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2005年03月30日(水) 投票ボタンを置かない理由

先日は失敗した。
前々回の日記のことである。話の流れで、「心に残ったときだけ押してね」という一言を添えて文末に置いている空メールボタンに毎回メッセージを入れていることを明かしたところ、興味で押す人が続出したのだ。
「あら、よかったじゃないの。いっぱいもらえて」
いやいや、そういう問題ではない。

日記書きにとって読み手からの反応がサイトを継続する力になることは、あらためて言うまでもないだろう。
誰かしらに読まれていることを認識したくてカウンタを、どんなふうに読まれているのかを知りたくて掲示板を設置する。メールフォーム欄に「励みになるので送ってやってください」なんて書いてあるのをよく見かけるが、これはお愛想でもなんでもない、本当にそうなのだ。

しかし、私にはさらにもう一歩突っ込んで知りたい、感じたいと思っていることがある。テキストごとの「手応え」というやつだ。
私にとって出来のいいテキスト、不出来なテキストがあるように、読み手にとっても読み応えのあった日、なかった日が存在するだろう。内訳は共感でも反感でもいいのだ、「素通り」しなかった人がどのくらいいるのか。私はそれが知りたい。
もちろんメールや被文中リンクの数がどっと増えれば、「今日のは興味深く読んでもらえたんだな」とわかる。が、そんなふうに手応えが目に見える形となって表れるのはよほどのときだけである。そんなことは月に一度あるかないかだ。
だから、私は「メールを送ったり自サイトで言及したりするような、そこまで派手なアクションを起こすほどではないけれど、面白く読みましたよ」という程度の手応えも拾いたいなあと思う。

そう考えたとき、空メールボタンが力になってくれるのだ。
「web拍手」というボタンをときどき見かけるが、期待する役割はあれと同じ。読み手がなんの得もないのにわざわざ押してくれた、というところに、ささやかな“評価”を感じることができる。
また、読み応えのあるなしだけでなく、そこに書いたこと、つまり自分の思いや考えがどのくらい普遍性のあるものなのかということを推測する手がかりにもなるので、私は毎回その数を興味深く、まじめに見ている。
冒頭で「失敗した」と言ったのは、メッセージを入れていると明かしたことによって、「どんなものだろう?(ぽちっ)」を誘うことになってしまい、その判定ができなくなったからだ。

……と言ったら、「そういう目的なら、べつに空メールでなくても日記リンク集の投票ボタンでいいんじゃないの?」という声が聞こえてきそうだ。
しかし、それでは代用できないのではないかなあと私は見ている。なぜなら、投票ボタンには空メールボタン以上に書き手に対する情や思惑が反映されやすい気がするからだ。
投票ボタンを押す、押さないの基準は人それぞれだが、私は「人」で押している。そういう一票が書き手の望むものであるかどうかはわからないけれど、その日のテキストがどうだったかというより、その人に「応援している人間がここにいます」を伝えたくて、私は押す。だから更新がなくても、あるいは止まっていても毎日押さずにいられないサイトもある。
うちにそんな思い入れを持ってくれている人がいるとは思えないが、投票ボタンを置けば自動的にランキングが絡んでくるため、義理押しが発生したり、逆にリンク集とは関係のない人たちが押すのに抵抗を感じるようになったりすることは考えられる。
「空メールが届く」ということ以外に私に利がない、そしてその空メールは私にしか価値のないものである、だからこそそこそこの数の人に“参加”してもらえ、かつある程度正確に手応えの大きさを把握することが可能になっている気がする。

それに、こんな心配もなきにしもあらず。
「今日のテキストは受けが悪いだろうな」「この結論はある人たちから反感を買いそうだ」と予想しながらアップすることがちょくちょくあるのだけれど、投票ボタンをつけたとたん、そういうことができなくなったらどうしよう?
「上位目指してガンバルゾー!」となるのはよいが、得票数を意識して書くテーマを選んだり、「この一文は抜いておいたほうが無難だな」なんて考えたりするようになったら、ものすごく困る。サイトの寿命を縮めるのは、「書きたいもの」と「書けるもの」とのギャップなのだ。



長々と書いたけれど、結局なにが言いたかったのかというと。
前々回、前回とふだんの三倍近くの数の空メールが届いているけれど、「押してくれたアナタだけに本文には書けないウラ話をこっそりお教えしちゃいます!」なんてことはまったくないので、今日は面白く読んだよというときにだけ押してもらえるとなおのことうれしい、ありがたい、という図々しいお願いなのでした。


2005年03月28日(月) スケベ格付け

昨日は日記書きの友人三人と梅田で待ち合わせ、午後半日遊んできた。
ひとりとは一年、もうひとりとは半年、もうひとりとは三ヶ月ぶりなのだけれど、毎日のように日記を読んでいるせいか、「再会」というようなおおげさな感じはまるでない。
こういう機会をわりと気軽に持てることは、大阪に住んでいてよかったなあと思うことのひとつだ。私は好きな人とは会ってみたい、一緒にごはんを食べたいと切実に思うので、もし誰と会うことも叶わないような場所に住んでいたら、人のオフレポを指をくわえながら読んではいじけていたのではないかしらん。

飲んでいる最中、うちのひとりの携帯にある男性日記書きさんからメールが入った。彼は四人共通の友人なのだが都合で来られなかったので、代わりにメッセージを送ってくれたのだ。
はいと携帯を渡され、それを読もうとするのであるが、なんせ携帯持たずの私。「わっ、画面が消えた!」「スクロールってどうやるん」ともたもた。そのつどあきれまなこで操作してくれる彼女。
もうひとりが「私の携帯って型古いんよなー」と言いながらバッグから出してきたのを見て「古ないやん、折り畳み式やし」と言ったら、「いまは折れない携帯なんかない」とのこと。
え、そうなの。だって大昔に私が持ってた頃は折り畳み式なんてなかったんだもん。しくしく。

そんなわけで女ばかりの集まりだったのであるが、彼は来ることができなくてラッキーだったかもしれない。
その場にいたら「女性は集まるとこんな話をするのか!」と驚き、あきれ、幻滅した可能性大。つまり会話の大半はアダルトな話だったわけだが、男性には手厳しい内容だったので、耳をふさいでヒーと逃げ出していたのではないかしら……。
あれほどの本音トークは学生時代以来。当時はまだウブでなにも知らない小娘だったから内容も無邪気で可愛げがあったけれど、あれから十年以上経ち、みな経験をもとに話すものだから生々しいの生々しくないのって(私にもささやかながら守るべきイメージというものがあるため、ここに書くことができないのが残念)。

女を三十余年やってきてそうお子ちゃまではないと思っていたのだが、目ならぬ耳から鱗が落ちるような話が続出し、愕然としっぱなしの私はスケベ格付けでは一番下だったと思う。この敗北感はいったいなんだ。


今朝起きたら、表情を変えるのがなんだかだるい。まさかしゃべりすぎ、笑いすぎで顔面の筋肉に乳酸がたまっている、なんてことはないだろうなあ?

