日記...abc

 

 

last - 2004年12月31日(金)

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昨年、祖母が亡くなる少し前に、

敬老会でもらったというおそばを私にくれたことがあった。

そばつゆもあると言って、

祖母は何かの空き瓶にそばつゆを入れてくれた。

その愛情に触れ、

その場ではありがとうとさりげなく振る舞ったのだが

家に帰った私は、そのおそばとそばつゆと空き瓶を

泣きながら、捨てた。


帰りがけに振り返ったとき、

祖母が椅子に腰掛けてテレビを見ていた光景を思い浮かべ

泣きながら、捨てた。

祖母への憎しみが、初めて涙に変わった瞬間であった。


老いた祖母。この人を十歳の私は拒絶したのだった。

あれから二十年。

その間じゅう私は、祖母を嫌い憎むことで、自分を守ってきた。



胸のなかの魚は、私が自分のなかに育てた母親かもしれない。

祖母ではなく、母でもなく、私自身でもない存在。

三者をあわせたような存在。


どうして目がないのか。

そう、私は、見たくなかったのだ、何もかもを。

祖母と母を。二人の価値感の差を。

そして、その間に挟まれた自分自身をも。


祖母が亡くなったいまでも、私は祖母への愛情を意識したとたんに

それを心の奥に押し込んでしまう。

痛みに耐えられないのだ。


子猫を抱けない母に感じた愛情。

祖母を母と慕った記憶。

そして、その両者を自ら拒絶した記憶。


それらを意識することの痛みに、まだ私は耐えられない。


でも、子猫の記憶が戻ってきた。

記憶の封印が解け始めたいま、

自分に何が始まろうとしているのか、予測がつかない。


まもなく、看護婦が来て、起きるようにと言われるだろう。

起きあがる私は、もう、気を失う前の私ではない。

新たな人生が始まる。

破滅への人生なのか、飛翔への人生なのか。



窓の外では、ひかりを薄くまとった雪が、相変わらず降り続いていた。


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17 - 2004年12月30日(木)

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aは、その頃から一人で入浴するようになっていた。

ところが、ある日aが浴室の扉を開けると、祖母がいた。

aちゃん、お風呂に入るの?一緒に入ろうか。


一緒に入るのはいやだった。

でも、断るのもいやだった。

言葉がみつからないまま、黙ってaは、祖母とお風呂に入った。


それから十五年経ち、aは結婚して家を出た。

aが成長するにつれ、

祖母と日常の会話は交わすようになっていたが、

十歳の日の思いはそのまま残っていた。

あの日以来、祖母に心を開いたことはなかった。

そして、母にはどうしたら心を開くことができるのか

わからなかった。



結婚してから実家に帰っても

祖母の居室を自ら尋ねることはなかった。

祖母に会うのはいつも偶然であった。

それでも、祖母はaに会うと、いつもにこにこしていた。

「aちゃん、体に気をつけてね」

帰りがけにそう言って涙ぐむ祖母を、aはまだ、憎んでいた。



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16 - 2004年12月29日(水)

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aは、祖母を憎んだ。

母ではないのに、母のように振る舞って

本当の母を自分から奪った存在として、祖母を憎んだ。

祖母を憎むことで、母を愛そうとしていたのかもしれない。

祖母への愛情は、母への裏切り行為と思っていたのかもしれない。

あるいは、憎しみはそのまま愛情の裏返しだったのかもしれない。


そして、母と祖母が、自分を中に置いて対峙することのないように

細心の注意を払って過ごした。

それは、緊張の連続の毎日だった。


結局、祖母と訣別しても、aは相変わらず綱渡りをしていたのだ

断崖絶壁の上を。


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15 - 2004年12月28日(火)

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aが、祖母を避けるようになってからしばらくして、

aは病気になった。熱を出し、食欲も落ちた。

頭痛も毎日のように起きていた。

しかし、病院では、どこも悪くはないと言われる。

そんな状態がしばらく続いた。



特に食欲不振はひどく、それまでも痩せた方だったaは

一層痩せた。aはもちろん意識していなかったが、

祖母との訣別の結果、aが払わねばならない代償が

それだったのだ。



幼いながらにaは、祖母との訣別は母的存在との訣別であり、

現実の母は母的存在にはもうなれないと悟っていた。



aには、この日以来母がいない。

十歳のきりんは、たったひとりで自立の道を模索していた。

自立するためにaは、憎しみという感情を、はじめて育てた。


そしてこのときから、目のない魚がaのなかに棲みついたのだ。


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14 - 2004年12月27日(月)

