Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 Mako、Swatchとパートナーシップを結ぶ
2006年04月30日(日)

 驚かせてすみません。実は最近すっかり更新が止まってしまっている、F1ニュースっぽくS2000生活を紹介している自己満足ページ「S2000ニュース」用のネタなんです。でもすべてがネタというわけではなく、今日からスイスの時計メーカー「スウォッチ」の時計を使うことにしたというわけです。

 実はこのスウォッチの時計は以前買った「IRONY CHRONO」というやつでして、純正のバンドは革だったのですが、ここ数年ほど腕時計自体を使っておらず、革が劣化して切れてしまったので、バンドを時計のフレームと同じステンレススチールに交換したのです。しかもそのバンド、すべてがステンレススチールではなく、中央のジョイント部分が黒いゴム製で、タイヤの溝のような模様が入っているので、ちょっとモータースポーティで気に入っています。

 以前この時計を買ったときは、ミカ・ハッキネンのヘルメットの色にちなんで、時計盤のフチの色がネイビーブルーのものを選んだのですが、今回バンドをタイヤ風ゴム付きのステンレススチールに交換したので、僕オリジナルの組み合わせなので、ま、言ってみれば「Mako Hakkinennエディション」というわけですね!しかも時計盤部分はすでに売っていないモデルなので、この組み合わせはおそらく世界で1つだけでしょう。

 ここ数年は携帯電話が時計代わりになってしまっていて全然腕時計を使っていなかったのですが、時間を見るのにわざわざ携帯を取り出すのも面倒ですし、今後はこの生まれ変わったMakoオリジナルのスウォッチを使うことにします。


調子に乗ってこんなモノを作ってしまいました。
ちなみに着ているのは愛用のレーシングウェア。


 さて、「S2000ニュース」といえば、シルバをM−NESTのカラーリングに合成して制作した架空のレーシングカー「ブルーキャット」ですが、現在最新のカラーリングを考えているところです。
 で、最新のカラーリングではより多くのスポンサーロゴを入れようと思っているのですが、よく考えてみると、今まで時計メーカーのロゴってなかったんですよね。F1で時計メーカーのロゴと言えば、ミカ・ハッキネンもモデルを務めたマクラーレンのスポンサー「タグホイヤー」や、佐藤琢磨のスポンサーである「セイコー」などが有名ですが、まあタグホイヤーは高いですし、セイコーは日本ではごく普通ですし、比較的価格帯が手頃で個性豊かなデザインが魅力のスウォッチが僕らしくていいかなと思います。

 そんなわけで、いつになるかはわかりませんが、新型M−NESTレースカー(名称未定)にはスウォッチのロゴが入りますので、皆さんお楽しみに。



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 Cafe M-NESTにもホットスポットを設置
2006年04月29日(土)

 3月7日付のVoice3月15日付のVoiceでもご紹介しましたが、ホットスポットとは、NTTコミュニケーションズが商標を取得したため「アクセスポイント」「無LANスポット」「フリースポット」と呼ぶ場合もありますが、無線LANなどのアクセスポイントを設置し、無線でのインターネット接続サービスを不特定多数の利用者に提供している空間のことです。
 主に、鉄道駅や空港、ホテル、喫茶店やファストフードなどの飲食店など、人々の多く出入りする空間に設置されることが多いですね。今後もスタジアムなどのスポーツ施設や公園などの防災拠点、公民館や図書館、電柱や自動販売機への設置も予想されています。
 ホットスポットの利用形態は、事前に提供業者の会員になっておく「会員制」か、その場で一時的に利用権を得る「ゲスト」としての二種類が主流です。前者は喫茶店などで、後者はホテルや公共空間で用いられる事が多いです。

 さて、4月8日付のVoiceでは、我が家にレコードプレイヤーが導入されたので、ゲストを招いてコーヒーなどを飲みながら70年代のジャズを中心としたレコード鑑賞会を開くため、「CafeM−NEST」を開設したというお話をしましたが、何とこの「CafeM−NEST」にも、このたびホットスポットを設置することになりました!

 ……といっても、単に自宅にアップル社の「AirMacエクスプレス・ベースステーション」という無線LANができる機械を導入したというだけなんですけどね。

 しかし、僕が持っているノート型パソコンのiBookはもちろん、ウィンドウズでもAirMacまたはAirMacエクストリーム対応のWinXPまたはWin2000以上のOSであれば、ワイヤレスでインターネットに接続することができますので、我が家がホットスポットになったということには変わりないわけです。
 ですからゲストの方が自分のノート型パソコンをCafeM−NESTに持ち込めば、ジャズレコードを鑑賞しながら、ご自分のパソコンでダイニングでもリビングでも、和室でも洋室でも、はたまはトイレの中でだって、ネットサーフィンが楽しめるというわけですね!う〜ん!さすがはCafeM−NEST!何てサービスが行き届いているんだ!レコードは聴けるし、コーヒーは無料だし、壁にはソフトダーツもあるし、プレステ2もあるし、ビデオデッキやDVDプレイヤーもあるし、おまけに本棚には各種漫画が取り揃えてあるので、これでホットスポットも設置したわけですから、「アプレシオ」のようなお店と何ら変わりないですな!

 しかも!CafeM−NESTのAirMacは、アップル社純正のMP3プレイヤーアプリケーション「iTunes」の最新バージョンで使える「AirTune」という新機能により、MP3ファイルはもちろん、ご自身のミュージックライブラリや、CD、iTunesミュージックストアのプレビュー、オーディオブックまで、iTunesで再生可能な音楽はすべてワイヤレスネットワークを通じて、ケーブルを繋がなくてもCafeM−NESTのパワーアンプに送られ、大音響スピーカーで鳴らすことができてしまうのです!ですからゲストの方が自分のパソコンのiTunesの中にお気に入りの音楽を入れてCafeM−NESTに持ち込めば、ワイヤレスで大音量スピーカーで聴けてしまうと言うわけです!

 CafeM−NESTで、ワイヤレスネットサーフィンと音楽鑑賞を楽しもう!

■システム条件
 ワイヤレスインターネット接続には以下の条件が必要です。
 * iTunesをMac OS X v10.2.7以降、Windows XPまたはWindows 2000
 * AirMacまたはAirMac Extreme対応コンピュータ
 * WiFiに準拠した802.11bまたは802.11g対応Windowsコンピュータ

 ワイヤレス音楽再生には以下の条件が必要です。
 * iTunesをMac OS X v10.2.7以降、Windows XPまたはWindows 2000
 * 最新のiTunes(無償)がインストールされたコンピュータ
 * AirMacまたはAirMac Extreme対応コンピュータ
 * WiFiに準拠した802.11bまたは802.11g対応Windowsコンピュータ



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 2008年のF1エントリーがついに確定!
2006年04月28日(金)

 F1は新しいコンコルド協定が発効する2008年から、12チーム24台が参戦できることになっているのですが、現在参戦している11チームはすでに確定しており、残る1つのチーム枠を巡って、新たに11チームがエントリーを申請していました。その中からどのチームが残された唯一のチーム枠をものにして、2008年からの新規参入を実現できるか注目されていました。

 新たに2008年からのF1エントリーを申請していたのは、2003年までBAR・ホンダを指揮していたデイビッド・リチャーズ率いる「プロドライブ」、マクラーレンのBチームとして元F1ドライバーのジャン・アレジが表看板となり、日本のディレクシブがバックアップする新プロジェクト「ディレクシブ」、昨年末にミナルディをレッドブルに売却したが、ミナルディの名を復活させるためにエントリーを申請したポール・ストッダート率いる「新生ミナルディ」、佐藤琢磨がイギリスF3時代に所属していたイギリスF3の名門チーム「カーリン・モータースポーツ」などを含めた11チーム。

 そしてFIAは今週、2008年のF1エントリーについて、最終的に参戦を認める12チームをついに決定しました。見事残る1つのチーム枠を射止めて2008年からのF1への新規参入を決めたのは、デイビッド・リチャーズ率いる「プロドライブ」でした。
 デイビッド・リチャーズは「当社の全員にとって最高のニュースだ。我々はWRC、BTCC、ル・マンGT1を制してきた。そしてF1にもプロドライブチームとして参戦したいという希望をかねてから表してきた。2008年に新レギュレーションが導入されることで、プロドライブはそれほど費用をかけずに競争力を身につけることができるだろう。エントリーは始まりにすぎない。あと2年足らずのうちに、チームを作り上げて、2008年開幕戦のグリッドにコンペティティブなマシン2台を並べなければならない。これから膨大な作業が待ち受けている。専門知識にも経験にも長けたチームを相手にしなければならないのを知っているからね。だが、プロドライブには20年以上にわたるモータースポーツの経験がある。我々は全員、このチャレンジを楽しみにしている。」と語り、自信を覗かせました。

 プロドライブがF1に参戦するのはもちろんこれが初めて。しかしリチャーズは1998年にはベネトンF1チームの代表を務め、2002〜2004年にはBARの指揮をとり、2004年にはチームをマニュファクチャラー2位に導いており、f1における経験は十分に持っています。
 プロドライブはすでにイギリスにおける新たなファクトリー建設計画を発表しており、この建設には地元の反対もあるようですが、建設許可が下りれば、作業は今年末にも開始されるそうです。当面の間は、現在所有している施設でF1プログラムを進めていく模様です。

 決定し発表された2008年のエントリーリストは以下の通り。

 ○ザウバー・BMW
 ○ホンダ
 ○ミッドランド(エンジン未定)
 ○プロドライブ(エンジン未定)
 ○レッドブル(エンジン未定)
 ○ルノー
 ○フェラーリ
 ○スーパーアグリ・ホンダ
 ○トロロッソ(エンジン未定)
 ○トヨタ
 ○マクラーレン・メルセデス
 ○ウイリアムズ(エンジン未定)

 5チームがエンジン未定となっていますが、スーパーアグリに関してはすでに2008年のホンダからのエンジン供給が決定しているようで、チーム名は「スーパーアグリ・ホンダ」となっていました。またウィリアムズは「レクサス」名義でトヨタエンジンを搭載するのではと噂されていますが、発表されたエントリーリストではまだ未定のままでした。

 2008年からは12チーム24台が出揃うと言うことで、1995年第17戦オーストラリアグランプリ以来の24台によるレースが実現することになります。さらにエキサイティングしそうですね。その頃にはスーパーアグリも何度か入賞圏内でフィニッシュできるだけの状況になっていて欲しいものですが、新規参入のプロドライブは経験も豊富ですから、プロドライブに食われてしまいそうで不安です。



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 スーパーアグリ、SA06も旧車を一部流用
2006年04月27日(木)

 2001年の旧アロウズのマシンを改良してレースを戦っているスーパーアグリは、平行してチームオリジナルの新型マシンSA06の開発も進めており、その実戦投入に大きな期待が持たれています。しかし、開幕前は先週末行われた第4戦サンマリノグランプリまでに投入する予定だったものが大幅に遅れており、SA06の投入は早くて第11戦のフランスグランプリ(7月16日)になるだろうと言われています。

 スーパーアグリは次戦ヨーロッパグランプリでの第3ドライバーに、前ルノーのテストドライバー、フランク・モンターニュを起用し、金曜日のフリー走行セッションでは3台の現行型マシンSA05を走らせ、佐藤琢磨と井出有治をバックアップするようです。しかし、現行のSA05の改良に執心するあまり、より重要なオリジナルマシンSA06の開発がさらに遅れることを警戒しています。
 鈴木亜久里代表は「いまのウチのチーム力では、両方のマシンを並行して開発するのには無理がある。資金の負担もあるし、今後は新型車のほうにより力を入れざるを得ない」と語っており、これにより今週のシルバーストーンでの合同テスト不参加を決めました。

 ところが、ここへ来て開発中の新型車SA06に関する、新しい事実が明らかとなりました。ホンダがその開発に大きく関わり、完全な新型車になると思われていたSA06が、実は一部現行の旧アロウズのマシンを流用せざるを得ないようです。
 スーパーアグリの財政担当役員であるウェイン・ハンフリーズは「多くの期待にもかかわらず、このマシンが完全に新設計の物という訳にはいかないだろう。ある程度は、やはりアロウズのものを流用せざるを得ない。もちろん、見た目は全然違うものに見えるだろうが」と、チームの困難な財政面を預かる苦しい胸の内を明かしました。

