今日のおたけび または つぶやき

2014年10月31日(金)  美智子さまがすごすぎる



ハロウィーンと言えばかぼちゃ。

ここ最近の家族のお気に入りがバナナブレッドとかぼちゃブレッドですの。




砂糖とバター控えめでも(っつーか近所のスーパーにも百貨店にもバターがない!)

しっとりしてやさしい味なのがよいよね。

交互に焼いてテーブルの上には必ずこのどちらかが載っていて、朝食やおやつになっております。

なので、この秋はたぶん自分史上一番かぼちゃを食している。

かぼちゃおいしいよね、かぼちゃ。




さてさて。

先日たまたまネットで、皇后陛下 傘寿をお迎えになって という映像を観ました。

「政府インターネットテレビ」なんてものがあるのも知りませんでしたわ。

数分のご近況映像かと思ったら、ご誕生から最近までを網羅した充実の1時間。

観始めたらすごく引き込まれてしまい、結局最後まで観てしまいました。




もうね、美智子さま凄すぎる。ステキすぎる。

お若いころの美しさだけでも国宝級なのに、それをさらに輝かせるお人柄。

大変失礼ながら、今上陛下の最大の功績は、美智子さまを伴侶にされたことではないかと。




折にふれてのお言葉や、詠まれた和歌がほんとステキ。

つい先日もオランダ国王夫妻を迎えられていましたが、たとえば国賓をお迎えする際の心構えについて。



  「どの国も変わりなくお迎えすることが大切と、

   陛下が接遇の基本をお話くださったことを、いつも思い出しています。

   これは当然のことのようですが、実際にはその時々の日本とその国との関係、

   又、人々の関心の持ち方の違いから、

   歓迎の人々の多さや報道のされ方等にどうしても差がでますので、

   皇室がこの原則に常に立ち戻ることがどんなに大切かを毎回心に留め、

   お一人ずつの国賓をお迎えしています。」



海外の要人や王族の方々の中にあっても、日本の両陛下の気品や気配りは群を抜いていると、

実はいつも感じています。




美智子さまがこうおっしゃったからというわけではないのですが、

相手によって態度をコロコロ変えるのは、かなりみっともないものね。

相手への気遣いから変えるのでなく、相手を軽く見たり下に見たりして態度を変える、というのはね。

みっともないだけで済めばよいけど、こういう人はいつか必ず足元をすくわれてるし。

ということは、国の代表がそれをやっちゃうと、国自体が足をすくわれるということに。




平成10年に国際児童図書評議会(IBBY)から依頼された、読書についての基調講演では、


  「悲しみの多いこの世を子どもが生き続けるためには、

   悲しみに耐える心が養われるとともに、喜びを敏感に感じ取る心、

   又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。


   読書は、人生のすべてが決して単純でないことを教えてくれました。

   私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。

   人と人との関係においても、国と国との関係においても。」




下々の者にはわからない、最大級の複雑さの中で生きてこられたのでしょうね。

もし自分がそんな立場に置かれたら(仮定にしても失礼にもほどがあるが)、

若くて経験がない頃はまず心労で病む、病んだのを言い訳に放棄する、

慣れてきたらいいかげんになる、ワガママになる、高慢になる、

年取ったらあとはもうほっぱらかす、と、その情けない凡人っぷりが目に見えるようです。




が、美智子さまはその複雑さの中でも、

本当に強い意志と高い精神性をお持ち続けられている。もう80歳なのに!




大学生の頃、学生自治会長をなさっていた美智子さまのことを、お友達が

「人の上に立たされた者は 謙虚に人に仕えねばならぬことを、

しっかりとわきまえ実行された方だった」

と評されているのですが、お若くてもノブレス・オブリージュの体現者でいらしたのね。

というか、こういう評ができちゃうお友達もすごいけど。

その姿勢が80歳の今日までずっと変わらずにいらっしゃるというのがもう。




私は特に皇室信奉者ではありませんが、

日本神道の最高位の継承者、日本文化の最大の擁護者として、

皇室は続いていってほしいと思っています。




不敬な言い方ですが、それは、

歌舞伎や大相撲がこれからもずっと続いてほしい、富士山もちゃんとそこにあってほしい、

と思うのと、同じ感覚です。




美智子さまがステキすぎるので、次世代を担うはずの東宮はただでさえ比べられて大変なのに、

比べなくてもいろいろ大変なようで、ほんと大変。

おひとりずつでもご家族揃ってのおでましでも、

敬意よりもいたたまれなさばかりを感じてしまいますことよ。





2014年10月23日(木)  ものまねを脱する方法



リスナーやゲストからいろいろな相談をされたときの、ましゃのアドバイスがすごく好きです。



広範囲にわたってとても博学でいらっしゃるのに、ひけらかす感じがまるでないのは、

その知識をあまりにさらっと、あまりに自然に会話に挟み込んでくるからでしょうか。



あるいは、高度な知識とスキのないシモネタが、まったく同列に語られるからでしょうか。



それとも、それを語ってるお顔がオトコマエすぎて(ラジオだけど!)、

表情もかわいすぎて(ラジオだけど!)、声もステキすぎて(よしっ!)、

語っている内容のすばらしさをも、霞ませてしまうからでしょうか!




