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2005年09月27日(火) S君の事。


S君は近所の札付きであったと言う。小学生を脅し、金品を盗る。必ず
自分より幼い者を狙ったと言う。小さな子相手に全く容赦をしなかったので
周辺ではかなり問題視されていた。学校へはほとんど通っていなかった。
仲間はおらず、ひとりであり、シンナーの常習者だったと言う。

彼は布団の中で死んでいた。 布団を頭から被り、中でシンナーを吸っていた
のだ。私は経験がないので聞いた話しだが、シンナーをやる時に布団に潜る事
は普通しないと言う。 死ぬからだ。
だが、より強い酩酊感を求めたり、酩酊のため混乱して被ってしまう事も
ないとは言えない。
とにかく彼は事故死と言う事になったはずだ。
だが、あれは自殺だったのだと、大人たちは噂していた。
今から25年近く前の、話である。

私はS君と小学校時代から遊んでいた。彼は私より3歳ほど年下で私は彼の事が
大嫌いであった。弟と仲良くしたがるのだが、ちょっとでも「今、弟は遊べないよ」
とでも言うと、思いっきり舌を出してくるんである。『焙煎の馬鹿たれ』とか
3つ下の男の子に言われた日には実に腹が立つ。

私達は間もなく、S君の家の近所から引っ越した。
何年か経ち、高校生になった私は、ある日 むしょうに子供の頃遊んだ家が
懐かしくなり、一人で訪ねた。その時偶然、S君に遭ってしまった。
何も知らない私は大人げ無い事に「ちっ、こいつかよ」見たいな気分であったが
(本当に大人気ないですね)彼は直ぐに私だと気が付き、足を止めて丁寧に
頭を下げた。これには驚いた。『良い子になったじゃ〜ん、ちょっと可愛いし』
その時の感想は、正直言ってこれだけである。とほほ。

「S君が死んだって」
電話を受け取った母がそう言った時も「え?元気だったよ?」と答えた。
私が会ってから、本当に直ぐの事であったのだ。
髪は脱色して茶色だったし、何より痩せていた。それは気が付いていた。
だが子供を脅している何て知らなかったから、シンナーをやっているなんて
知らなかったら、悔しいけどちょっとハンサムになったなと思った気持ちと
丁寧なお辞儀と、照れくさそうな、その笑い顔だけが記憶に残っている。

彼は家庭に複雑な事情を抱えていた。
我が家の家庭事情も、まあ複雑と言えば複雑なんであるが、もっとずっと
S君にかかる負担は大きかったのではないかと思われる。
S君の様子を見かねた母親は郷里のA県にある、母の実家に暮らすように
S君に勧めたと言う。S君は「判った」と答えたと言うのだが、その矢先
事故は起きた。

S君は深い割れ目に落ち込んだような子供だ。
誰も悪くはないのだが、それぞれがそれぞれの幸せを手にしようと必死に
なった時、そこに『罪のない人が作った割れ目』が出来てしまう事がある。
S君はそこに落ちた。それが判ったのは、ずっとずっと、私が大人になって
からであり、『割れ目』の出来るわけを 知ってしまってからである。

S君は断っても断っても、我が家の郵便受けから目を出してのぞき、お気に入りの
私の弟が家から出て来るまでずっと待っていた。
私にはその様子が、気味悪く思えた。

他人に過剰に求める子供は孤独だ。今なら時間が掛っても気が付いてやる
事は出来る。 だが、他に出来る事は結局余りない。
子供は自分の傍に広がって行く『割れ目』に敏感なのだ。
『割れ目』に落としてはならない。だが、そう気遣ってやれるのは精々自分の子が
精一杯と言うのが、偉そうに語っている割に情けない事だが実情だ。








2005年09月26日(月) 苦しかった・・・。


うう、苦しかった。

自律神経のバランスが悪いので時折、発作のような物を起こします。
薬を飲んでいれば、ほとんど問題は無いんですけど、ちょっと飲み遅れたり
飲み忘れた時に 運悪く症状が出る事があります。
四半世紀近く付き合っている持病なのですが、こればかりは慣れません。
やはり苦しいですね。

内科の先生が『死にそうな感じがするけど、死ぬ事はありません』と言って
ました。 上手い事言うな〜って感じです。
息が詰まり、内臓の動きが止まった気がします。苦しくてベッドに倒れ込み
ますが、慌てて薬を飲めば1時間もしないうちに体調は安定します。
とても楽しい事の最中に起きる事が多いんですが、それがすごく残念です。
今日はチャットの最中でした。 友人とお茶してる時とか、本当にそう言う時に
突然そんな風になるのは、悔しいです。
チャットはまだ、相手の方に気取られないまま済ませる事も出来るけれど
喫茶店などではやはり、そうは行かないので迷惑を掛けてしまいます。
だから遊ぶ時は、常に薬飲んでるのさ!と前にも書いたような(汗
季節変わりに多いんですよね。北国では早くも夜間の気温が大分落ち始めています。

