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2002年11月24日(日) 土産は語る

林真理子さんのエッセイの中にこんなくだりがあった。

つき合っていた男性から、海外出張の土産にスカーフをもらった。セリーヌのスカーフである。私はそれを見て、この男性との仲も長くないナと思ったものである。


解説しよう。その土産は男性が帰りの飛行機の中で調達したものだった。
「JALの機内販売ではエルメスのスカーフ(2万円)も買えたのに、彼は7千円をケチってセリーヌ(1万3千円)を選んだ。本当に私のことを思っていてくれるなら、エルメスに手が伸びるのが男のまことというものではないだろうか」
というのが彼女の言い分である。
プレゼントというのは気持ちの問題だろう、なんて可愛げのない女なんだ、とモニターの向こうでぷりぷりする男性陣の姿が目に浮かぶようだが、私は彼女の「人のココロはこういうささやかな判断のときにわかる」という主張に頷く。もっとも、金額うんぬんの部分にではなく、相手の気持ちは「品」に反映されているという点についてだけれど。
どんな色やデザインを選んだかに彼のセンスが表れ、何を選んだかに気持ちの種類や量が表れるというのが私の持論。こちらへの気持ちが恋愛感情か、友情か、はたまた義理か。それは彼が自分のために選んだものを見ればわかる。
その昔、誕生日にバカラのペンダントをプレゼントしてくれた彼が数年後、友人と共同購入した際に余った(と思われる)プリンターをかついで家にやってきたときは目眩がしたものである。
「今年はそんなもんで間に合わせよったか……」
胸によぎったイヤーな予感は半年後、的中した。
逆のパターンもある。男性の友人から海外旅行の土産にエプロンをもらったとき、心の中でうーむとうなった。
ハロッズのロゴやディズニーキャラクターのイラストが入ったようなカジュアルなものであったなら、深く考えたりはしなかった。だが、それは若奥様に似合いそうな、とても綺麗でレーシーなエプロンだった。
これってどうなんだろうと思っていたら、やはりこの予感も当たっていた。
自分への思いが形になったものがその品であるからして、そこに相手の気持ちを見出そうとするのは無謀なことではないはずだ。たしかにプレゼントは金額ではない。しかし、林さんとおつき合いしているような人が私たちと同じようなお財布事情とも思えないので、彼女が「7千円」という部分で恋人の愛情を量ったことをイヤな女だと非難する気にはならない。

土産といえば、私にとって毎旅一番のお荷物が「土産を買う」という用事である。
職場にばらまくお菓子ならどうということはないけれど、夫の実家や友人のためのちょっとしたものとなるととたんに荷が重くなる。
「どうせなら喜ばれるものでなきゃ」と欲を出すものだから、なかなかこれというものにめぐり会えない。「可愛いけど、使い道ないよなあ」「きっと飾るとこないだろうな」「自分だったら、もらってうれしいか」が頭によぎり、決断できないのだ。やむなく、また明日見よう、次の都市で探そうと持ち越しにするのだが、それは日を追うごとにこちらの気を重くさせる。ああ、さっさと片づけてしまいたいのに……。
先日中国で、七宝焼き風の小物入れだのパンダの置き物だのをためらいなく買う友人を見て、少々うらやましくなったのであった。
ところで、誰かが海外に出かけると聞きつけると、すぐさま買物リストを持ってくる女の子がときどきいるが、私にはこういう真似がどうしてもできない。どんな空港の免税店にもありそうな有名ブランドの口紅ぐらいならともかく、化粧水やファンデーションとなると、横文字だらけのパッケージとにらめっこしながら指定された品番を探し出すのはひと苦労だ。
さらにやっかいなのが、ブランド品のバッグを「いくら以下だったら買ってきて」というもの。お金を先に預けろとか荷物になるじゃないかとかいう問題ではない。こちらがそういう店での買物を旅の目的に入れていないのに、貴重な時間を割かせるようなことをよく頼めるなあという思い。
「店に寄れるかどうかわからんし、期待せんといてな」と予防線を張りながらも、行けばやっぱり探してしまうのだから、われながらお人好しだと思う。
というようなことをずいぶん長いこと思ってきたので、今回の中国旅行では誰にも何も買わずに帰ってきた。そうしたら、土産という宿題がないと旅はこんなに身軽なものなのかと大きな発見。
土産というのは年賀状のやりとりと同じで、「こないだもらったしな」で無限ループに陥りがちだけれど、思いきって切ってみてもどうってことないみたいだ。
よし、今年の年賀状はちょっと数を減らそうか。

【あとがき】
新婚旅行ではとくに苦労しましたね。いつも以上に必要な土産が多かったこともあって、二週間近く猶予があったにもかかわらず、適当なものを見繕うことができず。結局、帰りの機内で調達するという体たらく。あんなのはもうこりごり。今回快適だったし、これからは食べ物以外の土産を無理に買わないことにしよう。あとは絵ハガキで対応。そうだよ、これでいいんじゃん!


