不機嫌なブーケ QLOOKアクセス解析

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2005年10月30日(日) 土曜日。


息子「おかあさん!おかあさん!すごいのが出来た、早く来てっ早く」

すごいのと言うのは並べたドミノ。

母「はいはい、あいたあっ

息子が繋ぎっぱなしのゲームキューブにつまづく。

母「あ、いたたたた。いたいいたい足指がっ小指がっ

息子「オレのすごいのを見て、びっくりしたら止まるかも知れないよ」

祖母「びっくりして止まるのはしゃっくり

母「・・・ああ、これはすごいねえ。ああ、いたたたた(涙



2005年10月27日(木) 昔ばなしとか童話とか。


プロ野球は観ない。
でも優勝セールには行くけど。
日本シリーズは、さすがに他の家族は全員勝ち負けをあれこれ言っているが
私はやっぱり余り興味がないのだった。
それよりも

「日本昔ばなし」が一週延びてしまいました。

先週から始まった再放送。これが大層良かった。
市原悦子の山姥、最高だ。
だが、観ていて一つ気になった事がある。CMだ。
別に何と言う事はない、子供向けの普通のCMであるのだが、「昔ばなし」
の世界から いきなり飛ばされるにはものすごく違和感があった。
この程度の違和感は、悔しいが直ぐに慣れてしまうのだろうが。

そう言えば、昔は綺麗なCMが沢山あったなあ。
カルピスのCMは季節ごと変わって、シンプルなCMソングも良かった。
影絵作家、藤城清治のチャイクロのCM。
林静一の「小梅」「小夏」・・・「小梅」は今も普通に売ってますね。
昔は「小紫」なんて言うシソ味の渋いのもあったんだよね。
CMソングからオリコンと言う時代ではなかったから、CMソングはそれとして
味のあるのがちゃんとあった。
懐かしいなあ。

「日本昔ばなし」が放映されていた頃は上に書いた物よりは新しいCMが
随分出ていたけれど(何せ放映期間自体長かったから)でもやっぱり
番組自体が全く古くなってない事に感心して、感動を覚えた次の瞬間
CMでビックリと言うのが、第1回目の放送の正直な感想だった。

2回目の放送予定に『雉も鳴かずば』と言う話が入っている。
私の記憶では、これは確か ものすごく可哀相な話ではなかったかと
思っていた。可哀相と言えば「さだ六とシロ」が有名だが
「キジ・・・」の方は比較的マイナーで、でもやっぱりとても可哀相な
話だったと。

「雉が鳴いたら撃たれる話じゃなかったっけ?」

違うっ!いや、確かにそうだけど!『雉も鳴かずば撃たれまい』って
なる展開がすごい可哀相だったんだって。
それで今週を楽しみにしていたんですが。来週になりました。

やっぱり、怖い話、可哀相な話だよねえ。「昔ばなし」は。


こなたアンデルセン童話集を祖母が買って来る。
孫にと言う事であったが、これがほぼ直訳。大人でも微妙に難解。
だがこれで「マッチ売りの少女」を冬道の中放り出したのが親方(祖母主張)
であるか実父(私の主張)であるかがはっきりした。実父でした。
では女の子の最期の夢に現れて来るのは父方の祖母か、母方の祖母か。

・・・父方の祖母なのではないかと思われます。
となると、孫には優しいけれど ろくでもない息子を育ててしまった
一人の哀れな老婆の姿が。生々しいですね。他人事とは思えない。






2005年10月26日(水) 馬格について。


おめでとう、ディープインパクト!(←まだやってる)

馬格と言うのは馬体、馬の身体の大きさを指して言います。
人間で言う「ガタイがいいやつ」馬格が良いと言う事になるようです。
馬格の悪い馬は敬遠されます。強い馬が出難いんだそうですね。

ディープインパクトは『菊花賞』出走馬中444キロ(−4)で最軽量
意外なほど小さな馬なんですね。ちなみに一番大きかったのは対抗と
目されていたアドマイヤフジ522キロ。大きいですねえ。
蓋を開ければ2着したアドマイヤジャパンの方は474キロです。

5頭目の三冠馬、ナリタブライアン。『菊花賞』を取った時の馬体重は470キロ
大体、460〜480キロ辺りが オープン馬などには多いのでしょう。
余り重いと、脚の故障を起こし易いと言う話を聞いた事がありますし、
軽いと 馬混み(レースで馬がごちゃごちゃになる)に弱いと読んだ事が。
弾かれちゃうからでしょうか。

軽い馬、と言うと私の少ない知識で連想するのは先にも書いたミホノブルボン
三冠を阻止したライスシャワー、当時438キロ
日本では2着3着が多いけれど香港で勝ったステイゴールド428キロ
古い例しか知らなくて申し訳ないですが、印象深いのは410キロくらいで
猛スピードで逃げていたツインターボと言う馬がいました。
この馬の場合、小さいと言うより、痩せていると言う感じで、いかにも神経質
な感じがします。逃げ馬にはそういう性分の馬が多いようです。

ディープインパクト出走前夜の確か地方紙だったと思うんですが、インパクト
世話をしていた若い女性の談話が載っていて、仔馬の頃の評価は決して高く
なかったとか。これも馬格に関係するのかも知れません。
小さい馬、余りにも変てこな流星が入っている馬は嫌われると、これも
やはり聞いた事があります。変てこ流星でも強い馬はいますが。

ライスシャワーの記録本を読んだ事があって、彼が中々繁殖に上がれない
悲劇についての理由の中で、面白いなと思ったのは「牝馬より小さい馬格」
あげられていた事です。

小さいと駄目なの??

