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2003年10月29日(水) 私の知らない世界(ラブホテル編)

先日、原田宗典さんのエッセイを読みながら、私は思わずへええと声をあげた。
所用のため東京から岡山に向けて車を走らせていたら途中で日が暮れてしまった。勝手のわからぬ地ゆえ、やむなく目についたラブホテルに泊まることにした、とあったのだ。

まあ試してみればお分かりになると思うが、ああいう所に一人で泊まるのは、実に不自然でギコチないものである。と言うかバーカみたいである。


私はこのくだりを読むまで、ラブホテルにひとりで泊まることができるとは知らなかった。
すぐさまこの驚きと興奮を傍らの夫にお裾分けしたところ、「出張のときに利用する人もいるみたいだよ。安いからでしょ」と事もなげに言う。
なんだ、知ってたの、と軽くがっかり。あなたがそんな真似したら承知しませんからねと釘を刺しつつ、「ひとりラブホ」について考えをめぐらせる私。
まあ、不思議はないか。ホテル側は犯罪行為さえ行われなければ、ひとり客であろうが同性カップルであろうがかまわないだろうし、客にとってもそこではビジネスホテルよりもずっと広いバスルームとベッドが約束されているのだ。恥ずかしくないのだろうかとも思ったが、誰に顔を見られるというわけでもないから、ひとりカラオケにトライするよりも案外勇気は必要ないのかもしれない。

ところで、自慢じゃないが、私はこの手のホテルに関してまったくの無知である。そこに足を踏み入れた経験は、電車の中でイチャついている高校生カップルにも敵わないだろう。
といって、「私はシティホテル派だから」という話ではない。常に自分か相手かが一人暮らしをしていたため、お呼びでなかったというわけだ。
そのため、私は最近『渡辺篤史の建もの探訪』のラブホテル版のような番組を見て、本当に驚いた。電子レンジがちらっと映ったので「へえ、持ち込みオッケーなんだ。だったら便利よねえ」と感心したのだが(リポーターのタレントはそれには目もくれなかったが)、あの空間の快適さはそんなものではなかったのね……。
DVDが見られることくらいは想像していたが、パソコン完備でインターネットし放題、エアホッケーまでできるなんて。どこも内装に気を遣っており、何百万もするシャンデリアや鏡、本物の絵画を置いているところもあるのだそう。もっとも、チャペルのあるホテルが登場したときにはさすがに「ん?ここはなにをしに来るところなんだっけ……」と考え込んでしまったけれど。
こんな私が一番素直に「あら、いいじゃない」とつぶやいたのは、ルームサービスの充実ぶりだ。うな重からチョコレートパフェまでなんでもござれ、しかもどれもかなりおいしそう。私はカラオケボックスでも「どうせ冷凍食品なんだから」とフードを頼むことはないのだが、こんなにいろいろあるならメニューを眺めているだけでも楽しそうだ。
それにしても、自分の知らないところで世の中こんなに進んでいたなんて。その恩恵をまったく受けずにきたことにちょっぴりショックを受けてしまった。
これだけあれこれ付加価値がついていたら、丸一日こもっていても退屈しないのではないか。ウォーターベッドにマッサージチェア、バスルームにはサウナ。その空間には、わが家にない“快適”や“便利”が詰め込まれている。実家暮らし同士のカップルなら、一日同棲の気分を味わえるだろう。
いまやラブホテルというのはソレのためだけに行くところではなくなっているのかもしれない。実際、女の子がクリスマスなどにスイートルームでパーティーを開くこともあるそうだ(その前に私はこういうホテルにスイートがあることに驚愕した)。

そういえば、ここ数年でこれと似たような発展を遂げた空間がひとつある。ネットカフェだ。
フードは豊富、フリードリンクのメニューにスムージーやソフトクリームのあるところもある。個々のブースにゆったりしたリクライニングシートと毛布、スリッパが備え付けられているのはもはや常識だし、私がときどき行く店にはシャワールームや仮眠のためのベッド、座敷の個室がある。別の支店にはフットバスや日焼けマシン、卓球台、なぜか釣堀まであるそうだから、正真正銘なんでもありの世界だ。
しかし、これだけたくさんのサービスの中でも一番ありがたいのは、やっぱり「二十四時間営業」という点である。
終電に乗り遅れたり、旅先でホテルにあぶれたり、夫とケンカをして夜中に家を飛び出したりしても朝まで過ごせるところがあるというのは心強い。サウナやカプセルホテルは男性のみのところがほとんどで、女性は途方に暮れるしかなかったのだから。
人妻の私にとってラブホテルの進化はとくにありがたくもないが(ここで野暮なつっこみはしないように)、ネットカフェのさらなる発展はおおいに期待する。

【あとがき】
『ホットペッパー』にラブホテルのページがありました。こういうところは流れというか、その場の雰囲気で「じゃあ」ということになり、目についたところに入るものだとばかり思っていたので、前もってクーポンを切り取って「さ、今日はここに行くわよ」というのがピンとこなかったのですよね。でも考えてみたら、ホテルによっていろいろと楽しい設備やサービスがあったりするのだから、ネットなどで下調べして「ねえ、今度ここ行ってみない?」なんて相談するカップルがいても不思議はないですね。
ああ、「小町さんてほんとになにも知らないんですね」って声が聞こえる気がする……。


2003年10月27日(月) 私の知らない世界(シティホテル編)

ちょうど来月の今ごろ、私は東京で友人と遊び呆けているはずだ。
私が「どうしてもここは押さえておきたい」と思っているのは六本木ヒルズ内にある『南翔饅頭店』の小籠包くらいのものなので、その他の予定は言い出しっぺである友人が立てることになっている。が、ミーハーでテレビ大好きな彼女のことだ、汐留やお台場には間違いなく連れて行かれるだろう。
旅行会社で企画の仕事をしている彼女はその大小に関わらず「旅」というものにとても貪欲で、一切の妥協を許さない人である。彼女との旅には尋常でない体力が要求される。うっかり「疲れた」などと漏らそうものなら、
「もう二度と来られへんかもしれんねんで。ワンチャンスなんやで。あきらめたらあかん!」
という言葉が矢のように飛んでくるのだ。
たしかに、中国で訪れた三都市で名物と言われている料理をすべて制覇できたのも、別府でうっそうと生い茂る草をかきわけかきわけ進むこと三時間、地元の人も誰ひとり場所を知らなかったナントカの里という秘湯を探し当てることができたのも、彼女のおかげである(私の「これ以上食べられない」「遭難したらどうするん」という私の訴えはことごとく退けられた)。