2002年11月22日(金) サイト開設二周年

今日、わがサイトはめでたく開設二周年を迎えました。ぱちぱちぱち。
これを機にコンテンツを整理し、一年以上放ったらかしにしていた結婚関連のコーナーを削りました。後学のためにと更新を待っていてくださった方、「そのうち、そのうち」と言いながら約束を守れなくてごめんなさい。
ついでに模様替えもしてみました。「仕事中にこっそり見ようにも派手すぎる」と言われていた壁紙ですが、これでうんと見やすくなったでしょ。さあさ、これからはばんばんアクセスしてちょうだいよ!お昼休みにね!
というわけで、コンテンツが日記と自己紹介だけという、ネット初心者がうれしがってつくる個人サイトの典型みたいなページの誕生です。とっくにそうだったじゃんとかいうツッコミはなし。
サイトのタイトルも『われ思ふ ゆえに・・・』に変更しました。あ、結婚をススメたくなくなったからってわけじゃないからね。念のため。
リンクを張ってくださっている方にはお手数をおかけしてすみません。

二年間を振り返ると、「よくここまでこられたなあ」というのが素直な感想だ。
といっても、「しんどかった、長かった」という意味ではない。私は一日分を書くのに三時間はかかるのだが、それだけの時間を確保しつづけることができた。それは私の生活が安定したものだったからこその成果だから、私はいろいろなものに感謝したい気持ちでいっぱいだ。
と同時に、自分に対する「私、けっこうがんばったよね」という誇らしい気持ちもある。
サイトをはじめるとき、「及第点を与えられるテキストが書けなくなったらやめること」を自分自身に約束した。旅行明けなどしばらくぶりにパソコンに向かうとき、私はいつも「書けなくなっていたらどうしよう」と恐る恐るキーボードに触れる。
それでも、いまこうして385本目のテキストを書くことができている。幸せだなあとしみじみ思う。

いま私が手にしている交流のすべては私が書き手であったから生まれた関係であり、またそのほとんどが書き手であるから存続している関係である。
ネットの中の友人関係というのは本当に微妙なものだと思う。ちょっとした風向きの変化でバランスが崩れ、明日から他人になることだって簡単だ。
二年のあいだに一度だけ、「やめてしまおうか」と真剣に考えたことがある。しかし、ふと思った。
「小町」という名をなくしたら、これまで「書き手と書き手」というスタンスで接してきた日記書きさんたちとの関係はどんなふうになるんだろう。サイトをお持ちでないロム専門の人たちとの付き合いは?
私は「やめられない」と思った。そんなことで消滅するなら本当の友人とはいえないとおっしゃる向きもあるだろう。しかし、文字をよすがに繋がるネットの人間関係というのはこのようにもろく儚いものなのではないだろうか。
「日記書きさんに100の質問」の中に「閉鎖したら困る日記はありますか?」という質問があるけれど、あると答えている人を見たことがない。回答のほとんどは「寂しいと思うサイトはあるけど、困らない」である。しかし、「リアルの友人でいなくなったら困る人はいますか」と聞かれて同じ答えができる人はいるだろうか。
これがオフラインとオンラインでの人の交わり方の違いだろう。「友人」という言葉を使って言い表す関係でも、両者の性質はかなり異なる。
でも、それでいいのだ。いつ手の中から転げ落ちてしまうかわからない不確かなものだけど、それがネットの友人の特性。そういうものなんだと私は素直に受け入れる。
日記を何年読みつづけようと、メールを何百通やりとりしようと、知ることができるのはその人のごく一部。だけど、当然じゃないか。文字や写真だけでパズルを埋めきれるほど人は薄っぺらな存在ではない。
壊れやすいから本物ではない、一部しか知り得ないからリアルの友人に比べて価値が低いとは思わない。そのデリケートなものを守りたいと願い、保つことができているうちはうんと大切にしようと思う。これも新しい友人関係の形態であるはずだ。
三年目突入。今日もあなたがそこにいてくれてうれしいです。

【あとがき】
別れも含めたすべての出会いに感謝している。この世界があることを知ることができてよかった。本当に。


2002年11月16日(土) 中国三大びっくり(後編)