ちなみに繁殖牝馬は、これまた馬格の良い馬が好まれるそうです。
私は馬だったらちょっと良かったかも知れないのに。
馬格と中年太りは違うけどね。


『菊花賞』の布を掛けてもらって大人しく立っているインパクト
「ああ〜やっぱりこの馬、小さいわ」 と、その時ようやく思いました。
余り小ささを感じさせない馬です。ライスシャワーのレースのビデオを観ると
「ちいさっ」とすぐに思うんですけどね。バランスかな?インパクト
頭が案外大きな気がするので。

史上2頭目の三冠馬は思いのほか小柄な馬。何だかちょっと気分が良いかも。

ところでお母さんのウィンドインハーヘア。良く走る馬を産むので評価が
高いようですね。中でもインパクト最高の孝行息子でしょうけれど。
競馬は血統の世界。走る子を産んだ母馬の評価はぐ〜んと上がります。

名種牡馬サンデーサイレンスの血を引いていても、全く走らず 何かと言うと
人を噛んでばかりいた
と言う馬も、表舞台に出て来ないだけで、結構
いたんでしょうねえ。







2005年10月25日(火) 泣きながら目覚めて。


息子は泣き虫だ。

泣いてばっかりいる癖にっ」とはK君。
「(つくづくと)お前、本当に良く泣くよなあ」とT君。
(ベルセルクでジュドーに言われてるキャスカみたい)

自分も、弟も、小学生時代は泣き虫と呼ばれた。私達姉弟は幼稚園に
行っていない。つまりはいきなり学校で、慣れてなかったと言うのも
あったと思う。泣き虫は家系か?と初めは思った。

だが違う。私と弟はもっぱら悔し泣き。そこは姉弟そっくりだった。
息子は違う。泣くタイミングを心得て物事を有利に運ぶと言う 非常に
ヤ〜な感じの泣きっぷり。

これは家の中では絶対通用しない。だが外に行くとやってるらしい。
T君が「お前、良く泣くよなあ」と言う時も馬鹿にしている感じは
無くて、むしろお兄さんが言ってるみたいな感じ。

息子は泣いて得をしていると私は感じた。いかん。だが直ぐには治るまい。
でもって、そう言う泣き方が本当に悪いのかと言うと これも自信がない。

私も弟も大きくなったら泣かなくなった。普通大人は泣かないが、それでも
良く見ると、案外泣いてたりする。泣くと言う行為が必要な局面はむしろ
大人になってからの方が多くあるのだ。
だが泣けない。子供の頃は意地が通らないと泣いた。大人になったら
今度は その意地で泣かない。そんな風になってしまった。
弟はどうか判らないが、私はこれが時々苦痛だ。

今朝は珍しく、起きたら泣いていた。朝から鼻が詰まって困った。
とても嫌な夢を見たと思う。何かが壊れるような、そんなものであった。
夢なので ほとんど忘れてしまったが、夢でなければ泣かずに諦めた事だろう。

これをずっと続けて行くのかな?と思う時がある。

泣いて得を取る。これは悪い事じゃない。出来るうちはすればいい。
そう言う泣き方をする人に限って人の泣きには厳しいから騙される事も
少ない気もするし。

だけど夢って本当に忘れてしまうなあ。
何が壊れたら私は悲しいんだろう?夢独特の 理屈にあわない物であっても
せめてそのくらいは 憶えていたかったんだけどなあ。
息子とかじゃなくて、だったのは憶えている。物が壊れても泣く事は
ないので、やっぱり夢なんだなあ。






2005年10月24日(月) インパクト三冠。


ディープインパクト、遂に無敗で三冠達成。

淀の3,000をどう走るのか、それといかに息子を大人しくさせた状態で
それを見るか
が今日の勝負どころ。
子供って親が何かに集中していると、それが自分の玩具を作っている
時でもなければ、実に色々 今でなくてもいい事を言って来る。

「お母さん、これ描いた。虹の絵
「ああ〜綺麗だね〜乾かしておいでね〜」(どこかいい加減
「お母さん、もう1枚描くから紙ちょうだい
「紙あるでしょう、良く探しなさい」
ないもん、使っちゃってもうない

くっそう、パドック。今日は生で見ると決めたし。

ゾイドのビデオ観たいなあ」
「お母さん、あんたがゾイド観てる時も、昔ばなし観てる時もキテレツ大百科
(再放送)観てる時も
自分の見せてって言った事ないでしょう。
お母さん 馬 観たいんだから見せてよ」
「これ、何時まで?」
4時までっ

勢い良く尾を左右に振るインパクト。今日が重要な勝負の日である事は
きっと判っているんだろうなあ。

「お母さん、このビスケットにヨーグルト付けると美味しいよ」
ビスケットとヨーグルトをもらって、一応静かになった。
「どの馬が勝つの?」
「判らないけど、7の青い帽子の人の馬。これ、この馬」
「そうか。お母さんもビスケットにヨーグルトつけて食べな」

ノンと言ったらまたうるさいので、素直に頂戴する事に。
さて、いよいよ発走だ。

勝つだろう。まず勝つだろう。そう思いつつも、やっぱり絶対はない。
ミホノブルボンのレースを思い出す。
当時、大逃げをうった馬がいて、先行のブルボンがそれに掛った。
元々ブルボンは中距離適性の馬で 3,000は彼にしては長い距離であった
とも言う。そしてゴール前、ステイヤーのライスシャワーにかわされた。
宣言してまで大逃げをうった側を責める声も当時はあったと言うが、
「別にミホノブルボンのためのレースではない」と言った批判文を読んで
それは確かに と考えさせられた。

設えられた大舞台。だがディープインパクトだけのためではないレース

途中まで、綱を引いている様子が見られた。インパクトは口を開けている。
脇を他の馬が駆け抜けてゆく。掛りそうになっているのだ。
だが乗り切った。途中からは綱が緩まって、鞭が入る様子が見えた。
鞍上武騎手、大変なプレッシャーであったろうが、お見事でした。

史上2頭目の無敗の三冠馬が21年ぶりに誕生した。

「かったの?かったの?」
勝ちました(感無量)
「そうかあ。カルピスちょうだい」
自分で入れて飲みなさいようっ

4頭目の三冠馬ナリタブライアン、持ち込みだが海外で大活躍のエルコンドル
パサー
、そして最近ではアドマイヤベガ
名馬が幾世代も残せないで死んでしまう事が多かったので、インパクトには
良いお父さんになって2世代に渡り三冠を出すという夢を早くもみてしまう。

それとゲストの岡部さん、緊張してた。あそこは寒そうだったし。






2005年10月21日(金) 『菊花賞』が間もなく。


10月23日『菊花賞』 無敗の三冠馬が生まれるか?と言うレースとなる。
日本の競馬史上、無敗で三冠を成し遂げた馬は1頭だけなのだと言う。

1984年のシンボリルドルフ。『皇帝』と呼ばれているお馬だが、私は
「旗本退屈男」と呼んでいる。「この額の三日月が(以下略)」だから。

無敗の三冠目指して一直線のディープインパクト神戸新聞杯を見た。(テレビで)
ちょっと追い上げて来る脚が別次元な感じである。ど素人がテレビで観る
だけでもそう感じた。
来るな、と思った時には傍目に見て明らかに回転が上がっている。脚の
騎手との呼吸が合っていると言う事もあるだろうが、それとはまた別に
馬の脚がすごすぎる。気持ち良いくらいに強いなあと思った。