 このニュースはかなり残念なニュースですね。現在は4年落ちのマシンを改良した即席マシンでの戦いを余儀なくされ、2台のマシンは毎戦テールエンダーで、まともにライバルチームと戦うことすらできず、ただコースを周回しているだけという厳しい状況が続いていますが、チームオリジナルの新型マシンSA06が投入されれば、少しはマシになってミッドランドやトロロッソあたりとは互角にやり合えるだろうと期待していましたからねえ。新型マシンも一部アロウズのものを流用するとなると、今シーズンはこのまま最終戦まで、大きな飛躍はできそうにないですね。

 しかしまあ、以前2月15日付のVoiceでも書いたように、おそらくスーパーアグリは本来なら来シーズンからF1に参戦する予定だったものを、シートを失った琢磨を救済するために1年前倒しして今年から参戦することになったと思われるので、そう考えれば、今年は一応参戦はしているものの練習や学習のシーズンと言うことで、琢磨にしても1年浪人するよりは、テールエンダーでも一応現役ドライバーとしてレースに参加することでドライビング感覚をある程度維持することができますから、今シーズンは大いに学んで、来シーズンの糧にして欲しいですな。



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 厳しい立場に立たされた井出有治
2006年04月26日(水)

 先週末に行われたF1第4戦サンマリノグランプリ決勝の1周目で、トロロッソのクリスチャン・アルバースとスーパーアグリの井出有治が接触し、アルバースのマシンは5回転しながらコースオフし、さらにひっくり返った状態でグラベルに落下するという大きなアクシデントに見舞われました。幸いアルバースに怪我はありませんでした。
 一方の井出も接触のあと左フロントのサスペンションがダメージを受け、その後リアサスペンションにも問題が発生してリタイアに終わりました。
 両者は審議対象となり、レース後スチュワードによる事情聴取が行われましたが、井出に対しての戒告処分のみにとどまり、次戦のヨーロッパグランプリでは、井出はペナルティを受けることなく、予選で勝ち取ったそのままのポジションからスタートできることになりました。

 アクシデントはスタート直後のオープニングラップ、ビルヌーヴシケインを抜けていく途中で起こりました。最後尾だった井出が前をゆくアルバースを追い抜こうとしてアルバースのイン側に入り込みますが、アルバースがレコードラインを維持したままイン側に寄ってきたため、アルバースの右リアタイヤが井出の左フロントタイヤに乗り上げ、そのはずみでアルバースのマシンは宙を舞い、5回転しながらコースオフし、最後は裏返しのままでグラベルに止まりました。

 このアクシデントについて、アルバースは当然のように不満が爆発し、「スーパーアグリのドライバーたちはレースで僕らを押さえるため、スタートで僕らの前に出ようとしてあまりにもアグレッシブな動きをしすぎる。これまでもそうだった。彼らはリスクを犯しすぎるよ。今日はそれがどれだけ危険なことになるのかがはっきりした。こんなやり方は僕には理解できない。」と井出と佐藤琢磨を激しく非難しました。琢磨はこのアクシデントに直接関わっていなかったのですが、2人はレース序盤のアクションが攻撃的かつ野心的すぎると語っています。

 一方、井出は「第2シケインの進入で僕がアルバースの内側にいて、彼のほうが少し前にはいたんですが、ちょうどこっちのフロントタイヤが彼のマシンのリヤタイヤの前に入り込んでいる形。僕的には並んで立ち上がる感じで勝負する状況だと思ったんだけど、結果的に彼はレコードラインを守り続けたので、僕のフロントタイヤに向こうのリヤタイヤが乗り上げる形で接触してしまいました。彼の気持ちとしては自分のほうが前にいるから引いてもらいたかったみたいですが、僕は僕でそこで無理に前に出ようとは思わなかったけど、あそこで引く状況でもなかったので……」とコメントしていました。

 コントロールタワーでの事情聴取では、お互い良くあるレーシングアクシデントということで険悪な雰囲気になることはなかったようですが、井出はスチュワードから「確かに内側にいるのは分かるけれど、半分前にいるクルマがイン側にクルマ1台分明けてくれるとは思わないほうがいい」とアドバイスされたそうです。

 井出はここ4戦まで、マシントラブルなどにより十分なテストを行うことができず、マシンに慣れるための機会を十分に与えられないと言う状況で初めて走るコースでのレースを余儀なくされているわけですが、同じマシンに乗る佐藤琢磨と比べてレースタイムが2〜3秒以上も遅くミスも多いため、海外の一部マスコミやF1関係者の間で、さらにはスーパーアグリのチーム内でも井出のパフォーマンスを疑問視する声が囁かれており、その立場はサンマリノグランプリ開幕前ですでに厳しいものでした。
 しかし、汚名返上の機会として与えられるはずだったグランプリ直前のシルバーストーンでのテストでも、井出はマシントラブルのため走り込むことができず、またもぶっつけ本番となってしまったサンマリノグランプリで今回のアクシデントを起こしてしまい、状況はますます悪化してしまいました。

 そして、井出の立場をさらに厳しいものにしてしまったのが、井出のアクシデント後の態度でした。井出はアルバースに対して謝罪の言葉は一切なく、「アルバースは単純に彼は僕が引くだろうと決め付けられていたみたい。ちょっとナメられてたのかな?」と語り、自身の正当性を主張していました。

 この井出の振る舞いに対し、元ワールドチャンピオンのニキ・ラウダが「FIAは井出に対するスーパーライセンスの発給を考え直したほうがいいんじゃないか。」と彼のミスを認めない姿勢を厳しく批判しました。
 さらに伝説のドライバー、スターリング・モスも「FIAはもっと下手なドライビングについて出場停止など厳しい処分を行うべきだ。無謀なドライビングをした井出に対しては、処分があって然るべきだ。悲しむべきは、F1ドライバーのレベルが下がってしまっていることだ。F1という最高峰のカテゴリーがダメなら下はもっとダメになる。今カートレースを戦う若手ドライバーの中には、他のマシンを無理矢理押しのけるような乱暴な行為をするものがいる。早く何か手を打たないと、レースにふさわしくないドライバーばかりが横行するようになってしまうよ、」と持論を展開していました。

 逆にアルバースの方は、レース直後の激しい怒りから一転して「確かに井出は今回の行為について反省すべきだけれど、これでスーパーライセンスを取り上げるとかいう議論は間違っていると思うな。どんな新人だってミスをすることはあるんだ。でも若い能力にはもう一度チャンスが与えられるべき。井出だってもちろんそれに値するよ」と、寛大な発言で井出を擁護する発言をしています。ちなみにアルバースはまだ27歳名のに対し、井出はすでに31歳の遅咲きルーキー。

 僕は個人的に今回の一件は、先の24日付のVoiceでも述べたように、井出の方に否があったと考えています。あの状況では、井出はアルバースのオーバーテイクを断念し、外側に進路を取るか、あるいは減速して追突を避けるべきだったと思います。井出自身も自分のF1ドライバーとしての立場が非常に厳しい状況であることはわかっているはずなので、何とか良い結果を出してアピールしたいと焦っていたのだと思いますが、だからこそ無理して最悪の結果を招いてしまうよりは、冷静になって、まずは完走を目指して欲しかったですね。

 井出は十分走り込むことができないままでのレースを余儀なくされているから、今の状況でミスが多いのは仕方がないという同情の声も中には挙がっているようですが、やはり何度も言っているようにF1の世界は結果がすべてですから、チーム内の事情などレースでは関係ないんですよね。
 スーパーアグリは来週のシルバーストンテストがキャンセルになり、またしても井出は貴重なテストのチャンスを失っってしまうことになったわけですが、次戦ヨーロッパグランプリに向けて、気持ちを切り替えて欲しいものです。



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 トヨタ、ガスコイン更迭を語る
2006年04月25日(火)

 今月5日付のVoiceでもお伝えしました通り、突然マイク・ガスコイン元テクニカルディレクターを解雇して、チーム内外に大きな衝撃をもたらしたトヨタですが、そのガスコイン更迭について、TMGの木下美明モータースポーツ部長兼TMG副社長が、先週末のサンマリノグランプリで初めて口を開きました。それによると、チームの公式発表にもある通り「開発を巡る哲学の違い」が最大の要因であるとのことです。

「ガスコインとの基本的な考え方の違いは私が2年半前にモータースポーツ部長に就任した時点から感じていました。その意味ではお互いにガマンを続けてきた部分もあったので、正直、良くここまで持ったなという気持ちすらします。例えば開発の方向に関して5つの可能性があったとしたら、我々の考え方はその5つをすべて平行に試して、その中から本当にベストなものを見つけ出していくというモノですが、ガスコインは彼のF1での経験に基づいて、その中から1つの方法を選択し、そこに全力を傾けるというものでした。実際、彼がチームに来た時点でTMGには十分な経験もなく、混沌とした部分がありましたから、彼のようなカリスマのある人物がそうした経験に基づいて決断し、ものごとの優先順位を決めていくという部分でのメリットは大きかったと思います。しかし、チームが今のレベルに来たからには、経験だけで1つの可能性に絞り込んで、他の可能性を捨ててしまうのではなく、より幅広い方向性を持ってマシンの開発を行っていく必要がある。そういう部分でお互いの考え方が違うことがハッキリしたため、このままの形で続けていくことはできないと判断したのです。」

 要するに、ガスコインが加入した当初は、まだチームに十分な経験がなかったので、彼の今までの経験に基づくやり方は開発を進めていく上での大きな牽引役となったが、トヨタも経験を積み、自分たちの力で物事を多角的に考えられるようになったので、ガスコインの単一的なやり方がウザくなったので首を切った、ということですね。

 個人的な意見ですが、トヨタのそうした傲慢で虚栄的な体質が、世界トップクラスの自動車メーカーでありながら、F1で5年の歳月を費やしても未だ勝利を挙げられない大きな要因になっているのではないでしょうか。
 トヨタは目先の刹那的な結果にとらわれすぎているんですね。そしてガスコインを切り捨てた今、マシン開発の牽引役を失い、今後の開発では様々な可能性にとらわれすぎて迷いが生じ、方向性を確立することは難しくなるでしょう。それでもトヨタは「我々のやり方が正しいのだ」とうぬぼれ続けるのでしょう。

 トヨタは現在参戦しているF1チームの中でも特に企業色の強いチームですから、社員のリストラのように「結果が出せない」「良いものが作れない」となったときに、その責任を外部のものに押しつけて、首脳陣はまったく責任を感じてはいないのでしょう。
 今回のガスコインの一件だけでなく、参戦2年目の2003年にも、参戦1年前から開発やテストに携わりチームに貢献してきたミカ・サロとアラン・マクニッシュの両ドライバーを、いともバッサリと切り捨ててしまいましたからねえ。入れ替わりで加入したクリスチアーノ・ダ・マッタとオリビエ・パニスも2004年シーズンを以てドライバーから外され、現在のラルフ・シューマッハとヤルノ・トゥルーリ体制になっています。これでは継続的なマシン開発などできるわけないですよね。

 F1で成功するには、フェラーリや数年前のマクラーレンのような、長いスパンを見据えた“継続性”が重要であると僕は思います。またマシン開発に関しても、経験に基づいた“確固たる方向性”が効率的な開発力に繋がっていくと考えます。ですからトヨタのように結果が出ないからといってコロコロと体制を節操なく変えてしまったり、いくつかの可能性の中から幅広く開発していくなどと悠長なことを言っているようでは、いつまで経ってもトップチームになどなれないわけですね。

 ちなみにガスコインの後任に関しては、技術部門全体の統括に関してパスカル・バセロンを充て、永島勉モータスポーツ部門マネージャーとのコンビで運営していく方針で、今のところ外部から新たな人材を招くことは考えていないそうです。
 TMGのジョン・ハウェット社長は「全体的には、パスカル・バセロンがガスコインの仕事を引き継ぐことになるが、彼がその後任のポジションという訳ではない。すでにわがチームはそうしたカリスマなしに、組織全体で作業が進むようなシステムになっているからね。ガスコインが去ったとしても、それで何かチームが大きく変わるということはない。」と語っています。

 いっそのこと、ドライバーも社員から起用してみてはいかが?



