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2005年03月31日(木) 時間をこえる。


行きたいところへは 大抵行ける。そんな時代であるようだ。
知り合いの幾人かは旅行好きで、地球を半周やらほぼ一周やらしている。
治安の良い、大きな国ばかりではあるが。
空間を越えて行く時間は 次第に短くなり、価格も安価になっているらしい。

そんな時代にあっても、隣町にすら 行けない場所がある。
子供の頃遊んだ 空き地はもう無い。ごろごろ石の山道は 坂の両脇に瀟洒な住宅が
建ち並んでいる。どれほどしっかり頭に焼き付いていても、それはもう存在しない
場所なのだ。だから行けない。
家の前の小路を行くといきなり柵も無い崖になっており、正面に線路と海が、左手に
町が一望出来た。どれももう、存在しない風景だ。

年賀状で「会いたいね〜」「今年は会えるといいね〜」と言い続けて10年以上と
言う友人も何人かいるが、彼女らと会おうと思えば、きっと会えるのだ。
そして多分、いつか会える日も来るのだろうと思う。
だが10年前に足を止めてしまったあの人とは、二度と会えない。
今も千葉で、東京で、名古屋で 暮らす彼女たちの声は学生時代の時のまま思い出す
事が出来るけれど、それと同じかそれ以上に、鮮明なあの人の声は二度と聞く事は
出来ない。

半世紀ほど前のSF小説、或いはドラえもん。『夢の道具』を越えた物を 現実は
幾つも作った。だけど長い事、多くのSF作品に登場し、ドラえもんでもお馴染み
タイムマシンだけは、実現可能な夢から 相変わらず遠いところに置かれている。

宇宙旅行は個人レベルで、まあご近所なんだろうけども 行けるところまで話が来て
いるみたいだけれど。
空間は何とか出来ても、時間はどうにもならない。

どれほど鮮やかに記憶に残っていても、幼い頃の隣町の風景は、もう死んでしまった
風景なのだろう。時間を超えると言う事は、死んで また生き返ると言う事を 何事も
無かった様に繰り返すくらい、無茶苦茶な事であるのかも知れない。


2005年03月30日(水) 嘘。


小学校2年生の時であったと思う。
髪留め(いわゆるパッチン留め?)を学校で遊んでいて無くした。
その時は祖母の家で暮らしていたので、家に戻ったら早速パッチン留めを
何処へやったか 祖母に訊ねられた。
「上級生の女の子が 髪から取って遠くへ捨てた」
と言ったような事を私は答えた。

祖母は決して厳しい人ではなく、落としたのだと言えば「仕方ないね」で
済んだのであろうが、相手の子の人相まで具体的に私は答えた。
それを憶えている。
そんな事をずっと憶えているくらいなので、私は上手い嘘が 今も吐けない。

嘘を上手く吐く方法、それは吐いた嘘を自分がまず 信じてしまう事だ。
だから「これは嘘だ、自分は嘘を吐いているのだ」と思いながら吐く人には、まず
上手い嘘は吐けない。
そして上手い嘘は 実際は練習して吐ける様になる物でも無いようだ。
言った先から嘘を本当にしてしまう、ウソ発見器もびっくりな人の吐く嘘には
結局 敵いっこないのだ。

小学2年の時、上級生に髪留めを捨てられた。こんな風に記憶に残っているようで
あれば、私だって 上手い嘘吐きになれた可能性はあった。

何より自分が信じている嘘を、他人に信じて貰う事は割と簡単だ。
だがそれが嘘であると突きつけられた時、混乱が生じる。自分とっては最早
それは嘘では無いのだから、信じない相手を酷い奴だと思うかも知れない。
普通 だと思って吐く時は、嘘吐き呼ばわりされたくない人間にはなるべく吐かない
ように心掛ける物だが、自分から信じてしまうタイプは まず信頼している人間から
嘘を吐いて行く。無意識で を周囲に築き上げているようにも思える。

「私は嘘を吐いた事がない」「あ、今吐きましたね」
なんて小噺があるくらい、人は嘘を吐く。嘘も方便なんて言葉もある。
私だって随分 嘘を吐いて来たと思う。自分が嘘吐きじゃないとは思ってないけど
技術で嘘を押し通すのは限界があるので、取り返しのつかない嘘は多分これからも
吐かないだろう。細かいのはしょっちゅう吐くけど。
いよいよ肝心な事は、本当の事を言ってしまった方が実は 余程楽なのだ。
私は楽な事が大好きである。周囲もそれはそれで 結構迷惑している。

「あの人がそんな事をする人には思えない」
心から思ってくれるのはイチゲンさんだ。付き合いが深くなれば、嘘吐き癖
真っ先にばれる。そんな変な癖、あると思ってないのは本人だけ、悲劇的だ。
それでも許して、側に居てくれようとする人間だって結構居る。
だが、許されている事も気付かないのであれば、何れ周囲も恐れをなす。
嘘に対する、罪悪感を持てない人間ほど怖い物はない。

小さな嘘を吐いた後でも顔色が変わる、胃がしくしくする、重くなる。コーヒーが苦い。
本の活字が目に入らない。人に見られるのが何だか嫌・・・。
そんな小市民的反応は 情けないが喜ぶべき事かもしれない。
痛かったり 苦しかったり 憂鬱だったりするのが好きな人はいないので、
特別 嘘と馴染みの良い人以外は大抵、吐いてもなるべくちょっぴり、そして吐いた
事を憶えていて、なるべく次は吐くのは止めようかなとか思うのだ。








2005年03月29日(火) 赤いグラス。


我が家のサイドボードの引き出しの中に、赤いグラスが1個ある。
細身の真っ赤なグラス。とても美しい赤だ。

『旅情』と言う映画があった。♪ベ〜ニ〜ス〜の恋は〜♪と、今でもカラオケのある
スナックで たまに親父さんが歌っていたりもするこの映画は まんま水の都ベニス
舞台で、言ってしまえば元も子もないが 不倫の映画だ。
確か、中学生くらいの頃に これを見た私は「いやっ不潔よっ」 とか思ってしまい
特に感動もしなかったので それ以来、二度と観てはいない。
だから、それに真っ赤なヴェネチアングラスが出て来ていたのも全く憶えてはいなかった。

ところが両親の世代となると、これが正に青春の思い出映画
真っ赤なヴェネチアングラスは 彼らの頭の中に 鮮烈な印象を残したらしい。
テレビもあったかどうか、あっても白黒をご近所で集まって見てた時代だったしね。

父は趣味の少ない人だが、体力はあるので 旅行に良く行く。年に一度2週間ほど
かけてヨーロッパの幾つかの国に遊びに行くようだが、コースは毎年違う。
一応名目は仕事絡みなので、多いのは北欧、ここは食べ物に塩漬けが多いそうだ。
好きなのはチェコだと言うが、ここはガラス製品が有名である。ボヘミアングラス
は金やエナメルみたいな素材で綺麗な装飾を施された、どちらかと言うとインテリア向き
の派手なデザインが多い。これを買い込み、飾ったり配ったりしている。

ベニスにも 何年かに一度は行くようだが、どう言うわけか、ガラス製品を買って来ない。
「高価いからだ」
と父は言うが、1個くらいは買えるだろうにさ・・・と思っていたら、ある年
赤いグラスを1個持って帰って来た。

「これは『旅情』に出てくるグラスと同じ工房で作ったものだ」
私には「???」だったが、まるで合言葉のように 母が反応した。
「ああ、本当だわ。この色が」

ヴェネチアンレッドと言うその赤は、深みのある何とも言えない色をしている。
金が入っているとか、確かそんな話を聞いた。とにかく、綺麗な赤だった。
でもってお高価い。
「もう1個欲しかったけど 売り切れてしまったのだ」
日本人はここでも結構いいお客さんらしい。ン万円するグラスがぼんぼんと売れるようだ。
映画に使われたサイズより小振りだと言うそれは、だが色味を見るためには十分な
物で 形も洗練されていて美しかった。

