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■ 20万年分の借金帳消しに
マタイ「山上の説教」の続き。
「幸福(さいわい)なるかな、あわれみある者。
その人はあわれみを得ん。」
(マタイの福音書5:7 文語訳)
今までの流れなら
「幸福なるかな、あわれみなき者・・・。」
となりそうですが、
そこに「十字架」があることは今まで繰り返されたこと。
この節は、その赦し(ゆるし)をすでに得た者として
「では」の話でしょう。
つながってマタイ18章のたとえ話が引用されました。
王様から1万タラント(20万年!分の労働賃金)
の借りのあるしもべ。
どうにも返済することができず、
自分も妻子も持ち物全部売り払って返すよう命じられます。
それで、しもべはひれ伏して
「どうかご猶予ください。
そうすれば全部お支払いいたします。」
と言います。
かわいそうに思った主人。
なんと彼を赦し、借金を全額帳消しにしてくれた
というではありませんか!!
ところがこのしもべ。
出て行くと、
自分から100デナリ(100日分の労働賃金)
の借金のある仲間に出会います。
彼は首をしめて
「おい。借金を返せ!」と言います。
仲間は、「もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。」
と頼みます。
しかし承知せず、借金を返すまで牢に投げ込んだ
といいます。
この出来事を知った王。
「悪いしもべだ。私がおまえをあわれんだように、
おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」
そして、怒って彼を獄吏に引き渡します。
結びのことば。
「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、
天の父も、あなたがたにこのようになさるのです。」
0円じゃないところがミソと思う。
実際の100デナリがあったとしても、
そこに執着せぬよう
1万タラント帳消しのものすごさを
考えることができますように。
2006年08月20日(日)
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