これは遺伝的な要素が強い病気のようです。 我が家は母方が代々これです。
男性にはほとんど、強い症状は出ないようです。

自律神経を丈夫にするために子供のうちからすると良い事は『良く寝る』
『なるべく裸足で歩く』
なんだそうです。
大人になってからは『良く寝る』(←これが守れてない)『背筋を鍛える』
『症状が重い時は薬をちゃんと飲む』
事が肝要だそうで。


でも、薬って飲んだら必ずしも楽になるってもんでもないです。
その症状にどんぴしゃりと効いている物でないと結局、効果は薄い。
睡眠薬、安定剤系の薬は、神経に作用するので薬効が感じられやすいです。
だから「ちょっと気持ち良くなったかな?」と言った気分にすぐになります。
不安な心が少しだけ楽になった様な気がするのも薬効です。
ですが、薬で不安を楽にさせている不安と言うのが、いつも心にあるんですよね。
ずっと若い頃の自分は、そんな感じでした。

今は不安とは無関係に、不安にも効く薬を服用しています。
今は楽だけど、さっきは辛かった〜。 本当は薬なんて止めたいんだけどなあ。

でも、贅沢かな。誰だって痛いところや苦しい所はあるもんですもんね。



2005年09月25日(日) 会話。


「おかあさん、おかあさん」

「なに?」

「鼻くそをつぶしながら」

「・・・。それは何かのタイトルですか?」

タイトルってなに?」

「鼻くそをつぶしながら、なんなの?」

「鼻くそをつぶしながら、手に付けて遊んでいるんだよ」

やめなさいっ 鼻くそは鼻から出たもので汚いでしょうがっ」

「そうか」


2005年09月24日(土) お寺参り。


秋のお彼岸のお中日、お寺に行きました。

お寺は車で家から10分ほど。いつもはお寺の帰り、通り道にあるファミレスで
ご飯を食べる。だから息子はお寺が大好きだ。

息子がお寺大好きな理由は他にもある。 納骨堂が好きなのだ。
だが、納骨堂が嫌いな子供など、いるのだろうか?いるか。
むしろ怖がる子も多そうだ。
とは言え、あそこは妙に子供の好奇心をくすぐる。まず花が綺麗。
字が読めるようになると、戒名を読んで歩く。更に計算が出来るならば
死んだ人の年を数えて回るのだ。一番新しい仏さんを探して歩く。
昔私は好んでそれをやっていて、祖母と母に猛烈に叱られた物だ。

息子はまだ、花をみて、お供え物を覗いて歩く段階だ。あと少ししたら
納骨堂そのものを嫌がるようになるか、死んだ人に興味を持つかのどちらか
だろう。

「他所のおうちと同じなの。勝手にのぞいちゃ駄目なのよ」 私がきつく言うと
「子供なんだから、興味を持つのも仕方ない」 などと母が言う。
散々叱ったじゃんか!私の時はっ

納骨堂を借りているとは言え、我が家の場所には本当に何も無い。
骨箱も、戒名を書いた札も。空っぽだ。
新しいからではない。 事情があって、父方の祖父母や叔母はもう、骨も
何も無いのだと言う。 父方は色々と寂しい一族だが、こんなところまで寂しい。
骨箱は順序から行けば両親の物が一番先に入りそうだ。順序が狂えば私だが。

息子がリンを鳴らす。「チーンチーン」 澄んだその音は、あの世がもしも
あるのであれば、祖父母には聞こえた事だろう。


我が儘な話しなのだが、私は出来れば墓に入りたい。
「墓かって」 と一応希望を出しているのだが、両親は乗り気ではない。
まあ、仕方ないかなあ、と思っている。でもやっぱり墓に入りたい。

若くして亡くなった人の墓参りで、トンボが墓石に止まっていたのだ。
小さな花が咲いていた。
「死んだら何も見えないからおんなじ」 と母は言う。

確かに雪国、春の彼岸の雪かきは、洒落にならないほど大変ではあるのだが。


2005年09月21日(水) 赤い風景。


「もったいない〜」
マータイさんのような事を言っているのは近所のS君。言われているのが
うちの息子だ。何を勿体無い事をしているのだろうか。
「お兄ちゃんがトンボ採ってくれた。1匹ずつね」
家に入る前に息子が放したので S君がもったいない〜と言ったのだ。
確かに彼らにとって トンボの手づかみは中々難しい。