私はこのグラスが一目で気に入った。きっかけにして映画を観る気には、特にならなかったが。
「さあ、どこに飾ろうか」
と言う父に、母と二人で反対する。「このまま仕舞っておこう。割れるかも知れないから」
「飾らなきゃ見る事も出来ないだろう」 と父。
「たまにこっそり出して見ればいいじゃん」と、貧乏くさい事を言う私。
その時、母が信じられない発言をした。
「そうだ、裏にガムテープを貼って倒れないようにして飾ればいいんだ!」
いくないわっ。それにそれを言うなら両面テープだろう。

結局、引き出しに仕舞って こっそり取り出して見ると言う 私の貧乏くさい案が通った。
グラスは仕舞われ、やがて忘れられた。そんなもんである。

今年は デジカメで花以外にも色々な写真を撮ってみようと考えていた時に、久しぶりに
グラスの事を思い出した。だが私の写真技術であの色がちゃんと出るのか、幾ら今時の
デジカメ性能が良いとは言え自信がない。はやはり、心と直結した素晴らしいカメラだ。

我が家は全員が光り物好きだが、ガラス製品も光るので好まれる。
スウェーデンもガラスや水晶を使った工芸品の多い国らしい。

父は旅行好きだが、他の家族は全くである。北海道を出ようとしない。
私は一度だけ、オーストラリアに遊びに行ったが、コアラが思ったより臭かったのが
一番深い部分で記憶に残った。





2005年03月28日(月) 金縛り。


息子の誕生日に買った「ピクミン2」 まだプレイ中である。

ゲーム内で する事は沢山ある。冒険、探索、下準備、おまけゲームもあるけれど
本編だけでもボリュームがあり、お腹一杯になる。

息子は向かって来る敵が怖い。タマコキンと言う 名前もアレだがその姿も、金魚に
2本の足が生えて口から砲弾を吐きながら歩き回っていると言う、もうあんまりな形状
敵が特に恐ろしいらしい。
フィールドに こいつが居ると息子が悲鳴をあげる。「タマコキンがいる〜っ!」
砲弾が破裂する微かな音を聞き分けるらしい。弱い動物って聴覚が発達するからなあ。

「こんな物は何でもないっ」 別に撃たれたって 痛いわけじゃなし。
だが息子は うんと弱い小さな生き物をやっつける事と、木に生っているを集める
事しか出来ない。
それはそれで良いのだが、宝物は人一倍 欲しいのだ。
自分でやれよっとも思う一方、ちょっとゲーム初心者の6歳には 難易度高めである事も
否めないので、息子が実を収穫し(下準備)私がそれを無造作に使いながら冒険する
と言う分業プレイをする事となった。
実際コントローラーを握ってのプレイは 目が疲れるだけではなく、あらゆる所に
緊張を強いる。見ているだけなら、まだ幾分ましであるので ほとんど私が
コントローラーを握っている。

とは言え疲れる。私自身はもっとのんびりプレイするゲームの方が 性に合っている様だ。
今日の夕刻、テレビを消した後 思わず椅子で うたた寝をしてしまった。

金縛りと言う物がある。これはかかり易い人はしょっちゅうかかり、経験の無い人は
全く経験の無いと言う物だ。私は実に良く、これにかかる。
息が苦しい時もあるが、ただ身体が動かないだけの時もある。一番良いのは そのまま
寝入ってしまう事だが、起きなければならない時に限って、この状態になる。

「お母さん、笑ってる」
息子の声が耳元で聞こえる。私は椅子で 金縛りにかかっていた。
どうした事か、自分の顔が思い切り 笑っているのが 自分で判る。
口まで全開だ。ニカ〜ッと言う顔のまま 止まっているのだ。楽しい夢を見ていたにしろ
何にしろ、その記憶はまるで無いのに、顔は激しく笑っている。
だけど起きられないのだ、声も出ない。顔は戻らない。それが金縛りの恐怖だ。
「夢を 見ているんだね。寝かしといて あげなさい」
家人の声が、これまた はっきりと聞こえる。
いや、ちょっと。助けて。夢は見てないんだって。金縛りなの、起こしてお願い。
「口開けて笑ってるね〜」 と息子。
誰かつつくとか何とかして。起こして〜っ!

どのくらい そうして笑って居たのだろう。私は 突然むっくりと 身体を起こした。
金縛りが解けたのだ。色んな意味で これほど辛い金縛りも久々だと思った。

息子は親が満面の笑顔が張り付いた様な顔のまま 眠っていた事に何の疑問も
気味悪さも感じていない様子で言った。
「『洞窟』に行こう!お母さん」
約束だからちょっとだけ行ったけど、いやもう勘弁。明日からはプレイ時間を減らす。
今度はどんな顔で金縛りにかかるかと思うと、怖いって言うか 起きてもしばらくは
口の端が痙攣してたし





2005年03月27日(日) エッチをしませんか?


迷惑メールが増えた。
何故だか、一気に増えた。きっと理由があるのだろうが、そこまでは判らない。
へんてこな英語のメール(でも必要な物ではない様子だ。さすがにそれはちょっとは
判るのだった)は来なくなって、出会いサイト系のメールばかりになってしまった。
これは日本語なので読める事は読める。タイトルだけ見て削除だ。

あなたは寂しくありませんか?
今の人生で本当にいいんですか?
楽しい事、したくありませんか?
エッチをしませんか?

疑問符で終わるタイトルが多い。
訊ねられると 一応は考える。でもメールは開けないけどね。

エッチかあ。
私がエッチについて 真剣に頭を悩ましていた頃は エッチなんて言葉自体、そう
言う事には使われて無かったんだよ。エッチと言えば、何となく『ハレンチ学園』とかだったな。
では何と言っていたか。セックスとちゃんと言っていたんですね。隔世の感が
あります。元々みんな言いたくなかったんだよね。ゆえにエッチと言う言葉の
浸透する事の早かった事と言ったら。
ただこの言葉、余り良くない。エッチは昔から もっと軽い意味で ずっと使われ
続けて来ていた言葉だし、他愛ない、罪のないと言ったようなニュアンスが確実に
あった言葉だから。スカートめくりとか。やっぱり『ハレンチ学園』だな。
そのためにオリジナルの言葉を作っても淫靡さが強調されるだけで、どうせ浸透しない。

あ、だけど『援助交際』は浸透したな。いっその事、意味不明さで成功した例だ。
「エンコー」とか略称にされると 更に意味不明さが増す。他の様々な生活を取り
巻く事柄の略称との、意味合いの違いの境界線が 薄くなって行く。

「お持ち帰り」と言う言葉を 実際に聞いた時には かなり驚いた。
しかも私が聞いた時は「お持ち帰られる」と言う活用までされていたのだ。
「その子はすっかりお持ち帰られる気で勝負下着着て来たのに、カレシが別な子を
お持ち帰っちゃって、すっごいむかついて 朝までロイホにつき合わされて」
話しているのは元同窓生なので私と同じ年齢な訳だが、下着娘は10歳ほど若い
らしい。先日、久々に会って話をしたのだ。
「あの、そのカレシとやらは妻子持ち(今時の言い方は知らない)なんだよね?」
「当たり前」
当たり前じゃないよ。いや、当たり前なのか?
思えば遠くへ来たもんである。

セックスの代わりになる言葉を考えようよ。
そんな事を 20歳の時、本当にやった。悪友とだが 相手は男、考えれば下品な事
この上ないが、セックスと言う言い方は 恥ずかしいと言う事で 意見が一致し、
そして二人とも そう言うくだらない企画が好きだったのだ。
結局「セ」と言う所に落ち着いた。
今考えれば、暗号か合言葉みたいである。実用には とても耐えない。
だが、考えるのは楽しかった覚えがある。
考えれば、もっと良い言葉があるかも知れないと言う話しにもなった。
つまりはそれが、エッチと言う言葉であったと言う事なんだろう。

エッチをしませんか?

