針の穴に通された光
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2005年10月31日(月) 憧れの話

子供のころの憧れは、
「ジュース、お菓子がいつでも自由に買える」こと。
「自分の力で物を買う」というのはずーっと憧れてたもの。
子供の時分は手に入れても「買ってもらったもの」なわけだ。

まぁだから、アルバイトで稼いだお金の実に嬉しいことか!!
例え数千円でも自分が「何か」をして手に入れた「何か」である。
こればっかりは表現しようが無い。もう、秘宝中の秘宝である。
そうして買ったお菓子、缶ジュースは、一生忘れられないものなのだ。
その缶ジュースで飲みながら先輩と話したのはいつのことか。

で、社会人になって4年。
ふと部屋の中を見渡すと、もうなにもかもが自分のお金で買ったものばかり。
いずれも「あぁ、あのとき買ったなあ。」と思い出すものばかり。
そして、「あんときは、しんどかったなぁ。」としみじみ思い出すものも
しばしば。

きっと、こうして手にするひとつひとつの想いが込められた「もの」達は
何かを訴えたくなるに違いない。

だから「もの」達はしばしばがたがたと揺れ、時には倒れようとする。
時折耳には届かない音を立てるのは、「もの」たちにとって
何か言いたいことがあってその行動を取るのだと思うのは決して
間違いでは無いはず。
それが聞こえたときは、きっと・・・。


2005年10月10日(月) googleに挑戦

検索したい単語を入れて検索をクリック。
インターネットで調べるのってどうもこうやるらしい。
などと発言したら怪訝な顔をされそうな昨今。

さて、名コピーといえばたくさんあるわけですが、仲畑 貴志氏の
コピー集などを見ていると「自分でもつくりたーい。」
という欲求にかられてしまうはず。
本好きが自小説を書くのと一緒。
仕事でやるのと趣味でやるのでは、目的からなにからすべてが
違うわけですが、そこんとこは許してもらいたい。
そんなわけで、ホームページのタイトルはその日の更新の中身によって
作ってるのでした。

で、悩むのがそれ。
ひょっとして同じ内容のものを他の人も思いついてるんじゃ、と。
そこで登場するのが「google」である。
同じフレーズがヒットしたら負け。
ヒットしなかったら勝ち、と言う具合。
支離滅裂な文章ならまずヒットしない。当たり前。
んっ、これは会心の出来だあぁ!というときは大抵ヒット。
結構難しいもんである。

ある人が言ってたけど、「、」を打つ場所によって名コピーに
なるかならないかという話だから、凄い世界である。
まあ面白そうだなあくらいに思ってるうちが良いのである。


2005年10月04日(火) 缶コーヒー不滅説

さて。
缶コーヒーについて語ってみようと思う。
思えば、子供の頃の缶コーヒーといえば、○OKKAコーヒーである。
あのおっさんの描かれたやつで、今もあるな。
一時期はナイナイが描かれててすげぇ欲しかった。
閑話休題。
ともあれ、その缶コーヒーはとにかく振らないといけないのである。
振って振って振りまくると、まあまあおいしく飲める。
振らないとどうなるか。
底の方になにやら粉〜なものがたまって、最後に「うっ。」と
なるのである。
要は、水分中の粒子の滞在の問題。
この場合、「底に沈む」が正解。泥と同じ。

では最近の缶コーヒーはどうかというと、よくよく見ると
缶のわきに「よく振ってお飲みください。」とある。
しかし、だ。
前述のごとく、「うっ。」となることはまれである。
意外とサラリと飲める。不思議だ。
こんな疑問はどっかのホームページにまかせるとして、
最近の缶コーヒーはおいしいのが多い。

さらに言うなら、「甘〜い」が少なくて良い。
以前は甘ったるくして味をごまかしていた感があるが、
最近は純粋にうまい。
できればホット、コールドと季節毎に作り分けて欲しいが・・・。

で、だ。
いいたかないけど、まずい缶コーヒーはある。
なんでもいいや、とはいかないのがこの世界。
意外に、選んで買っております。無ければ探しまくって買うんです。
「それほど違う」わけだ。

こうして今も目の前には、選ばれた缶コーヒーが置いてある
わけだが、「だったら作って飲めよ。」とおっしゃる方もいるでしょう。
勘違いしないでいただきたいのは、「缶コーヒー」という飲み物である点。
コーヒーとは別の飲み物として飲んでいるのである。

ラーメンが無くならないのと一緒で、缶コーヒーという飲み物も
おそらく無くならないだろう。

このこだわり、理解していただけるでしょうか?


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