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 F1第4戦サンマリノグランプリ(決勝)
2006年04月24日(月)

 昨日の日曜日は、F1第4戦サンマリノグランプリの決勝が行われました。ポールポジションからスタートしたフェラーリのミハエル・シューマッハはスタートでトップを守り周回を重ねますが、1回目のピットストップの後ペースが落ち、4番手スタートから2位に順位を上げてきたルノーのフェルナンド・アロンソに追いつかれ、昨年のサンマリノグランプリとまったく逆の立場での接近戦を繰り広げました。

 両者は第2スティントで長い間テール・トゥ・ノーズのバトルを繰り広げていましたが、後ろのアロンソがタンクに燃料を残した状態で先に2度目のピットインに入り、シューマッハのピットインによって前に出る作戦に出ました。ところがシューマッハもすかさず翌周にピットインし、またアロンソのアウトラップがそれほど速くなかったため、シューマッハはピットクルーの手際の良さにも助けられてピットアウト後も見事にアロンソの前に出ることに成功。
 2度目のピットインでアロンソの前に出られたのは、シューマッハにとっては大きな価値がありました。ペースは明らかにアロンソの方が速かったのですが、フェラーリは直線では速かったのでアロンソもスリップストリームに入るまでにはいかず、しかもただでさえコース幅が狭く抜きにくいサーキットで相手は巧者シューマッハ。さすがのアロンソも最後までシューマッハをパスすることはできず、そのままシューマッハが最後までアロンソを抑えきり、昨年アメリカグランプリ以来久々の優勝を手にしました。

 シューマッハの走りも見事でしたが、今回はフェラーリのチームワークの素晴らしさを改めて見せつけられましたね。そもそもフェラーリはここ本拠地できっちりとマシンを仕上げ、そしてシューマッハもティフォシの期待にしっかり応えてポール・トゥ・ウィンという最高の結果を出したところに、フェラーリの底力を感じます。やはりティフォシの力は絶大なんでしょうねえ。フィアットのルカ・モンテツェモロ社長も来ていたので、フェラーリにとっては天覧試合のようなものですからね。シューマッハの2回目のピット作業があとコンマ5秒遅かったら、まず間違いなくアロンソに前を行かれていたことでしょう。シューマッハが昨年サンマリノでのリベンジを見事に果たしました。

 3位にはマクラーレン・メルセデスのモントーヤが入り、フェラーリのもう一台フェリペ・マッサが4位。ライコネン、ウェバーと続き、予選2番手だったバトンは7位、予選3位だったバリチェロは9位ポイント圏外に終わりました。

 先ほどフェラーリのチームワークの素晴らしさを述べましたが、逆にホンダのピット作業は最悪でしたね。14、15周目に、バリチェロ、バトンが相次いで最初のピットインに入りましたが、バリチェロは給油に手間取り、その後のバトンも右リアタイヤの装着に手間取り、2台とも大きくタイムロスして順位を落としてしまいます。さらに30周目、バトンの2度目のピットインでは、給油作業が完全に終わる前にロリーポップが上がってしまい、バトンはノズルがマシンに刺さったまま発進。いったん止まって再発進しましたが、ノズルがホースからちぎれてホース内に残っていた燃料が飛び散るという醜態をさらします。飛び散った燃料に引火したら火災を起こしてしまう危険なシーンでした。これでバトンは8番手に後退。

 何だかシロウト集団のようなピット作業でしたね。しかも1レースで3度もミス、そのうち1つは単純なミスでありながら非常に危険なミスと、プロのF1チームにあるまじき失態です。コース上で1秒差を縮めるのが非常に困難な現代のF1で、ピット作業のミスであっという間に何秒もタイムロスして順位をとしてしまうわけですから、必死にレースをしているドライバーはたまったもんじゃないですね。ホンダにはいい加減ピット作業ぐらいまともにこなせるようになって欲しいものです。速いマシンや壊れないエンジンを作ることよりも、よっぽど簡単なことだと思うんですけどねえ。

 そして我らがスーパーアグリですが、今回は何とスタート直後のビルヌーヴ・シケインで井出有治とミッドランドのクリスチャン・アルバースが接触。アルバースのマシンは大破してセーフティカーが導入されます。井出も接触のあと左フロントのサスペンションがダメージを受け、その後リアサスペンションにも問題が発生してリタイアに終わりました。
 井出は「シケインの立ち上がりでアルバースがレーシングラインにいて、彼のクルマを避けることができなかった」と接触時の状況を語っていましたが、追突されたアルバースは井出に対して怒りを露わにしていました。
 今回の井出くんは、ちょっと強引すぎましたねえ。スタートで前に出たかったのはわかりますが、あの状況でアルバースのインに入ろうとするのは無謀です。上空からの映像を見ても、明らかに前にいるアルバースのインには入り込む余地はありませんでしたからね。井出くんはアルバースを避けてアウト側に進路を取るか、減速して追突を避けるべきでしたね。いずれにしても今回の一件で、井出くんのチーム内での評価はさらに下がってしまうこととなってしまいました。

 一方の佐藤琢磨は最後尾ながら順調に周回を重ねていたのですが、レース終盤、中継カメラがシューマッハとアロンソの熾烈なトップ争いを追っている間に、いつの間にかスピンアウトを喫して人知れずリタイヤしていたようです。これでスーパーアグリはデビュー4戦目にして初めての2台リタイヤとなってしまいました。速さはないにしても、エンジンやマシンの信頼性は問題なかったようなので、琢磨も井出くんも不用意な接触やスピンによって完走を逃してしまったのが悔やまれますね。厳しい状況は今後もまだまだ続きそうです。



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 F1第4戦サンマリノグランプリ(予選)
2006年04月23日(日)

 昨日土曜日はF1第4戦サンマリノグランプリの予選が行われました。僕は昨日土曜日は藤沢で行われた結婚式に参列していたので、予選の模様は録画で観ました。

 さあ!来ましたねえミハエル・シューマッハ!1994年、アイルトン・セナがいなくなったサンマリノ・イモラの地で、ついにミハエル・シューマッハが最後の歴代最多記録、セナの持っていた最多ポールポジション記録を塗り替え、史上最多66回目のポールポジションを獲得しました。これでシューマッハは、史上最年少記録や史上最速記録などすでに記録更新不可能なものを除く、すべての史上最多記録を塗り替えたことになります。セナの思い出の地で、そしてフェラーリの本拠地できっちり結果を出してくるところが、やはりシューマッハのすごいところですね。

 さて、予選を順に振り返っていきましょう。まず6台が脱落する1次予選で脱落したのはスーパーアグリの井出有治と佐藤琢磨、ミッドランドのクリスチャン・アルバースとティアゴ・モンテイロ、トロロッソのスコット・スピード、そして残る1台はレッドブルのクリスチャン・クリエンでした。クリエンは終了直前にもアタックを試みましたが及ばず、途中でピットに戻り、17番手でトロロッソのビタントニオ・リウッツィよりも早く姿を消すこととなりました。

 続いて2次予選、トップチームが早々に好タイムをマークし、残り時間が少なくなっていく中、1分23秒後半のタイムを出してピットに戻っていたルノーのジャンカルロ・フィジケラは当確ラインぎりぎりの10番手でしたが、終了間際にウィリアムズのマーク・ウェバーが5番手に飛び込んできたため、地元のフィジケラが脱落する波乱の展開となりました。9番手のルーベンス・バリチェロと10番手のファン・パブロ・モントーヤが同タイムで1分23秒760とフィジケラからコンマ011秒の僅差だったため、新型エンジンで臨んだフィジケラには悔いが残ります。また、BMWザウバーの2台、ウィリアムズのニコ・ロズベルグ、レッドブルのデビッド・クルサード、トロロッソのビタントニオ・リウッツィが最終予選に進めませんでした。

 そしていよいよ最終予選。まず先陣を切ったのは地元フェラーリの2台でした。フェリペ・マッサとミハエル・シューマッハはワンツー態勢を築き、それぞれ自己ベストを更新しながら順調に周回を重ねていきます。そして残り時間が10分を切り、ジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロのホンダ2台がニュータイヤを装着してアタックを開始。またフェラーリの2台も同時にピットに戻り、同じくニュータイヤでコースに復帰。バトンが出したタイムをシューマッハが大幅に上回ります。

 予選終了まで5分、ここでルノーのフェルナンド・アロンソ、マクラーレンのキミ・ライコネンがタイヤ交換を行ない、1回のみのアタックを試みます。早くに動いていたフェラーリとホンダ勢は再びニュータイヤに履き替えて2度目のアタック。シューマッハが1分22秒795を叩き出しトップ。2番手に飛び込んだのは1分22秒988のバトン。チームメイトのバリチェロも1分23秒282で3番手。アロンソはタイムが伸びず5番手に終わり、シューマッハが故アイルトン・セナの記録を更新して史上最多66回目のポールポジションを獲得しました。

 というわけで、ミハエル・シューマッハがティフォシの前で嬉しいポールポジション、それにバトンとバリチェロのホンダ勢が続き、ディフェンディングチャンピオンでポイントリーダーのアロンソが4番手となりました。トヨタのラルフ・シューマッハを6番手に挟み、モントーヤとライコネンのマクラーレンが8位9位でした。

 今回ばかりはシューマッハが最後までトップでチェッカーを受けそうですね。昨年もここサンマリノでライバルより2秒以上速いペースで首位アロンソと壮絶な攻防戦を繰り広げましたからねえ。そしてここサンマリノはコース幅が狭く、非常に抜きにくいサーキットとして有名。明日の決勝スタートでシューマッハがトップを守ったまま1コーナーを抜けていったら、昨年アメリカグランプリ以来となるシューマッハの優勝は固いと思います。

 2番手3番手にはバトン、バリチェロが入りましたが、ホンダではちょっとシューマッハについていけないでしょうねえ。ホンダは決勝のペースがあまり良くないですからね。その後方にもう一人の優勝候補であるアロンソが控えていますが、ルノーはスタートダッシュに定評があるので、スタートであわよくばホンダの1台を食って3位に浮上できれば、何とか表彰台には登れるのではないでしょうか。ただ、2番手にバトンがいるので、バトンにフタをされている間にシューマッハがどんどん逃げていき、仮にアロンソがバトンを交わして2位に浮上したとしても、シューマッハを追撃するまでには至らないでしょうね。

 ただ、アロンソはここまで全戦で優勝2回を含む表彰台に登っているので、チャンピオンシップを考えれば直接のライバルであるライコネンとフィジケラが後方にいるので、今回は優勝できなくても問題はないでしょう。



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 緊急企画!まさみ結婚おめでとうスペシャル!
2006年04月22日(土)

 えー、BarM−NESTにも何度か顔を出したことがある、僕の3つ下の従妹まさみが、今日めでたく結婚式を挙げました。僕は父と共に挙式と披露宴に出席するため、朝から神奈川県藤沢市の式場に行って参りました。そこで今回は、まだ過去のVoiceが追いついておりませんが、タイムリーで結婚式の模様をお送りしたいと思います。新郎新婦の許可は得ているので、型落ち携帯のカメラで撮影した画像もお楽しみください。

 ちなみにVoiceは今日からタイムリーに進行し、現在未公開の過去のVoice(4月8日〜21日付分)も同時進行で追いかけて書いていきますのでご了承ください。過去のVoiceの多くはLPレビューになるので、興味のある方はそちらもお楽しみに。

 さて、今日は藤沢で執り行われるチャペルでの挙式に出席するため、午後1時半までに現地に行かなければならないということで、確実に間に合うよう電車で行きました。
 JR静岡駅から朝10時30分の東海道本線熱海行き電車に乗り、熱海で乗り換え、12時45分には会場まで歩いてすぐのJR藤沢駅に到着することができました。静岡から藤沢まで片道2100円、結構安かったです。


