- 2004年11月28日(日) 最近、物事がよく見えるような気がする。 背伸びをするのを止めたからか? 身の丈にあったものを自分の目線で見ているからか? だといいな。 少しオトナになったかも。 - - 2004年11月22日(月) 私は、毎月作品を出している。 もう、18年ほどになる。 それが、この1年ほど、毎月の作品提出が苦痛でならない。 うまく作品ができる月もあれば、できない月もあるが そんなことは当然のことなので、それゆえの苦痛ではない。 あるいは、体調に左右された年単位での好不調の波も経験済みである。 だから、いまこんなに苦痛なのは、 単に思ったように作品が仕上がらない、 ということ以上の理由があるように感じられる。 なんなのだろうか。 心の中を、探りたくないのかもしれない。 作品は、私の直視したくはない感情からも、成り立っている。 本当に直視したくないものはみていないのだろうが、 ぎりぎり直視可能な感情を、相当に嫌な思いをしながら 意識の上にのぼらせ、素材とする。 それが、苦痛でならないのかもしれない。 あるいは ……… - - 2004年11月13日(土) 私は、人より生きるエネルギーが少ないのかもしれない。 何をしても、すぐに疲れる。 休息が必要になる。 だから、人のペースに合わせて行動するのが苦手なのかも。 小さい頃からこうだから、慣れてはいるのだが、 それにしても、このところのこの覇気のなさは、どうしたものか。 今すぐ布団にもぐり込んで、ぐっすりと眠りたい。 できれば、二三日、いやいっそのこと一冬眠って過ごしたい。 クマになりたいな。冬眠冬眠。 - - 2004年11月12日(金) 母はときどき、もうあなたのことは心配していないから、 という。 前は心配だったけど(身体が弱かったから) もう全然心配してないから、という。 私には、答える言葉がみつからない。 小さい頃から、もっと柔らかな気持ちで 母に甘えることができていればよかったのか。 それとも、そういう問題ではないのか。 甘えさせてもらえなかった、とコドモの私は思っているが 母からみたら、甘えてこないコドモだったのかもしれない。 行き違いが、行き違いを呼ぶ。 - - 2004年11月11日(木) 私は、その場の空気を読むということが苦手である。 いや、違う。 場の空気を読むことは、できる。 ただ、言葉にされない様々な思いはないものとして処理する という癖がついてしまっている、といった方がいい。 最近は少しましになった。 十代後半が一番ひどかった記憶がある。 だからなのか、私には友達がいなかった。 いつもひとりだった。 - - 2004年11月10日(水) 先日、母が留守だったので、父を呼び*と三人でお鍋を食べた。 楽しかった。 父が帰ってから、*が 「お父さんといると楽しそうだね ラクにしゃべってるね」と言った。 /// そうなのだ。その通りなのだ。 母もそのあたりのことは、私がごく小さい頃から感じていたらしく 自分だけが家族の中で異質である、とたびたび言葉にしていた。 言葉にしたのが、不幸だったのかもしれない。 意識にのぼらせなければ、ないものとして過ごせたのかもしれない。 それとも、そう単純にはいかないものなのか。 いまでも母は、自分と私の関係が普通の母娘とは違う、と ときおり父に訴えるらしい。 でも、父にも母にも、私にもどうにもできない。 - - 2004年11月01日(月) なれるのなら 「売れない喜劇役者」になってみたい。 もちろん、そんな根気も情熱も素質もないけれど。 小さい頃から、何をしても長続きしないわたしだけれど。 ようやくこの年になって、笑うことが好きになった。 笑う人が好きになった。 笑う、ということがわかるようになった。 この頃、わたしはよく笑う。 -
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