昨日家に帰ったら体力を使い果たしていたので今日の日記は休むつもりだったのだけれど、あんまり楽しかったので文字に残さないのももったいような気がし、ひとことだけ書いておいた。
次回からまた通常営業です。


2005年03月25日(金) 果物の皮むきは誰の仕事?

私はテキストの最後に「心に残ったときだけ押してください」という空メールボタンを置いている。それはアドレス不明で届くため私から返事があるわけでもなく、読み手の方にとっては押してもなんの得もないボタンである。
そこで感謝の気持ちを込めて毎回短いメッセージを読めるようにしているのであるが、先日の「男子厨房に入るべし。」のときに入れていたのはこんな文章だった。

「果物を食べたくなったとき、あなたの夫は自分で皮をむく人ですか?それとも、妻にむいてと頼む人ですか?」

以前から疑問に思っていたのだ。実家の父は食事こそ作らないが、食べたくなれば果物の皮は自分でむく。家族の誰かが「私も食べたい」と言えば、一緒にむいてくれる。そのため、私は長いあいだ「果物は食べたい人が自分でむくもの」と信じて疑わなかった。
そういうものでもないのだろうかと思いはじめたのは結婚してからである。夫の実家がいまどきめずらしい「家父長制」の名残を留める家だという話は先のテキストに書いたが、そのせいなのか義母と義妹は実によく気がつく世話好きな人たちだ。テレビを見ている義父や夫、義弟に「リンゴ食べる?」「コーヒー入れようか?」と声をかけ、「そうだな、切ってくれ」「じゃあ飲もうかな」という返事が返ってくると、いそいそと皮をむいたり豆を挽いたりするのである。
自分たちの分を用意するついでに「いる?」と尋ねているわけではないので、私はとても驚いた。
「べつに食べたいとも飲みたいとも言ってないのに、わざわざ訊いてあげるなんて甘ーっ!!」
とはいうものの、食べたい人、飲みたい人が自分で、という私の実家の常識が世間でも常識とは限らない。よそのダンナさんはどうしているんだろう?と私は興味を持っていたのだ。

そうしたらラッキーなことに、ボタンに仕込んでおいた「果物の皮むきは誰の仕事ですか?」に反響があった。
女性は夫や父親を思い浮かべ、男性は自分がどうしているかを答えてくれていたのだけれど、二十二の回答のうち「自分でむく夫は七割」という結果が出た。私の父はマジョリティだったのだ。
しかしながら、三割の「むいてあげる」妻たちもそれが当たり前だと思ってしているわけでも好きでしているわけでもないようだ。「むいてやらないと食べないから」「汁をあちこちに飛ばされるのが嫌だから」ということらしい。

うちも同じだ。みかんとバナナ以外の果物の皮むきは(言うまでもなく)私の係だが、理由はやはり、夫は面倒くさがって自分でむいてまでは食べないからである。
リンゴや柿は外の皮をむいてカットするだけだが、いよかんやグレープフルーツはひとつずつ実を取り出す。子どもじゃあるまいし、「自分でやるのが嫌なら食べんでよろしい」と放っておけばよいのはわかっているのだが、せっかくおいしそうなのを買ってきたしなあと思うと、つい包丁に手が伸びる。
そんな夫は蟹や海老、小骨の多い魚もあまり好きでない。先日、こんなことがあった。私は手を汚したまま食事をするのが嫌いなので、家で魚を食べるときは最初に骨と身を分けてしまうのだが、手を洗い「さあ、食べよう」とテーブルに戻ってきたら、夫が私の皿と自分の皿を交換して食べていた・・・。


という話をネット上のとある場所で話題にしたところ、やはりむいてもらう夫より自分でむく夫のほうが多かった。話を聞いていると、そういう男性はコーヒーを入れたり食事中に冷蔵庫に調味料を取りに行ったりするのも自分で、のようである。
もちろん私だって「ソースくらい自分で取りに行かんかいっ」と思っている。しかし、断ると夫は「じゃあいいや」とあっさりあきらめてしまう。それならそれでいいじゃないかとおっしゃる向きもあろうが、ソースをかければもっとおいしくなるだろうと思いつつそうしないというのは、すなわち味の完成度が低いまま食べるということであり、それは料理の作り手としてはとても残念なことだ。そのため、「はい、どうぞ」とやってしまうわけである。

自分が過保護なのは十分承知しているつもりだった。しかし、おかわりを自分でよそう夫がいると聞いて、いまさらながらカルチャーショックを受けている。
(・・・という今日の日記を読んでカルチャーショックを受けたという方も、きっとたくさんいるんだろうな)


2005年03月23日(水) 狂気の種

「大人の男性」という言葉を聞いて私がイメージするのは、作家の渡辺淳一さんである。小説は一冊も読んだことがないけれど、エッセイは見た目通りのソフトな語り口で抑制が効いている感じがとてもいい。
「男の浮気は遺伝子のせいだからしかたがない」という意味のことをよくお書きになるし、男と女の話では考えや感覚がまるで違うことが少なくないのだが、それはそれとして、魅力的な男性なんだろうなあと思っている。この方がモテるのはよくわかる。

その渡辺さんのエッセイに、三十年近く前にホテルで結婚式を挙げたときの話があった。
控え室から披露宴会場に向かうとき、仲人、新郎、仲人夫人、新婦の順に縦一列になって歩くのが通例だ。しかし、先頭を歩いていた仲人の恩師が五メートルも行かないうちに立ち止まり、振り返って言った。