三冠達成馬自体 現在5頭。5頭目はナリタブライアンであり、彼の活躍は
ビデオで見ている。当時の馬としてはヒシアマゾンが大好きだったので
94年の有馬記念が 私はとても気に入っている。
1位にナリタブライアン、2位がヒシアマゾン、そして3位にライスシャワー
突っ込んだレースだ。

かつて無敗の三冠馬になり損なってしまった馬がいた。
ミホノブルボンと言う、栗毛のとても美しい馬だ。鍛え抜かれた筋肉が
もっこもこのマッチョだが、顔がとても可愛い。
だが、『菊花賞』で長距離馬ライスシャワーがこれを阻んだ。
競馬場は、怒号に包まれ、千切れた馬券が舞ったと言う。
このライスシャワー。小さくて丸顔で、耳が長くて目の丸い、ブルボンとは
体格的には対照的だが、やはりとてもハンサムな馬である。
当時は競馬など全く知らない私には、このライスシャワーが競馬場で
足を骨折して薬殺となった後、語られる馬となるまで、現役中は意外なほど
悪役と呼ばれていた事を不思議に感じていた。

だが今、少しだがそれが判る気がする。

ライスシャワーは更に後、メジロマックイーンの春天皇賞3連覇を阻止と言う
これまた大きな記録を壊し(だが、このレースは素晴らしいレースだ)
かと言って記録が掛っていない普通のレースでは割と凡負けしたりしたので
何だか余り好かれていない所があった様子である。(仕方ないか)

もしも『菊花賞』で、インパクトをゴール前であっさりと抜かす馬が出て
それが他のレースで凡負けが続いたら、何だか私もやんなっちゃいそうだ
その馬が好きには、とてもなれそうにない。
馬には馬の調整事情や『性格』と言うものがきっとあるのだろうが。

今年は牝馬ではシーザリオがどえらい事をやってくれたりもして、国内の
走りが見られた前半はとても楽しかった。故障を起こした事は残念だ。

インパクトの強さを(テレビで)観て、改めて呆気に取られた神戸杯。
『菊花賞』は庭仕事を早めに済ませ、絶対観ようと思う。
勝つと私は思っている。史上2頭目の無敗の三冠馬誕生の瞬間の前に
庭のデージーは植えきってしまわないと。

でも馬券は買いませんでした。記念にと思ったんだけど、
「インパクトは勝つ!」とか言いながら「じゃあ1万買え」と言われたら
買えなくなった。・・・うう。
千円なら買ってもいいかなあと思ったんだけど、駅開通の記念乗車券みたいな
微妙な金額
だし、これで馬券を買う癖が付いてもインパクトを怨むわけには
行かないし、リスクが大きいんだもん。
インパクトは勝つ。でも一万円が無くなる事もあるんだぞと言われると

浪漫がないなと言う人はいるだろう。
でも2年後くらいの間には 引退馬を観に、静内辺りに行ってみたい。
お金は増やさず減らさずで、その時のために取っておく。






2005年10月19日(水) 大脱出。


今日は短縮4時間授業。 4時間の日は子供達は決まって時間を持て余し
うろうろし始めるので、溜り場回避のため脱出決定。
近所のショッピングセンターへ行く事に。

「あのね、今日遊ぼうって誘われたら、買い物に行ってみんなで
ご飯食べるから遊べないって言うんだよ」
「わかった」

息子帰宅。
「今日、買い物に行くってちゃんと言った?」
「言った」
「誰に言った?」
「先生に」
とほほ、余計な事言わなきゃ良かったよ。

地下鉄直結、複合型のショッピングセンター。田舎だけど
駐車場がやたらと混んでいる。しかもどんどん、車が入って行く。
「????」
それでも何とか駐車する。混んでいる理由は直ぐに判った。
ショッピングセンターの一つにダイエーがある。
今日は『残念セール』であった。

「何が食べたい?」
「おそば」
「・・・いや、何かお母さんはもっと、デザートとかあるとこは駄目??」
「おそば」
・・・・・・むう。
曾祖母の見舞いに行っていた祖母(母)と合流、おそばやへ。

食べた後は再び分離して、祖母は買い物へ、私と息子はケーキを買いに。
「ねえ、Rちゃんは、どのケーキが食べたい?」
「あのねえ・・・・・・う○ちがしたい
うおおおおん。
「待てっ、そこの椅子に座ってなさい。ちょっと肛門を押さえていれば
したくなくなるかも知れないから。ちょっとお母さんケーキ持ってるからっ
「うん」
祖母が合流するまでもてば、どちらかが荷物番と言う事にしようと考える。

「あ、石を売っている」
色付きの石とか、クリスタルとかシトリンとか、あとで色付けてるやつが
ほとんどなんだけど、私も息子もこれが好き。
「良し、選びな。でも色塗ってるやつじゃなくて、綺麗じゃないけど
こう言うの」 塗ってないっぽい物を教える。
ケース1杯、390円の残念セールで10%引き
親子で夢中で詰める。 息子の便意は多分に精神的なもので、買い物に出ると
毎度、起きる物なのだ。 そのうち収まるか、自分で何とかするだろう。
祖母ちゃんが戻った時には、Rの便意は治まっていた。
「あんたたち、また石買ってんの」
「黄色い石、もっと詰めて」
「良し、あとでSちゃん(友達、石好き)に1個あげな」
「うん」

ハービー・ハンコックの「ROCK IT」と言う、かなり懐かしい曲が目下
息子の気に入りであり、車ではこればかりだ。 ハービー・ハンコックって
確かジャズの人で、80年代に珍しくシンセ使って出したヒット曲である。

店を出るまでずっと掛っていた「♪いざ行け炎の若鷹軍団〜♪」であるが
「ダイエーホークス」の部分が「サムライホークス」に変わってた。涙。
しかもずっと聞いてたら曲の最後に
「ソフトバンクホークス!ソフトバンクホークス!」の大連呼。
う〜ん、私は野球は観ないし、全然詳しくないけれど、何だか寂しい。
ダイエーは強いチームだったから、結構『優勝セール』で買い物してたし。