私の頭の中では今でも「ウンパカハレンチウンパッパ♪」と言うメロディが
鳴り響いてしまう。「エッチスケッチマイペット」(地方によって違うらしい)
とか言って遊んだ世代の人は 女の子を誘う時、エッチを使うのは止めようよ。
われらの世代のエッチ感覚をもっと大切にしようじゃないですか。
・・・それこそ余計なお世話ですね。




2005年03月26日(土) 本名はオーディンです。





ブルーボタンインコオーちゃんは10歳のオスだ。人間で言えば お祖父さん
呼ばれて腹を立ててるおっさんくらいの年齢だろうか。

我が家でボタンインコ類を飼い始めて15年になる。飼ったインコ数は3羽。
意外と少ないが1羽1羽が長生きなのだ。
他の2羽はメスだった。そして凶暴だった。小桜インコのモモちゃんはおもちゃのような
風体をして悪魔のように凶暴だった。或る日、小屋の掃除をしていると、猛烈な頭痛が
して来た。うずくまりたくなる様な痛みに「やばっ」 と思って良く見ると 耳たぶに
モモちゃんがぶら下がっていた。
はがすとが開いていた。血がぴゅ〜だ。
この鳥は本当に怖かったので 世話は家人に任せていた。

2羽目のポンタヤマブキボタンインコと言う真っ赤な口ばしに橙、黄、緑と
言う 羽毛のグラデーションが美しい鳥だったが、やはり凶暴だった。
そして新しく我が家にやって来た小さな赤ん坊の事が、心底 嫌いな様子であった。

鳥頭と言われるくらい、鳥は何でも直ぐ忘れ、理解もしない賢さの足りない生き物だと
思われがちだが、それは違う。中型の、普通に飼えるインコでも賢いものは部分的にだが
2〜3歳児並みの理解力を持っている。ただ、賢くない物もいる気がするが
それは単に、人との距離の取り方の違いであるのかも知れない。
それが判らないんだから、こちらも大して賢くは無いのかもだ。

おそらくは嫉妬から、息子を噛む恐れが大変強かったため、ポンタは別室に隔離された。
オーちゃんもその時 一緒に隔離されたが、ポンタが寂しくないようにと言う理由で
あり オーちゃんは早くから、人間の子供に興味津々な様子であった。

息子が2歳の時、ポンタは死んでしまう。一羽残ったオーちゃんは非常に物静かで
気の優しい鳥であったため、息子の活動場所である居間に戻される事になった。

オーちゃんは余り鳴かない。だが寝言がひどい。鳥も寝言を言うのだ。
誰かが居間の椅子で休んでいると大騒ぎをする。死んでいると思うらしい。
人を噛んだ事は数えるほどしかなく、どれもちゃんと理由があった。
焼きそばを口に入れたらおいしかったので、もう一口食べようとしたら人間に
引き剥がされてむかついたとか、やっぱりどこか動物な理由だが。
物静かで温厚な彼だが、怒る時は怒る。午前1時を過ぎて、居間で家族が話を
していると「ぐぎゃあ」と言う、信じられないほど汚い大声を一度だけ出す。
「うるせえな、さっさと寝ろ」と言う事らしい。

一人っ子の息子の一番の友人が、このオーちゃんだ。叱られた時、悲しい時
息子は一人、籠にへばり付いている。イチゴを貰った時は おすそ分けに行く事もある。
しつこくすると軽く噛んで寄越すらしいが、息子の方も文句を言うだけで泣くでも
怖がるでもない。

近所のお寺の境内で、若い住職の子供さんが二人、遊んでいた。
お兄ちゃんが 息子と同じくらいの年齢。2歳ほど下の 妹さんが居るようだ。
「ボクの妹だよ」と息子に紹介してくれている。
「ボクにも妹がいるよ。オーちゃんって言うんだ。・・・・・・鳥だけど
最後の「鳥だけど」が 何だかつらいが、相手の子は「そうか、鳥なんだ」と言って
にっこりと笑ってくれた。

オーちゃんがオスである事は知っているのだが 「だけど妹」と息子は言う。
この種の鳥は15年を越えて生きる物もいる。
手前勝手な事情だが、オーちゃんには なるべく長生きして欲しい。


2005年03月25日(金) 雪解け、カラオケ。


今年の雪解けは遅かった。
だけど春の来ない冬は無いのだ。一気に気温が上がり 雪は解け始める。
ぼたぼたぼたぼた・・・ずうっと一日中 この音だ。
屋根の雪がとける。高い屋根から低い屋根へ雪解け水が流れる。
気温が急に上がったため、音は夜中も止まない。
今も(午前2時、もう寝ろって感じ)音は続いている。

「霧雨の微かな音を聞いている。それはまるで追憶のように
屋根や壁を静かに叩きながら、優しく暖かく 降り続ける」

雨だれではないのだけども、似たような音をずっと聞き続けていたため 懐かしい
歌を思い出した。サイモン&ガーファンクルの「キャシーの歌」だ。
ちなみに訳は私じゃありません。手元に訳詩集があったもんで、山本安見と言う人
ですね。何かこの本、かび臭くなってる・・・1983年7月初版発行・・・しかも
初版だよこれ。うむう22年前ですか。

学生時代から良く口ずさんでいたこの歌は、今では意外な事に 普通にカラオケに
あったりするんですね。嬉しくなって思わず歌うんだけど、同行者には迷惑かも
知れないな。
ビートルズもすごい数があったりして「マザーネイチャーズサン」とか「アイウィル」
とか空耳アワーみたいな英語で歌ったり、やっぱり盛り上がる歌じゃないから
同行者は 戸惑っているのを隠しているのかも知れない。

でも「アユ歌って」とか言われても 本当に知らないんだから困り物だ。
いや、聞いたら判るんだけど 歌うほどは判らない。竹内まりやの「駅」じゃ駄目
ですか?暗い?洒落にならない? そうですか・・・。

最近では平原綾香「Jupiter」は判った。ホルストの木星だもんね。
これは中学の頃、富田勲の演奏を聞いて感動した。Y.M.Oが出て来たのもその頃で
あったから、おおっシンセサイザーだよっ な時代だったって事かな。
それから四半世紀、『木星』も若い女の子の力強い声で人生応援歌
みたいな流行歌となった。
どちらにせよ、カラオケじゃ歌わない。正確に言うと歌えない
あれを上手に歌える人とカラオケに行って、歌って貰って じっと聞いていたい。

中島みゆきの「夏土産」 歌いま〜す、何?知らないとな。それじゃ 「時刻表」
それも知らないとな。じゃあ「時代」 これなら知ってるでしょうが、さすがに。
何?カーペンターズの方がまだいい?まだとは何だ。 「時代」は名曲なのに。
腹が立つからPPMで「500マイル」 を。汚染濃度じゃないよ。
ピーターポール&マリーだっ。

曲目が増えるのは すご〜く嬉しいけど、TPOってのも微妙な問題。





2005年03月24日(木) ケツノケ。


お前のケツの毛まで毟ってやる。

ドスの効いた太い声に目が覚めた。それが自分の声である事が判るまで少しかかった。
息子は1週間ほど前から隣の部屋で一人寝を始めている。良かった・・・
もしも一緒に寝ていたら「お母さんケツの毛ってなあに?」と聞かれていただろう。
それ以前に、朝から異様な母親の声に 泣いてしまっていたかも知れない。泣き虫だから。