トンボの種類はシオカラトンボだ。私は内心「しょっぱいとんぼ」と呼んでいる。
シオカラだからではない。あんまり綺麗じゃないと思うからだ。
それでも情緒はある。やがて彼らは地面に落ちて、風に吹かれてあちらこちらへと
落ち葉のように移動して行く。そのあと、銀杏が本格的に色づき始めるのだ。


私が5歳の時、住んでいたK区(当時はT区)は あちこちが造成の真っ最中だった。
広大な造成地の直ぐそばに小さなアパートを借りて私達は住んでいた。
隣りには、私や弟とやはり同じ年頃で 性別が逆になっただけの兄妹が住んでいて
私達は良く一緒に遊んだ。
今、母に尋ねると そこには1年と暮らしていなかったそうだが、秋をまたいで
暮らした事は間違いなかった。

アキアカネと言う真っ赤なトンボがいる。しょっぱくなくて綺麗なトンボだ。
でこぼこで結構危険な造成地に勝手に入り込んで、私達は遊んでいた。
そこにある時、アキアカネが集団で飛んで来た。夕焼けで赤いのかトンボで
赤いのか、その両方で赤いのか。 私の記憶には、ただ赤くなった空がある。
アキアカネは今考えると、造成地に溜まった水に産卵に訪れたのであろう。
あれは雨上がりであったのだ。足元はどろどろだった。それも憶えている。

5歳の子供が手を伸ばしても、低く飛んでいるトンボは容易に捕まった。
むんずと握ればトンボは採り放題だった。
どうしてその時、そんな事をして遊んでいたのか それが面白いと思ったのかは
記憶にないが、私はトンボを掴んでは首を千切り、胴体と一緒に泥に混ぜた。
料理の真似事でもしていたのかも知れない。が、ちょっと違う気もする。
赤いトンボをつかまえては 首と胴を放し、泥と一緒にかき混ぜる。
それを延々とやっていた。空は真っ赤だった。
当たり前だがトンボの身体などもろい物だ。草なんかより余程簡単にぶちぶち
引き千切れた事だろう。

もしも私に絵が描けたなら、あの日の赤かった空とそれを覆うような無数の
やはり真っ赤なトンボ、どこか寒々しくだだっ広い造成地の真ん中で、無心に
何かを捏ねている 小さな女の子の絵を、描いて見たいなと思う。

ところで千切る気になれば子供でも千切り放題のトンボ君だが、あの凶暴な
口に鼻をそっと近付けてみると、びっくりするくらい痛く噛み付いてくれる。


2005年09月19日(月) 白山羊さんから。


今、読み返してみたら、書いたとばかり思っていた「息子たんこぶ事件」
書いてませんでした。・・・最近、こんな事ばかり。しっかりしろ私。

「息子たんこぶ事件」
学校帰り息子が転んで、おでこにでっかいたんこぶが出来て、大泣きして騒ぎになり
親が学校に、迎えに呼ばれてしまった恥ずかしい事件。
車を出そうと家を出ると、そこには近所の子と息子のクラスメートの女の子
ばかりが5人並んで立っていて「おばさんっRちゃんが大変」と叫んでおり
驚きの余り、ランドセルがとてもカラフルで綺麗だな〜女の子はやっぱり
いいなあ〜
などと全然見当違いな事を考えてしまった。

たんこぶはたんこぶ。
触らないと痛くもないと言う事で、翌日は元気に登校した息子。
それでも帰宅まではちょっとだけ心配だったが、やがてたんこぶに湿布を貼った
登校時のままの格好で元気に帰宅。
その際、5軒先に住むK君が「Rの家にテガミ入れて置いたから」
言い残して帰って行った。 早速郵便受けをごそごそする息子。
「あった」

「Nへ」 と書かれた手紙にはK君がずっと息子の名前を間違えて憶えていて
今も間違っている
と言う事実がお見舞いの言葉と共に記されていた。

「たんこぶ きつい だいじょうぶ」
これが、普段はぶっきらぼうなK君が自分で考えたお見舞いの言葉だ。
ムシキングとポケモンのシールが一面に貼ってあり、所々に綺麗に光る折り紙
(子供にしてみれば勿体無い、かなり貴重な代物だ)を豪勢に貼り付けている。
そして大きく、息子が大泣きしてたんこぶが出来ている絵が描いてある。
心づくしと言う言葉が浮かぶ。 