新郎のケンジ君と新婦のまさみ


上の2人が今日結婚式を挙げた新郎のケンジ君と新婦で僕の従妹にあたるまさみです。まさみは生まれた頃からよく遊んでいましたし、お互い兄弟がいなかったので、僕にとっては妹のような存在ですね。向こうはどう思っているかは謎ですが……。
 で、ケンジ君とは今年の正月にすでに会っていて色々話もしているのですが、見た目に違わぬさわやか好青年で、実際間近で見ると織田裕二に似ています。……と、まさみに言ったら、「目が悪いんじゃないの?」と言われました。ケンジ君はとても思いやりがありそうで、まさみのこともとても大事にしてくれているようなので、きっとまさみのことを幸せにしてくれることでしょう。

 さて、チャペルでの挙式は1時45分から始まりました。結婚式場の敷地内にあるチャペルは、頭上にイエス・キリストのステンドグラスがあしらわれ、とても神秘的で美しいチャペルでした。
 外国人の老牧師さんが進行役を務め、新郎のケンジ君が緊張した面持ちで待つ中、BGMと共にチャペルの扉が開き、まさみが美しい純白のウェディングドレスに身を包み、父親と腕を組みながらゆっくりとバージンロードを歩いてきました。
 まさみが祭壇の前で待つ新郎の元に辿り着くと、2人は手を取り合って客席に向かって一礼し、その後祭壇に向かいます。そして老神父の進行の元、こちらも外国人の女性ゴスペル歌手と共に、厳かなパイプオルガンの音色に乗せて「賛美歌312番」を歌いました。

 その後老牧師が祈祷、聖書(コリント前書13章)朗読、説教、制約、指輪の交換、結婚宣言と進行していくのですが、ここで個人的な疑問が一つ。僕はチャペルでの結婚式には何度か参列したことがありますが、なぜ大抵進行する牧師さんは外国人の方なんでしょうかねえ。いくら外国の宗教だとしても、日本にもキリスト教はあるわけで、別に日本人の牧師さんでも良いような気がするんですよね。だってもちろん外国人の牧師さん、外国人としては流ちょうな日本語ですが、それでも文字にすると全部カタカナで表現されそうな、いかにも外国人の方がしゃべる日本語ですから、ありがたい説教なども聞き取りづらいことがあるんですよね。

 まあ、やはり外国人の牧師さんの方が雰囲気出るからなのかな?

 結婚宣言が終わると、晴れて新郎のケンジ君とまさみは夫婦となり、それを祝福するため、一同で「聖歌85番」を歌いました。この「聖歌85番」は、あのベートーヴェンの代表作「第九(歓喜の唱)」に日本語の歌詞をつけたものでした。

 チャペルでの挙式が終わると、一同チャペルの外に出て、新郎新婦を送ります。一通り写真撮影会やブーケ投げをした後、新郎新婦は式場が用意したオープンカーに乗ってチャペルを後にするのですが、この挙式の後に行われる披露宴パーティは同じ敷地内の会場で行われるため、ま、オープンカーで一旦式場の外に出て、ぐるっと回ってまたすぐ裏に戻って来るというわけですな。昔は挙式が終わったら、そのままオープンカーで走り去ってしまうんですけどね。空き缶いっぱいクルマの後ろに引いてガランガラン言わせながら……。


僕にカメラを向けられておどけるケンジ君



オープンカー、ケンジ君が運転するんじゃないのか


 さて、その後すぐに披露宴会場で披露宴パーティが行われたのですが、何と言っても気になるのは、料理ですよね〜!(え?違う?)そんなわけで今回の結婚披露宴で出た料理は、豪華な海の幸をゼリーで寄せたブランマンジェとマリアージュ(キャビア入り)、ハンガリー産最高級フォアグラのステーキと焼きマンゴーのトリュフ飾り、柔らかな西洋葱と濃厚なバターソースで頂く伊勢エビのグラチネ、栃木産牛フィレ肉のポワレソース・トリュフ鎌倉行き野菜添え、サラダヴェール、そしてデザートはフロマージュムースのベリーフルーツ添えでした。他にクロワッサン、黒ごまクロワッサン、胡桃パンなど自家製焼きたてパン5種もありました。

 なななななんと!世界三大珍味のキャビア、フォアグラ、トリュフが一堂に会していましたぞ皆さん!4つめの珍味とんぶり(畑のキャビア)も出てくるかと思いましたが、さすがにそれは出てきませんでした。
 フォアグラは口の中でとろけるようにまろやかで、牛フィレ肉のトワレは噛む力をほとんど必要としないほど柔らかく、そして伊勢エビのグラチネはでかいエビの中に身がぎっしり詰まっていてとても食べ応えがありました!トリュフとキャビアは食べ終わった後にそれであることに気づきました。デザートは、僕は日本酒派なので本来あまり甘いものは食べないのですが、フロマームーシュは甘さ控えめで、一緒に添えられたベリーフルーツの酸っぱさと相まってとても爽やかな美味しさでした!


うーん、まさに美男美女カップル!



織田裕二似なのに名前はケンジ君



イマドキ「ピースサイン」はないだろう……


 さて、この披露宴パーティでは、新郎新婦の友人たちによる余興なども行われたのですが、新婦の友人一同による「てんとう虫のサンバ」の合唱では、新婦のまさみも混じって一緒になって振り付け付きで歌っていたので、ピンボケですが最後にその写真をご覧にいれましょう。


まさみのコスプレ


 えー、ざっと今日の結婚式を振り返ってきましたが、全体的にアットホームで、笑いあり涙ありのとても温かい雰囲気の結婚式だったと思います。ケンジ君&まさみちゃん、ご結婚おめでとう!これからも末永くお幸せに!



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 いわゆるジャズ、ジム・ホール
2006年04月12日(水)

 LPレビューも今回で4回目。今回も「CafeM−NEST」お薦めのLPをご紹介していきたいと思います。前3回はジャズのLPをご紹介してきましたが、今回もジャズです。それも非常にわかりやすいスタンダードなジャズです。


ジム・ホール「CONCIERT」
(1975)


 このLPは父が所有していたLPなのですが、幼い頃からこのLPジャケットを見るたびに、アステカ遺跡の石像と思われる印象的なブルーに吸い寄せられるような独特の存在感を感じていました。

 ジム・ホールは1930年12月4日にニューヨーク州バッファローで生まれ、幼少期はコロンバス(ニューヨーク州)とクリーブランド(オハイオ州)で過ごしました。 母はピアノ、祖母はバイオリン、伯父はギターを演奏し、小さい頃から音楽に親しんでいたようですが、10歳のクリスマスに母からギターをプレゼントされ、真剣にギターに取り組む様になります。

 13歳でクリーブランドの地元グループの一員として既にプロ活動を開始。チャーリー・クリスチャンの影響をかなり受けていたようです。ハイスクール卒業後はクリーブランド音楽院に進み、クラシックの作曲を学びますが、修士号課程の半ばにて退学し、ギタリストの道を志してロサンゼルスに移り住みました。ロスでは中古楽器店で働きながらクラシックギターを学び、25歳の時にチコ・ハミルトンに推薦されてチコのバンドに1年半在籍します。これがジャズギタリストジム・ホールの誕生でした。
 27歳でジミー・ジェフリーのトリオに参加し、ベースレスの変態的編成に到達。そして初リーダーアルバムを録音します。その後は南米公演などに参加し、活動拠点を西海岸から東海岸に移してからはソニー・ローリンズにバンドへの参加を要請され、彼の方法論に影響を受けます。1960年から65年まではツアーやレコーディングを積極的にこなし、尋常でないほどのアルバムに参加しました。

 こうして彼の才能は急速にジャズ関係者や世界中のジャズファンの間に知れ渡り、以降精力的にライブやレコードリリースを続け、様々な賞を受賞し、超一流のジャズギタリストとしての名声を得ます。75歳になった現在も現役で活躍しており、今もなお素晴らしい才能を発揮し続けています。

 さて、今回ご紹介するアルバム「CONCIERT」は、1975年にリリースされたもので、ジャズレコード史上空前のヒット作で、世界的に大ブレークしたそうです。ジム・ホールはこのアルバムの成功をきっかけに、次々と新録音に取り込み人気アーティストとなりました。
 収録曲は「YOU'D BE SO NICE HOME TO」「TWO'S BLUES」「THE ANSWER IS YES」「CONCIERT DE ARANJUEZ」の4曲。参加アーティストはジム・ホール(ギター)、ローランド・ハナ(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、スティーヴ・ガッド(ドラムス)、チェット・ベイカー(トランペット)、ポール・デスモンド(アルトサックス)の6人。

 1曲目の「YOU'D BE SO NICE HOME TO」は、1943年にコール・ポーターが映画音楽として作詞作曲したジャズ・ヴォーカル屈指の名曲で ヘレン・メリルの「♪ユッビッソ〜」というミディアム・テンポに乗ったスインギングでハスキーなヴォーカルで、日本のジャズファンならずともCMにも登場しているとても有名な曲です。しかしジム・ホールの「CONCIERT」では、主旋律をジム・ホールのギターが奏でて、かなりハイテンポなスウィングジャズとしてアレンジされたインストゥルメンタルバージョンで収録されています。

 A面に収録されている「YOU'D BE SO NICE HOME TO」「TWO'S BLUES」「THE ANSWER IS YES」は、今回の題名にあるように、“いわゆるジャズ”と言える、僕的には非常に聴き慣れたジャズであり、渋くてカッコイイのは分かり切っているので、安心して聴くことができます。
 “いわゆるジャズ”といわれてもぴんと来ない方のために、敢えて擬音を駆使してわかりやすく説明するならば、ドラムスが軽快にツーツクツーツクとハイハットを鳴らしながらスネアをドゥラタタ〜ンと軽快に振動させる中、ウッドベースがボンボンボンボンと規則正しいベースラインを辿り、ジム・ホールのクラシックギターのナイロンの弦がマイルドなトゥルットゥットゥ〜という主旋律を奏で、そこにピアノのポロンポンポ〜ンという単音がからみ、さらにサックスのファファ〜ファファ〜ンという音色とトランペットのパラッパッパ〜という音色が割り込んで来るという、おそらく多くの日本人がジャズと聞いて連想するであろうポピュラーな演奏であるということです。

 しかも展開も実に典型的で、ドラムスとベースがビートを刻む中で、まずはギターがリードを取り、途中でピアノのソロが入り、次にサックスのソロになり、続いてトランペット、さらにはベース、そして最後はドラムスのソロと交代でソロパートをこなし、再び全パートで合奏するという、それぞれのパートの聴かせどころをちゃんと用意しているのです。日本の学生さんが結成しているジャズ研究会や、日本のジャズ喫茶などで演奏されるジャズ演奏の多くはこのアルバムの影響を受けているのではないかと思われるほど、とても親しみが持てるジャズだと思います。

 さて、レコード盤をひっくり返してB面の「CONCIERT DE ARANJUEZ」、日本では「アランフェス協奏曲」として知られているようですが、この曲はB面全面を占めているのですが、A面の3曲とはガラリと印象が変わります。最初のギターのイントロは「必殺!仕事人」の「♪パラパ〜パ〜ラッパ〜パラパラ〜パラパ〜」というあのメロディに非常に酷似したメロディが流れ、サックスもトランペットもベースもそのメロディをイントロで奏でるものですから、「必殺!仕事人」はこの曲をパクったのではないかと思ってしまうほどです。「必殺!仕事人」に比べてかなり音程は低いですけどね。雰囲気的には「キル・ビル」に流れてきそうな雰囲気の、荒野の乾いた砂埃の中での決闘シーンなどがしっくりきそうなイントロです。
 そのイントロの後、普通にミドルテンポのドラムが始まり、曲はしっとりとしたバラード調に展開していきます。全体的にとても哀愁を帯びています。

 僕個人的には、ジャズを初めて聴く人にはこのアルバムをお薦めしたいですね。過去3回でご紹介したチック・コリア、MJQ、ウェザーリポートはいずれも、ジャズの中ではかなりコアであまりにもレベルが高すぎるので、まずはジム・ホールの典型的なジャズでジャジーな雰囲気を満喫して耳を慣らし、それから徐々にコアな世界に踏み込んだ方がいいような気がします。そう言う意味でこのアルバムは、ジャズの入門編としては最適の1枚だと思います。

 ジム・ホール「CONCIERT」をお送りしました。



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 集団即興の境地、ウェザーリポート
2006年04月11日(火)