確かに前の日の晩、私は猛烈に怒っていた。誰かと喧嘩をしていた訳ではなく、ただ
腹を立てていただけなのだが。余りにも腹が立つので 家人が寝静まったあと一人延々と
ピクミンをやってしまっていたほどだ。

夢は無意識だと言われる。確かに。
自慢にもならないが、私は「嫌な夢」「怖い夢」と言うのを見た事が余り無かった。
正確に言えば そうした夢は朝まで憶えていないと言う事になるのだろうか。
実生活では結構「つらいわ」と思う事も無いではなかったが、或いは夢でバランスを
取っているのかと思われるくらい、夢と言えば呑気なもの、どこか楽しい物であった。
空を飛ぶ夢、平凡な道だが 誰かが必ず待っている事を知っていて歩いて行く夢。
芸能人と結婚する夢。

数年前に、かなり辛い事があって、それから私は夢を見なくなってしまった。
これも正確に言えば 朝まで 見た夢を憶えていられなくなったと言う事になるのだろうか。
勿論、たまには見た夢を憶えているし、夢の途中で目が覚める事もある。
どの夢もどの夢も見事なまでに暗い
私の行く先に待っている筈の人は必ず居ない。何かをやり始めると必ず失敗する。
恥ずかしくて逃げてもどこを走っているのか判らない。坂はいつも落ちる様にだ。
そんな夢ばかり見る様になった。
昔は眠っている時の方が幸せ〜などと良く言っていたが(しかもよく寝ていた)
今は起きている時の方がずっといい。夢を見るのは嫌だ。
「ああ、今いいところだったのに〜」なんて目覚めは、もう何年も無い。

そこで「ケツの毛を毟る」夢だ。
私はそう言う言い回しを知ってはいるが、人に使った事は無い。
これは脅しの言葉である。しかも金銭が絡んだ時の。
そして私は正に前日、そうした問題で腹を立て、頭を悩ましていたのである。

夢は合図だ。何の合図かは判らないが。
遠くで私が 私に向かって何かを知らせようとしているのかも知れない。
その声は ほんの小さくしか聞こえない。
こちらの方からも叫び返したいが、それもまた向こうには ほんの小さな声にしか
聞こえないのだろう。







2005年03月22日(火) 彼岸の金魚。


お彼岸であるので、日曜日にはお寺に行った。
お寺は割とご近所で、私の運転でも 難なく行ける場所だ。
一時間後に出発を決めて、各々まったりと時を過ごしていると隣りの部屋から
母の声が聞こえて来た。
「そんな恨めしそうな顔するんじゃないの。ガンちゃん、あんたそれだけ
太ってるんだから 一日一回で、食事は もう十分なんだよ」
どうやら金魚に話し掛けているらしい。

幾ら食べても食べたがるとブツブツ言いながら部屋を出て来た母に代わって
私が 金魚の顔を見に部屋に入る。
「・・・・・・わあっ」
私の大声に息子が飛んで来た。
「ちょっと祖母ちゃん(母)呼んで来なさい。ガンちゃん死んでるって」

今、話し掛けていた金魚が死んでいた事に 母は驚きを隠せない様子だ。
「だって、今こっちを恨めしげに見てた」
だからそれは・・・

恨めしげと言うより、既に恨めしい状態だったガンちゃん。目が合ったと言うより
目は開きっ放しだったんだろう、魚だもん。
ただ死んで直ぐであったためか、逆さになって浮くと言う事はなく、本当にえら
動いていないので様子が変である事が判る程度。
さあ、どうしよう?
「お墓に埋めるの?」 と息子。う〜ん・・・。

私が物心付いた時から、我が家に 人間以外の生き物が居ない時はなかった。
長屋暮らしの頃から、小さな鳥が何羽かはいつも居て、犬も15年居た。
私が持って来る、カメ、サンショウウオ、カブトムシの幼虫などは大抵不評であったが
何だかんだで小動物は沢山飼っている。長生きする物もあれば早く死ぬ物もある。
小鳥に関して言えば、今では目を見れば 助かるかどうか大体判る。

死んだらお墓を掘って埋める。庭が無かった頃は裏山に登って埋めた。ツルウメモドキ
あちこちに生えている、自然が綺麗な裏山だ。とうに無くなってしまったけれど。
今は庭のアジサイやギボウシの根元が彼らの指定席なのである、が。
・・・雪に埋もれている。

「庭まで行けないよ」と私。今年はとりわけ雪解けが遅い。
「よし、火葬」と母。
埋葬方法の決定は母がする。火葬とはつまり・・・
「ガンちゃんゴミに出すの??捨てるの??」と息子。もっともな質問だ。
「違うぞ。ガンちゃんは火葬にして貰うんだ。庭に埋めには行けないからね。
雪が溶けたらアイスの棒に『ガンちゃんのお墓』と書いてアジサイの所に立てるんだよ。
いいからホレ、持って来な」
言われるままに、お寺に持って行く予定の菊をぶっちぎって来る息子。
ご先祖様ご免なさい。

何輪かの菊と一緒に スーパーのゴミ袋に入れられたガンちゃん。大きい。食用みたいだ。
「バイバイ、ガンちゃん」
別れを告げられ、更に大きな生ゴミの袋に移される。

前回の金魚の雄雌分けは、片方の雌側水槽に関しては上手く行った様子だった。
水はほとんど汚れなくなった。雄の方は相変わらず汚れがちだったが生活の汚れかも
知れないし、様子を見ていたところだった。
ガンちゃんは一応、雄側水槽に入れられていた。一番大きく、食も良く、太っていた。

「何で死んじゃったのかなあ」
その夜、私が思わずポツリと言った。
便秘だったんじゃないの?」と母。確かに、小動物の死因には便秘なんかも多いんである。
金魚は4匹になった。雪が溶けたら、アイスの棒を立てるのを 忘れないように
しないといけない。




2005年03月21日(月) インフルエンザになった時の話。


少し以前の話になりますが・・・

取り敢えずキットで インフルエンザA型と出た息子。熱はあるけれど食欲旺盛。
むしろ気味が悪いほど食べる。食べて治すタイプのようだ。

その夜、目眩とも少し違うが「足が地に付いていない?」と感じる事が2度あった。
疲れているのかなと思いつつ、大して気にも留めなかった。

翌日朝6時。猛烈な頭痛と全身の痛み、吐き気で目が覚める。熱もあるのが判る。
「インフルエンザになりましたあ〜」
トイレの中から自己申告。以後この便所の使用を不許可にします宣言だ。
(幸いな事に 我が家は家人が多いため、階下にもう一つトイレがある)
もう他の病気と絶対間違え様のない症状。病院に行くのも面倒だが行かないと薬も
貰えない。
ふらふらしながら内科へ行き、同じような症状の人々と白目を剥き合いながら1時間待つ。
点滴を受けていると看護士さんがやって来て まるで受胎告知の如く厳かな口調で
「焙煎さん、A型ですよ」と告げて行った。
熱発48時間以内。以前から興味のあったタミフルの効果を自分の身で試す事に
なろうとは。とほ。

看護士さんは「タミフルは2日飲まないと熱は下がりません。きちんと飲み続けて
下さいね」と言った。1回で劇的に症状が良くなると聞いていたが やはりそんなに
甘くは無いのか?・・・たった1回の薬の服用で良くなるとは、その時の私には確かに到底
思えなかったが。