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その日を境に、私は自分から祖母に話しかけるのを止めた。

祖母の居室へ行くのも止めた。

同じ家にいながら祖母と口をきかない私は、

家族を混乱させた。

でも私は、強情だった。

何が私をそこまでさせたのか、知っているのは私だけだった。



母に愛情を注がれても、祖母に愛情を注がれても、私は傷ついた。


祖母を、母を、傷つけているのは私だという思いが、

更に私を傷つけた。


子猫のように、足わるわんちゃんのように、

私はもう一人で生きていかなければならないのだ。

母には母に対するように接し、祖母とは訣別すること。

それしか解決方法はないと、思い込んでいた。



誰も傷つけたくはなかった。

そして、私ももう傷つきたくなかった。

母が悲しい顔をするのを見たくはなかった。

祖母が怒るのも見たくはなかった。

二人の価値観に合わせて自分を偽るのも、もうたくさんだった。




いつしか、私は、病院の毛布にくるまって涙を流していた。

子猫を想い、足わるわんちゃんを想い

そして十歳の私を想って、泣いていた。

そう、私は、足わるわんちゃんを抱きしめたかった。

子猫を抱きしめたかった母のように。

そして、私も母に抱きしめられたかったのだ、子猫のように。


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13 - 2004年12月26日(日)

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「ママもおかあちゃまも傷つけたくなかった。例え私が傷ついても」

そして、少女は気を失う。今朝のテレビだ。



母も祖母も傷つけたくはなかったのだ、私も。

だから、私は、祖母との訣別を決心したのだった。


秋だった。風の強い日だった。

訣別の時は、突然に来た。

ピアノ教室を内緒で休み、それを母に叱られていたとき、

私はうっかり

「おばあちゃんが休んでいいと言ったから」

と言ってしまったのだった。

母の顔色が変わるのを、私は見た。

夕食の支度の手を止めて、母は祖母の居室へ行った。

遠くから、母と祖母の声が聞こえてきた。

今までも、私のいない所では、二人が私を巡って

言い争いをしていると気がついていた。

でも、言い争っている声をじかに聞いたのは、初めてだった。



黙って震えながら台所でそれを聞いていた私のなかから、

すべての色彩が消えていった。

モノクロの世界。寒い世界。



祖母の居室から戻った母は、私に何も言わなかった。

それまで母は、一度も祖母を悪く言ったことはなかった。

その日もそうだった。

ただ黙って、夕食の支度をし

私は黙ってそれを食べた。


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12 - 2004年12月25日(土)

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それは、十歳の秋だった。

でもaには、しばらく前からわかっていたのだ。

ここ一年程、aは、母と祖母の間で

自分を素直に出すことができなくなっていた。

いつも二人の顔色を窺っていた。

二人の価値観の差にも気がついていた。



母が作ってくれたミルクセーキを、居室の窓から捨てた祖母。

窓の外は、暗闇だった。

祖母は、aのミルクセーキも、あっという間に捨ててしまった。

aが抗議する隙を与えずに。

aが、抗議するなどとは思いもしなかったのかもしれない。

aの心は、きしきしと音を立てた。

外の闇に捨てられたミルクセーキは、母だった。



バランスをとって綱渡りをしている少女。

それがaだった。

限界が近づいていることを、a自身が一番よく知っていた。

体も心も、今にも壊れそうだった。


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11 - 2004年12月24日(金)

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次第にaは、あからさまに祖母を慕ってはいけないと

気づいていった。


どうして?

どうしておばあちゃんと一緒に眠ってはいけないの?

どうしておばあちゃんがいないから寂しいと言ってはいけないの?