帰宅したのは夕方で、不覚にも 私はそのまま少し眠ってしまった。
その間息子は「夕ご飯、まだ食べてない」と言い出して、更にご飯を
食べたと言う。 まあ、いいや。大きくなれよ。

今日はクラスで、うちの裏手の公園まで団栗拾いにやって来ていて、拾った
団栗や落ち葉を使って、今週中に何か作るんだそうである。

色付き石だが3セットほど買って、庭の砂利の上にランダムに撒き
「見付けた人は持って帰っていいよ」とか言ったら、もうずうっと子供達は
砂利に張り付いてそうである。何となく面白そうなので、来年の気候の
良い時にでもやってみようかな。



2005年10月16日(日) 生涯一下品。


私の短大時代のあだ名はシモネッタ。

シモネッタと聞いてどんな女性を連想しますか?
麗しきシモネッタ・ヴェスプッチ。フィレンツェのマドンナ。
ボッティテェリやピエロ・デ・コジモの絵で有名な永遠の美女
でも、やっぱり美人だなあと思ったら普通はそこまで遠回しに
大げさな例え方はしないだろう。

私がシモネッタと呼ばれていたわけはシモネタが好きだからだ。
でも『麗しのシモネッタ』がまるで無関係と言うわけでもないのだ。
当時短大では美術の講義があって、単位とるのが割と楽なので
ほとんどの生徒がこれを受けていた。ここでルネッサンスをやっており
そこにシモネッタの肖像が出て来たのである。
それで友人が、私をシモネッタと呼び始めたのだった。

昼休みになると、部室(放送部)に集まり、延々とシモネタをやる
嫌いな人には辛かったのかも知れないが、来る事は来るんで部室はパンパン。
ところが、その頃の私はと言えば、男性と手を握った事もない。
男の子と付き合うと言う事すら考えると怖かった。オクテだったのだ。
だから耳年増によるシモネタ話だ。今考えると嘘もたくさん混じってた。
だけど下品な事はものすごく下品だった。

当時、もう男性と 大人と変わらないお付き合いをしている子もいて
時々、情報を教えてくれるので、それについてああでもないこうでもないと
延々とやるのである。 試験はノートコピーで やっと卒業した(汗)
馬鹿馬鹿しいけど楽しい時代だった。

勤めが始まってから、シモネタ話からは遠のく。人の話を聞く事が
多くなった。ほとんどは男性との行為を具体的に聞かされる。
ちょっとした馬鹿話を 入れる余裕などなくなった。寂しい事だ。
私は上滑りなお下品話をつらつらするのは好きだが、具体的な男女の
行為について細かく触れるのは実はとても苦手だ。 恥ずかしいのだ。意外にも。
ものすごく話に具体性があったりすると、ふらっとなってしまう。
それと、その時話題になった男性の顔がもう見られないのである。
下品はネタである。ネタだからこそお下品なのだ。

おばさんになっても、やっぱりシモネタ話をする機会は少ない。
理由は色々あるけれど、「出来ない環境」にあるからかな?とも思う。
他の同年齢の女性は、普通にしているが、私はちょっと出来ない。
カレシ出来たの? とか悪気じゃないんだけど聞かれちゃうから。
だから突っ込みも入れられない。これまた寂しい事なのだ。

仕方ないので最近は年齢を下げて、息子相手にシモネタをやっている。
だが、これにしたって、いつまで相手をしてくれる物やら。
取り敢えずホー○イの自己治療に役立つ「ちん○んの歌」と言う物を
作ってみた。痛いので我慢する時に歌う、大漁節みたいな歌だ。
これはシモネタの中でも役に立つ方だと思う。


ところが珍しい事に、最近は男女混合時に私はシモネタをやっているのだ。
合わせてくれる人がいるので私は楽しいが、困っている人もいるだろう。
ご免ね><  顔が見えないからこそ安心して出来るわけだが、顔が見えても
出来そうだ。 そう言う仲間と過ごせる時は、少しだけれど学生の頃に
戻ったようで 心が華やぎ、かつ休まる。

だが、私は自分の事をだと最早ほとんど考えていない。
学生時代は勿論、まだそう言う気持ちがあった。まだ見ぬ世界への憧れも。
『生涯一下品』
『母ちゃんなのに下品』

今、自分に呼称をつけるならこんな感じか。











2005年10月15日(土) マザコン、ファザコン。


父は個性の強い人間だ。私は父に 部分的に良く似ている。

私は子育てでも随分、母に世話になっている。
近い親族で、若い頃、命を落とし掛けた人がいた。母親は夢中でそれを
助けたが、その事を一生娘に責められ、母親も娘の言いなりになるという
不幸な話があった。

それを間近に見て来たので「私は絶対、何があっても自分が悪いとは
言わないけどねっ」
 と言うのが母の口癖だ。
とは言うものの、結局 日常生活に支障は無いものの、人生の転機には
何かと病であれこれ言われてしまった娘の事を 人一倍不憫と感じている
節がある事が良く判る。 私はずっと、それに甘えて来た。

一方の父であるが、これは自分の事以外は全く興味がない人だ。
「おお〜い焙煎。俺はこの間、面白い検査を受けた。これをこうして
こうやるんだ。お前なんかそんな検査、一度も受けた事ないだろう」

25年間 ずっと定期的に受けて続けて来た検査であったので、私は
本気で驚いた。 だが、何も言えないのである。

幼い頃から、父の事が好きだった。父の言う事は間違いがないと思った。
昨日の日記の「志村白鳥」のお父さんではないが、何を言っても
「お父さんは、何でも知ってるなあ」と思っていた。
若い頃の父親の口癖は「あいつらは馬鹿だ」 である。今もそうだが。
特に学校に対する発言が酷かった。 
「いいか、焙煎。あんな学校に行くやつは馬鹿だ」
そ〜なのか〜と子供心には思う。小学校低学年だった。ある日、その学校の
出身者に向かってモロに「その学校行く人はバカなんだって」
みたいな事を言ってしまった。 母が慌てて止めたがもう遅い。
後で聞いて、恥ずかしかった。子供心に、もうその人に会いたくないなと思った。
それでも父が間違っているとは、余り思わなかった。

