Rei's column
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2005年08月29日(月) |
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この前(BBS)のスーホルム・カフェもそうなんですけど 私の中で「北欧ブーム」がきています@笑
家具やテキスタイルをはじめいろんなモノのデザインで なんか急に「イイ」と思えるようになり。
見回せば意識しないでけっこうチョイスはしてたんですよね。
引越しの時に私をさんざん苦しめたダイニングテーブルはブランド不明の北欧製。 ナチュラルウッドの天板は可動式で両側が広がり(←恐ろしく重い) 青みかかったグリーンのオイルステン仕上げの脚が特長・・
これ、もう10年以上選手なんですけど いまだ古臭さをまったく感じさせないんですよね〜〜
その当時手がけた店舗のテーブルとして使用した代物の残りなんですが たしかまあ、そこそこの金額だった記憶があるもののこれだけ持てば十分元は取れたのではないかと。
何気に一生モンだったりします。造りも頑丈だし。
大人味の造形なのかなあ。
昔、スウェーデンの貿易会社に派遣で週2日行ってた時は あんまりイイとは思わなかったんですよねぇ。北欧モノ。
今は六本木ヒルズになっちゃって取り壊されちゃいましたが「スウェーデンセンタービル」ってのがありまして その中の貿易会社のお手伝いでバイクごと雇われてたんですよ。
家具もいっぱい置いてあったし、食器のショールームもありましたねぇ。
現六本木ヒルズけやき坂通りにもガラス食器の老舗「コスタ ボダ」のショールーム、 ギャラリー オレフェス コスタボダ は健在のようです。 六本木ヒルズには実はまだ近寄ったことが無いのですがちょっと立ち寄ってみようかなあ。 もうあのオープン時の狂ったような混雑は解消されているでしょうし。
コスタボダのガラスの大皿プレートも一枚持っています。
何を隠そう、ここの貿易会社の担当の方(いかにも仕事デキる系キャリア女性でした@はあと)が 私が退任する時に何故かプレゼントしてくれたんですよ。
当時価値がわからなかったんですけどけっこう高いものだと最近わかり・・
どーりで模様が綺麗なはずだあ。
大きな1枚の葉っぱの形をしているのですが 葉脈や細胞の部分がガラスの気泡で絶妙に造形されてる代物です。 まさに「工芸品」。
長く母親に取られていましたがある日ふと気がついて奪還しました>「これ、アタシんじゃん〜〜」
今思えば前回実家が引越しした際に荷物も食器も丸ごと捨てて一新したんですよ。 近所の人たちがつかえそうなもの全部持っていったんで・・ 危なかった@汗汗
コスタボダのガラス食器はプレゼントにオススメですね。
大皿ももう10年近く使ってますがぜんぜん古さを感じません。 未だモダンで斬新&シンプル。
価値がわからない相手に贈ってもちゃんと使いつづけてもらえるんじゃないでしょうか@笑
今回の引越しで揃えたリネン一式は後で知りましたがマリメッコという北欧テキスタイルメーカー。 ベッドはさりげなく通販のお値段お安いモノなんですがカバーのおかげでそれなりに見えてるからスゴイ。
あ、ここのバスタオルも引き出物におススメします。 今日、イルムスでバスタオル&フェイスタオルを危うく衝動買いしそうになりました。
「バスタオルは今のところ足りてるじゃん??先に買うものあるし」と 10回くらい唱えて今回は我慢しましたが明日以降はどうだかわかりませんねぇ。 なんて言っても西武のイルムスなんて3日あけず用も無いのに通ってますから。