と、大げさな前置きを並べ立てるほどのご相談ではなかったんだけどね、今回は。

でも、やっぱりましゃいいわー、と思ったもので。




11日のたまラジで、

「ましゃのようなシンガーソングライターになりたくて、ましゃのカバーばかりしていたら、

いつしかましゃのものまねばかりになってしまい、自分の声を見失いかけている」

という19歳男子リスナー、アラドン君からのご相談。




「自分のオリジナリティを出すにはどうしたらいいか、歌まねは封印した方がいいのか、

失礼ながらましゃのアドバイスをお願いしたい」と。




福 「この文面から察するに、アラドンは1年前よりも、(俺に)もっと似てるってことね? 

  あの時点でも相当似てたよね。

  (学祭でましゃ曲を歌った音源が、1年前にたまラジで紹介されたことがある)

  歌の上手さとかギタープレイじゃなくて、ものまねとしての受けの良さになってきたんだろうね。

  ものまねとしてのクオリティが高すぎて」

荘 「これは悩むでしょう」

福 「これはわかるね。この迷いはね。」

荘 「誰でも、自分の好きなアーティストの真似をする時期はありますよね」

福 「そうなんですよ。かつて、ビートルズのジョージ・ハリスンだったかリンゴだったか

  『ぼくたちは、本当はプレスリーに憧れて、プレスリーになりたかったんだ。

  でも技術的な面も含め、プレスリーにはなれなかった。だから僕たちはビートルズになったんだ』

  と言ってたんです。ところがアラドンは、できすぎて・・・」

荘 「ジョージ・ハリスンから急にアラドンに・・・」

福 「ところがアラドンは、できすぎて、上手すぎるんだね」

荘 「カバーというか、『福山の物まねやってんだね』って思われるんだね」

福 「というか、『福山じゃん!』って。

  そうなると、僕の曲よりも、もっと難しいコード進行の曲とか、複雑なメロディラインの

  曲のカバーをやる方がいいかもしれませんね」

荘 「なるほど」




福 「たぶんね、歌的にもギター的にも、技巧派というか、上手なんですよ。

  どんどん吸収していって上手になりやすい人なんですよ、きっと。」

荘 「でも、受けるほう受けるほうに、どうしても行ってしまうという・・・」

福 「それはでも大事なことですよ。それは大事。

  でもそれだけじゃなくて、似せないでよりオリジナリティを高める、ということで言うと、

  とっかかりとして、『できないこと』をやった方がいいんです。」

荘 「なるほど」

福 「結局、『できること』っていうのは、個性にならないんです。今、俺いいこと言ったよ!」

荘 「言いましたね!」

福 「『できること』っていうのはね、技術的に伸びないんです。もうできちゃってるから。

  できないことに挑戦するから技術的に伸びるし、できないことに悪戦苦闘するから

  オリジナリティが生まれてくるんです。」




荘 「ということは、どうします? 福山さんのものまねは一旦・・・」

福 「それはもう、自分の十八番なんでそれでいいんですよ。いつでもできることなんで。

  さらに違うアーティストを・・・。誰? 難しいコード進行でやってる日本のアーティストって。

  フラットマイナーとか、ディミニッシュとかばかりの・・・」

荘 「わたしの好きな(山下)達郎さんとか、分数コードとか使ってますけど」

福 「達郎さんも難しいけど、全然違うけどボサノバとかも難しいよ?」

荘 「ボサノバ、聴く方はゆったりした気分で聴けますけどね」

福 「世界的に有名なセルジオ・メンデスとか、かるーくやってるように見えるけど、

  あのギターをコピーしようと思ったら、指つるよ!」

荘 「弾く方もラクに弾いてて、聴く方もラウンジなんかでラクに聴くようなイメージですけどね」

福 「コード進行、複雑なんですよ。ジョアン・ジルベルトとか。俺、できないもん、あれ。」

(ギターでボサノバっぽいフレーズを爪弾いてみるましゃ。ステキな音色♪)

荘 「ああ。そんな感じだ」

福 「もうね、ずーっと指見てなきゃいけないから、ボサノバ進行は俺できない。

  何回練習しても、これはダメだと思って。」

荘 「普段見てるコードと確かに全然違いますね。これは真似しようにもなかなか真似できない」

福 「是非、アラドンはボサノバを」

荘 「ずっとアラドンを聞きに来てた人はびっくりすると思いますけど」

福 「なんでボッサなんだよ!?って。でも練習としてはいいと思います」




ましゃが音楽的なアドバイスをし始めると、素人にはわからないことも多いのだけど、

実際にギターを弾きながら説明してくれると本当によくわかる。ましゃのギターも聴けて嬉しいし。




このアドバイスのどこに感動ポイントがあるのだ?と言われそうですが、いやもう全部ですよ。

自分のものまねが上手すぎて、だけどそれをどうにか抜け出したい、なんて言われたら、

それだけで気分を害する大御所なんて、山ほどいらっさるでしょ?