父は自分の子供を褒めない。でも比べる。
『あの子はお前と同じ年なのにお前とは全然・・・』が口癖だ。
『お前は苦労知らずだからなあ』
『ちょっと楽をさせ過ぎたかな』

要するに自分を褒めたいのであろうが、人と比較してまで娘を貶める
わけはさっぱり判らない。

小さな会社でやって来たが、いつも隣にバカ扱い出来る人間を置いて
家でもしょっちゅう馬鹿にしていた。

だが、父に失敗らしい失敗はない。私の記憶では。不器用で融通が効かず
無神経な人間なのではあるが、何か非常に強い物を抱えており、今の
ところ相変わらず、楽しそうな日々を送っている。

私はずっと『フーテンの寅さん』が嫌いだった。特に初期の。
あの、言いたい放題で周囲を振り回す寅さんの様子は父に良く似ている。

だが、母には優しい人だ。母がいなくなると自分が困るからと言うのが
大きな理由ではあるまいかと思う。二人は、どこにでもいる初老の夫婦だ。

人に対して狭量である事、自分が一番と思いたいと言う気持ちが、常に
ある事など、私は父に良く似ている。だが、いつもはっきり言えず
人にはむしろ馬鹿にされがちだ。特に、自分が近くにいて欲しいと望んだ人に。

皮肉な事に、私の立場が浮上する事になったのは 自分から何か主張した
からではなく、子供を産んだからだ。 同じ姓を継ぐ孫の母となった事で
父のあたりは 随分と柔らかくなった。私が泣いたりしたら、孫が本気で
自分を嫌うだろうと思うと怖くて何も出来ないらしい。
何だかいつの時代の話だろうという感じである。

「あのさあ、生まれ変わったら」 ある日、母に言った。
「私はもう、お父さんの娘には生まれたくないよ」
そんな事を言うもんじゃないと 母は言わなかった。 変わりに
「私も結婚するなら、今度は絶対に別の人がいいんだけど」

母に関しては、それは贅沢と言うもんだと思った。




2005年10月14日(金) 8時だよ!


息子の友達で「キカイダー」が大好きな子がいる。
ひょっとしてリメイクされた??と思いきや、どうも違う。
その子のお父さんが、ビデオ屋さんで借りて来て、子供と一緒に
見ているらしいのだ。 少し前は「カゲスターって格好良いんだぞ」
言っていた。私は観ていなかったが、これも相当、昔の番組だ。

その子が先日遊びに来て、今度はこんな事を言っていた。
「お父さんがここにこんな大きな鳥のを作って・・・」
そして、股間を指して楽しそうに罪のない指を びゅ〜んと上に伸ばす。

これは・・・・・・志村白鳥

いいんですか、お父さん。子供、外で喋ってますが。
それにしても剛毅な父さんである。そこ、4年生のお姉ちゃんもいるのに。
いわゆる父権が強いってやつか? いや、違うな・・・

志村白鳥を作ってしまう父さんは、おそらく私より少し年下と言った
あたりの年齢ではないかと思う。キカイダーを忘れられないと言うのも
その世代なら ずばり合致している。


「いつ見ても波乱万丈」
この番組が、一体いつ やっているのかも私は知らないが、母は好んでみる。
先日は加藤茶をやっていて、この時は録画を「見るか?」と聞くので
「見る」と答えた。 
私はドリフで育った。しかも加藤茶のギャグをみて育った世代である。

苦労話は色々あった。『お笑い芸人は泣いても笑われる』と言う言葉を
聞いた事がある。今の時代にはちょっとそぐわない感じだ。
だが、人が もっと笑いに飢えていた時代も あったのである。
ドリフターズは そうした波が、少し収まった頃に出て来たグループだ。

『ドリフと言えば志村けん』であるか
『志村は遅れて来たドリフ』 『ドリフと言えば荒井注』と言うかで
年齢が微妙に判ってしまう。 『すわしんじ』の名前を言える人は、当時
ドリフを欠かさず観ていた人であり、成人病の健康診断を積極的に
受けなければならない世代
である。

冒頭の少年のお父さんは『東村山音頭』世代なのかも知れない。

とにかく、毎週みてました。俗悪番組と言われても親もみてたし。
♪ばばんば ばんばんばん は〜びばのんのん♪ が終わらないと1週間が
経過しないのである。
下品下品と当時は言われていたが、今みれば可愛い物に違いない。
食べ物を無駄にするのは良くないが、他の物なら無駄にしても良いと言う
物でもないので、最近はドリフ的に安心して笑える番組は少ないなと
思う。 意外にも初期のSMAP×SMAPを観た時に、ドリフみたいなギャグが
あって非常に懐かしかった。
ドリフみたいと感じたのは単にネタが真似事と言うばかりでは無かった。
笑いのの上手い人がいるのだろう。顔も良いのだから これは大した物だと
思ったものだった。
だがドリフは生放送だったのである。良くやったよな。確かに伝説だ。

お笑い芸人は泣いても笑われる。
それがそうでなくなったのも私の記憶ではドリフからだった。
仲本工事が結婚した時に、身内ネタをさんざん番組でやったのである。
ところが奥さんは急逝してしまう。 私も少し大人になっていたわけだが
それでもマット運動をする彼をみて、本当に胸が痛んだ。

荒井注が時々、自分で言った事で自分で笑っていた。あの時の彼の心中も
今考えると、色々な意味で何だか趣深い。
いかりや長さんが逝ってしまって、ドリフも遠くなりにけりだ。

だが懐かしくて、未だに志村白鳥を作ってしまう人は やはりいるらしい。


2005年10月13日(木) 再放送だそう。


♪ぼうや〜良い子だねんねしな♪

まんが日本昔話の再放送が始まると言う。(10月19日〜TBS系)

これって何だろう?と言う方も最早 多いのではあるまいか。
市原悦子と言うと今では「家政婦は見た」の家政婦役としての方が
知名度が上とみた。
知らない方には、是非にご覧頂きたい、これは日本の名作アニメである。

ところで我が家では3日前、日本昔ばなしのビデオ10巻セット
家に着いた。(本当) 私の母が 私にも相談せずに買った物である。
中学2年の時、家に帰ると大きなエレクトーンがドンと居間にあった。
何の前触れもなく、それまで楽器など触った事もなかったので
ものすごく驚いた。 それも母が『思い立って』した事である。