「君が先に行きなさい」
渡辺さんがどうしてだろうと怪訝な顔をすると。
「角に、硫酸でも持った女性がいると大変だからね」

当時、渡辺さんは新婦以外の女性とも付き合っていたため、恩師は厄介なことが起きるのではと恐れていたのである。新郎本人より心配し、ホテルにも邪魔者が入らぬよう厳重に注意せよと指示をしていたという。
そして、会場の入口に着いたところで再び恩師と渡辺さんは入れ替わり、何事もなかったかのようにメインテーブルまで歩いたそうだ。

* * * * *

この話を読んで考えたのは、「曲がり角で硫酸の瓶を持って待ち構える女性」というのはいったいどういう人なんだろうか、ということだ。
別れ話のもつれから交際相手に殺されたという事件はときどき起こるし、別れた恋人がストーカーになったとか、結婚したら夫が豹変し暴力を振るうようになったとかいう話もちょくちょく耳にする。彼らにはもともと、つまり交際が順調だった頃から、結婚当初から、「この人、一歩間違えたらちょっと怖いかも・・・」と相手に思わせるものがあったのだろうか。
それとも、それはなんの予兆もなくある日突然、表出したのだろうか。

私自身が別れた恋人につきまとわれたり怖い目に遭わされたりしたことはない。が、プラットホームの最前列に並んで電車を待つのが気が進まない時期はあった。
学生時代のことだ。大学の構内を歩いていたら、前方からやってくるひとりの女の子に気がついた。すごい形相で私を睨んでいる。付き合いはじめたばかりの彼の、元彼女である。
その女の子はその頃、彼のポケベルに「戻ってきてくれなければ死ぬ」という内容のメッセージを毎日送りつづけていた。彼の実家に電話をかけ家族に泣いて訴えたりもしていたようで、一緒にいるときに彼の母親から「○○さんの様子がおかしかったから、家に見に行ったほうがええんやない」と連絡が入ったことも何度かあった。
講義に出れば愛しい男の姿がそこにあり、その隣りには別の女。彼女にとってそれはつらかったろうと思う。しかしだからといって、「じゃあお返しします」というわけにはいかない。
「もしなにかあったらどうしよう」と言う彼に、「どうしようか・・・」と答えたのを覚えている。

彼女を大学で見かけることは次第に少なくなり、やがてまったくなくなった。そして留年が決定したと同時に彼女は退学、音信が途絶えた。
それから何年か経ったある日、どうやって調べたのか彼が住んでいた社員寮に電話がかかってきたという。「明日、結婚する」とだけ言って切れたそうだが、彼女の真意はなんだったのか。すべてを終わらせることはできたのだろうか。


太りやすい体質というのがあるように、たとえば感情の起伏が激しいとか嫉妬深いとか独占欲が強いとか、そういった行動を起こしやすい資質を人より多く持った人というのはたしかにいるだろう。
しかし、“狂気の種”はすべての人の中に存在している、と私は思う。運動しないでファーストフードばかり食べていたらどんな人でも肥満になるように、なにかの拍子に、あるいは積み重ねでその土壌が用意されたら誰の種でも発芽してしまうのだ。

多くの人が「自分はそんなふうにはならない」と思っている。しかし、“硫酸入りの瓶を握りしめる人”になるのは想像しているよりきっとずっとたやすい。
正気と狂気は険しい谷に阻まれているわけでも深い川で隔てられているわけでもない。案外、地面に引かれた白線をひょいとまたぐ程度のものなのではないか・・・。
彼女もごく普通の、どちらかといえば地味でおとなしそうな女の子だったなと思い出すと、そんな気がしてならない。


2005年03月21日(月) 男子厨房に入るべし。

この十日間ほど、体調がよくない。
先々週の週末のこと。その数日前から「気味」であった風邪が、朝方目が覚めると急にひどくなっていた。ひっきりなしに咳が出て眠れないが、熱からくる寒気とだるさで起きられない。布団の中でさんざんぐずぐずし、夜の六時になってようやくリビングのドアを開けた。

窓の向こうはすっかり日が落ち、夫はパソコンをしていた。キーボードをカタカタいわせながら彼が言った。
「今日、晩ごはんは?」
これはどういう意味なのだろう。まさかなあと思いながら訊いた。
「それは作れっていうこと?」
「作れるなら作って」

ねえ、いまの私にそれが可能だと思う?と言いかけて、わかるわけないかと首を振る。昼間、一度だって様子を見に寝室をのぞきに来ることもなかったもんね。
「だったら材料書き出すから買って来て。私、いますっごい調子悪いの」
「じゃあいいよ、外でなにか食べるか弁当買ってくるから」

このひとことにカチンときた私は「『大丈夫?』くらい言えないわけっっ」と叫び、大ゲンカになった。
うちはダブルベッドである。一緒になんか寝るもんかとその夜こたつで寝たら、たちまち風邪がこじれ気管支炎になってしまった。


この話を四日ぶりに出勤し同僚にしたところ、彼女たちは一様にうなずいた。
「ダンナなんてそんなもんよ。悪いけどホカ弁かなにか食べてって言ったら、買ってきたのは自分の分だけ。そりゃあこっちも食欲ないけどさ、なにかいらんかって訊くくらいしてくれてもいいんじゃないの」
「うちなんか、熱出して寝込んでる私を置いて草野球の練習に出掛けてってんで。それなら子どもが家におったらおちおち寝てられんから連れてって頼んだのに、なんだかんだ理由つけて結局ひとりで」

別の友人からは「流産してひどく落ち込んでいるときに夜中に酔っ払って帰ってきたときは、この人とやっていけるんだろうかって真剣に不安になった」と聞いたこともある。
こんな話ばかりつづくと、「なんだ、お粗末なのはどこも同じなのね」と安堵する一方で、こういうときに妻のためにおかゆを作ったりアイスノンを取り替えたりする夫なんていったいどこに棲息しているのかしら?と思う。

いや、いるところにはいるのだろう。
先日、新聞に三十二歳の男性が書いた文章が載っていた。「男はもっと妻を大事にし、家事や育児も分担すべきだ。仕事だけしていても家庭というものは築けないのだ」に要約される内容だったのだが、その中にこんなくだりがあった。

「出張などで数日家を空けなければいけない時がある。僕はそんな時、出張前夜にカレーを作る。僕のいない間、ちゃんとご飯を食べるんだよ、よく眠るんだよ、構ってあげられなくてごめんね、そんな想いをカレーに託しながら料理するのだ。僕にとって、その時カレーは言葉のないラブレターなのである。」