 ここ2日ほど70年代のレコードレビューをお送りしてきましたが、今回も引き続き、LPレビューをお送りいたします。3回目の今回お送りするLPはこちら。


ウェザーリポート「I SING THE BODY ELECTRIC」
(1972)


 ウェザーリポートと言っても“天気予報”のことではなく、かのジャズサックスプレイヤー、ウェイン・ショーターが巨匠マイルス・デイビスのバンドを脱退した後に、ジョー・ザヴィヌル(キーボード)、ミロスラフ・ヴィトウス(ベース)、アルフォンゾ・ムザーン(ドラムス)とともに集団即興をコンセプトとして1971年に結成したバンドのこと。

 70年代に突入したジャズシーンを震撼させるグループが、この年の瀬に結成されました。ナショナリティも肌の色もまったく異なる4人によって結成されたこのグループは、ある意味で時代の要請が作り出した必然のグループだったと言われています。エレクトリック・イクイップメントを味方につけたウェザーリポートは、以後1985年の解散まで様々な変遷を続けながらもジャズ=フュージョン界を疾走しました。
 このウェザーリポートは、デビュー当時はショーター、ザヴィヌル、ヴィトウスの3人でしたが、単純にウェイン・ショーターのレギュラーバンドというイメージが強かったようです。「ウェザーリポート」というバンド名もショーターがつけたもので、バンドのスタイルである集団即興という手法もショーター自身が追求していったもので、デビューアルバムの「ウェザーリポート」では3人の個性がバラバラに表現されていてまとまりなかったと言われています。
 しかし、今回ご紹介する彼らの2枚目のアルバム「I SING THE BODY ELECTRIC」で、この3人の個性が融合したバンド・サウンドが確立されたと言われています。

 僕はこのウェザーリポートというバンドを、今回レコードを譲り受けるまでは名前しか知りませんでした。しかしこのバンドのメンバーはそれぞれがジャズ界のスターたちで、ウェイン・ショーターは言うに及ばず、ジョー・ザヴィヌルはマイルス・デイビスに見いだされ、ミロスラフ・ヴィトウスはハービー・マン、チック・コリア、ラリー・コリエルらと共演し、ムザーンはバート・バカラック、ロバータ・フラックらと共演しロイ・エアーズとの演奏も有名です。このジャズ界の実力者4人が“集団即興”という新たな手法を追求して新しいバンドを結成したということが、どれだけセンセーショナルなことであったかということは、想像に難くありません。

 では、実際にこのウェザーリポートの「I SING THE BODY ELECTRIC」を聴いた感想を書いていくことにしましょう。例によって僕は初めて聴くサウンドなので、ライナーノーツなどのサウンドに関する予備知識はまったくない状態での感想です。

 収録曲は「UNKNOWN SOLDIER」、「THE MOORS」、「CRYSTAL」、「SECOND SUNDAY IN AUGUST」、「VERTICAL INVADER」「T.H.」「DR.HONORIS CAUSA」「SURUCUCU」「DIRECTORS」の9曲。その始まりである「UNKNOWN SOLDIER」は、無名戦士という題名にふさわしく、軍隊マーチのようなスネアのロールや細かく刻まれるハイハットの中で、ショーターのテナーサックス、ヴィトウスのベース、ザヴィヌルのエレクトリックピアノが無秩序に絡み合い、がむしゃらにもがき苦しむような様が表現されていました。特に非常に速いテンポのシンバルのリズムが、曲に緊張感を与えています。先述のように集団即興の手法が取り入れられているため、3つのパートはそれぞれ自分たちの個性をぶつけているようでしたが、そこには不思議と調和があり、バランスよくかみ合うことで曲全体としては非常にまとまっており、しっかりと1つの音楽としてまとまっていました。

 2曲目以降も基本的には同じ手法によって展開され、即興でとりあえずそれぞれが演奏してセッションし、各曲が出来上がった後にその完成品を聴き直して、曲の雰囲気に合った題名を後付でつけているんじゃないかと思ってしまうほど、すべての曲が抽象的で調の概念は皆無でした。その代わり、2度と同じ演奏は再現できないような曲が続き、独特のライブ感と、その中に不思議な一体感が存在していました。
 各曲の題名も“無名戦士”“荒野”“クリスタル”と漠然としたものが多く、きっとそうした曖昧なテーマの中でおのおのが感じたイメージを音で表現して、それが一体感を生み出しているのではないかと思いました。

 アルバム全体を通して、ウェザーリポートのアンサンブルは独特の雰囲気を持っていると言うことがわかりました。即興音楽となると大抵共通する、全体的に不安感を与える雰囲気はあるものの、その中に非常に幻想的な世界観があり、それそれのパートが個性を遺憾なくぶつけ合っているので、とても躍動感があり活き活きとしたサウンドに仕上がっています。
 そしてその中でも特に強烈に印象づけられるのは、やはりウェイン・ショーターの印象的なテナーサックス、ソプラノサックスの響きでした。彼のサックスの音色は、他のパートが低音部で細かいビートを刻みながら展開していく中で、とても高く美しく、そして伸び伸びと曲の中に入り込み、一筋の光のような存在感を放っていました。

 このアルバムに合いそうなシチュエーションは、まったく思いつきませんね。お酒を飲みながらとか、コーヒーを飲みながらとか、雨が降る日にとかよく晴れた日にとか、そういったありきたりのシチュエーションは、このアルバムにはまったくふさわしくないと言ってもいいでしょう。ただこのアルバムを聴くことだけに集中する、このアルバムはそういうアルバムです。



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 大人のムード、モダン・ジャズ・カルテット
2006年04月10日(月)

 今回も昨日に引き続き、「CafeM−NEST」お薦めのLPレビューをお送りしたいと思います。今回ご紹介するのはこちら。


モダン・ジャズ・カルテット「The Last Concert」
(1974)


 1946年にミルト・ジャクソン(バイブラフォン)がジョン・ルイス(ピアノ)、レイ・ブラウン(ウッドベース)、ケニー・クラーク(ドラムス)とカルテットを結成。52年の末にブラウンの後任としてパーシー・ヒース(ウッドベース)が参加し、正式にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)と名称を変更します。55年にクラークの後任としてコニー・ケイ(ドラムス)が加わり、74年まで活動しました。その後何度か再結成されましたが、94年にコニー・ケイが他界し正式解散。室内楽風ジャズとして未だにクラシック・ファンに根強い人気を誇るグループです。

 彼らは40年にも渡ってアンサンブルを演奏するなかで、一度もレギュラーメンバーにホーンプレーヤーを入れることなく、クラシックに影響をうけた作曲を通して、テーマを発展させることに集中しました。また「ジャンゴ」や「バグス・グルーブ」など幾つかの代表的なジャズ・スタンダード・ナンバーも彼らの手によるものです。ちなみにバグスとは、ビ・バップのスタイルをバイブラフォンに取り入れたミルト・ジャクソンのニックネーム。
 しかし、グループ内のコンセプトを仕切るのは、もっぱらピアニスト兼アレンジャーそしてリーダーでもあるジョン・ルイスの仕事でした。もともとヨーロッパ室内音楽を学んでいたルイスは、アレンジの際、クラッシック音楽における対位法やフーガとジャズ特有のインプロヴィゼーションをミックスさせることを試み、J・S・バッハ作品のカバーアルバムもリリースしているほどです。多くのクラッシック作曲家同様、ルイスも古典劇の音楽制作に積極的で、コンメディアデラルテ(イタリアの古典即興喜劇)の曲も制作したことがあります。

 さて、今回ご紹介するアルバムは、1974年11月25日にニューヨークのリンカーン・センターにあるアベリー・フィッシャーホールにおいて、20年以上に渡って数あるジャズグループの王座に君臨してきた不朽の名バンド「MJQ」がおこなった、ラストコンサートの模様を収録したライブアルバムです。
 で、このアルバムはラストコンサートを収録しただけあって、曲数は2枚組で14曲にも及び、そのすべての曲をご紹介するとあまりにも膨大な量になってしまうので、収録曲の曲名だけをご紹介し、アルバム全体を通して聴いた感想を書きたいと思います。ちなみに僕はこのMJQの存在は名前だけ知っていましたが、実際にそのサウンドを聴くのは今回が初めてです。なので今回もまったく先入観や曲に関する情報概念のない状態で感想を書きます。
 収録曲は「朝日のようにさわやかに」「シリンダー」「サマータイム」「トラヴェリン」「Aマイナーのブルース」「ひとしれず」「バグズ・グルーヴ」「コンファメイション」「ラウンド・ミッドナイト」「チュニジアの夜」「ゴールデン・ストライカー」「スケイティング・イン・セントラルパーク」「ジャンゴ」「ホワッツ・ニュー」。

 前述のように、このMJQのバンド編成はバイブラフォン(鉄琴)、ピアノ、ウッドベース、ドラムスの4人編成で、トランペットやサックスといったホーンプレイヤーがいません。そのため全体的な曲の展開はすべてドラムのリズムにウッドベースのベースラインが乗り、さらにその上にバイブラフォンとピアノの旋律が重なっていくという演奏で統一されています。ですからスタンダードジャズというよりはむしろクラシックジャズで、このアルバム自体は1974年に演奏され収録されたものですが、時代的には50年代〜60年代当時のオーソドックスなジャズと言えるでしょう。

 おそらく現代の20〜30代の世代がこのアルバムを聴いたら、多くの人が退屈さを覚えるのではないでしょうか。それほどこのMJQの演奏は、シンプルでオーソドックスなのです。演奏方法も昨日ご紹介したチック・コリアの目にもとまらぬ速さで流れるように弾き回す天才的な演奏法とは違い、非常にシンプルな演奏法は古めかしさを感じずにはいられません。

 しかし、そもそもジャズというのは演奏テクニックの競い合いだけでなく、そこには独特の世界が存在するわけで、特にMJQは50年代から解散した74年までアメリカで愛され続けたグループであるため、彼らがジャズシーンに与えた影響は非常に大きく、50〜60年代アメリカを強烈に印象づける雰囲気を持っているのは事実です。
 僕が生まれたのはこのアルバムがリリースされた翌年の1975年ですから、当然50〜60年代のアメリカなど知るはずもないのですが、その当時の映画、もしくはその当時を時代背景とした映画は何作か観ているので、その当時のレトロな雰囲気は何となくイメージできます。このアルバムを聴くと、アメリカ人でもないのに、不思議とそんな古き良きレトロ・アメリカの映画の世界に入り込んでしまったような、ノスタルジックな感覚を覚えます。しかも聴いている音はCDではなくレコード盤ですから、時折聞こえるレコード独特の「ボツッ、ボツッ」というかすかなノイズが、さらにレトロ感を強調してくれます。

 バーボンを片手に、大人のムードを楽しみながら聴くアルバムですね。

 モダン・ジャズ・カルテット「The Last Concert」でした。



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 チック・コリア不朽の名作
2006年04月09日(日)

 さあ皆さん!レコードプレイヤー導入に伴って70年代の名盤ジャズLPをたくさんいただいたので、今回から不定期で、昨日お伝えした「CafeM−NEST」のお薦めLPのレビューをお送りしていこうと思っています。その記念すべき第1回目の今日皆さんにご紹介するLPは、こちらです!


