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Rei's column
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2005年06月24日(金) 格闘技観戦

久々の格闘技観戦が決定しました@涙

7/20水のK1−MAXですぅ〜〜〜(ノ≧∇≦)ノ >キャ〜★魔裟斗ぉぉぉ〜〜!!

今日のついさっきまで「ど〜するべ〜か〜〜」とか訳わけわかんない余裕こいてたら
全然もうチケットなんてなかったらしい@汗

・・そうなるとがぜん行きたくなる子供な私。

あっちゃこっちゃに当たって・・・ 
「ん〜〜〜 もう残は9枚限りです。どうします?」と。

即決。6枚奪取。


プライドなんてなんだ〜かんだ〜いいつつよっぽどでもないと当日チケットとかありますからねぇ。
やっぱスゴイ人気なのね。横浜アリーナでSOLD OUTとは・・ 恐れ入りました。

ハイ。もう気分はすっかりそれモードです。
チケットを奪取する関係上、魔裟斗のファンクラブに入ることにまでなりましたが@笑
ファンクラブ入会なんて高校生の時以来ぢゃないですかね。

でもまあなんでしょ。ヨンさまでも魔裟斗でも何でもいいんですけどね。
キャ〜★ っていうミーハーな気分は適度に(あくまで適度に!ですよ)あったほうが
女性は精神的にも明るくていいかも、と思います。
・・追っかけまで行くとちょっと引きますけどね。多少はいいスパイスになるのではないかと。

なんというかそういう「ミーハー」のりをバカにしていた時期ってありましたが
いい大人になるとそういうことをしていること、それ自体が楽しかったりします。

斜めに構えて「そおいうの、馬鹿みたい」とか正面きってしかめっつらする女のコって
今になって考えてみると可愛げが無いと思うんですよねぇ。
ま、あたしもそういう意味では可愛くない女だった時期がありますな>反省


ミーハーっていうと聞こえは悪いですがいわゆるメジャーなわけですから
馬鹿にするより興味を持ったほうが得策だと今は思っています。

たくさんの人が「いい」と思うということはやっぱりそれ自体に意義があると思いますし。


格闘技観戦も今では一部マニアのものではなくてすっかりメジャーになりましたよね。

そういうのを嘆くマニアの向きもありますが私はいいことだと思います。
環境が整って、大きなお金が動いて、いい選手も出てくる。
競技としての強さだけでなくエンターテイメントとしての楽しさが必要になる「メジャー」のステージ。

勝つだけでは人気が出ない。
・・私はそういうの大好きです。


さて、魔裟斗。どうなんでしょうね。今回。

勝っても負けても私は泣きますよ。きっと@笑



・・またしばらくの間、格闘技観戦マイブームは続きそうです。

8月はプライドの決勝でも見に行くかな〜〜〜★


2005年06月11日(土) 怜のつぶやき

最近ね。つくづく幸せを感じることがあるんですよ。

あ、でもちょびっと前はなんだかわからないプレッシャーとストレスで
軽く鬱のほうにベクトルが向いていたんですがね@笑


なんとゆーか、年寄りっぽい発言が多くて恐縮なんですけど
若い時ってなんかこういう充足感や幸せ感をしみじみ感じることが無かったな、と。

いつでも喉が渇いていて止まらなくて
いい瞬間ほど確実に終わりがくる予感とその孤独感から逃れられずにいた記憶があります。
苦しくて満ち足りなくていつも感覚が研ぎ澄まされていて。

それはそれで刹那的な異常なエネルギーの放出というか華はあったと思いますが
おかげさまで私をとりまく物事すべてが短命でしたね@汗
ばっと咲いて、粉々に砕け散るといいますか
ダメになるならいっそ粉々にしてしまわなければ気がすまない、とでもいいますか・・


この遊びを始めてから自分はずいぶん変化したと思います。

どうにもならないものの距離を縮めようとしてやっきになるというか
「取りに走る」ということがなくなりました。

自分が楽しみたいという気持ちをちょっと捨てて
相手を楽しませようという気持ちに立ち戻れば
世の中は案外スムーズだったりもしています。

しかも楽しませる、とは何かしてあげたり提供することだ、とずっと思い込んできましたが
それは逆だったりもする。
むしろ自分が「してあげることが楽しい」という感覚でしているにすぎない行為を
相手の為にしているのだとカン違いしていたり。

あえて相手に小さな無理をさせてみる。
それが本当の楽しみの提供。ひとつ上の上級な楽しみ。

・・モチロン、「心地よい」「無理」ですよ?