さて、そんな彼女があちらでどうしても泊まりたいホテルがあるんだけど、と言う。
今回の件は彼女に一任してある。べつにどこでもいいけどと思いながら尋ねると、「グランドハイアット東京」だという。ホテルの名前はたいていカタカナで似通っている。グランドハイアットねえ、聞いたことあるようなないような。
そこで、「知らんけど、そこでいいよ」と答えたところ、彼女は驚いた顔をして叫んだ。
「まじで知らんの!?六本木ヒルズの中にある最高級ホテルやんっ、こないだベッカム様御一行が泊まったとこやんっ」
「ふうん、そうなん。それやったらお高いんとちがうん」
「でも、でもな、ちょっと聞いて!」
彼女はつばを飛ばさん勢いで熱弁を振るいはじめた。部屋のテレビは液晶アクオス、バスルームにも十三インチのテレビがあること、通常のシャワー以外にレインシャワーもついていること、ルームスリッパと浴衣の柄がお揃いであること、ターンダウンサービス(客が夕食に出かけているあいだに眠るための準備をしておいてくれる)があること……などなど。
しかし、私にとってはとくにありがたい設備、サービスでもない。テレビは左右に首が振れベッドから見られさえすれば分厚くたってオッケーだ。湯船の中では本を読むからバスルームにテレビはいらないし、天井からお湯が降ってこなくたってかまわない。スリッパも白無地でいいよ。枕元の照明くらい自分でつけるし、ミントチョコも好きじゃない。
でもまあ、そんなに言うなら一応訊いておくか。
「で、一泊いくらなん」
「やっぱりこれだけサービスがいいとそれなりの値段はするよね」
「だから、いくらなの」
「それがね……」
今度は私があっけにとられる番だ。四万六千円とな。いったいなにを考えとるんだね、君は。
「でも、ほんまにすごいとこやねん。会社の人が『いっぺんあそこに泊まったら、もう他には泊まれない』って言ってたもん」
だったらなおさらイヤ、とそっぽを向く私。
「よそに泊まれなくなったら困るもん。庶民が身の丈に合わない世界を知ってもいいことない」
それでもあきらめきれない彼女。「じゃあいくらまでなら泊まる?」としぶとく食い下がってくる。仕事関係のコネだかなんだか、裏の手を使ってみるそうだ。
とりあえず、一万五千円まで値切ることができたらねと言っておく。お手並み拝見……といきたいところだが、まず無理だろう。
日記のネタに、どんな部屋なのか見てみたい気はしないでもない。香港でザ・ペニンシュラに泊まったとき、私はあまりのゴージャスさに正気を失い、ウェルカムフルーツを食べ過ぎてしまった。その結果、おなかを壊してバスルームから半日出られなくなったのだが、私は激痛で大理石の床をのた打ち回りながらも、自分のワンルームマンションの部屋より広いそのピカピカのバスルームと、洗面台に並べられたエルメスのアメニティに心の底から感動していたのだ。
私はグランドハイアットでもやはり大はしゃぎして写真を撮りまくったり、「ねえねえ、私いまどこにいると思う〜?」とあちこちに電話をかけたりするのだろうか。ちょっと楽しそうかも。
「そういうところは彼氏と行きなさい、彼氏と」とけんもほろろにあしらいつつ、彼女のことだから恐るべき執念でなんとかしてしまうのではないか、してくれないかな……とほんのちょっぴり期待している。

【あとがき】
あちらで友人と解散したあとはここを読んでくださっている方とデートする予定。ウフフ。……って相手は女性です。『東京ベストガイド』で美味しいお店を探します。ちなみに今回は「シティホテル編」。というわけで、次回は……です。乞うご期待!?


2003年10月24日(金) だから、会いたい。

深夜に届くメールはうれしい。胸にぐっとくるものを感じることさえある。
あたりが寝静まり、猫の鳴き声ひとつしない一時や二時までひとりきりで起きていると、なんとはなしに人恋しい気分になる。そのため、その時分に届くメールには昼間受け取るそれには持つことのない感慨を覚えるのだ。
ああ、ついさっきまで私のことを考えてキーボードを叩いてくれていたんだ……。
そう思ったら、私がタイムリーにメールを受け取ったとは思っていないであろう相手に、自分が「ここ」にいることを知らせたくなる。実際、「いま、パソコンの前にいました」とひとことだけのメッセージをその場で返してしまうこともある。
昨日もそんなハッピーな夜だった。日記書きの友人から届いたメールを読み、わーいと小躍りした私。その人は海外に住んでいるのだが、来年帰国する、関西に住むことになりそうなのでよろしく、とあったのだ。
コンタクトの頻度や会ったことのあるなし、相手が自分をどう思っているかといったこととは関係なく、私を精神的に無防備にさせてくれる人がたまにいる。彼女は私にとってそういう存在である。
私は彼女はこちらには友達がいないだろうと勝手に決めつけ、すぐさま「おーし、私が遊んだげるかんね!」とメールを送った。

実りの秋だなあと思う。といっても、スーパーに並ぶ新さんまや松茸の話ではない。
自分で言うのもなんだが、サイトをはじめて三年、こつこつと積み重ねてきたものが実を結びはじめたのかなと思うことが最近ちょくちょくある。ここにきて素敵な出会いがいくつもめぐってきているのだ。
このところ、私は「会うこと」の威力を実感している。顔を合わせた瞬間に、ぽーんとなにかを飛び越えてしまう感じ。文字のやりとりだけでは見られなかった世界が目の前にぱあっと開けるのだ。
サイトの中の書き手が実物そのままということはほとんどないだろう。特定の部分が表出、強調されることによって作られたかりそめの人物である。
たとえば、初めてメッセージをいただいたとき、どんな人だろうとプロフィールを見に行き、恐怖のあまり思わずウィンドウを閉じてしまいそうになったこの方。実際にお会いしてみると、見た目からはちょっと想像できない内側を持っておられ、私はとても驚いたのであるが(今後会うのを楽しみにしている方もおられるかもしれないので、具体的に書くのは控えよう)、それを文字のやりとりや伝聞から知ることはたぶんできなかった。
こうしたギャップの発見がいかに世界を広げるか、大きな喜びにつながるか。だから、私は本物に会いたいと思う。
先日、ひさびさに「うわ、これはすごい」と思う日記に出会った。その日のうちに過去ログを読破するなんてまずないことだが、さらにありえないことに初メールで「いつかお目にかかってお話したい」なんて言ってしまった。
こういうとき、自分が女でよかったと思う。男性の日記書きさんから、「ナンパと勘違いされるのが怖くて、女性の日記書きさんをオフに誘えない」という話を聞くことがときどきあるのだ(まあ、逆ナンだと思われる可能性もないわけではないが)。
こうと思ったときの瞬発力には感心するやらあきれるやらだが、「もっと知りたい」と思えば、私はこれからもアプローチをするだろう。文字での会話に留めておくのと実際に会うのとで、その世界はモノクロとカラーほどの差があるってわかったんだもん。
失敗したってかまわない。そうやって見る目を育てていくから。