チック・コリア・クインテット「return to forever」
(1972)


 まずはチック・コリアの基本情報から。チック・コリア(本名:アルマンド・アンソニー・コリア)は1941年6月12日にアメリカ・マサチューセッツ州チェルシーにて生まれ、4歳からピアノを習い始めます。高校を卒業後、ニューヨークにあるジュリアード音楽院に進学し、その後20歳前半からかのジャズ界の巨匠マイルス・デイヴィスなどと共演し、ミュージシャンとしてのキャリアを深めていきます。

 1971年にギタリストのアル・ディメオラ、ベーシストのスタンリー・クラークらとクロス・オーバー・ジャズのバンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーを立ち上げます。革新的な音楽性と卓越した演奏技術に裏打ちされたこのバンドは数々の珠玉の名曲たちを生み出し、トップアーティストとしての地位を確立します。中でも「Light As A Feather」に収録されている「Spain」は現在でも他の演奏家にプレイされ続ける、ジャズの、また彼自身の代表曲です。(ウィキペディアより抜粋)

 で、この「リターン・トゥ・フォーエヴァー」というアルバムは、1972年度ジャズディスク大賞の金賞を受賞した不朽の名盤と言われ、「リターン・トゥ・フォーエヴァー」「クリスタル・サイレンス」「ホワット・ゲイム・シャル・ウィ・フレイ・トゥデイ」「サムタイム・アゴー・ラ・フィエスタ」の4曲を収録しています。バンド構成はチック・コリア(エレクトリックピアノ)、フローラ・ピュリム(ヴォーカル、パーカッション)、ジョー・ファレル(フルート、ソプラノサックス)、スタン・クラーラ(エレクトリックベース、ウッドベース)、アイアトー・モレイラ(ドラムス、パーカッション)の5人。

 チック・コリアは僕も90年代以降のアルバムはCDで持っていますが、はっきり言ってこの頃のチック・コリアの音楽はまったく聴いたことがなく、今回初めて聴きます。その上で、余計な先入観を一切排除して僕が耳にしたままの率直な感想を書いていくことにします。

 まず1曲目の「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は、静かで、それでいて少し不安な雰囲気を連想させるサスペンスチックなエレクトリックピアノで始まり、そこに透明感のあるフローラ・ピュリムの美しいソプラノが重なり、さらにジョー・ファレルのフルートがユニゾンで重なっていきます。
 その後アイアトー・モレイラのミドルテンポのドラムが始まり、さらにスタン・クラーラのウッドベースも加わり、チック・コリアのエレクトリックピアノの伴奏に乗せ、ピュリムの美声とファレルのフルートの音色が主旋律をなぞっていきます。
 全体的な作りとして、ピュリムの美しいハミングの響きがファレルのフルートと共にメインでフィーチャーされ、エレピ、ドラム、そしてベースは抑え気味で展開していくのですが、やはりその途中で入り込んでくるチック・コリアの魔法の両手から生み出される、滑らかに流れるようなピアノソロは、およそ人間が引いているとは思えないほどの速さで奏でられ、そのテクニックの高さに驚かされます。

 2曲目の「クリスタル・サイレンス」は一転して非常にスローペースで、静かでゆったりとしたピアノのイントロに、ファレルのソプラノサックスが高らかにシブい主旋律を奏でていきます。そのピアノとソプラノサックスだけの中に、時折グラスが交わるような美しいクリスタル音がさりげなく鳴り響き、幻想的な世界を演出しています。太陽できらびやかに光り輝くさざ波が美しい真夏の海岸を見下ろす、涼しげな地中海の白い世界を連想します。

 3曲目の「ホワット・ゲイム・シャル・ウィ・フレイ・トゥデイ」はこれまた一転して、ポップなボサノヴァ調の軽快なリズムに乗せ、ピュリムの楽しげでそれでいて優しい歌声が魅力的な曲です。チック・コリアのエレピが全体を通してバックを包んでいますが、この曲ではチック・コリアは脇役に徹していて、むしろピュリムの歌声と輪唱するかのようなファレルのフルートのメロディがとても可愛らしいです。よく晴れた日曜の昼下がりに買い物に出かけ、店のショーウィンドウに飾られた服やバッグを眺めているような、わくわくした気持ちを連想しますね。

 ここでレコード盤をひっくり返して、B面4曲目の「サムタイム・アゴー・ラ・フィエスタ」。B面はこの1曲だけが最後まで続きます。題名の中の「ラ・フィエスタ」は“お祭り”という意味ですが、イントロは非常に静かなエレピで始まり、パーカッションが効果的に不規則に鳴り響きます。そのうちクラーラのウッドベースもソロで加わってくるのですが、どちらかというとアドリブのようなグルーヴ感があり、ポスト・モダンな無調音楽を連想します。ウッドベースはやがてスペインのフラメンコに似た旋律に変わり、しばらくの間ウッドベースのソロが続きます。

 いわゆるリオのカーニバルや日本のねぶた祭りなどのような華やかで賑やかなお祭りと言うよりは、もっとしめやかで厳かな、崇高で原始的なお祭りを連想するような曲ですね。ただ、これこそがチック・コリアの真骨頂であるといえる独特の世界観を持つアドリブ感が、実に心地よく頭の中に浸透してきて、その不規則で不安定な旋律が精神を速やかに現実世界から引き離していくような、不思議なトリップ感を味わうことができます。

 その後曲は規則正しいベースラインとドラムのボサノヴァのリズムに牽引され、調もメジャーコードに変化し、爽やかなピュリムの歌声に変わります。ヴォーカルにほどよくかかるフルートの音色もすがすがしく、スペインの小さな村の広場で、太陽と青空の下、美しい女性が軽快なステップを踏みながら軽やかに踊る姿を連想します。
 最後はもろフラメンコ調のカスタネットがカタカタカタと打ち鳴らされ、テンポも一気に上がりエレピ、ベース、ドラム、そしてサックスが絡み合い、一気にクライマックスへと向かっていきます。アルバムのエンディングに向けて最後の盛り上がりを見せ、曲はハイテンポで展開され、サックスが大取のアドリブを激しく奏で、チック・コリアのエレピと見事な掛け合いを見せながら終わっていきます。

 アルバム全体を通してみると、随所にチック・コリアの天才的なテクニックが垣間見られて、まさに傑作といえるアルバムだと思います。テンポのアップダウンはあるものの、バンドの構成がシンプルだけに全体的に静かな音色なので、イージーリスニングとしても最適だと思います。ただ、イージーリスニングにはあまりにももったいないほどハイレベルで最高級の演奏が最初から最後まで続くので、できればじっくりとチック・コリアのテクニックに酔いしれて欲しいですね。
 一応ジャズにカテゴライズされているアルバムではありますが、純粋なジャズと言うよりはジャズとボサノヴァの融合と言った方が正しいかもしれません。夜に聴くよりは、昼間聴いた方が心地いいような気もします。夏のよく晴れた日に聴くと、清々しい清涼感を味わえること請け合いです。

 チック・コリア・クインテット「return to forever」でした。



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 Cafe M-NEST
2006年04月08日(土)

 一昨日、我が家にレコードプレイヤーなどのサウンドシステムが入ったというお話をしましたが、その話を友達などにしたら、みんなとても興味を持って「是非聴きに行きたい」と言っていたので、我が家で「CafeM−NEST」と称してジャズ鑑賞会を定期的に開くことにしました。
 ちなみに「M−NEST」というのは単なるこのHPの名前ではなく、HPを開設する前から使用していた僕の音楽スタジオの名前でして、音楽の仕事はすべて「M−NEST」名義でしています。

 「CafeM−NEST」といっても特に料金を頂くわけではなく、友達などを呼んで、我が家自慢のマインドのフレンチブレンドコーヒーを出して、それを飲みながらレコードのジャズを楽しむというものです。まあ別にコーヒーじゃなくても、それこそお酒を出して「BarM−NEST」でもいいんですけどね。それに、別にジャンルもジャズだけでなく、今後はジャズ以外のジャンルも取り揃えていき、一昨日ご紹介した実家から持ってきたジャズ以外のLPをかけたり、お互い自分が所有しているLPを持ち寄ったりして再生したりと、まあレコードの音を楽しもうというものですな。


ゆったりとしたダイニングエリア


 本邦初公開!これが昨年8月から住んでいるMakoの新居のダイニング部分です。右側には大きなオードリー・ヘップバーンのポスター、そして左側にはぽよぎが座っているのがおわかりいただけると思います。オクにある観葉植物はパキラの大きな鉢なのですが、今日はちょっと元気がないようです。夜は間接照明とテーブルの上のアロマキャンドルで、Barのような雰囲気も演出します。

 LPは現時点でもけっこう枚数が揃っているので、僕が定期的にセレクトしたLP数枚を廊下に並べて展示するようにしています。LPってCDと違ってジャケットが大きいので、それ自体がすでにアートになっていて、普通に壁に立て掛けておくだけでもインテリアとして成り立っちゃうんですよね!


廊下にズラリと並べられたLP


 ちなみに、「CafeM−NEST」ではマインドのフレンチブレンドコーヒーと、その豆を使用したカフェラテ、カプチーノ、さらにダージリンティ、アールグレー、やぶきた茶(緑茶)なども取り揃えております。静岡にお立ち寄りの際は、是非ご一報を。「CafeM−NEST」が極上の音楽時間にあなたをいざないますぞ。



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 馬鹿げたPSE法
2006年04月07日(金)

 昨日はあるお方からレコードプレイヤーなどを譲り受けたというお話をしましたが、そもそも僕が譲り受けることになったのは、その方が改築に伴いいらなくなったものや使わなくなったものを処分するという経緯からでした。

 本当はリサイクルショップなどに持っていって引き取ってもらうつもりだったようなのですが、今月1日から施行された「電気用品安全法」、俗に言う「PSE法」によって、PSEマークがついていない、2001年より前に製造された電気製品などの販売が禁止されてしまったので、リサイクルショップで引き取ってもらえなくなってしまったんですね。
 で、引き取ってもらえないのであれば、そのまま放置して解体取り壊しの際に一緒に壊されてしまう運命だったのですが、それではあまりにももったいないということで、僕が喜んで譲り受けることになったというわけです。だってまったくどこも壊れていないし、非常にきれいな状態ですし、何と言っても非常に高価な代物ですからねえ。天下のパイオニア製ですぞ!

 しかし……このPSE法、馬鹿げてますねえ。この法律に対して、坂本龍一氏ら電子楽器を駆使する音楽家ら120人で構成する「日本シンセサイザー・プログラマー協会」が、対象機器の緩和を求めて抗議していますよね。
 この法律に基づき、シンセサイザーなどを含め過去に製造された電気製品の販売が4月以降は禁止されるわけですが、音色にひかれて過去の電子楽器を好んで使うアーティストは多く、こうした機器は中古市場で入手する場合がほとんどなんですよね。しかしこの法律が本格施行された今、個人間の売買を除いて過去の機器を販売できなくなるため、同協会は「専門機器を支える中古機器販売、下取り市場も閉鎖せざるを得ない状況になってしまい、これからの日本の音楽と芸術文化の発展に大きな支障をきたすことになる」と危惧しています。

 僕が今回譲り受けたレコードプレイヤーやその他のサウンドシステムも、状態は非常に良く、まったく問題なく素晴らしい音を表現できるのですが、馬鹿げたPSE法によって販売できなくなってしまったんですよね〜。リサイクルショップなどに在庫としてあるPSE法にひっかかる対象商品は、どうなってしまうんでしょうか。やはり売り物にならないと言うことで、引き取り手がなければ壊されてしまうんでしょうか。もったいないですねえ。

 PSE法の目的は、その第1条によると「電気用品の製造、販売等を規制するとともに、電気用品の安全性の確保につき民間事業者の自主的な活動を促進することにより、電気用品による危険及び障害の発生を防止すること」だそうですが、だからって2001年以前というのは、あまりにも新しすぎます!それに、本当に危険だと思われる昔の電気用品などそう多いわけでもないですし、規制対象の電気用品の中には「名機」と呼ばれる、未だに愛されてやまない素晴らしい機械もたくさん存在しているんですよね。しかも多くの優良なリサイクル業者は「使えるものは使えるまで使おう」という考えに基づいて中古品を販売しているわけで、ものを大切にすることや、省エネルギーにも繋がってくるわけですから、それが禁止されてしまい、なおかつ多くの在庫品が売り物にならなくなってしまったわけですから、大打撃ですよね。

 僕もリサイクルショップなどでたまに見かける、昔の名機と呼ばれたシンセサイザーやその他の電子音楽機器を物色するのがとても好きだったのですが、今後それらの名機が陳列されなくなってしまうのは、非常に残念でなりませんね。今後この法律が改正されて緩和されることを期待しましょう。

 でも、ある意味このPSE法には感謝もしてるんですよ。だって、この法律のおかげで、素晴らしいレコードプレイヤーなどの高価なサウンドシステムをただで手に入れることができたんですから。ぐふふ。



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 レコードプレイヤーを譲り受ける
2006年04月06日(木)

 実はあるお方から、レコードプレイヤーを譲り受けました。他にも、かなり高価なアンプや大型スピーカーなどのサウンドシステム類も頂いたのですが、中でもレコードプレイヤーが、非常に魅力的な一品です。

 実はうちの実家にも、両親が昔買ったLP(ってわかりますよね?レコード盤のことですよ!)が何枚かあるのですが、すでに実家にレコードプレイヤーはなく、ずっと棚の中で何十年も静かに眠り続けていたんですよね。その中にはABBA、クインシー・ジョーンズ、ジム・ホール、リッキー・リー・ジョーンズ、カロヤンが指揮するモーツァルトの「ジュピター」、ラロ・シフリン、サンタナ、スティクス、ポール・デスモンド、そして僕が小学生の頃せがんで買ってもらった「E.T.」のサントラ盤など、僕の興味を刺激する名盤ばかりあるんですよね。さらに、別の方からも60〜70年代のジャズの名盤を大量に頂けることになっているのですよ〜!もうウハウハでよだれが出ちゃいます!