なんか急に上から目線になったりとか。上から目線のわりに役に立たない物言いしかできないとか。




そういうところがね、誰に対しても微塵もないのよね、この方は。

ないどころか相手にとても共感し、

相手の技術の向上に実際に役立つ、とても建設的で誠実なアドバイスをなさる。




ご本人はよくご自分のことを「ちっちゃい人間」とかおっしゃいますが、

ましゃの誠実なアドバイスを聴くたびに、おおらかで気前のいい人だなー、と思います。

ちっちゃい人間は相手の成長に役立つことなんて言わないもの。






2014年10月22日(水)  年末がちらちらと



迫りくる「年末」を、ひしひしと感じる今日この頃です。

ハロウィーン終わったらすぐにクリスマスにシフトして、続けざまにお正月。

プレゼントだごちそうだと、そろそろ手配にとりかからねばならないし、出費もかさむし。

ま、そんなことに気をまわしていられること自体、とても幸せということなのですが。




感謝祭も近づいてきましたよー。

先週のトーキングFMでは、

「例年より1か月早く始まる大感謝祭」という原稿を読んだましゃが、

「だからだ!」と。




例年よりも準備が大変で、なぜ「俺的にいろいろ追いついてないのか」、

ここで初めて納得されたようでした。




いやいやいやいや! 気づくの遅すぎ。

ましゃにもそんなぽわわんなところがあるのですね。

オトコマエさんがこれ以上ラブリーになるのやめていただけませんか。

気づいたあとのコメントがまた、多くの自然や野生に触れている方らしい。




 「植物も動物もサイクル決まってるじゃないですか。

  夏が一か月早く来ることはないじゃないですか。

  そういう感じなんですよ。(わかって)よかったー。スッキリしたわ!」




かわゆすー♪




感謝祭もめっちゃ楽しみですが、怒涛のDVD&Blu-rayラッシュもね。



『WE’RE BROS. TOUR 2014 HUMAN』Blu-ray初回豪華版と、

『るろうに剣心 京都大火編』Blu-ray豪華版と、

BROS.TV DVD第4弾『BROS.TV 9〜3月号+未公開映像集!!』は予約済み。



こりゃ年末年始は家から出たくなくなるぞ。観倒したいぞ。




さてさて、

10月期のドラマもほぼ出そろったし、書きたいこともいっぱいあるのですが、

全然おいつきませぬ。

とりあえずふた言だけ。



クドカンはやはり天才。鴨井の大将が大好き。





2014年10月15日(水)  こっち来たっていいんだよぉ?



ホットスポットseason2 「第1回 謎の類人猿の王国〜東アフリカ大地溝帯〜」。

正直なところ、サルにはあまり興味がありませんでしたの。

あまりに人間に近すぎて、かるーく同族嫌悪なのかもしれませぬ。




こういうお顔なら人間にもいるよなー、

だけど、人間がこのお顔だと、美しいという部類には入れてもらえないよなー、

それならいっそ人間のオトコマエさん観てる方が楽しいよなー、という、

サルにはまったく非がないのにサルに対して大変失礼なことを思ってしまうもので。




でも!

マウンテンゴリラのシルバーバックは本当に迫力があってカッコよかった。

子どもたちが、でっかいシルバーバック父ちゃんの背中によじ登って

滑り台にしている画もほっこりらぶりーでした。




シルバーバックではなかったけど、群の中の何頭かが、

ましゃからほんの1メートルくらいの脇を通り過ぎて行ったり。




人間を見た途端に逃げるなんてことをせず、

堂々とかつ静かに様子をうかがう感じで近づいてくるのが、

やはりその場所の主導権は人間じゃなくて彼らにあるのだと思わせる場面でした。




ましゃは教わったとおりに、目を合わせないようにゆっくり背中を向けておられて、

そのマナーがちゃんとゴリラにも伝わったようで、そのまま横を通り過ぎて行きましたが、

あの近づいてきたのはメスだったのか、それとも子どもだったのでしょうか?




なんたって、野生のしかも初対面のインドリ(マダガスカルに生息するサル)のメスから

いきなり求愛された経験をお持ちの方ですからね。

生物学者の先生から、

「野生動物にひと目惚れされる人間を、僕は初めて見ました」とまで言われた方ですからね。




マウンテンゴリラの群は、オス1頭と複数のメスで形成されているそうなので、

近づいてきたのは、メスか成長した子どもかのどちらかよね。

ぱっと見じゃ全然わからなかったのが残念でしたが、

メスが興味津々に近づいてきてたとしても、まぁ当然だろうと。




オランウータンの赤ちゃんを見つけたときに、

「こっち来たっていいんだよぉ?」と茶目っ気たっぷりに話しかけるましゃもらぶりーでした。

ヒトのメスにはうかつに言えないフレーズですな!