というわけで。
今年のうちに『風来坊』の手羽先が食べたくなるような予感が、なんとなくなんとなーくしているの。名古屋近辺にお住まいで小町さんからラブコールのかかったことのある方、狙われていると思って気をつけ……じゃなかった、その際はどうぞよろしく。

【あとがき】
会うと会わないではぜんぜん違う。もっと親しくなりたいと思う人がいるなら、ごちゃごちゃ自分に言い訳していないで、勇気を出してとにかくいっぺん会ってみる。顔を見た瞬間に、言葉を交わした瞬間に、二の足を踏んでいたいろいろなことが杞憂だったとわかると思います。失敗したらそのときはそのとき。そうやって勉強していけばいい。


2003年10月22日(水) 考えどき(後編)

前編はこちら。

十月九日は結婚三周年の記念日だった。「今日から四年目か」とつぶやく私の胸に去来したのは、「おーし、がんばろう」といった前向きな気持ちではなく、言い知れぬ虚しさだった。
この一年、やっぱりなんの進歩もなかったなあ……。泣きたいような笑っちゃいたいような、そんな思い。

一年程前、曽野綾子さんのエッセイの中のあるくだりを読み、ナーバスになったことがある。

必要なことは、結婚生活にも、理想を求めないことである。というか、むしろしかたなくそうなってしまったその家独特の生活形態を、あるがままに受け入れる度量である。
理想どころか、平均値も求めないことだ。平均とか、普通とかいう表現は慎ましいようでいて、じつは時々人を脅迫する。


そして、私はこう書いた。

私も「脅迫」されているのだろうか。私はいま、「普通」を渇望している。
私の望む「普通」。それは毎晩家に帰ってきて夕食をとる夫を持つことを指しているのではない。私の憂いは、
「余計な心配をかけちゃ悪いな。飲んで帰るって電話を入れておこう」
「適当に切りあげて帰らなくちゃ。独身時代と同じようにはいかないもんな」
「たまにはまっすぐ帰って、ゆっくり妻と話す時間を持つか」
こういった気持ちが夫の中に希薄なこと。持っていて然るべきと自分が考える「既婚者としての自覚」と彼が思うそれとのあいだに、あまりにも大きなズレがあることなのだ。


そうしたら、ある人からこんな言葉をもらった。
「人を思いやる気持ちを他者が誰かの中に芽生えさせることはできないから。それは自発的にしか生まれてこないものだから。最善ではなく、次善を求めよう」
これまでの人生、はじめから最善をあきらめたことがあっただろうか。結果的にベターやそれ未満の地点に着地することはあっても、やる前からベストを、理想を目指さなかったことはない。
でもそうか、こればかりは最善を望んでも無駄なのか。よりによって私が最大のライフワークだと思っている事柄においてこんな妥協をしなくてはならないなんて、なんという皮肉だろう。
小町さん宛てに届いたメールを読んで泣いたのは、後にも先にもこのときだけだ。

私はなにをするにも、どこかを目指したいタイプ。なんの成果も手応えも求めず漫然と時を過ごしていると、「このままでいいんだろうか」と不安になってくるのだ。
しかし、この三年間を振り返ってみれば、ふたりで築きあげてきたと思えるものがない。そりゃあそうだ。実のある会話をしないふたりのあいだに、いったいなにが生まれるというだろう。
恋人と夫の違いがわからない。束縛と無縁の生活をしているためか、妻であるという実感もいまひとつ湧かない。そして、それは夫も同じなのではないか。これでは夫婦というより同居人だ。
どうしようもなく落ち込んだときには、それでもいいか、と考えることもある。同居人として仲良く暮らすことだけを求めるのだ、夫婦の基盤や家族の絆といったものを躍起になって得ようとはせず。彼といれば、「たのしい」と「ラク」は保証されている。それも悪くないのではないか。
この性格だから、「こんな無為な生き方をしていていいのか」という思いに苛まれることもあるだろう。まわりがみな堅実な人生を歩んでいるように見え、「自分には確かなものがなにもない」と不安に駆られることもあるかもしれない。
でも、休暇にはふたりで海外に出かけ、週末は独身の友人と遊び、こうして日記を書いて過ごしていたら、五十年くらい案外あっという間に経っちゃうかもしれないよね。
……なあんて。

「私、このままふたりだけで暮らしていくのもありかなって思ってるんよ」
私の中で結婚当初、「子どもはまだいいや」だったのが「子ども?とんでもない。うちはまだまだ」になり、いつしか「子どもを持たないという選択肢もないわけじゃない」に変化していた。
いますぐ結論を出そうとは思ってはいない。でも、私にとって子どもを作る、作らないは名実ともに夫たる人物あってはじめて考えられること。そのことは伝えておかなくては、と思った。
「いまのあなたがいい父親になれるとは思えないし、私もないの。この状態で、なにがあっても逃げ出すことのできない一生の役割を背負う自信も、勇気も」
仮に私たちが五十になったとき、子どもがいなかったとして。妻の決心がつかずぐずぐずしているうちにタイムオーバーになって……というのと、ある段階で「ふたりで身軽に生きよう」と決めて作らなかったというのとでは、道程の質はまったく違う気がする。
四年目、五年目の結婚記念日に「この一年も進歩がなかった。子どもはまだ無理だ」とため息をつくのは嫌だ。
「海外にもスキーにもこれまで通り行けるし、休みの日も好きなだけネットできるよ。子どもがいないと寂しいこともあるかもしれないけど、結婚しない人はみんなそうだし、子どもがいるから老後は安心って時代でもないし。それに、あなたもとくに子ども好きってわけじゃないでしょ」
そう言いながら夫のほうに目をやり……どきりとした。この人のこんなに悲しげな顔を見たことがないと思った。
パソコンを閉じ、夫がダイニングテーブルのイスを引いた。ちょっと驚く。私の話を聞くためにリビングからわざわざやってくるなんてまずないことだ。
「最近は……そんなことない」
なにが?
「子ども、かわいいと思う」
予想外の言葉に胸を突かれる。
そして、かつてここに記した言葉がふいによみがえってきた。二〇〇一年一月の日記の中にこんな一文がある。
「『子どもを作ろう』って思えたとき、私は本当に幸せなのだと思う」
そんな日が来るか来ないかはわからない。けれど、きっとあきらめてはいけないのだろう。
私は最善をあきらめまい、彼を好きで一緒にいるうちは。なぜなら。
「最善ではなく、次善を」
それはやっぱり、私らしい生き方ではない気がするんだよ。

