだ。
最大の理由は、この日本にその資質のある人が無作為抽出が可能なほど大勢いるとは思えないから。

八日付けの新聞にこんな投書が載っていた。

「裁判員制度」にもっと関心を! (無職・74歳男性)

 「裁判員制度」は早晩実施されるであろうが、種々の世論調査の結果などから感じられることは、もし仮に自分が選ばれたらどうしようかと、一歩腰の引けた意見の人が多いように思う。その主な理由は、素人の裁判員が判決に加わったような裁判では、裁判を受ける側としては納得がいかない――のようだが、検察審査員を経験したことのある私はそうは思わない。
 七年前のある日「この度検察審査員に選ばれました」という一通の文書が突然舞い込んだ。委嘱状を手に一抹の不安と緊張した当時のことを今も鮮明に覚えている。それにしても、法律の予備知識などまったくない自分に、こんな大役が果たして務まるだろうか。言葉では言い尽くせない不安は確かにあった。
 しかし大変いい経験、勉強になった。「裁判員制度」には人一倍強い関心がある。なれるものなら経験したい、とまで思っている。

検察審査員・・・検察官が不起訴処分にした事件について、それが妥当な判断であるかどうかを市民の常識で判断する。やはり有権者の中から無作為に選ばれる。



これを読み、こういう人が裁判員になるべきだろうと思った。「勘弁してくれよ、なんで俺がこんなこと」「早く終わらないかな、子どもを迎えに行かなきゃ」なんてことで頭がいっぱいの人が選ばれたら、目指すところの裁判など実現するわけがない。
が、その一方でこんな疑問も抱いた。
「『いい勉強になった』と思えることはすばらしい。だけど、裁判員は意欲さえあれば務まるというものでもないのではないか」

裁判員は法定刑に死刑か無期懲役を含む重大な刑事事件について有罪か無罪か、刑罰の内容を判断しなくてはならない。
その方法は裁判官三人と裁判員六人による多数決。つまり一票の重さがプロの裁判官のそれとまったく同等であるということ。これはものすごい重責である。

それが貴重な経験になるであろうことは間違いない。しかし、そのことと裁判員としての役割を果たせたかどうかは別であろう。
裁く側が「勉強になった」と満足感を持てるのは意義のあることではあるが、人ひとりの人生、場合によっては命がかかった裁判は誰かの“人生の肥やし”になるために存在するわけではない。その職務には当然、求められるものがあるはずだ。

「『参加することに意義がある』ではないだろう」
と思うとき、私はこの空恐ろしくなるほどの大役を務められる人がいったいどれほどいるだろうと考えずにいられない。 (つづく


2005年04月15日(金) 大阪のだいぶ右が、東京

人には得手不得手というものがある。
仲良しの同僚はカタカナが大の苦手。海外の小説は登場人物の名が記憶できないから読めないし、パソコン用語になるとお手上げだ。昨日今日使いはじめたわけではもちろんないのに、いまだにDeleteキーを「ディレート」と呼び、「ブラウザ」が覚えられない。

私の夫は女性の顔が同じに見えるという不思議な目の持ち主だ。キリン生茶の新しいCFを見ながら、「このおねえさん、誰?」と言う。松嶋菜々子でしょうがと答えたら、「あれ、こんな顔だったっけ」。
上戸彩と小西真奈美の見分けがつかない。木村佳乃と矢田亜希子が判別できない。外国人は似たような顔に見えるが、それと同じ感覚らしい。
・・・ん?
ということはもしかしたら彼の目に妻が菜々子に映っている、なんてことも・・・うししし(ありえません)。

* * * * *

「人がなんなくこなしているのに、自分にはどうしてもできないこと」は私にもある。
わかぎゑふさんのエッセイに、友人に「大阪のだいぶ右が東京やんね?」と言われびっくりしたという話があったが、私もその女性とまったく同じだ。
東西南北を使わない。自分がいるところから見て、その場所は地図的に上か下か右か左か。そう、私は極度の方向音痴である。