気に入ったモノを気に入った時に買うって私的に重要なんですよ。
なかなか気に入るモノなんて出会えませんので。
・・後でやっぱりと思った時にはどこにも無いってのはよくある話なんで。 必要なモノから買う、ではなくて気に入ったモノから買う コレ基本です@笑
北欧モノではないのですが最近やっとリビングのゴミ箱を購入しました。 引っ越して半年以上たってませんか? といわれると何ですけど。 気に入ったものがなくてずっとコンビニの袋を代用しつづけていました。
友人から「ゴミ箱何で無いのよ〜〜」と文句言われると 「文句あるなら帰れっ!」って言ってましたからね。
そう、私という人間はそういう人間です。ぐふふ。
あと、思い出しましたが小さい頃、親の趣味で私の子供部屋の家具がイケア(IKEA)で揃えられていたこと。
イケアなんて日本語っぽい響き(池屋?)なんで日本の家具屋かとずっと思ってましたが もしや、と思って検索したらやっぱスウェーデンのメーカーだったことが今判明@汗汗
当時はパインツリーという白木のナチュラル家具が多くて 私、机と2段ベットとクロゼットが一体化した家具を使用してたんですが それによく似た発想の家具がアクタスに置いてあったんでもしや〜〜 と。
やっぱそうかあ〜〜
機能的で楽しい家具でしたよ。2段ベッド登るの毎晩楽しみでしたしね。
今はイケアの製品は日本で手に入らないみたいです。 2006年春にららぽーとザウス跡地に店舗がオープン予定とか・・ 楽しみですねぇ。。
そして最後のキメはヤコブゼンのチェアー。
久々に惚れちゃったんです〜〜 今さら何?て感じで。 他のカフェにあって座ったことはあったんですが・・ たぶん、スーホルムカフェとの造形のコンビが良かったんでしょうね。
今日、イルムスに赤いスワンチェアのラブソファを発見。
あれを是非、今企画しているカフェに・・ 何か削ってでも・・ ブツブツ って10分くらいガン見してました@怪
そうそう、北欧モノはジャズもイイですね〜〜
癒される家具と音楽に囲まれる生活。 むふふ@野望
アクタス新宿店(スーホルムカフェ)http://www.actus-interior.com/ イルムスhttp://www.illums.co.jp/ イケアジャパンhttp://www.ikea.jp/
★怜が腰かけてたヤコブセンのソファチェア@色&素材違い見〜っけ★ 63マンでした。 うふふ。
ピアノを習い始めたのはたぶん3歳か4歳・・ 幼稚園の頃からでした。
ま、いわゆる習い事です。親が習わせてくれました。 ピアノを買いに行ったことは今でも記憶に残っています。なんかワクワクしましたから。
フツーは「ヤマハ」や「カワイ」の国産ピアノ買うんですけど 何故かウチにやってきたのは「ゲルスカルマン」というドイツ製の小ぶりなアップライト。 甘く、優しげな音のする可愛いピアノです。
・・フツーの国産ピアノだったらとっくの昔に富士楽器に電話して処分されてたでしょう。 現に異常に引越しの多い我が家では何度も母に処分されそうになりました@笑
いちおうアンタ持ち主だから・・ 欲しいって人がいるんだけど?と何度も持ちかけられましたが いつもすんでのところで「・・でもとっておいてよ」と思いとどまりました。 よくぞ思いとどまったと今ではそのことを奇跡に思います。 ゲルスカルマンでなければもうとっくに手元になくてきっと今になってひどく後悔したことでしょう。