ボノボのあまりに人間っぽい佇まいも面白かったー。

あの慣れた感じの二足歩行、体つきや動作、穏やかな暮らしの様子。

どう見ても中に人間が入っているとしか思えない。

ボノボの家族がそろって電車に乗ってても違和感なさそうです。

ということは、インドリ界以上に、ボノボ界ではましゃはモテモテに違いない。




ハシビロコウとましゃのご対面風景は、

鳥好きのわたしにとっては本当にお宝ショット。

いいよねー。あのハシビロコウの面構え。

それと静かに対峙する霊長類のオトコマエさんましゃ。




ハシビロコウがあそこまでじぃーーっと動かずにましゃの前にいたのは、

べつにましゃをにらみつけていたわけではなく、

エサのハイギョの浮上を待っていただけでしたが、




世界的にも珍しいハシビロコウの捕食の瞬間をカメラに収めたのが、

百戦錬磨のNHKの撮影スタッフではなく、ましゃだけだったというのが、

ほんとにもう、野生の王国にいてもスターの資質が発揮されまくり。

ここ一番に強くて、引きが強くて。




次回(11月16日オンエア)はナミブ砂漠。

ここでましゃ師匠は殺陣の練習してたんだなー、って想像しながら拝見いたしましょう。






2014年10月13日(月)  ある意味「HOT SPOT」以上の「たまラジ」



11日のたまラジでは、ホットスポットのロケ体験から、話がめっちゃ意外な方向に。

ましゃがハーネスを装着してツリー・クライミングされている映像があったのですが、

そのときの股間の具合は?と、男性リスナーから質問がありましたの。




福 「正直ね、福山の雅治の部分は、決してそんなに大きなものでもないので

荘 「それなりにコンパクトな感じだという噂をうかがっております」

福 「もちろん、それなりに潰されてはいるんですよ? 圧迫感がまったくないわけじゃない。

   ハーネスってちゃんとつけないと、一歩間違えると、本当に福山の雅治の部分、

   いや、雅治の部分じゃないな、雅治の部分の下についてる、

   いわゆる『ボール』の部分が、パチーン!って潰れる場合があるんですよ。」

荘 「えええええええ!?」

福 「ちゃんと付けて、(ボールを)ちゃんとした場所に置いとかないと」

荘 「適当に よいしょ、なんて置いとくと、グっと体重がかかって・・・?」
  



福 「どこにしまうかは人によるんですけど、僕は上にしまっておきました」

荘 「上? の方が具合が良かった?」

福 「これはね、たぶん女性は知らない人の方が多いかもしれないですけど、

   男性は、実はもともと上にあったものが、下に落ちてきてるんですね」

荘 「そうなんですか!? 今は下に落ちてますよね。

   あれはラジエーターだ、とか、よく言うじゃないですか」




ましゃの知識によると、あのボールの部分はもともとは

(胎児の頃か、もしくは進化の過程のどこかでは)体内にあったものが、

今は外に付いていると聞いたことがあると。




福 「空手とか武道の達人は、戦うときにはそれを体内に収納できると

   聞いたことがあるんですよ。

   袋は外に残したまま、なかのボールだけを。入らない?」

荘 「怖すぎるそれ! やったことないからわからない!」




ましゃと、マネージャーさんのひとりは、(手を使えば)それができるんですって。




福 「るろうのときは、僕、一瞬飛ばなきゃいけないシーンがあったんです。

   そのときハーネスつけてたけど」(師匠が剣心に渾身の一撃を振り下ろす場面ですね)