【あとがき】
日記を書くということ自体はひとりで行う地味な作業だけど、そうやって自分の“中身”をアウトプットしたものがどれだけ多くの出会いを運んできてくれたことか。たくさんのエールをいただきました。ふだんはそっと見守ってくれている方がさりげなく、しかし力強い言葉を掛けてくれたり、またある方は誰にでもできる話ではなかったであろう、ご自身の話を打ち明けてくださったり。感謝の気持ちでいっぱい。本当にありがとう。


2003年10月20日(月) 考えどき(前編)

先日、職場の同僚がオメデタ報告をしてくれた。
「二十八でひとりめ出産ってちょうどいいやん」なんて言いながら、でもあなた、子どもはまだまだとか言ってなかったっけ?とつっこむと、彼女は照れ笑い。
「そうやねん、ほんまはあと一、二年は夫婦水入らずでおるつもりやってんけどさ。でもまあ、遅かれ早かれ作るんやし」
明るい彼女なら、きっといいママになる。私は心からのおめでとうを伝えた。
しかし、私は気づいていた。心の中に「その言葉」を至極冷静につまらなそうに聞くもうひとりの自分がいることに。
「遅かれ早かれ作るんやし」
ふうん、そういうものなんだ?

以前から訊いてみたかったことがある。みっともなくて、これまでその機会を作る勇気が持てなかったのだが、今日は思い切って訊いてみよう。
「みなさん、夫婦でいつもどんな話をしているんですか」
「みなさん、週末はなにをして過ごしているんですか」
わが家には「会話」というものがない。
夫は仕事の都合で週の大半は家を空けている。結婚して間もなくの頃、夫の営業担当が遠方の地域に変わり、それから二年半、私たち夫婦は月曜の朝「行ってきます」「行ってらっしゃい」をしたら金曜の夜までお互いの顔を見ないという生活をしてきた。
しかしながら、会話がないのは「夫婦で過ごす時間があまりにも少ない」という物理的事情が理由ではない。
たとえ週末婚でも、気持ちがあればその二日間で平日の埋め合わせをすることは可能である。私たちのあいだでそれが叶わないのは------決して夫ひとりのせいにするつもりはないけれど、それでも最大の心当たりは------彼が夫婦間のコミュニケーションの必要性、有用性についてまともに考えたことがないからではないかと私は思っている。
先週の三連休、夫はひとりで韓国に遊びに行っていたのであるが、帰ってくるなりパソコンの電源を入れた。彼が「ただいま」のあいさつもそこそこにパソコンに向かうなんていうのは、毎週金曜の夜は必ず目にしているいまさらな光景である。しかし、旅行から帰ってきてもそうなのか……。さすがにカチンときた私はダイニングから声を掛けた。
「どのあたりを歩いてきたとかなにを食べたとかどこのホテルに泊まったとか、そういう話はないの?」
すると、彼はモニタから視線を外すことなく言った。
「そんな尋問みたいに訊かれたって答えられないよ。いま帰ってきたばかりなんだから、ちょっと待って」
口調にうんざり感をにじませてしまった私も悪かったのだが、結局韓国の話はこれっきりになった。
べつにがっかりする必要はない、と自分に言い聞かせる。だって、これもいつものことだもの。
先月、夫はヨーロッパ出張に出かけていたのだが、あちらでどうだったこうだったという話が彼の口から自主的に語られることはやはりなかった。尋ねればそれについての答えは返ってくるが、そこから話が広がることはない。
私がオフ会に出かけても、「楽しかった?」のひとことが掛けられることもなく。どんな人が来ていたのか気にならないの、写真を見たくならないのと言うと、「だってネットの人たちなんでしょう?聞いたってわからないし」と返ってきた。
そう、これこそが夫とのあいだに会話が成立しない理由なのだ。
学校や職場で知り合ったふたりではないから、共通の友人がいるわけでない。一緒に時間や空間を分かち合えるような趣味もない。そんな私たちが「どうせわからない」と話すこと、聞くことを放棄してしまったら、話題にできることなどほとんど残らない。だから、私たちは本当に首を傾げたくなるくらい中身のある会話をしない夫婦である。
すでに冷え切った夫婦関係であるならば、「ま、いいや」と思うこともできよう。しかし、私たちはそうではない。どちらかと言えば仲は良いほうだし、彼の私への気持ちも結婚当初とそう変わっていないだろう。
にもかかわらず、夫が留守中の妻の様子を知りたがることも心配することもないのはどうしてなのか。
たぶん面倒くさいのだ。彼は自分のわからない話を説明してもらってまで理解したいと思えないのだろう。なぜって?妻への興味が薄いから。
愛情の有無とは無関係に、というのがよくわからないところではある。しかし、彼の中にある関心事を比重の大きい順に並べていったら、「妻」という項目がかなり下のほうに位置することは間違いない。 (後編につづく)

【あとがき】
たまに「小町さんのところは仲良さそうでうらやましい」なんて言っていただくことがありますが、うん、たしかに仲はいい。でも見映えがいくらよくても、中身がこんなスカスカじゃあね……。


2003年10月17日(金) 上手な苦情の言い方

読み手の方からのメールはどれもうれしくありがたいものであるが、とりわけ胸にじーんとくるのは過去ログに感想をいただいたときだ。
たまに「過去ログ制覇しました」なんて言ってくださる方がいる。一話読むのに数分かかるこのテキスト、三年分を読破するにはいったいどれほどの時間がかかっただろう?と考えると、そちらに足を向けては寝られないなとまじめに思う。
さて、先日ある女性から今年の初めに書いた「『禁ガキ車』と大人の領分」というテキストを読んでの感想が届いたのだけれど、その中で彼女はこんな話を聞かせてくれた。
贔屓にしている宿がある。温泉地にはめずらしいプチリゾートホテル風の建物も素敵なのだが、そこではディナーにイタリアンのコースが食べられる。お客が多少ドレスアップして席に着く、そんな雰囲気のレストランでの夕食を楽しみにオープン当初から通っている。
しかしここ数回、がっかりしていることがある。それはファミリー客の、周囲への気遣いのなさ。小さな子どもが二時間ものあいだおとなしくしていられるはずがなく、カトラリーで皿を叩いて遊んだり、テーブルのあいだを走り回ったり、大声を出したり……とそれはにぎやか。親たちはあきらめているのか放置しているし、レストランのスタッフが注意を促すこともない。「おしゃれして高いお金を払って来ているのにどうして」と悲しくなる。
温泉も部屋も料理も申し分ないだけに、この一点が残念でならない。そこで前回訪ねたとき、支配人宛てに「ファミリー客と大人だけの客の場所を分けるというお考えはないですか?」と手紙を書いた------という内容だ。