「Rちゃんに見せたかったのよ」
「それにしたってあなた、高い買い物を。見ないかも知れないのに」
「いや、絶対見るって」

私は正直不安であった。私達は市原悦子と常田富士男の味わい深い語りと
個性的なアニメーションを観て育った。 だけどあれから何年経つだろう?
詰まらないと思ったら見ないよ、最近の子は・・・。

心配は杞憂に終わった。 息子は昔ばなしがすっかり気に入った様子だ。
「トムとジェリー」「日本昔ばなし」 息子が好んで観るアニメだ。
結局いつの時代も、面白い物は面白いのだ。 もあるのかも知れない。
うちの家族は 揃って馬鹿馬鹿しい物が好きなのである。
親子三代に渡り、全員が未だにトムトジェリーで笑えると言う家だ。
日本昔ばなしも購入した10巻はどことなくスタンダードでありながらも
ナンセンス風味漂う作品が収録されていた。

「再放送になるんだそうですよ、お母さん」
早速新聞を読んで、母に言ってみる。
「放送予定にホレ、あなたの買ったビデオにも入っている『たのきゅう』が」
「知らなかったんだもん、いいじゃない、あったって、別に」

いいけど、何でDVDで買わないかなあ。

この日本昔ばなし、全部で1400話以上の放映と言う、ものすごい長寿番組
でもあった。 そして、夏になると必ず2話構成のうち 後半の一話が
ものすごく怖い話になるのである。

これは、多分今みても怖いはず。語りの妙と言うのは大変な物なのだ。
絵も、ものすごく怖いんである。 落ちらしい落ちが無かったりして
新耳袋もびっくり、いや 本当です。

私の年くらいから 15年ほど若い人までは「今まで一番怖かった話」を尋ねると
きっとこの日本昔ばなしの中の話を上げると思う。

販売用セット物にはスタンダードな物語がやっぱり多く、このトラウマ系
アウトロー
お化け話とかは入っていないんである。
それが非常に惜しいと思っていたところであったので再放送は嬉しい。
毎週忘れず録画したい。

母が買ったエレクトーンですが、もう本当に仕方ないし勿体無いので 一人で
一生懸命 譜面みて練習しました。 お陰でコード譜であれば 少しなら今も
弾けます。 指使いとかは出鱈目ですけどね。








2005年10月12日(水) 高額逆援パラダイス。


「貴女とエッチをして、しかもお金を払いたいと言う女性がいます」

迷惑メールは一日に何通も来るが、最近はほとんどがこの文面だ。
金額を提示してくる物もある。1回30万とか。破格にも程がある(笑)。

迷惑メールなるものを受け取るようになったのは やはりサイトを
持ってから。これはまあ、ある程度は仕方ない事なんだろうなと思う。
鬱陶しいが、サービスできちんと仕分けしてくれるので、困ると言う
ほどではない。掲示板へ書き込まれてしまうのは 本当に困るが。

初めの頃は「○○です、会いたいです」とか「××です、寂しい私を
慰めて下さい☆」とか、まあスタンダードと言えば言えるような
そう言う文句ばかりであったように思う。
ところがある時点を境にして、一斉に逆援メールに変わった。
こう言うメールを送り付ける仕事をしているのが、どう言う会社や
個人であるのかは全く判らないが、そう何社も何社もあるわけでは
無いのかも知れない。文面が似過ぎている。それとも真似るのか。
高額逆援が、今は男性諸氏の興味を引くのだろうか??

「飲むだけで何を食べても1ヶ月で10キロ減量」

ありえないっとか思いながら、つい真顔で読んでしまう。買わないが。
スキムミルクがたちまち店頭から消え、次は寒天が消える。
寒天なんてリバイバルと言うか最早定番なんだけどと苦笑してしまう。
単品ダイエットは一時的な栄養失調の状態になるだけなんだよね。
それでも「・・・」と真剣に読んでしまう。買う人もいるだろう。
それと同じだよなどと思う男性も、或いはいるのだろうか?
全然違うと、私は思うのだが・・・。

「貴女に会いたい」にくらっと来るのは何か判る。判る気がする。
「巨乳」「女子高生」「人妻」・・・どれにもきっちり当て嵌ってない
私としては、書いててちょっと寂しくも うんざりするわけだが、そう言う
ウリ文句に、時に反応してしまう男性が居るのは、まあ仕方ないかなと。
しかし、金を貰えると言うのはどうなんでしょうか。
貰えないより、貰えた方がいいよねって感じがあるんだろうか。
それとも、結局 勘違いした風俗系の苦肉の策というやつなんだろうか。

風俗関係に勘違いと言う物は余り無いような気も 実はちょっとするのだが。

少なくなったがそれでも「会いたいです」と言うオーソドックスな物が
たまに送られて来る。 何となくほっとしたりするわけだが
・・・そうか、或いはそう言う効果を狙っているのかな?・・・違うか。












2005年10月10日(月) 毒を吐く。


日曜日が嫌いだ。連休はもっと嫌いだ。

こんな事を書くと、やっとの休みに身体の疲れを癒したり
平日に出来ない事が、やっと出来ると言った人達に叱られそうだ。

クリスマスも嫌いだ。

ずっと、好きだと言い続けないといけない気がしていただけだ。
今だってそうだ。 だけど、クリスマスが嫌いだなんて言えるだろうか?
子供は今から クリスマスを心待ちにしている。

腹の底から笑える事は幸せだと、ずっと思って来た。 言っても来た。
だけど腹の底からなんか、本当は笑えていない。
私の腹は煮えている。そうでなければ病んでいるに違いない。

時折、堪らなくなる。 そして怖い。

人生はバランス。 私はいつもそう言う。そう信じたいからだ。
だが、実際は違うと思っている。 裏切られた人間は、また違う場所で
良く似た形で何度も裏切られるだろう。 伸ばした手は絶対に届かない。
崖から落ちるのは自分だけだ。 本当はずっとそう思っている。

時折、無性に寂しい。


誰でもきっと辛いのだろう。 辛い思いをした事のない人間などいないだろうし。
だけど「良かった」と思える時だって きっと来る筈だ。
羨ましいが、それは良い事だ。
自分にそんな日が来るとは これまでからして何となく思えないと言うだけで。

毒を今日はここに吐かせてもらった。
見た人は堪りませんね。・・・どうも済みません


何も言わないで、死んでしまった人がいた。
私もあと一年でその人と同じ年になる。 その人が生前、ずっと望んで
叶わぬ事があったと、亡くなって初めて知った。

私はこうやって所構わず弱音が吐けるので、大丈夫だ。





2005年10月09日(日) たまごっち!