息子は返事を書く事にした。
「Rの名前をNだと間違えてるから大きくRと書いとけばいいよ」
やっと出来上がったところに、丁度K君が家にやって来たので慌てた。
数日前に書いた、どうにも出入りに問題が・・・の男の子と一緒で
「家で遊んじゃ駄目!」と追い出されたらしい。
やっぱり向こうにも行ってたのね。・・・と言うかK君の家も大変だなあ〜。
余りそう言う話は、しないからなあ。嫌な話だもんね。

K君まで自分の家に帰れなくなってしまった様なので、2人とも家に上げる。
子供達は私のお気に入りの風船を膨らませてはぷううううっとやって大喜び
しているのだが、非常に単価が高いんだぞ、その風船はっ おいっ
苦心惨憺した作品は 子供の心をつかんだ様子でおばさんは大満足だ。
だが結局、喧嘩になってしまう。
ムシキングカードの交換で遊びに来ていた子供二人が大揉めに揉めた。やれやれ。
子供らの喧嘩は縄張り争いの様でもある。大人がどちらの味方をするかが勝負だ。
だから仲裁は慎重さを要する(特に双方が他人の子だと面倒だ)。

分けるには分けたが、喧嘩は収まらずK君は帰ってしまった。
手紙を貰ったにも拘らず、息子はK君側には付かなかった。帰ると言うK君を
見送りもしないので 大きな声で叱ったら、他の子達の方が飛び上がってしまった。
私が大声を出す事を他所の子は知らないが、息子は怒鳴られ慣れしているので平気だ。

息子がK君の家に手紙を届けに行ったのは習い物のプールから戻った6時過ぎと
なった。5軒先なので一人で行かせる。お母さんが出て来て『有難う』と
言う声が聞こえる。息子の「ばいばい」と言う声が聞こえる。K君の姿が見える。
息子はクワガタムシそっくりの消しゴムと言う私が趣味で買ったイヤ物
1個、封筒に入れていた。大人にはイヤ物だが子供ならそうはならないだろう。


翌日、郵便受けにまた手紙が。
「むしきんぐ たくさんもらったので いちまいあげます」
カードが入っており、自分の名前がしっかりと書いてある。そしてその下には
「Nへ」

・・・・・・。



2005年09月15日(木) ばる〜ん2。


ぱあんっ・・・・・・ぷ〜〜〜〜〜っ
ぱあんっ・・・・・・ぷ〜〜〜〜〜っ

うう・・・くっそう。くっそう。
ぱあんっ おわあ、びっくりした! ぷうううううっ。・・・・・・。

バルーンアートにはまってしまいました。 昼間、息子と喧嘩しているよりは
ましだと思うんですよね。 でもこれ、難しい。

何と言うか、一朝一夕に出来るようなものじゃあ無いんでしょうねえ。
でも欲しいんだよっ『海賊の剣』がっ

「何か、この、せっかくねじったのに戻るって言う、これは一体
どうなってんのよ!」


これは、実際そうなってみると、相当腹が立つ。「がああああっくっそう」

「おかあさん、ちょうちょ作って、ちょうちょ」
「よっしゃ」

『ちょうちょ』は『海賊の剣』より難しくは無い。何とか頑張ってみる。

「出来たぞ〜ちょうちょ」
「やったあ!ちょうちょだ」
「あやや!ちょっと待って」

興奮の余り、風船の色を選ばず作ってしまった『ちょうちょ』は毒々しい
真紫だった。これじゃ『ちょうちょ』じゃないですね。

「これはドクケイル(ポケモンに出て来るのポケモン)です」
「わあ、ドクケイルだ〜」 何でもいいけどねっ。

夜になっても風船風船、『海賊の剣』の作りかけが沢山出来てしまう。
どうしても出来ないよう。こんな事ならPTA祭りの売り子なんてやるんじゃ
無かったよう(←筋違い)

息子が寝付いてから、「ほれハチドリ」
母に緑色の風船でハチドリを作ってやる。これは『ちょうちょ』より更に簡単だ。
鳥専門の木彫りをやったり、鳥を盛んに飼ったりと、母は鳥が好きなのだ。
「あら可愛い」 「でしょう」
いや、余り風船ばかり買ってると、そのうち本当に怒られるからご機嫌を
取って置くのだ。
まともにやれば この作業、母の方が絶対に上手いはずなのだが、何故か
やろうとしない。ぱあんっと割れるのが嫌なのかもしれない。

でも無理には勧めない。心臓が止まったりしたら困るからだ。


2005年09月13日(火) バルーン。


バルーンアート。
細長い風船をねじって、動物を作ったり花を作ったり、もっと大掛かりな
物を作ったりと言う、元々は一種の大道芸だったらしいけれど今では
誰でもがある程度楽しめるように、キットも出てる。