思えば亡くなった父が私に買ってくれたもので現存しているのはあのピアノだけなわけだし 私の平和で幸せな幼少時代と今を繋ぐ、あのピアノが最後のツールのような気がします。
そういうものの貴重さがわかるのは随分と後になってからですから。
人とは得てしてそういうものですよね。
で、近所のヤマハ幼児音楽教室に入ったのですが ここが今考えても何故? というほどものすごい英才教育をするところで・・
3、4歳の子供相手にやれ聴音(和音や旋律を耳で聞いて拾う)だ、ソルフェージュだ、 音階だ、楽器演奏だ・・ 音楽理論も盛りだくさん。
・・お蔭様で私、絶対音感持ちなんですよ@笑
絶対音感って耳で聴いて音が完璧に拾えるってヤツです。 ドミソド〜 って。 当時同じ教室にいたみんなは全員そういうレベルでしたもん。 先生が弾いた旋律を耳で聞いて音階を言いながら正確に復唱して歌うんです。 ドミソドシラミソファミレソシドレミド〜〜〜♪ みたいな@笑
字もまだロクに書けないのにお団子みたいな丸書いて譜面も書けたし 音楽記号もみんな覚えてました。 ・・子供って絶対スゴイですよ。 うまく吸収すれば何でもお茶の子さいさい〜 なんですから。
そこから卒業してみんないろんな楽器に散って行きました。
私はピアノへ。
バイエルを習い退屈な日々が続きます。
課題曲を毎週こなして、丸をもらう。ただそれだけ。
正直、ヤマハ音楽教室でのアドバンテージが凄くて楽勝すぎた。
ただ音を繋いで指で押していくだけの作業。 ・・作業、でしたねぇ。確実に。
ある日、ウチの母が急に「先生変わるから〜〜♪」と言って先生がオトコの先生に変わりました。 ・・理由は「どうせ終ったあとお茶入れて話するなら家庭教師は素敵なオトコの先生のがいい」ということだったそうです。
長髪で長身細身、いかにも音楽家という風体のその先生が最初に私にくれた課題は モーツアルトのピアノソナタの主題を優しくアレンジした譜面でした。
曲そのものは非常にカンタンだったのですが ・・そのセンセイは指揮者だったので・・・ 情感をものすごく重要視しました。
ここはピアノ、ここはピアニッシモ・・ 技術よりも繊細なタッチで旋律を繋いで音楽を演奏することを 小学生の私に手加減することなく真面目に教えてくれました。
課題曲の見本は演奏家が違うバージョンで何枚もレコードを持ち込んで聞き比べさせて コンサートにもよく連れて行ってもらいました。感謝しています。今でもこのセンセイに・・
手が小さかったことと音楽は楽しむもんだという感覚から いわゆるクラッシック演奏家、みたいなコースからは早々とコースアウトしちゃいましたが なんとなく音楽は続けていて・・
お約束でバンドでロックなんてやったりもしました@笑
オトナになってまたなんの気なしに弾きたくなるのがピアノ。 手にとったのはショパンのノクターン集。
で、弾き始めてはたと気がつく・・
うっ。すげえ大変!!
自分のイメージする音色と旋律を再現するためには 指が全部の音を身体で覚えるまで反復しなければいけないし タッチそのものの質を追求すると地味〜〜な技術練習をしなければいけない。
あれえ、こんなに不自由だったっけえ? と。
おー、指使いがアタマに入らない。
昔はもっと自在に鍵盤の上をひらひら泳げたんだけどなあ・・ と。
反復、反復、反復・・・ 地味〜〜〜な作業です。
すぐには理想のラインに達しない。地道に積んでいってやっと得られるといいますか・・ で、意外に得られるものは少ないし。
でも最近思うんですがそういう中で得られるモノは かならず自分のモノになっていくとでもいいますか・・?