思わず「ほんまかいな!」と声をあげた私。
だって、「ちゃんと食べるんだよ、眠るんだよ、構ってあげられなくてごめんね」が子どもではなく、妻に対してのセリフだなんて。うらやましいとかどうとかより信じられない。ちょっと過保護なんじゃないのおー?とつぶやきながら、「僕たちはつい先日結婚したばかりで・・・」という一文を探してしまったではないか。
数日家を空けるだけでこうなのだから、もしこの男性の妻が寝込んだりしたら彼は十分おきに寝室をのぞき、咳をすれば背中をさすり、おかゆのスプーンを口元まで運んでやるに違いない。

* * * * *

この違いはどこから来るのか。その人の性格や妻との関係といった要素もさることながら、父親の影響が小さくないのではないかと思う。
この男性の父は仕事が忙しく家族と過ごす時間が少なかったため、夜中や早朝に妻や子のためによく弁当を作ったのだそうだ。男性は「父はそうすることで、『おまえたちを思っているよ』を伝えようとしたのだと思う」と振り返り、家庭を持ったいまでは自分も妻の弁当を作っているという。
一方、夫の実家はいまどきめずらしい「家父長制」の名残を留める家だ。週末に義父が台所に立ったり部屋に掃除機をかけたりしている姿など想像がつかないし、子どもを風呂に入れたことがないとも聞いたことがある。そして夫もまた家事に関してはノータッチ、それどころか私がなにか用事をしていても普通に「ねー、麦茶入れてー」と言う人である。

その家庭にはその家庭の事情がありやり方があるから、どちらがよいとか悪いとかいう話ではない。しかし、もう「男子厨房に入らず」という時代でないのは確かだ。この場合の「厨房」は台所に象徴される、家の中のこと全般を指す。
子は親を反面教師にするより「そういうものなんだ」と思い込んで育つことのほうがずっと多いのではないかと思うが、いまさら、
「二人で一緒に料理することも多い。これはなかなか楽しいのでオススメである。」
なんて言う夫に改造することは不可能だ。
だから、もし将来私が男の子の親になるようなことがあったら「いまどき料理のひとつもできないようじゃ女の子にモテないよ」と小さい頃から言い聞かせ、ひと通りの家事ができるようにしてやろう。
洗濯カゴに放り込んだパンツがひとりでにきれいになってタンスに戻ってくることはないんだということ、布団は敷きっぱなしにしておいたら自然にふかふかになるものではないんだということを教えたい。
それを知ることは、勉強よりずっとずっと大切なことだ。


2005年03月16日(水) 書かれる側の気持ち(後編)

※ 前編はこちら

どうしてそういうことを考えたかというと、私もこの日記にいろいろな人を登場させるからだ。
家族を含め、実生活の知り合いでこのサイトのことを知っている人はいないから、「書かせてもらうわよ」と断ったことは一度もない。しかし、もし私との会話や思い出が文章になっていることを知ったら、彼女たちはどういう気持ちになるのだろうかと想像することはある。
「プライベートなラブレターを売った」北川悦吏子さんのように、私も過去の恋についてあれこれ書いてきた。彼らは「んなことしゃべるなよ」と怒るだろうか・・・がふと胸によぎることも。

「今日学校で○○ちゃんがねえ」
「うちの会社にこんな人がいるんだけどさー」
食卓を囲みながら家族に、電話で友人に。私たちは目の前にいない人のことを誰かに話して聞かせるということを当たり前に行っている。
これをしたことがない人はいないだろうし、ためらう人もまずいまい。その場にいない人について無断で第三者に話すことが後ろめたいことだとしたら、この世から「会話」というものが激減してしまう。一人称と二人称しか必要としない内容で、満足にコミュニケーションを取ることができるだろうか。
web日記を書く、読むという行為はこれの書き言葉版と言えるのではないか。

・・・とは思うものの、私が私に書かれる人たちに対し、かすかな気兼ねを感じているのも本当だ。
というのは、自分が“話しかける”相手が「不特定多数の人たち」だからである。家族や友人に話すのと見ず知らずの人に話すのとでは、必要性、必然性の点において同じとは言えない。
が、同時に正反対のことも考える。
「この先どこで結びつくともしれない生活圏の近い人に話されるより、まるで接点のない人に話されるほうがずっとましだろう」
この解釈もあながち都合のよいこじつけではない気がする。
このあたり、ほかの日記書きさんは自分の中でどう折り合いをつけているのだろう。

これについては守秘義務がある職業の人が書き手である場合は、話はぐっと深刻になる。
接客業や医療関係に従事している人、たとえばホテルマンや医者がその職業ならではの日記を書こうとするなら、客や患者を登場させないわけにはいかないだろう。とすれば、どこまでを許容範囲とするか。
ある程度具体性がなければ読み手に話が通じない。が、「これ、俺のことだろう!」「○○さんのことじゃないかしら・・・」となる可能性は排除しなくてはならない。
どこまでを可とし、どこからを不可とするか。この線引きを誤ると、読み手からモラルを疑われる。これはなかなか悩ましい問題なのではないだろうか。


で、私の「折り合い」はというと。
ひとつは、自分の身元を明かさないこと。
サイトに詳細なプロフィールを置いたり顔を出したりしないのは、私が誰かを知る人が出ればこれまでに登場願ってきた人たちまで特定されてしまいかねないからでもある。勝手に書かせてもらっている以上、そのような事態が起こらないようにする責任がある。
そしてもうひとつは、「テキストの中であなたがたをぞんざいに扱ったことは一度もない」と言えること。
批判的に書くことはあるが、悪口は書かない。その場にいない人のことを話すときに私たちが後ろめたさを感じるのは、悪口を言うときだけだ。話すのも書くのも同じだとするなら、日記にそれを書かないのも当然ということになる。

この二点を押さえることで、許してもらいたいなあ、もらえるんじゃないかなあ・・・と思っているのだけれど、甘いかな。


2005年03月14日(月) 書かれる側の気持ち(前編)

風邪をこじらせ、気管支炎になってしまった。
咳が止まらず眠れないのもさることながら、喉がちぎれそうに痛いのがつらい。この十年のあいだに歯科以外の医者にかかったことがあったかしらん?というくらい頑丈な私であるが、今回は早々と観念して内科を訪ねた。