どうしておばあちゃんと一緒にお風呂に入ってはいけないの?



aは、これらの言葉を飲み込んだ。

自分にとっての母と祖母が、

まわりの友達のそれとは異なることにもうっすら気がつきはじめた。

でも、自分が祖母を母親として認識していることには

気がついていなかった。

祖母に母親の愛情を求め、注いでいることにも気がついていなかった。

本当は、aのその愛情は母に向けられるべきものであることにも、

当然気がついていなかった。



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10 - 2004年12月23日(木)

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aは、前年手術を受けた。

裸にされ、手術台に上るように促される。

震える足で踏み台を上り、横たわる。

痩せたaの身体に布がかぶせられ、数値を読み上げる声がする。

祖母も、こんな風に手術台に上ったのだろうか。


祖母のお腹には、手術の痕があった。大きな傷だった。

傷の両脇には、ぽつぽつと、へこんだ点もあった。


お医者さんがね、ここを切って悪いところを治して、そして縫ったの。

糸で縫ったあとが、これだよ。


祖母と入浴しながら、その傷を眺めては、aは

手術の話しをしてくれと繰り返し祖母にせがんだ。

同じ話しをせがむaに、何度でも祖母は繰り返し話してくれた。



母は、aを産んでから、流産していた。

そのことも祖母が話してくれた。

そのときaは、自分がかつて母のお腹にいたことを知った。

でも、ほっそりした母のお腹に自分がいたとは信じられなかった。

母のお腹は、白くてきれいだった。

傷ひとつなくぺったんこだった。

祖母の太ったお腹になら、aは居場所があるような気がしていた。

でも、母のお腹には・・・。


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9 - 2004年12月22日(水)

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祖母は太っていた。母は痩せていた。

昼食後、祖母がソファーに腰をかける。

母は台所で洗いものをしている。かちゃかちゃと音をさせて。

aは、祖母に抱きついてそのお腹に頭をもたせかける。

祖母の心臓の鼓動、祖母の呼吸に従って上下する丸いお腹。

そのリズムが心地よく、

aは、いつもすぐに眠った。

祖母もまどろんでいた。


誰にでも経験のある、こうした午後のひとときを

aは、母とは共有していない。

それとも忘れているだけなのだろうか。

思い出そうとしても、思い出せない。


母との思い出はきっとあるはずなのに。


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8 - 2004年12月20日(月)

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「aさん、いかがですか」

声をかけられて目を開けると、看護婦がいた。

「血圧を測りましょうね」

言われるままに、腕を差し出す。

「今、何時ですか」

「もうすぐ十一時ですよ」

気を失ってから、まだ一時間も経っていなかった。

随分長い間、深い海底に沈んでいたような気がする。

「まだ、ふらふらしますか」

私は黙ってうなずいた。

「もう少し休んでいて下さいね」



看護婦が去って、先程の、すべてを破壊したい衝動が

自分の中から消え去っていることに気がついた。

そのかわりに、虚しい気持ちが広がっていた。

虚無が私を蝕みはじめていた。


戦うには、疲れ切っていた。身体が重かった。

腕を動かすのも面倒。喋るのも面倒。考えるのも面倒。

ただじっと丸まっていたかった。


先程まで自分が沈んでいた暗い深い海が、今度は胸のなかにある。

そのなかに魚が棲んでいる。

その魚には目がない。

その魚を抱えて、じっと丸まっていたかった。

何も見たくなかったし、聞きたくなかった。

何もかもが、嫌だった。

三歳の自分に戻って、母の腕に抱かれて眠りたかった。

母なら、虚無から私を守ってくれるかもしれない。

守ってくれる?本当だろうか。本当であって欲しかった。




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7 - 2004年12月16日(木)