苦情を申し立てるというのは、実にむずかしいことである。
村上春樹さんは「苦情の手紙の書き方」(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』所収 新潮文庫)と題するエッセイの中で、「良い苦情の手紙の書き方にはこつがある。それは七分褒め、三分けなすことである」とおっしゃっている。
「貴店にはこれだけ素晴らしいところがあるのに、これはいかにも惜しい」というメッセージにする。けなしてばかりではこちらの真意は相手に届かないというのだ。
これには頷けるものがある。フード業界の会社に勤めていた頃、消費者からのクレーム電話を受ける機会があった。百貨店の食料品フロアに店舗をかまえていたので商品の入れ間違いや販売員の接客応対への不満、「まずい」「変な匂いがする」といった商品そのものに関する問い合わせなど、苦情の種類は多岐に渡っていた。
が、その内容にかかわらず当時私がよく思ったのは、「苦情とはいえ、もう少し上手に言えばよいのに」ということだった。
社名を名乗りきらぬうちから、「お宅の社員教育はどうなってんの!」と叫びだす。いつどこの店舗で買い物をした客であるかといったことを述べることもなく。こちらを「おまえ」呼ばわりで一方的にまくしたてる人もいれば、嫌みっぽく同業他社の商品やサービスの良さを挙げ連ねる人もいる。
しかし、相手にとって耳の痛い話をするときほど丁寧に接するよう努めなければ、いかにその主張が真っ当でも百パーセント伝えることはむずかしい。「名乗りもしないで常識のない奴」「この無礼なもの言いはなんだ」なんて具合に内容以前の段階で相手をカチンとさせてしまったら、肝心のことを伝えられずに終わってしまうのだ。

相手が気分を害す可能性のある話ほど誠実に、慎重に。これはクレームをつけるときに限ったことではない。
こうしてサイトをやっていると、あまり愉快な気分では読むことのできない類の……率直に言えば“不躾な”メールが届くことがある。そんな場合でも一理あると思えばシュンとしてみたりするわけだが、しかしそれにしてももうちょっと穏便に書くことはできなかったのかしら、と首を傾げたくなることは少なくない。
たとえば、その手のメールにはハンドルネームが記されていないことがほとんどであるが、そこに差出人の名があるのとないのとでは受け手の心証はまったく違う。きちんと名乗ってあれば仮に内容が理不尽なものであったとしても、こちらは真剣に読まなくちゃという気にさせられるものだ。逆に言えば、書く側はそこを押さえておけば相手に「こんなのただの言いがかりだ」で片づけられてしまう可能性をぐんと下げられるということ。
私がこういうメールにこそ書き出しに「はじめまして」「こんにちは」のひとことを入れてはどうだろう?と思うのも、同じ理由である。
どんなに想像力の乏しい人でも、自分が言おうとしていることが相手にとって面白くない内容であるということくらいわかるだろう。そういうときこそ真意を伝えるために心がけたほうが賢明なことがあるのではないだろうか。
不平不満をぶちまけてすっきりできればそれでいい、という場合も中にはあろうが、人が何かに対して苦情を申し立てるのはたいてい事態の改善を求めてのことである。つまり、「苦情を言う」と「依頼する」はまったく異なることのように見えて、実は同じことなのだ。
感情的にならない。受け手も人の子、ということを忘れない。それらは相手に対する遠慮や気遣いではない。
手紙を書く、電話をかけるといった行為に費した時間や手間を無駄にしたくないと思うなら、そうしたほうが得だからだ。

冒頭で紹介した女性の元に、宿の支配人から手書きの返事が届いたそうだ。
「私の意見が今後どう反映されるのか、あるいはされないのかはわからないけど、これであの宿の評価がまた一段と上がりました」
苦情を言う側、言われる側。両者の度量次第でこんな幸せな結果が生まれることもある。

※参照日記 2003年1月8日付け 「『禁ガキ車』と大人の領分

【あとがき】
相手が個人であれ企業や店であれ、私は苦情を言うことはほとんどないですね。よく「叱られているうちが華」なんて言いますけれど、たしかにそうですね。黙って去り、二度と訪ねない(近づかない)私はあまり親切ではないのでしょうね。ちなみにweb日記を読んでいて「それは違うだろう」なんて思っても、書き手に意見したり反論したりすることはまずないです。人の考えに興味はあるけど、執着はない。私は「自分は自分」というのが強いですが、「相手は相手」というのも同様に強い。


2003年10月15日(水) ボウリングOFF開催(オフレポ後編)

