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キャラクター
4月半ばのプレゼンからずっと関わってきたテレビのアニメCMが完成した。このキャラクターは自分のプランニング段階では全く別なものを予定していたのだけれど、アニメにするときの容易さ(たとえば、手足などはない方が、アニメにしやすい。)など、諸般の事情から、水中の微生物「ミジンコ」をモデルに作り上げたものになった。このキャラのおかげでプレゼンに勝ち残って、気分よく下期を迎えることができそうだ。
今迄もアニメキャラの仕事はしたことがあったけれど(数える程度)、今回は原画も実は自分で描いてみた。プレゼンのための社内予算が十分に取れなかったのと、コンテ屋さんが手いっぱいな上、この企画の締め切り迄20時間しかなかったという超急ぎだったために、自分でカラーコンテまで起こすしか手立てがなく、何枚か描いたのコンテ案のうちの一枚に使った副産物として、このキャラクターが誕生したのである。本当に予算がない、無理がきかない、スタッフが少ないなど、「ないないづくしの情けなさ」みたいなものを痛感しながらバットコンディションのお絵書きだったけれど、お絵書きそのものは楽しかったので自分でもこのミジンコのキャラはとても好きだった。
さて、仕事が決まって、幾たびかのコンテ変更の後早速制作に入ると、まず、アニメーターの手にかかって、キャラの雰囲気が変わる。なんかとても躍動感が出て、自分が描いたものとは別人(っていうのか?)のようになった。手塚治風とでも言うのかな。で、アニメーターも自分の手が入ったこのキャラのファンになる。つぎに、この仕事を進めてくれる制作会社のプロデューサー兼ディレクターが、ナレーション他音入れの時に 「ん〜〜。ちょっとなんかキャラの声とかかけ声とか、入れてみてくんない?」 のひと声で、音からイメージする性質みたいなものが生まれる。編集時間は限られているので、そのキャラについてを殆ど語ることなく、どんどん変わっていく。 「自分はイメージどおりなんだけど、どお?もっちゃん。(もっちゃんは私)」 とH氏。 こちらはとくにキャラの性格やくせまでは考えていなかったし、出来上がりの確認のために同席しているスポンサーの方が気がかりで、 「いや、Hさんが良ければ私はいいですけど、どうですか?」 とスポンサーに確認を取ったりして、 「かわいいですね。いいんじゃないですか。」 というスポンサーの言葉で、作業も終了となる。そこで、Hさんもスポンサーもキャラを愛してくれる。自分ももちろんそうなんだけど、どこか、最初自分の中にあったキャラとはやっぱり異なるんだな。
「キャラクターをCMのアニメにすると変わるんだよ。それは、タッチとかああいうテレビドラマものでもそうだってば。」という話はディレクターから事前には聞いていたけれども、その変貌は想像以上だった。 自分で一からやってみたので余計に感じてしまったのかもしれない。
自分の普段の仕事のほとんどは印刷物なので、色とか、線とか、表情とか、そういうものでイメージを作っていくのだけれど、こと映像になると、音楽はもとより、効果音が産み出すもののポイントはとても高いということを今さらながら確認する。当初使いたかったキャラも印刷としてのイメージしか捉えていなかったけど、そのキャラが出てくる本を開いて、ここにはどんな音があるんだろうなど想像してみる。そしてこのキャラは何色の声で話すんだろう。いや、話をするのか?話をするのは苦手かも?じゃあ、テレパシーなのか?テレパシーの音ってどんなのか?キャラの友達は?そして、これが現実の世界だったら、どんな臭いがするんだろうかなど、イマジネーションを広げてみようとするのだけれど、果てしなく可能性が多すぎてきりがない。で、沢山の可能性の中から『もっとも広告として使えるもの』の条件で選んでしまうから、出来上がると性格が変わるのか。