我が家の息子、実は意外なほど物ねだりをしない。
「あれを買って」 自体もそれほど多くない。
「駄目」と言ったら、それ以上欲しがる事はほとんど無い。

悪い見本が 身近にあるからなのかも知れない。

買い物に行くと、それでも1個、ガシャポンを買って貰う。
「ガシャは100円」と決まっているが、大人はその横で平気で200円の
ガシャを買う。
先日は何と1個400円と言うトランシーバーのガシャを
堪らず2個買った。
「1個でどうすんの?使えないじゃんっ」と言うのが私なりの言い分だ。
2個のトランシーバーのガシャは、案の定 結果800円と言う値段の割に
性能は中々の物だった。ガシャを嘗めてはいけない。
青に銀色のトランシーバーが息子の。黒に緑が私の。
だが、私も青に銀色が欲しかったのである。
「貸しなさい」とジャイアンのように言ったら泣いてしまった。

息子が珍しい事に欲しい物があると言う。
と言うよりも「買ってやってくれ」と言う祖母からのお願いだ。
物の正体はたまごっち

そう、あの10年ほど前、どこかの結婚式の景品になったとかで 彗星のごとく
現れ、「海」だの「山」だの「天使」だの「オス」だの「メス」だのと言う
様々なバージョンを生み出し、値崩れを起こした挙句 唐突に消えて行った
あのたまごっちが、装いも新たに帰って来ているのだ。

コンビニでワゴン売りにされていたから出たのは知ってたけど、私の食指は
動かなかった。 社会現象にもなったたまごっち。職場に持って来てエサを
与えたりウン○を片付けたり、もう直ぐ寿命なのに 車に置いて来たから
仕事に身が入らない
などと真顔で言われたり、やっぱり死に目に遭えなかった
落ち込まれたり、そりゃあ大変だったのさ。

実は当時も 私は何となく肌が合わなかった。金魚でも実際生きている方が面白いし
(面倒だけど)ドット絵には愛と勇気を冒険を求めるタイプだから。

だけど近所の子がみんな持ってて、しかも見せてくれない(見せたらどうにか
なっちゃう、どうにかされちゃうと言う不安は昔もあった)と言うので
どうしてもそれがどう言う物か、息子は知りたくなったのだ。
このままではお友達にしつこくして、嫌われてしまうと言うのである。

「いいけど。でも飽きるよ。少し待ってれば値崩れするよ」

いいから買って来いと尻を蹴飛ばされ、渋々買い物に。
ところがどこにも、売ってない。 「売り切れです」と言われてしまう。
「それは、もうブームが過ぎ去って、物自体もう入荷しないと言う事ですか」
と私は大真面目に尋ね、怪訝な顔の店員さんに「イエ、普通に売り切れて
いるんだと思います」と言われてしまった。

仕方が無いので我が家でブームのZOIDサーベルタイガー型を買って帰る。
ZOIDは某玩具店で完成品を展示してあり、我が家の親子三代の心を捉えた一品だ。
最近では、息子はアニメも見るようになっている。
組み立て式で、電池で動くやつ1,599円也。
我が家では造形物は私が選び、祖母(私の母)が製作し、息子がシールを
貼って
仕上げる。現在階下で、祖母が製作中である。
息子は電池を用意して、仕上がり待ちだ。

たまごっち。何れは買わないといけないんだろうな。
自分の欲しい玩具ばかりを買うのはいかん。とは言えこのままずっと売り切れで
近所の子供がそのうち飽きてしまえば、予算は更なるZOIDに回せるのだが。





2005年10月06日(木) ほ〜でりひあ。


週末は、息子初めての学習発表会。昔で言うところの学芸会です。
何故1回1回、昔に直してみるのか、それは懐かしいのと 今の呼称に中々
馴染めないからなんですね。6年終わる頃には馴染めていると思うけど。

息子の役はキツネ。台詞は1個です。

台詞の数は少ないけれど中でを幾つか全員で歌うようです。
それが覚えられない息子。

「おかあさん、聞いて。♪うさぎうさぎ何みて跳ねる十五夜お月さんみて跳ねる♪」
「へええ、上手く歌えたねえ」

そこに祖母が乱入。息子に聞こえないようにこっそり言います。

「ちょっと、やっとここまで歌えるようにしたんだから。あんたが買い物に
行ってる間に歌ってたんだけど、う〜さぎうさぎ〜って全部音程が無いの。
呪文みたいなの。それで歌って教えて、やっとあそこまでにしたんだよ」

そうだったんですか。

今日の夜、寝しなに息子はまた言います。

「お母さん、一緒に2階まで来てくれたら歌を歌ってあげる」

要するに一人で2階に行くのはイヤだと。でもむげにするのも何なので
「じゃあ聞かせて」 と余り思っていない事を言ったりします。

「♪か〜ぜ〜が〜そ〜よ〜そ〜よ〜♪」 うひゃあ、やっぱり音程が無いっ

「♪ほ〜でり〜ひ〜あ〜ほ〜でり〜ひ〜あ〜」 ???般若心経みたい。

「♪ほ〜でり〜ひ〜あ〜ほ〜で〜り〜♪」・・・・・・スイス?

「♪ひ〜あ〜ほ〜でり〜♪」 まだ続くのか、回数間違ってるんじゃないのか??