前編はこちら。

投げたあとは、飲む。というわけで、お初天神通りの居酒屋にて二次会。
「飲み放題ですからガンガンいってくださいね」「はあーい!」なんてやっているうちに、「てあとる ちょむ」のちょむさん登場。
お友達の披露宴に出席した後、駆けつけてくれた彼女はピンク色のサテンのワンピースに女っぽくアップにした髪。あの一座の中で彼女がひときわまぶしく見えたのは、揃いも揃ってジーンズ姿の女性陣がレフ板の役割を果たしたからだろうか(なんて言ったら、「隣に座ってた小町さんが最強のレフ板だった」と言われてしまいそう)。
これで本日の参加者が全員集合。今回のオフ会の趣旨は「日記の読み書きを趣味とする者同士、にぎやかに遊びましょう」で、とてもくだけた集まりだった。なので私は幹事と名乗るほどの仕事はしていないのだけれど、一応乾杯の音頭を取らせてもらい、二次会がスタート。
自己紹介を兼ねて日記読み歴や、メンバーの中に以前からの知り合いはいたかといったことをみなで話していたのだけれど、うちの一人が「参加者リストが届いたとき、愛読日記の作者さんが二人も入ってたからヤッター!と思った」と言うのを聞いてうれしくなった。
行きつけのサイトのリンクページに載っている日記を訪ねたら相性がよかった、というのはよくある話だ。こういう偶然があってもちっとも不思議はないのだが、それでも一回のオフ会でブックマークの中の三つの日記の書き手を制覇するというのはかなりのラッキーではないかしらん。
さて、この二次会では日記関連以外にもいろいろ面白い話をしたのだけれど、とりわけ私が身を乗り出して聞いたのはやはり「会ってみて実物はどうだったか」についてのみなの回答だ。
ギャップはあった?と尋ねながら、私はひそかにこんな言葉を期待していた。
「こんなオンナっぽい人だったなんてびっくりしました」
「知的で大人の女性って感じ。テキストのイメージ通りですね」
誰か一人くらいそう言ってくれるのではないか、と。なんといっても私は今日の幹事なのである。が、そうは問屋が卸さなかった。
見た目について、「思ってたより若かった」と言ったのはあずみさん。「あら、そう?」と相好を崩したのも束の間、彼女は無邪気にこう続けた。
「だってプロフィールのところの横顔の絵、老けてますよねえ。あれ、顎のあたりの肉がたるんでません?」
ひえー。なんてことを言うんだ、この人は。
「た……たるんでなんかないわよ!」と涙目で反論しながら、ショックのあまりテーブルの上のジョッキをドミノ倒ししてしまいそうになった。
すると、今度はまぁこさんがこんなことを言う。
「眉毛ボーン!化粧バッチリー!のいかにも姐御って感じの気の強そうな顔してるのかと思ってた」
そりゃあね、私はお世辞は嫌いだって言いましたよ、言いましたけどね、あなたたちの辞書に「立てる」という言葉は載ってないわけっ。
忌憚のないコメントの数々。サイトの中の自分の姿をこんなにはっきり鏡に映してみたのは初めてである。
「じゃあさ、中身についてはどうだった?」
気を取り直して尋ねると、こちらは見た目以上に大きなギャップがあったらしい。
「ゆっくり話す人かと思ってたら、わあーっとしゃべる人だったから驚いた」 (藤さん)
「もっと静かで落ち着いた感じの、古風な人を想像してた……」 (そうさん)
「テキストより十数年若く見えた。大学生のコンパの世界そのままに生きている人だな、と」 (江草さん)
「あまりにも……気さくで……」 (mamacchiさん)
近寄りがたい雰囲気の人かと思っていた、というメンバーの共通見解に、「そんなことないって。私ほどフレンドリーな人間はちょっといないよ。ねえ、そうでしょう?」とちょむさんに同意を求めたのは、彼女が私よりうんと年下だったから……というわけではない。それなのに、「あ、は、はいっ、小町さんはメールではす、す、すごくフレンドリー……」としどろもどろになりながら答えた彼女にみなから同情のまなざしが注がれた。
これはもうほとんど断言できるのだけれど、オフ会に出席するたびに私という人間の重みのなさが知れ渡っていくようだ。その場に居合わせた人だけでなく、オフレポを読んだ人にも。江草さんは私のことを「年齢以上の風格を感じさせる人なのでは」と想像してくださっていたそうだ。そんな話を聞くと、ちょっぴり申し訳ない気が。
しかし、われながら悪趣味だなと思うのだが、文章だけで作り上げられた誰かの中のイメージを破壊し、「こんな人だったの!?」と驚かせるのが嫌いではないのである。

今回のオフ会、「現在誰々が参加表明してくれています」といった経過報告はしなかったので、申し込みのメールを送るのはさぞかし勇気がいっただろうと思う。実際、オフの直前にメンバーの一人から「浮いてしまったらどうしよう」とメールが届いたこともあった。
しかし蓋を開けたら当の彼女が一番のムードメーカーとなっており、日記には「勇気出してよかった、ほんまに。会えて本当によかったもん」と書いてくださっていた。
胸がいっぱいになる。帰り道、私も同じことを考えていたから。参加者を公募するなんて無謀なのでは……と思っていた。危険だ、参加者に迷惑をかけるようなことがあったらどうするんだ?人数が集まらないかもしれないという不安もあった。それでもやってみたかった。
「案ずるより産むが素敵」
私はこれからたくさんのシーンでこの言葉を思い浮かべることになるだろう。
さちさんはじめ何人かの方が「世界が広がってうれしい」と言ってくれたけれど、こちらこそ大きな糧をもらいました。みんな、本当にありがとう。

■ こちらのオフレポもぜひご覧あれ。
歯医者さんの一服/そうさん   (そうさん、パワーボウラーの割にスコアが……あ、いやいや)
てあとる ちょむ/ちょむさん  (う、う、後ろ姿を褒めてくれてありがとう。うう……)
ええんちゃう/まぁこさん   (そうそう、どうせならやらずの後悔よりやっての後悔です)

【あとがき】
三次会をした帰り、駅に向かって歩きながらひとりに尋ねる。「誰が来るのかもわからなくて、参加表明するとき不安だったでしょう?」そしたら、「でも、小町さんとこ読んでてこういうとこ来る人に、そんなおかしな人はいないだろうって思ってたから」と。この「漠然とした安心感のようなもの」が損なわれることのないように、私は努めていきたいなあ……と思ったのでした。


2003年10月13日(月) ボウリングOFF開催(オフレポ前編)

覚えておいでだろうか。八月の終わりにここで、「サイト持ちもロム専門も関係なし、『日記の読み書きが趣味』という共通項を持つ人たちでボウリングしませんか?」と声をかけたのを。
土曜の午後、どんな人が何人来るかもわからない、そんな正体不明の集まりに単身で申し込んでくださった勇気ある方々が梅田に集結した。
今回のボウリングOFFのメンバーは総勢九名。日記書きさんは「教師EXAの秘密の部屋」の江草乗さん、「歯医者さんの一服」のそうさん、「てあとる ちょむ」のちょむさん、「e*toile」の藤さん、「ええんちゃう」のまぁこさん。ロム専門の方は、あずみさん、さちさん、mamacchiさん。そして、幹事の私。