昨夏、スイスをレンタカーで回ったときのこと。運転を一手に引き受ける夫の役に立とうと、けなげな妻はナビを買ってでた。
・・・のであるが。

「ジュネーヴ、ジュネーヴ・・・」
「西の方角にあるはずだよ」
「西ってことは、左やね」

しかし、地図を穴が空くほど眺めてもジュネーヴのジの字も見つからない。そこで「これには載っていない」という結論を下したところ、
「名古屋が載ってない日本地図がある?」
と道路マップを取り上げられてしまった。探す気がないものと見なされたらしい。

こんな私は路線図から駅を探し出すのもものすごく下手。異常に時間がかかる。
東京の地下鉄のそれなどあまりに複雑なため、じいっと見ていると目が寄ってくる。以前、浅草寺に行こうとして十五分くらい路線図とにらめっこをしたことがあるのだけれど、「浅草」を見つけられなくて切符を買えずにいるということを行き交う人に見破られたくなくて、私は切符売場の柱の前で人待ち顔をしつつ目を皿のようにして探すという芸をしなくてはならなかった。


体内磁石を持っているのは渡り鳥や回遊魚だけではないらしい。それは人間にもちゃんと内蔵されており、「こっちに行けば海に出る」「北はあっちだ」が直感でわかるようになっているという。
たしかに、旅先で道に迷ったとき、友人が「ええと、南はこっちだから・・・」とさらりと言うのを聞いて驚嘆することがある。なぜそんなことがわかる、太陽や星の位置で方角を確かめたのかっ?
店から出てもと来た道を戻ろうとして、一緒にいる人に「ちょっと!どこ行く気?」と呼び止められる私とは大違いだ。私の中には方位磁石がないか、狂っていて使いものにならないかであることは間違いない。

カラオケの最中にトイレに立つと部屋に戻れない。大きな駐車場では車にたどり着けない。友人は私が「ほら、そこの角のコンビニにさ」なんて言いながら指差す方向にその建物があったことは一度もないと証言する。
職場のある階に上がるには向かう合うエレベーターのどちらかを利用する。Aに乗れば降りて右方向に、Bに乗れば左方向に進まなくてはならないわけだが、もう二年以上毎日通っているというのに勢いよく歩き出したら目の前は壁だった、ということがいまだにある。そのたび私はそこに置いてあるゴミ箱に用事があったのよという振りをしなくてはならない。
そのため、満員のエレベーターで自分が一番手前に乗っているときは「右か?それとも左か?」とものすごく緊張するのだ。


一時流行った『話を聞かない男、地図を読めない女』によると、地図を読んだり方角を捉えたりするには「空間能力」が必要なのだそうだ。
対象物の形や大きさ、空間に占める割合、動きや配置などを思い浮かべ、それを回転させたり、立体的に見たり。すなわち三次元的にものを見る能力のことであるが、これをつかさどる脳の部分は女より男のほうが圧倒的に発達しているらしい。
太古の昔から、男は獲物を追いながら距離を目算したり、どんなに遠くにいても家のある方角を察知し帰り着かなくてはならなかった。その、狩人としての進化の名残だという。

空間能力の欠如。つまり私は典型的な女脳の持ち主ということになる。
先日、いつも利用している駅の南口ではなく北口からホームにあがったら、逆方向の電車に乗ってしまった。車内アナウンスを聞いてはじめて気づいた私。
「きっとそれだけ女性らしいってことなのね・・・」
とつぶやき、自分をなぐさめる。その日、帰宅が二十分遅れた。


2005年04月09日(土) またひとつかしこくなりました。

日記に面白い感想をいただくと「追記」を書きたくなるのだけれど、今日がそんな日。土曜に更新するなんて何年ぶりかしらん?
というわけで、前回のテキスト「子どもの性教育はいつから?」にいただいたメールの中からいくつかをご紹介。本日は週末バージョンということで、気楽に行きましょー。

まず、「小学校での性教育」について。
全メール(二十三通)のうち、これに触れていたのは十六通。十代後半から四十代前半、つまり小学時代が十年前の方から三十数年前の方までいらしたのだけれど、大半が「性教育と呼べるようなものはほとんどなかった」という内容でした。中には、