元々、インフルエンザの薬はタミフルだけでは無いらしい。それに酷く悪化させて
合併症を生じた場合は別だが、普通2〜3日免疫が勝ち、身体は直きに戻る物らしい。
だが今回はタミフルで早く良くなるのか、楽になるのかが私の中でのテーマだ。
いやもう、テーマでも決めない事にはやってられなかったのだ、あちこち痛くて。
速やかに作戦を遂行し、早いとこウィルスを駆逐してっ!頑張れタミフル『鷹の団』。

さて夕方、期待を込めての一錠目の薬は言って見れば斥候役か。ごっくん。
1時間後 胃から戻された。「・・・・・・(泣)」
しかもそれから吐き癖がつき、全身は痛いわで一晩のた打ち回る。

翌日朝、飲んだ薬は無事収まる。一錠目も何も仕事をしなかったと言うわけでも
無かったのかも知れない。正に斥候、偉いぞジュドー
だが食欲は無く、息子とは随分な違いだ。何で子供の方が元気なんだか・・・。
3錠目の薬を飲んでしばらくして、腰の辺りで剣風が捲き起こった(気がした)。
ガッツと切り込み隊である。やたっ!腰痛が消えた。
これで軟体動物の方向転換の様な、にじにじとした寝返りをゆ〜っくり唸りながら
打たなくても良くなったぞ♪

最後の最後まで残ったのは食欲の無さと胃部不快感であったが、そもそもインフルエンザは
それほど吐きに結び付く病でも無いらしい。弱い所でウィルスが増殖したのか、うんざり。
熱は最高39度。37度代に下がったのはやっぱり薬を3回以上飲んでから。
確かに直ぐには下がらなかった。だが、症状が軽減するのは早かったと感じる。
劇的とは言えないかも知れないが、一つの症状が長引かなかったため、体力の消耗が
少なくて済んだ気がした。何だか無理矢理治らされている感じもしたが。

週が明けて、美智子皇后が口唇ヘルペスで公務を休まれると言う記事が新聞に載る。
ヘルペスと言うと性病みたいだけど口唇ヘルペスは別に性病じゃ無い。発病中はキスでも
うつるけどね。
疲れている時とか、口の周りに2週間くらい治らない変な出来物が出来る事がある。
それが口唇ヘルペスだ。
別に鬱陶しいだけなので放って置いていたのだが、インフルエンザに罹る前、私もこれを
発症していた。
これが出る時は身体が弱っているとは聞いていた。どうにも無関係では無い様子だ。
予防接種も打っているし、他の母達は案外インフルには罹っていないのだ。
10人に一人はこの病を持っていると言うが、ただの吹き出物では無いのでこの症状が
現れる事があったら、良く眠り、消化と栄養の良い物を食べて早めの回復を図らないと
困った病気を呼び込む事があるようだ。気をつけましょう。

私が寝付いている間、息子は妙に生き生きしていた。普段 やらせて貰えない事や
触らせて貰えないものを触り、絶好調の様子だった。
そしてそのまま、自室で一人寝を始めてしまった。子供は一度通った道は 二度と
通らないので、私が息子と一緒に寝る事は、事情でもなければ もう無さそうだ。

・・・怪我の功名と言いたい所だが、正直 寂しい事になってしまったなあ。




2005年03月20日(日) ただいま。


午前4時・・・。
今さっき、帰宅した。今日は幼稚園の謝恩会だったのだ。
卒園児約85名。これとほぼ同数の母達が居る事になる訳だけれど
3時過ぎの「お開き」までお店に居た母、約40名・・・半数である。

3次会はカラオケボックス。30名で予約してあった。
まあ普通は・・・それで間に合うと思うだろうなあ。11時過ぎからだし。
ところが一部先生も含め、人数を数えたら46名になっていた。
扉を閉めたら室温が上がった。余りに暑いので照明を消したくらいだ
ちょっと昔だが「マダムンムン」とか言うテレビ番組があったなと、そんな事を
思い出していた。

お母さん達の中には美人だって多い。ほとんどが30代半ばだ。
30名用の室内に、びっしり46名の着飾ったお母さん達が居る。
朝摘みではないが、ケースに詰めて一日経ったくらいのイチゴな感じか?
いや、それじゃあ既に下は傷み始めているからなあ、イチゴに例えるのは駄目だ。
とにかく甘〜い匂いがしそうな気もするが 案外としない。煙草のけむり臭かった。
空気は最悪だ。だが男性なら あの中からも甘い匂いを感じる事が 出来るのかも知れない。

何れアヤメかカキツバタな母ちゃんズだが、何人かはお腹にでっかい傷を持ってる。
帝王切開の跡だ、私もその一人である。そうして苦労して産んだ子供を家に残し
母ちゃんズは明け方まで飲んだり食べたりしたわけだが、勿論何時もそんな事を
している訳ではないのだ。謝恩会の帰宅が遅めなのは 毎年の事であるらしい。
それにしても、ヘルプ体制のしっかりしている人が多いなあとは思った。

卒園で一区切り。うちは一人っ子だから、もう幼稚園生活は本当に終わりなんだな。
息子もが好きだったけれど、私も中々楽しんでいたなあ。






2005年03月11日(金) 結局の所、インフル。


卒園式を8日後に控え、幼稚園ではインフルエンザが 嫌らしい猛威を奮っている。
バタバタと倒れる。そんな感じで非常に怖い。ほとんどがB型であるようだ。
去年も予防接種を打ったにも拘らず、家族で罹ったと言うお母さんの話しを聞いた。
重篤化しなかったのは接種の効果も少しはあったのかなと、そんな話程度だったのだが。
今年は明らかに様相が違う。流行時期の遅れと言うのもあるのだろうが、接種をした
子供さんも 軽く済んでいるらしいとは言え、罹る率が非常に高い。

息子が数日前から風邪の症状を見せ始めた。微熱があり、インフルエンザ検査キット
ではマイナスと言う事で小児科では風邪との診断だった。
うちは恥ずかしながらちょっと過保護なのかも知れない。大きな行事を前に 体調が
悪い時は、まず休ませる。皆勤賞とは縁遠い。
そんな訳で、クラスの「お別れ会」の前2日は 微熱も直ぐに下がったが休ませた。
「お別れ会」当日は 風邪の症状があったが元気で、一日何事も無く過ぎた。
食欲もあるし、このまま治るかな〜と思ったら 翌日から熱が上がった。

そこで再び小児科へ。
キットの結果は100%では無いので異常があったら直ぐ来るようにと言われていたのだが
それでも息子の喉を診て
「インフルエンザの喉には見えないから今日もマイナスなら、これは風邪だね」と
罹り付けのお医者さん。
風邪でも厄介な事に変わりは無いので「卒園式までには治さないと」などと話してから
検査を受ける。

結果は、今度はしっかりプラス。先生が頭を抱える。
「接種をしているから重症化しているお子さんは少ないんだけれど、逆にインフルエンザ
独特の症状が出ない事が多いの。熱の出ない子もいるし、喉が真っ赤まで行かない子も
いるし、食欲があって元気な子も多い。だから学校や幼稚園に行って、うつして
しまうんだよね。もう街中がインフルエンザって感じで」
息子の場合は「多分 初めからインフルエンザだったと思う」と先生。
「きっと遅めだけれど」と それでもタミフルの処方を受けた。

タミフルを効果的な時期に飲めば劇的に症状が改善する人もいるそうで、それでも
子供は「学校行っちゃ駄目よ」と小児科の先生の指導があるが、大人は下がったら
即、会社に行くだろう。熱が下がってからも3日〜一週間はウィルスが体内から
出ているそうである。そりゃ流行るわねえ。難しいところである。

息子は休ませられる限り休ませたい。要は卒園式に出られれば良い訳だし。
「お別れ会」と卒園児で水族館に行くという 記念行事には参加出来た。
ただ、その間にインフルエンザを人にうつしていないとは言えないな。
うつって来たとも言えるけど。
お互い様だけど、こんな時期は難しい。取り敢えず回復が間に合いそうな自分は
ほっとしているが、卒園前日に熱を出す子とかもきっと居る筈だ。