その無理加減の分量は多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ・・・


あ、そういえば車の燃調をとる(コンピュータの設定値をいじって燃料の濃さを調整する)時も
「多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ」です@笑

多すぎると燃料が濃くて燃焼不良を起こしてブスブスいうし
少なすぎるとこれまたエンジンがパーになる。


人との距離感や無理感にも絶妙なバランスを取る・・・
遠すぎてもダメ、近すぎてもダメ。
この感覚がわかるのにずいぶんと遠回りがすぎたような気がしています。


そして昔は「制約」を激しく否定しました。
自由でありたいという願望が強くて「制約」や「規制」を嫌悪する。

でも最近は制約があるからこその楽しさ、対比するものは密接に繋がり影響しあっているのだとそう感じます。

あえて自分でルールを作る。
「制約」を設定してみる。・・そのほうが自由であるより数倍も楽しいということ。

その制約の設定値も、多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ。


たったこれだけのことが感覚でしっかり掴めるのに30ん年@笑

でも、この理論を自分のモノに出来たおかげで
私の人生そのものが飛躍的に変わったと思います。


その絶妙な設定値をはじき出すためには
相手をよく「知る」ことが必要不可欠です。

「知る」とは目で見ることではなく感覚で感じることが必要なのではないかと。

見た目に騙されてわかった気でいたら何一つホントのところは見えてこない。


知る→試す、知る→試す、知る→試す、

その蓄積はイコール自分のノウハウ。


SMは一夜にしてならず、なのでした@笑





2005年06月10日(金) 最近の風景

きのうからガス入りのミネラルウォーターをぐいぐい飲みながら
PCで作業をしておりました。

ここずっと定番はサンペレグリーノ。
ご飯食べに行った先にサンペレがあればとりあえず合格。
イタ飯やさんで無かったりするとその後のパスタやピザがそこそこ美味しくても
・・いまイチ残念@笑

天然発砲水といえばペリエが定番ですが
サンペレは更に硬水で炭酸もけっこうしっかりしています。口あたりまことにシャープ。
シャンパンを飲んでいるような感覚でいただけます。
生のまま、氷をグラスに入れてキンキンに冷やしていただきます。

アルコール弱い私としては後でくるくる酔わないぶん、食事も会話も楽しくてグ〜。

本当はシャンパン好きなんですけど
アルコールはもうこれ、体質なんでしょうね。飲むと即おやすみモードです。
弱くて、とても楽しむ体制になれないです。


最初にペリエを飲んだのは・・ たぶん高校生くらいの時かな。
お店で「ペリエ」というお洒落な単語に惹かれて注文したところ

「はあ?」@汗汗・・

意味がわからなかったです。当時は。
コレは一体ナンだ、と。・・たしかレモンスライスが入ってたと思うんですけど。

不思議ですよねぇ。。味覚って変わるというのもそうですが
ちゃんと知識としてわかっていたほうが美味しくいただけるモノも多いですからね。


私の友人の医者曰く、
「食べ物もセックスも脳で味わう」ということで
そうなんですよね。味覚も感覚も、その部位で感じているのではなくて
信号として脳に伝達されて脳で感じているとゆう・・

心、といって胸に手を当てますが
そいつ曰く、頭を指さすのが正解 と。

感情すら脳で支配されているわけですから。

脳で感じるモノであれば程度の差はあれ「学習」が可能なわけです。

特に味覚でいう「苦味」にはたくさんの種類を感知できる能力があるそうですが
これは鍛えないと使えるようにならない感覚なんだそう。
対して「旨味」や「甘味」については苦味に比べ非常に少ない数しか対応していないのだそうです。
これはすごく意外です。

ですので「旨味」と感じている中の多くの比重に「苦味」を感知しているのだそう。
舌は鍛えないといけないらしい。
確かに、子供の味覚と大人の味覚には深みの部分で圧倒的な差があります。
これは経験値がなせる差なんでしょうね。

・・なんでも「苦味」は「毒」に繋がる要素で生命に関わるもの。
だから非常に敏感なんだという説があるとか。

と、いうような話を半分聞き流しながら私はカモ肉に噛りついておりまして
時折、「・・・人の話聞いてないでしょ??」と窘められるのでありました。
カモとかラムとか好きなんですよねぇ。独特の香りがあるお肉!
これも人によって好き嫌いが分かれますがこの「苦味」に連動しているんでしょうかね〜〜