小学五年生くらいの時でしょうか。精子と卵子がどうとか、避妊がどうとか、マスターベーションについてもビデオで見せられました。また僕の彼女は三つ下なのですが、もっと詳しい事を学校で習ったと言っています。男子はコンドームを貰って帰ったとか。 (二十代前半・男性)


というように、十数年前でもかなり突っ込んだことを教えていた学校もあったようですが、コメントの多くは「性教育といえば、五年生のときの初潮についての説明のみ。女子限定」「女子が集められた理由を男子は知らされない。その時間、男子は娯楽物のビデオを見たりドッジボールをしたりしていた」という点が共通していましたね。
では、いまの小学校のそれはどんな感じかというと。

一年生から六年生まで性教育のカリキュラムが組まれており、年代ごとにここまで、というのを決めて教えているようです。何度か授業参観の時に目にすることがありましたが、一年生では男女の身体の違い、性器を清潔にして大切にすること、などを教えていたような気がします。 (四十代前半・女性)


「性器の名称は一年生から登場」、初潮教育は「二年生か三年生で、男女一緒に」という回答が多かったです。教室に戻っても男子に資料を見せないように、と言われた私の時代とはずいぶん変わっているなあ・・・という印象。

初潮といえば、「そのときお祝いされたか」について。
「赤飯やケーキでお祝いされた」が五人、「なにもなかった」が九人でしたが、前者の方がみなそれを喜んだというわけではないようです。

お赤飯炊かれてしまいました・・・。ちょうど母の誕生日だったのでうまくごまかしてくれるかと思ったらちらっとばらされて、顔から火が出そうでしたね。ものすごく嫌でした。 (年齢不明・女性)


このお題で盛り上がっていた掲示板(こちら)の中にも、「言わないで!と頼んだのに父や兄に話した母を恨みました」という投稿がいくつかあったし、どちらかといえば「恥ずかしいからお祝いなんていらない」という人のほうが多いようです。
まあ、無理もないと思います。喜ばしいことなんだ、隠すようなことじゃないと頭ではわかっていても、多感な年頃ですから。
ところで面白かったのは、その“お祝い”の食卓がちっとも賑やかでなく、むしろ普段にはない緊迫した空気に包まれていた、というコメント。みなぎこちなく、黙々と食べたそうな。また、

まだ教えるのは早いだろうということで、母が弟には「お姉ちゃんのお祝い」としか説明しなかったので、ケーキを頬張りながら「何のお祝いなのー!?」とずっと叫んでいたのを覚えています。 (四十代前半・女性)


というものも。母は「あんたはまだ知らんでええ」と弟にはなんのお祝いか教えない、弟は気になるから父や兄に訊くのだけれど答えてもらえない、お姉ちゃん本人は恥ずかしくてうつむいたまま・・・。想像したら可笑しくてふきだしてしまいました。
そうそう、気まずい雰囲気と言えば、テレビでエッチなシーンが流れると容赦なく消された記憶をお持ちの方もけっこういらしたなあ。

キューティーハニーが大好きで見てたらお袋に怒られたもんなぁ・・・。「こんなヤラシイもん見たらアカン!」って消されたし(涙)まー隠れて見てたけど(爆) (三十代前半・男性)


なんちゅう子どもらしい子どもや!
・・・という感想は置いといて。たしかにあれは子どもの目にかなり刺激的でしたね。そのときの名残か、私は「豪」という名前の男性がいるとつい「エッチそう・・・」と思ってしまいます。

最後に、「必要な知識をどうやって身につけたか」について。

小・中学校時代は性教育の機会なんて全く無くて。その代わり性教育の先生は、回されまくってボロボロのエロ本と夜のラジオとエロい友達だった(笑)今思えば戦後のヤミ市みたいに結構草の根的に上手くいってた様な気がするなぁ。 (三十代前半・男性)


疑問はほとんど本から学びましたよー。父が買ってた雑誌(間にヌード写真があったり、ちょっとやらしい漫画がついてたりする)を盗み見したり。わはは。あと、女子校だったのでエロ本は飛びまくってました。誰かが買ったものをみんなでまわし読みですね。 (二十代後半・女性)