さて、その待ち時間に読んだのが週刊誌に連載中の中村うさぎさんのエッセイ。歌舞伎町のホストに入れ上げていた頃のことをテレビでしゃべったら(一年間で千五百万つぎ込んだらしい)、その彼が自宅に怒鳴り込んできたという内容だ。
その番組の中で、うさぎさんがどんな話をしたのかは書かれていなかったのでわからない。ホストの名を明かしたのか、暴露トークだったのか。が、いずれにせよテレビで自分の話をされたことにホストが怒り狂ったということに、私は非常に興味を持った。

というのも、私が以前から抱いていた「作家はエッセイに家族や友人、知人を当たり前のように登場させるが、その人たちとのやりとりを書くにあたり事前に承諾を得るのだろうか」という疑問とリンクしていると思ったからだ。
林真理子さんは学生時代の知り合いについてかなり皮肉な調子で書いたら訴えられそうになったというし、脚本家の北川悦吏子さんも「過去の恋人とのエピソードはすべてドラマの中で使った。彼らにはバッサリ切られる覚悟をしている」と言っている。よほどデリケートな話でないかぎり、「あれを書いてもいいかしら」などと相手にお伺いを立てることはないのだろう。第一、締め切りに追われる作家にそんな時間的ゆとりがあるとは思えない。
自身のモラルに則って無断で書いたり話したりしている、だからときにトラブルが起こるのではないだろうか。

しかし、書かれる側、つまり作家と関わりのある、もしくは過去にあった人たちは自分がそうしてときおりエッセイの“ネタ”にされることをどう感じているのだろう。
作家といまも親しい付き合いをしている人はそう悪いふうに書かれることはないだろうから、どうということもないかもしれない。しかし、たとえば一度対談したとかなにかのパーティーで一緒になったとかいう顔見知り程度の人たちは必ずしも好意的なニュアンスで書いてもらえるとはかぎらない。
実際、林さんは「本音を書きたいと思うなら、人と馴れ合わないこと」と明言している。むやみにしがらみを増やすと自分の首を締めることになる、ということだ。たしかに、ナンシー関さんが非常に社交的で芸能界に友人がたくさんいる人だったとはちょっと思えない。
ふと手に取った雑誌の目次にある作家の名を見つける。そういえばこの人とは少し前に会ったっけ、どれちょっと読んでみるかとエッセイのページを開いたら、
「(対談では)気の利いた受け答えが返って来ず、盛り上げるのに苦労した」
「(パーティーに)露出狂みたいなドレスを着て来ていた」
なんてことが書かれてあったとしたら。名は伏せられていても、そりゃあ気分が悪いに違いない。

しかしだからといって、「私のことを勝手に書かないでよ!」と文句を言うこともできまい。
○○さんと仕事で一緒になった、どこそこで偶然見かけたという経験は作家のものである。そのことを書こうが話そうが、とやかく言うことはできない。できるとしたら、この人が自分をネタにするときはしかるべき配慮がなされますように・・・と作家の良心に期待することくらいだ。
もしそこに不本意なことが書かれてあったとしても、事実がゆがめられていないかぎりは「とんだ人に出会っちゃった」とあきらめるしかないだろう。 (つづく


2005年03月11日(金) 友達親子

梅田のショッピングモールを歩いていたら、突然「小町ちゃん!」と声がかかった。
振り返ると、数メートル向こうで年上の友人が手を振っている。あら、偶然……と近づきながら、彼女の傍らに年配の女性が立っていることに気がついた。会釈をすると、「いつも娘がお世話になって」と返ってきた。

「今日はひとり?」
「うん。買い物?」
「おいしいお店ができたって聞いて、ごはん食べに来たの」

彼女の話にはしばしば“ママ”が登場する。友人は四十を過ぎているが、いまでも母親と一緒にショッピングに行っては服や靴を買ってもらうという。「親っていうより年上の友達って感じ」と彼女は言い、子どもの頃に叩かれたことも一度もないのだそうだ。
ひと目で彼女の母親だとわかったのは、顔もさることながら雰囲気がそっくりだったから。友人がごく自然に母親と腕を組み、楽しそうに歩いて行くのを見送りながら、私はなるほどなあと頷いた。

母親を「ママ」と呼び、服やバッグを貸し借りしたり、ふたりで旅行やコンサートに出かけたりする女性は他にも何人か知っている。
彼女たちにとって母は感性や価値観が似ていて気が合い、恋愛の相談も含めて何でも話せる存在。目線は上ではなく、水平だ。
そう、“友達親子”というやつである。


林真理子さんのエッセイの中にこんなくだりがあった。
「私は今、八十六歳になる母を心から尊敬し、そして畏れている。いくら中年になっても、母は私にとってとても怖い存在なのである」

私はこの一文をかなり親身に感じることができる。これほどまでの威厳はないが、私にとっての母もこういう存在である。
子どもに心配をかけることを嫌って、涙を見せたり弱音を吐いたりしない。祖父母が亡くなったときも同じ時期に結婚した私と妹をいっぺんに家から送り出したときも、気丈にふるまった。
いまも昔も“親”以外の何物でもない。いつも毅然としていて、娘の手本であろうとする“母親”だ。

そんな母を持つ私にとって、友達のような親子関係がぴんとこないのは無理のないことであろうと思う。
友人が母親のことをまるで姉のような風格で「あの人、子どもっぽいとこあるからねえ」なんて言うのを聞くと、私には一生できない表現だなと思う。私はこの年になっても母の前ではまったく子どもであり、母に追いついたと思えることが何ひとつないのだ。
先日義妹の結婚パーティーで、彼女は母親にこんな言葉をかけた。

「お母さん。あなたは私の一番の親友です」

これを聞いたときも、私は自分と母との関係と義妹と義母とのそれの違いを感じた。私にとって「あなた」というのは同輩、つまり対等な立場の人に対して使う言葉である。
友達親子の娘が母親に尊敬の念を抱くことはあっても、“畏れ”はおそらくないだろう。親子関係にそれが必要であるかは別として。
そして、その感覚は私にはわからない。仲が良いこと、親が子どもの「個」を尊重することと、親子の立ち位置が同じになることは、私にとってイコールではない。
親と子は違う。その関係はあくまで上下なのだ。