PTAが主催で、年に一度、学校を開放してで店を出す『お祭り』があるのだが
私は出店係になっていた。『お祭り』関係者は当日20分だけ他の人より
早く学校へ行く。この日は『土曜参観』の日でもあり、参観が終わって
いきなりお祭りへと突入するらしい。何もかも初体験。

20分早く学校へ行った係りの人は一斉にバルーンアートを作る。
猛烈な速さで、大量のイヌか、キリンか、ネズミか微妙な物を作り上げて行く。
こう言う時の、お母さんの集中力とパワーはすごいよ。
馬鹿にする奴はして見ろって感じです。あのど真ん中に置いて差し上げよう。

私はこの時、初めてアートバルーンなる物を良く見て触った。
卑猥とか言ったりしちゃあ駄目だね。でも思うだけならいいかも知れない。
とにかくその、生ゴムとしか言いようの無い物と格闘する事20分。
相当量の作品が、無事に仕上がりました。

息子が年中の時、アートバルーンが部屋にある事が怖くて、子供達の遊び部屋に
入れなかった。玄関で一人泣く息子。風船は割れる。その音が怖い。
だけど子供達は大喜びだ。それはそうだろうと思う。
中で一緒に遊べたらなと、泣いている息子を抱えて考えていた。

それから2年、音はすっかり平気になりました!万歳。
そこで、早速買って来ました。アートバルーン。だって、もちょっとやりたいな〜と
思ったところで終わりになったんだもん。

「剣を作ろう!剣を」 息子と意見が一致したのはいいが、これが難しい。
・・・・・・ぱあんっ
普通の風船が割れるとこんな音がするがアートバルーンの場合はちと違う。
・・・・・・ぱあんっ・・・ぷううううううっ
このぷうううううっが何とも哀しく、そして馬鹿馬鹿しい。

・・・・・・ぱあんっ・・・ぷううううううっ
ええいっこの
・・・・・・ぱあんっ・・・ぷううううううっ
ぎゃはははと笑う息子、良かった、本当に良かった。音はもう、全然平気だ。

「やったっができたぞ!あっ待って、ほどけたほどけた」
「お母さん、階段の途中で何やってんの?」
「いや、見せようと上がって来たら、ここでほどけちゃって・・・」

奮闘努力の甲斐あって、剣らしきもの1本だけ完成、へへん。
明日は『海賊の剣』にチャレンジしてみる。
今日はそれをやろうとして5本割ってしまったのだ。
・・・・・・ぱあんっ・・・ぷううううううっ

何度聞いてもやっぱり哀しく、馬鹿馬鹿しい音である。




2005年09月11日(日) 最近の事。


「Rちゃん、あまりお母さん、お母さんって言ってたら駄目だよ。
お母さんは、いつまでもRちゃんの傍に居られるわけじゃないんだからね。
いつか居なくなっちゃうんだからね。その時、困らないように、何でも
一人で出来るようにしておかないと駄目なんだよ」


その通りではある。だがこれを息子に語りかけて居るのは私ではなくて
同じ小学校1年のクラスメートと言うのが、何と言うか 少々微笑ましい。
実際に、この言葉を聞いたのは私ではなく、同じ家に住む母である。
私はその時、買い物に出掛けるため、車庫に車を出しに行っていた。

息子はこの時、2択を迫られていたのである。
友人と家に残るか、お母さんと買い物に出掛けるか。

息子に淡々と淀みなく説明していた言葉から、この子が幼い頃からずっと
親にこう言われて育って来たんだなあと言う事が解る。
これが この家の方針でもあるのだろう。だが、この子は今、少しばかり
居場所が無い生活を送っている様子だ。毎日のように学校の預かり時間が
終わると我が家を訪ねて来るのだが、『今日は遊べないよ』と言っても
中々納得してくれない。
「外で遊びなさい」と言っても「どうしても家に入りたい」と言う。
息子が自転車に乗りたいから外へ行こうと言っても「Rちゃんはいつでも
外で遊べるでしょう。オレは家の中がいいんだ」
と言って頑として動かない。
「天気もいいし、外行きなさい」と勧めても「家がいいんだ」と言い張るばかりだ。

息子とは学校では仲良しらしいが、一旦我が家に入ると、見たところ余り
仲良しではないようだ。おそらく学校ではそれが出来ている筈の『思いやる
気持ち』を無くしてしまっている。もっと切実な何かが 彼を行動させて
いるようだ。

我が家の5件ほど先に、やはりクラスメートで、その子と仲の良い子が
住んでいる。だが、どう言うわけか そちらの家へ行こうとはしないのである。
だけど「○○君の家へ行ったら?」とはさすがに言えない。
先方にも都合と言う物があるだろうし、それは やり方として良くない。
毅然として『今日は駄目よ』『遊ぶなら外よ』と言うべきであるし
言ってはいるのだが、聞いてくれない。
悲しい目で「お願い、お願い」を繰り返すだけなのだ・・・。