“大人の階段の〜ぼる〜♪”のプロセスは男も女も同じなのね。私もやっぱり友人と付き合った男の子からだったし(でも本ではなかったな)。
それにしても、「女子校だったので」となっているところがスゴイ。ここには「のに」が使われるべきなのではないのですかああっ。
こういう話を聞くと、女子校の凄まじさに関する噂(夏は授業中にスカートをまくって下敷きでパタパタ、とか・・・)が真実味を帯びてきますなあ。


コメントをお寄せくださった方々、ありがとうございました。またひとつかしこくなりました。
今日は全国的に晴れのところが多いようです。桜も満開。みなさま、どうぞ楽しい週末を。


2005年04月07日(木) 子どもの性教育はいつから?(後編)

前編中編から読んでね。

その時期から性教育をはじめる理由について、学校から親たちに説明はあるものなのだろうか。
「小学二年生の子にそこまで教える必要がどこにあるわけ?」と憤慨している同僚(前編参照)に尋ねたところ、首を振りながら言った。
「そういうことに関心を持つ年齢が低くなってきてるから早いほうがいいって話やろ」
うーむ。いくらいまどきの子が早熟だからといって、さすがに一年生や二年生には無用の知識ではないだろうか。

週末に夫の祖母が亡くなり、月曜はお葬式だった。大人たちが準備にてんやわんやしている横で、義弟の息子ふたりが会場を駆け回って遊んでいる。
その様子を見ながら考えた。上の子はこの春からピカピカの一年生であるが、自分をかわいがってくれた人の死もまだぴんときていないようだ。そんな子どもがたった一年やそこいらで「生命の誕生」を理解できるようになるものだろうか。

「おばあちゃんの顔、よう見ときや。会えるのは今日が最後なんやで」
声をかけると、四歳の弟が言った。
「おばあちゃん、どこ行くの?」
天国だよ、と答えようとしたとき、兄のほうが言った。
「お星様になるんだよ!」

これを聞いて思った。この子に「ペニス」だの「卵子」だのといった言葉を用いなければ説明できないほどの情報を与えて、何がどれだけ伝わるだろう?

前編の中で、「小学一年向け『性教育副読本』こんな物凄い中身でいいの」というタイトルで大阪府・吹田市教育委員会が発行している性教育副読本の内容を紹介していた『週刊文春』の記事について触れたが、まさにその吹田市にお住まいの女性からメールをいただいた。
仕事から帰宅したら、小学五年生の娘が飛んできた。部屋にバンドエイドの空箱が転がっており、机の上にはその剥離紙が山盛り。どこをケガしたの!?と慌てたら、「お尻の血が止まらない」とわんわん泣きながら言ったそうだ。

その女の子が通う小学校では初潮教育は二年生で男女合同で行われる。彼女もすでに受けていたわけだが、それから三年近く経っていたため聞いた話をすっかり忘れていたのである。
いや、もともと理解していなかった可能性もある。前出の同僚が言う。
「息子がさ、『お父さんとお母さんは二回セックスしたんやろ』って言うんよ」
「二回?」
「ふたり兄弟やから」

その情報が子どもにとって大切なものであればあるほど、どの時期に何をどれだけ与えるかには慎重にならなくてはならない。予防的な意味合いで実施する性教育であるならなおさらである。事実だから、いずれ知ることだから早めに本当のことを話してやったほうがよい、とは一概に言えないと思う。
「性に対していやらしいこと、恥ずかしいことという感覚を持つ前に」というねらいはわかる。が、それでも、拾い覚えでおかしな知識をつけてしまうリスクを考えると、もう少し彼らの“必要”に迫るまで待って教える、で何か大きな不都合があるだろうかと思う。そのタイミングが小学何年生なのか、あるいは中学生になってからなのかはわからないけれど。

いただいたメールの中に、「赤ちゃんはどこからくるの?」「どうやって生まれるの?」と訊かれたがどう答えたらよいのかわからず、あるいはその年で教えてよいものか判断がつかず、モゴモゴ言って逃げてしまった……という内容のものがいくつかあった。
私も好奇心の強い子どもだったから、母を困らせたことがあったかもしれない、と思わず笑ってしまった。
子どもだからとごまかすのはよくない、とおっしゃる向きもあるだろうが、私は「コウノトリが運んでくるの」「ふうん」「おなかから出てくるんだよ」「へええ」の時期を経て本当のことを知る、これもまたサンタクロースを信じさせるのと似て、夢があってよいのではないかなあ?と思っている。