 今日はレコードプレイヤーを我が家のサウンドシステムに組み込むため、サウンドシステムを収納しているメタルラックの棚段を2枚買ってきて段数を増やし、レコードプレイヤーをアンプに接続し、巨大なスピーカーからレコードの音が出るようにセッティングしました。
 で、とりあえず実家から持ってきたLPの中から、ABBAの「ヴーレ・ヴー」というアルバムを視聴してみることにしました。


ABBA「Voulez Vous」(1979)


 まずはLPジャケットのビニールカバーを外し、厚紙でできたLPジャケットの中から、さらにビニールに入ったLPをおそるおそる取り出し、レコード専用クリーナー(エチケットブラシみたいなものです)で表面のホコリを取り除きます。その後レコードプレイヤーのキャノピーを開け、慣れない手つきでターンテーブルにLPをセットし、キャノピーを閉め、最初はアンプのボリュームを少し小さめにした状態で再生ボタンをぽちっとな!

 LP独特のかすかな「ポツッポツッ……」というレトロなノイズの後に、出たぞ1曲目の「AS GOOD AS NEW」!今や夫婦2組とも離婚して解散してしまったABBAの4人が、元祖スウェーデニッシュポップスの今なお廃れることのない洗練されたリズムに乗って、美しいハーモニーを響かせているではありませんか!
 このアルバム、実はCDでも持っているのですが、レコードで聴く「ヴーレ・ヴー」のサウンドは、また違った雰囲気があります。CDに比べて非常にマイルドで柔らかく、暖かく優しい音でしたね。

 自分の家でレコードが聴けることに感動した僕は、部屋の明かりを間接照明にし、ガラステーブルの上にアロマキャンドルを灯し、マインドのフレンチブレンドコーヒーを飲みながら、ソファーにゆったりと腰を下ろして、しばらくの間極上の時間を過ごしました。
 何だか普段は仕事で音楽を作るとき以外は、音楽を聴くのは何かをしながらだったりクルマの中で聴くぐらいで、音楽を聴くためだけの時間ってなかなかなかったんですよね。皆さんもそうじゃありませんか?何だか久しぶりに音楽だけを楽しむ贅沢なひとときを過ごしたように思います。

 レコード!最高です!たくさん頂けるジャズのLPも楽しみです!



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 トヨタ、マイク・ガスコインを更迭!
2006年04月05日(水)

 F1から驚くべきニュースが入ってきました。何とトヨタのマシンデザインを担当したテクニカルディレクター、マイク・ガスコインが、チーム不振の責任を問われ更迭されたそうです。

 マイク・ガスコインは、1989年にマクラーレンの空力スペシャリストとしてF1界にデビューし、2年間従事しました。91年からシャシー技術者としてティレルに加入し、同年ザウバーに移籍し空力チーフとして開発を行います。94年には副テクニカルディレクターとしてティレルへ復帰し、98年にチームが崩壊するまで活躍しました。
 98年にジョーダンチームへテクニカルディレクターとして移籍し、99年は2勝、6回の表彰台獲得によってコンストラクターズ選手権3位に入るという、ジョーダンチームにとって最も成功を収めたシーズンを共にしました。2001年にベネトン(現ルノー)にテクニカルディレクターとして加わり、2003年にはルノーと名を変えた英仏合同チームをハンガリーグランプリでデビューウィンへと導きます。
 その後マイク・ガスコインは2003年12月から、トヨタのシャシー部門テクニカルディレクターとして新たなキャリアを始めることとなったのでした。

 マイク・ガスコインの名を一気に高めたのは、いずれも中堅チームだったジョーダン時代(1999〜2000)とルノー時代(2001〜2003)で、それぞれの時代で勝てるマシンを手がけ、その成功によって今やエイドリアン・ニューウェイ(マクラーレン)やジョン・バーナード(フェラーリ)と並ぶ名デザイナーとして知られ、その実力を買われて2003年の12月からトヨタに引き抜かれることとなりました。しかし、その時点ですでに2004年シーズンのマシン開発は前任のデザイナーによって進められており、実質的に彼のデザインが反映されたトヨタのマシンは、昨年型のTF105からでした。

 トヨタは2002年に、世界の自動車業界の巨人として鳴り物入りでF1にデビューしましたが、その初年度に獲得したポイントはわずか2ポイント、決勝最高位もミカ・サロが2回記録した6位と散々たるものでした。翌2003年には合計16ポイントを獲得するも予選最高位は5位にとどまり、2004年は5ポイントしか獲得できず予選最高位も前年と同じ5位でした。

 しかし、2005年シーズン、マイク・ガスコインが本格的にマシン開発に携わったTF105でシーズンに臨んだトヨタの成績は急上昇し、シーズン合計獲得ポイントも88ポイントと大幅にアップ。さらに第9戦アメリカグランプリではヤルノ・トゥルーリが初のポールポジションを獲得し、決勝でもトゥルーリが2度の2位表彰台と3位表彰台1回、ラルフ・シューマッハも3位表彰台に2回登るなどの活躍を見せ、コンストラクターズランキング4位と飛躍する年となりました。

 ところが、そうした明らかにチームの躍進に大きな影響を与えた立役者マイク・ガスコインを、トヨタは今シーズンまだ開幕してたった3戦の結果が思わしくないだけで、その責任を背負わせて更迭してしまったのです。これは驚くべきことですね。とても信じられません。
 トヨタはF1参戦5年目に突入した今シーズン「開幕3戦で初勝利を」と意気込んでいましたが、結局第3戦のオーストラリアでラルフ・シューマッハが3位表彰台を獲得したのがやっとで、3戦が終了した時点で獲得したポイントはわずか7ポイントにとどまっています。しかし、だからといってたった3戦が終わったこの時期にガスコインを更迭してしまうというのは、あまりにも時期尚早なのではないかと思わずにはいられません。
 ルノー時代に大きな実績を持つガスコインは、強いリーダーシップでトヨタ内部の体制を大改造しただけに、TF105、TF106と2年続けてトヨタに凡作との評価を下されたいまの状況では、高額サラリー(推定年棒800万ドル:約9億4千万円)を取ると言われるだけにチームの対応は厳しかったようですね。
 ブリヂストンタイヤへのスイッチについても、ガスコインはマシンデザイナーの立場からミシュランに固執して最後まで強く反対の姿勢を示していたようですが、トヨタ本社主導で決定されたと言われています。

 しかし、今シーズンのここ3戦の不調は、ガスコインのマシン設計と言うよりは、ガスコインが最後まで反対しトヨタ本社が強引に決定したブリヂストンタイヤとのマッチングに問題があるのは明らかなんですよね。結局のところ、そうしたガスコインとトヨタ本社との考え方の相違が、両者の確執を生み出した結果なのでしょう。まったくもって今回のガスコイン更迭は愚かな決定です。

 個人的には、トヨタの傲慢さが露骨に現れた騒動だったと思います。トヨタと言えば過去にアメリカのインディシリーズでもエンジン規制を独断で押し進めて結果的にシリーズ分裂を招いた経緯がありますが、その傲慢体質は未だに治っていないようです。そう考えると、富士スピードウェイを買収して日本グランプリを鈴鹿から奪い取ってしまったというのも、傲慢さが現れているような気がします。
 しかし、そんな「世界の巨人」と言われているトヨタも、F1で5シーズン目を迎えて未だに勝利がないことに、相当焦っているようですね。ガスコインをシーズン早々に更迭した以上、結果を出さなければチーム首脳陣もその責を問われることになりそうです。

 まあ、マイク・ガスコインはまだ43歳ですから、トヨタを離脱してもF1界で再就職に困ることはないでしょう。彼は才能のある人物ですから、トヨタのような大企業ではなく、もっとクリエイティブで理解のあるチームの方が、その才能を遺憾なく発揮できるはずです。

 彼に高額なサラリーを支払えるのかは、また別の話ですが……。



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 4年振りの開催目指すM-NESTトロフィー
2006年04月04日(火)

 実は4年ほど前まで、PS2のレースゲーム最高峰シリーズ「グランツーリスモシリーズ」というゲームを使って、友達数人を集めて我が家で「M−NESTトロフィー」というレースゲーム大会を催していました。ところが、実は僕、このゲームの全国大会(オートバックス主催)で2年連続のチャンピオンでして、「M−NESTトロフィー」でも主催者の僕が毎戦優勝してひんしゅくを買ってしまったので、途中から僕はレースに出場せず、オフィシャル(ショートカットや無謀な接触を監視してペナルティを与える役)に徹するようになって何度か開催されました。
 しかし、その後メンバーの何人かが結婚したり遠くへ転勤になってしまったりしてメンバーが揃わなくなり、そのうちブームも去ってしまい、4年前の第5回大会を最後に「M−NESTトロフィー」は開催されなくなっていました。

 その後2004年の12月に、新しいコースや車種も増えてゲームがパワーアップしたシリーズ最新作「グランツーリスモ4」が発売され、再びブームになってこのゲームをやり込む人も増えてきました。
 このゲームも発売されてからすでに1年以上経過しているので、さすがにこのゲームを買ってやり込んだ人は、もうだいたいどのコースも把握してテクニックも身につけている頃だと思います。

 で、最近得意先の会社に入った新入社員でクルマ好きの人がいたので、色々クルマの話で盛り上がったりしていると、彼も相当「グランツーリスモ4」をやり込んでいるらしく、その話でもちきりになりました。さらに他でも何人か新たに「グランツーリスモ4」をやり込んでいる人を発見し、4年振りに我が家で「M−NESTトロフィー」を開催する可能性が出てきました。

 まだ具体的には何も決まっていないのですが、基本的なルールはこれまでの大会同様シリーズチャンピオンシップの形態を取り、10コースを選んで全10戦のレースでシリーズチャンピオンを決めるという大会です。ドライバーエントリーは6人までで、かつてのF1のように1位10ポイント、2位6ポイント、3位4ポイント、4位3ポイント、5位2ポイント、6位1ポイントで、最下位で終わったとしても1ポイント獲得できます。

 エントリー人数によっては僕はレースに参加せずにオフィシャルに回るかもしれませんが、仮に僕が出場したとしても、かつて全国大会でチャンピオンになった時からかなりブランクもありますし、ゲーム自体もチャンピオンになった時のものとは違います(全国大会は3)から、もちろん負けたくはありませんがそれほど実力差はないのではないでしょうか。
 そもそも僕がチャンピオンになった全国大会は、元々全国のオートバックス各店で行われたのタイムアタック大会でトップタイムをマークした者だけが招待された大会で、そのオートバックス各店でのタイムアタックをやっていない人の中にも強者はいるわけで、今回も僕がぶっちぎり優勝できるとは思えませんからねえ。

 そんなわけで、大会が実現したら、その模様をVoiceでもご紹介します。



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 F1第3戦オーストラリアグランプリ(決勝)
2006年04月03日(月)

 昨日はF1第3戦オーストラリアグランプリの決勝が行われました。今年のオーストラリアグランプリは、1レースで4回もセーフティカーが導入されるという大波乱のレースとなりました。