安易に得られるモノは所詮それなりってことです。
トライ&エラーって大好きな言葉なんですが まさにトライしてはエラーする反復学習。
大切なことは理想のラインが描けないことの理由を知ること。 と、いうか自分から本気で知ろうとすることのような気がしています。
まあ、私はそういう生き方が好きなんでしょうけど。
勘や感覚だけで繋いでいってもドコか限界があって そこから先へはいけない、とでもいいますか。
近道は無いってことですね。
何事も自分のモノにしていく為には。
それを超えていくのは天才なのかもしれないですけど? 私は天才じゃないですからねぇ・・・
何かに夢中になれば何か得るモノはある。
さて、問題は何がそこまで自分を夢中にさせてくれるかということ。
時間も労力もお金も惜しくない。 そういうモノに出会えること自体がとても大切であって その消費はちっとも惜しくない。
私は夢中になりたいです。。 いまだに。
歳とって安全装置やらこまごましたブレーキやらセンサーやらがいっぱいついちゃって そこまでイケるには相当の引力がいるけれど・・
モノでも人でもどっちでも構わないけど 無理させて欲しい!@笑
ピアノ弾きたいな、と思いますが今の状況では鍵盤を購入しなければなりません。 そうなるといろいろと先にやりたいこともあるし、結局は弾けないような気がします。
今、倉庫に預けられているピアノが新しい実家の家に戻ってくるであろう春先にはまた弾けるようになるのでしょうが たぶんそういう熱量ではあの地道な作業を乗り越えてまで自分のモノには出来ないような気がするんですね。
時間は無いし、忙しい。疲れてもいる。
若い頃とは違うわけです。ふんだんに自分の時間なんてありはしないわけで。
そんな貴重な時間を消費しても惜しくない、なんて素敵じゃないですかねぇ。 そこまでしてもそうしたい、と思えることそのものに既に価値があると思う今日このごろです。
だからね。遠距離は無理な自信があるけれど 中距離恋愛は@萌え ですよw
わざわざ会いに出かけるのがいいんです。 早く会いたいからアクセルがんがん踏んで、高いガソリンばんばん消費して ETCぴっぴっと通過して・・・ @笑
その結果10分しか会えなくてもそれでもいいというか それでもそこまでさせてくれる存在なんてサイコ〜〜!
だからむしろあんまり近くにいないほうがよりいい、という・・・
ん? そこで自分の本気度と相手の価値を計るのって軽〜〜く間違ってますか??@笑
中学時代仲の良かったトモダチから突然写メが来た。
タイトルは「とうとう・・@汗」 とうとう・・何だ!? と思って開けてみると
「結婚式挙げました」
・・・・・。
先に籍を入れてもう子供も生まれているトモダチなんで たしかに「とうとう」なのかもしれないがまったく人騒がせな。
とりあえず「おめでとう」しか返信する言葉が見あたらない。 なんで、「おめでと〜〜〜」と。
社交辞令で「そのうちお茶でもしようね」とは言ったものの 私とカノジョとではもう大きく住んでいる場所が違ってしまったし おそらく会って話しをしても昔のように楽しくは無いんだろうな、と冷静に考えてみたり。
幸せそうで何よりだとそれは本心でそう思うのだけど ・・なんというか私はつつましやかな生活にまったく関心の無い人間なので 以前会ったときもひたすら「へぇ」とか「ほぉ」とか相槌を打つばかりで 会話のドコに接点を見出してよいやら、正直困っていたりもした。
旦那の話。子供の話。
・・私にされても「ほぉ」とか「へぇ」以外になんとコメントしていいかわからん@汗
日々の生活の話。将来の話。旦那さんの仕事やお給料の話。 楽しみにしている旅行の話。
ノロケが入るから多少の自慢も出る。 そのたびに「ふうううん」といいつつも・・
残念ながら私だったらそういう生活は我慢出来ないやあ・・ と心の中に汗が。
もとい、生活に我慢出来ないのではなくて我慢している自分に我慢が出来ない。
私がどうしても描けない未来の設計図。
どうしてなのだろう。いつからそうなったのか・・ とんとわからないのだけれど。
どう思われているかはわかりませんが 正直、私は独りでいるのはあまり好きではありません。
逆に独りでいることが出来ない性質だったので それを克服しようといろいろ努力はしてきましたが・・本当はいまだに苦手です。
外に出かけてばかりで外食三昧ですが 本当は部屋でノンビリするのは好きだし、家でご飯を食べるのも好きだし・・
まあ、信じない人も多いでしょうがそれほど人に合わせて行動するのも苦ではないし (但し、日常の細かいこと限定です。人生は合わせられません@笑)
ただアレです。
ここ数年、私にとっては例えば好きになる相手を「身内」と捕らえる感覚がなくなってしまっていて ・・おそらくこれは「こういう遊び」をすることとも関係あるのだと思いますが 生活のすべてを曝け出す=自分を全部曝け出す を遠ざけたい、という気持ちが動くのです。
何かをひどく神経質に意識して、恐れている。 そして心の片隅で何かを嘆いている。
時間も、人も、永遠ではないということを?