……とはいうものの。
二十年前の子どもといまの子どもとでは取り巻く環境が違うから、自分たちの頃のことを基準にして悠長なことを言ってはいられないという事情があるのもわかる。

私が育ったのは性的な話題は一切出ない家だった。それどころか、両親は私に付き合っている人がいるのかどうかさえ尋ねなかった。心配していなかったわけでも、無関心だったわけでもない。父も母も照れくさかったのだ。
そして私もかなりの恥ずかしがり屋である。しかしもしこの先親になることがあったら、道徳的なことはきちんと教えたいし、彼や彼女を家に連れておいでとも言おう。どこへ行くの?と訊いたとき、彼らがためらいなく「デート」と答えられる程度にはオープンな家庭にしたいなあと思う。
それも「子どもを守る」に通ずる、これからの親には重要な務めのひとつだろうから。


2005年04月05日(火) 子どもの性教育はいつから?(中編)

※ 前編はこちら

二十数年前の、自分のときのことを思い出してみる。
私が小学校で性教育と呼ばれるものを受けたのはただ一度。五年生のある日、女の子だけが視聴覚室に集められ、月経に関するスライドを見せられたときである。
そして私たちはそれを見終わった後、保健の先生からこんな注意を受けた。

「いま配った冊子は男子には見せないように」

たしかにこれは、子どもたちに「それは恥ずかしいことなんだ、隠さねばならないんだ」という意識を植えつけかねない発言だ。いまは小学一年生から性教育を始める学校があるご時世だから、こんなことは言われないのだろう。が、たとえそれがおかしなことだとしても当時はそういう時代だった。
(男の子にいたっては、小学校での性教育はまったくなかったのではないかと思う。それとも、私たちが適当な名目でひそやかに集められたのと同じように、彼らにも女の子の知らないところでそういう機会が与えられていたのだろうか)

同世代の女性に聞いても状況にたいして違いはなく、学校だけでなく家庭でも性教育なるものはほとんどされなかったという人が少なくない。友人は初潮が来た日、母親からナプキンを渡されたが、「これを使いなさい」以上の説明がなかったため、何の疑いも持たずシールの面を体側に向けて装着していたという。
もちろん、ここまで放ったらかしの家庭はめずらしい。しかしながら、私自身もこのとき以外に母から何かを教えられたという記憶はない。
テレビでセックスシーンが出てくると、母はおもむろにチャンネルを変えた。父親の口から卑猥な冗談が飛び出すなんてこともまったくなかった。仲の良い家族だったが、性に関することをオープンに話すような雰囲気の家庭ではなかった。


しかしながら、そのために私が困ったり悩んだりしたことはない。それどころか、助かったとさえ思っている。
家庭で性の話をするということは、家族に自分の中の“女”をアピールすることであり、同時に親の中に「男」や「女」を見ることでもある。私はとにかくそれに拒否反応があったのだ。
兄か弟しかいない男性はご存知ないかもしれないが、女の子がいる家では娘が初潮を迎えたら、「一人前になった」ということで赤飯を炊いてお祝いするという風習がある。私の家では何もしなかったけれど、逆にそれがありがたかった。もしその日、母が小豆を買ってきていたら、私はなにがなんでも阻止したに違いない。そのことが父に知れるのはぜったいに嫌だった。

また中学生の頃、父が健康診断の問診表の設問に答えているのをなにげなく見ていたら、記入済みの項目の中に「性欲は正常にありますか」というのがあるのを見つけた。
いま思えば、当時四十歳くらいだったわけだからイエスと答えるのは当然なのだが、それまで父に“親”以外の顔があるなんて考えたことがなかったため、嫌悪感とも呼べるくらいのショックを受けたのだった。
だから、友人から「夜中に目を覚ましたら両親の寝室からその“気配”を察してしまい、怒りが湧き起こった」という話を聞いたときもその気持ちがとてもよく理解できた。