あと、「懐かしい味」という味覚があります。
この前横浜の中華街で中華をいただいたのですが
出てきたエビチリがど〜にも美味しくて

・・それはエビが大きいからとかソースがどうとかではなくて
「懐かしい味」だったんですね。
作りはちゃんと高級なんですが根底に流れるモノは「給食のケチャップ系の味」がベース。
そこの料理は全部、奇をてらわない定番の味がしっかり根付いておりました。
モチロン、すべて最後まで美味しくいただきました@ご馳


この前電話で話していて「趣味」の話題が出たんですが
よくよく考えてみると私の趣味の中にはやはり「ご飯」というのが入ります。
「車」「バイク」で「植物栽培」「グルメ」「雑貨」・・・

自宅で取る食事は玄米菜食がベースの非常に簡素なものですが
外でいろいろ「美味しいモノ」を食べるのは大好きです。
お店を「見る」のも好き。

「美味しい」と感じる中にはまわりの景色や内装、スタッフの対応、すべてが含まれるのだと
ちゃんと意識できるようになったのはやはり30を過ぎてから。

今はお手ごろなファミレスがどこにでもあってついつい便利なんでそれで済ませてしまいますが
「お腹を満たす」だけの食事ばかりしていてはいけないなあ、と最近は思うのです。
なんというか自分の感性が擦り減ったり、古くならないための努力が必要なのだと。

「美味しい」「幸せ」という感覚は曖昧でフクザツで・・共有しづらいものなんだと思います。
だから共有できる相手に巡り合えると嬉しいし、「定番」という感覚も大切だなあと。


たまに中途半端なご飯やさんである一定の調理法に基づいてそこそこの素材を使用すれば
美味しい料理が提供出来ているのだとカン違いしてるんだろうなあ・・ という店があります。
美味しさは気持ちで味わうもので気持ちは脳で情報処理されるもの。
理屈ではないのになあ、と残念な気持ちになりますねぇ。
ここの料理人の人はそれに気がつかない限りいつまでもそこそこのモノしか提供できないのかな、と。

転じて何かを提供する、という立場については自分も又同じなわけで
理屈でばかり考えていたり出来た気になってちゃイカンよな、と思うのです。


余談ですが「犬にも手作りのご飯」を提唱している獣医さんがいます。
本を読んでなるほど、ということで最近はウチの犬にもご飯を作ってやっているのですが
もともとあんまり食事に興味の沸かなかったのがどうしたわけか
近ごろでは朝と夜にきっちりと「飯を作れ!!」と人に強要するようになってきましたw
あんまり食べなかったのがペロリ。目やにも少なくなったし
食べる量が増えた割には太らないし、犬は味覚は鈍くて嗅覚でモノを美味しいと感じるというのは
あんまりあてにならないのかなとも思います。

すべてというわけではありませんがドッグフードに使用されている原材料には粗悪なものが多く
農薬や化学薬品づけの肉や壊死した肉がまざっていてもわからないし規制がない。
ガンやアトピーになる犬が増えている現状を考えると栄養のバランス云々よりも
自然の安全な食材から栄養素を取ったほうがいい、ということらしいです。

私の食事の材料から小分けして味付けを別にしていますが
玄米雑炊にかき卵で今日も完食です。

犬の味覚もやはり訓練次第で発達していくんでしょうなあ・・・


おっ・・ 今お昼のワイドショーで「シャンパンが人気」という特集を放送していました。
シャンパンバーに集う女性、ということでOLさんが
「駆けつけビールじゃなくてシャンパン!」とかはしゃいでいます@汗
5人で「かんぱ〜〜い!!」って居酒屋ノリノリ@引

かたやカウンターに独り読書にふけりながらシャンパンをいただく年配の女性の方が
「・・仕事帰りに1杯、2杯 いただいて帰るのがよくて」と。
なんか、カッコイイです。仕事もかなりデキる匂いが。。
私も将来はああゆうカッコイイ女性になりたいもんです。

せっかくなんですから居酒屋は居酒屋の楽しみ方、
バーやレストランはそれなりの楽しみ方、
ちゃんと区分けが出来るような素敵な人になりたいなあ。

これからの5年、10年、自分が構築していく環境や仕事でそれは決まっていくことでしょう。
どこまで今後自分を作りこんでいけるのか、自分に大変興味があります。



「人生は短い。まずいワインを飲んでいる暇などない」




★サンペレグリーノとアルカリ天然水★
交互に飲みながら時折玄米番茶や珈琲を淹れて飲むのが怜流です@笑
デスクには常に冷たいもの用のコップと暖かい飲み物のカップが


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