しかし、「親らしい親」であろうとすることは大変しんどいことであろうなと想像する。
自分に正直に生きられない場面にも少なからず出くわすはずだ。我慢しなくてはならないことも生じるだろう。たとえば、もし母親が子どもの前で姑の愚痴をこぼしたり夫とケンカをしたりといったことをするとしたら、それは彼女の中に子どもへの信頼に加え「甘え」があるからではないだろうか。
年を取ったからといって、人の親になったからといって、「責任から解き放たれて遊びたい」という気持ちが消えてなくなるわけではないだろう。好ましい、好ましくないということではなく、友達親子の母親というのはこの「若い頃のように無邪気でいたい」に忠実なのだろうな、というふうに私は感じている。


林さんのエッセイは先の引用文の後、「こういう私にとって、現代の『友だちのような親子』というのは、本当に薄気味悪い」と続く。しかし、私はそういう親子関係を否定しない。
義妹と義母を見ていると、ふたりが強い信頼関係で結ばれていることがわかる。義母は義妹の前で涙し、愚痴をこぼし、弱い部分を遠慮なく見せる。娘に甘え、頼っているのだ。私の母は体調を崩しても心配をかけまいと私や妹には知らせようとしないが、そういう水くささがない。それは娘の立場では少々うらやましい。

が、そうは思えど。いつか親になることがあったなら、私はやはり「強く正しい母親」を目指すのだろう、友人でも姉でもなく。
等身大の自分であることよりも、「親としてこうあるべき、こうありたい」に従おうとしてきっともがく。おそらく私の母もそうであったように。……そんな気がする。
そして、私はもうひとつ気づいている。この予感と子どもを持つ決心がなかなかつかないこととは、きっと無関係ではない。


2005年03月09日(水) サイトのやめどき

このところ、いくつかのサイトがぱたぱたと閉鎖している。
ネタが尽きた、情熱がなくなったという理由ではなく、ほかにしなくてはならないことができたため、日記書きに手をかけていられなくなったというもので、まさに「卒業」という感じ。どの書き手ともコンタクトを取ったことはなかったけれど、さよならのあいさつ文を読んでなんだかしんみりしてしまった。
もともとサイトへの思い入れが弱かったからあっさりやめられた、というわけではないと思う。いずれも人気のあるサイトだったし、ていねいに書いておられるなあという印象を受けていた。
だから、「春から忙しくなるのでサイト閉めます。いままでありがとう」とすぱっとやめた彼らを見て、すごいなあ、えらいなあと感心した。“そのとき”が来たら、私もそんなふうにスマートに去ることができるかしら。

・・・という話を日記書きの友人にしたところ、「へえ、小町さんも“やめどき”について考えることがあるのね。ちょっと意外」と言われた。
そんなことはない。日記書きが相当の時間とエネルギーを投入してはじめて維持できる“趣味”である以上、いつその日が訪れても不思議はない、と私はつねづね思っている。たとえば夫の担当地域が変わり、彼が毎日帰宅するようになったら、週三回の更新はこの半分になるだろう。
現在のスタイルがいつ崩れるとも知れぬ危ういバランスの上に成り立っているだけに、いますぐどうこうとは考えていないものの、「やめるとき」のことはわりとよくイメージするのだ。

「閉鎖の予告はなし。ある日突然、潔くいこう」
「最後の更新はもちろん長文になるだろうけど、未練がましいから前・後編に分けるのだけはよそう」
「個人的にあいさつメールを送る人のリストがいるな」
「でも、あの人とこの人とその人はメールじゃ済ませられない。絶対会ってお礼とさよならを言わなくっちゃ」
「そうだ、全テキストをプリントアウトして文集を作ろーっと!(ホッチキスで留めるだけだ)」

といったことを頭の中であれこれ考えるのはけっこう楽しい。
もっとも、そんなことを言っていられるのは“シミュレーション”だからであるが。


「いつまでもこんなふうに遊んでいていいのだろうか。いや、いいわけがない」

夜更かしして日記を書きながら、こう自問自答することは少なくない。それでも、じゃあどうしよう、こうしようというふうにならないのは、それを一度リセットすると何年もかけて積み上げてきたものが一瞬にして無になり、元の位置に戻ることは不可能であることを知っているからである。
それを承知で「えいやっ」とするのは、ものすごく勇気のいることなのだ。

書き手でなくなった瞬間、いまある読み手との関係のほとんどが消滅する。日記書きさんとのそれはこちらが先方の日記を読みつづけているうちは切れることはないかもしれないけれど、「書き手同士」というこれまでのスタンスとは違ってくるだろう。
これは思う以上に寂しいことではないかと想像する。

また、書くのをやめても読みのほうはつづけるだろうと思うので、「○○日記の××」という “名刺”を失うことによる不利益、不都合についても考える。
「定位置から文章を発信しつづけていること」は相手にある種の安心感を与えられることがある。マンションの隣人に回覧板を回すとき、インターフォンを押してただ「山田です」と言うのと、「二○六号室の山田です」と言うのとでは、ドアを開けるときの相手の警戒心の度合いは同じではないだろう。
誰かにはじめましてのメールを送るとき、「わたくし、こういう者ですが」と言えるものを持っていることで、その差分くらいの“得”はしてきたのではないかと思う。

サイトを手離すと、憧れの日記書きさんに会えるチャンスもなくなるというつまらなさもある。
多くのオフ会は実質、参加者は日記書き限定だ。「半年前まで『○○日記』をやってました」と言ったところで、「はあ、そうですか」ってなものである。
「私はまだあの人にもこの人にもお目にかかってない!」
そう思うと、ネタの泉が枯れるまでがんばらなくては、という気になる。
近々、日記書きの友人であるA子さんとB子さんを引き合わせる予定がある。黙っているとすごく美人なのに口を開いたとたんオッサンになるという共通点があり、私は以前から「彼女たちは絶対気が合うはず。いつか会わせたい」と思っていたのだ。
ふたりから楽しみにしているとメールが届き、なんだか恋のキューピッドになるような気分。こういう場も自分がサイトを持っているからこそ作ることができる。


いろいろと考えなくてはならないこともあるけれど、もう少し、もう少しだけ・・・。そう言いはじめてから、すでにかなりの時間が経過している。
が、この趣味は長くやればやるほど楽しみが増してくるのだから、困ったものだ。