同じ時は二度と来ない。
何の脈絡もなく、自分が潰れそうになるほどそれを哀しいと感じる瞬間があります。 でもその痛みに比例してこの瞬間が意味と重さのあるものなのだということもわかっている。
哀しいと感じる瞬間の痛みが痛ければ痛いほど 瞬間的な輝きも、目が眩むほど増していく。
痛みを感じることが無くなればこの苦しさからも開放されるけれど 同時に、輝きは色褪せて違うモノへと形を変えていく。
それを安易に受け入れられない何かが自分の中にある。
では否定的なのかというとこれがまた逆説的で 気持ちのドコかですべてをひっくり返してもかまわないと思えるオンリーワンの登場を 絶対に期待している部分があるんです。
そおいうの、私だけじゃないですよね? ん〜〜、それともやっぱり私は変ですか?@笑
自分が安易に受け入れられないはずのものを受け入れられるような、そんな状況。
ハードルが一気に壊れるのか、少しづつ崩壊していくのかはわかりませんが・・
「自分が変われる」状況です。そのことの為なら、と思えるような。
そんなスペシャルが無いのならもうずっとこのままその「絵」は描けなくても構わない、と。 本気で哀しみながらそう考えてみたりするのです。 それは本来、独りが苦手な私にとって最悪なシナリオなはずなのに・・
既婚の友人は皆、そんなお伽ばなしみたいなこと言ってたら一生結婚はムリだと 頼みもしないのに延々と私に説教したがります。
しまには「デキた婚」がイチバン理にかなっているとまで言う輩までいます。
面倒臭いので最近は既婚のヤツ(友人)らとはあんまり話しをしなくなってしまいました@爆
バチがあたるだの寂しい人生が待っているだのまるで新興宗教さながらの説教をされますが 今のところバチも当たってないし、楽しい人生だし・・・
ま、 ほっといてクレ。>笑
ある友人が言いました。その未来図は描けないわけではないのだけれど・・ 「いわゆるホレ、筆がすすまない?ってヤツ??@大爆笑ww」
送ってくれた花嫁衣裳でにんまり笑う写メを眺めながら
人生がいったい何であったのかなんて
死ぬ直前にならなきゃきっとわからないんだろうな〜 なんて
とりとめなく考えた今日このごろ。
私が唯一無二 誰かのオンリーワンであり 誰かが私の真のオンリーワンであるという
思い描くのは 至上の未来予想図。
今日、仕事上で本当に信じられないことが起きた。
内容は・・・説明したくもないです@笑
幼稚園児並の常識しか持ち合わせていない自分より確実に2回り以上年上のヤツと なんでこんな下らない話をしなければいけないのかと思うと死ぬほど疲れた。
こっちのやり方が気に入らないのは結構だが電話の向こうで何やら悪態ついてるジジイを 本気で潰してやりたくなった。 がしかし 言い合っては所詮、同じレベルに落ちると念仏のように繰り返して耐えた。
電話を切って、激しくこう思った。
フリーではロクな仕事も出来ず、社会人としての常識も持ち合わせない無能力者のクセに 汗水垂らして働けないような半端モノは飢え死にしてしまえばいい、と。 本当に乱暴なくらいに。
深呼吸をして反復する。 これは仕事なのだ、と。私が個人としてあたるからアタマに来るんだ。 落ち着け、落ち着け・・ 所詮はこういう人間は淘汰されていくのだから、とクールダウン。
真面目さもアタマの良さも人の良さも どれひとつもちゃんと持ち合わせていない人間がやっていけるほど 残念ながら今の世の中は甘くない。
・・みんな、生き残りを賭けて一生懸命やっているのだから。
私は自分の周りを用心深く構築して 危険性のあるモノをことごとく排除すべく行動し おかげで今は快適な環境を維持しているけれど
一歩外へ出た途端に、この始末。
所詮私は小さな自分の村の中の王様にすぎないのだと思い知らされる瞬間。
こんな下らないジジイに悪態つかれてナメられるような自分が悔しいと本気でそう思う。 だったら次回の仕事でも必ず私はトップを獲る。と。
それしか方法が見つからない。
勝ちあがって違う場所へ上がっていこう。 いつもいつも、そう思う。
でもそうやっているウチに自分のまわりはちゃんといい具合に構築されていって そのうち勝ち負けはあんまり関係なくなるのだけど・・@笑
時に、世の中や他人に蹂躙されたと嘆く女子の話を聞く。 ・・その怒りはホンモノだろうか?