荘 「比古清十郎師匠は、たまを上に入れていたと?」

福 「だって武術の達人だもん。

   僕も聞いた話ですけど、武道の達人は急所攻撃から守るために、

   手を使わなくても自在に出し入れできるらしいですよ。

   という話を昔、何かで読んで、僕も練習したんですよ。空手を習っていた小学生の頃。

   やってみて? 上には上がるんだけど、入れるまではならないね」

荘 「また完全に馬鹿な子どもですね・・・」

福 「いやいやいや! 達人になるためですよ。

   て言うか、今まで動かさずに生きてきたの? 四十何年も!」

荘 「だって動かすタイミングもなかったし・・・」

福 「それはね、平和ボケですよ! それじゃ勝てないよ! 大事なものを守れないよ!」




などという話をオープニングからしていたら、

オンエア中にその技の情報は送られてくるわ、それができるという18歳のリスナーまで現れるわ。




琉球空手の技で「コツカケ(骨掛け)」と呼ぶのだそうです。

「腹筋を巧みに操作し、睾丸を恥骨の奥に引っ掛けるものであり、

これにより金的攻撃が通じなくなる。古の空手家は、決闘の際、必ずこの骨掛けを使用した」と。




小学6年生の時に金的をくらい、そのときにすぽーんと入ってしまって以来、

自由に出し入れできるようになったというリスナー、アビス君との会話も面白かった。




福 「じゃあ、アビスは手を使わずにできるの?」

ア 「はい。きゅっと」

荘 「どこかに力いれるの?」

ア 「そうですね、丹田のちょっと下くらい」

福 「ちょっと今入れてみてよ」

ア 「はい。・・・はいっ(入ったらしい)」

福・荘 「はっはっはっは! すごい!」

荘 「今、すっごいリアリティあった!」

ア 「じゃ、落としますね。・・・はいっ(落としたらしい)」

福 「はっはっはっは! 俺、できなかったんだよなー。アビスに完敗ですよ」

荘 「アビス、見た目は何か変わるの? たまの部分とかは」

ア 「そうですね、さおの横あたりが一瞬ふくらむんですよ。入ってるから」

福 「あれでしょ? ハムスターがもの食ってるときの口みたいにね」

ア 「そうです!そうです! どんぐりとか口に入れてるときみたいに。まさにそう!」

荘 「話が通じてる!」

福 「ちょっともう一回やってよ」

ア 「・・・はいっ」

福 「じゃ、下ろして下ろして」

ア 「・・・はいっ」

福 「ありがとう! よかった本物に出会えて」



荘 「今日、またひとつ人類の神秘が・・・」

福 「そうですね。『魂のラジオ』という歴史の中の、小さな伝説がまたひとつ生まれましたよね」




面白かったわー。本物に出会えてましゃも荘ちゃんもほんとに楽しそうだったし。

ましゃ少年のチャレンジングな逸話としては「幽体離脱の練習」が最高峰かと思っていたのに、

それに匹敵するものがまだあったとは。しかもちゃんと会得した人まで現れるし。

ある意味「ホットスポット」の番組以上の、生き物の不思議。




この夜のたまラジでは、もうひとつとても印象的なお話があったので、それはまた後日。







2014年10月10日(金)  ちょっと前のドラマが感慨深い



つい先日まで、再放送で「東京DOGS」(2009年10月-12月)をやっていたのです。

小栗旬くんがニューヨーク帰りのエリート刑事、

相棒の自由で破天荒な刑事が水嶋ヒロくんで、事件の鍵を握る記憶喪失の女性が吉高由里子ちゃん。




たかだか5年前なのにもろもろ感慨深い。

刑事役の小栗旬くんはその後もしょっちゅう観てるけど、

そういえばTVで水嶋ヒロくんを見なくなって久しいなぁ。カッコよかったのに残念だよなぁ、とか。




吉高ちゃんのイメージといえばやはりこういうぽわわんな感じで、

ガリレオの岸谷刑事や村岡花子を観たあとでもやっぱりこっちだわ、とか。




小栗旬くんの母親役が田中好子さんで、ほんとに明るくかわいらしいお母さんだったのに、

たった5年前なのにもはや故人だったりするし。




で、その後に再放送中なのが「メイちゃんの執事」(2009年1月―3月)。

再放送とはいえ2作続けて水嶋ヒロくん推し? と思ったけど、

向井理くんが出てたから、やはり「信長協奏曲」の番宣でしたのね。




水嶋ヒロくんの最高Sランク執事っぷりが、ビジュアルの美しさから身のこなしから雰囲気まで

本当に完璧だったことを、懐かしく思い出したり。