それと私自身だ。謝恩会のキャンセルは2日前までなのだ。
一万円近くが戻って来なくなる。勿体無いから何としても出席したいのだ。
いや、お金だけの問題じゃないし。謝恩だから。ちょっとでもおかしな症状が
あったら罹り付けの内科に行って「タミフルッタミフルッ」と騒いで来ようかな。
でも、私自身は元気になってもウィルスは出続けてるってか。

お互い様と言うには、みな今時期は忙しいからね。うつりたくないのと同じくらい
うつしたくもないわねえ。







2005年03月10日(木) ど金魚、その後。


一昨年の夏祭りで買った金魚が 一週間足らずで全滅し、名前を付けて可愛がって
いた息子が不憫で、似たような連中をホームセンターで購入して一年半。
居着いた5匹の金魚は、今も元気で二冬目を越えようとしている。

最近、少しばかり金魚に異変が起こった。入れた端から 水が濁るのだ。
片方の水槽には3匹、もう片方に2匹。3匹の方は確かに汚れがちだったが、これまでの
汚れや濁りと明らかに違う。そして生臭い。

金魚の発情期が始まったらしい。どうやら水は、雄の放精で濁っているのだ。
うわ〜・・・。

水濁りは2つの水槽で殆んど同時に始まった。その少し前に、以前卵を産んだと見られる
「しんごちゃん」の居る方とは別の水槽でも卵が見付かった。要するに雄雌バランス
良く、2つの水槽に配置されてしまっていたと言う事なのだろう。
これは分けるべきだ。
でも、どれがオスでどれがメスなの??

取り敢えず、メンバーチェンジを開始する事にする。
5匹の金魚、うち和金(28円だった)が3匹。朱文金、コメット(300円だった)が1匹ずつ。
3匹水槽の中の1匹「しんごちゃん」は一際身体の小さい和金だ。水濁りが
起きた際も 一番弱っていた。
水質にやられたと言うよりは オスに突付き回されたのが原因だろう。
これはメスだと家族の見解が一致。
ではもう一方の水槽の2匹のうちメスはどっちだろう。紅白のコメットと「ぽんぽん」
と言う名前の 息子の一番のお気に入りのうち、どちらかがメスでどちらかがオスなのだ。
顔を見ても判らないので、当てずっぽうで「しんごちゃん」と「ぽんぽん」を同室に
して見た。
コメットの「チンコロ」(息子が命名)は3匹の水槽へ。

すると3日で 双方の水槽が真っ白けに濁ってしまったのである。
しかも「しんごちゃん」の水槽では 卵まで生まれている。
「・・・・・・(泣)」
金魚の水替えは大変だ。もう本当に大変なのだ。勘弁して。

ここで和金「ぽんぽん」は オスである可能性が大変高い事が発覚した。
そうであるなら3匹水槽に移した「チンコロ」がメスであると言う事になる。
ではチェンジ。

今は「しんご」と「チンコロ」が2匹で同居。
「ぽんぽん」は3匹水槽へ。残りの2匹は朱文金の「ベイブレード」(息子命名)
太った和金の「がんちゃん」(私が命名、正式名は「ガンツケ」)だ。
これで2匹水槽の方で 放精による濁りは発生しなくなる筈だ。
だが残りの3匹のうち、「ぽんぽん」を除く1匹がメスである可能性は まだある。
もし濁ったら、どちらをメスと判断すればいいのか。
顔を見ても行動を見ても体型を見ても さっぱりなのだが。

それにしても金魚連中は大きくなった。
サイズの大きい掬い網にも顔しか入らなくなったので、移動の際は ほぼ手掴みだ。




暑苦しい金魚達だが、こうして写真で見ると気のせいか何だか涼しげだ。
ちなみにこれは水槽ではありません。衣装ケースの引き出しです。








2005年03月08日(火) やっぱり嬉しいカウント。


日記のカウントが1,000を越えました。
ビバ!

日記を付けようと思ったのは HPの方のコンテンツにもありますが「ベルセルク」
言う漫画のファンの方とネットを介してお知り合いになってから。
その人の日記を読んで「やってみたいなあ〜」と思ったからです。
HPに関しても、ずっとやってみたいと思う気持ちはあったけれど 何をどうして良いか
判らないから 一歩踏み出せない。
それもやっぱり「やってみようかな」と思ったのは、その方とネットを介して色々
お話をしてみてからです。
何事も本当になのだなあと思います。

HPもまだまだ思ったように出来ない、思った事が既に間違っていると言う部分も
沢山ありますが、とにかく何とか形になって 1ヶ月半経ちました。
『午後から〜』の方から こちらの日記(エッセイかな)を読んで下さる方もいらっ
しゃって、カウントが お蔭様で1,000を越えました。
HPを開く前は100行ってなかったと思いますんで、やっぱりとても嬉しいです。
日記と言ってもやはり、引き出しに鍵かけて置いておくタイプの物とは違いますもん。

元々私には、何かあると猛烈にそれを書いて、しかも人目につくところに放置する
と言う変な癖がありました。
大好きな人とようやくエッチまで漕ぎ付けましたあ〜とか書いて机に置いといちゃう
わけですが(リアルタイムでは もっとずっと深刻に書いてたりします)
娘の行動に怪しい物を感じた親が それを発見して猛烈に怒ったりするんです。

「人の日記を勝手に見たな〜っ」
と 私も負けずに怒鳴り返すんですが、何の事はない 結局は見て欲しいんでしょうね。
と言うか、解って欲しいのかも知れませんね。苦しかったりすると 特に。
口で言うのは案外と苦手で、思う10分の1も言えてない方だと思います。
ですが実際は すご〜く文句の多い人間なので、こうして書いちゃうんでしょうかねえ。
書くと口うるさいタイプです。それは自分でもそう思います。

ちょっと最近は特に 文句ばっかりだなあ。

昔の事を良く書いてますが、20年前より今の自分の顔の方が 最近は好きと思える様に
なりました。
かなり太りましたけどね。

バリバリは性に合わないんで 新年度もユルユルいくぞ〜っ


Thanks To satouyasann









2005年03月07日(月) 困った状況。


どこかが変だ。だけど どこが変なんだろう?

週末PCが、また動かなくなってしまった。先日もあった事と たかを括って
半日放っておいたが、相変わらずなので 焦り始めた。
更に半日、どうにかこうにか復活した。

だけど何かが壊れているのは解っているのだ。
致命的に重要な部分が 致命的にいかれている訳ではないのは、こうして動いて
いるので解るのだが、どのくらい「困った状況」なのかが判らない。


息子が風邪を引いてしまった。
だがインフルエンザでは無いらしい。とは言っても調べた訳ではない。
見る人が診れば ちゃんと判るもんらしいのだ。
確かにインフルでは無いのかも知れないが、咳は止まらず 微妙に悪化しているような。

卒園が間近。行事はそれなり目白押し。
病気何て物は 伝染したり伝染されたりして、抵抗力が自然 身に付くものなのだ。
だが、タイミングと言うものがある。今はピリピリだ、どこもかしこも。

咳はひどいが 音を良く聞くと「鼻水が喉に降りて来て出る咳」であるような気もする。
喉や肺が原因で無いのであれば、それ以上悪化させなければ 問題はないのだ。
熱は37度3分。だけど就寝時。むう。

どのくらい「困った状況」なのか判らない。
ある意味、困った事だ。



2005年03月05日(土) お酒の癖の悪い人。


お酒は余り強くない。
下戸と言ってもいいかも、周囲と比べると。相対的な下戸。
でも焼酎ならジョッキ一杯は飲める。ウメッシュとかシードルとかなら別に1本
飲んでも何でもない。むしろ、たまには飲みたい。