中国三大びっくり。ふたつめは「道路状況のむちゃくちゃさ」だ。
先日、私は大阪の歩行者の交通マナーの悪さについて書いたが、ここはマナーうんぬんのレベルの話ではない。訪れたすべての都市で、わが目を疑う光景が展開されていたのだ。とにかくすごい。
日本では歩行者が信号無視をしても、車は忍耐強く通り過ぎるのを待ってくれるが、中国における人と車の力関係は五分五分。どちらも同じくらい強い。どんなに狭く混みあった道でも車は歩行者の脇をかすめ、すごいスピードで走り抜けていく。
しかし、歩行者のほうも車がどんなにびゅんびゅん走っていようが、それを縫うようにして平気で道路を渡っていく。彼らにとって信号や横断歩道などないも同じ。青信号に変わるのをおとなしく待っている人などゼロ、本当にゼロである。いつまでたっても渡れず歩道に立ち尽くしているのは、きまって私たちのような外国人旅行者だ。
また、自転車の数もハンパでないが、「たかが自転車でしょ」と侮ってはいけない。中国のそれは自転車であって自転車ではない。そのバイクのようなスピードで何度轢き殺されそうになったか。
それの大群がまるでバスを先導するかのように道路の真ん中を悠々と走っている様は壮観とさえ言える。
道路に人、自転車、車が入り乱れるあまりにも不思議な光景。中国に行ったら一見の価値ありだ。私など西安で市街を一望できる鐘楼にのぼり、三十分も眺めていたほどである。

そして、三つめ。この旅最大のビックリは「トイレ」である。
残念ながら、ドアや仕切りのないトイレにお目にかかることはできなかったが、それはまあいい。仮に見つけていても、トライする勇気は出なかっただろうから。サソリは食べても、それだけは無理。
私が腰を抜かしたのは他人が用を足している姿を何度も見せられたからである。
というのも、鍵をかけない人、ドアをちゃんと閉めない人がものすごく多いのだ。表示が「空き」になっているから、ドアが半分開いているから、となにも考えずにパカッとやると取り込み中だった……ということが何度あっただろうか。
おかげで、ドアを開けるときはいつも「黒ひげ危機一髪」をやっているときのような緊張感に包まれたものである。
はなからドアを閉める気のない女性にも二度出くわした。西安のケンタッキーのトイレで、三十代とおぼしき女性が順番待ちをしている友人と談笑しながら用を足していたのには愕然。
私はこれまで、羞恥心というのは人間のきわめて本能に近い部分にある感覚だと思ってきた。「人に見られたら嫌だ」「隠したい」と感じる部分は女であるなら国籍、人種を問わず共通するものである、と。
しかし、髪を茶色に染め、可愛いストラップのついた携帯電話を持ち歩き、フライドチキンを頬張る一見日本人と変わらぬ女性がトイレでは衆人環視の中でしゃがむことができるというこの摩訶不思議。
現地ガイドの方によると、ほんの十年前までトイレにドアがないのは当たり前だったというし、はしたないなんて言うつもりはまったくない。しかし、用を足す姿など一生誰の目にも触れさせないのがふつうである日本人の私にとって、その光景はかなりショックであった。
ところで、旅のあいだ、私がどこに行くにも肌身離さず携帯し、なによりも重宝したのはカメラでもガイドブックでもなく、トイレットペーパーである。
出発の日、中国マニアの友人が関空まで見送りに来てくれたのだが、「ハイ、餞別」と渡されたのがトイレットペーパー1ロール。なんの冗談かと思ったら、あちらのトイレには紙がないからこれを持って行けと言う。「こんなものを?」と思ったが、持ち歩いてみるとなかなかどうして便利なのである。トイレはもちろんのこと、食堂のテーブルが汚れていてもこれさえあれば安心。ポケットティッシュだといくらあっても間に合わないが、トイレットペーパーならケチケチしないで使えてとてもいい。
しかし、この便利さ、実に危険だ。やみつきになりそうで。
大阪の街中でバッグの中からやおらトイレットペーパーを取り出す女がいたら、それは私です。

【あとがき】
他にも驚いたことはたくさん。英語があまりにも通じなかったこと。中国で英語の通用具合は日本並みと聞いていたが、若い女の子にも「キャンユースピークイングリッシュ?」が通じないことはザラで、はっきり言って日本未満。ここまで通じなかった国ははじめてです。それともうひとつは、結婚していない男女はホテルで同室には泊まれないということ。これは海外からの旅行者も同じ。ハネムーンで中国に行くときはパスポートの名前を必ず統一しておきましょう。だけど婚前交渉は当たり前にあるそうで、旅行に行ったり同棲したりの状況は日本と同じだそうです(現地ガイドさんから根堀り葉堀り聞きだした。「変なことばかり聞きますね」と言われた)。