当時はもちろん全然知らなかったけど、お嬢様の中に今よりだいぶお顔がまぁるい

こじはるちゃんがいたりして、でも完全にその他大勢のエキストラ的お嬢様役。

あごの下にぐーの手で首かしげてぶりぶりしているばかりなのが、今も昔も全然変わってなくて、

ほんとこの子はキレイでそのビジュアルはとても好きなのだけど、芝居心はまったくないままなのね、とか。




で、その水嶋ヒロくんの弟役が佐藤健くんで、剣心のあの雰囲気のカケラもない、

なんかもうガリッガリだわ、茶髪はばっさばさだわ、

兄ちゃんの足元にもおよばないガサツな見習い執事役。

長身の榮倉奈々ちゃんに「マメシバ」とか呼ばれながら、ほんとにキャンキャンとうるさい、

わんこのようなキャラですの。




ここでもまた、ああこのマメシバがあの剣心に、って感慨深くなってみたり。




お嬢様と執事の組み合わせも、どれもとても懐かしいのだけど、

学園で最高のお嬢様であるルチア様が山田優ちゃんで、小栗旬くんの奥様にしてもはやお母さん。

その執事が向井理くんで、銀髪に真っ白づくめのスーツが、

その後のSPECの「セカイ」を彷彿とさせる。




あと、榮倉奈々ちゃんとともにおんぼろのオンブラ寮にいた谷村美月ちゃんは、

じつはすっごく怖い子だったのだが、「SPEC〜翔〜」でも、被害者の女子高生を装った、

じつはとんでもない怖いスペックホルダーだったなー、とか。




イケメンの執事さんたちはみなステキなのだけど、

一番小さいけど(9歳?)天才のみるくお嬢様に仕える大門(鈴木亮平)が、

本放送の頃から好きでしたわ。

ちっちゃいみるくちゃんとでっかい大門の組み合わせがかわいくて。

みるくちゃん役の吉田 里琴ちゃんも、この頃の可愛さは神がかってましたし。




鈴木亮平さんは今でこそ村岡花子のご主人のイメージなのかもしれませんが、

村岡英治さんよりも変態仮面よりも、わたしは今でも大門キャラが一番好きです。




しかしやはりなんと言っても水嶋ヒロくんですわ。

オンエア当時、たけるんが何かの番組で、水嶋ヒロくんのことを「とにかくすべてが完璧」

と評していたのをうっすら覚えております。




ほんとにね、その完璧なお仕事っぷりをもっと観たかったですが、

メイちゃんが終了と同時に、掟破りの実は結婚してました報告をなさり、

メイちゃんの執事だったのがいきなり綾香ちゃんの旦那に転身かよ! と、

少なからずがっかりした記憶が。

ご結婚はおめでたいですが、もーちょっと、もーちょっとだけ理人さまの余韻を

楽しみたかったなー、と。




ちょっと前のドラマにも、いろいろ発見があるものですな。

役者さんたちの変遷を見るのは楽しいです。







2014年10月07日(火)  官兵衛さまとエリー



「軍師官兵衛」も終盤。驚いたことに全話観続けております。

秀吉が天下人になっても官兵衛さまの苦労は絶えず、

むしろ理不尽に次ぐ理不尽、難題に次ぐ難題をぶち当てられていますが、

そこは揉まれるほどに人間の凄みと厚みが増してゆかれる官兵衛さま。

いやー、カッコいいですよ岡田くんの官兵衛。




第40話「小田原の落日」で、小田原城に単身乗り込むシーン、あれは第一話の冒頭のシーンでしたよね。

初回の冒頭でいきなり、足をひきずり初老の風貌で登場して、けっこうな衝撃だったのを思い出します。

あの若いオトコマエさんが、こ、こんなになっちゃうのね、 と。

40話目にしてやっとこのシーンにたどりついたわけですね。




初回では衝撃だったけど、40話で目にすると、見慣れた頼もしい軍師以外の何ものでもなく、

むしろ若い時以上にステキなのは間違いなく、なんとも感慨深かったです。

これ、初回で見たまんまなのかしらん。それとも、あらたに撮りなおしたものかしらん。

初回で見たのがこれだとしたら、岡田くんのいきなりの熟練軍師っぷりに驚くほかございません。




そして「マッサン」!

エリーの呼ぶ「マサハル」が当然のことながらすごく耳に心地よかったのですが、

「マッサン」とかなっちゃってちょっと残念。ま、それはいいか。というか、タイトルだし。




とりあえず、朝からこのお顔を見続けるのはきついわー、と

(失礼ながら)思っていたピン子さんパートも一旦終わり、活気に満ちた大阪へ。

これは期待していいよね! 




いやもう、「花子とアン」、なんだかんだ最後まで観ちゃったけど、

修和女学校を卒業してからの主人公の影の薄さと言ったらもうね! 