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母と祖母。価値観の違う二人。

でも、二人ともaを愛していた。



aが愛情の綱引きに最初に気がついたのは、台風の日だった。


祖母は外出し、aは、母と家にいた。

母は夕食の買い物に出かけようとして

aに幼稚園用の黄色のレインコートを着せた。

その時祖母が帰ってきて、二人の間に、妙な空気が漂ったのを

幼いaは敏感に感じていた。


祖母はaと家にいたかった。

母は、aと買い物に行きたかった。

そして、aは、a自身は、祖母と一緒にいたかったのだ。

あの後、誰が買い物に行ったのか。

aは全く覚えていない。

いくら辿っても、記憶は、甦ってはこない。




そもそも、大家族とは、そうしたものなのかもしれない。

祖母が実権を握るこの家で

母はまるでお手伝いさんのようであった。

aも、母をお手伝いさんのように思っていた。

ママと呼ぶように教えられていたからママと呼んでいただけだった。


もはや、aの中から子猫と母の記憶は消えていた。

母への愛情も、消えていた。

祖母が母であった。

aの幼い愛情は、すべて祖母に向けられていた。




その頃aは、一階の祖父母の居室で寝起きさせられていた。

両親は、二階で寝起きしていた。


おばあちゃんが毎晩必ず決まった時間にお手洗いに起こすから

aちゃんは、おねしょをしたことがないんだよ、

というのが祖母の口癖だった。




風邪で熱を出したとき、aはむずかった。

その時、母も祖母もaの側にいたのだが

aは母には向こうに行って欲しかった。

でも祖母にはいて欲しかった。


そう口に出していうことの残酷さに気がつかず、

aは、母に「あっちのお部屋へ行っていいよ」と言った。

そして続けて

「おばあちゃんはaが眠るまでいてね」

と言ったのだった。


幼い子どもの口から出た、はっきりとした母への拒否。

この言葉がどれだけ深い傷を母に与えたか、

aはまだ気がついていなかった。


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6 - 2004年12月15日(水)

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足わるわんちゃん。

近所の野良犬に私がつけた名前だった。

片方の後足を引きずって歩く野良犬だった。

私はその犬が好きだった。

でも祖母は嫌いだった。私が犬に近づくのを決して許さなかった。

「足わるわんちゃん、かわいそう」

と泣きそうな私の手を引いて、祖母は歩いた。

「見たらだめ、ついてくるから」



見たらだめ、ついてくるから・・・。

ついてきたらだめなの?

あんな汚い犬にかまったらだめ。



私は、今でもときおり「足わるわんちゃん」がとぼとぼと

歩いていくのを、黙って眺めている夢を見る。

どこへ行くのだろう、食べ物はあるのだろうか、

誰かに飼ってもらえないのだろうか。

夢の私は、いつも「足わるわんちゃん」の

後姿を見ているだけだ。

決してその前に出て、抱きしめてはあげない。



言葉は、時には人を傷つける。

例えそれが善意から出た言葉であっても。

傷つけようとして発せられた言葉による傷と、無意識に

発せられた言葉による傷、どちらが深いのだろうか。

私のなかには無数の傷がある。


そして、私も、祖母と母を傷つけた。

私はゆっくり目を閉じた。


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5 - 2004年12月14日(火)

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不意に病院内のざわめきが聞こえてきた。


扉を開ける音。スリッパの音。誰かが誰かを呼ぶ声。

私は何時間、こうして寝ているのだろうか。

意識を失った私を、誰がベッドに運んでくれたのだろう。

窓からは、ちらちらと雪が降っているのが見えるだけだ。

乳白色の空から、わずかな光をまとって雪が落ちてくる。

私のいる場所からは、外の建物も見えない。



なぜ、三歳の時の記憶が

今このときに

繰り返し脳裏に浮かんでくるのだろう。

道ばたにしゃがみ込んで子猫を見ていた自分が

俯瞰図で見えてくる。

家に連れ帰った子猫がミルクを舐めるのを、見ている自分。

祖母の怒った声。

夏の草むらの匂いまで、甦ってくるような気がする。




あの最初の記憶だけが、私のなかでの正しい母親の記憶である。

あのとき、三歳の私は、祖母と一緒に叱られている母を仲間だと思い

子猫をかわいがる母に共感し、

そしてそんな母を好きだと思ったのだった。

子猫を草むらに捨てにいく母。

その母の悲しみにも共感を覚えた。

母が子猫を好きだったから、私も子猫が好きだった。

あの瞬間、私は母の子どもであり、母は私の母だった。

私はあのとき、母が大好きだった。

そう、大好きだったのだ。



でも、祖母は猫も犬も嫌いだった。


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4 - 2004年12月13日(月)