その日、外へ出る事もその子に禁じられ、家の中で縄跳びをするのも禁じられた
息子はちりちりしていた。
「縄跳びは家の中でしちゃいけないって先生が言ったでしょ」「そんな事
言ってないもん」「言ったでしょ。Rちゃんが聞いてないだけでしょ」


・・・。言ってないと思うなあ、そんな細かい事。でも息子の肩を
持つ事も露骨に出来ないで あらゆるタイミングを失った私は脱出作戦
出る事にしたのだ。

「これから夕ご飯の買い物に行かないといけないから。今日はここまで。
Rも荷物持ちに連れて行くからね。また明日遊ぼうね」
「わあ、行く行く」 と息子。

そこで初めの台詞がその子の口から出たのだ。
そう、微笑ましくもあるが、小学1年とは思えないほど方便に長けた一面を
持っているとも言える。息子はどうしたか。 その子の熱弁虚しく「待ってえ」
と後から追いかけて来た。それを見送るその子の呆気に取られた顔が
可哀相だが、やはり何となく可笑しかったと母は証言している。
息子が行ってしまったので、その子がそれ以上我が家にいる理由はなくなって
しまった訳だが、それから20分ほど一人で遊んで、渋々帰って行ったと言う。

寂しいのだ。お母さんが働いている子は多いが、そう言う事とはまた別に
ちょっとこの子の行動には 寂しさの余りか、やや特殊な物を感じる。
以前、この子と自分の子が親しくしていたお母さんからちょっと申し送りの
ような物があったが、余り真面目に聞いてなかった。
今はそのお母さんに 申し訳なく思ってる。

その子は息子が居ない時に私と会うと、息子の悪口ばかりを言う様になった。
確かに色々言われても仕方のない息子だが、事実と違う。
「悪いRちゃんだね」と言う言葉が私の口から聞きたいのだろう。
その百倍くらい激しく、息子は普段は叱られているのであるが、あからさまな
挑発には乗りません。
このままではいかんなあと、今はそんな感じだ。難しいが学校で遊ぶだけに
した方が良いかと、思っている。
その子のお母さんを知ってはいるが、残念だが上手く、色々な話が出来るとは
思えないのだ・・・。


悪いがうちは、その子には羨ましく思えるかも知れないが、家の中は年寄り
ばっか
である。親族も少ない。私だって明日は死ぬかも知れんのだ。
そうなったらどうする?何も考えてない。事故は勘弁よとか精々思うだけ。
「Rちゃんは絶対、一人にはならない。みんなが居るから大丈夫」
子供が悪い夢を見ないで育つ様にしてやるくらいしか、出来ないではないか?

黙ってたって、何れは自分から、離れて行くのだ。
その時、自分が追ってはいけない。それだけは常に、肝に銘じているつもりだ。
だから余分なお金はやらないんだもんね。あったら私が老後のために使うのさ。
何か事が起こった時、真っ先に息子の頭に浮かぶ人の顔。
それが私の顔でなくなった時が、うちの場合の「一人で生きてゆけ」と
言い渡す時になるだろうと思う。 そして、それは案外早いだろうなとも思うのだ。


2005年09月07日(水) カード交換。


ムシキング。全国的にはどうか判りませんが、札幌の子供達の間では
地味にまだ流行しているようです。見ている限りでは交換が主流に
なって来た様子。
交換。いつの時代でも子供達は何かを交換しています。
メンコ(今はパッチとか言うのか)であったりバッジであったり
ビー玉であったり。
交換が成立すると言う事は大事な事です。
互いに満足が行くと、そこには信用やら友情やらが生まれます。
どちらかが激しく納得が行かないと・・・子供は子供なりに恨んだりしますよ。

我が家のムシキングカードは私が集めました。
だってキラカードが出て来た時って嬉しいんだもん。無性に。
カードホルダーも私が買いました。アルバムタイプの立派なやつです。
だからこれは私のムシキングカードです。キラも随分揃えました。
銀や銅に輝くカードの中に勇ましくでーんとカブトムシ
金は出なかったけど、他は結構集まった。息子に見せて自慢します。
「オオヒラタクワガタッ」

でも息子は最近、ポケモンに夢中。
やっとポケモンに来たかと、親としてはこれも少しほっとします。
友達との話題は多い方がいいから。

カードを揃えたのは私ですが、一応カードホルダーは息子と共有、と言うか
息子の玩具入れに入ってます。息子の友達が交換を申し入れて来ました。
「ちょっとそれ、おばさんのでもあるから。2枚あるのしか駄目だから」
おばさんのでもあると言う意味が、子供には伝わりません。仕方ないか。