面白かったのはほぼ女学校時代だけでしたものね。

脚本家の先生は何が楽しくて主人公まわりをこんなにつまらなくしているのか、

ほんと不思議でしたわ。

いやいや、そんなはずはない、きっとここから面白いことに! と思って観続けるも、

期待を最後までことごとく裏切ってくれちゃったのは、わたしには「純と愛」に匹敵するほどでしたよ。




ま、そんなこともあり、エリーがとてもけなげでチャーミングなのもあり、

「マッサン」にはかなり期待しております。







2014年10月03日(金)  田中泯さんの凄かわいいエピソード



「W流」という無料視聴サイトに、

WOWOWぷらすと るろうにアクション というのがありまして、

谷垣アクション監督が、実に2時間しゃべりっぱなし。




普通に座って話されているだけなのだけど、まさにるろ剣アクションみたいなトーク。

たらたら話したりなさらないのね。熱量とスピードがハンパない。

とても面白かったので、その中のごくごく一部、出演者エピソードだけをいくつかご紹介。




・あれほどのアクション映画、金をかければできるってもんじゃない。

 佐藤健くんはじめとする、役者さんたちの覚悟あってこそ可能。

 それが波のように全員に伝播していった。




・今回、OK基準が高すぎたという声もあったけど、誰よりも高かったのは主演の佐藤健くん。

 谷垣さんや大友監督がOK出しても、「もう1回やりたいです」と健くんが言ってくる。




・ふたりとも後からの参加だったけど、福山雅治さんと藤原竜也さんの集中力はすごかった。

 いかに、普段の時間で自分のやるべきことを考え(思考)、実際に身体を動かして(試行)いるか。

 その時間の多い人ができるようになる。福山さんはナミブ砂漠でもそれをやっていた。




・宗次郎役の神木隆之介くん。本当に宗次郎のことが大好きで、練習もすごく楽しそうにやっていて、

 「神木くんさぁ」ってよぶと「宗ちゃんって呼んでください」と言い、またある日は

 「僕、今日『瀬田宗次郎』でPASMO作ってきました」って見せてくれたりもした。




・本格的なアクションを、普通の役者がこなすことの凄さと大切さ。

 自分たちが役者にやってほしいと言ってもなかなかとおらないが、

 役者自身がやりたいと言ってくれると、状況は変わってくる。その例が以下のエピソード。




・まだ第一作目の頃、5回目くらいの練習で、佐藤健が竹刀で練習しているとき、

 手の甲にあたってぷくーっと腫れちゃったことがあった。

 本人は「大丈夫大丈夫」って言ってたけど、腫れちゃって大丈夫じゃなかった。

 そのあと、健くんの事務所(アミューズ)から演出部に電話があった。

 うちの健に怪我させて!って怒られるかと思いきや、


 「谷垣さん、アミューズから電話がありましたよ。なんか佐藤健がね、練習が足りないから、

 今まで2時間だった練習を3時間にしたいって言ってるらしいんですよ」って。

 (たけるんどんだけオトコマエ!)

 第一作目でそれほどの姿勢を見せていた健だから、

 2作目3作目をやるのがどれほど大変かということは、本人が一番よくわかっていた。




最後に、田中泯さんの凄かわいいエピソード。


・途中、膝に水が溜まったが、「叱れば治る」と言って、実際翌日には治ってた。



・アイススプレーを使ったことがなかったらしく、初めて使って効きすぎてびっくりしてた。



・「アクションをやること」や「芝居すること」のルーティーン性がない人だから面白い。

 「こんなもんだろ? 刀がこう来たらこうよけるんだろ?」みたいなことが一切なく、

 立ち回りを練習していると、役に入り込んで相手との間合いがどんどん詰まってくる。



・最後に蒼紫に斬られるところ、「悔しいな!負けるんだな!」と、本当に悔しそうだった。



・「伝説の最期編」では、蒼紫を待ち伏せしていた橋の上でも、瀕死の役なのに

 「戦いたいねー!」と熱く言っていた。谷垣さん「まだやりたいんだー」と。



・蒼紫対翁戦、蒼紫の刀が翁の髪をかすめ切ったあと、翁が刀をかわす場面があるのだけど、

 あそこは実は泯さんは殺陣の型を忘れてしまい、とっさに頭を傾けてよけている。

 でもその必死さがすごくよかったので、大友監督も谷垣さんも「面白い!これいいよね!」と

 OKカットにした。なぜならそこにあるのは「真実」だから。



・翁が地面から竹をひろいあげて武器にする場面。

 あれは蒼紫の回天剣舞六連を披露するのにちょうどよかったというのもあった。

 翁に長い竹でどんと突かれ、その竹を斬りながら翁に接近するために、ちょうどいい技だから。

 谷垣「ただくるくる回って刀振り回してるだけじゃ『回れるって自慢したいの?』ってなるでしょ?」

(ほぉぉぉぉ。)




・るろ剣はもはや役者のドキュメンタリーに近い作品




以上、谷垣さんがしゃべったことのほんのちょっとだけ。

お時間のある方は、 WOWOWぷらすと るろうにアクション をどうぞ。2時間だけど!

あと、谷垣さんのツイッターにも、

一般人の動体視力ではなかなか気づけない見どころが、いろいろと解説されていますので、

2度目3度目と観に行かれる前に是非。







2014年10月01日(水)  「伝説の最期編」お気に入り場面



せつないよね、このお話。

幕末の動乱期に、その命をほぼ燃やし尽くしてしまった人たちばかり。

新しい時代はいったいどうやって生きていけばよいのか、そりゃ迷走もしますわな。




時代が変わった時に、それを受け入れた者は剣心や斎藤になり、

受け入れなかった者は志々雄や蒼紫になっただけ。

だから、剣心が志々雄になっていた可能性もあるし、斎藤が蒼紫になっていた可能性もある。




そしてやはり、誰もがその根っこは侍のまま。

だから、戦いながらもお互いのことはすごくよくわかっていて、

だからこそどの戦いも、見ていてせつない。




「世の中の悲劇をひとりで全部背負うつもりか」(by師匠)は不可能でも、

自分がかかわってしまった悲劇だけはどうにかしようと、

師匠は馬鹿弟子を、翁は蒼紫を、剣心は志々雄を、終わりにしてやるのは自分だ! と、

命をかけてその責任を果たそうとする。



ほんとにもうサムライって揃いも揃って!