梅雨の少し前くらいから、庭の草取りの季節になる。今暮らしている富士川町の家の庭はやや広い。田舎だからね。三軒となりのF家なんかは、奥さんの趣味できれいにガーデニングされていてとても美しいけれど、うちは植物が野方図に群生していて、なんの計画性もないところに安心感を感じる。とくにお金を出して花の苗などは買ってこない。みんな誰かが持ってきたり、種をもらったりしたものがそのままいついている。 そんな訳で、計画性がないので、草取りは少し気を使う。明らかに草とわかっているものは取ってしまうが、つねになにが出てくるかわからない花壇なので、(花壇というなりもしていないのだけれど)取る時に、「これは草だろうか」と考えなくてはいけないという事情が有るからだ。この時期は、コスモスの苗が伸びはじめて、そのうち間引きをするにしても少しやっかいになる。気の早いコスモスはもう、花をつけている。 明らかに草とわかっているものでも、花をつけるものはわざと残したりする。草の花は可憐なものが多いのだ。花が終わればすぐに取ってしまえばいいのだけれども、そこはそれ、週に一度しか庭に出ない週末園芸家なので、気付くと種が落ちてしまっていて、来年はより一層の努力を強いられるという結果になる。でもやはり、残したい。 残したいといえば、中庭は外からは見えないので、もっと凄いことになっている。手を抜いているわけではないのだけれど、「草があるほうが、地面が涼しいんじゃない?」など勝手に考えたりしているので、「歩ければいいや」程度にしか、草を取らない。車の通るところはバラスを敷いたりしているから余計に緑が欲しいのでそうしているのだけれど、たまに寄ってくれる親戚のおじさんが、「大変だったら、除草剤をまいてやろうか、チコちゃん」など言ってくれる。除草剤は嫌いである。土を殺してしまうので。もっとも、陶芸なんかやっていて、土を殺すって言えば、自分が一番そうなんだけど。焼き殺してしまうのだから、作品は大切に作り込まなくちゃね、下手は下手なりに。 草取りをしているときは、じわじわと暑くて汗も出て、取っても取っても出てくる草は「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」など自演自ウケ。半分ぼけっとした頭で作業するので、時々とんでもなく素晴らしいアイディアが生まれたりして、小躍りすることもある。
昨日から扇風機を使いはじめる。アンティークデザインの小さな扇風機の音が、随分なつかしいかんじがする。去年購入したばかりなのに。この音を聞く夏を好きになったのはいつからだろうなんて、錯覚。 このごろの「N」の仕事のことで、今日はB社と制作の打ち合せをした。この業界にあって、例えば広告代理店と制作会社とか、広告代理店とメディアとか、イベント会社とか、こういう組み合わせの打ち合せはあっても、広告代理店どうしの打ち合せなんて、私にとっては初めての体験だった。いや、前代未聞じゃないのかな。 B社からは[N」担当営業さんとデザイナーが、我が社はやっぱり[N」担当営業と私(コピーライター)が同席して、[N」の新聞広告をどう展開するかを話した。かといって、二社が一緒にひとつのものを作るわけではもちろんない。それだけに、広告が時間とエリア差で展開されたときに、まったく違うイメージや構成だとちぐはぐなものになってしまうという不自然さを避けたいと、二社の意志統一を図るよう、[N」の広報担当が配慮されたわけである。「なにも一緒にひとつのものを作ればいいだろう」と言われてしまうかもしれないけれど、そこはそれ、広告代理店なんて、ただの「代理店」なんだから。それは旅行代理店が売る飛行機の切符に違いがないのと同じで、新聞にしたって、テレビラジオにしたって、各社売る枠になんの違いもないから、特色を出そうとすれば企画と制作しかないわけで、それこそが会社の生命線であり、営業の糧だから、おいそれと一緒に作るなんていうわけにはいかないのだろう。現場はべつにどちらでもいいんだけどね。お互いに納得できるまで話したり直したりしながら、いい仕事ができればそれでかまわないのだけれど、今回は二社の競作ということになりました。 こういう制限つきという形での競作というのもやはり前代未聞で、明日は自分なりにコンセプトをもう一度整理しながらコピーを書いて、スタッフと打ち合わせて...と、くれぐれも明後日のチュニジア戦に影響の出ないようにしたいなど、本末転倒なことを考えながらの作業になりそう。いずれにしても、結果をださなくてはいけないから、それなりにちょっと手ごたえのある仕事をしようと思ったりもする。B社か。うまく作るんだろうな、きっと。
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