2002年11月14日(木) 中国三大びっくり(前編)

無事中国から帰ってきました。
六時四十五分起床、八時にはホテルを飛び出す毎日。次またいつ来られるかわからない、ひとつでも多くのものを見ておきたいという気持ちで、寸暇を惜しんでとにかく歩いた一週間だった。
万里の長城、故宮、兵馬俑坑など五ヶ所のユネスコ世界遺産を訪ね、中国の伝統芸能「京劇」「上海雑技団」を鑑賞し、北京ダックに餃子宴、上海蟹に小籠包といった名物と呼ばれるものも総ナメ。こんなにハードな旅はしたことがなかったけれど、こんなに充実した旅もまたはじめてである。
さて、「どこがよかった、なにがおいしかった」なんて話はガイドブックを開けばいくらでも書いてあるので、この旅レポでは私の感動体験をお話しようと思う。名づけて、小町の中国三大びっくり。

まずは食べ物について書きたい。
といっても、「十元(百五十円)も出せばおなかいっぱいごはんが食べられて安っ!」とかそんな話ではない。中国の人が「空を飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものは机以外なんでも食べる」と言われるほど野味を好む人種であるというのは聞いてはいたが、実際に私は何度も彼らの食に腰を抜かした。
一日目の夜、「北京ダックといえばここ」という有名な店で食事をしたのだが、コースの中の揚げ物に添えられた見慣れぬ物体に目が釘付けになった。
体長五センチ、黒くて昆虫っぽい。なんだかとっても不吉な予感、すでに鳥肌スタンバイ。
顔を近づけてそれが何かわかった瞬間、私はひいっと小さな悲鳴をあげてしまった。サソリだったのである。
「サソリの唐揚げ、とてもおいしいです。体にもいいね」
店員さんが笑顔で言う。
「いったい誰が食べるんですか……」
「みんな好きです。子どもも食べます」
こんな気味の悪いものを食べるだなんて信じられない。もしかしてからかわれているのだろうか。
が、「本当に本当なのか」を繰り返していると、「これを食べないで帰るなら、うちに食事に来た意味がない」と言われてしまった。
で、どうしたのかって?ええ、ええ、食べましたよ、食べましたとも。行儀の悪い話で恐縮だが、しっぽの先っぽをつまみ(本当は触るのもイヤ!)、口の中に入れるところまではなんとか。しかし、どうしても舌の上に乗せることができない。
「やっぱり無理ー!」とテーブルに突っ伏し、意を決してはまた挑戦……の繰り返しで、結局それに対峙しはじめてから咀嚼するまでに三十分かかった。
お味のほうはと言うと、これがよくわからない。なんせあわてて飲み込んだものだから。
しかし友人が言うには「味はなかった。でもカリカリしてて小海老の唐揚げみたいだった」そうだ。

何十軒もの屋台が立ち並ぶ北京の夜市では、ヒトデにざりがに、イモ虫にセミにキリギリスなど、ゲテモノとしか言えない串揚げがどの店にも品揃えしてあって呆然。
「こんなもの誰が注文するんだ!」と思ったら、隣の若いカップルが食べていて愕然。タコを食べない国の人は「よくあんなグロテスクなものを」という目で日本人を見るようだが、彼らにとっては私の視線がそれに当たるのだろう。
食は中国に在り。食文化の奥深さを身をもって知る貴重な体験だった。だけど、野趣あふれすぎる素材はやっぱりNOだ。

残りのふたつのびっくりは次回の日記でお届けします。
話変わって、「ラブレター・フロム・チャイナ」をリクエストしてくださったみなさんへ。
私はなにかに感動したり驚いたりすると、すぐに誰かに話したくなるクチ。今回も旅の経過を報告しようというよりは、「ちょっと聞いてえ」という気分で書きました。
横から覗き込んだ友人に絶句されてしまった代物ですが(なぜかは受け取ったらわかるかと)、心を込めて書きました。おしゃべりを聞いてくれてありがとう。

【あとがき】
北京ダックも上海蟹もコースで200元(3000円)。日本では信じられない値段です。中国は食べ物が安くておいしい!食いしん坊にはたまりません。ふだんスーパーでは中国産の野菜や肉は買わないようにしている私も(残留農薬や肥育飼料があやしいから)、この旅では名物を味わい尽くしてきました。西安の餃子にパオモー、上海の小籠包、刀削麺もすばらしく美味だったなあ。欧米に一週間いるといつも和食が恋しくなるけど、今回は全然。それどころか帰りに駅で551の豚まんを買って帰ってしまったぐらい。あー、おいしかった。