2005年03月07日(月) できそこないの冗談

週末は友人の結婚式だった。
しかし残念ながら、すべての人から祝福されて……というものではなかった。相手がずいぶん年上、かつ離婚経験のある男性だったため、仲の良い家族がもめにもめ、結局父親が出席しない式になってしまった。
さて、そのパーティーでのこと。新郎の旧友という男性が新郎との思い出話を面白おかしくスピーチしたのであるが、締めの部分で私は「聞き間違えたか?」と一瞬耳を疑った。
「えー、記憶に間違いがなければ、わたくしは十数年前にも今日とまったく同じ場面に居合わせたことがありまして、そのときもまったく同じ質問をしたように思うのですけれども……コホン、新郎にお尋ねします。いま、幸せですか?」
私はとっさに友人を見た。さきほどからと変わらぬ笑顔を浮かべていることにほっとしたら、次第に「なんなんだ、この人は……」という気持ちが湧いてきた。
今日とまったく同じ場面に居合わせたことがありまして------彼はここで笑いを取るつもりだったのだろうか。だとしたら、なんてセンスのない冗談なんだ。スピーチを頼まれるくらいの間柄であれば、この日を迎えるまでのふたりの苦労や新婦の父の姿がここにないことの理由を知らぬはずがないだろうに。
いつまでもその部分にこだわっているのは彼女にすまない気がし、すみやかに頭を切り替えることにしたものの、もしこれが自分の妹の式で起こったことだったら、私は本気で頭に来ていたはずだ。
悪気はないのだろうが、ついでに思考もない。いい年をして場の空気も読めないのか、と心の底からあきれた。

「こういういうところでそんな話をしないでよ!」と叫びたい衝動に駆られることは、私の生活の中にもちょくちょくある。
哲学者の中島義道さんのエッセイで、
「知り合いに『うちのやつはニーチェもサルトルも知らないんだ』と言ったら、あとで妻が怒って泣いた。しかし、自分にはまるで理由がわからない。だって本当のことじゃないか」
という話を読んだとき、「そんなだから奥さんが泣くのよ!」と思わず声をあげたが、私の夫も妻の心のうちにきわめて鈍感な人である。
夫の実家で義父母や義弟家族と食卓を囲んでいると、彼が“恐妻家”を気取るといおうか、私の尻に敷かれているかのようなポーズを作ることがある。
男が三人集まればおのずと仕事の話になるが、そんなとき夫は「どんなにがんばって働いても小遣いが上がるわけじゃないしなあ。うちって小遣い少ないよー」といったことを無邪気に口にするのだ。
彼はみなの前で訴えてなんとかしようと考えているわけではない。私への甘えもあっての軽口である。ということはわかっているのだが、私はかなりうんざりする。
いっそ額まではっきり言ってくれれば、「おまえ、それだけもらってたら十分だ」「そうだよ、兄貴。うちなんかさ」と話は展開するのではないかと思うのだが、ただ「小遣いが足りない」ではそんなに締めあげられているのかしら……と義父母が心配しないともかぎらない。
以前、それじゃあまるで私は小遣いもろくに与えず夫を虐げてる鬼嫁じゃないか!とカチンときたので、「どこが少ないん。あなたほどもらってる同年代の男の人を私は知らないよ」と言い返したら、義父に言われた。
「嫁さんはそういうことを言わないほうがいい」
以来、夫がその手の話をしてもハイハイと笑って聞き流すようにしているが、心の中ではいい加減にしてよと思っている。
小遣いの額に満足している夫など世の中にほとんどいないと思うが、妻が言い返すことができない場でそういう冗談とも愚痴ともつかぬことを言うのは勘弁してもらいたい。

正月に帰省したときにも唖然としたことがあった。
何時の飛行機で帰るのかと尋ねた義父に、夫が昼前と答えた。それを聞いた私が「あれ、午後の便じゃなかったっけ?」と言ったら。
「小町さんが早いほうがいいって言うから、予約を変更したんじゃないか」
夫の実家からいったん自宅に荷物を置きに戻り、今度は私の実家に向かうスケジュールになっているので、早めの便のほうが都合がいいとはたしかに言った。
が、それは夫の実家に二泊する予定にしていた、二週間も前の時点の話である。その後、台湾からの帰国を一日遅らせ彼の実家には一泊しかしないことに決めたため、そう早い時間にいとまをするつもりはなかったのだ。
それなのに、彼がまるで私が昨夜にでも「早い便にして」と頼んだかのような口ぶりで言うものだから、驚くやら悲しいやらでしばらく動けなかった。

先日、義理の実家でちょっとした集まりがあった際にも、彼が久しぶりに顔を合わせた親戚の前であまりにつまらないことを言ったため、テーブルの下で私が彼の足を蹴るという場面があった。
自分がそういう発言をしたら、その場にいる人たちに私がどんなふうに思われるかということをまるで想像しないらしい。冠婚葬祭でしか会わない人たちに、もしそのできそこないの冗談を真に受けられたら、私は誤解を解くこともできないというのに。
これまでにも何度となく読み手の方から、「男は正面切って言われなくちゃわからない生き物なんですよ」と言われてきたが、「妻の立場ってものも少しは考えてくれない」なんてことまで言わなくてはならないの?
羽田に向かう電車の中で私が黙りこくっていた訳に、やはり彼は気づいていないのだろうか。


2005年03月04日(金) 私のリンク・ポリシー

私が誰かの日記にリンクを張って書くとき、“ルール”として心の中に置いていることがいくつかある。
ほかの人に当てはまるかどうかはわからないが自分だったらありがたいと感じるから、あるいは人の振り見てなんとやらでそうしている、という事柄である。

・・・と、その前に。
こういう話を書くとどきりとさせてしまうかもしれないけれど(以前、「うちのサイトはタイトルをよく間違えられる。われ思ふ、ひとマス空けて、ゆえに、でつづく点は三つだ」と書いたら、「リンクページ訂正しておきました。スミマセン」というメールがいくつか届いた)、「うちに張るときはこうしてね」と言いたいわけではないので、ご安心ください。