そこが最高にカッコいいわけですが。




では、わたし的大好きポイント。(多すぎですがご了承ください)

なお、師匠との修行、蒼紫戦、宗次郎戦、志々雄戦、でのワザ的なものは

すべてカッコよくて大好きなので省略。



・心太を拾った若かりし頃の師匠

・師匠のお家(ロケ地 滋賀県・安楽律院)

・剣心を容赦なく斬るわ蹴るわの師匠。



・赤い着物の師匠。

 剣心の色かと思ってたけど、もともとは師匠の色だったのね。

 第一作で薫殿から着物をいただいた時、「師匠の色だ」とか思ったりしたのかしらん。



・「春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。それを愛でるだけで酒は十分旨い。

  それで旨くないなら、それは自分の何かが病んでるということ」と言えちゃう風流師匠。


・その言葉も含め、師匠の言葉の数々は身体に染みついている剣心。よい弟子ではないか。



・蒼紫と戦った御庭番衆の抜け道。あの山道ステキ。(ロケ地 滋賀県・日野城跡)



・警官をかわしつつ、恵殿へはあくまでも優しく穏やかに「下がっているでござるよ」な剣心



・警官隊に囲まれて、一瞬抜刀する振りを見せる剣心。



・伊藤博文を「伊藤さん」と呼んじゃう上に、「拙者がおとなしく殺されると思うか」と

 さらっと言っちゃう剣心



・砂浜での志々雄一派と警官隊の戦いで、

 「誰かがやらねば」と言いながら殉職していく部下に、斎藤の「ご苦労だった」。



・志々雄 「傷だらけじゃねえか」

 剣心  「姿かたちで言えばおぬしも同じようなものであろう」。

 言い返すというより、同士的な憐れみを感じるところ。




・斎藤から志々雄への「手負いひとり片づけたからっていい気になるなよ」。

 しかもいつもどおりのくわえ煙草。




・あの四人がまとめてかかってきても負けない志々雄さま最強。

 ちなみに、志々雄さまこと藤原竜也氏は、殺陣のほとんどを1回見ただけで覚えてしまうそうで、

 志々雄さまの中の人も本当に最強。



・志々雄さまへの攻撃が一貫して「まとわりつく」「邪魔をする」な左之助。

 このどんくささも極めるとラブリー。



・剣心  「拙者やおぬしが生きた時代は終わったのだ」

 志々雄 「幕末は終わらない。俺がこの無限刀を手にしている限り」

 剣心  「拙者がこの逆刃刀を手にした時に、終わったのだ」


 相手だけじゃなく自分だけじゃなく、終わったのは「自分たちの」と言う剣心。

 志々雄に対しても、決して上から目線じゃない剣心のやさしさ。



・侍たちへ敬礼

 剣心たちは敬礼なんぞまったく望んじゃいなかっただろうけど、

 そして見てるわたしは、敬礼くらいで済まされちゃかなわんわ、という思いもありつつ、

 でもやはりこれは伊藤にできる最大級の感謝と賛辞だったのだろうと。



 もちろんこの「侍たち」には、生還した剣心たちだけじゃなく、

 かつて維新政府のために働いた志々雄も、

 この戦いの中で死んでいったすべての侍も含まれているはず。



 伊藤のこの言葉からは、すごく多くのものが読み取れます。

 もはや自分は自らの手を汚すこともなく「侍」ではなくなって久しいという寂しさや自嘲。

 それと同時に、もう侍の時代ではないのだから自分がそうである必要もなく、

 自分はすでにもっと先にいる、といった余裕。

 目の前にいまだ少しだけ生き残っている侍たちが、侍のまま生き続ける道は

 もはやないのだ、という憐憫。



 そんなさまざまな想いがひしめきあいつつの「敬礼」だったのだろうなと。




カッコよさとせつなさはセットになってこそ最強ですね。

以下、パンフより。


  佐藤健

  普通だったら、ヒーローと敵がいて、そのヒーローが敵を倒したっていうカタルシスがあります。

  今回は相手を倒して戦いは終わったはずなのに、「何だろう、この哀しい気持ちは」っていう

  思いにもなるんですよね。すごく不思議な気分と言いますか。




  大友監督

  剣心もすごく大きな哀しみを背負っているから、相手の哀しみがわかるんだよね。

  自分を倒そうとする人間の哀しみすらわかってしまう。しかも、敵は自分を殺そうとしているのに、

  自分は絶対に相手を殺さないっていう。そこに剣心の哀しみの果てにある、

  人間の優しさの究極みたいなものをすごく感じるんです。


  ブルース・リーじゃないですが、(剣心には)倒したことで満足するんじゃなくて、

  倒したことで哀しみを背負っていくという、相手を見つめる目の優しさがある。




剣心ほんっとやさしいものね。

「京都大火編」と「伝説の最期編」、一度くらい続けて観たいかもー、と思ったのですが、

4時間35分じっと座りっぱなしはやっぱりツラすぎるので、DVDを待ちましょう。





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