お酒を飲むと赤くなる人と青くなる人がいるけれど、私は青くなる。
どうやら体調によって 血圧が急に下がる事があるらしいのだ。
そうなると貧血に近い症状を起こし、倒れる。
自分も苦しむし、周囲にも迷惑をかける。だから飲まないだけなんだけれど。

下戸が混じっていると宴席が盛り下がるとか、そんな話しを散々聞かされる様な
職場に居たためか、騒ぐ事は騒ぐ。元々昼間から 騒々しいタイプだし。

お酒を飲むと誰でも少なからず陽気になる。飲んでなくても場の雰囲気で、陽気に
なる人間もいる。悩みを打ち明けてくれる人もいる。宴席の相談事を外に漏らす
事はご法度だ。ずっと笑っている人も居るが
「うちはずっとセック○レスで」と言った会話が 真面目に交わされる事もある。
酒の席で緩くなった口が、人の距離を縮める事もある。
ウーロン苦いからオレンジジュースばっか飲んでるけど、宴席自体は 私は大好きだ。

だけど苦手な物もある。
宴席での癖の悪い人間だ。

私が「癖が悪いなあ」と思った人の数は とても少ない。
私自身の『酒癖悪し』の定義が、ちょっと世間とは違うからかも知れない。
飲酒を一種のスイッチとして、傍若無人に振舞う事を自分に許可している人間を
私は『酒癖が悪い人』と呼んでいる。
朝になったら「憶えてません」と良く言うが、絶対憶えているなと言う感じの
確信犯の匂いを感じる酔っ払いだ。彼(彼女)らは「自分は今日、また失敗するかも」
などとは悩まない。最初から、そのつもりだからだろう。

こう言う人と宴席が一緒になると辛い。血圧が上がったり下がったりする。
向けて来る悪意は本心からの物だ。その人に向けるべきものでなくても、とにかく
自分の中に溜めては置けない物なのだろう。
「やめれ」と言いたいのだが、これが上手い事 言えない。
自分の何かが 相手の悪意にモロに反応して喧嘩になりそうで怖い。


職場で ある程度の地位に付いている人の中に、本物の酒乱がいた。
飲むと大変だ。相手が大切なお客様であろうと関係ないので、何時も目付け役の女性
が付いて行くのである。必ずしも乱暴ではないのだが、見るも無残な有様になって
しまうのだ。絶対に全裸になると頑張るとか。ビールを頭から被るとか。
私はむしろ面白がって見ていたが。

その人は 酒で地位を何度も駄目にしそうになった。宴席の前になると、面倒を
掛ける事を お供の女性にくれぐれも詫びるのだと言う。
酒が入らないと、実に普通の紳士だったのだが。
或る時は、スナックの看板を蹴倒して店の人に会社に怒鳴り込まれ、降格しそうに
なっていた。
この人の場合は明らかに病気だろうから「一度病院に 行けばよいのになあ」 と
半分気の毒に思っていたものだ。

先に言った酒癖悪しの人間は 自分が本当にピンチになりそうな事は 見ていると
しない。気に入った話題だと、素面の時の様に すんなり通ったりも するものなのだ。


後者の人は早めに病院に行くべきです。
前者の人は、いずれどこでも無視されちゃいますよ。あしらいの上手い人もいるからねえ。



2005年03月04日(金) 歯医者とカメ。〜その3〜


歯医者さんでの治療も 残すところあと少し(多分)。
「根本から虫歯にならない事を考えた方が良いですね。ここの磨き方ですが」
「ふぇ〜」
こんな間の抜けたやりとりとも お別れになる。少しの間だろうが。
カメが見られなくなるのは少し残念だが、それより何より 治療がやっぱりだし。

歯医者到着。早速、水槽のカメと 熱帯魚を見に行く。
小さな方のカメは水槽のこちら側に来ていて、何やら慌しく動いている(カメにしては)。
その下を熱帯魚が 悠々と泳いでいる。
さて、もう1匹のカメは何をしているかと探してみると、こちらにお尻を向けて
じっとしている。
上からは、常に循環しているらしい水が流れており、その水の流れのままに身体が
揺れている。手足は伸ばしたまま、爪の先までだらりと伸びている。
顔はこちらからは見えないが、首も だらんと伸ばしっ放しだ。
「・・・・・・?」
この日に限って、呼ばれるまでに3分ほどあった。私はずっと カメを凝視していた。
大きいカメは全く動かない。伸ばした手足もピクリともしない。水の流れに任せて
自然に揺れているだけだ。
「・・・・・・し・・・」 死んでる?
でもカメって 甲羅に潜ったまま死ぬのではないか?と一瞬考えたが、それはカタツムリ
だったっけかと 思い直した。
子供の頃飼っていたミドリガメも、或る朝 ダランと伸びたまま死んでいた。

どうしよう、「カメが変です」と 受付の人に言おうか。
でも 仕事中にそんな事言われても 困るだろうなあ。
「焙煎さあん」
ああっ呼ばれた。よし、治療を終えて戻って来て、カメがあのままだったら
思い切って 受け付けのお姉さんに言おう。 「カメが死んでるみたいです」

その日は金属を被せるだけであったのだが、何だか気が気でない私。
「どこか高く感じるところは ありませんか?」
ここで妥協すると、変なところが腫れたりするし ちょっとしつこい位に快適な
になるまであれこれ注文を付けたいところだ。
だが何となく、今日は頭の中が カメで一杯。「ふぇ〜ありまひぇん」
早く待合室に戻りたいのだ。
案外すんなりと治療は終了した。私はお礼を言って 大急ぎで診察室を出た。

水槽の前に行って見ると、手前に2匹のカメが揃っていた。「・・・・・・」
3分、全く身動きしなかったカメが、今は慌しく(カメにしては)動いている。
あれは何だったんだろう、寝ていたのか?
と思った瞬間、小さな方のカメが 大きなカメの喉元に2回続けて噛み付いた。
歯がないくせに、すごく攻撃的な噛み付きぶりだ。
大きなカメは、向きを変え、泳いで逃げて行った。

苛められているのだろうか、大きなカメ。さっきは疲れて休んでいたのか?
毎日この有様なら、本当に いつか弱って死んでしまうんじゃないだろうか。
「焙煎さあん」 お会計だ。

「済みません、カメが苛められてます」 と言う言葉が出掛かったが 飲み込んだ。
幼稚園児の喧嘩ではないのだ。言っても止めないだろうし、或いはあれが 愛情表現
では無いとは、カメに詳しくない私には言い切れない。

とにかくお金を払って外には出たが、やはりもう少しカメの様子を見て行きたいん
だけどなあと、いつものように考えた。



2005年03月03日(木) みっちみち。


息子の卒園まで、あと半月。

ダイエットがどうのと言っている時期は とうに過ぎた。
お母さん達は、みんなスマート。それか若いか。その両方と言う人も居るし。
何でかなあ、今日は幼稚園母さんの昼食会だったんだけど 皆さん 結構食べるのになあ。
私はと言えば、行儀の悪い事に 少し残してしまった。
結局、朝ごはんを食べ過ぎたって事なんだなあ、朝は抜いて来たと言う人も多かった。

何をしても太る。いや、年齢からすれば中肉なんだろうけど 昔は痩せてたからなあ。
勤めていた会社が派手目なところで、これまた叶う筈も無いような美人ばっかりで
(元ミス・サッポロとかまで居た)若い子の事だから、せめてスタイルをと 気にしまして。
お酒とストレスで体調を壊して入院した時に、体重計乗ってる私を見て、親しい人が
「おかしい。その体重で気にするのは、もうどこか変だから気をつけな」
と指摘された事があった。今思えば、確かにそう。不健康な体重を更に減らそうと
していたんですね。痩せればきっと、何かが どうにかなると。