* * * * *

というわけでひとつめは、「次回のテキストであなたの日記にリンクさせていただきます」と事前に連絡をすることだ。
「ネット上に公開されているものにリンクを張るのに承諾も報告もいらない」というのはよく聞くし、それが必要か必要でないかといえば後者であろう。しかしながら、一声あるかないかで先方の心証はずいぶん違ってくるはずである。
私にとってそれは新幹線のシートを倒すときに後ろの人に会釈をするのと同じ感覚。「いちいち合図なんかしなくていいんだよ、鬱陶しい」と気分を害する人はあまりいないだろうし、そうしておけばこちらも気兼ねしないですむのだから、面倒くさがるようなことではない。
また、私はテキストを骨太にするために挿入する“エピソード”の役割を期待して引用させてもらうため、「使わせてくれてありがとう」という気持ちが大きい。それを伝えるには報告が一番だろうとも思っている。

ふたつめは、先方の日記のタイトル、書き手の名を明記するということ。
特別な意図がないかぎり、たとえば「こちらのサイト」というふうに表記して飛んで初めて相手がわかる、という張り方はしない。文章のリズムを考えてサイトタイトルかハンドルネームかどちらか一方にする場合もあるが、できるだけ両方出すようにしている。
誰かの日記に自分の固有名詞が登場するとうれしいものだ。ささやかながら宣伝にもなるかもしれない。親愛と感謝の意を込めてそうする、というのがひとつ。
もうひとつは将来そのサイトが閉鎖した場合、過去ログでそのテキストを読んだ人にはリンク先がどういうサイトだったのかということをまるで伝えられなくなってしまうからだ。
タイトルや書き手の名がわかったところでリンク切れしていたのでは意味がない、とは私は考えない。私がテキストの中で引用、あるいは要約という形で先方の文章を紹介するのは、リンク先に飛ばない読み手にも話がわかるようにというだけでなく、そのサイトが閉鎖したときのことを考えてのことでもある。

そしてみっつめ。好意を持っていない人の日記は取り上げないということだ。
たまに「この人はリンク先の日記、あるいは書き手が嫌いでたまらないんだなあ」がありありとしている日記読み日記を見かけることがあるが、いつも私が思い浮かべるのは「人を呪わば穴二つ」という言葉。
よく言ってくれた!と溜飲を下げる人も中にはいるのだろうが、「こういうことを書いちゃう人ってちょっとコワイな・・・」と“引く”人は少なくないのではと思う。いや、その過激なもの言いを小気味よく感じた人でさえ、心のどこかにそういう気持ちを持つのではないだろうか。
私はわかりやすい人間なので、好意を持っている相手にはそのことがすぐにばれてしまうのだが、それと同じくらい、好意を持っていないことを悟られないようにするのも下手であろうと推測する。
自分では意地悪な心を隠してうんと理性的に書いたつもりでも、不快感の“発散”であることはたちまち読み手に見抜かれるに違いない。そして、「なんか、ちょっとがっかり」なんてつぶやかれてしまうのである。

しかし幸いなことに、「自分を貶めたくないから、書きたいのを堪えた」という記憶はほとんどない。好きになれない、あるいは敬意を表することができない書き手のサイトには近づかないため、そこまでの気持ちになる機会自体がないからだ。
誰かの日記を読むというのは、私にとってコンビニでスナック菓子を買う行為と同じである。それは水でも米でもない。口にせずともなんの支障もないそれを私がカゴに入れるとしたら、いかなる理由をつけようともそれは「食べたいから」なのだ。それに魅力を感じているからにほかならない。
これをささやかな“降伏”と見ることはできないだろうか。私が自分の口に合わないとわかっているものに決してお金を出さないのはそういうわけだ。
不味い、不味いと言いながら、吐き気に顔をゆがめながらお菓子を食べつづけている人がいたら、「だったら食べなきゃいいのに」と可笑しくなるだろう。それと同じことである。


・・・と、ここまで書いて気づく。
四年以上書いてきて、ほかのサイトにリンクを張ったことはオフレポを含めても十回前後。
私がポリシーとして真っ先に挙げるべきは、「リンクに拠らない」であったかもしれない。


2005年03月02日(水) 過去ログへの執着

先日、仲良しの日記書きさんから「URLが変更になりました」とメールをもらった。
ある日突然サイトが消えたため、慌てふためいてメールを送ったのであるが、まるで私の勘違いであった。いつも玄関を通らず中のコンテンツにダイレクトに飛んでいたため、トップページに置かれていた「リニューアルに伴うサイト移転のお知らせ」を見逃していたのだ。
「そういうことだったんだ。ごめんごめん、私が慌て者だったのね」
と頭を掻き掻き、返事を送った。

さて、もしあなたが私であれば、送信を完了した時点で「ハイ、一件落着」とするのではないだろうか。しかし、これで終わらないのが私の恐るべき几帳面さ、潔癖さ。
過去ログの中に彼女のサイトにリンクしているテキストがいくつかある。それを新しいURLに変更しようと思ったのである。

しかしながら、四年以上に渡って七百本以上のテキストを書いていると、それらの日記をいつ書いたかを思い出すのは容易ではない。
彼女がサイトに登場してくれたのはすべてオフレポの中である。
「一番最近会ったのは半年前で、その前はたしかクリスマス。そのもうひとつ前は秋で、その前は・・・あれ、もうなかったっけな?」
産卵のために川を遡上する鮭さながら、私は記憶の荒波をさかのぼる。
しかし悲しいかな、何月の出来事だったかは思い出すことができても、それが二年前か三年前かはおぼろげなのだ。

この切なさは読み手の方から過去ログに感想をいただいたときにもしばしば味わう。
返事を書くためにもう一度そのテキストを読み返そうとするのだが、「そういやそんな話、書いたなあ」と懐かしくはなれど、書いた時期はきれいさっぱり忘れている。
せめてタイトルを思い出すことができれば過去ログを手当たり次第開いて・・・ということも可能なのだが、それさえ浮かばないときはお手上げだ。とても悔しい。

というのは、私は自分の書いたものをもっとしっかり把握していてもおかしくないからである。
アップしたら最後、読み返すことはない、過去ログには執着がないという書き手は多いだろうが、私はそういうタイプではない。ここ数ヶ月で書いたテキストはときどき読んでは、しつこく語尾を訂正したりする。「まっ、いいか。こんな過去の日記まで誰も読まんだろ」とは思えない。デッドリンクを含め、見つけてしまった不具合を放っておくことには耐えられないのだ。
「過去に書いたもの」として“あきらめる”ことができるようになるのは、半年くらい経ってからである。


すっかり前置きが長くなってしまった。本題は次回