 まずスタートでポールポジションのジェンソン・バトン(ホンダ)がフェルナンド・アロンソを抑えてトップを守りますが、その後方では2台のマシンに挟まれ行き場を失ったフェラーリのフェリペ・マッサがウィリアムズ・コスワースのニコ・ロズベルグのマシン後部に接触し、その反動でウォールに激突、これにより最初のセーフティカーが導入されます。
 4周目にセーフティカーが解除されると、ホームストレートでアロンソがバトンをオーバーテイクしトップに浮上。僅か1周で2秒728の差をつけ、後続を引き離しにかかります。その直後の5周目、レッドブルのクリスチャン・クリエンがクラッシュ。7周目にまたもセーフティカーがコースイン。
 10周目の再スタートでは、バトンはマクラーレンのキミ・ライコネンにも交わされ、順位を3番手に下げてしまいました。ホンダの初優勝と表彰台での「君が代」に期待したのですが、やはりバトンとホンダは、まだ決勝で勝つには難しい状況なんですねえ。がっかり。

 11番手からスタートしたフェラーリのミハエル・シューマッハは序盤ペースが上がらりませんでしたが、25周目にピットストップを行ない6番手でコースに戻ると、次々と自己ベストを更新し、前方のバトンに1秒差まで迫ります。しかし33周目に何と最終コーナーの出口でクラッシュ!3度目のセーフティカーが導入されます。前をゆくバトンに接近しすぎたためタービュランスに巻き込まれたものと思われますが、シューマッハが単独でクラッシュするのは実に珍しいシーンでした。今年もシューマッハはパッとしないですねえ。
 その後の再スタートで、今度は36周目にトロロッソのビタントニオ・リウッツィがクラッシュ。またもセーフティカーが入り、1レースで4度のセーフティカー導入となりました。

 46周目には、4番手でラルフ・シューマッハのすぐ後ろを走行していたファン・パブロ・モントーヤがミハエル・シューマッハと同じポイントで縁石にマシンを乗り上げ、この衝撃でエンジンがストップしたためにリタイア。2回目のピットストップでノーズ交換を行なっていた2番手のライコネンはアロンソとの差を広げられる一方でしたが、レース終盤に差し掛かりペースを上げることに成功。ファイナルラップではファステストラップを叩き出し意地を見せますが、1秒829の差で2位のままチェッカーを受けました。ラルフ・シューマッハは3位のポジションを守り切り、トヨタに今季初の表彰台をもたらしました。

 ホンダ勢は、5番手のバトンがピットスタートで最後尾から追い上げていたフィジケラに肉迫されたまま迎えたファイナルラップの最終コーナーで派手にエンジンブロー。バトンはそのままチェッカーを受けず、10位完走扱いとなりました。予選で失敗し後方スタートだったチームメイトのルーベンス・バリチェロは7位入賞でポイント圏内に届いています。
 そしてスーパーアグリは、佐藤琢磨が一時は本家ホンダのバリチェロを抑え込むなどの走りを見せ、最後尾ながら12位完走扱い。井出有治も13位でチェッカーを受け、F1初の完走を成し遂げました。スーパーアグリは目標としていた2台揃っての完走を、F1参戦3戦目で果たしたことになります。

 今回もルノーが盤石の体制で開幕3連勝を飾り、ライバルのフェラーリ、マクラーレン、ホンダのマシンが相次いで脱落したことで、その差はどんどん広がっていますね。これでドライバーズランキングはアロンソが28ポイントで首位、同僚のフィジケラとライコネンが14ポイントで並び2位、さらにその後ろにミハエル・シューマッハとバトンが11ポイントで並んでいます。しかしコンストラクターズはルノーが早くも42ポイントで、23ポイントの2位マクラーレンに19ポイントもの差を付けています。3位には15ポイントのフェラーリ、4位には13ポイントのホンダが続きます。

 今年もルノーがタイトル最有力ですな。



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 F1第3戦オーストラリアグランプリ(予選)
2006年04月02日(日)

 昨日はF1第3戦オーストラリアグランプリの予選が行われました。オーストラリアグランプリと言えば、1995年までは最終戦、翌96年から昨年までは開幕戦という地位を守り続けてきましたが、今年は先にバーレーン、マレーシアを消化してからの第3戦となっています。
 気まぐれな天候の続くメルボルンで、気温19℃、路面温度27℃のコンディションで開始したノックアウト方式の予選では、赤旗中断が2回挟まれ、トップチームのドライバーが早々に姿を消すなど波乱も見られました。

 1次予選の残り時間が8分を切ったところでトップチームのマシンが続々とアタックを開始するのですが、スーパーアグリの井出有治がスピンし、コース半分を塞ぐ形となったため、セッションは残り7分52秒の時点で赤旗中断となります。アタックを開始していたものの、この中断でタイムを残せなかった上位チームはセッション再開後一斉にコースインし、ルノー、トヨタなどが確実なタイムを出し、特にマクラーレン・メルセデスの2台は危なげなくワンツーで予選を通過しました。
 ところが、ホンダのルーベンス・バリチェロ、赤旗の前にタイム計測を行なっておらず、再開後も完全にアタックのタイミングを誤り、終了直前にコースインするも前走していた井出有治のマシンに捕まってしまい、17番手のタイムしか残せず、1次予選で脱落してしまいました。残り5台はミッドランドのティアゴ・モンテイロとクリスチャン・アルバース、トロロッソのスコット・スピード、そしてスーパーアグリの佐藤琢磨と井出有治でした。

 5分休憩を挟んで行なわれた2次予選も波乱が待っていました。フェラーリのフェリペ・マッサがクラッシュし、残り時間5分28秒で再び赤旗が振られます。中断前に上位のタイムを残していたルノー、マクラーレン勢はそのまま動かず、フェラーリのミハエル・シューマッハが再開後にコースに出るも、アウトラップの渋滞でタイムが伸びず。引き続きアタックしますが、ここで非情にも再び雨が降り出し11番手のタイムに留まり、シューマッハが最終予選に進めない波乱となりました。フェラーリの2台、ウィリアムズ・コスワースのニコ・ロズベルグ、トロロッソのビタントニオ・リウッツィ、レッドブルのデビッド・クルサード、クリスチャン・クリエンが姿を消しました。

 そして完全には雨が止まない状態での最終予選。各チームはドライタイヤのまま周回を重ね、ルノーのフェルナンド・アロンソは、早い時点でニュータイヤを装着し暫定トップ。残り時間が9分を切ると、各マシンがニュータイヤで一斉にアタックを開始し、アロンソがタイムを更新するもチームメイトのジャンカルロ・フィジケラが上回り、さらにホンダのジェンソン・バトンがトップに立ち、今季初、通算3回目のポールポジションを獲得しました。マクラーレンの2台は終了直前にアタックするも、ルノーに及ばずキミ・ライコネンが4番手、ファン・パブロ・モントーヤは5番手という上位グリッドとなりました。

 ついに来ましたねえホンダが。ジェンソン・バトンがいよいよポールポジションを獲得して、第3期ホンダの初勝利を目指します。ホンダは開幕前の合同テストで常に好調でしたから、そろそろそのパフォーマンスを見せて、表彰台で初の「君が代」を聞かせて欲しいものです。しかし、後ろに続くのはフィジケラとアロンソのスタートが抜群なルノー2台、まずはスタートで首位をキープして欲しいですね。

 さて、ミハエル・シューマッハが2次予選で消えてしまったのは驚きでしたね。本来ならポールポジションでもおかしくないこの人が、チームメイトのマッサが原因を作った赤旗中断とその後の雨によって、チャンスをフイにしてしまいました。今年のシューマッハも、何だかツキに見放されている感がありますね。まあ彼のことですから、スタートで数台ごぼう抜きにして、すぐに上位に這い上がり、表彰台圏内まで登ってくることは間違いないでしょう。

 ……それにしても、フェラーリが2台とも2次予選で消えるとは……。

 スーパーアグリは今回も仲良く最後列で早々に1次予選で消えてしまったのですが、今回は井出くんがかなり苦戦していましたね。マシンが思うように動いてくれないような感じで何度もコースオフして、ドライバーのミスと言うよりは何らかのマシントラブルが影響しているように思われました。そのため1次予選でコースを塞いでしまうスピンを喫して赤旗中断の原因を作ってしまい、その後再開されたセッションでは、ホンダのバリチェロのアタックを妨げてしまう結果となり、バリチェロを1次予選で落としてしまうこととなりました。スーパーアグリにエンジンを供給しているホンダとしては複雑な心境だったでしょうねえ。

 しかし、この開幕3戦の予選を見ていて思うのですが、なぜ多くのチームはセッションの早いうちにコースインしてタイムを出さずに、セッション後半まで機会をうかがうんでしょうかねえ。もちろん最初のうちはコース上が汚れているので、何台か走った後にコースインする方がグリップも良くなるのですが、1次予選と2次予選は15分間、最終予選も20分間しかないわけですからねえ。今回のようにセッションの途中で誰かがクラッシュして赤旗中断したり、2次予選のようにセッション終了間際に雨が降り出したりと、何が起こるかわからない予選ですから、短い時間でなるべく早い時間にアタックしてタイムを出しておいた方が安全なのは、シロウトの僕でもわかることなのですが。事実セッション後半までアタックしなかったバリチェロとミハエル・シューマッハは、それぞれ1次予選、2次予選で足切りされてしまったわけですからね。

 きっとこの3戦を教訓に、次戦からはどのチームも早いうちから積極的にアタックするようになっていくのではないでしょうか。で、それによって予選は大混乱になったりして……。



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 琢磨とワンツーフィニッシュする裏技(2)
2006年04月01日(土)

 昨日の続きで、PS2のF1レースゲーム「FORMULA ONE 2005」の「キャリアモード」で佐藤琢磨とワンツーフィニッシュを決める裏技の決勝編です。今日はエイプリルフールですが、無視してかまわずこのネタを続けましょう。

 ……あ!今日は実際のF1第3戦オーストラリアグランプリの予選だった!

 いよいよ決勝で自分と琢磨はフロントローからスタートするわけですが、もし予選がうまくいって自分がポールポジション、琢磨が2番手でフロントローが独占できたら、スタートで琢磨を先行させて自分が2位になればオーケーです。もし予選がうまくいかずに琢磨が2列目からのスタートとなった場合は、琢磨の前にいるマシンを何とかして抑え込んで、琢磨をトップにさせ、自分が2位になる必要があります。


スタートで琢磨を先行させ、自分は後続マシンを抑え込んで差を広げる


 うまく琢磨をトップで先行させて自分が2位になれれば、あとはレース中盤まで自分がスローペースで後続のマシンを抑え続け、その間にトップの琢磨との差を決定的な差まで広げさせます。その後レース終盤までにペースを上げて琢磨に追いついてファイナルラップまでにオーバーテイクすれば、3位以降ははるか後方にいるはずですから、琢磨が思いがけずエンジンブローなどでリタイヤしない限りは、容易に琢磨とワンツーフィニッシュを決めることができるというわけです。

 最初の1戦でワンツーフィニッシュを決めることができれば、2戦目以降はもう簡単です。最初の1戦で琢磨が2位でフィニッシュしたわけですから、2戦目では琢磨の予選1回目の出走順が一番最後から2番目になり、その琢磨の番になるまでの全車をスキップせずにオンタイムでアタックさせ、琢磨だけスキップさせて1〜2秒速いタイムを自動生成させれば、予選1回目から琢磨を暫定トップにさせることができ、その後自分がアタックしてトップに立って予選2回目に進めば、そこでも琢磨の出走順位は最後から2番目になり、さらに最初の1戦とは違い、2回の予選とも琢磨だけがスキップして自動生成させた1〜2秒速いタイムの合算タイムになるので、簡単にフロントローを穫ることができるというわけです。


見事BAR・ホンダの日本人同士のワンツーフィニッシュ達成!



表彰台ではしゃぎながら琢磨にシャンパンをかけるオレ



別の角度からもご覧頂きましょう


 このように、一度ワンツーフィニッシュを成功させることができれば、あとは琢磨がレース中にリタイヤしない限り何戦でもワンツーフィニッシュを続けることができ、コンストラクターズポイントをがっぽり稼ぐことができるというわけです。「FORMULA ONE 2005」のキャリアモードをプレイしている皆さんも、この裏技を使ってBAR・ホンダで完全勝利を目指してみてはいかがでしょうか?



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