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■ 目を上げて、あたりを見回せ
今日の礼拝はイザヤ49章でした。
バビロン捕囚も40年もの月日が経ち
民たちは希望を失い、
信仰も後ろ向きになっていました。
けれど神様は語りかけてくださいます。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、
このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」
(15,16節)
その手には十字架の釘の跡があると
牧師が言いました。
また、18節の
「目を上げて、あたりを見回せ。
彼らはみな集まって、あなたのところに来る。」
とは直接的にはイスラエルがまた集められることの
約束ですが、広くは終末の約束で
これは「将来の約束」だということが
心に響きました。
未だ現実は苦難のただ中にあっても
「目を上げて、あたりを見回せ。」と。
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるかにそれを見て喜び迎え、
地上では旅人であり寄留者であることを
告白していたのです。」
(へブル11:13)
説教後の賛美は338番で
これが好きだった前の牧師の顔も浮かんできて
さらには苦しみを経験した友だちと話したときの
この個所から言ってたことも浮かんできて
涙が止まらなくなってしまいました。
地上でのそれぞれの戦いを終えて、
また天で集まる日を楽しみに!
2022年05月08日(日)
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