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誰にでも、子ども時代はある。

aにもあった。aの生まれ育った家は、大家族であった。


曾祖父母と祖父母。父と母。そしてa。

aが生まれる前後には、親戚一家も一緒に暮らしていたらしい。



aの覚えている最初の記憶は、草むらと子猫と女性である。

おそらく母だったのだろう。aはその女性と一緒に歩いている。

幼いaの手を引いて、母が散歩していたのだろう。

道ばたの草むらのなかに、母とaは、鳴いている子猫を見つけた。


aは、母に聞いたのかもしれない。

「なあに?」

母は答える。

「子猫ちゃんよ、お母さん、いないのかしら・・・」



aの母は、猫が好きだった。

aは、はじめて見る子猫に惹きつけられた。

母は、その子猫を抱いて家に帰った。

でも、猫嫌いの祖母は飼うことを許さず、母は子猫にミルクを飲ませると

仕方なくまたもとの草むらに置きに行った。



幼いaには、事態がよくわからなかった。

ただ、母と並んで祖母に叱られている時に、母の悲しみが伝わってきた。

草むらに再び置かれて鳴いている子猫を

母が可哀想に思っていることがaにもわかった。

aは、その時の母への愛情を今でも覚えている。

三歳の記憶だ。


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3 - 2004年12月10日(金)

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私は、夢のなかでテレビを見ていた。

いや、夢ではない。私はテレビを見たのだった。

朝の連続テレビドラマだ。そう、朝出がけに見たのだ。

実母と、他人ながら実の母親のように愛し育ててくれている女性、

その二人の女性の間で気苦労の耐えない子ども時代を送っている

少女の話だ。十歳になった少女は、父に、自分自身の心と語り合って

自分の信じる道を行け、と言われる。

しかし、彼女にとってそれは

二人の「母」を傷つけることでもあった。

「ママもおかあちゃまも傷つけたくなかった。例え私が傷ついても」

そして、少女は気を失う。


私も、二人の女性に育てられた。祖母と母である。


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2 - 2004年12月09日(木)

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「辛いとは思いますが、がんばって下さい」

医師にそう言われたとたんに、体から力が抜けるのがわかった。


私はここ数年、わけのわからない不安と恐怖にさいなまされてきた。

恐怖が高じると、過換気呼吸となり、倒れてしまう。

この数週間は、毎日のように過換気呼吸の発作を起こしていた。


ようやくの思いで辿り着いた病院。なのいつも診てくれる医師は休みで、

初めて会った医師は、過換気呼吸の苦しさを訴える私に

「がんばれ」と言った。



過換気呼吸は、死の恐怖を伴う。


いくら息を吸っても吸っても、肺に空気が入ってこない。

だからもっと吸う。でも息ができない。窒息しそうになる。

死の恐怖が私を襲う。

胸をかきむしり、喉をかきむしり、苦しむ毎日。

それなのに、まだがんばれと言うのか・・・。



虚しさと絶望感、そして破壊的な気持ちがこみ上げた。


死にたいような気分と泣きわめきたいような気分が混ざりあって、

何もかもが嫌になった。


地球上のすべてを破壊したくなった。

診察室の窓から見えるすべての建物を壊し、

人々を殺戮し、自分を殺し・・・そして・・・



次の瞬間私は何かを叫びながら、床に崩れ落ちた。


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1 - 2004年12月08日(水)

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「aちゃん、aちゃん」背後から声が聞こえる。

誰かが私を呼んでいる。

誰の声だろう。

聞いたことがある声だ。

なつかしい声。いつも私を守ってくれた・・・。

いつも私の味方だった・・・。

でも私はその声に応えてはいけない・・・。

振り向いてはいけない、応えてはいけない、私はもう一人なのだ・・・。

じんわり涙が浮かんでくる。




そして、はっと目が醒めた。

夢であったと気がついた。



カーテンが引かれた薄暗がりのなかで、目を凝らす。

ここはどこ?ああそうか、病院だ・・・。私は倒れたのだった。


今朝のことだ。


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- 2004年12月07日(火)



私は、いまだに自分のことがよくわからない。

よくわかっている、などという人などいないのかもしれないが、

それにしても、わからなすぎる。


好きなものは、もちろんわかる。

例えば、食べ物ならお寿司が好き。みかんが好き。

男性の好みもはっきりしている。

洋服の好みもあるし、好きな作家もいる。


でも、そうやっていくら自分の輪郭をなぞっても、

自分自身に辿り着くことはできない。



世の中も、謎で満ち満ちているが、

いちばんの謎は自分自身。

謎を解き明かそうとやっきになって、でもできなくて

そうやって年を重ねてやがて死んでいく、

それもいいかもしれない、とこの頃思う。



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