- 2005年03月17日(木) 生きていく上で、 人はみな、なにかしら折り合いをつけている。 自分と他者との関係において 現実の自分と望んだ自分の人生との関係において 自分の価値観と他者の価値観において 様々な齟齬を意識しつつも、 折り合いをつけてなんとか生きている。 そうとわかってはいても、 折り合いをつけることが時に、耐え難くなることがある。 ちょっとしたことで 何もかもを放り出したくなる。 洗い物をしていて、小鉢のふちを欠いたとき、 掃除機をかけていて、テーブルの角に膝をぶつけたとき、 シャンプーのボトルが空だったとき、 もう何もかもが嫌、という気持ちになる。 何もかもが面倒になる。 すべてを捨て去りたくなる。 年齢を重ねて、背負うものが多くなればなるほど 面倒を感じながら生きている人も大勢いるのだろう、 生きることそのものを面倒と感じる人もいるだろう、 もしかしたら、一定年齢以上の人の多くがそうなのかもしれない、 と思いつつ、 それでも、私も、すべてを捨て去りたくなる。 昨夜はそんな夜だった。 - - 2005年03月09日(水) 夜。焦燥感にとらわれる。 何もせずに一日が過ぎたことへの焦燥感。 それは、何もせずに人生が終わることへの焦燥感。 しかし、最近はこれでもまだマシになった。 10年前は、ひどかった。 このままではいけない、という思いが私を眠れなくさせた。 今は、こんな思いを抱くのは、私ひとりじゃないことを知っている。 そのことが私を安心させる。 いまこのときも、夜のなかを走っている友達がいることが 私を穏やかにしてくれる。 - - 2005年03月07日(月) まもなく死を迎えようとしている病人を、見舞ったことがある。 夏だった。 冷夏だった。 病人に暑さはこたえるだろう、と 「今年の夏は涼しくてよかったですね 去年は暑くて辛かったですものね。 今年は、少しは楽に過ごせますね」 と私は声をかけた。 「でも、農作物が育たないでしょ、暑くないと。 私はいいの、作物が心配。」 私はうなだれ、同時に憎しみを感じた。 いつも、優等生。 いつも、自分より他のことを考える。 いつも、大きな視野でものごとを捉える。 でも、いつも、私を否定する。 その年の秋、病人は、亡くなった。 今日、春の陽射しをあびながら窓ふきをしていて、 ふとそんなことを、思い出した。 -
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