こんな私であるから、年頃になり性に関する疑問や悩みができたときも親に話そうとはまったく考えなかった。これがそちら方面の話題が一切出てこない家庭に育ったせいなのか、私の性格のせいなのかはわからない。
しかしいずれにせよ、あるべき親子の姿でなかったというふうには思っていない。好ましいことであるかどうかは別にして、親には言いたがらず友人や男友達に相談して解決を図ろうとする、そのほうがむしろ年頃の娘の心理としては自然なのではないかという気さえしている。 (つづく


2005年04月01日(金) 子どもの性教育はいつから?(前編)

先日、世界の大温泉・スパワールドに行ったときのこと。
「やっぱ日本のお風呂が一番ええわあ」なんて言いながら、友人と渓流露天風呂に浸かっていたら、私よりいくらか年上に見える女性が男の子を連れて入ってきた。その瞬間、私と友人の目が合い、どちらからともなく言った。

「あの男の子って何歳やと思う?」
「私もいま同じこと考えた」

私のまわりには小さな子どもがいないし、彼女は独身である。どちらも子どもの年齢当ては不得意中の不得意であるが、「小学二、三年生ってとこじゃない?」で意見が一致した。
ものすごく発育のよい幼稚園児、なんてこともあるかもしれないけれど、体つきから推測する年齢は女湯に混じっていても何の違和感もないほど幼くはなかった。
彼が母親と一緒に杉の樽風呂に浸かっているのを見ながら、ふと思った。男の子というのはいくつくらいから女の体を意識するようになるのだろう?

「さあねえ。とりあえずあの子はまだやな」
「なんでわかるん」
「女の裸に興味持つようになるってことは、逆に自分も見られるのが恥ずかしいと思うようになるってことやろ?すでに意識してたら女湯なんかよう入らんと思うで」

なるほど、そういうものか。


という話を職場でしたところ、同僚のひとりがため息まじりに言った。
「いまの子どもは心より体より、頭が一番先やからなあ」
彼女は息子が小学二年生のときに突然、「ペニスって知ってる?」「お母さんもセックスしたん?」と言われ、仰天したことがあるそうだ。どこでそんなことを覚えてきたのかと慌てて訊いたら、学校で習ったと答えたという。

「そりゃあいつまでもおしべとめしべじゃあかんとは思うけど、二年生の子にそこまで教える必要あるっ?」

彼女が困惑半分、憤慨半分で言うのを聞きながら思い出したのは、少し前に読んだ『週刊文春』の記事。「小学一年向け『性教育副読本』こんな物凄い中身でいいの」というタイトルで、大阪府・吹田市教育委員会が発行している性教育副読本の内容が紹介されていた。
「お父さんはペニスをお母さんのワギナにくっつけて、せいしが外に出ないようにしてとどけます」
「お母さんのからだの中に入ったせいしはらんしと出会い、ひとつになって新しいいのちができるのです」

なんてストレートなんだ!こんなことを一年生でやるのか、と私はかなり驚いた。
ということは、子どもたちはその時点ですでに「おしべの花粉がめしべにくっついて実ができる」仕組みについて理解しているということなのだろうか。

ここでまたまた思い出したのが、わかぎゑふさんのエッセイ。男友達から聞いたという話だ。
五歳の息子とお風呂に入っていたら、お父さんの病気はいつ治るのかと心配そうに訊かれた。病気?何のことだと思ったら、息子はその可愛い手で父のイチモツをむぎゅと掴み、「これ腐ってるんとちゃうの?だって色ヘンやで」。
「アホ、腐ってないわ」
「ほんなら、傷んでるんの?」
「傷んでもない、大人のオチンチンはこういう色なんや!」
息子の顔が曇る。
「嘘ォ……みんなこんな灰色になるの?」

ええええ、灰色ォォ!?
……あ、いやいや、そういう話ではなくて(べつに何色でもよろしい)。
私が興味深く見るのは、父親のそれを「腐っている」と信じ込んでいたこの男の子が一年経つか経たないかのうちに「男の人と女の人が裸になってペニスとワギナをくっつけると……」を教えられるということだ。 (つづく