「ほ〜♪」  終わったらしいです。

「どうだった?」 期待に満ちた息子の目。これだけ覚えるのに精一杯と
言う感じです。明日は校内発表日だと言うのに。

「上手だったよ」 知らない歌なので教えてやる事も出来ません。

「そうか。お休みなさい」

頑張れよっ(涙


2005年10月05日(水) 似て非なるもの。


『優柔不断』な人がいる。
何を聞いても、まず「ええと、どっちでもいいよ」と答える。
「私決められないから、あなたが決めて」と言う。
私がそうである。『優柔不断』の典型だ。

『優柔不断』の人は「実はどっちでもいい」と考えている。
他の優柔不断の人に叱られそうだが、自分に関して言うなら、物事を余り
真剣に考えていない。 だが全ての物事のに対してそうかと言うと、やはり
自分にとって本当に大事と思われる事については『ゆっくり考える』。
決められない事が多いが、決められる事もあるので、決めた時は案外
人には相談しなかったりする。
「でもそれって、こっちの方がいいんじゃないの?」と言われると
また「?????」となってしまうからだ。とほほ。
大勢の中、ちょっと遅れて歩いている人がいる。『優柔不断』な人だ。
「先に歩く人が行く道を決める」となるのが、いやなんである。

あくまで自分の経験だけれど、『優柔不断』は異性にはポイントとしては
大変低く映るらしい。 イラつくんだろうね。 実際男性は 自分が何でも
決めているような顔をして、その実 決まっている所に収まっているのが
好きなのではないかと、ヤッカミ半分だが思う事がある。


『優柔不断』。その全く逆なケースがあると言うのを知ったのはここ数年の事だ。
「決められない」が口癖なので初めはお仲間かと思ってしまったが、どうも違う。
彼女は常に 多くの情報を集め、プールしてある。情報収集にはとても熱心だ。
驚くほどの情報量を持っていて、更に尋ねて来る。漏れ聞いた話に、こちらが
混乱してしまうほどだ。
「困った。決められない。ねえ、どう思います?」
「いや〜、どっちでも」と人に言うわけには行かないので
「ええと、これがいいと思うかも」と答えてみる。
「・・・そうですか」 あれ?

つまりはこれを延々とやっているのだ。『優柔不断』な人は「ホントもう
どうでもいいっす」
と言うのが必ずあると思うのだが(どうでしょう?)
それが全くない。 どうも全てを 自身が納得するように決めないと駄目らしい。

『優柔不断』な人は、普段なるべくこっそりしている。
自分が決めなきゃならない立場に追い込まれたら大変だからだ。役員などは
泣くほどやりたくないが、やらない理由を追求されてもはっきり言えないので
泣きながらでもやる。

『優柔不断』と似て非なる人は、そう言う時は ものすごくはっきり断る。
義理とかに余り縛られない、ドライな一面を持っている。
見るからにウェット優柔不断の文字。 だから異性ポイントが低いのか?
自分で一番良いと思う物を 自分のペースを確実に崩さず自分で選ぶ。
選択するのは自分だが、他人の選択もあくまで情報として彼女の中には置かれて
いるのだろう。彼女にとって間違わない機械が 答えを弾き出すまでの沈黙
それが彼女を『優柔不断』に 見せているのかも知れないなどと考える。

もっとも、今話しているような人は私の知る限り、そうはいないと思う。
『優柔不断』なお仲間と、それを誘導してくれる心強いお母さん達なら
何となく いつも周囲にいるのだが。

初めて彼女と出会った時、彼女が言っていた事を今では面白く思い出す。
「主人も、姑も何でも私に聞くんです。 姑は自分の息子なんだから
主人に直接言えばいいのに、何でも私に言うんです。私にどうしろって
言うんでしょうね?」

てっきり彼女を『優柔不断』な人と思っていた私は「そりゃ気の毒な話だ〜」と
その時は考えた。
今にして思えば、姑さんは、最終的に全てを把握し、自分で決めないと駄目
と言う彼女の性格を充分、理解していたのだろう。ご主人にしろそうだ。

良き理解者に恵まれ、幸せな事だと思うのだが、彼女はいつでも口を尖らせ
「どう思います?決められないんです。それもそうなんですけど、でも・・・」
をやっている。










2005年10月01日(土) 初めての通知表。


通知表、昔は通知箋って言ったんだよね、確か。
「あゆみ」って名前だった。

親族が少ないのと、誰も案外 通知表の話しなんかしないから
ずうっと忘れていた。 「9月30日に前期の通知表をお渡しします」
プリントを読んだ時には、今は前期、後期と分かれているのかと驚いた。
昔は学期の終わりに貰ったので3学期分、3回もらっていたんだけど。

初めての息子の通知表、どきどきしながら開く。
「できました」 「もうすこしです」 の2つで評価されているのだが
全部が「できました」が付いている。
出来ている筈は明らかにないと思うので、サービスなのかも知れない。
なんにせよ嬉しい。

先生から学校の活動について詳しく書き込まれている。
読んでみると、息子は積極的に発言し、物事に良く取り組み、一生懸命
頑張って来たらしい。 親としては誇らしい。
「えらいね、Rちゃん。先生褒めてくれているよ」
そう言いながら、何気なく表紙を見る。1年2組 ○○○☆☆

別の子の通知表だあっ

変だと思った。何だか変だと思ったよ。いや、こっちも不注意だけど
でも間違って持って来てるとは思わなかったんだもん。
慌てて、先方のお母さんに電話。2人の通知表が入れ違っただけなら
まだ良いけれど、何人ものがあっち行ったりこっち行ったりしてたらどうする?

幸いな事に、通知表は二人の物が入れ替わっただけであった。
大慌てで先方さんに持って行く。息子と間違えて読んでしまった事を正直に
言って謝る。「うちは子供が読んじゃって」お母さんは苦笑している。
「どうしてこんな事になったものやら」
「間違えちゃったんでしょうねえ」

参観などで見掛けていたお母さんだが、大層感じの良い方で、お話をする
機会が出来たのはラッキーだ。何事も『縁』と言う事もある。

肝心の息子の通知表を開いてみる。・・・・・・・・・。
大差なかった。だが、先生から書かれていた事に「ゆっくり頑張ってます」
ゆっくり慣れてきました」と「ゆっくり」と言う言葉が目立った。
際立つ不器用さ。
「朝顔の世話を一生懸命やっていました」 それは良い事だ。

でもやっぱり、初めに見た時違和感を感じたもんなあ。 「ゆっくり」と言う
言葉を見て、やっと息子の通知表だと思った。
「ゆっくり」していると言うんじゃなくて「ゆっくり」しか出来ないんだよね。
それは判ってる。

通知表を間違えた子の家に言った時、お母さんと「それにしても出席番号も
離れているのに、どうしてでしょうね」と話していると、その子が
「オレもRもかんぱい係りなんだよ!なあ」 と言った。

そうだったのか。何をかんぱいするんだろうかと聞いたら牛乳だとか。
ちょっとばかり胃に重そうな乾杯である。

面白いなあ、小学生って。



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