初対面の人間が待ち合わせをするとき、重要なのは目印だ。
約束の場所は某百貨店の正面玄関。そこは人の往来が激しい上、私は携帯電話を持っていない。そのため、確実に「あ、小町さんだ」と識別してもらえるなにかをみんなに提示しておく必要があった。
しかしながら、これといった身体的特徴のない私。どうしたものかと考えあぐねていたところ、オフ会連絡用に設置した掲示板にメンバーのひとりのこんな書き込みを見つけた。
「では江草さんを目印にします」
思わず膝を打った。江草さんはサイトに写真を公開しておられ、当日もトレードマークのハンティング帽とグラサン姿でお越しになるとのこと。これ以上の目印があるだろうか。
そう思ったのは私だけではなかったらしい。その後、「私も江草さんを探します」という書き込みがぞくぞくとつづき、本当に「じゃあ当日は江草さんの元に集合」ということになってしまった。
私は待ち合わせ場所に着くやいなや、あ!と声をあげていた。一秒でわかった。“人間目印”江草さん(本当にそのままだった)を囲むように男性ひとり、女性三人の姿があった。そうさん、さちさん、まぁこさん、mamacchiさんである。
一次会のボウリングからの参加者は七人なのだが、約束の十分前ですでに私は六番手。一番乗りのまぁこさんは三十分も前に到着していたそうだ。
「もしみんなが見つからなかったらね……」と言いながら、そうさんがおもむろにカバンの中から取り出したのは歯科用ミラー。銀色の棒の先に丸い鏡のついたあれだ。
「これをかざして探そうと思ってたんですよ、フッフッフッ」
ひと目見て「まあ、イメージ通りの人だわー(実直で優しそう)」と思ったのだけれど、かなりひょうきんな方のよう。ひさびさのボウリングに備え、診療所で投球の素振りをしていたらスタッフに目撃され、笑われてしまったのだそうだ。
そうこうしているうちに京都組のひとり、藤さんが到着。七人揃ったところで意気揚々とボウリング場に向かった。
男性がちょうど二人。というわけで、女性陣はグッパでチーム分け。江草さん率いる「言いたい放題チーム」は、さちさんと私。そうさん率いる「歯医者さんチーム」は、藤さん、まぁこさん、mamacchiさん。これで対抗戦を行うのだ。
私はみんなの闘志に火をつけるべく、声高らかにゲーム開始宣言をする。
「さあ、みなさん、死ぬ気で戦ってください!勝ったチームにはどんないいことが待っているかというと……」
一同、ごくり。
「小町さんのオフレポにすてきに書いてもらえまあす!」
肩を落とす音まで聞こえたように思ったのは気のせいだろうか。
リーダーの投球でいよいよゲーム開始。昔はサークルの仲間とこんなふうに男女入り混じってよく遊んだよなあ……と思わず遠い目をしてしまったが、みんなにとってもこういう集まりはひさしぶりだったのかもしれない。顔を合わせて一時間ほどしか経っていないというのに、誰かがストライクを出せばチーム全員でハイタッチ。不思議な力が働いて私が四フレーム連続マークを出したときには、あちら側から親指を下に向けての大ブーイングが。もう少し人数がいたらウェーブもやりかねない……と空恐ろしくなるほどのハイテンションだ。
途中、女だてらに誰よりも重い十二ポンドのボールを操るまぁこさんから、幹事の元にクレームが入る。
「リーダーのそうさんが、二投目はあそこを狙えだのどこから投げろだの、後ろからやいのやいのうるさい。なんとかしてえ」
そういう問題はチーム内で解決するように、と却下しながら、予想以上の打ち解けぶりにうれしいやらホッとするやら。瞼の奥がちょっぴり熱くなってしまった。
おしゃべりに花を咲かせすぎたために、「二ゲームでしたら十分なお時間です」と言われていた八十五分を十分も延長して、ようやくゲーム終了。結果は百十四ポイントという圧倒的な差をつけて、わが「言いたい放題チーム」の勝利。
こんなことならまともな「賞品」を考えておくんだった、と唇を噛みつつ、二次会からの参加メンバーの一人、あずみさんと合流、居酒屋へと向かった。 (後編につづく)

【あとがき】
書き手同士の交流は盛んだけれど、サイトを持たない読み手が参加したオフ会の話はほとんど聞かない。だけど私はロム専の方にも会ってみたかったし、横のつながりを持たないその人たちが『われ思ふ ゆえに・・・』を通じて知り合って、もし日記読みにさらなる楽しみを見出すようになってくれたら、こんなにすてきなことはない。そんなわけでサイト上で参加者を募ってみたのです。


2003年10月03日(金) 現品限り

女性誌の読者の広場的コーナーで、「店員の『これが最後のひとつです』のセールストークが嫌い」という若い女性の投稿を見つけた。
彼女曰く、その言葉を信じて買っても、後日その店に行くと必ず同じものが並んでいる。「今後入荷の予定はない」は信用ならず、これを言われるとむっとして買わずに店を出てくるのだ、という内容だった。
彼女ほど頑なではないし、理由も違うが、私もやはり店に残った“最後の一点”は買わない。袋に入れられずに店頭に飾られて埃をかぶったり、他人の指紋や汗がついたりしているものを新品の値段で買うのは気がすすまない。使いはじめたらそのくらいの汚れはすぐに自分がつけてしまうことはわかっているが、購入時点ですでに老化がはじまっているというのはやはり損な気がする。

先日ブティックの前を通りかかったら、ショーウィンドウの中のマネキンが着ているセーターが目に留まった。
同じものを試着したいと言ったところ、「あれが最後の一点なんです」と店員さん。慣れた手つきであっという間にマネキンを裸にし、どうぞと手渡してくれた。そのセーターはなかなか素敵だった。
しかし、彼女に「じゃあこれ、取り寄せてもらえますか」と言ったとたん、さきほどまでの笑顔がけげんな表情に変わった。
「なにか不都合がありましたか」
なぜこれではだめなのか。前に試着した誰かの口紅がついていたり、袖口が伸びていたりするとでも?彼女の目がそう言っている。
そういうわけではない。しかし、これまでに何度もこうして誰かが着てはマネキンに着せ直すことを繰り返してきたのだろうと思うと、目に見える不具合がなくても本当の新品という感じがせずイヤなのだ。ましてや、これにはけっこうな値がついている。
無理ならけっこうですと伝えると、彼女は黙って連絡先を記入するためのペンを渡してくれた。
こういう場面で、他の方はどうなのだろう。それほどこだわらないものなのだろうか。

先日、またまたスパワールドへ。千円キャンペーンをしているうちにもう一度、と独身時代に勤めていた会社の同僚と滑り込みで行ってきたのだ。
湯に浸かりながら、彼女が「叶姉妹は注射で胸をふくらませている」「ヤワラちゃんのお父さんはヤーさんだから彼女に関する悪い噂は絶対に立たない」といったワイドショーネタを次々に披露してくれる。どうしてそんなに詳しいのだろうと思ったら、最近おすぎとピーコのトークショーに行き、「ちょっとアンタたち、ここだけの話にしてちょうだいよッ」な話をごっそり仕入れてきたらしい。
「そういえば美香さんの胸っていびつやもんね」「そうそう、見るからに左が大きい」なんて話でひとしきり盛り上がったあとは、彼女が会社のゴシップを教えてくれたのであるが、その中に私が在籍していた頃から社内の女性を食い散らかしていた(品のない表現で失礼)モテ男にまたしても新しい彼女が発覚、という話があった。
「後から彼女になる人は、『私、誰それさんの妹になるのか』ってことが頭によぎったりせえへんのかな。私やったらその男自体に使い古し感を感じるから、ぜったいイヤやけど」
と彼女が言うのを聞き、ユニークなことを考えるものだとうっかり感心してしまった。
世の中には「○○兄弟」「△△姉妹」(書けませんっ)なんて言葉があり、学生時代、男の子が「アイツの弟になるのだけは我慢できない」と言うのを耳するたび、「ふーん、後発っていうのは大きな敗北感を伴うものなのね」と思ったものだ。そう考えると、最新の彼女が社内にごろごろいる元彼女たちを意識するとき、「私が選ばれたのよ」ではなく「彼女たちのお古なのね……」という卑屈な発想に至ったとしても不思議はないのかもしれない。
たとえそうだとしても。セーターや本と違い、人間だけは「現品限り」。どれも一点物であることは間違いなく。
だとしたら、縁があったなら大切にしなくてはね。こればかりは本当に「再入荷の予定はございません」なのだから。