その時さんざん涙しても喉元を過ぎれば忘れてしまってはいないだろうか??
私は絶対にスルーしない。手が震え、悔し涙が溢れるのを堪えたら 自分に確実にその感覚を刻みこむ。決して忘れない。 何年かかってもかならず達成してみせる、と決意表明をする。
下らない相手のことなんてどうでもいい。
下らない相手に関わって嫌な思いをするような非力な自分が許せない。
そして同じくらい、そういう事に関わらないで生きていくという 真面目な環境の構築は大事なのだとそう思う。
私は自分から選んで単身アンダーグラウンドな環境に下りた人間だから こういう目にあうのも仕方のないことだし だからこそ自分の腕一本、力をつける以外に方法が無いのだけれど。
普通にしていれば触れなくてすむ問題もたくさんある。
まっとうな(という言い方も変ですが)環境を選んでいれば 全然違った生き方をしていたのかなあ・・ とぼんやり考えてみたりすることもあるけれど ・・考えたところで自分をリセットすることなど出来はしないのだし、と自分の背中を押す。
何かを失くしても仕方がないのだと思える。 何かを得るその代償に。
モードがチェンジしてぼやけていた頭が冴えはじめるとき きっとまた私は何かを無くしてしまう、と本能的に感じるけれど それでもいいとさえ思う。・・本当は、死ぬほどよく無いのだけれど@笑
だって仕方がない。 まだこの地点は、満足すべき地点では無いのだから。 ここで満足したら絶対に最後、後悔する。だから行くしか方法は無い。
と、いう決意が沸き立つ瞬間@笑
その腹立たしいことの後、池袋の駅前でふと「いかにも」なオニーさんが視界に入りました。
金髪に近い茶髪。季節に合わない黒のダブルのスーツ。手にはヴィトンのケースバッグ。 年は・・・ 私と同じくらいかもう少し、下か。
路駐がジャマな車道から進み出て、彼は慣れた手つきですうっと手を挙げてタクシーを拾いました。
タクシーが止まって、ドアが開くと彼は後ろを振り返ったのです。
・・そこには綺麗な彼女、と思いきや
杖をつき、紙袋を下げ、腰が大きく曲がった小さなお婆さんの姿が。
彼はあっさりとした仕草で「どうぞ」という素振りをするとまた慣れた手つきで次のタクシーを拾い お婆さんに余計なお礼を言わせる隙も作らずすっとそのタクシーに乗り込んでしまいました。
彼のテリトリーがいかなる場所であろうとも 構築されている世界にはきっと曇りはないのではないか、と そんな風に思いながらしばらくそこで佇んでしまいました。
うまく表現できないけれどなんというか、捨てたモンじゃないんだよな みたいな。
どこのどんな場所にも「似非」は偉いフリをしているし 掃き溜めにも鶴はいる、ということか。
本当のことは目には見えない。 言葉や見た目ですべてを計っていては何もわからない。
この2つの出来事のコントラストに軽く目眩を覚えたそんな一日でした。
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