でも今なら、痩せれば何かがどうにかなりそうな、気がするんだけどな。

ストレスにも幾つか種類があるようで、その種類によって身体の反応は違うみたいだ。
恋をすれば痩せる。それはきっと今もそうなんだろう。してないから痩せないんだ。

でも それ以外のストレスでは私は太る。運転免許を取りに行った時、胃炎になりながらも
4キロ太った。
私生活で辛い事が起きても、ほとんどの場合、体重は増加する。
せめて、変わらずにいてくれないものだろうか。

結局、負けん気が強いのであろうか「畜生っ」と思いながらも 食べるんである。
身体が、ストレスでダウンするのを 防いでくれているのかも知れない。
そんな事しないでもいいのにさ。

人を好きになると物を食べなくなる。こちらは良くない事だ。物を食べずに見詰めて
ばかりいる相手と、一緒になれるわけも無いし、なっても幸せになれる筈も無い。

卒園式、謝恩会、入学式。さあ、どうする私。
フォーマルスーツなんて大嫌いだ。ツーピースならウエストがきついし ワンピース
なら見た目がみっちみちだ。ウエストがゴムになってる物もあるけど、フォーマルの
ゴムなんて ほんの申し訳程度だ。全然緩くなんてないもんね。

まあ人と比較したって仕方ないやね。いいや もう。入れば何でもいいよ。






2005年03月02日(水) 「じじ」と打ったら爺と出た。


目下、案外日を置かず書いては居るけれど 全然『日記』ではないこの日記。
20年前の話でなければ 子供ネタばっかりなのだけど、もう少し「時事物」と言うか
今なもので 子供じゃない話も書いて見たいと思ったりする事もある。
だけどしないのは、それがすごく苦手だからなのだ。

今まさに、起こりつつある何かについて考える、それが私は物凄く不得意だ。
何も考えていないかと言うと、結構ぶつぶつ言う方だ。
だけど殆んど 言った先から後悔している。
情報を取り纏める事が苦手なため、いろいろな物を 幾つも取り落とした状態で
結論を出して 一人で腹を立ててしまう。そしてそれを、後でとても恥かしく思う。

年月が経ち、見た事 聞いた事が自分の中で熟成されて、フィクションなんだか
ノンフィクションなんだか判らなくなり、しかも周囲も誰もそんな事が あった事すら
忘れてしまった頃に やっと安心してテキトウな事を言ったり書いたりする。
ただ、子供の事だけは きっと後から思い出して文章にして書くなど そう無い事で
あろうから、ちょっとリアルタイムで書いて見たりしている。

でも、そんな中で 今日は、起きつつあったり起きたりしている事について感じた事を。

アブサンが復活すると言う。幻の翠の酒、その魅力が多くの芸術家を虜にし、また
廃人にしたとも言われる。その酒は多量に飲用すると、幻覚を見るとも言われた。
ゴッホが耳を切ったのは、アブサンの幻覚が遠因だと言う説もあるらしい。

だが、どうも違った様子だ。幻覚を見せると言う成分は 特に見付からなかったと言う。
ニガヨモギの色が綺麗だと言うこのお酒、他にもアニスとか10種類くらいの薬草
やらスパイスで作られるらしいけれど、非常にアルコール度数の 高いお酒だ。
幻覚成分はニガヨモギに含まれると思われていたようだが、違ったんだなあ。
植物のアルカロイドなどは まだ何だか正体も良く判らない物も沢山あるけれど
取り敢えず、ニガヨモギを漬けたお酒は大丈夫だと言う事なんですね。
殆んどの国で 禁止になったのが、20世紀初めだそうだから 1世紀ぶりの復活。
どれほど綺麗なお酒なのか、下戸だけど 一度見てみたい。
すんごく薄くしたら 飲めるかも知れないけれど、そうやってまで飲む酒じゃないと
ロートレックやランボーに 叱られそうだ。

岐阜の事件。
銃社会では無い日本では、ファミリーレストランで乱射などと言う事件は 目下起きては
いないけれど(銃絡みで未解決な凶悪事件もあるが)身内が絡んだ事件や 不動産トラブル
による怨恨などで一度に多くの人が亡くなる事件が たまに起きる。
更に最近では、これに全く該当しないケースもある。

人のごく自然な生理として(野次馬根性と言う言葉もあるが)こうした事件が起こった
時には 何時もよりちょっと緊張して、きちんと新聞を読んだりする。

うちで取っている新聞は一紙が地方紙で一紙が全国紙なのだが、全国紙の方で
どうやら加害者である人と、その奥さんについて こんな記事が載っていた。

「小柄な夫と長身の妻という『ノミの夫婦』。仲むつまじそうに映っていた」

これは余計な話なんじゃあ無いだろうか。おそらく近所の人に話しを聞いて
そのまま載せた物なのだろうが、「ノミの夫婦」がわざわざ括弧で括ってある。
この言葉自体、今時余り言わないし どうでもいいだろうそんな事。
とても週刊誌的だ、悪い意味で。週刊誌の方が徹底している分ましに思える事も
ある。
雄より雌が大きい生き物は別にノミだけじゃ無いが、ノミと言う言葉に微かではあるが
込められた「侮蔑」は、井戸端レベルでは 使ってもさして問題はないと思うが
新聞紙上で安易に、ましてやこんな 陰惨な事件を前に 括弧書きで使う言葉では
決してないと思うのだが。









2005年03月01日(火) チョコ あげたかったなあ。


やっと自炊を始めた弟が、チョコを持ってやって来た。
勿論、義理チョコ。しかも何時のだかも判らない奴だ。
でも いいチョコだ。最近は義理チョコも結構良いの貰えるんですね。

チョコをくれる代わりに「幾らくらいの何を返したらよいか」と聞いて来た。
そうか、ホワイトデーか。
・・・もう、何年義理チョコ貰ってるんだよ。プロだろう義理チョコの。
そうは思ったが、息子が既に貰ったチョコを食べてしまっているので 相談に乗らない
わけにも行かなくなる。
「う〜ん、1,000円くらいのと500円くらいのがあるねえ。ハンカチとか良いんじゃ
ないのかねえ。ホワイトデー用のギフトセットとかも出てるよ」
「何でハンカチなんだ。クッキーで良いだろう」と弟。
でも、その割には1,500円くらいのクッキーだとか言うんだよね。
私なら使える物が良いけどなあ、多少自分の好みじゃなくても使うけどなあ。
人から物貰うのって 何だか嬉しいじゃないですか。
でもまあ所詮は義理チョコ、お返しも 残らない物の方がいいのかもね。

ああ、バレンタインを目前にしては言えなかったんだけど、チョコあげたかったなあ。
義理でも何でも良かったんだけど。子供にあげるお母さんは意外と多くて
「あげないの?」 って聞かれたんだけど うちはやらなかったんだよね。
だってバレンタインってさ、もっとこう・・・・・・

はあ、本当にあげたかったんだけど、あげる人が居なかったんだよねえ。
何だか寂しい話だなあ〜。

イベントは大好きだ。詰まらないくらい形式化している物ほど好きなのだ。
今時バレンタインでドキドキする人はそうは居ないだろう、私の歳では。
でも私はするのだ。でもって そう言う人間に限って あげる相手がいないんだよな〜。
お返しを手伝うのも好きなので、弟が買い物を私に任せるのであれば、私ははりきって
ホワイトデー関連の品物を見に行ったのであるが
「いいわ、面倒だから セブンイレブンでクッキー買う」 と言われてしまった。
詰まらないなあ。









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