【あとがき】
文庫本くらいなら表紙に多少傷がついていても買うことはありますが、なんか損をしたような気がします。服だったらなおさら。かぶりものを試着するときは口紅がつくのを防ぐためのベールを渡されるけど、使っていない人もいると思うんですよ。ときどき襟のところに口紅がついていますから。セーターなんかだとハンガーに吊るしたりマネキンに着せっぱなしにしていると重みで伸びているはずだし、店員さんに渋い顔にされようと新品がほしいの。


2003年10月01日(水) 年下の男(後編)

※ 前編はこちら

仕事帰りに立ち寄った書店で、平積みされていた女性誌の表紙に「27歳過ぎたら『年下の彼』」という見出しを見つけた。
とすると、私はその雑誌が言うところの「年下の男を選ぶべき女」にばっちり該当していることになる。どれどれと手に取り、ページを繰ってみる。
年下の男性をパートナーにするといかに“おいしい”か、あれこれ書いてある。世界が広がる、見た目も気持ちも若返る、結婚したら同い年や年上の夫よりコントロールしやすい、先立たれて寂しい老後を送らずにすむ……。そうそう、こんなコメントもあったっけ。
「年上の恋人を持つ友人がセックスレスだと嘆いているのを聞くとかわいそうになります。三つ下の彼に毎晩のように求められ、からだがうれしい悲鳴をあげています!」
しかし、どうなんだろう。どれも年齢云々というより個体差の問題という気がするのだけれど(最後の項目なんてとくに)。特集記事で何ページも割いてあるわりに説得力に欠け、私を年下ワールドに誘うには至らなかった。
私は年下の男性とお付き合いをしたことがない。あちらから求められることがなかったというのもあるが、こちらも興味を持ったことがない。男性が浪人していると学年は下でも実は年齢は同じ、あるいはあちらが上ということもよくあったが、入学や入社の年度がひとつでも自分より新しいと自動的にフィルターにかけられるように恋愛対象から外れた。
私が男性を異性として意識するとき、「色気を感じること」は必須項目。しかし、相手を「○○君」と呼び、あちらから丁寧語で話しかけられる関係の中で、それを見つけるのはむずかしかったのかもしれない。そのため、結婚までの二十数年間の恋愛人生において私の目線が水平より下がることはほとんどなかった。

そんな私がひとつ例外に感じているのが、インターネットの世界。
大学や職場で知り合った男性を「回生」や「社歴」といったものを切り離して見ることはむずかしいが、日記書きの世界には縦の序列を決定づける要素はない。書き手の位置関係は古参・新参、大手・零細にかかわらず並列で、互いに呼び名は「さん」づけ、会話は丁寧語で行う。そのため、相手の年齢に関する情報はなくてもちっとも困らない。
つまり、「色気」が自動的にカットされてしまうことがないということだ。
先日ここで、「色気のある文章を書く男性の日記書きさんがいる」と書いたところ、「○○さんのことではないですか」というメールを十通もいただいた。
私の性格や過去の発言を分析したうえで推理してくださった方もあったが、ほとんどはご自身が色っぽいと感じている男性の名を挙げておられた。残念ながら全部ハズレだったのであるが、文字通り十人十色の回答を「人によってこれだけ感じるポイントが違うのだなあ」と興味深く読みながら、私は色気の正体について考えた。
名前の挙がった十人の中には「言われてみると、たしかにこの人も色っぽいな」と私につぶやかせた方もいたのだが、私はなにをもって色気のあるなしを振り分けているのだろう。
すると、いくつかの共通項があることに気づいた。サイトの中で自分の見せ方をコントロールしていると思われる、読み手とのあいだに一定の距離を保っている、自身や文章に自信とプライドを持っている、などである。
感情の露出が控えめで自分をさらけだしてしまわない、フレンドリーではあるけれどどこかで一線を引いており懐には入れさせない、他人に流されない凛とした感じ------どうも私はそういうところに男の色気を感じるらしいのだ。
これは、以前ある日記にリストアップされていた「筆美男子な日記書きさんたち」を頷きながら拝見したときにも感じたことであり、年齢とは関係がない。

性別不明の文章を書く人はあまりいないが、年齢不詳の文章を書く人は少なくない。つい先日も、自分よりぐっと年上に違いないと思っていた日記書きさんが二十代半ばだったと知って愕然としたばかりである。
そして、かくいう私も日記の中ではかなり老けて見えるらしい。初めての方からいただくメールの中に「プロフィールを見るまで、もっと年上の方が書いているのかと思ってました」という一文を見つけるのはめずらしくないし、五十代の方に同じ世代だと思っていたと言われたこともある。
しかし、これが不思議と悪い気はしないんだな。顔かたちで年上に見られたら屈辱を感じるのに、文章のために老けて見られるのはかまわない。これはどういうわけなんだろう。
私にとって日記を通じて知り合った人の年齢というのは、その人の居住地と同じくらい意識することのない情報である。序列のないこの世界では、相手が年上か年下かによって接し方を変える必要がない。私の中にある内訳は「懐の内にいる人」か「外の人」かの二つだけだ。
そこには「年下の男」も「年下の女」も「年上の男」も「年上の女」も存在しない------これは私がインターネットの中の人間関係に煩わしさを覚えることが少ない理由のひとつである。

【あとがき】
「筆美男子」のあの企画は面白かったですね。そう、「この人は美しいのではないか」と想像させるような文章を書く男性日記書きさんが12名ピックアップされていたんですよね。読んだことのないサイトを除くと、私が「うん、わかるなあ」と頷いた確率は75%でしたので、その企画をした方(男性)とはかなり感覚が近いと言えると思います。ちなみに「筆美人」の企画もやっておられましたが、誰が選ばれていたのかすっかり忘れていることから、筆美男子ほどの興味が持てなかったことがうかがえます。