子供はホルダーを持って勝手に家を出て行ってしまいます。「おい!」
それから数日、そんな事が続きました。
「カード沢山、たまったよ」
ホルダーを覗いてみると・・・ああっキラが全部ポケモンカードにっ!
「マグマラシだぞ」 ああ、そうかいっ

「カード交換楽しいかい?」 「すごく楽しい。欲しい欲しい欲しいって
すごく言うから、あげたら喜んで」 それはそうでしょう銀カード
日頃の仲良しさんとの交換のみ、息子の裁量に任せる。
今日は仲良しさんが友達を連れて来た。
「Rちゃんとムシキング交換したいってさあ」 
夕方、取引の済んだ後のホルダーを見てみると、さぞかし減ったと思った
ムシカードに、何故か増えている気配がある。ポケモンカードも増えている。
子供は子供のレートでちゃんとやっている様子だ。

何と言うか、子供の持ち物って悔しいけど子供が持ってこそだなあ。
ポケモンとムシキングが混合で、しかもバッジとかも無造作に入れてある
んだけど、ホルダーがずっと格好良くなっちゃって、何だか詰まらんっ。
それを小脇に抱えて歩いて行く子を見ていると、何と言うか子供には子供の
仕事
と言う物があると言う風に感じ
大人の私がやっているとひょっとしてかなり不味く見えるのか?
と悲しくなりました。


選挙が近付いて来ました。ちょっとここ2回くらい、小泉さんの発言の
揚げ足を取ったりしていたんですが、誰が何を言っても揚げ足は取るぞ
と言う事で、民主党
「勘当した」
新聞のラテ欄で見たんですが、朝から何だか。
怪傑ゾロリ風に言うと36オヤジって感じです。


2005年09月03日(土) 死んだらそれまで。


政治の事ではないですよ。言葉の事です。

小泉首相は面白い言葉の使い方をすると言うか、彼の一言は
確かに人を反応させずには置かないのかも知れません。

反応は「!」であったり「?」であったり「・・・」であったりと様々で
あるとは思うんですけど。

『殺されてもいい』
すごいです。これをどう取るかは本当に人それぞれでしょうねえ。
でもね、色々と考えさせられます。まず殺されるかもと思っているのだろうか。
そうではないですね。そのくらいの覚悟をもって事に臨むと言う事でしょうか。
だとしたら・・・私は余り好きな例え言葉ではないです、勿論 個人的に。
何かをどうしても成し遂げたいなら、絶対に意地でも死ぬかと普通は思うと
思うんですが。どうでしょうね。
死んでも死に切れんと言うやつでしょうか。志を継ぐ人々が多く居て、犠牲の上に
のみ成立する何かと言うのであれば、そうなる事の良し悪しは別として まだ
解るんですが。
一種の喩えなんでしょうね。好き嫌いはあるけれど、思わぬ言葉を持って来て
人の気を惹く事に、大層長けた人であるのは間違いないと思います。
言葉の魔術師(政治家版)と、確かに言って良いかも知れません。

でもま、自分は、やはり『殺されていい』なんて事を政治家が安易に
口にして欲しくはなかったと言う気がしてます。ホントに個人的に


知り合いの奥さんで「私はどうなっても構わない!」と言っては直ぐマンションの
6階から飛ぼうとする人
が居るんですが・・・いや勿論、首相の発言と
一緒にする気ではないですよっ。 無いですが、一応本人も「飛ぶ」って言う時は
飛ぶ気でいるんじゃ無いかと思うんですよね。ただ、何となく一連の流れで
飛ばない事になりそうだ
とは思いながら言っていると言う・・・。
物凄く男性的と言うか男らしい物を感じさせながらもヒスな奥さん(しかも
旦那より権力強し)を思わせないでもないと言う感じが・・・やはり
こじつけ過ぎか〜。

その女性の場合は結婚前から何かと言うと「死ぬ」があったそうですよ。
生来の物言いか、一度それで通ったので癖になったか。
でもま、夫婦は円満です。周囲は大変と言う話を聞きましたが。そりゃそうだ。

ご免ね純ちゃん悪気は無いのよ。ちゃんと投票行きますからね^^


2005年09月02日(金) 映画バトン。


引き続き、れんとん様から頂いた映画バトンです。
ところで私は映画館が苦手・・・音が駄目なんです。大音響が身体に
来ると言うか、だからコンサートも駄目なのよ〜って前にも書いたかな。
だからビデオの存在は有難いですね。それと衛星とかWOWWOWとか何かそんなのも。

でもやはり本当の映画の楽しみは映画館にありなのかなあとも思うんですけど。


☆好きなジャンルは?(Vシネマ等ビデオも含む)

あわわわわとなるジャンルです。(何だそれは)
恋愛物はハッピーエンドだと無性に腹が立つので余り観ません。ヤな女ですね〜。


☆その中で一番面白かったもの(3つほど)

「殺人の追憶」
最近観たけど面白かったですよ。汚いなあ、痛そうだなあ、何なんだろうなあ
と言う独特の雰囲気で余り陰惨さはないと思うんですけどモデルの殺人が
本当に起こった韓国では、また印象が違うんでしょうね。
犯人役の青年が良かった。

「ジョニーは戦場へ行った」
古っ。でも人ってそもそも何なんだろうなあとかそれっぽい事を考えて観た
記憶があります。これは相当若い頃。主役の青年が好きでした。

「遊星から来た物体X」
作り物は感心する事こそあれ怖くはないんですが、これは生理的にイヤ〜ンで
相当怯えました。ベストオブ気色悪い映画です。でも3回観たら慣れましたけど。

次点^^

「ロープ」
これも古いなあ。実際の殺人事件がモデルになってます。
ハラハラ感は今見てもハラハラ出来ると思います。ヒッチコック物では自分は
一番好きかな〜、何故だか。

「映像の世紀」
れんとんさんが挙げているのを見て(^^;
何処で笑えて何処で笑えなかったか、考えてみるのも良いと思うと言うか。
パリは燃えているか。

☆今後観たいもの

スリーピーホロウ(掲示板で名前間違えたっ。直しとこう)何故観てないのか
ボーイズ・ドント・クライ
モンスター

「愛に関するキンゼイレポート」
これも観たいです。問題は何故するか、どうするかなのだろうか。

☆バトン

昨日と同じで落としちゃいます。ご免ねっ
  




2005年09月01日(木) 萌え映画バトン。


れんとん様からバトンを頂きました〜
映画バトン、萌え映画バトンの2本です^^
いつも落っことしちゃう私ですが、回して下さる方がいらっしゃるのは
嬉しい事です。

ではっ萌え映画バトンから参ります。

Q1. Total number of movie dvd(video) on my shelf
(持ってる映画DVD(ビデオ)の総数)

ん〜私自身のはとても少ないです。家族での総数ならかなりあるみたいです。
(でも趣味はばらばら)

Q2. slashy movie watching right now(今観ている萌え映画)

『オペラ座の怪人』がまだ観てないけど今日借りたです。
ウェーバーの音楽が好きなんですよ。萌えるかどうかは・・・


Q3. The last slashy dvd(video) I bought
(最後に買った萌え映画DVD・ビデオ)


まず何より、DVDが欲しい今日この頃。ビデオも「ニモ」から買ってない・・・乾いてる、寂しい。

Q4. Five slashy movies I watch to a lot, or that mean a lot to me
(よく観る、または特別な思い入れのある萌え映画5本)


これは役者さんへの思い入れで行きますね。

1.「スタンド・バイ・ミー」
  とにかくお得感が強かった映画です。男の子っ。キングの作品の
  映画化にしては良く出来ていた。そしてR・フェニックス。

2.「リバー・ランズ・スルー・イット」
  冬の屋外映画館で、雪の降る中観た。今考えると全てが信じられない。
  車の中は女3人。辛すぎ。B・ピットが綺麗だった。
  はっきり言って、うちら車内の女3人を足して50倍したのより綺麗だったです。

3.「オーメン2」
  だって、スーツ着た少年がっ(笑)この子役のJ・S・テイラー君はその後
  どうしているのだろう。
  でも本当は知りたくないです。その時可愛ければそれで良いのです。
  映画自体は首が飛んだ事くらいしか。

4.「シザー・ハンズ」
  J・デップは眉毛のない人だと思ってました。だから「クライ・ベイビー」
  かな?で観た時は驚くと同時にエドワードは居ないんだなあと悲しくなった・・・。
  これで何回も泣いてしまいました。そうです、私はこう言う映画で泣くん
  ですね〜。ちょっと恥ずかしい。

5.「プラトーン」
  萌えは少年だけじゃないです。W・デフォーに萌えました。だけど皆に
  ひどい事言われた。ゴリ夫とか(苦笑)。日本人受けする顔じゃないの
  かも知れないけれど、名優さんだと思います。

Q5. Five people to whom I'm passing the baton(バトンを渡す5人)

落としちゃいますっご免なさい!バトンを受けても良いなと言う方が居たら
是非、お知らせ下さいませっ

明日は映画バトンですのだ。



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